表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/104

だい ごじゅうろく わ ~寒戸~




 実の兄と姉による真剣勝負の兄妹喧嘩を、白羽(しらは)はじっと見ていた。

 瞬きすることなく、その動きの一切を見逃すとなく、観察し尽くした。


 ――二十秒もの()()()を制したのは、姉の方だった。


 決まり手は不意打ちとごり押しによる力業。

 それと無意識だろうが、兄の秘中の秘の唯一の弱点を突いたことだろうか。

 そのセンスには我が姉ながら感服するが――それ以外は驚くほどお粗末だ。

 荒いが粗いし荒々しいだけ。

 十日も猶予を与えたというのに、何も変わっていない。


「あは♪」


 そんなんじゃ、本当に白羽が次期当主の座を奪い返しちまうぞ――ですわ♪



       *  *  *



 医療班の判断によるたっぷりと二時間の休息の後、板が張り替えられた神楽場に戻って来た(あずさ)お姉様は、全身を紋様が施された呪符代わりの包帯でグルグル巻きにされていた。

「どうしましたの、その格好?」

「……うるせー」

 不機嫌まるだしに目を三角にして唸る梓お姉様。

「魔力回路が乱れてるとかで無理やり巻かれた。……こんなのいらないのに」

「あらあら、それは大変ですわ。梓お姉様に万一のことがあったら皆様悲しみます。御身を大切になさってくださいな」

「はん!」

 鼻で笑い、言霊を紡いで手元に妖刀を呼び出す梓お姉様。

「――抜刀、【澪標(ミオツクシ)】」

 先程の鉈のような不格好な直刀とは違い、こちらは一切の文句が付けられない美しい形状の太刀。その刃からはミオ様の物と思われる水気が漂っている。

「……あー、もう。邪魔だなあこれ……」

 言いながら手の平に巻かれた呪符の包帯を煩わしそうに弄る梓お姉様。

「なんでしたら梓お姉様。日を改めて頂いても白羽は構いませんよ?」

「あぁ?」

「見たところ梓お姉様は羽黒(はくろ)お兄様との戦いで本調子ではない様子。その状態で白羽が勝っても嬉しくありませんもの」

 刃の峰で右肩をぽんぽん叩きながら吐き捨てる梓お姉様。

「やっすい挑発ね。自分が勝つのを前提に話してる」

「いえいえ、これは白羽の心からの心遣いですわ。それに――」


 どん!


 足に力を込めて床を蹴り、梓お姉様との距離を詰める。

 勢いをそのままに、自身の魂が封じられたままの白い妖刀の柄頭を突き出し、梓お姉様の鳩尾へと叩き込む。

「少しでも決戦は長引かせた方が、梓お姉様も長くあの古臭い座布団に居座れるのですから、断る理由はありませんわよね?」

 衝撃で鳩尾を中心に胴着と包帯がはじけ飛ぶ。

 梓お姉様の視線は、未だ先程まで白羽が立っていた場所に向けられていた。

「お休みなさいませ、梓お姉さ――」


「姉を舐めんのも大概にしとけクソガキ」


「……っ!?」

 頭上に迫って来た刃を、すんでの所で後方に飛び退いて回避する。

 ミオ様の力が込められた妖刀はほのかに雫を散らしながら床板数枚を両断した。

「み、鳩尾に確かに入ったはずですわ!」

「阿呆」

 太刀を床から引き抜き、ゴキゴキと全身を鳴らしながら姿勢を正す梓お姉様。弾け飛んだ胴着の下に目をやると――とても現役女子高生とは思えない、鍛え抜かれた腹筋があられもなくさらけ出されていた。

「精度はまだ発展途上だけど、今まで培ってきた身体強化術――プラス、日々の積み重ねで手に入れた筋肉! 元々身体強化術しか身に着けてなかった上に昨日今日で新しい器を手に入れたあんたが、肉弾戦で勝てると思ったら大間違いよ!」

 勝ち誇ったようにこちらを指さして笑う梓お姉様。それに対し、白羽はすっと熱が冷めていくのを感じた。

「……そうですか」

 身体強化術「しか」鍛えていない。

 本当にそう思っているのであれば興醒めだ。

 お話にならない。

 だったらさっさと潰してしまおう。

 本当は()()()()()()()()()()()()()()、今の梓お姉様が座っているよりは白羽が座っていた方が大分マシだ。

「では梓お姉様――その身体強化術の神髄、とくとご覧あれ」


 一歩。


 一閃。


 一歩。


 ギィィィン! と、金属同士がこすれ合う耳障りな音が魂蔵に響いた。

「……っ!」

「あら、流石梓お姉様。それにミオ様の妖刀も素晴らしい硬度……普通の妖刀でしたら今の一撃で消し飛んでいたはずですわ」

「今の……!」

「申し訳ありません、梓お姉様。先の言葉、訂正させて頂きますわ」

 先程まで立っていた場所に戻って来た白羽は、ちょいとワンピースの裾を掴んで一礼する。

「真に極めた身体強化術とは、何者にも目視不可能……ご覧あれとは、無理な要望でございました」



       *  *  *



 百裂剣。

 妖怪殺しの「瀧宮」流剣術を組み合わせ、百の斬撃を一切の隙なく流れるように叩き込む奥義――(笑)である。

 そう、括弧笑い。

 我ながら失笑ものの技である。

 そもそもこんなものを考え出したのは、六年前時点で「兼山」当主であった兼山(かねやま)博文(ひろふみ)オジサマだ。

 当時、今と変わらず口ばかり達者な老害共の策略によって、白羽は羽黒お兄様と戦うことになっていた。全く、羽黒お兄様はとうに当主の座など興味を無くしていたというのにいらんことをする。いくら若い衆の人望があるからと言っても放置しておけばいいものを。

 しかしいざ戦うとなれば手を抜くことは許されない。

 何せ相手はあの羽黒お兄様――手抜きは失礼というものだ。

 とは言え白羽は幼い肉体への負荷のため、我流による身体強化術に限界を感じていた。そこでお父様の許可を得て門を叩いたのが、兼山道場だった。

 元来、「瀧宮」と「兼山」の仲は良好だ。刃による妖怪の封殺を得手としていた「瀧宮」に対し、その身一つで屠ることに特化した「兼山」という性質を見る限り相対するように見えるが、不思議といざこざがあったという話は聞かない。どっちも根が脳筋だから気が合うのだろうか。

 ともかく。

 当時、既に博文オジサマは御年五十を迎え、いい加減党首の座を娘に譲ろうと考えていた頃だったにもかかわらず、白羽の特訓を快く受け入れてくれた。

 我流とは言え基礎は出来ていた白羽にとって、兼山流の身体強化術取得は悪癖の矯正と効率化がメインに行われた。その中で考案されたのが百裂剣である。

「瀧宮流剣術のうち百の斬撃を組み合わせた型を、如何に速く無駄なく完遂させることができるかというのを当分の目標にしよう。白羽ほどの剣筋であれば、これだけで十分脅威となりうる技となろう」

 つまり、百裂剣とは元々身体強化を極めるために用意した演武なのだ。

 それを白羽の能力と無駄を減らした身体強化術を組み合わせた結果、羽黒お兄様でさえ捌ききれない驚異の奥義となってしまった。

「百裂剣五十分の一」

 全身に力を浸透させての超加速。

 一瞬にして接近し、二連撃を叩き込む。


 ガガン!


 その速度故に重なり合い、一つにも聞こえる金属音が響いた。

「ぐっ……!」

「あらら、これも防ぎますか。六年間勘とセンスで生き抜いてきただけはありますわね」

「んなろ!」

 ブンと力任せに振るわれる太刀。その切っ先は既にそこにはいない白羽の残像を素通りし、虚しく宙を斬った。

「百裂剣五十分の一」


 ガガン!


 再びの二連撃。

 再び鳴り響く金属音に白羽は素直に感心した。

「二連撃程度でしたらまだまだ余裕そうですわね。正直意外ですわ」

「だから、姉ちゃんなめんじゃねえよ、このじゃじゃ馬が……! とっとと本気出したらどうなの!」

「御冗談を。少しずつ増やしますのでどれだけ耐えられるか見せてください、梓お姉様!」


 百裂剣五十分の一、瀧宮流対妖樹剣技〈森を見ず〉

 続く百裂剣二十五分の一、瀧宮流対妖蟲剣技〈五分の魂〉

 併せて六つの斬撃。


「しゃらくさい!」

 ほぼ同時に繰り出された六つの斬撃を凌ぎ切った梓お姉様は、眼光衰えないままこちらを睨みつけてくる。医療班に体内の魔力回路を心配されていた割には身体強化術にムラはなさそうだ。刃を合わせた感覚では太刀の振るう腕に特に支障も感じられない。

 全く、「瀧宮」の医療班も見る目がない。

 いやむしろ白羽派の爺連中にドクターストップを出すよう強請られたのだろうか。

 ……妄想で済めばいいが、後で調べる必要はありそうだ。

「まだまだ行きますわよ」


 百裂剣五十分の一、瀧宮流対妖樹剣技〈森を見ず〉

 続く百裂剣二十五分の一、瀧宮流対妖蟲剣技〈五分の魂〉

 加えて百裂剣二十五分の二、瀧宮流対妖鳥剣技〈落とす勢い〉

 併せて十四の斬撃。


 響く十四の金属音。

「くっ……そ!」

「……ここまで防ぎなさるとは。どうやら偶然ではないようですわね」

 身体能力が底上げされ鋭敏になっている腕に残る感触から、確かに梓お姉様が十四もの斬撃を凌いだと言うことは間違いないらしい。ここまで来ると流石に勘だけで防ぎ切っているとは考えにくい。

「……………………」

 ちらりと神楽場の外に視線をやると、美郷(みさと)姉様が緊張の面持ちで梓お姉様を見ていた。たった十日で白羽の斬撃に対応できるだけの身体強化術を叩き込んだ指導者としての手腕は感服せざるを得ない。

 ……そしてその隣で我関せずと煙草に火をつける昌太郎(しょうたろう)兄様の存在も無視できない。羽黒お兄様の悪癖対策を練ったのは彼だろうし、目視不可能なはずの白羽の百裂剣も山彦や他の妖の能力を悪用して解析されていると考えた方がいい。

 まあ、解析したところで対策が練れるとは思えないけれど。

 事実――

「梓お姉様、今のは危なかったのではないですの?」

「……………………」

「前髪一房で済んでよかったですわね」

 十四の斬撃最後の一撃を完璧に防ぎきれず、梓お姉様の右目を隠すほど長い前髪が少しだけ短くなっていた。

「楽しくなってきましたわ♪ どうか、どうか次を凌ぎ切って白羽をもっと楽しませてくださいな。百裂剣五分の一――あ、ちなみにですが、六年前の羽黒お兄様も五分の一は防ぎきれずに、白羽に敗れてしまいましたの」

「……っ!」

「あは♪」


 百裂剣五十分の一、瀧宮流対妖樹剣技〈森を見ず〉

 続く百裂剣二十五分の一、瀧宮流対妖蟲剣技〈五分の魂〉

 加えて百裂剣二十五分の二、瀧宮流対妖鳥剣技〈落とす勢い〉

 更に百裂剣五十分の三、瀧宮流対妖魚剣技〈釜中に遊ぶ〉

 併せて二十の斬撃――百裂剣五分の一。


「これで終わりですわ!」


 ギィンッ!!


「……は?」

 響いたのは、一つの金属音。

 対する梓お姉様は太刀の柄をしっかりと握り締め、両の足でしっかりと床を踏みしめて不動の姿勢で立ち続けている。

「……???」

 どういうことだ?

 確かに白羽は二十の斬撃をほぼ同時に繰り出した。

 六年前の羽黒お兄様でさえ捌き切れなかった斬撃に、梓お姉様が対応しきった?

 否、それにしてもおかしい。

 迎撃による金属音は一つだけ。にも拘らず、白羽の腕に残る感触は二十全て。

 つまり梓お姉様は、()()()()()()()()()()()()()()

「……………………」

 ちょい、ちょい、と。

 梓お姉様が太刀の柄に手をかけたまま、人差し指を動かす。

 ……挑発のつもりか知らないけれど、どのみち確かめなければならない。

「いいですわ――もう一度、まぐれでないことをお見せください梓お姉様!」


 百裂剣五分の一。


 今度はしっかりと見極める。

 初撃の五十分の一〈森を見ず〉の斬撃が梓お姉様に届く瞬間、その一の太刀筋が梓お姉様の太刀に弾かれる。

 だけどそれだけ。

 梓お姉様は太刀を振り切り、一見動きを止めた。

 にもかかわらず。

 続く二の太刀筋から最後の二十番目の太刀筋まで全て、弾き返された。

「は……?」

 理解が追い付かない。

 白羽の強化された動体視力をもってしても、梓お姉様が初撃以降動いているようには見えなかった。だというのにそれ以降の斬撃全てが弾かれた。

 ありえない。

 まさか本当に一撃で二十の斬撃を弾き返したわけではあるまい。

 そんなこと、流石に不可能だ。

 ならばどうやって――


 ――真に極めた身体強化術とは、何者にも目視不可能。

 ――ご覧あれとは、無理な要望でございました。


 脳裏をよぎる、先程放った自身の言葉。

「……まさか」

 まさか、白羽にも捕捉できない速度で太刀を振るい、全ての斬撃を受けきった?

 そんな馬鹿な話があるか。

 白羽でさえ、小細工なしでこれ以上の速度は身の危険につながるというのに!

 ちょっと「兼山」に教わっただけの梓お姉様にできるわけがないのに!

「ありえない」

 ありえないありえない。

「ありえないありえないありえない!」


 百裂剣五分の一――


「はん」

 梓お姉様が鼻で笑う。

 その身へと白刃が届く瞬間。

 梓お姉様は()()()()()


 ギィン!!


 再び木霊する一つの金属音と、腕に返ってくる二十の衝撃。

「ああああああ! なんで! なんでなんで!!」

「阿呆」

 梓お姉様が侮蔑するように笑った。

 その笑みは、憎たらしいほどに羽黒お兄様とそっくりだった。

「代り映えしない演武なんざ二度も見たら目ぇ瞑ってても捌き切れるっつーの。特に前半なんて何度受けきったと思ってんの」

「……っ!!」

「ほらほら次はどんな演武を見せてくれるの白羽ちゃぁん? お姉ちゃんが全部受けきってあげるからさぁ」

「だったら! だったらだったらぁ!」


〈森を見ず〉〈五分の魂〉〈落とす勢い〉〈釜中に遊ぶ〉

 続く百裂剣十分の一、瀧宮流対妖獣剣技〈皮を留む〉

 加えて百裂剣二十分の一、瀧宮流対概念妖剣技〈雲を掴む〉

 更に百裂剣二十分の三、瀧宮流対鱗妖剣技〈生殺し〉

 併せて五十の斬撃――百裂剣二分の一!


「ああああああああああっ!!」


 ギィィィン!!


 金属音一つ。

 極度の身体強化による負荷がかかり始めた腕に跳ね返って来た五十の衝撃。

 防がれた。

 また防がれた。

「どうして……どうしてこれも」

「だから、さっさと本気出さないからよ」

 梓お姉様が笑う。

 笑う。

「あんたが百裂剣を小出しにすればするほど、あたしは着実に対応していく。次は目ぇ瞑ってたって今の五十連捌き切るよ」

 心の底から呆れたように、笑う。

「心のどこかでこう思ってたんでしょ? 『梓お姉様なら余裕』『所詮は梓お姉様』『羽黒お兄様に一太刀入れるのでやっと』――なめんじゃねえよ。こちとらあんたらがいない六年間ずっと戦い続けてきてんだ。兄貴の魂蔵で眠ってただけのあんたとは経験が違う」

 その一言に。

 ぷつっと、何かが音を立てた。

「……でっ」

「あぁ?」

「す……で……!」

「……はっきり言えや」

「好きで……こんな太刀なんかに封じられてたわけじゃない!」

 喉が潰れる勢いで吐き捨てる。

「何も知らないくせに! 羽黒お兄様がどんな気持ちで、白羽を封じる羽目になってしまったのか! 何も知らないくせに! どんな気持ちでこの六年! 体感三十年! 羽黒お兄様がさ迷い歩いたか! 梓お姉様は何も知らないくせに!!」

「……だったら何よ」

 梓お姉様が目を細める。

 白羽自身が封じられている純白の太刀を握り直し、その切っ先を梓お姉様に向ける。

「……気が変わりましたわ、梓お姉様」

「何」

「本当は白羽、別に当主になんてなりたくもなんともないんですの」

「だろうな」

「久方ぶりの再会ですもの。梓お姉様も鬱憤溜まりまくりでしょうから、姉妹喧嘩の口実に軽く座布団奪い合って困らせて、適当に小突き合うつもりでしたの」

「んなこったろうと思ったわ……」

「ですが」

 力を練り、全身から周囲へ浸透させる。

 ゆっくりと。

 じわじわと。

 日が傾き大きくなっていく影の如く、領域を増やしていく。

「家族に心無い言葉を吐き捨てるあなたのような人に、『瀧宮』は相応しくない!」


 だん!


 右足で床板を踏み締める。

 それを始動キーに、白羽の領域が完成した。


「ようこそ、白羽の世界へ」


 視界の隅。

 立会人を務めるお父様も。

 見届け人の八百刀流五家関係者も。

 周囲のいてもいなくても変わらない観衆も。

 白羽と対する梓お姉様でさえも。


 時が止まったかのように、動かなくなった。



       *  *  *



「寒戸」

 それは白羽が太刀に封じられる二年前――七歳の話。

「ある村娘が山で行方不明となり、三十年後に老婆の姿で返って来たという、いわゆる神隠しの一種ですわ。ですがこの話、妙ではありません?」

 いくら三十年の月日が流れたとはいえ、うら若い乙女が老婆になって帰ってくるというのは矛盾している。

 寒戸とはつまり、竜宮城などと同様に時間の歪みを生じさせる系統の神隠しである。

「その時『研磨の儀』を既に終えていた白羽は、何を封じて『太刀打ちの儀』を完遂させるか悩んでおりましたの。月波市と言えど、そうしょっちゅう妖魔の類が湧くわけではありませんしね。そんな折、どうやら寒戸が発生したらしいと聞いて白羽は現場に向かったのです」

 寒戸は実体を持つ妖魔ではなく、どちらかと言えば概念に近い怪異現象。

 放置するといつ住人が呑み込まれるか分からない危険性を孕んでいたため、「太刀打ちの儀」に利用するのに抵抗感は皆無。遠慮はなかった。

 その上実態のない怪異現象を「斬る」のは白羽の十八番だった。

「それで作り上げたのが白羽の最初の太刀――【浅蔭(アサカゲ)】ですの」

 名の由来は水が枯れ、草木で覆われた古い沢が寒戸への境界となっていたからだが、それはともかく。

「寒戸を封じた後、白羽はふと思いましたの。『寒戸の時を歪ませる力を利用できないものか』と」

「瀧宮」は妖怪の滅殺の他、この魂蔵と呼ばれる異空間を見ればわかる通り、空間制御といった結界の術に長けている。

 そして「時」と「空間」は相性がいい。

 寒戸なんて希少な怪異現象、早々お目にかかれるものではない。手元に太刀の形で残された寒戸を解析し、「瀧宮」の空間制御術に織り込めないかと思案を始めたのだった。

「結果はこの通り……完成まで二年もかかってしまいましたが、羽黒お兄様との対戦の時には実用可能な精度まで引き上げたのですわ」

 ま、梓お姉様には聞こえていないでしょうが。

「白羽の存在時空を極端に早めることで『兼山』の刺青による身体強化術をも越える速度が可能となりました。……肉体への負荷の問題で、身体強化と併用が厳しいのは残念ですが、そんなの何ら問題ありませんわよね」

 カリカリと切っ先を引きずりながら梓お姉様に近寄り、羽黒お兄様とそっくりの整った顔に刃の腹を押し付ける。

 微動だにしない相手を斬り捨てるなど、俎上の鯉を捌くよりも容易い。

「とは言え、白羽も悪魔ではございませんし――全身の靭帯損傷で前線引退程度にして差し上げますわ」


「それは勘弁願いたいね」


「……っ!?」

 白羽の首目がけて振るわれた刃をすんでの所で後ろに跳び抜いて躱した。

 目の前で起きたことに理解が追い付かず、白羽は目を剥く。

 ()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

「どうにもおかしいと思ったのよ。今の馬鹿みたいな強度の兄貴の身体能力をトレースしたショウさんでさえ、あんたの百裂剣を完コピできなかったからなんか小細工してると思って調べてみたけど、やっぱそう言うことだったか」

 言って、梓お姉様は手にもう一振りの妖刀を顕現させた。

「――【浅蔭】……! お父様から奪った太刀の中にないと思ったら、梓お姉様がお持ちでしたの……!」

「寒戸だっけ? この力を空間制御に組み込むなんてよく思いついたわね。確かにこの力があれば、身体強化術と大差ない負荷でそれ以上の速度を生み出せる。なにせ自分以外の誰もが時間停止しているのと同じようなものだもの。そりゃ、百の斬撃を一撃に見せる速度で繰り出せるわけよ」

「まさか……梓お姉様も寒戸の力を……!」

「さ、どうだろうね?」

 ニヤリと軽薄に笑う梓お姉様。

 梓お姉様が寒戸の力を利用しているのだとすれば全てに説明がつく。

 白羽の二十の斬撃を一見一振りで全て打ち払ったように見えたのは、身体強化ではなく寒戸によって目視不可能な速度まで加速したため。

 白羽と同じ世界を見ることができるのであれば、白羽が小突いた程度で押し切れないのは当然。


 しかし。


 しかしそれが何だというのだ。

「この十日間、昌太郎兄様と協力して【浅蔭】を解析して寒戸の力を手に入れたとして、それがどうしまして? この力の制御は白羽の方に一日の長がございます! 多少無理すれば応用も利く!」

 寒戸の力と兼山流身体強化術の併用は肉体への負荷が半端ではない。

 しかしこの新しい体は、認めたくはないが錬金術史上最高傑作と言っても過言ではない精度のホムンクルス。特に媒体として使われている、炎を操る希少なエルフの霊髪によって魔力の乗りもいい。

 一撃くらいなら耐えられるはず!

「白羽の速度に追いついたからって慢心なさる梓お姉様に! 身の程というものを教えて差し上げますわ! これが白羽の力!」

 小出しなど、もうしない。

 全身全霊を以て、叩き潰す!


「百裂剣!!」


 百裂剣五十分の一、瀧宮流対妖樹剣技〈森を見ず〉


 流石に万全の状態ほどの身体強化を寒戸に上乗せることは出来ず、体感的には素の状態よりも少し速い程度か。最初の二連撃は弾かれた。

 けれども刃は止まらず、梓お姉様を襲い続ける。


 続く百裂剣二十五分の一、瀧宮流対妖蟲剣技〈五分の魂〉

 加えて百裂剣二十五分の二、瀧宮流対妖鳥剣技〈落とす勢い〉


「あは♪ あはははは♪」


 梓お姉様ご自慢の素の身体能力も限界の様子。

 白羽の白刃をギリギリのところで捌き切ってはいるが、遅れが目立ち始めた。


 更に百裂剣五十分の三、瀧宮流対妖魚剣技〈釜中に遊ぶ〉

 続くことの百裂剣十分の一、瀧宮流対妖獣剣技〈皮を留む〉

 加えることの百裂剣二十分の一、瀧宮流対概念妖剣技〈雲を掴む〉


「ぅ……!」

 梓お姉様の姿勢が崩れる。

 押し切った。

 けれど百裂剣は止めない。

 止めるつもりなどない。

「もらったぁ!」


 百裂剣二十分の三、瀧宮流対鱗妖剣技〈生殺――


「ばーか」

「……っ!?」


 ギィン!!


 と。

 再び一つの金属音が寒戸の世界に鳴り響いた。

 梓お姉様は〈雲を掴む〉を凌ぎ切ったことで崩れた姿勢のまま微動だにしていない。

 それなのに、〈生殺し〉が全て弾かれた。

「あ、ああ……?」

 頭が動かない。

 それに反し体は動き続ける。

 止まらない――止められない。


 百裂剣百分の七、対木妖剣術〈樵〉


 弾かれる。

 一歩も動かず。

 微動だにすらしない梓お姉様に。

 全ての斬撃が弾かれる。


 百裂剣百分の七、対火妖剣術〈消〉


「あ……」

 一体何に弾かれている?

 よく見えない。

 白羽の目をもってしても。

 寒戸の力をもってしても。

 身体能力を底上げしても。

 よく見えない。


 百裂剣百分の七、対土妖剣術〈耕〉


 よく見えないけれど、何かに弾かれているのは確か。

 それにこれは、梓お姉様の繰るミオ様の力が封じられた妖刀のような、堅固な物に弾かれている感覚ではない。

 もっとずっと脆い。

 白羽の斬撃と相打ちしてようやく弾いているような。

 白羽もよく知っているような。

 そんな物に――


 百裂剣百分の七、対金妖剣術〈鋳〉


「あ……?」

 何かが光った。

 何かが空中で煌めいている。

 輝きは一瞬で、すぐに白羽の太刀で掻き消された。

 しかしそれを、白羽が――「瀧宮」に名を連ねる者であれば、見間違うはずなどなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ようやく見えたか無精者」

「なん……で! 『試し斬り』でそんな物を……!」

「新しく設えた妖刀以外使()()()()()()()()なんて話、あたしは一言も聞いてない」

「だからって……!」

「それにこれは『瀧宮』の次期を争う一戦。『瀧宮』の戦術を最大限活用するのが礼儀ってもんじゃないの」

「屁理屈を!」

「悔しかったらあんたも太刀喚んでみなさいよ――できるもんならね」


 百裂剣百分の七、対水妖剣術〈吸〉


 そんなこと、できるわけがない。

 寒戸の領域を広げながら身体強化術を併用するのでさえ無理がある。

 現に今も四肢にギチリと裂けるような痛みが生じ始めている。

 これに更に太刀を複数具現化させて、梓お姉様の太刀を叩き落すなど不可能。

 そもそも「瀧宮」の太刀は自身の魂蔵に押し込んだからと言ってすぐに扱えるわけではない。

「あたしは、あたしの中にある五百三十七本全ての太刀の銘と特徴を完全に把握している。兄貴みたいな戦術も、白羽ちゃんみたいな剣術もなかったあたしが、この六年間鍛え続けたのがこの妖刀の制御術! 今なら触れずに切先で折り紙だってできんぞ!」

「ああああああああああああっ!!」


 百裂剣百分の七、対神獣剣技〈堕落〉


 先程の二十の斬撃と五十の斬撃全て弾き返したのは梓お姉様の太刀筋ではなく、白羽は銘も知らぬこの無数の妖刀たち。

 恐らく、目視不可能な速度で具現化され、実体を持った瞬間に白羽の太刀を弾き、掻き消えるように調整されている。

 そのような超微細な制御、いくら白羽がこれまで一切してこなかった術であり門外漢だとしても、素の身体能力で行うこと等不可能ということくらいわかる。

 結論は、梓お姉様もまたこの寒戸の力を使いながら身体強化を用いているということになるが――白羽の魔力回路が補強されているこの肉体でさえ、既に負荷が無視できない程になっている。

だというのに、梓お姉様がけろりと未だ軽薄に笑っていられるのがおかしい。

 つまり梓お姉様のこの力は寒戸ではなく――


 百裂剣百分の七、対妖魔剣技〈討滅〉


 見えた。

 梓お姉様の長い前髪で隠れている右の瞳。

 そちらが、まるで焔を閉じ込めたように赤く燃えているのを――

「ホムラ様の結界かああああああああああ!!」

「時を歪ませるほど強大な力を持つ結界を、逆に毟り取って作った妖刀【陽炎(カゲロウ)】! 他の妖刀を使って、これを使わないわけねえだろう!」

「恥ずかしくねえのか!? こんな戦い方して白羽に勝ったとして、恥ずかしくは!!」

「全然ねえよ! あたしに期間を与えたのはあんただし、『戦はどれだけ丹念に準備を重ねたかで決まる』っていうのはあたしらが大好きなクソ兄貴の戦術だろ! それに『瀧宮史上最強の陰陽師』『最高の白』を相手取るんだ! これくらい準備して臨まないとむしろ失礼ってもんだ!!」


「ふざけんなああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 吼えたところで止まらない。

 止められない。

 一度始めた演武を中断することはできない。

 何故ならこれは、白羽が羽黒お兄様と戦うために丹念に丹念に準備を重ね、体に叩き込んだ剣技だから――止められない。


 百裂剣百分の一、瀧宮流対人剣術〈一想い〉

 併せて百の斬撃――百裂剣。


 梓お姉様の心臓目がけて突き出された最後の斬撃。

 それは身体強化術で可能となる人智を超えた速度によりいとも容易く躱され、虚しく宙を斬った。

 受け止められもせず、弾かれもしなかった最後の一突きを虚しく見つめていると、手首に凄まじい衝撃が走った。

 白羽との対戦で初めて見せた、梓お姉様の攻めの一手。

 峰打ちとは言え、手が吹き飛ぶのではないかというほどの強烈な一撃を受け、白羽の意思とは関係なく純白の太刀が手元からこぼれる。


 この太刀は白羽の魂そのもの。


 肉体から魂が離れ、白羽の意識は掻き消された。



       *  *  *


























「ねえアズアズ、本当に良いの?」

「うん、ばっさりお願い」

「あーあー……もったいないなー……」


























       *  *  *



「あっずさお姉様~♪」

「ふんっ!」

「おぼぉっ!?」

 鼻先に感じる梓お姉様の愛の裏拳にもんどりうって床に転がされ、遅れて来た痛みに転げまわる。今日もまた強烈な一撃!

「こっちは着付け中よ、邪魔すんな」

「えー」

「えー、じゃねえ。ていうかあんたも、せっかくの晴れ着が乱れるでしょうが、大人しくしてなさい」

「白羽は多少乱れたところで気にしませんわ!」

「気にしろ」

 瀧宮家に仕える女中に帯を巻いてもらいながら梓お姉様がこちらを見下した視線を送ってくる。その赤く光る目に興奮を禁じえず、再び白刃を手に斬りかかるも今度は額に痛烈なデコピンを喰らって弾き返された。

「はあ……兄貴から見たちょっと前までのあたしってこんなだったのか。超面倒くせえ」

「あは♪」

 熟練された手腕で梓お姉様が着飾られていくのを床に転がりながら眺める。


「今日はあんたの当主襲名の日なんだから、大人しくしたらどうなの白羽ちゃん」


「白羽はまだ納得していませんもの♪ ちゃんと戦って梓お姉様に負けるまで、たとえ襲名したって白羽は当主を名乗るつもりはありませんわ」


「試し斬りの儀」よりさらに十日ほど。

 甚だ不本意ながら。

 白羽は今日、「瀧宮」二十四代目当主を襲名する。



       *  *  *



 羽黒お兄様か、工藤(くどう)海斗(かいと)か、藤村(ふじむら)修二(しゅうじ)か。

 白羽の新しい肉体を作るにあたり、この三人のうち誰がやったかは知らないけれど、組み込まれた魔術がある。

 太刀と肉体が少しでも触れていれば、肉体は白羽の制御下に置かれ、自分の意思で動かすことができる。しかし太刀を一瞬でも手放せば、肉体はただの人形(ホムンクルス)へと成り果てる。

 そこで編み込まれたのが、白羽の魂が封じられている妖刀【白羽(シラハ)】が一定時間以上肉体から離れた状態に陥った時、自動的に肉体内の魂蔵に送還されるという術式だ。

 その時間とは、一秒。

 一秒――それほど長い時間無防備な状態にあれば、白羽であれば百裂剣を通しで振るうことができる。

 それは梓お姉様も同じ。

 白羽の手から太刀がこぼれ落ち、意識が途切れ、再び覚醒するまでの一秒間。

 梓お姉様であれば白羽を百回は殺すことができた――はずだった。


「《そこまで》!!」


「っ……!?」

 お父様の言霊が魂蔵に響き渡り、意識の戻った肉体が硬直した時。

 白羽は太刀の切先を、梓お姉様の喉元に突き付けていた。

「……はぇ……?」

「この勝負、白羽の勝利とする」

「……???」

 お父様の宣言に一部から歓声が上がる中、白羽は理解できずに切っ先のその先で軽薄な笑みを浮かべ続けている梓お姉様を見つめた。

「なぜ……」

「うん?」

「なぜ……白羽の勝ちなのですか……?」

「刀突き付けながらなーに言ってんのかしらねこの子は」

 ちょいちょいと白刃の腹を突く梓お姉様。その時になってようやく太刀を突き出したままであったことに気付き、慌てて手を下ろした。

「ガス欠」

「梓お姉様……?」

「敗因はガス欠。もう魔力すっからかん。あと身体強化術の酷使による魔力回路のショート。もう刀なんてクッソ重たい物、持てもしませんわ」

 そう言って首を振る梓お姉様の手には、確かに何も握られていない。

 けれど、その体内に残っている渦巻く力を見る限り、あと一振りくらいなら何ら問題なく妖刀を繰れたはず。

「手心ですの? 一体どういうつもりで……!」

「んなわけねーだろ。あんたみたいなクソムカつく妹、ぶっ飛ばすのに抵抗あるわけないでしょ」

「だったら!」

「でもさ」

 ポツリと、梓お姉様が呟いた。

「刀落として、一瞬だけ死体みたいに脱力したあんたを見て……何か、冷めた」

「冷めたって……」

「何してんだろーなーって。……あの夜、あんたを運んできた兄貴もこんな気持ちだったんだろうなって思うと、ほんと、何かもうどうでもよくなった」

「……………………」

「それに意識が半覚醒状態なのに太刀突き付けてきたあんたの戦闘センス――それこそ『瀧宮』に相応しい。対戦相手が気ぃ失った程度で戦意喪失するようなあたしには当主なんて向いてない向いてない。後腐れなくあんたに譲るわ」

「……っ!」

 なんだそれは。

 ふざけてる……!

「そんなわけないでしょう! 『瀧宮』は血筋による結束が強い一族! 妹相手に刀を振るわなかった梓お姉様こそふさわしいですわ! 八百刀流内での抗争など『大峰』に任せればよいのです! 家族にすら咄嗟に刃を向けてしまうような戦闘センスなど不要!」

「おっとそいつは見解の相違という奴ね。でも残念でしたー、公式の場で勝っちゃった白羽ちゃんが次期当主として選出されましたー」

「だったらぁっ……!」

 ズビッ! と白刃の切先を梓お姉様に向ける。

「また勝負ですわ梓お姉様!」

「はぁ?」

「もう一回きちんと戦って、梓お姉様に勝ちを認めさせますから! それまで家など継ぐものですか!」



       *  *  *



 まあ、そんな我儘が受け入れられるはずもなく。

 あれよあれよという間に白羽の次期当主任命が完了し、さらに当主であるお父様も「瀧宮」所有の妖刀のうち半数以上を失ったために当主資格を自ら放棄。結果、白羽の座布団が一瞬にして次期当主の物から当主の物へとクラスアップした。

 一体誰だお父様から太刀を無理やり奪った奴――白羽でーす。本当に余計なことしましたー。

 しかし、一度は次期当主を争った梓お姉様と再戦し、勝ちを認めさせることで当主の座を返上するというのは我ながら妙案であった。

 お父様が当主を辞し、当主代行となった白羽が事実上八百刀流最高権力者となった瞬間、組織を腐らせていた老害共をそろって遠方へ左遷した今、野良試合でもいいから梓お姉様に勝って頂ければ当主の座をお譲りできる!


「へぶしっ」


「だから大人しくしてろ。着付け係の手間を増やすんじゃないわよ全く……」

 問題は、あれ以来梓お姉様が一度も白羽と刃を交えてくれないこと……。

「ねー梓お姉様ー」

「やだ」

「まだ何も言ってませんわ!?」

「どうせ試合おうってんでしょ? 絶対ヤだね」

「そこを何とか~」

「ホントしつこいわね……一回だけよ」

「本当ですの!」

「うわーやられたー。さすがはしらはちゃん、あたしじゃとてもかてないわー」

「まだ何もしてませんわ!?」

 わざとらしくしなを作りながら床に女の子座りする梓お姉様。そのまま女中は梓お姉様の髪に櫛を入れ始めた。

 ……ずっとこの調子。

 強襲すれば相手にしてくれるかと思って襲い掛かると、今度は【陽炎】を使って素手であしらわれてしまう。八百刀流として、「瀧宮」として、ちゃんと剣を交えたいのにこの有様である。結局、ちゃんと勝負できずに当主襲名式まで来てしまった。

 ……それにしても。

「梓お姉様、思いきりましたわねー」

「何が?」

「その髪ですわ」

 女中が櫛で梳かしている梓お姉様の亜麻色の髪は、とても短く切り揃えられている。襟足はちょっと髪の長い男子くらいだし、前髪など額がほぼ全て見えるほどに刈られている。

「気分よ気分」

「白羽は前の長さくらいも好きでしたわ」

「なに、これ似合わない?」

「そんなことありませんわ! とても活動的で、梓お姉様にぴったりですわ!」

「そ。ならよか――」

「ですから白羽と活動的に斬り結びましょう!」

「何でそうなる」

 今度は接近したところで足を引っかけられた。

「おーい、終わったか? そろそろ親父殿が待ちくたびれて――おい白羽……」

「あ、羽黒お兄様!」

「……よっす」

 襖の隙間から顔を覗かせた羽黒お兄様に、梓お姉様は若干渋い顔をする。

 それもそのはずで、羽黒お兄様もまた、あれほど長かった髪をこめかみの辺りを刈り上げたツーブロックにし、全体的に短く切り揃えていた。髪型を変えた原因はもちろん梓お姉様が「試し斬り」の時に前髪をばっさり斬り落としたからだが、どうせならとイメチャンに踏み込んだらしいが……正直、胡散臭さが上がっただけである。

 梓お姉様によってつけらてた鼻先から左頬にかけて奔る横一文字の火傷のような刀傷と、年甲斐もなく調子に乗ってこめかみに入れた剃りと新調したサングラスも相まって、カタギにはどうしたって見えない。ちなみに剃り込みはもみじには評判が悪かったためそのうち消えるだろう。

「白羽……着物のまま寝そべってんじゃねえよ。ほら立て、裾揃えてやっから」

「えー、だって梓お姉様が構ってくれないんですもの!」

「だってじゃねえよ」

「あだだだだ!?」

 握りつぶす勢いで顔面を押さえられ、無理やり立たされる。解放された時には乱れた裾は綺麗に戻っていたが、乙女の顔を何だと思っているのかこのお兄様は。

「梓お嬢様、準備整いました」

「うん、ありがと」

 梓お姉様が立ち上がり、軽く裾を整えてから羽黒お兄様の元へと歩み寄る。

「お待たせ」

「行くぞ。もうほとんど揃ってる」

「はいはいっと。んじゃ白羽ちゃん、また後で」

「……はーい」

 去っていく兄と姉の後姿を眺めながら、不思議な気分になる。

「羽黒様、もう普通に本家に出入りされておりますね」

「不満?」

「い、いえ!」

 女中の呟きに問いかけると、女中は慌てて首を横に振った。

 まあ、気持ちは分からないでもない。

 お父様が当主を退いた後、白羽が当主代行として左遷した年寄り連中の空いた穴を埋めるため、下位組織でくすぶっていた有能な術者を引き抜いたのだが、その中に未だフリーで活動していた羽黒お兄様も含まれていたのだ。

 あれほど爺共に忌避されていた羽黒お兄様が、末端組織としてではあるが「瀧宮」へと戻って来たというのは、本家に仕えてきた身としてはなかなか慣れないのだろう。

 というかあんな危険人物をいつまでも野放しにしていられるか。

 当主の座を白羽に押し付けたとは言え、梓お姉様も未だ「瀧宮」である。今後は白羽と二人で、「瀧宮」としてあの兄が無茶しないように見ていかなければならない。

「……………………」

「試し斬り」より十日が経ち、以前と比べて梓お姉様の羽黒お兄様に対する態度は見違えるほど軟化した。が、未だにぎこちないのはご愛嬌。六年前までのように戻ることは、恐らくできないのだろうが……。

「これはこれでありですわね……♪」

 部屋を後にし、広間へと向かう。


 甚だ不本意ながら、今日、白羽は八百刀流「瀧宮」二十四代目当主となる。

 そして白羽の我儘から始まった、羽黒お兄様と各家をも巻き込んだ不毛な姉妹喧嘩は、一応の幕引きとなるのだった。






「ま、すぐに再戦吹っ掛けますがね。……あは♪」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ