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だい ななじゅういち わ ~ラミア~

羽黒(ハクロ)! 羽黒 フス! ジプマイプモ 羽黒 フス!」

 瀧宮(たつみや)の兄貴がやってる店で待つこと数分。曲がり角から姿を現したヤクザ面を遠目に見つけた蛇娘は香川(かがわ)に尻尾を巻き付けたままブンブンと手を振った。

 少し鼻は低いが愛らしい顔つきに朱色の短くはねた髪、布地の面積の少ない民族衣装のような服、髪と同じ赤い鱗の尻尾の少女は相変わらず何喋ってる変わらんが、やはり妙にはっきりと聞き取れる「羽黒」はあの人のことで合ってたらしい。興奮して尻尾がギリッときつく締まり、香川が「ぐえっ!?」と変な声を上げた。南無。

「…………」

 近付いてきた羽黒の兄貴が無言でサングラスを外し、眉間を揉む。この人にしては珍しく、まるで目の前にいるこいつが幻覚であってくれみたいな表情を浮かべるが、大変残念ながら現実である。

「……ちょっと奥で待ってろ」

 言うと、店の鍵を開けて俺たちを中に案内する羽黒の兄貴。言われるがまま、俺たちはゾロゾロと電気がついていない雑貨屋の中を通り過ぎ、奥の居住スペースに足を踏み入れる。

 同居してる白銀(しろがね)さんによって小奇麗にされたリビングで待っていると、二階でゴソゴソと何かを漁る気配がしたのちに羽黒の兄貴が手に何かを携えて戻ってきた。

 あれは……なんだ? ネックレスに見えるけど、なんか妙な気配が渦巻いてる。

「なあライナ。あれって魔術的な何かか? なんかウネウネしててキメェんだが」

「そのようね。大分複雑だけど、それでいて無駄のない構造をしているわ。恐らくは翻訳機能を秘めてるんだけど、誰が作ったのかしら」

「……翻訳。なるほど」

 駒野(こまの)が頷く。この蛇娘が何者か知らんが、そもそも言葉が通じんと何も始まらない。

「…………」

 無言で蛇娘の首にその翻訳の魔導具をつける羽黒の兄貴。そしてちょいちょいとネックレスを弄って調子を確かめ――蛇娘の顔面をむんずと掴んだ。

「痛い!? 痛いぞ羽黒!?」

 お。悲鳴だが、俺にも分かる言葉に変換された。

「よーう、お姫様。てめえ何でこんなところにいるんだ?」

「痛い痛い!? 痛いぞ!!」

「お姫様?」

 ハルが首を傾げる。案の定この二人が顔見知りだったらしいというのはこの際置いておくとして、予想外の単語が出てきたな。

「あ、あの羽黒さん落ち着いてください! 話が進まない……ていうかドンドン……締まって……!?」

「香川ぁっ!? 顔色がやべえ感じになってるぞ!?」

 慌てて俺と駒野で蛇娘の尻尾を引き離す。やはり鬼と人狼の膂力をもってしても苦戦するパワーでしがみつかれていたため手間取ったが、少し緩んだところでなんとか香川が自力脱出できたので良かったとする。



          * * *



「ラミア」

 羽黒の兄貴が全員分の紅茶を入れてくれたところで、妙に疲れた声音で呟いた。

「下半身が蛇で上半身が人間の女の一般的な総称だな。この類の伝承は世界各地に存在するから詳細は省くが、神として扱われることもあれば人喰いの魔物であることも多い」

「人喰い……」

 サッと香川の顔から血の気が引く。アレだけ苦労して引きはがしたのに、ラミアはちょっと目を離した隙にまた香川の体に巻き付いていた。まあ今回は血流が止まるほどのパワーではなく、しなだれかかる程度のかわいい巻き付きだが。

「むう、相変わらず失礼な男だな羽黒は! わらわは人など食ったりせんわ! あのようなラミアモドキの魔物と一緒にするでない!」

 二つに分かれた舌先を羽黒の兄貴に向けながら、ラミアが不愉快そうに反論する。とりあえず、食う気はなさそうで安心だ。

「ンなこたぁどうでもいいんだよ。それよりシャシャ、お前本当に何でこんなところにいるんだ」

「シャシャ……ああ、この子の名前か」

 頷くハル。まあ確かに、こうやって会話が通じる理性ある妖? であれば名前くらいあるか。

「ふむ、よくぞ聞いたな! わらわの此度の旅の目的はズバリ!」

「ズバリ?」


「――婿探しじゃ!」


「そんなことのために世界渡航してくんじゃねえ馬鹿蛇娘!?」

「ぎゃん!?」

 割と本気っぽい速度の拳骨がラミア――シャシャの脳天に直撃する。羽黒の兄貴の拳骨とか普通に凶器だと思うのだが、シャシャは涙目を浮かべながらも逆に睨み返す覇気を持っていた。

「何するんじゃ!? わらわ一応ラミア族の王位継承候補者ぞ!?」

「お前確か十四人姉妹の末っ子だろうが! 王位もクソもあるか!」

「ぼーとくじゃ! ぼーとく!! 末っ子いじめ反対じゃ!」

 ぎゃあぎゃあと俺たちを放置で喧嘩をし始める二人。そろそろ収拾がつかなくなってきたな……誰か話をまとめてくれ。いい加減意味が分からん。


 Prrr! Prrr! Prrr!


 と、その時ケータイの着信音が鳴り響いた。聞き覚えのない音色にメンバーで顔を窺い合うと、羽黒の兄貴がポケットから自分のケータイを取り出した。

「おう、もみじ、どうした?」

 どうやら相手は白銀さんらしい。先ほど隈武(くまべ)のバイト先の喫茶店で生徒会の打ち上げをしていたが、何か急用だろうか。

『――お久しぶりですね、シャシャ。と言ってもあなたは覚えていないかもしれませんが』

 と、スピーカーをオンにした通話口から白銀さんの声がリビングに響く。声音は実に穏やかだが、何やら有無を言わせぬ圧力を感じる。

 つーか、今シャシャつった? あのヒトも知り合いだったん?

「そ、その声は……まさか貴様、エ――」

『今は白銀もみじと名乗らせていただいています。発言にはお気をつけて。覚えていただけて嬉しいですが――()()お仕置きしますよ?』

「ヒイッ!?」

 恐怖で引き攣った表情を浮かべながら香川に抱き着くシャシャ。過去に何があったかは知らんが、何をやらかしたんだろう、こいつ。

『先ほどお店でお会いした時はすぐに思い出せず、お声がけできなくて申し訳ありません。あんなに棒切れのように細く小さかった子蛇があんなに立派になっているとは思いもせず。また今度、改めて挨拶に伺いますので』

「ささささささっきの黒髪、やはり貴様だったか!? 妙に魔力が静かで確信できんかったが……いや来るな!? 挨拶とかそーいうーのいいから来るでない!?」

『あら嫌われちゃいました?』

 ところで、とケータイの向こうの声が冷たくなる。

『羽黒に迷惑をかけたりしてませんよね?』

「ひゅっ」

『何故あなたがこちらの世界にいるのか、皆さんにきちんと説明なさいね。それじゃあ、また今度』

 いうだけ言うと、通話は一方的に切られた。それを羽黒の兄貴は無言でケータイをしまい、さて、と話し始める。

「まずどこから始めるか……」

「あの、なんか『世界渡航』とか『こちらの世界』とか聞こえたんスが、そこって突っ込んでいいとこっスか?」

「まあ別に隠してることじゃあねえし、別にいいんだけどよ。この馬鹿蛇娘がこっちに来ちまって、しかもお前さんらと関わっちまった以上、最低限は知っておいた方がいいよな」

 深い溜息を吐き、冷め始めた紅茶を一気に煽る羽黒の兄貴。

 俺たちも各々カップに口をつけて唇を湿らせ、話を聞く体勢を整えた。



          * * *



 要約するとこういうことだった。

 羽黒の兄貴がこの街から姿を消した六年間のうち、この街に戻ってくるまでの約五年、羽黒の兄貴はとある目的のために異世界を旅していたらしい。その旅の中で出会ったのが、シャシャの母親を頭目に掲げるラミアの一族とのことだ。

 縁あってシャシャの出産? 産卵? 孵化? に立ち会った羽黒の兄貴は少しの間シャシャの面倒を見ていたらしく、シャシャとはその頃からの顔見知りだそうだ。

「え、つまり羽黒の兄貴は異世界転生経験者!?」

「勝手に殺すな馬鹿。普通に魔術的に向こうに渡って帰ってきただけだ」

「……異世界渡航。本当にそんなことが可能なのか?」

「そもそもお前ら妖怪の住人だって、先祖連中が冥府だか魔界だか幻獣界だかから迷い出て住み着いた結果だろう。異世界くらいフツウフツウ」

「まあ、言われてみればそうだな。ライナも大括りにすればそういう部類だろうしな」

「私とレイナの場合はこっちの世界の魔術事故に巻き込まれて落ちてきたのだけどね」

 で。

「羽黒の兄貴とシャシャが知り合いなのは分かったけどさ、なんでシャシャがここにいんの? 世界跨いで」

「「そう、それなんだ(じゃ)」」

「なんでシャシャ本人まで不思議そうに首傾げてんだよ」

 大丈夫かコイツ。

 と、俺たちの視線を受けてシャシャが渋い表情を浮かべる。

「いや、わらわな、世界渡りたくて渡ったわけじゃないのじゃ。婿探しの旅の最中、嵐に遭ってな」

「……婿探し?」

「ラミアは女しかいねえから、成人したラミアは伴侶を攫ってくる風習があるんだ。それが転じて人食い扱いされることが多い」

「自業自得じゃねーか」

「やかましいわい! ちゃんとお互いの合意を得てから里に連れ帰っとるのに周囲が勝手に誤解するんじゃ!」

「ん……? いやちょっと待ってもらえないか? 羽黒さんがシャシャの世界にいたのは五年間なのだろう? ラミアの寿命がどれくらいかは知らないが、五年程度で性成熟するのか?」

「こっちとあっちじゃ時間の流れが違うんだ。大体五倍くらい。だからシャシャの体感だと十五歳くらいか?」

「十六じゃ。わらわたちラミア族は十六で大人として扱われる。ちなみに寿命はヒトとおおよそ変わらんはずじゃ。稀にとんでもなく長生きする者も……っと、話が逸れたな。とにかく、旅の途中で嵐に遭ってな。大樹の洞に身を隠したんじゃが、気付けばこちらの世界に来ていたのじゃ! 不思議よなあ。羽黒の気配が麓の方からしたからとりあえず名前を連呼してみたのだがな、まさか本当におるとは思わなんだぞ!」

 不思議よなあ、って。何だかすげー軽い感じに言うけども。

「瀧宮羽黒。彼女の話を聞く限り、何者かの作為というより、神隠しに近い現象のようだけど?」

「俺もそう思う。シャシャが湧いたポイントを調べねえと詳しくは分からんが、まず間違いはねえだろ。何でピンポイントに俺の近くに飛ばされたのかは謎すぎるが……」

 はあ、と羽黒の兄貴は深い溜息を吐いた。

「おい、シャシャ」

「うむ」

「一つ大事な話がある。よく聞け」

「なんじゃ」


「お前は、元の世界には帰れない」


「…………」

 その言葉の重要性に気付いていないのか、きょとんと首を傾げ、目をぱちぱちと動かすシャシャ。って、ちょい待ち!

「え、羽黒の兄貴! 元の世界に帰れないってどういうことっスか!? だって羽黒の兄貴は一回シャシャの世界に行って帰ってきてんだろ? それと同じ方法で――」

「シャシャが生まれた世界はちょいと特殊でな。他の世界だったら膨大な魔力と専門の魔術さえあればこの街の術者でもどうとでもなるが、あの世界だけはそう簡単な話じゃない。俺が行く時も、とあるアーティファクト級の魔導具を一個ポンと消耗しちまったし、目的達成後に帰る時もとある筋の協力ありきで体感十年以上かけてやっと帰ってきたんだぞ」

「十年!?」

 途方もねえ!

「しかも世界座標が不安定なもんで同じ術式で転移できねえ……っと、まあこの辺は俺も詳細までは理解できてねえから省くが、つまりよっぽどの魔術オタクじゃねえ限りあの世界の行き来は困難なんだ」

「まあ良いではないか!」

 と、竹を割ったような明朗な声が響く。

 シャシャだ。

「わらわは別に構わぬぞ! 婿探しに行ったラミアが逆に婿に捕まって帰ってこなかったなどよくある話よ! 旅に出た時点で帰れぬかもしれんと覚悟はしておる!」

「それでいいのかお前」

「……まあ、母上に婿を紹介できぬのは多少寂しくは思うが」

「婿、なあ……」

 ハルが微妙な顔でシャシャを――シャシャと香川を見る。

 香川はシャシャの口から「婿探し」の単語が出てからずっと石像のように固まっていた。何度引き剥がしても頑なに香川から離れようとしないのは、つまり、そういうことなのだろう。

 ポンと羽黒の兄貴が何かを思い出したように手を叩く。

「ああ、そうか。ラミアは交尾の時に相手を尻尾で締め上げるから、旦那に頑丈な種族を選ぶ傾向にあるんだよな。前の世界で一番人気は鬼人(オーガ)族だったか。体はでかいし頑丈だし武人気質で家族意識は強く、戦闘では勇猛果敢。浮気もしねえから大人気」

「うむ! この巻き付きがいのある素晴らしい体躯に岩のように頑強な筋肉! まるでラミアの理想の婿そのものではないか……!」

「そんな理由でおれまとわりつかれてるの!?」

 はっと我に返った香川がうっとりと頬を染めるシャシャを引き剥がそうと試みるが、シャシャは決して放すまいと尻尾で締め上げる。二又の舌をチロチロとさせながら、香川の耳元で囁く。

「そう言うな婿殿。別にわらわ、婿殿の背格好だけで選んだわけではないぞ? ラミア族がヒト受けせん姿をしておる自覚はあるからな。あの森の中、どこがどこだか分からず右往左往していたわらわに優しく声をかけてきてくれた婿殿にビビッと来たのじゃぞ?」

「耳元で婿殿連呼しないで!? そりゃ、森の中で半べその女の子がいたら声をかけざるを得ないでしょ!? 下が蛇でも!」

「森?」

「ああ、彼女、大学の演習林にいたんで」

 尋ねる羽黒の兄貴に手短に答える。

 演習林で泣いている女の子がいるらしいと、サトリの佐藤(さとう)さんから風紀委員会に連絡があって、たまたまイツメンで駄弁ってた俺に指令が下り、ついでだからってんで駒野には嗅覚、他には捜索のための人出として協力してもらったのだった。

 それがまさか人外丸出しのラミアが羽黒の兄貴の名前連呼しながら泣いてて、声をかけた香川に急に巻き付いて離れないもんだから焦った焦った。風紀委員長の和田(わだ)さんに最初は相談したものの、風紀委員の処理能力を超えてるってんで生徒会にたらい回しにされたという経緯はあるが、ともかく。

「香川、彼女オメ」

(きょう)!?」

「……もう泣かすんじゃないぞ」

「明良まで!?」

「まあ蛇が死ぬほど嫌いというのであれば同情するが、見たところそういうわけでもないし、いいのではないか?」

「ごめんなさい、私から言えることはないわ」

「二人とも!?」

 女子二人にまで見放された香川は情けなく眉をハの字にするが、俺たちの言葉を祝福と捉えたシャシャは満面の笑みを浮かべた。

「ありがたい! 婿殿の友人たちにこれほど祝ってもらえてこのシャシャ、嬉しく思うぞ! さあそうとなったら早速祝言を――」

「はしゃぐところ悪いがシャシャ。無理だ」

「む?」

「羽黒さん!」

「この国の法律で男子は十八にならんと結婚できん。世間体を考えて学園を卒業するまで、一年半待て」

「羽黒さん!?」

「むう、それは仕方ないか」

「ちょ、待ってって!!」

 シャシャに巻き付かれて自由の利かない体をビチビチさせながら何が不満なのか香川が抗議の声を上げる。

「さっきさらっとスルーしたけど、シャシャの世界はこっちの五倍の速度で時間が進むんですよね!? それで羽黒さんはあっちでウン十年過ごしたけどほとんど老けずに戻ってきたってことだろうけど、シャシャの場合はこっちにいると五倍の速度で年を取るってことでしょ!?」

「あ」

 確かにそいつはまずいか。

 ラミアの寿命が人と同じくらいっていうなら、シャシャはこっちの世界だとあと十三年くらいしか生きられないってことになるのか。

「ね!? だから元の世界に帰る方法を探して長生きした方が彼女のために――」

「……つまり、彼女と共に異世界に渡ると?」

「違うよ明良!?」

「それは、寂しくなるな……」

「短い間だったけど、楽しかったわよ」

「だから二人とも!?」

 なんだかんだノリがいい女子二人に突き放されて慌てふためく香川。まあともかく、確かに時間の流れの違いによる寿命問題はデカいわけで、何とかできないものかと羽黒の兄貴に視線を向ける。

 しかし羽黒の兄貴はニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべていた。

「大丈夫だ、香川少年。あっちの世界でいう『ヒト』ってのはエルフのことだ。ライナみたいな幻獣タイプで寿命がない方じゃなく、年月とともに老化して死ぬ寿命があるタイプのエルフでな、平均寿命は四百から五百だ。ラミアもそれと同じくらいだ」

「へ」

「つまりこっちの世界で天寿を全うするのは八十くらいだな」

 なるほど。

「香川、末永くお幸せに」

「……子供ができたら抱かせてくれ」

「ふふ、人魚族に伝わる子守唄を唄ってやろう」

「子々孫々まで見守っていてあげる」

「皆の者、ありがとう! 幸せな家庭を築いてみせるぞ!」

「だからぁっ!?」

 香川が本格的に涙目になってきた。

 まあこの辺にしておいてやるか。



          * * *



「真面目な話、これからどうすればいいんで?」

「それなんだよなあ……」

 ガシガシと髪を掻きながら、羽黒の兄貴は視線を遠くに向ける。

「あっちに帰るのが厳しいのはマジなんだよなあ」

「……あんたがこっちに帰ってくる時の伝手はもう使えないのか」

「ついこの前、一緒になった仕事で殺意級の恨みを買っちまったからなあ。ほとぼりが冷めるまで接触できん」

「何してんスか」

 本当に碌なことしねえなこの人。

「一番良いのはマジで香川少年に引き取ってもらうことだが」

「……香川は学園管理の特注の借家に住んでる。寮や下宿だと体のサイズが合わんからな」

「なるほど、あのクソデカハウスか。ラミアの一匹や二匹増えても問題ないな」

「問題だらけ! 全部の皺寄せがおれに来てるんですよ!?」

「いや……皺寄せとか、そこまで言われると傷つくのじゃが」

「え、あ、ごめんなさい」

「つーか、何が不満なわけ? こんな美少女に捕まって不満しかないとは何様のつもりだ。下、蛇だけど」

「そこだよ!? 嫌いなわけでもないけど好きでもない、できることなら関わりたくない生き物だよ!?」

「嫌いではないならこれから好きになればいいではないか。下半身魚の私が平気ならすぐに慣れるだろう。同じ鱗だし」

「その差は大きいって!」

「ちょっと、話がまた戻りそうになってるわよ」

 おっと失礼。

 今はとにかくシャシャのこれからだ。

「死ぬほど面倒臭いが、役所手続きや家の手配は俺がやってやる。そろそろ雪も降る季節だってのに半変温動物(ラミア)野晒しは流石に気が引ける」

「え、わらわ、ラミアじゃなかったら野晒しの可能性があったのかえ?」

「俺の思惑ありきで引き取ってきた連中はともかく、ポンと湧いた奴らの面倒まで見れるか馬鹿。まあ知り合いだから安くしとくぞ」

「金も取られるのか!? わらわ、こっちの金とかないぞ!?」

「なぁに、足りねえ分は体で払ってもらうぜヒッヒッヒ」

「ひぃっ!?」

 膨らみの乏しい胸元を隠して香川にしがみつくシャシャ。まあこれから一苦労させられるわけだから意趣返しの軽口くらい笑って流して――

「ラミアの脱皮殻はマニアに高く売れんだよな……!」

「文字通りの意味だった!?」

「羽黒さん、倫理的にどうかと思うぞ」

 ハルの冷たい視線が眼鏡越しに羽黒の兄貴に突き刺さるが本人はどこ吹く風。シャシャのためにも後で白銀さんにチクっておこう。



          * * *



「いらっしゃ――おお、お主らか! よく来た!」

 後日。

 俺駒野香川ハルのいつものクラスメンバーに隈武のとライナを加えたメンツで紹介された店に足を踏み入れた。

「…………………………うお」

 それが俺の素直な反応。

 気温一桁も見えてきた外気と比べ、びっくりするほど温かな気温の室内に所狭しと並べられた棚とガラスケース。その中には千差万別な色と模様を持つ様々な生き物が展示されていた。


 ライトに向かってじっと光を浴びる刺々しいトカゲ。

 枝と枝をするすると渡り歩くライトグリーンで鼻に変な突起がある蛇。

 葉っぱの陰でユラユラしているカメレオン。

 冬手前なのにいたるところから聞こえてくる聞こえてくるコオロギの声。


 いわゆる、爬虫類専門のペットショップだった。

「ようこそトカゲゴコチへ! 気になる者がおったらわらわに声をかけよ! ものによってはハンドリングできるぞ!」

「……お、おう」

 ポロシャツに店のロゴの入ったエプロンを付けたシャシャがピカピカの笑みを浮かべるが、駒野も反応に困ったのか、いつも以上に渋い表情を浮かべている。

 いや、俺も駒野もガキの頃は野山を駆けずって虫やらトカゲやら捕まえて遊んでたけどさ、そういうのから離れて久しい今となっては流石に気圧される。

「ほう、意外と可愛いものだな」

「ええ、それに綺麗ね」

「あっはっはなんかモチッとしてる!」

 一方女性陣はグイグイいっている。指と指の間に蛇を絡めたライラと一緒に顔を近づけて観察するハルに、腕をよじ登るヤモリに爆笑する隈武の。こういう時、やっぱ女子の方が強いよな。

「……おい、見てみろ」

「お? ……ぶふっ!? うっそだろ!?」

 駒野が指さしたケージには尻尾が太く短いトカゲが入っていた。そして値札に書かれた金額は――70万。

「誰が買うんだ……」

「……しかも四匹いるんだ」

「280万……!!」

 このケージだけで一財産じゃねえか……!

「それはマツカサトカゲじゃな。輸入が制限されておる上に繁殖が安定せんからその値段になっておる。よっぽどの好事家ではないと手は出せんな。半ば展示物となっておる」

「だろうな」

「展示物と言えばこいつもそうじゃな」

 言いながらシャシャが指さしたのは、くすんだオレンジと黒の縞模様のずんぐりとしたトカゲ。恐竜みたいな顔つきで少年心をくすぐる見た目をしてるが、何故だか値札がない。

「アメリカドクトカゲ。名前の通り有毒生物でな、現在は個人での飼育は禁止されておる」

「何でそんなもんがいるんだ!?」

「規制される前に入荷して、飼手が見つからないまま今に至るのじゃな。ほれ、そこに許可書の写しがあるじゃろ」

 言われてみれば、小難しそうな書類のコピーがケージの下にぶら下がっている。

「つーかシャシャ、この短期間ですげー詳しくなってんな……」

「うむ。羽黒に借金というこの世で最も恐ろしい身の上であるからな。必死で勉強した。……まあ、種族的にこやつらとは近しいからな。物言わぬこいつらの不調に気付きやすいということで店主には大分甘やかしてもらっておるがな」

「……言葉が分かるのか?」

「そこまでは分からんよ。だが長年こやつらの世話をしてきた店主の知識と同等の勘を持っておるというだけじゃ」

「ふーん、そりゃ天職だ」

「あと嬉しいのは、こやつらの環境に合わせて店内の気温が高めでな、わらわも元気いっぱいなのだよ!」

 ふんすと鼻を鳴らすシャシャ。なるほどそういう面もあるのか。この店を紹介した羽黒の兄貴はそこまで計算してたのかね。

「そういや、香川は?」

「……む、言われてみれば静かだな」

 シャシャの働いてるペットショップに行ってみようぜって話になった時に微妙な顔をしていたが、文句は言わずについてきたから店内にはいると思うんだが。店自体は広いのだが棚と棚の間がそれほど広くないから、あいつの体躯だといける場所は限られる。

 少しばかり三人で店内をウロウロすると、店の奥の細々としたケージが並ぶスペースで香川の巨体を発見した。

 何かをじっと熱心に見ているが、どうした?

「お、こんなところにいた」

「…………」

 近寄っても反応がない。そんなに熱心に何を見ているのかと、俺も並んでケージを除くと、紅色一色の模様はないがめちゃくちゃド派手なトカゲとじっと視線を合わせていた。

「ヒョウモントカゲモドキ、通称レオパじゃな。飼育初心者向けの大人しい種類でな、飼いやすさと多様なカラーリングでペット爬虫類と言えばコレ! という者も多いぞ。値段も手ごろじゃ」

「トカゲモドキって、トカゲじゃねえの?」

「ヤモリの仲間じゃ」

「……これも値段ないな」

「店主の私物で展示物の一匹でな。店主が手塩にかけて繁殖を繰り返し、ようやくここまで見事な紅色を発現させたのだそうだ。名を『営業部長』という。店のブログの看板写真はこいつじゃ」

「苦労のわりにネーミングセンスがひでえ」

 まあ実際客寄せにはなるんだろうな。ホームページのド頭からこれを見せられたらその手のマニアはチェックするだろう。

「…………」

 と、横で俺とシャシャがくっちゃべっているのに香川は依然とぼうっとケージを眺めている。

「ふふ……婿殿、一目惚れじゃな?」

「うん」

「そうであろうそうであろう。これほど見事な鱗はラミア族でもそうおるまいて」

「うん」

「残念ながら営業部長は譲れぬが、他の個体を一通り見てみるか?」

「うん」

「…………」

 シャシャはおもむろにポケットから型落ちのケータイを取り出し、慣れない手つきでポチポチ動かして通話口を香川に向けた。

「わらわのこと、好きかえ?」

「うん」

「……っ!!」

 録音を確かめながら悪い笑顔を浮かべながらガッツポーズをとるラミア族の第十四王女の姿がそこにあった。あーあ。

「おい、おい香川」

「え、あ、ごめん経。ちゃんと聞いてなかった」

「……お前のその集中力は後々自分を追い込むぞ」

「え?」

「何でもない。それより、そいつ気になるのか?」

「まあ……正直、びっくりした。こんなに綺麗なトカゲがいるなんて思わなくって」

「トカゲじゃなくてヤモリらしいぞ」

 それについては全力で同意だ。俺も駒野も爬虫類に関しちゃ香川と同じく好きでも嫌いでもないってスタンスだが、営業部長は引き込まれる魅力を感じた。

「むう。営業部長が美しいのはわらわも大いに認めるが、ほれ、わらわの鱗も負けず劣らずと思うのじゃが?」

「展示生物に嫉妬すんなよ」

 尾の先をペチンペチンと床に小さく叩きつけながらシャシャが口を尖らせる。悪いが、シャシャの尾も綺麗な色をしているとは思うが営業部長とはジャンルが違う。隈武のと白銀さんくらい違う。

「で、えーっと、なんだっけ?」

「シャシャが他の奴らも見てみるか、ってさ。興味あるなら飼ってみるのもいいんじゃないか?」

「うぅん……正直、確かに興味は出てきた、けど……」

 香川の視線の先には、ケージの中をうろうろする豆粒みたいなサイズのコオロギ。あー……なるほど。

「餌、虫かあ……」

「そこがちょっとなあ、って」

「ふっふっふ、安心せい!」

 俺たちの間を通り抜け、シャシャがバックヤードに消える。一体何だと思いながら待つと、手にゼリー飲料みたいなパックを持って戻ってきた。

「……それは?」

「レオパ用の練餌じゃ。こいつ一つで終身飼育実績もあるそうじゃ。ま、個人的には生餌も混ぜた方がよいとは思うがの」

 言いながら、商品棚から小さなケージを取り出す。野郎三人で覗き込むと、営業部長よりも小柄で薄黄色に黒い斑点がある個体が入っていた。なるほど、この斑点が名前の由来か。

「ほれ、手」

「え?」

 シャシャが慣れた手つきでレオパを掬い上げ、香川に差し出す。

「こやつは特に人慣れしておってな、ハンドリングしながら餌付けもできるぞ」

「お、おお……」

 おっかなびっくりレオパを受け取る香川。はは、営業部長より小柄っつっても俺の手の平くらいあるはずなんだが、香川の手がでかすぎて人差し指と同じくらいだ。セミみたいにしがみついてら。

「うわ、なんか未体験の感触」

「……何に近い」

「うーん……固めのわらび餅?」

「微妙に伝わらねえ」

 あとで俺も触らせてもらおうかな。

「えっと、ど、どうすれば?」

「ほれ、これを顔の前で揺らしてみせるのじゃ」

 シャシャは練餌を絞って木製のピンセットで摘まむ。それを香川の空いている方の手に渡すと、上から手をつかんで実際に揺らしてみせる。

「……目で追っているな」

「視力は良いぞ。ある程度慣らすと飼い主を見かけたら寄ってくる」

「ほほーう」

 シャシャの話を聞きながら、香川はでかい手で慎重にピンセットを掴んでレオパの前で揺らして見せる。なんか妙に小刻みだが……いや、あれ緊張で震えてるだけか?

「あ」

「……お」

 パク、とレオパが大きな口を開けて練餌に食いついた。

 器用に顎と舌を動かし、モムモムと口の奥へと練餌を運び、丸のみにする。さらに口の周りの食べかすをペロッと舌を伸ばして舐めとり、きょとんと惚けた顔で首を傾げた。

「こ、これは……」

「……あざといな」

「うわあ……」

 野郎三人で変な声を出して小動物を眺める図は、傍から見るとむさ苦しい以外の何でもないだろうが、ンなことはどうでもいい!

「で、おいくら万円?」

「経が真っ先に陥落した!?」

「いやだってこれはヤバいだろ!」

 正直嘗めてた。

 こんなに可愛いものだとは思わなかった。

「うむ。興味が湧いて何より! 善は急げ、さあ購入の決心を――と、言いたいところなのだがな」

 シャシャがエプロンのポケットから取り出した電卓をポチポチと叩く。

「保温球に床暖と観賞用ライト、初心者はサーモとタイマーあったほうがいいじゃろ。レイアウトはとりあえずこだわらないとして、必要最低限の飼育環境で――これくらい」

「うっ……」

 そこには思ったよりは高くはないが、気軽に手は出せない金額が並んでいた。稼業手伝いでバイト代という名の小遣いはもらっているが、貯金がごっそり消え去っちまう。

「さらにここに生体代が加わる。レオパの価格は模様と大きさでピンキリじゃから一概には言えんが、例えばこっちの珍しめの色の個体であればこれくらい」

「おっふ」

 飼育セットと同じくらいの金額が加算された。もう無理ぽ。

「ちょいと小遣い頼りの身には厳しいな……」

「まあ命を預かるわけじゃからな。一度頭を冷やしてよく考えて、それでもやはり迎えたいと思うなら貯蓄してまた来るがよいぞ」

 苦笑して電卓をポケットにしまうシャシャ。確かに、小さいとは言え命は命。ゲームを買う感覚で手ぇ出しちゃいかんよな。とりあえず、もう少し真面目に店の手伝いしようかと決心したところで、香川がうんと大きく頷いた。

「よし」

「……どうした」

「ちょっと、バイトしてみようかなって」

「お」

 それを聞いたシャシャが尻尾の先を嬉しそうにくねらせた。

「それはつまり、わらわと愛を育むためにまずはレオパから慣れようという!」

「飛躍しすぎだよ!? じゃなくて、普通に興味出てきたから飼ってみたいんだって」

「なんじゃい」

 ぶうと不貞腐れたように口を尖らすシャシャ。しかし言葉と表情とは裏腹に、瞳には怪しげな光が燈っているように見える。レオパを飼わせて少しずつ慣れさせた後、蛇を飼うように仕向けて最終的に自分に興味を捻じ曲げようという魂胆がありありと窺える。

 そう上手くいくとは思えないが、面白そうなので黙っておくが。

「とりあえず、さっきの金額を目標に頑張ってみようかな」

「……お前の体なら、肉体労働でも問題ないな」

「部活動すんだよ、レスリング部。冬だろうが普通に練習あんだろ」

「うーん、だから土日だけがっつり入れるバイト先があればいいんだけど」

 そんな美味い話があるかいな。

「あ、じゃったら!」

 と、ここで目ざといシャシャ選手、間髪おかずに攻めの一手を入れる。

「この店はどうじゃろ!? シフト割と自由に入れられるし、死ぬほど重いケージの掃除も婿殿があれば心強い!」

「えー……」

 シャシャの職場ということで条件反射的に微妙な表情を浮かべる香川。しかしレオパに興味を持ち始めた奴にとって、シャシャの下半身が蛇だからちょっと距離置きたい、という大義名分は崩れ始めているはずだ。頑張れシャシャ。

「それにこの店で働けば、わらわが飼育について色々と教えられるし――何より社員割引が利くのじゃ!」

「香川、お前この店で働け。何としてもだ!」

「経のその圧力は絶対社員割引目当てだよね!?」

 香川経由で購入すれば割安で飼育セットに手を出せる! まあ流石に生体は自力で購入したいが。

「店主! 店主おるな!? バイト希望者じゃ! 120センチ水槽を一人で動かせる逸材じゃぞ!」

「ちょ、ま、行動が早い!」

 香川の腕を引っ張ってバックヤードに拉致るシャシャ。パワーだけなら人化香川にも負けないラミアの姫君にズルズルと引きずられ、そして扉を潜ってすぐに「採用!」とバカでかい声が店内まで聞こえてきた。

「へっへっへ、もう逃げらんねえな」

「……まあ、悪いようには転ばんだろう」

 駒野が珍しく仏頂面を崩してにやりと笑う。

 まあなんだ、面白おかしく突っついてはいるが、女っ気がないダチにいい感じの相手が出現したこと自体は素直に祝ってやるだけの気概は持ち合わせているつもりだ。


「おーい、経ー? なんかあったんー?」


 店の奥から隈武のが呼ぶ声が聞こえてくる。

 とりあえず事の顛末を教えてやろうと、ぐるりとレオパたちが所狭しと並べられたコーナーを見渡しながら声のする方に歩いて行った。


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