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だい ごじゅうさん わ ~九尾狐~




 あたしとユーちゃんが月波学園初等部に入学した年だから、今から九年位前だ。

 ユーちゃんの親父さんの表向きの仕事の転勤により、親父さんとお母さん、それに穂姐さんが月波市外へと移り住み、ユーちゃんだけは次期当主としての教養を積むため月波市の爺さんの元に残った。しかし、だいぶ前からお婆さんが腰を痛めていて、ただでさえ生活力のないあの助兵衛爺の世話だけで手一杯だというのに、食い盛り育ち盛りの孫の面倒まで見れないと、学園が随分と前から世話になっている行燈館へと預けられることとなった。

 それだけ聞くとなんだか周りの大人たちが薄情に見えるが、当時は本当にそれしか選択肢がなかったのだ。

 それにお婆さんも泣く泣く(本当に号泣していたらしい)古くからの友人にして爺さんが二番目に結婚した元妻である行燈館の管理人・青葉あおばさんに託したのだから、大目に見てあげてほしい。

 とは言え。

 ユーちゃん本人としては堪ったものではなかっただろう。

 ある年からいきなり最愛の両親と姉から引き離され、血は繋がってはいないが祖母が管理しているとは言え、見ず知らずの人たちが大勢住まう下宿に預けられたのだから。

 当時のユーちゃんの主なあだ名は「泣き虫ユーちゃん」だ。主にあたしが呼んでいた。

 ……いやまあ、今思うと結構酷なことをしたと思っているし、反省しているが、それほどまでに当時のユーちゃんはいつも泣いていた。

 通学路が怖くて泣いて。

 大学の金髪のニーチャンが怖くて泣いて。

 算数が解けなくて泣いて。

 給食を食べるのが遅くて泣いて。

 通学路が怖くてもう一回泣いて。

 夜が怖くて泣いて。

 本当に、本当に泣き通しだった。

 これは酔っぱらった青葉さんから聞いた話だが、実は寝る時に泣かないように四年生になるまで添い寝していたらしい。ユーちゃん本人は「もっと早くに添い寝は卒業した」と言って憚らないが、育ての親がそう言っているのだから怪しいものだ。

 とは言え、そんな精神的に不安定だったユーちゃんの子供時代を、あたしら瀧宮三兄妹は特に気にかけていた。

 兄貴は毎朝遠回りをして行燈館までユーちゃんを送り迎えしていたし、白羽ちゃんは用もないのに学年の壁を悠々と超えて教室まで遊びに来ていた。

 同じクラスだったあたしは、席替えでユーちゃんの隣になるように(力ずくで)希望の席を奪取したものだ。

 まあ、そんな生活をしていたものだから、あたしからしたら弟みたいなものだったし、実際四人ワンセットみたいなものだった。


 だからこそ、あたしは極稀に遊びに帰ってくる穂姐さんに嫉妬した。


 どれだけあたしがユーちゃんのことを実の弟のように想っていても、本当の姉弟には敵いっこないのだ。

 何年生の時だったかは記憶が怪しいが、お盆に併せて開催される夏祭りで土砂降りになったことがある。最初は少し曇っているだけだったのがどんどん雲が厚くなっていき、最終的には露店のテントが倒れるほどの記録的豪雨となったのだ。天気予報ではそんなことは一言も言っていなかったため、何かしらの怪異現象だったのだろう。

 もちろんそんなことになるとは露ほども思っていなかったあたしたちは、暢気に夕方六時に歩行者天国の入り口で待ち合わせをし、浴衣に着飾って出かけた。

 その年、市外のごく普通の中学校に通っていた穂姐さんが久々に月波市に来ていて、ユーちゃんのテンションはそれまで見たことがないほど高かった。

「おねえちゃん、おねえちゃん」と穂姐さんにじゃれ付くユーちゃんを見ているのが何だか不愉快で、あたしは夏祭りにはしゃぐフリをして一人雑踏の中へと紛れて行った。

 ただただ穂波ほなみ姉弟が気に食わなかった。

 加えて、当時の穂姐さんは兄貴に片恋していたし(質の悪いことに気付いていなかったのは兄貴だけだった)、兄貴をこっちに引き付けて困らせてやりたかったのだ。

 そして思惑通り、故意に迷子になったあたしを兄貴と白羽ちゃんはすぐに見つけてくれたのだが、予想外だったのがあたしらと穂波姉弟が完全にはぐれてしまったのだ。

 そうこうしているうちに、記録的な豪雨の襲来である。

 ずぶぬれになりながらあたしと白羽ちゃんは一足先に屋敷まで戻り、兄貴が一人迷子になった二人の捜索に夏祭り会場に戻った。

 兄貴がユーちゃんと穂姐さん連れて屋敷に戻ってきたのは、夜八時頃だった。

 当時相当驚いたことを、今でも妙に覚えている。

 持てるだけのタオルを抱えて三人を出迎えたあたしは、穂波姉弟の様子に目を疑ったものだ。

 あたしらとはぐれて、ユーちゃんは当然泣きじゃくっているだろうと思っていたのだが、彼は全然泣いていなかったのだ。

 もちろん全身ずぶ濡れで涙の痕の有無など確かめることは不可能だったが、いつも目の周りを赤く腫らしながら泣いていたはずのユーちゃんが、めずらしくパッチリと目を開けて心配そうに穂姐さんを見上げていたのだ。

 逆に穂姐さんの方が泣くのを必死に堪えて物凄い形相になっていたくらいだ。

 たぶん、この日が境だったと思う。

 あたしがユーちゃんを「弟」として見ることを止め、「友人」として見るようになったのは。



       *  *  *



「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 意識が覚醒し、まず最初に確かめたことは周囲の景色の確認だった。

 自分が朱色の鳥居が無数に立ち並ぶ竹林の中にいることから、未だにホムラ様の結界からは抜け出していないらしい。

 そして自分の周りの竹林は鬱蒼と生い茂っており、斬り払われたものは一本もない。そして空を見上げると、何とかギリギリ太陽は沈んでいない。

「ふむ」

 どうやら気を失いながらも足は動かして歩き続けていたらしい。今も冷静を装いつつ思案を巡らせながら足は止めていない。

 足に蓄積された疲労感から、最後に休憩を入れてから半日ほどといった感じか。

「少し……休もう」

 ピタリと足を止め、大きく深呼吸する。

 その間、二秒。

 しかしその間にも太陽は目に見える速度で大きく傾き、周囲は一気に夜闇へと近付いていった。

「よし」

 あたしはまた歩き始める。

 足の疲労はすっかり消えてなくなっていた。体感的には一時間ほどゆっくりと休憩をとった感じだ。

「――抜刀、一本」

 手元に無作為に太刀を一振り選出し、構える。

 目指すは目の前に立ち並ぶ無数の鳥居。

「ふっ……!」

 息を吐き出しながら全身に力を込め、柱の片方を一刀両断する。

 そこそこの太さの柱を斬り付けたにも関わらず、手元に戻ってきた手応えはかなり軽い。

「……ちっ」

 またハズレか。

 柱を斬られた鳥居は空間ごと形を歪め、次の瞬間には綺麗さっぱり姿を消して輪切りにされた竹だけが残った。

「次!」

 あたしは太刀を構え直し、さらに奥の鳥居に向かって太刀を振りかぶる。

 この作業を始めて、体感で既に三日は経過していた。




       *  *  *




 兄貴を屋敷であまり見かけなくなったのは、確か大学に入学してからだから、あたしが九歳かそこらの頃だったはず。

 それまで兄貴は特に決まった部活に所属しているわけでもなく、かと言って高等部生徒会職を真面目にやっていたかというと、今思い返すとかなり怪しく、授業が終わったらすぐに屋敷に帰ってきていた印象がある。

 と言うのも、あたしとユーちゃん、ついでに「隈武くまべ」のウッちゃんの成績が贔屓目に見てもあまり宜しくなかったため、放課後に瀧宮家に集まって勉強会を開催していたのだ。

 特にあたしは算数、ユーちゃんは国語、ウッちゃんは理科がイマイチだった。

 自分で言うのも何だが、あたしは勉強に関する呑み込みはかなり悪い方だったと思う。ユーちゃんとウッちゃんは教えられたらすぐに解けるようになったのに。

 それを根気強く、自分の課題や宿題バイトもあっただろうに、高等部時代の三年間毎日欠かすことなく二時間の家庭教師を務めあげた兄貴は、まあ何だ、かなり凄い奴だったと思う。

 それが功を奏したのか少しずつあたしらの成績は改善され、初等部程度のテストならよほどのミスさえしなければ八割オーバーの点数がとれるようになるまで底上げされた。

そして兄貴の大学進学を期に、家庭教師はなくなり、兄貴は晴れて自由の時間を手に入れることができた。

 で、兄貴が大学で何をしていたかと言うと、入学したのは工学部だったと思うのだが、その片手間に教員免許を取得しようとしていたのだ。今の兄貴からは到底想像できないことだが。

 あたしはよく知らないけれど、教員免許取得のためには学部のカリキュラムとは別に、追加で授業を受けなければならないらしい。当然、他の学生と比べるとかなり多くの授業数を受けることとなり、かなり忙しいはずなのだが、あの馬鹿は空いた時間を利用し、単位も発行されないのに農学部や医学部の講義に紛れ込んで視聴していたらしい。

 完全に大学のルール違反な気もするが、当時の兄貴は術者としても最盛期だったはずだし、異能を持つ教授陣だって欺くことは訳ないはずだ。

 必修単位が多いと聞く工学部に所属し、片手間で教員免許のカリキュラムを受け、さらにその裏では農学医学の知識を身に着けていた――夜は夜で何やら怪しいバイトに加えきっちり陰陽師家業までこなしていたわけだから、当然兄貴を見かける機会は激減した。

 だからこそ、珍しく兄貴が夕食に同席すると、あたしと白羽ちゃんはテンションが上がって食事そっちのけで、昨日学園で何があっただとか、テストで百点取っただとか、ユーちゃんがまた泣いただとか、次々に報告して親父に拳骨をもらったものだ。


 あの夜も、本当はそうなるはずだった。


 夕方になっても帰ってこない白羽ちゃんを探しに、兄貴が若い衆と手分けして探しに行ったところまでははっきりと覚えている。

 母様はあたしだけ先に夕食を済ませるよう言ってくれたが、あたしは久しぶりの家族揃っての夕食にこだわり、夜が更けても帰ってこない兄妹に一人自室で不貞腐れていた。

 そしていつの間にか、あたしは眠ってしまっていた。

 外が騒がしくて目が覚めたのが、時計の針は日付を跨いだ頃。

 お手洗いに行こうとノソノソと起き上がり部屋を出たところで、廊下を若い衆が慌ただしく走り回っているの見て、「ああ、何かあったのか」とようやく気付いた。

 あたしは眠気眼を擦りながら騒ぎの元と思われる玄関へと向かった。

 そこで、あたしは見てしまった――聞いてしまった。


 ――俺が殺した。


 生気の感じられない弛緩した四肢をぐったりと投げだした白い少女を抱える兄の姿。

 全身が沸騰したかのように熱くなったのを覚えている。

 だがそれからの記憶は曖昧だ。

 ただ、


 ――この街から出て行け! 兄ちゃんなんて大っ嫌いだっ!!


 そう叫んだことだけは、妙にはっきり覚えている。

 その後、あたしが目を覚ましたのは三日後だった。

 若い衆に聞いたところによると、あたしは全身から太刀を放ちながら兄貴に突貫し、返り討ちに遭ったそうだ。普段の兄貴であればあたし程度手を抜きに抜いて相手しただろうが、意識が混濁していた兄貴は本能的に、脊髄反射的に応戦してしまったために相当痛めつけられたらしい。

 こちとら、自分の力のキャパシティを完全にオーバーさせながら暴走した結果、霊力の酷使により髪の色が抜けて亜麻色になったというのに。

 ともかく。

 未だ全身が痛むのを堪えながら布団を抜け出したあたしは、もしかしたらアレは夢だったんではないかと思考を停止させた。

 居間に向かえば兄貴がいて、「悪い悪い、ちょっとボーっとしてたわ」とか軽薄そうに笑って、白羽ちゃんが「梓お姉様、大丈夫ですの?」とか心配してくれるんだ。

 何事もなくあたしたちは日常に戻るんだ。

 なんて。

 そんな甘い考えがまかり通ることなく。

 仏間に横たわる純白の棺の中に眠る白い少女の姿を目の当たりにし、あたしは膝から崩れ落ちた。

 そして、あたしの心は壊れてしまったんだと思う。

 兄貴への愛情が、そっくり反転して憎悪へ。

 白羽ちゃんへの慈しみが、劣等感へと。

 あたしは、あの二人のようにはならないと。

 家族に手をかけるような、家族に殺されるような。

 あいつらのようには、絶対にならないと。

 あいつらを超えるような奴になると。

 一人残されたあたしは、そんな想いを胸に次期当主となるべく修行に身を投じたのだった。





       *  *  *





「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 足を止めずに周囲の光景を見渡すと、前方には未だに無数の鳥居が立ち並んでいるが、背後の鳥居は一つ残らず消え失せており、代わりに大量の竹が伐採されていた。

 この空間に閉じ込められてから体感時間で十日は経っただろうか。ついにあたしは眠りながら剣を振るう術を身に付けてしまったらしい。ワーカーホリックにもほどがある。

 ここ何日か立ち止まって休息をとった記憶がない。もちろん食事もとっていない。しかしその割には疲労感も空腹感もまるでなかった。

 最後にとった食事らしい食事と言えば、今となっては昔のように感じるミサちゃんが出してくれたお昼ご飯だが、どうやらあの食事に宿っていた土地の力と言うのはなかなかに大きいものだったらしい。一度空っぽになるまで力を捻り出した後に外から補充したおかげか、今でも全身の隅々まで力が巡っているのが感じられる。

 頭の天辺から爪先まで、筋一筋に至るまで、どのように力が循環しているのかが分かる。

 加えて、この空間との相性も良かったらしい。

 土地の力とは、言ってしまえばホムラ様の力でもある。

 そしてこの空間にはホムラ様の妖力が満ち満ちている――呼吸するだけで、回復する。

 この調子なら、あと二日は休みなく動き続けられる。






       *   *   *






 昔一度だけ、兄貴と白羽ちゃんの本気の立ち合いを見たことがある。

 あれは今から六年前――二人がいなくなった年だ。

 兄貴はまだ二十歳そこそこで、白羽ちゃんも初等部二年なったばかりだった。

 実を言うと、その頃はまだ「瀧宮羽黒こそ次期当主にすべき」という声が一部から上がっていた。兄貴はアレで、年寄り連中からの評価は恐ろしいほど低いが、若い衆――同年代からは結構人望があったのだ。

 兄貴は兄貴でとっくに次期当主への興味なんて無くしていたため、表には出さなかったがその声に鬱陶しそうに苦笑を浮かべるだけだったが。

 そんなある日、突如兄貴と白羽ちゃんが手合わせすることとなった。

 しかも場所は瀧宮屋敷の地下修練場――公式の場だった。

 立会人は親父ではなかったことから、白羽派の年寄り連中か兄貴派の若い衆かは知らないが、誰かが余計なことを言い出したんだろう。

 そんなの無視すりゃいいのに、と幼いながらもそう思ったのだが、二人は律儀にも()()の態勢で修練場に現れた。


 結果は圧倒的だった。


 とても視認できるレベルではない。

 立会人の合図と同時に、兄貴は反対側の壁まで吹き飛ばされた。

 しかも身に着けていた胴着はズタボロの雑巾のように切り刻まれていたにもかかわらず、肌には一切の傷がなかった。

 一歩引いたところで見届けていたあたしらどころか、立会人すら何が起きたか理解できていなかった。

 ただ、吹き飛ばされた本人だけは、

「やっぱ強ぇわ」

 と笑うだけだった。

 ともかく、黒と白の最初で最後の本気の立ち合いは一瞬で幕を下ろし、これを機に羽黒派は大人しくなったのは確かだ。

 その後、兄貴に一体何が起きたのか聞いたことがある。

 白羽ちゃんに直接聞かなかったのは、あの子は自分の戦闘技術や修行内容に関しては隠蔽する癖があったからだ。努力するのを見られるのは恥ずかしいとか、そんな感じで。

 あの子は私に対して甘々だったが、結局最後までその癖だけは治らなかった。

「斬られたのに怪我一つしなかった理由? ああ、アレは一応、瀧宮流剣術の一つだ。『瀧宮』の太刀は術者の霊力を物質化して作られているのは知っているな? その物質化を一部だけ解いて霊力の粒子化し、対象を素通りさせる技術――例えば、妖怪に取り込まれた人間を救出するために、妖怪だけ斬るときに用いる……んだが、あの領域まで行くともはや白羽固有の異能と言ってもいいな。言うなれば、『斬るべきもののみを斬る力』って感じだ」

 いや、それもそうなんだけど、何なのよあの速さ、最初の一合しか見えなかったわよ。

 あたしはそう問い詰めた。

「最初の一合が見えただけでも十分すげえよ。俺も速すぎて全ての剣撃は見えなかったが、実際に斬られた感覚だと、白羽のやつ、今まで俺が教えてきた剣道やら対妖剣術やら各種剣技を百種、最も隙の少ない組み合わせで流れるように全部繰り出してたぞ。最初にボソッと『百裂剣』とか呟いてたけど、間抜けな技名の割りにガチだ。本気で斬られてたら百回は死んでたな」

 嘘つけ八歳やそこらの幼女がそんなことできるわけないだろ。

 その時はそう思ったが、後の彼女の葬儀で聞いた話では、どうやら兄貴との立ち合いが話題に上がるずっと前から白羽ちゃんは兼山道場に通い、よりにもよってミサちゃんのお父様――先代「兼山」当主に修業をつけてもらっていたらしい。

 努力の隠蔽癖にしたって、それを自分が死ぬまで誰にも気づかれなかったって言うのはどうなんだろうね。







       *    *    *







「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 もはや最後にいつ休憩をとったのかも定かではない。

 というか、この結界に放り込まれてから体感でどれほど経ったのかも分からない。

 空を見上げれば、竹藪の隙間から未だに月が欠けることも満ちることも、傾くこともなく変わらずにそこに居続けているため、結界の外ではほとんど時間は経過していないらしい。

 それに反し、あたしの肉体は体感時間とリンクしているらしく、随分と髪が伸びてきた。肩甲骨くらいまであった毛先は今や背中まで届こうとしている。人生最長記録だが、いい加減鬱陶しい。

「……………………」

 あたしは後ろ髪を左手で束ね、右手に持った太刀の刃を無造作に当て、思いっきり引いた。

「……………………」

 ザリザリザリという何とも言えない感触が太刀を通して右手に伝わってくる。

 左手に残った亜麻色の束をその辺に投げ捨て、あたしは再び前を向き直り、無数に並ぶ鳥居を斬り倒す作業に戻る。

 いい加減お風呂入りたい。

 さっさとここから出たい。

 一体、どの鳥居が結界の起点になってるんだ?








       *     *     *








 あたしに言わせれば、魔力とか霊力による優劣の差っていうのはあくまで属性によるものであって、それそのものの数値化には意味はないと思っているのだが、あえて数値化するなら、実はあたしら瀧宮兄妹の魔力量というのはそんなに多くはない。

 この街を去る前の兄貴を仮にAランク、龍殺し後の魔力量が跳ね上がった今の兄貴をSランクと位置付けるなら、手数が売りのユーちゃんはAランクくらいだろうか。かつての兄貴と実は同等だ。

 対してあたしは今も昔も変わらずBランクそこそこ。白羽ちゃんにしたって、実はあたしと大差ない。Bプラスって感じだ。

 だというのに六年前のあの日、白が黒を圧倒できたのは、白羽ちゃんの尖った才能――言うなれば属性が、兄貴を下したといっても過言ではない。

 白羽ちゃんはその決して多くはない力の全てを、身体能力の強化にのみ使用している――つまり、一対多の乱戦を想定していることが多い八百刀流において、白羽ちゃんだけは一対一の対戦に特化していた。

 元々その才能があった所に兼山道場に通い詰め、身体強化術を底上げして正々堂々と真正面からぶつかったら、そりゃ兄貴もひとたまりもない。

 ……そうか、あたし、あれとやり合うのか。









       *      *      *









「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 あたしは鳥居を斬り倒し続ける。

 鳥居が竹に代わる。

 これも違う。

 まだ出られない。

 一体どれほどこの光景を見続けたのか、もう覚えていない。

 何か、違うのだろうか。











       *       *  











 白羽ちゃんと戦うのか。

 今更だけど、なんの冗談だって話だよ。

 ユーちゃんでも呼んで来いよ、昔からあの子、ユーちゃんには弱かったし。












       *        *  












「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 あたしは鳥居を斬る。

 まだ出られない。













       *         *  













「……………………」

 どうやらまた気を失っていたらしい。

 竹を斬る。

 斬り倒す。














       *          *  














 こんな状況になったのは誰のせい?

 あたしじゃない。

 あたしは悪くない。

 じゃあ誰?















         *        * 















「………… ………」

 どうやらまた気を失って  らしい。

 斬る。
















        *       *
















 誰が悪い?

  誰が悪い?
















          *   * 
















「…  ……… …」

 どう らまた気 失っていた  い。

 斬 。

















      *        *

















 兄貴が悪い?

    白羽ちゃんが?


















     *             *



















「…    ………」

 ど   また  失って たらし 。

 斬る。



















                      *  



















    そもそ

         も

兄貴が




















     *




















「  …    …

     また を失っ  た   。

 斬る





















                *  *  





















  兄

      貴が   悪 い

                ?






















             *            * 






















「       …

         失っ      。

 斬 ?























                * 























      兄

    貴

      を

  ?
























        …

         失       。


















































     兄

 貴

  を




















































斬 ?


















































   兄

 貴

  を




      斬


          る



       ?




















































































































挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)



       *  *  *



「分かってる! 分かってんだよそんなこと!! 白羽ちゃんと戦っても、勝っても負けても、それで気分が晴れないことは!!」


 あたしは歩みを止めず、しかし握り続けていた太刀は手元から消した。


「白羽ちゃんがあんな性格なのは昔からだろ! 今更それに何腹立ててんだ!」


 魂蔵の中を漁る。

 しかし、お目当ての太刀は見つからない。


「でもケジメはつける! 今までどこほっつき歩いてたのか知らんけど、六年も家空けてたお転婆を叱り飛ばすのは姉の義務!!」


 どこを探しても見つからない。

 そう言えば、この結界に放り込まれる前にホムラ様に没収されたっけ。


「でもその前に!」


 ならば、仕方がない。


「あのクソ兄貴をぶっ飛ばす!!」


 もう一度、作るまで。


「理屈とか理由とか原因とか、もう全部どうでもいいわ! なんかムカついたからぶん殴る! それでいいだろ!!」


 あたしは全身を巡る力の奔流が空っぽになるまで右手に集中させる。

 じわじわと、不安定ながらも力は形となっていく。


「こんなのはただの喧嘩だ! ちょっとだけ物騒なだけの、どこにでもある兄妹喧嘩だ! だから――」


 力は一振りの刃となる。

 妙に幅広で厚みがあり、しかも反りのない真っ直ぐな刃――とても太刀とは呼べない、鉈のような直刀。

 そして――


「だから、まどろっこしいことしてねぇで、とっとと力を寄越せ女狐神様!!」


 あたしはその直刀を、地面に深々と突き付けた。




       *  *  *



「九尾狐」

 ホムラ様は笑みを浮かべながら、あたしを社に迎え入れてくれた。

「妖狐が長い年月を経て妖力を高め、九つの尾を得た姿の総称じゃな。さらに位が高くなれば天狐とか空狐とか呼ばれる存在にもなれるが、儂はどうも神格は高くないからの。未だに九尾どまりじゃ」

 じゃが、とホムラ様は破顔した。

「妖力だけなら、天狐空狐共にも負けんと自負しておる。どうじゃ? そんな狐の力の一部を毟り取った気分は」

「悪くないです」

 ホムラ様の皮肉に、真っすぐに答える。

 手には、先程ホムラ様の結界を丸ごと吸収しつくした直刀が握られている。しかし吸収した力が膨大すぎて、微妙に刃に収まり切らずにチロチロと金色の狐火が溢れていた。

「約束は約束じゃ。髪に宿る力ではないが、儂の力には違いはない。兄妹喧嘩にでも姉妹喧嘩にでも好きに使うがよい」

「ありがとうございます」

 あたしは素直に頭を下げる。

 頭を下げて。

 そして。

「……っ!?」

 背後から漂ってきた殺気に、背筋が凍った。

「え……」

 殺気に込められたその力は、よく見知ったものだった。

 しかしそれが、あたしに――否、あたしとホムラ様の二人に向けられているのが、一瞬理解できなかった。

「おや、遅かったのう――ミオ」

「……………………」

「え、え? ミオ様……?」

 振り返ると、そこには角と猛禽の翼、龍尾を生やし、手には黒い龍鱗を浮かべた藤色の袴姿の女性が立っていた。

 いつも見るミオ様の姿。

 だけど、その表情は今まで見たことのないほど酷く冷たかった。

「どういうつもりだ」

 低く、地の底から轟くような禍々しい声音。

「え」

 え?

 今の、ミオ様の声?

 いつものゆるふわな口調どころか、声まで変わってるんですけど!?

 ていうかおっかねえ!

「何故貴様が、焔御前の力を手にしている」

「え……それは」

「否、答えなどいらぬ」

 ミオ様(?)は右手をゴキゴキと鳴らしながら一歩一歩あたしに近寄ってくる。指先には新たに刃物のような鋭い鉤爪まで生えていた。

「粛清」

「ちょっとぉっ!?」

 唐突に振るわれたミオ様の一手を、訳も分からず手にしていた直刀で受け止めた。

 その瞬間、ぶつかり合った力が反発し合い、凄まじい衝撃が生まれた。

「うわっ!?」

 何とかあたしは全身に力を巡らせて踏みとどまったが、予想外の衝撃だったのだろう、ミオ様は吹き飛ばされて壁に背中を叩きつけられた。

「ちょ、何なんですか急に!?」

「なんじゃ、御主、知らずに儂の元に来たのか?」

 ホムラ様は暢気に懐から煙管を取り出し、狐火で煙草に火をつけながら可笑しそうに笑った。

「神の中には、己が守護する一族が他所の神に付くことを酷く嫌う者もおる。長く守護しておるほどその傾向が強いが、特に蛇神はのう……」

「え゛」

「元々蛇神は独占欲が強いというか、嫉妬深いというか、とにかくそういう連中ばっかりなんじゃよな。ミオも今や応龍なんぞと呼ばれておるが、本質はその辺の蛇神と変わらんからの。じゃから儂の力を――加護を物理的に手にしておる御主が相当気に入らんのじゃろ。怒り狂って我を忘れとる」

「そ、そんなことで!?」

「神は気紛れ……というか、言ってしまえば極度の癇癪持ちばかりじゃ」

「何それ怖い!?」

「ほれほれ、そんなこと言うとる場合ではないぞ」

 ホムラ様の視線を追うと、壁際で蹲っていたミオ様がゆったりと幽鬼のように立ち上がっていた。比喩でも何でもなく、なんか黒いオーラが見えている。

 何アレ怖い。

 神の怒り怖い。

「……そのような駄狐に靡くなど、許すまじ」

「何か言ってる!? 怖い!」

 誰か助けて!?

「やれやれ……」

 フッと。

 ホムラ様の姿が消えた。

「え」

 と、瞬きした時には、既にホムラ様はミオ様の背後に立っていた。


「誰が駄狐じゃ、この腐れ蛇!!」


 どごん! と凄まじい音と共に、ミオ様は顔面を床に叩き付けられていた。

 うわ……。

「うむ、よし」

「よし、じゃないですよ!?」

「儂の聖域で勝手に暴れた妖蛇を粛清した。何も問題はあるまい」

「いや……そうですけど!」

 やり方がえぐいというか、一応は自分ちの神様だし……背中に乗っかられてグリグリと後頭部を押さえつけられているのは見たくなかったというか……。

 とりあえず、この直刀しまっちゃおう……ミオ様怖いけど、試し斬りの日までは大事な戦力だ。

「おお、そうじゃ」

 何かいいこと思いついた! って感じでホムラ様が笑みを浮かべた。

 と、あたしの目の前に一振りの美しい太刀が出現した。

「それ、返すぞ」

「あ、はぁ」

「で、そいつでミオの髪を刈ったれ」

「はあ!?」

 いきなり何言いだすんだ!?

「せっかく用意したもう一振りの【無銘(ムメイ)】じゃ、無駄にするでない。それに力を蓄えておいて損はなかろう?」

「いや、でも……」

「それに今は良いが、目が覚めたらこやつ、また御主に襲い掛かるぞ? 死にたくなければ今のうちに力を奪っておけ」

「えー……」

 いいのかな……。

 ホムラ様がミオ様の長い髪の毛を鷲掴みにし、切りやすいように持ち上げた。

「ほれ梓。ミオのボケが気を失っている今のうちじゃ。ズバッといったれズバッと」

「あー、これ大丈夫ですかね? あたし、後で殺されたりしません?」

「元々そのつもりで儂らに正面切って喧嘩吹っ掛けたんじゃろうが、今更怖気づくでない」

 別にそういう意図があったわけじゃないんだけど……もう、どうにでもなれ!

 太刀の刃をミオ様の髪の毛に押してる。

 うぅ……なんか抵抗が……。


「何しとんじゃあああああぁぁぁぁぁっ!?」


 突如社の扉が開かれ、見慣れた奴が乱入してきた。

「あれ、ユーちゃん? 何してんのこんな時間に」

 ていうかすげー久々に見た気がする。

 体感時間で何か月ぶり?

「それはこっちのセリフだ! 待て待て待て待て! ちょっと待て!」

「何よさっきからうっさいわね殺すわよ」

「いつもよりツッコミが過激だなオイ!?」

 こちとら色んなことがありすぎていっぱいいっぱいなのよ。

「……………………」

 ああ、でも、なんか。

 こういうやり取り、懐かしいわ。

「お前、ミオ様に何しようとしてんの!? ホムラ様まで何手伝ってんですか!?」

 しゃーねーなー!

 こういうバカ騒ぎをまたやれるようになるためにも、もうちょっと頑張りますか。

「何って、まあ」

 そう口にし、あたしは太刀を手にする手に力を込めた。


 ザシュッ


 その瞬間、ミオ様の斬り落とされた方の髪の毛から凄まじい濃度の力が溢れ出し、手にした太刀の刃へと吸い込まれていった。

「……まあ、あたしが何をしているかって言えば」

 一度セリフを区切り、太刀を肩に担いでユーちゃんに向き直る。

 皆仲良くワイワイ騒げる日常パートに移るための――


「修行パート?」


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