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だい ろくじゅうよん わ ~殺生石~

 残暑もすっかり過去のものとなり、赤とんぼと共に秋の深まりが見え始めた頃。

 高等部公舎近くの朴木食堂で抹茶ラテを飲みながら、私はアズサに生徒会室に呼び出されたユタカが帰ってくるまで待っていた。

「……一人でいるとは珍しいな。少し、ご一緒しても?」

「え、あ!」

 声をかけられ、顔を上げると懐かしい女の子がそこに立っていた。

 私と同じく月波学園高等部の制服に身を包んだ、赤髪に長く尖った耳が特徴的なエルフのライナがコーヒー片手にこちらを見ている。

「わー、何だか久しぶり! うん、どうぞどうぞ座って座って!」

「ええ、お邪魔するわ」

 夏休みのあの事件を経て、二学期から高等部2年生として月波学園に通い始めたというのは何となく聞いていたが、実際にお互い制服姿で会うのは初めてだった。私は向かいの椅子を勧めながらテーブルにスペースを確保する。

「学園、どんな感じ?」

「正直なところ、まさか自分が学生として人間たちと一緒に授業を受けるなんて思いもしなかったから……うん、まだ慣れないけれど、楽しいわね」

「あ、なんか分かる。私も最初の頃は多少は戸惑ったんだー。ユタカたちがいたおかげですぐ馴染めたけどね」

「……私も、クラスが違うのに押しかけてくるグループが色々案内してくれてね」

 それぞれの近況報告を兼ねて言葉を交わす。その中で、魔術師としても優秀なライナは先日月波市に起きた龍脈の歪みを感じ取ったらしく、それについてホムラ姉様と近しい私に何があったか尋ねてきた。

 私としては特に隠し立てすることもないので、さらりと事の顛末――私の中に戻ってきた、葛葉の記憶のことも含めて、簡単に話した。

「…………」

 話したら、ぽかんと口を開けてこちらを見てきた。

「ど、どうしたの?」

「いや……前々から不思議な魂の形をしていると思ってはいたが、そもそも欠けていたのか……」

「あ、そういうの分かるんだ」

「一応はね。それに魂の質……年期と言おうか。それのわりに妙に魔力が安定していない風に見えたが、そういうことだったのか」

「うん、そう。自分では全く分からなかったんだけどね。今は違和感があるのに落ち着いた感じがするって不思議な感じ。名もない御使い時代が長すぎたんだね」

 苦笑しながら抹茶ラテを一口すする。抹茶の香りが鼻腔を抜け、じんわりと体の中から温まっていくのが分かる。

 ライナもコーヒーを一口飲み、小さく頷く。

「その感覚は何となくわかるわ。……これまで生きてきた時間と比べるとごく短い間だったけど、一心同体だった相棒が消えた時は、元に戻った落ち着きと、ずっと一緒にいたぬくもりがなくなった違和感の両方があったわ」

「そう言えば、ライナもそうだったね」

 お互い苦笑を交わし、肩を竦める。

 と、ライナが恐る恐るといったふうに改めて尋ねてきた。

「ところでこれは不躾な質問だと自覚したうえで尋ねるんだが……」

「え、なに?」

「答えたくなかったら答えなくて構わない。その……彼のことだ。あの銃使いの陰陽師の少年だ」

「ユタカ?」

 こてんと首を傾げる。ユタカがどうかしたのだろうか。

「いや、あなたにかつての記憶が戻って……その、彼は、何か変わったか?」

「あー」

 なるほど、そういうことか。

「ん」

 私はミノリから買ってもらったケータイを取り出し、ようやく慣れてきたばかりの手つきで操作して一枚の写真を取り出してライナに見せる。画面を覗き込んだライナはしばし目をぱちぱちと動かし、若干顔を赤らめながら苦笑を浮かべた。

「……仲がよろしいようで」

「お陰様で」

 例え私が経産婦だったとしても、ユタカは変わらず愛してくれています。

「あと清明には悪い……というか、清明自身も悩みまくって事態を先送りにした結果の今だから、別に悪いって思うのも変なんだけど、やっぱり私が葛葉だっていう自覚、どうしても薄いんだよね」

 そもそも記憶を失い、清明に面倒を見てもらっていた名もない小狐時代の記憶自体が遠い昔のことでかなり曖昧なんだよね。かなり甘やかしてくれたのはなんとなーく覚えてるけど、あの人が実は私の息子でした! って今更思い出せたところでしっくりこないわけで。

「色々思い悩んでたホムラ姉様には申し訳ないって思うけど、うん。結局私は私なわけで。ユタカの守り狐で恋人なのは変わらないかな」

 ただまあ(ほんしつ)に若干の変化が生まれたのは確かなわけで、ユタカの他にもミノリとかイズミとか、その辺が前よりも甘えてくるようになった。母性でも滲み出てるのかな。

「そう」

 黙って話を聞いていたライナがコーヒーの最後の一口を飲み干し、カップを置く。

「いらない心配だったみたいね」

「えっへへ。でもありがと、心配してくれて」


「お姉ちゃーん!!」


 と、食堂の入り口からこちらに向かってぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってくる少女がいた。

 ライナと同じ燃えるような赤髪に尖った耳のエルフ――ライナの妹レイナだ。

「ここにいたんだ! あ、ビャクちゃん久しぶり!」

「お久しぶりー」

「公共の場で大声出さない。で、どうしたの?」

「四丁目のスーパーで卵タイムセールだって! 1パック78円!」

「なんですって!?」

 ケータイの画面にスーパーのネットチラシを表示し、ライナに見せるレイナ。なんか、私よりも使いこなしている気がする。

「慌ただしくてごめんなさい! ちょっと行ってこなきゃ!」

「あ、うん。またねー」

「行くよお姉ちゃん! 一人1パックまでだから二周して4パックゲットだよ!」

 二人暮らしなのにそんなに卵買ってどうするんだろう。ていうかエルフって菜食のイメージあるけど卵は食べるんだ。

「あ、そうだ」

 慌ただしく鞄を抱えて立ち上がったライナが、ふと振り返って声をかけてきた。


「体育祭、同じ組になれるといいわね」



          * * *



「体育祭の季節がやってきた!」

 普段はアズサが前に立つ学級会だけど、今日はユタカが拳を握りしめて教壇についていた。

「今年から月波学園に入ってきた人もいるから改めて説明するけど、うちの体育祭は組み分けがまあまあ特殊なんだ。クラスもアホみたいに多いから、単純にクラス対抗もできないしな。簡単に言うと、初等部から高等部まで混合の各学年四組にくじで分けて、チーム対抗戦だ。色は赤青緑黄色の四色。白はない。何故か」

 昨日アズサに呼び出された理由がこれらしい。

 アズサは生徒会に所属していて、体育祭は生徒会と体育委員会の合同で運営されるからクラスの取りまとめを代わりにやってほしいということらしい。普段はアズサが取り仕切ってる学級会をユタカが先導してるってなんか新鮮!

「僕たちの今年の組み分けは青になった。高等部で他に青組に振り分けられたのは――」

 手元の資料を黒板にまとめていくユタカ。どうしようもないとはいえ、高等部一年生だけで十一クラスあるからクラスの名前だけ書かれてもパッと顔が出てこない。ユタカもそう思ったのか、一年生の分だけ書いたら後の学年は諦めたらしく、その代わりに各クラスの代表者を追記していった。

「赤がCDJM、青がBFL、緑がAGK、黄色がEHIか……一年内で赤組が一クラス多いのはまあ仕方がないとして、体力自慢の農学科(HクラスとIクラス)が黄色に固まってるのが痛いな」

 まあその分上学年でクラス数は補正されているからいいんだけど、と付け加える。

「あの、ちょっといいかな……」

 と、高等部からの入学代表者――マナが小さく手を上げて質問をする。

「各学年を四組に分けるのはわかったけど、出場種目ってどうなるの……? わたしは中学校の時は徒競走と技能走は選択で、団体競技は全員参加だったんだけど……流石にこれだけの人数がいたら無理だよね?」

「もちろん。高等部一年だけで450人だからな。その人数で組体操とか綱引きとかやったら、それはそれで壮観だけども」

「それに、人と妖怪のパワー差もあるよね……?」

「うん、だから各競技その辺のバランスを考えて、個人種目は各クラスから人妖別に5人以内で出場者を推薦するんだ。それをもとに当日欠席者とか特別な事情がない限り、全校生徒に出番があるように調整されるんだけど、まあその辺は体育委員会の仕事だな。あと人の中でも異能持ちが有利になりすぎないように班分けもされる」

「じゃあ、団体競技も……?」

「そう。()()()()()()を除いて団体戦も人妖別編成。で、これがそのうちのクラスの編成内訳ね」

 言うと、ユタカが黒板に種目と出場者推薦人数を書いていく。

「まあこの辺は進学組が慣れてると思うから、後で各自適当に出たい種目に名前書いてってくれ。問題は――」

 カツッと音を立て、ユタカが握るチョークの先が欠けた。

「その一部例外の団体戦――混合団体戦だ」

「混合……人妖入り混じるってこと?」

「人妖どころかクラス、学年も入り混じる」

「も、文字通りの混合競技……具体的には何をやるの?」

「それは当日になってみないと分からん。ルールは毎年生徒会だけが把握していて、体育委員会にも知らされない。各クラスから3人までエントリー可能で、例年2人1組で何らかの競技を行うんだけど、参考までに、去年は月波学園校舎全部使っての『かくれんぼ』だった。ラスト10組に得点が入る形式だったんだよ」

「高等部の校舎……どれだけの教室があるんだろ」

「違う違う、学園全部――大学含めて、校舎と呼ばれるもの全部だ」

「それ、鬼の方が無理じゃない!? どうやって見つけるの……」

「……保健の白沢(しらさわ)先生が情け容赦なく一人で全員見つけてたな……」

 去年を思い出したのか、進学組が揃って苦い顔をしている。全てを知っている神獣が、その叡智をいかんなく発揮してかくれんぼに興じるというのはどうかと思うけども。

「そして今年の生徒会のメンバーを見るに、また全校舎を使った何かをやると予想される」

「あー……」

 皆揃って、今ここにいないアズサの顔を思い出す。他にも一癖も二癖もある面子が揃っている現生徒会役員を思うに、今年も大規模な競技を考えてくるだろう。

「ちなみに当然ながら、生徒会の梓はこの混合団体戦に参加資格はない。運営側でルールも把握しててフェアじゃないからな。あいつ自身も当分の間は体育祭関係の話題には触れないと思う」

「うん、それは仕方がないとして……あの、誰が出るの?」

「それを今から話し合って――って、え?」

 一瞬、教室の中を一陣の風が吹き抜けていった。何だか覚えのある霊力がこもっていた気がするが、まばたきの間に黒板に先程までは文字が並んでいた。


混合団体戦

・穂波裕……他クラスとペア

・穂村白……クラス内ペア

・朝倉真奈……クラス内ペア


「…………」

 眉間にしわを寄せ、額に手を当てるユタカ。突如として出現した黒板の文字は、授業中よく見るクラス代表の癖によく似ていた。

「いいのかよ、仮にも生徒会役員が肩入れして……ルール把握したうえでこの選出って、絶対何かあるだろ」

「あ、あはは……」

 苦笑を浮かべるマナ。

 と、教室内の各所から声が上がった。

「でもいいんじゃないか?」

「うん、瀧宮さん意外だと穂波くんがダントツで運動能力高いし」

「朝倉さんと穂村さんも術方面での競技だったら無双できるだろうしな」

 あらま、私、皆からそういう感じで見られてたの? そして辞退するつもりだったのだろうマナが予想外の評価に戸惑いながらこちらを見てきた。

「わ、わた、わた……!?」

「うんうん、マナ、落ち着いて。はい深呼吸」

「うっ……すぅ、ふう………………わたしでいいの? ビャクちゃんはどうせならユッくんと組みたいんじゃない……?」


「申し訳ないけど、それは応えられない相談だね」


 と、ガラッと教室の扉が開かれた。

 瞬時に教室の中の空気が変わる。確かに、私は何度か顔を合わせているしたまに行燈館に遊びに来るから、彼女とは比較的仲は良いけれど、それ以外の人たちからすれば彼女は学園の先輩であり、月波市を護る八百刀流五家一角の次期当主だ。


「やあやあ後輩諸君。みんな大好き、『隈部くまべ』の宇井ういちゃんだぞ。悪いけど、ユーユーはわたしと混合団体戦に出てもらうよ」



          * * *



「ルール次第では怪我人が出るわ! 朝倉には本当に申し訳ないがビャクちゃんと組ませろ!」

 などというユタカの訴えはウイ本人に却下され、あれよあれよという間に全員の出場種目が決まっていった。私とマナとユタカは混合団体戦に集中するために他の競技は免除された。どんな競技内容か不明な以上、特にできる準備もないため本番までゆっくりできるのは少し嬉しいけれど。

「怪我人って、そんな大げさなー」

 放課後、学園の敷地内をユタカと連れ立って歩く。無意識なのだろうか、何も言わずに私の手を握ってきたのをちょっと顔をほころばせ、そっと握り返す。

「いーや、混合団体戦のルールを把握している負けず嫌いの(あずさ)がバレバレとは言え裏で動いて強引に僕と宇井さんを組ませたんだ。僕らが組むことで何かしらの利点があるに違いないんだ」

「ルールありきの組み合わせっていうのは分かるけど。でも流石に怪我人は言いすぎじゃないかな」

「これが相手が宇井さんじゃないなら僕もここまで不安にはならなかったよ」

「ウイだと問題があるってこと? でもウイってそんなに強いの?」

 ウイ本人……というか、隈部家の方々には大変申し訳ないけれど、他の八百刀流五家から見ると隈部家は影が薄い。

 本家でありながら常に先陣切って突っ込んでいく瀧宮家しかり、瀧宮家と並び立つ武闘派の兼山家、本家の監視役を担う大峰家と、何かと派手な家が多い。もちろん、家の規模としては一番小さいけれど、ユタカの穂波家も葛葉の――私の記憶を数百年と守り抜いてきた腕っぷしは確かだ。

 けど、他の分家三家が本家から分かれたのに対し、隈部家は穂波家からのさらなる分家らしい。葛葉の記憶が劣化を始めた頃に、ホムラ姉様が記憶の継承に専念する穂波家と、陰陽師として街の守護に専念する隈部家に分けたのだそうだ。その生い立ちから見るに隈部家の方が好戦的な気がするけれど、当代を見るにユタカの方が圧倒的に血の気が多い。たまたまかも知れないけれど、話を聞く限り先代もその前も、穂波家の方に本家の血色がよく現れていて、よっぽど武闘派らしかった。

 実際、ウイも自分で「わたしは陰陽師としてはそんな強いわけじゃないんだよね。荒事なんて本家の連中に任せときゃいいのよ」って口にするのを何度か聞いたことがある。実際、春先の黒炎事件の時は単独任務に不安を感じて、無関係のクラスメイトを巻き込んで作戦に参加していた。

「そう、その『他人を巻き込む』ってのが厄介なんだよ」

 私が訥々とウイと隈部家の印象について語ると、ユタカが苦笑しながら深く深く頷いた。

「『他人を巻き込む』ってのは多かれ少なかれ八百刀流の関係者が持つ気質なんだよ。一番顕著なのは羽黒(はくろ)さんな」

「あぁ……」

 確かに、私が知る限り彼ほど人を巻き込むのが得意な人はいない。そこに悪意はなく、作為しかないというのだから手に負えない。実際、私とユタカも夏休みに巻き込まれたことがある。そのおかげであのエルフ姉妹とも出会えたというのもあるけれど。

「で、羽黒さんについで他人を巻き込むのが上手いのが宇井さん他、隈部の人たちね」

 ユタカ曰く、隈部家が月波市の守護の上で担っている役割が「援護」らしい。似たような役割は大峰家も負っているが、あっちはあくまで本家に足りない部分を補助する役目だという。

「簡単に言うと、他四家が矢面に立つための舞台を事前に綺麗に整えて、突っ込みがちな本家の隙を潰すのが仕事なわけ。隈部家の当主と一回だけ仕事で組んだことがあるんだけど、すんげースムーズに終わったの覚えてる。いつもなら1時間かかって苦戦しそうな大妖怪を5分で倒せた」

「そんなに!?」

「あとまあ、僕と宇井さんの組み合わせがまずいって言うのはもう一つ理由が――」


「見つけましたわこの女狐ぇぇぇぇっ!!」


「「!?」」

 唐突に、背後から絹を切り裂くような甲高い悲鳴のような叫びが聞こえてきた。

 振り向けば、白髪に白いワンピースの小さな女の子が尋常ではない速度でこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。アレってもしかして……。

「とうっ!」

 彼女は私たちの少し手前で力強く地面を蹴り、大きく跳躍した。スカートの中が丸見えになるのも臆さず(中は短パンだった)宙を舞った少女が目の前に着地。少女は手の筋が浮き上がるほど強く握りしめた拳を私に向かって突き出そうとしていたが、私は慌てず一歩後ろに下がり、代わりにそれを見計らったユタカがすっと手を伸ばす。

「……あう」

 つい一瞬前まで10歳にもなっていないであろう少女がしていい表情ではなかったのに、間に割って入ったユタカが頭を一撫ですると一瞬で崩れ落ちた。今は甘える子猫のようだ。

白羽(しらは)ちゃん、今帰り? 初等部はもっと早く授業終わるでしょ、遅くない?」

「はふぅ……体育祭の練習があったんですの……」

 のほほんとそんなことを聞きながら頭を撫でる手を移動させ、今度は顎の下をくすぐる。ゴロゴロと喉を鳴らす猫の姿を幻視した。可愛い。

「……って違う!」

 細めていた瞳をかっと見開き後ずさる。急に子猫から虎のような威圧感を放つ猛獣へ移り変わった少女――アズサやハクロの妹にして、現瀧宮当主を襲名したシラハがビシッと私を指さしてきた。

「今日という今日はユー兄様を奪い返して見せわすわよ! この女狐!」

 しゃーっ! と歯を剥き出しにし、ぶわりと髪の毛を逆なでながらこちらに向かって突撃してくるシラハ。私はその間にも体内の霊気を弄り、ぽん! と煙をまとう。そして幼さの残る今までの姿から体のメリハリがはっきりした葛葉(おとな)の姿へと変化した。

「はーい、よしよし」

「はふゎぁっ!?」

 突っ込んできたシラハを抱き留め、優しく頭を撫でてやる。すると最初はじたばたしていたシラハも少しずつ大人しくなり、最後はとろんとした目で「ふ、ふわふわ……」と何やらうわ言を口にし始めた。

 可愛い。

「慣れたもんだね」

「まあねー」

 ここのところ、毎日だもん。

 ユタカに恋人ができたと知って学園復帰早々一週間寝込んだらしい。そしてユタカの人間関係を自力で洗い出した後、執拗に私のことを狙ってきているのだ、この子は。とは言え本気で命を取りに来ているわけではないらしい。もし彼女が本気なら素手で向かってこないだろうし、今頃私も無事では済まないはず。

 要するに憧れの親戚のお兄ちゃんを取られて八つ当たりをしに来ているのだ。

 まあそれくらいなら全然可愛い部類だと思っている。ハクロと厳しい旅を体感何十年も共にしてきたとは言え、中身は外見相応に幼いらしく、こうして抱きしめてあげれば大人しくなる。あとまあ記憶と一緒に妖狐の力の使い方も取り戻したし、ほんの少しだけ魅了もかけているが。

「はっ」

 と、再び目を見開いて私の腕を振りほどき、距離を取る。羞恥とほんの少しの怒りに顔を赤らめながら冷や汗を拭う動作をし、シラハは「きょ、今日のところはこれくらいで勘弁してやるのですわー!?」と小物感の漂う捨て台詞を残して去っていった。登場と同じく、目にもとまらぬ速度だった。

「体育祭ではぎゃふんと言わせてやりますわよ!! 覚悟しておくことですわー!!」

 遠くからそんな声が聞こえ、ついに視覚からも姿を消したシラハを見送り、ユタカはやれやれと首を振った。

「僕も青組だって忘れてるな、アレ」

「あはは……シラハは何組なの?」

「確か赤だったかな」

「負けられないね」

 笑い、私はすっとユタカの腕を取る。すると一瞬だけユタカの腕がぴくっと震え、緊張したように固くなるのを感じた。何だろうと思ってみてみると、自分でも気づかなかったが胸が当たっていた。

「……ユタカってさ」

「ナ、ナンデショー」

 声が上ずっている。こういうところ、初心だよね。私も人のことは言えないけれど……。

 若干首の回りが熱くなってくるのを感じながら、私は平静を装って先ほどよりも近くなったユタカの顔をそっと見上げる。

「小さい私と大きい私、どっちが好き?」

「ド、ドッチトイワレマシテモ」

「ほら、こうして私もある程度自由に姿を変えられるようになったわけだけどさ、できればユタカの好みに合わせたいなーって」

「…………」

 あ、目を逸らした。

「私はユタカがちっちゃい女の子が好みでも全然大丈夫だよ?」

「待って、どういう目で僕を見てるの」

「今更じゃない? シラハみたいなちっちゃい子から好意持たれて悪い気はしてないみたいだし?」

「誤解だよ!? 白羽ちゃんはお互い本当に小さい頃からの知り合いで、妹みたいなもんだから! そういう目で見たことはないよ!?」

「でもそれはそれとして、ちっちゃい私に一目惚れしたんだよね?」

「それはお互い様でしょ!?」

「いやー、そっちとこっちじゃ意味合いが違うと思うけどなー」

「…………」

 あ、また目を逸らした。

 私はなんだか楽しくなってきて口元を手で押さえながら小さく笑った。

「ごめんごめん、何だか可愛くって」

「……ビャクちゃん、記憶が戻ってからちょっと悪い意味で大人になったよね」

「こういうの嫌い?」

「嫌いじゃないです」

「今まで私ばっかり振り回されてたからね。お返しだよ」

 言うと、ユタカは何とも言えない表情を浮かべた。それがまた愛おしくて、また私の中に小さないたずら心がむくむくと湧き上がった。

「じゃあユタカがちっちゃい子もイケて、大人のお姉さんに振り回されるのも嫌いじゃないヘンタイさんだってことが分かったところで」

「いやだから別にそういう性癖があるわけじゃないんだって……」

「え?」

 首を傾げると、ユタカは優しい手つきで私の髪の毛を一房持ち上げ、その先に軽く口づけをした。その仕草に、髪の先に感覚があるわけでもないのにそこから一瞬で体が熱を走り抜けるのを感じた。

「ビャクちゃんだから好きなんだよ。小さかろうが大きかろうが――過去に何があろうが、関係ない。ビャクちゃんがビャクちゃんだから、僕は好きなんだ」

「…………」

 今度は私が顔を伏せる番だった。



          * * *


 

 バスで30分ほど行ったところの、周囲に何もない、なんでこんな場所に停留所があるのかと疑問になるような田舎道で降りた。月波学園を後にしてからもなんとなく顔を突き合わせるのも気まずく、それでも繋いだ手はお互い放そうとはせず、私たちは二人で山道を歩く。

 日もかなり傾いてきており、今から山に入るというのは危険だとは分かっている。それでも、思い立ったら――覚悟を決めたら、すぐに動かないといけない気がして、ユタカに頼んで連れてきてもらった。

 前回来たときは自分の足で歩かなかったため気付かなかったが、その山道はほとんど人が通らないはずなのにある程度の整備が施されており、よっぽどの方向音痴でない限り迷わないよう一本道になっている。さらにところどころに古びた石灯籠がひっそりと立てられており、そこには蝋燭も油もないのに黄金色の炎が小さく揺らいでいた。

 私たちがそこに向かうのを察したらしい姉貴分に心の中で礼を言い、山道に沿って登っていく。

「着いたよ」

「……うん」

 さらにしばらく無言で歩き、ようやく目的地に着いた。

 石灯籠から漏れる金色の光がなければ足元も怪しいほど暗くなった山中で、それでも闇より濃い黒を漂わせる、古びた祠。祠は瘴気と呼ばれる毒気を常に吐き出し続けているが、その瘴気は祠から離れるごとに毒気を失い、ただの純粋な霊力となって大地に染み込んでいく。

 ホムラ姉様という強大な神獣を賄えるだけの毒気を吐き出し続け、さらに街に住む幾万もの妖怪をこの世に繋ぎ止める霊力をもたらす力の――悪意と憎悪の塊。

「…………」

 ユタカが慎重に祠の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

「……久しぶり」

 扉が開けられ、中で滞留していた瘴気が勢いよくあふれ出る。しかしそれも即座に浄化され、大地の力として吸収されていった。

「私のこと、覚えてる?」

 祠の前で膝をつき、静かに語り掛ける。

 しかし返事があるはずもなく、ソレはとめどなく瘴気を吐き出し続けた。

「あなたは……私のことが疎ましかったんだよね」

 コレには名前がない。大妖怪に名前どころか存在までも乗っ取られ、悪意と憎悪の塊となり果てた、ナニカだ。それでも彼女をヒトと扱うホムラ姉様に倣って、私もヒトに対するように語りかける。


「私は元々、別に立派な妖狐になんてなりたいわけじゃなかった。かと言って、母様みたいな優しい御使いになりたかったかというとそれもよく分からなかった。

 でも、父様に憧れて一生懸命だったあなたのことは、好きだったよ。

 私には見えないまっすぐな道筋を歩むあなたが憧れだった。

 だから、私はあなたの修行の旅に着いて行った。

 もしかしたら、私にも一本の道筋が見えるかもしれないと思ったから」


「結局、私はあなたのように目指すべきものを見つけられなかった。妖としての力を磨くことは性に合わなかったし、御使いとしての勉強も少し齧っただけでしっくりこなくてすぐにやめた。

 でも、道筋が全く見えなかったわけじゃないんだよ。

 中途半端な性分でふらふら歩いていたから、人間の男なんかに惑わされた――あなたはそう言って私を罵倒したけど、その時の私は、あの人の一生を隣を歩いて見守りたいって、本気で思ったんだ。

 初めて、自分の生きる道を自分で決めたの」


「でも」


「あなたは認めてくれなかったね」


「妖狐になる道しか見てなかったあなたには、私の姿は滑稽に見えたんだろうね。

 だから私だけでなく、あの人のことも、あの子のことも――疎ましかった」


「私は精いっぱい歩み寄ろうとしたのに」


 どろり、と。

 わたしの口から黒い何かが溢れ出してきた。

 それは私の言の葉に乗って祠の方へ漂っていき、憎悪の奔流に絡め取られ――浄化され、大地に呑まれていく。


「ねえ、何で殺したの」


「あの人とあの子を、何で殺したの」


「私じゃなくって、なんであの人とあの子だったの?」


「私を誑かしたから? そんな男の子供だから? あの二人がいなくなれば、私があなたの元に戻ると思ったの? 妖狐としての玉藻様の邪魔になるから? それとも単なる悪意? だったらおめでとう、あなたは望んだとおりの妖狐になれたね!」


 黒い何かはとめどなく溢れ続ける。

 数百年と受け継がれ、劣化してきた記憶の中で、一切廃れることなく残されてきた黒い感情が私の体を介して決壊する。


「あなたの道を私に押し付けないでよ! 私は、あなたの道に憧れたんじゃない――あなたが真っすぐに道を進む姿に憧れたの!」


「嫌い!」


「あなたなんて、大っ嫌い!」


「あなたが死んで清々した!」


「憧れてた玉藻様に、妲己様にしてやられて本望なんじゃない? ざまーみろ!」


「そこで永遠に、あなたが毛嫌いしていた人と暮らす妖の養分になってろ!」


「ばーか!!」


 最後にそう吐き捨てた時には黒い物はすっかり底をつき、代わりに目から涙が零れ落ちた。



          * * *



「殺生石」

 泣き叫び、疲れ切った私はユタカの腕の中で掠れた声をこぼす。

「玉藻前とされる妖狐が死んで、瘴気を発し続ける石に姿を変えた。石は高名な僧侶によって打ち砕かれたと言うけれど――」

 何の因果か、その石の正体が人間嫌いだった私の姉らしい。

 そして砕かれた石のなかでもとりわけ強い憎悪を宿す塊が、この街の糧となっているというんだから、笑いものだ。

「……ねえ、ユタカ」

「ん?」

 胸に額を押し付けながら小さく呼びかけると、私の頭をそっと撫でながらユタカが応える。

「私、やっぱり葛葉の記憶が戻って、ちょっと悪い意味で大人になったかも」

「ん」

「前までの私なら、もしかしたら姉様のこと、許せたかもしれない。でも今は、到底許せる気がしないの……ためこんでたものを全部吐き出せても、その感情だけは出て行かなかった」

「……いいんじゃないかな、それで」

 と、優し気な耳辺りのいい言葉と声が私の中に入ってくる。

 顔を上げると、ユタカがくしゅんと困ったような顔をしながら笑っていた。

「聞く限り、ビャクちゃん――葛葉さんのお姉さんは、やっちゃいけないことをした。その行いが妖怪としてどれだけ正しくても、ビャクちゃんが今住むこの月波市の考え方からすると、やっちゃいけないことだ。だからその『許せない』って感情は、間違いじゃない」

 それが深くに詰まりすぎるのもまた問題だけど、と誰かを思い出したように視線を遠くに向けながら小さく苦笑する。

「……いいの? 私、性格悪くなったよ?」

「それくらい普通だよ。嫌いになんてならない。前より人間味が増して、僕は好きだな」

 私の目元をユタカがそっと撫でる。無意識に、はみ出ていた尻尾がふわりと揺れる。

「いいじゃないか、嫌なものを嫌と言えるようになったんだ。むしろ今まで色々溜め込んで辛そうにしているのを見てる方が辛かったよ」

「……そう見えてた?」

「少なくとも僕と姉さんは。梓と朝倉も何か勘付いてたんじゃないかな。心配してたよ」

「そっか……」

 そうか。

 これでいいのか。

 こんな私でも、受け入れてくれるんだ。

「さて、帰ろうか。バスがなくなっちゃう」

「うん……」

 居住まいを正し、私たちは元来た道を目指して歩き出す。

 自然とユタカの手を握ろうとしたところで、ふと思い立って私は少し振り返った。

 そこでは、相変わらず瘴気を発し続ける祠がひっそりと佇んでいる。


「……べー」


 舌を出し、それから振り返ることなく、私はユタカの手を取った。

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