だい ごじゅうご わ ~山彦~
思いがけず二振りの妖刀を入手してしまったことで、白羽ちゃんの前に兄貴と決着をつけたいという欲が高まったあたしの希望を、意外なことにショウさんはあっさり承諾してくれた。
「『最高の白』だけじゃなく『最悪の黒』にまで手ぇ出したいたあ、やっぱお嬢はそれくらい豪胆でなくちゃな」
そう言って笑うショウさんにとりあえず妖刀を鑑定してもらう。
一つはショウさんの手伝ってもらってようやく形になった、文句のつけようのないほど美しい太刀。ミオ様の霊髪からごっそり力を吸い取った刀身からは、莫大な水気の力を感じる。
そしてもう一振り――あたしが土壇場で作り上げ、ホムラ様の結界を丸ごと毟り取って逆に封じた妖刀は、鉈のように分厚く幅広で、不格好な直刀のような形をしている。
そしてホムラ様の力を封じきれず、金色のオーラを纏うその刀身を目にし、ショウさんは即座に決断を下した。
「まず最初にクロの阿呆と戦え。その時はこっちの直刀を使うこと」
「どうしてです?」
「理由はいくつかあるが、それは追々教えていく。おい、ミサ」
「んぁー?」
壁によりかかってやる気なさげに話を聞いていたミサちゃんに声をかける。そして何やら頼みごとをされ、ミサちゃんは嫌な顔をしつつどこかへ消えて行った。
「何?」
「お前が不格好な妖刀作ってくれたからな。普通の木刀や竹刀じゃ訓練にならんから代用品を頼んだ」
「……………………」
確かにこの直刀、なかなかに特殊な形状だから修行中に竹刀やら木刀やらで代用できなさそうだけど……。流石に直刀そのものを使ってショウさんに斬りかかるわけにもいかない。万一掠ったら、それだけで普通の妖怪程度なら消し飛びそうな力を感じるし。
「ただーいまー」
と、ミサちゃんが帰ってきた。
「……何ソレ」
思わず手にしているソレを問いただす。
ミサちゃんは一メートルほどの極太の鉄パイプと布テープを持ってきたのだ。
「これをこうする」
ミサちゃんが両腕に力を込める。すると肩から指先まで隙間なく、複雑な紋様の入れ墨のようなものが浮かび上がった。「兼山」独自の身体強化術の発動時に顕現する呪術のような物だが、慣れると結構綺麗に見える。
「ふん!」
と、気合の入った声を上げ、堅強にした両腕にさらに力を込めて鉄パイプを無理やり押し潰した。瞬く間にぺちゃんこになっていく鉄パイプを呆然と見ていると、さらにミサちゃんは器用に先端の片方はただ潰さず、パイプの内側に「工」の字になるよう折り曲げた。
「……………………」
「ほい、完成」
最後に布テープを申し訳程度に内側の押し潰した部分に巻き、あたしに渡してきた。
……もしかしなくても、これが直刀の代わりですか。
「形と重さは割と近いと思うんだけど」
「いや、確かに近いけど……」
代用品の作り方がダイナミックすぎる。
「んじゃ、ま」
と、ショウさんが軽くストレッチを始めた。
「予定を変更して、瀧宮羽黒対策から始めるとするか」
「お、お願いします!」
「かはっ。そう畏まるなよ、お嬢。実力未知数の白羽より、クロの方がまだ対策しやすい」
そう言うと、ショウさんは全身に力を込める。
人間の物ではない、禍々しい気配――妖気に包まれるショウさん。
その姿が、どんどん変わっていく。
「幸い、クロの戦闘データはきっちりトレース済みだ。脅威となる点から弱点となりえる悪癖まで、しっかり叩き込んでやるよ」
そう言ってショウさんは軽薄に笑った。
* * *
「山彦」
あたしは内心呟きながら、鉈のような直刀を構えた。
「いわゆる自然現象の『やまびこ』を怪異現象として生まれた妖怪。受け取った音を反響させ、大きくして返す、言わばそれだけの妖怪だけど……」
「大峰」は「瀧宮」に対抗しうる力をつけるため、積極的に妖怪との混血を取り入れた一族でもある。呪術により隔世的に妖怪の力を持つ人間と、人間の力を持つ妖怪という半妖を生み出し、頭として掲げてきた彼らの歴史の中で、ここまで山彦の能力を最大限に悪用できた術者はそうはいないだろう。
音を受け取り、跳ね返すだけのはずの山彦。
その力を転じ、一度見た力をトレースして一度だけ顕現させる能力に悪化させた稀代の術者――大峰昌太郎。
春先、この街に帰って来たばかりの兄貴とミサちゃんの戦闘を穴が開くほど見てトレースしていたストックが、あたしとの修行までに使われずに残っていたというのは、あたしにとって幸運だった。
『六年前、奴が出て行く前までのデータと、春先にトレースした能力値から、今現在のクロを再現した。が、少々負荷が大きすぎるな……一体どこでこんな力を手に入れたのやら……再現率を七割まで落として顕現し続けても、もって五時間と言ったところか。その間に対羽黒戦術を身に着けてもらう』
そう言ってきっちり五時間、休むことなくあたしをフルボッコにしてくれたショウさんを思い出しながら、目の前に立つ男を見据える。
「……………………」
顔色は悪いし目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっている。そのくせ、さっきまで表情と一緒に死んでいたはずの瞳は爛々と輝き、今やあたしと剣を交えるのが楽しみで楽しみで仕方がないと言った風に、ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべている。
「どうした、梓」
兄貴が妖刀【鬼誅】を構えもせず、笑みを浮かべたまま声をかけてくる。
「今更臆したわけじゃねえだろ? かかって来いよ」
「うっさいわね」
「何なら、初手は譲ってやるぞ?」
そう言うと、兄貴は妖刀の柄を弄びながら伸びをし、リラックスし始めた。
それに対し、あたしは全身に力を込め、突撃の姿勢をとる。
四肢に身体強化の術式を纏わせ、視線は兄貴から外さず、じっと見据える。
ミシミシと全身の筋肉に負荷がかかる。
矢を番えた弓のように、全身を引き絞る。
どん!
一足。
あたしは兄貴に向かって切っ先を突き付け、突進した。
ショウさんと交わした言葉を思い出す。
『あいつのどうしても直らん悪癖の一つに、相手の初撃を避けないっつーのがある』
それに関してはあたしにも覚えがあった。
帰ってきた兄貴と再会したあの夜、兄貴はあたしが背後から斬りかかって来るのを気付いていただろうに、あえてノーモーションであたしの一撃を受けきった。その後も何度か兄貴に軽く喧嘩を吹っ掛けたことがあるが、兄貴が避けたことは一度もなかった。
『一見リラックスして隙だらけに見えるのも、罠だ。奴はきっちりと相手の攻撃を受け止める準備ができている。その上で相手の初撃を受けきり、カウンターで逆に潰すのが基本パターンだ。方々からの評判を聞く限り、龍鱗なんて便利なもん手に入れてからは特にその傾向が顕著なようだな』
それならこちらは迂闊に動けないじゃない。
そう言うと、ショウさんは首を横に振った。
『何事も例外というものがある――自力じゃ受け止めきれない強力な一撃に対しては、術者としての理性よりも肉体的な生存本能が勝って、脊髄反射的に避ける。避けてしまう』
龍鱗を手に入れた今、そんなことはほぼないんだろうが、六年前までは割と見られた悪癖らしい。そして体が避けたということを頭が理解するまでの一瞬、隙ができる。
『お嬢の付け入る隙があるとして、最も勝率の高いのはその一瞬だ。後先考えずに、まずはその一瞬に全てを賭けろ』
――直刀の切っ先が、兄貴の体に届く一瞬前。
「……っ!」
兄貴が片足をずらし、上半身を捻じって切っ先を避けた。その瞳は自分が避けたことを理解しきれず、見開かれていた。
兄貴の羽織っていたコートの端が、金色の狐火で焦がされる。
標的を失い、空を突く直刀。
そこから放たれた衝撃は止まらず、神楽場の一角に陣取っていた年寄り連中をぶっ飛ばした。
しかし、そんなことはどうでもいい。
再び四肢に強化術を上書きし、両足で床をしっかりと踏みしめて体勢を整える。そして突き出した両腕を無理やり引き戻し、がら空きになった兄貴の胴体目がけ、挽くように斬り付ける。
『焔御前の力が宿ってるその妖刀は振るうだけで脅威となりえる。そんな物騒なもんを肉体強度的にはただの人間のはずの白羽に使うわけにもいかんだろ。例えそれで白羽を消し飛ばしたとして、お前さんはそれで「勝った」と納得できるかね? ――その点、クロには龍麟がある。滅多なことじゃ死なん。遠慮なく、ぶっ放せ』
ガィンッ!
「っ!」
再び兄貴へと迫った刃が、何かに受け止められた。
感触は、龍麟のそれではない。
直刀は兄貴が手にしていた妖刀【鬼誅】と刃をぶつかり合い、ギギギと耳障りな金属音を発している。
見ると、兄貴は見開いたままの視線をようやくこちらへと移したばかりだった。
まだはっきりと、こちらを捉えきっていない。
流石というか何と言うか。
「条件反射的に避ける悪癖がある」と言うことは、それはつまり「条件反射的に防御する癖もある」ということで。
しかし慌てることもない。
ここまでは、まだ予想のうち。
直刀を握る手に力を込める。
それに呼応するように、ゴウと音を立て、刃から金色のオーラが溢れ出す。
じゅおっ
刃を力ずくで挽く。
すると【鬼誅】は音を立てて蒸発し、霧散した力が兄貴の魂蔵へと還っていった。
得物を失い棒立ちになった兄貴目がけ、直刀を翻して叩き付けるように薙ぐ。
今度こそ、決まる。
「ふはっ」
頭上から、軽薄な笑い声が聞こえてきた。
視線の隅に、正気を取り戻した兄貴の顔をとらえる。
まずい。
時間をかけすぎた――!
ガィンッ!!
再び金属同士の激しい衝突音が響く。
合わせて刃に力を込めるも、今度は一向に手応えが消えない。
それも、そのはず。
「……【龍堕】……!」
兄貴の秘中の秘、龍族を殺すためだけに打たれた漆黒の大太刀が、音もなくそこに顕現していた。
「ぎゃあっ!?」
「ぬおぉっ!?」
兄貴の後ろの方から、さっきの余波で吹っ飛んだ年寄り連中の悲鳴がようやく耳に入る。
だがそんなもんに気を取られている余裕はない。
ホムラ様から譲り受けた神気をフル解放してもなお、【龍堕】はビクともしない。それどころか、じわじわと押されている。
「良い動きだったぜ、梓。さしずめ、ショウ辺りから俺への対策を聞いたんだろうが、もう一歩だったな」
「ちっ……!」
ギギギと嫌な音を立て、押し返される直刀。
これ以上鍔競り合うのは割に合わない。
両足に力を込め、一息に【龍堕】の攻撃範囲から抜け出す。
兄貴はあえて追わず、ゆったりと大太刀を構えてこちらを見据える。
「今度はこっちからだ。上手く捌けよ?」
そこからは、本当に防戦一方だった。
なんせ大の大人と女子高生。どんなに鍛えていても自力の差は明白だ。その上、身体強化術には向こうに一日の長がある。二メートルはある大太刀を小枝でも扱うように振るってくるもんだから、とてもじゃないが懐に入り込めない。
幾度も迫りくる大太刀を必死に直刀で弾き返す。
今のところ、ショウさんに教わった兄貴の剣筋の癖とミサちゃんに叩き込まれた身体強化術、それにホムラ様の結界の中で身に着けた力の制御法、神気が込められた妖刀のおかげで何とかなっている。
だがそれだけだ。
いつまで続くか分からない。
「おいおいどうした!」
「くっ……そ!」
頭上から強力な兜割が降ってくる。
それを何とか弾き返し、直刀を構え直す。すると今度は鞭のようにしなる蹴りが飛んできた。
後退し、やり過ごす。
が、退きすぎた。
大太刀が勢いを増して迫って来る。
後退。
再び迫る黒い切っ先。
また、後退。
「くそっ!」
ダメだ。
このままじゃ、どうしたってジリ貧だ。
何か打開策は。
堅実に行く?
いっそ賭けに出る?
でも。
いやしかし。
『阿呆め』
潰した鉄パイプを手にショウさんに挑み続け、何度吹っ飛ばされたか数えることを放棄したあの光景が脳裏をよぎる。
『確かに俺はお前に基礎的な剣術を教えるとは言ったがな、この男に一太刀入れるために求められるのは堅実さじゃない。そんな殊勝な考えは後にとっておけ』
堅実さじゃない。
『こいつに理屈は通じん。そもそもぶつけ合う得物からして理屈の外だ。基本の剣術なんぞ糞ほど役に立たん』
役に、立たない。
『こいつに届く刃があるとすれば、それは理なんぞかなぐり捨てた、勘とセンスの野生の刃。つまり――お前が六年間ずっと共に戦ってきた持ち味だ、瀧宮梓』
あたしの、持ち味……!
「おらぁっ!」
再び頭上に迫る漆黒の大太刀。
それをあたしは、裏拳で剣の腹を殴り飛ばして逸らした。
「あぁっ!?」
逸れた大太刀は神楽場の床を抉るように突き刺さる。その柄を愚直に握り続けていた兄貴の胴が再びガラ空きとなった。そこ目がけて直刀――ではなく、さっきのお返しとばかりに蹴りを叩き込む。
「……っ!?」
案の定、兄貴はまさか蹴りが来るとは思わなかったのだろう。
床に突き刺さった大太刀を無理やり引き抜こうとする手を止め、何とか左腕を差し出して蹴りの直撃を防いだ。
左腕を足場に、あたしは後方へ跳躍する。
その間あたしは両足の術式を上書きし、次に備えた。
兄貴からたっぷり五メートルほど。
着地と同時に床を蹴り、銃弾のように跳び出す。
直刀の切っ先が床を削り、金色の狐火が軌跡を描くほどの低姿勢。
最下段からの斬り上げ――しかしその頃には兄貴も大太刀を床から引き抜き、上段に構えて迎撃態勢を整えていた。
「あああああああっ!」
「おおおおおおおっ!」
振り下ろされる大太刀。
狙いは直刀。
弾き飛ばすどころか、破壊しようとする意志が垣間見える勢いと殺気だった。
だからあたしは、それを正面から迎え撃つ――
「――納刀」
「なっ!?」
なんてことはせず、直刀を魂蔵に封じた。
ずどんっ!!
凄まじい音と共に、神楽場を両断する勢いで叩き付けられた大太刀。その切っ先は先程とは比べ物にならないほど深く床にめり込んでいる。
「はあっ」
床を強く蹴り、跳躍する。
兄貴は深く嵌りすぎた大太刀を引き抜けず立ち往生したままだ。
その大太刀の峰に。
だんっと。
飛び乗った。
「……っ!?」
人一人分の負荷が加わり、さらに深く沈む大太刀。
あたしはバランスを保ちながら右足を柄へと移し、兄貴の両手を踏み抜いた。
絶対に。
絶対に、逃がさないように。
あたしの全力を以て、押さえつけた。
「――抜刀、【陽炎】!」
右手に直刀を喚び戻し、一閃の構えをとる。
四肢の強化術をさらに上乗せ。
全身が軋むが、構うものか。
ここが踏ん張りどころだ。
渾身の力を込めて、直刀を横一文字に薙ぎ払った。
「くっ……!?」
兄貴が大きく仰け反る。
だが両手を押さえつけられ、大太刀を手放すことができない。
避けきれない。
めきっ
硬い何かがひび割れる音がした。
直刀の切っ先が兄貴の左目を隠すほど伸びていた前髪を払い、鼻先から左頬にかけて、一直線に灼き切った。
ぶしっと音を立てて飛び散った鮮血が狐火によって蒸発する。
「《そこまで!!》」
大気を揺るがす言霊の一喝。
あたしはバランスを崩して大太刀から崩れ落ち、兄貴も顔の左半分をようやく解放された手で押さえて膝をつく。
「はーっ……はーっ……」
身体強化術の負荷が一気に襲い掛かる。
巨大な魂蔵という異空間のどこまで見上げても見えない天井を睨みながら、ゆっくりと呼吸を整える。
神楽場の外側が何やらがやがやと騒がしいが、今一つ耳に入ってこない。
「はあ、はあ……」
「はっ……はっ……」
聞こえるのは自分のバクバクと荒ぶる心臓の鼓動と、隣の兄貴の息遣いだけ。
「は……は……」
「は、はは……」
「……ふ、はっ」
「は、はは……!」
「……はは! ははは!」
忙しない息は次第に穏やかになり、笑い声へと変わっていく。
「あはははは! ざまーみろクソ兄貴! 一太刀入れてやったぞ!」
「やってくれたなこの愚妹!」
「あはははは!」
「だーっははははははははっ!」
「あー、くっそー! 全身痛ぇぞこのやろー! あはははは!」
「がはは! そっちこそ俺の顔に傷付けやがってどうしてくれる!」
「元々たいした顔じゃねーだろーがー!」
「お前鏡見たことあんのか、お前とそっくりだぞ!」
「そりゃあたしが美人ってかぁっ!? 兄ちゃんに言われてもあんまり嬉しくねーな!」
「あはははははは! ってマジでどうすんだこの傷! 全然血ぃ止まんねぇっつーか、めっちゃ熱いぞこれ!」
「あははははははははっ!! 六年も家出してた罰だバーカ!」
「このヤロウ! 他人事だと思いやがって!」
「だははははははははははっ!」
「がははははははははははっ!」
腹から笑う。
心から笑う。
その後、救護班に控え室まで引き摺られるまで、あたしら兄妹は狂ったようにずっと笑っていた。