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だい ごじゅうに わ ~霊髪~




「いらっしゃい、あずさちゃん。ショウちゃんからは話は聞いてるよー。とりあえず門下生共の夕飯作るの手伝ってくれないかな、奴らしばらくしたら飢えたイナゴの如く走り込みから帰ってくるはずだからさ」

 道場の門をくぐってすぐに鉢合わせたミサちゃん――八百刀流「兼山」現当主の兼山かねやま美郷みさとさんは、両肩に漬物用の八十リットルバケツたっぷりに水を汲んで運んでいる最中だった。

「……………………」

 いやいや。

 両肩合わせて百六十キロを軽々と運んでらっしゃるが。

 ミサちゃん、背はあたしよりちょっと高いか同じくらいじゃん。しかもあたしより細身だし。どうなってんのソレ。

 水を運ぶミサちゃんの後に続いて道場の裏に向かう。

 するとそこには山積みになった大量の野菜があった。まだ土がついたままの白菜や大根人参牛蒡など種々色とりどり。二十キロくらいはあるだろうか、文字通りの山積みだ。

「よいしょ」

 ドスンと両肩のバケツを下すミサちゃん。大雑把な動作のわりに、中の水は一滴もこぼれていなかった。

「とりあえずこれ洗って」

「あ、はい」

 兼山道場に修行のために送り込まれたはずのあたしが真っ先にやったことは、大量の野菜の泥落としだった。

 ミサちゃんが持ってきたバケツに柄杓を突っ込み、少しずつかけるように野菜を洗っていく。最初はミサちゃんも一緒に洗っていたのだが、ある程度洗い終えたらまとめて抱えてどこかに持って行った。

 その後はひたすら無心に山積みの野菜どもを洗っていく。

 洗って。

 洗って。

 洗って。

「……あたし何しに来たんだっけ」

 どれくらい時間がたったか分からないが、野菜の山が半分以上片付いたところでフッと我に返った。未だ残暑厳しいこの季節とは言え、冷たい井戸水に手をつけっぱなしだったため指先が真っ赤になっている。

 何してんだ、あたし。

「ミサちゃーん?」

 一抱え分の野菜をザルに乗せて厨房へと向かう。

 中の様子を窺うと、ミサちゃんが非常に危なっかしい手つきで包丁を握り、野菜の山と対峙していた。

「……ミサちゃん」

「あ、梓ちゃん終わった?」

「終わったけど……ミサちゃん、包丁貸して」

「え」

「危なっかしくて見てらんないわ」

「あ、はい」

 ミサちゃんから包丁を奪い取り、野菜の山から人参を引っ張り出してまな板に載せる。

「大きさどれくらい?」

「テキトーでいいよん。今日はちゃんこ鍋なんだけど、火が通って味が染みてれば」

「りょーかい」

 言われた通り、人参を鍋にテキトーにぶち込んでも火が通る程度の厚さのいちょう切りにしていく。ミサちゃんが手伝いたそうに横からのぞき込んでくるので、ピーラーと大根を渡して皮むきを頼んだ。

「……おかしい。梓ちゃんは料理苦手だったと記憶していたのに」

「あたしが苦手なのは味付けと火加減だから。むしろ刃物は慣れてる」

 あたし作の料理は絶対焦げるし、やけにしょっぱいか甘いか辛いかの三択だ。

「……でもさ」

「んー?」

 何故かピーラーでさえおぼつかない手つきのミサちゃんを尻目に人参を切り終え、牛蒡のささがき作業に入る。

「こういう料理の下準備って、普通道場で一番下の人がやるんじゃないの?」

「あー、そういうところは多いよやっぱり。相撲部屋とか特にそういうの厳しいらしいし。けどうちは、門下生はあくまで平等に扱うことにしてるから、食事当番は持ち回りだし、道場の掃除も全員でやるんよ」

「へー」

 などと雑談しつつ、切った野菜たちを順番とか関係なくどんどん竈で煮立っている大鍋に放り込んでいく。根野菜は水から煮るべしとか知ったこっちゃない。ミサちゃんも止めないし。たぶんこういう大雑把なところがお互い料理には向いていないんだなと思う。

「ただ今戻りましたー!!」

 あらかた斬り終えた野菜を鍋に投入し、今は亡き先代兼山当主の奥方が事前に用意してくれた既定量の調味料を全部放り込んで一煮立ちさせたところで、道場の方から轟くような大声が聞こえてきた。

「おーおー帰ってきた帰ってきた。ちょっと鍋見てて」

「ういー」

 手元にあった手拭いで軽く手についた水を拭きとって道場の方へ駆けていくミサちゃん。そしてすぐに「おーかえりー! 風呂沸いてるからチビどもからさっさと入ってきな!」と威勢のいい声が聞こえてきた。

「梓ちゃんも風呂入ってきて。ついでにチビどもの面倒も見てやってくれない?」

「え、でもあたし着替えとか風呂道具とか持ってきてないよ」

「ほれ」

 ポイとミサちゃんが投げてよこしたリュックを受け取る。中を見れば、下着類を含む必要最低限の着替え一式と洗面道具が詰め込まれていた。

「昼間のうちにショウちゃんが瀧宮家に行って用意させたやつだよ」

「……準備いいな」

 まあここまで用意されて断る理由もない。

「それじゃ、お風呂いただきまーす」

「はいはーい。ウチも食事の準備できたら行くわー」



       *  *  *



 兼山家の銭湯並みに巨大な共用浴場で汗を洗い流し、微妙に芯が残った根野菜がたっぷり入ったちゃんこ鍋を総勢三十人の門下生たちと奪い合いながら食事を終えた後。

 チビどもをさっさと家に帰し、遅くまで道場に残って自主練をしていた大人たちの姿もまばらになった頃に、ようやく疾風はやてさんの説教から解放されたらしいショウさんが合流した。

「どしたの顔色悪いよ」

「……うるせぇ」

 憮然とした表情で懐から煙草の箱を取り出し――しばらく思い悩んで吸わずに懐に戻した。どうやら今月の煙草代はカットされてしまったらしい。

「ここに来る前、ちょっと瀧宮家を覗いてきた」

「どうだった?」

「夕方からまた年寄り衆含む傘下組織の幹部連中を集めて会議を始めたらしい。家の事情だからっつって、大峰当主のオレも入れなくなってたぜ」

「うわ、ヤな感じ」

「それは別にいいんだが、疾風に聞き耳を立てさせた感じだと、やはり瀧宮家内は完全に二分されちまったみたいだな。梓派か、白羽しらは派か」

 チッ、とショウさんは舌打ちを打つように嫌味ったらしく笑った。

「くだらねぇな。本人たちはとっくに『試し斬り』で決着つけようぜって話になってんのに」

「何バカなこと言ってんの。今の世の中、何が悲しくて姉妹で殺し合わなきゃいけないのよ」

「……………………」

 ミサちゃんのその言葉に、あたしの胸がちくりと痛む。

 元はあたしの失言が原因とは言え、あたしは白羽ちゃんと殺し合うことについては、まあ、嫌ではあるが、さほど抵抗を感じていないことに自分でも驚いている。

 この気持ちが「瀧宮」の血による業なのかは知らないけれど、本当にクソみたいな一族だ。

「まあこのご時世、本当に家の者同士で殺し合うわけにもいかんだろ。どうせ『相手に一太刀入れたら決着』ってあたりに落ち着くとは思うがな」

「ま、その辺が妥当よね」

 深い溜息を吐くミサちゃん。

「まあここでグダグダしてても仕方ないしね。今日はもう遅いし、今後の方針を話し合って解散にしましょ」

「異議なし」

 そう言ってその場に座る二人。あたしも倣って床に膝をつくが、何だか落ち着かない。

 ふと思い出したけれど、この三人だけでいるということは今までなかった気がする。それぞれ個別に顔を合わすか……兄貴と三人でいるところにあたしが出くわすか。

「まず第一に。白羽の申し立てがそのまま受理されたとして、『試し斬り』が行われるのは九月十三日の夜になるだろう。それまでにお嬢はあの化物にまぐれ勝ちできる程度に対人剣術を身につけなけりゃならん」

「……それだけ聞くと、どれだけ望み薄なんだろうって感じですね……」

「本人が弱音吐くなバカタレ。ミサ」

「んー?」

「お前から見てどうだ? お嬢は十日のうちにそのレベルまではいけそうか?」

「んー……梓ちゃんはもう身体は出来てるから、肉体面については申し分ないと思うんだけど、何分相手が()()白羽っちだからね。新しい肉体を得て復活してどれくらい動けるか分からないけど、『試し斬り』までリハビリを重ねて生前レベルまで動けるようになったと仮定すると、兼山式身体能力強化術を一から叩き込んで本当にギリギリって感じ。もちろん、ショウちゃんの剣術・戦術指南と並行していった場合ね」

「……やっぱりか。ったく、どっかの脳筋が剣術の修業サボってなきゃもう少し上の段階からスタートできたものを」

「……返す言葉もございません……」

「で、でも! 梓ちゃん今まで勘とセンスだけでここまで強くなったんだから、素質はあると思うんだ!」

「ミサちゃん……!」

「その分、変な癖もついてそうだけどな」

「う……」

「ショウちゃん!」

 ガスッとショウさんを蹴り飛ばそうと足を上げるミサちゃん。……軽いじゃれ合いのように見えてその実、「兼山」特有の身体能力を強化する刺青が足に浮かびあがっていたのを見逃さなかった。

 半分本気で蹴り殺そうとしたし。

 あのクソ兄貴もそうだけど、この年代の連中って遊びと本気の線引きが曖昧すぎて危険なのよね。

「えっと、ミサちゃん、一応確認したいんだけど」

「ん?」

「あたしはショウさんに対人剣術と対白羽ちゃん用戦術を学びながら、ミサちゃんから身体強化術を基礎から稽古つけてもらえるってことでいいんだよね」

「うん、そういうこと。白羽っちがこの十日間でどこまで生前の感覚を戻してくるか分からないから、最低限クロちゃん級の術者を出し抜けるレベルまで底上げしようと思う」

「兄貴を……」

「言っておくけど、やるとなったらとことん面倒見るつもりだからヨロシク」

「こちらこそ」

 改めてミサちゃんに頭を下げる。

 こういう修行らしい修業って実は初めてだから、こういう状況だけれでも、少し楽しみだったりする。

「んじゃ、明日明朝から本格始動という事で。朝早いから梓ちゃんはうちに泊まっていってね」

「え、いいの?」

「もちろん! ショウちゃんとこみたいな宿泊施設はないから、ウチと相部屋になるけどいい?」

「いいよいいよー、気にしないー」

「それじゃあ明日に備えて今日は英気を養いましょー」

「おー」

 と、女子二人で盛り上がっていたところ。

「……おい」

 と、呆れ顔のショウさんが横やりを入れてきた。

「何よ」

「お前ら、肝心なこと忘れてねぇか」

「「え?」」

 二人して首を傾げる。するとショウさんは眉間にしわを寄せて深い深い溜息を吐いた。


「『試し斬りの儀』だぞ? 儀式に使用する妖刀を新調しないことには何も始まらんだろーが!」



       *  *  *



 そこからは悲惨だった。

 ショウさんの言う通り、「試し斬りの儀」に使用する私オリジナルの妖刀の作成――つまり、「研磨の儀」と「太刀打ちの儀」、そして「魂抜きの儀」を早急に完了させる必要があった。

 本来ならばこの三つの儀式は瀧宮当主、つまり親父、もしくはそれに連なる幹部クラスを名代に数人立て、彼らの承認を以て行う必要があるのだが、ショウさんの「『大峰』と『兼山』の両当主が名代に立って文句を言う奴がいたらぶっ飛ばす」という強引な承認の元、あたしらで勝手に執り行う事となった。

 で、まず「研磨の儀」でいきなり躓いた。


「だーかーらー! 何度言えば分かるんだ!? 太刀の刀身は基本的に二尺以上三尺以下、つまり六十から九十センチつってんだろうが! そんな二メートルもある大太刀担いでどうやって白羽とやり合うつもりだボケ!」


「バカかお前!? 誰が鉈作れっつった!? 分厚いし幅広だし……もはや斧だ斧!」


「刀身に反りをつけろ! 直刀は扱いが難しいし強度の面で不安定だ! お前の馬鹿力で振るったら一発で折れるぞ!」


「薄っ!? 何これお前、逆にすごいわ! カッターの刃じゃねえんだからもっと厚みを持たせろ!」


「小太刀! 今度は小太刀! そんなんで白羽と斬り結ぶつもりならやってみろっつーの!」


「長い長い長い!? 柄長すぎ! これ薙刀とか長巻とかの類だろうが! これもう戦い方から変わってきちまうぞ!」


「お、今度こそまともな太刀の形に……………………刃がついてねえ!?」


 以上、ショウさんからのお叱りダイジェスト。

 あの後解散せず、すぐにオリジナルの太刀の精製に取り掛かったのだが、何度やっても自分の力をイメージ通りの太刀の形に具現化できなかったのだ。さらに今回は、後に控える「魂抜きの儀」のため、普段は取り付けない柄と鍔も具現化させる必要もあったためにより手間取った。

 さらに一本作り上げるのに一時間以上の時間を有した。その上、まともな形態をしていないことが多々あったため、力を捻出して具現化しては還元していく作業が半日以上に及んだのだった。

「お前不器用すぎ……」

 半妖で普通の人間よりもずっとタフなショウさんでさえ、疲労で普段から悪い目つきがさらに険しくなっていた。

 まっこと申し訳ない。

 かく言うあたしも、度重なる力の循環に疲弊し、最後の方はほとんど意識のない状態だった。

 で、結局どうしたかと言うと。

「お嬢!」

「はい!?」

「腹に力入れろ!」

「は――ぐふぅっ!?」

 痺れを切らしたショウさんに腹――丹田の辺りを鷲掴みにされ、手の平からショウさんの力が体内に入ってくるのを感じた。

「ふんっ」

「ぐぼぁっ!?」

 そして大よそ年頃の女子が上げるべきではない悲鳴と共に()()()と腹から一本の太刀が引っ張り出されてきた。

 瞬間、精気を根こそぎ抜き取られたような激しい倦怠感に襲われ、床に崩れ落ちた。

「はい『研磨の儀』終了!!」

「いいのかそんなんで」

 日付が変わるどころか日が昇り切ってしまい、どやどやと道場に押し寄せてきた門下生の相手をしながらミサちゃんが呆れ顔でそう呟いた。

 ショウさんの手元からスウッと太刀が消え、代わりにあたしの魂蔵に一振りの太刀が入ってくるのを感じた、あんな荒療治でも、しっかりと持ち主はあたしになっているらしい。

「お嬢が不器用すぎるのが悪い。オレが補助しなかったら向こう一週間太刀作るだけで終わってたわ」

「……………………」

 何も言い返せなかったのは、全身を襲う倦怠感だけが原因ではなかった。

「……まあいいや。梓ちゃん、夕べから何も食べてないでしょ。はいご飯」

「あ……はい……」

 わざわざミサちゃんがお膳ごと持ってきてくれた昼食に這い寄り、何とか姿勢を正して箸を持つ。

 献立は豚カツメインの定食セットみたいな内容だった。

 徹夜明けに豚カツかよ、とも思ってまずは付け合わせのキュウリの漬物を一口齧った。

「……あれ?」

 するとフッと、体の倦怠感がほんの少しだけ抜けるのを感じた。

「あ、気付いた?」

「え?」

「それ、うちの家庭菜園で取れたキュウリ。漬物だけじゃなくって、お米もお味噌もお野菜もお肉も、ぜーんぶ月波市産!」

「えっと……?」

「つまり、そんじょそこらのパワースポットの比じゃない月波市の大地で育った食べ物だからね。魔力霊力が空っぽになった体に無理なく力が染みわたるのよ」

 そう笑顔で説明するミサちゃんを尻目に、あたしはガツガツと白米と豚カツを貪り食っていた。一口食べるごとに力が回復していくのを感じ、その度に強烈な空腹が襲ってきたからだ。

「おいミサ。オレの分は?」

「あ」

「おい」

 ミサちゃんにマジ殺気で襲い掛かるショウさんなんぞ知ったこっちゃなく、あたしは勝手にお櫃を手繰り寄せて白米をおかわりし、白米をおかずに白米を食べる勢いで空腹を満たしていった。

「ふう……ご馳走さま!」

「お、お粗末様……」

 ショウさんとの鬼ごっこから逃げきってきたミサちゃんがお膳を下げる。それくらい自分でやろうと思ったのだが、「いいのいいの。それよりも梓ちゃんは先にウチの部屋に行っててくれない?」と断られた。

 家主にそう言われてしまえばどうしようもない。あたしは大人しくミサちゃんの部屋へと向かった。

「お邪魔しまーす」

 ミサちゃんの部屋は幼い頃から何度も来たことがあるが、内装は意外と女子力が高い。きちんと整理整頓されているし、カーペットや小物類も綺麗に整えられている。クローゼットから覗く私服も可愛いし。確か、オネエの彼氏さんのチョイスだっけ。

「んー……ん?」

 と、ベッド横のチェストの上にメモが置かれていた。


『梓ちゃんへ

 ちゃんとお腹いっぱいになったら次は寝ること! これも修行の一環です!』


 ……いや、食べてすぐ寝ると太るって聞いたことあるんだけど。お相撲さんとか、食後に昼寝してわざと太ることであの体形を維持してるって何かで聞いたことがあるようなないような……。


『これからの梓ちゃんの運動量を考えると、多少太ってた方がいいくらいです』


 ヤバい。

あたし、これからどんなハードスケジュールで動かされるんだろう。


『それに睡眠によって精神が休まると魔力霊力の回復も早まるので絶対に寝ること 美郷』


「……寝よう」

 言われるまでもなく、徹夜の疲労に加え、満腹により脳が既に半分眠っていた。一瞬だけ太ったらどうしようとか考えたけど、なんかもうどうでもよくなった。

「お休みー……」

 ミサちゃんの布団に失礼して入らせてもらう。

 すると何か術でも仕込まれているのではないかと思うほどの速度で、あたしは一瞬にして眠りに落ちた。



       *  *  *



「梓お姉様梓お姉様!」

 白いワンピースを着て白い太刀を振り回しながら、白い白羽ちゃんが踊るように尋ねる。

「梓お姉様は当主になりたいのですか?」

 そりゃ、なれるもんなら。

「そうなのですか。でも無理だと思いますわ!」

 妹のくせに無礼な口だな。

 前からこんなだったか。

「だって白羽が次の当主になるのですから!」

 うぜー。

 胡散臭い笑顔が超うぜー。

「梓お姉様梓お姉様」

 白羽ちゃんが飛ぶようにこちらに駆け寄って来る。

 手には白い太刀を構えたままだ。

「白羽がいない六年間の間にどれほど頑張ったかは知りませんが、それで白羽に追いつけたとでも思っているのですか?」

 あんたに何が分かる。

「白羽も羽黒お兄様もいなくなったあの家で、仕方なく次期当主として育てられた梓お姉様」

 何だ。

「もう無理なさらず。その席を、責を――白羽にお返しくださいませ」

 何なんだよ。

「梓」

 振り向く。

 恋人のもみじ先輩に付き添われ、見たこともないくらい消沈したクソ兄貴が、そこにいた。

「梓……」

 だから、何なんだよ。

「すまない……こんなことは……俺は……」

 本当に。

 本当に本当に。

 本当に本当に本当に。

「俺は……望んでいなかった……!」

 何なんだよ!

 兄貴も妹も!

 勝手にいなくなって、勝手に戻ってきて!

 あたしに何をさせたかったんだよ!!



       *  *  *



「……何だ今の夢」

 あんまり覚えてないけど、すっごくムカつく夢だった気がする。

「うわ、寝汗が気持ち悪い……」

 じっとりと肌に張り付くような汗が実に不快だ。

 ベッドから降りて壁に掛けられたネコのキャラクターが描かれた時計に目をやる。

「四時……思ったより寝たなあ……」

 一時間くらいだと思ったけど、三時間以上は寝ていた計算になる。

 ともかく、睡眠時間のわりには体は休まったし、嫌な夢を見た割には、体を巡る力の方も快調のようだ。流石は月波市の食材。

「おはようございまーす……あれ?」

「おう、起きたか」

 道場に戻ると、組み手を行う門下生でごった返す道場の片隅で、ショウさんが火のついていない煙草を咥えて新聞を読んでいた。どうやら気分だけでも喫煙したつもりになりたいらしい。

「ミサちゃんは?」

「チビども連れて走り込み行った。あと一時間は帰ってこんぞ」

「そうなんですか」

 まあ一日中あたしに付き合うわけにもいくまい。

「……そう言えば、ショウさんはお仕事とか……」

「……………………」

 黙って自分の口元の煙草に目を落とす。どうやら煙草代を代償に大目に見てもらっているらしい。

「……まあいい。お嬢、【無銘(ムメイ)】を出せ」

「あ、はい」

 言われた通り自分の魂蔵を探り、先程ショウさんに補助してもらいながら作った名のない太刀を、言霊を以て喚び出す。

「――抜刀、【無銘(ムメイ)】」

 手元にしっかりと装飾の施された柄と鍔を持つ美しい太刀が具現化する。正直、ショウさんの補助がなかったらこんな立派な太刀は作れなかったと思う。

「よしよし、一度形になった太刀ならしっかりと具現化できるらしいな」

「まあ、これなら慣れてますので」

 自分でいうのも何だが、太刀を魂蔵から引っ張り出して具現化する速度と一度に喚びさせる太刀の数にはある程度の定評がある。こればかりは小さい頃から兄貴にも負けない自信があった。

「で、オレなりに色々と考えたんだが」

「はい」

 ショウさんの前に座り、話を聞く。

「来たる『試し斬りの儀』で白羽とタイマンを張ることを考えた上で、いくつかイレギュラーな条件を相手に呑ませようと考えている」

「イレギュラー?」

「ああ。少しでもあの化物に一泡吹かせる確率を上げたいからな」

 言いながら、ショウさんは咥えた火のついていない煙草を箱に戻した。

「まず、『魂抜きの儀』は行わないことにした」

「え?」

「『太刀打ちの儀』にて太刀に妖怪の魂と力を封印し、魂のみを解放する『魂抜きの儀』――この際、柄と鍔を取り外すことで魂のみを解き放つんだが……単純な話、柄と鍔があった方が戦いやすいに決まってんだろ」

「……………………」

 えー。

 今更そこに言及すんの?

「それに白羽が儀式で使うであろう【白羽シラハ】も鍔と柄がついたままだ。わざわざ向こうに有利な状況を残してやる義理はねぇよ」

「そりゃ、まあ、そうでしょうけども」

「それに今あの太刀がどういう状況にあるかは詳しくは知らんが、わざわざ柄を外して魂が新しい肉体の中に戻るとも限らん。下手したら普通に成仏する可能性もあるしな。六年ぶりに帰ってきて謎の次期当主の座へのこだわりを見せているあいつが、そんな賭けをしてまで形式に則って儀式に挑むとも思えん」

「それじゃあ太刀に封じた魂はどうするんですか? 暴れる妖怪の魂を太刀に封印し続けるのってすごい大変って聞きますけど」

「んなモン簡単だ。暴れないような奴を封印すりゃいい」

「は?」

 そんな簡単に言うけれど……。

「……まさか良識ある妖怪住民を殺して封印しろ、なんて言いませんよね」

「それでもいいけどな」

「バカですか?」

「まあそれは常識的に却下として、後は暴れる力もなさそうな小妖怪を封じるって手もある」

「はあ」

「まあそんなしょぼい太刀、【白羽(シラハ)】と一合合わせただけで確実にポッキリいくだろうけどな」

「じゃあどうしろってんですか」

 問いただすと、ショウさんは嫌味ったらしい笑みを浮かべたまま、一度しまった煙草を再び口に咥え、今度は火をつけて実に美味しそうに紫煙を吸った。

「何も魂を丸ごと巻き込んで妖怪の力を封印するのが『太刀打ちの儀』じゃねえだろ」

「……?」

「太刀なんかに収まり切らない強大な魂を持ち、吐息一つ、髪の毛一本に含まれる妖力が並の妖怪の存在そのものを凌駕するような大妖怪の力――その一端を太刀に吸わせればいい」

「……まあ、理屈だけ聞くと可能だと思いますが。でも髪の毛一本で並の妖怪を圧倒できるような大妖怪なんて――」

「いるだろうが、この街には。そうだな、例えば――金色に輝く滝のように見事な長髪とか、とてつもない力を秘めているとは思わねえか?」

「……………………」

 この人。

 なんつーことを考えやがる。



       *  *  *



「霊髪」

 手にした太刀を眺めながら、彼女はそう口にした。

「古今東西、髪の毛は体の一部と言う枠組みを超えて神聖視されておった。分かりやすい例が、ほれ、丑の刻参りなどの呪いで頭髪を用いるというのは有名な話じゃろ。西の国では葬儀の際に参列者の髪を奉納すると聞いたことがあるのう」

 クククと喉の奥で笑いながら、彼女――月波市の土地神にして八百刀流分家「穂波」の守り神であるホムラ様は一升瓶の口から直接酒を喉に流し込んだ。

「それで、梓よ」

「……………………」

「『大峰』の小倅に唆され、無鉄砲にも土地神に不意打ちを仕掛けて我が髪を刈ろうと試みた感想はどうじゃ?」

 そう言ってホムラ様は滝のように流れる金色に輝く髪の毛の一房つまみ上げ、フリフリと見せつけながら笑った。

「……………………」

「ま、何も言い返せんかの」

 そりゃまあ、口を物理的に塞がれておりますから。

「……………………」

 あたしは今、焔稲荷神社の社の中にてホムラ様の座布団となっていた。自分の二の腕を口に押し付ける形に、四肢を無理のない程度に綺麗に折りたたまれ、上からホムラ様の全体重を以て押さえつけられている。

 あの後、ショウさんの提案にあたしは一応反対したのだ。第一、土地神相手に不敬すぎるし、頼み込んでもこんな身勝手な願いが聞き入れられるとも思えない。

 しかし、かと言って代替となるような案も思いつかず、ショウさんの「バッサリ刈ったれ刈ったれ」という超無責任な声援の下、兼山道場を追い出されてしまったのだ。

 で、悩みあぐねた末、とりあえず焔稲荷神社に赴いてみたら、ホムラ様が夕方から早くも呑んだくれていた。これ幸いとばかりに背後から名のない太刀でほんの一房ばかり髪の毛頂戴しようとしたところ、パシン(かなり控えめな擬音)と九本のうちの一本の尻尾に跳ね飛ばされ、太刀を取り上げられてしまった。

 そして、座布団(いま)に至る。

「ま、あのような無鉄砲で無計画な不意打ち、いっそ清々しくて儂は好きじゃがの」

だったら見逃してくれてもよかったじゃないですかあ……。

 抗議の声を上げようとしても、押さえつけられた口からはムームーと音にもならない声しか発することができない。

「それはともかく、御主の此度の凶行の所以は大体把握しておるつもりじゃ。はあ、まさか白羽があのような形で復活するとは、いやはやこの儂にも完全に予想外じゃったよ。羽黒はくろもなかなかにやるではないか」

 カッカと笑い、ホムラ様は一口酒を口に含んだ。

「……そんなふうに笑えたら、あたしも楽だったんですけど」

「んー?」

 何とか首をずらして口を解放し、そう呟く。

「なんじゃ。御主は死んだと思っていた妹御が帰ってきて嬉しくはないのかの?」

「嬉しい……どう、なんでしょう」

 そう言えば、出会い頭から喧嘩を吹っ掛けられて、そういうことは考えていなかった。

 あたしは……やっぱり嬉しいのだろうか?

「今は、ちょっと分からないです。……一回喧嘩でもしてガス抜きしないと、まだ考えられないというか」

「ふむ。なるほどの」

 緋色の瞳を細め、興味深そうに笑うホムラ様。

 そしてフッと全身にかかる圧迫感が消えた。

「ホムラ様?」

「御主、ちょっと参道の入り口まで走ってまいれ」

「え?」

 顔を上げると、あたしよりも遥かに背が高いホムラ様が肩をポンポンとあたしの太刀の背で叩きながら見下ろしていた。人化したホムラ様が姿勢を正して立ち上がると、兄貴よりも背が高いため威圧感がヤバい。

「なーに、ちょっとした神の気まぐれじゃよ」

「え……それじゃあ!」

「うむ。髪の一房くらいくれてやらんでもない。本来ならば『穂波』でもない一個人に加護を与えるのは儂の矜持に反するが、姉妹喧嘩の力添えくらいならば大目に見よう」

 流石は崇めるべきは親しき神である。

「まあタダではないがの。御主には一つ試練を課そう」

「その試練とは」

「先程も言うた通りじゃ。ちょっと参道の入り口まで赴き、その後ここまで戻ってまいれ」

「へ?」

 たったそれだけ?

「それで……よろしいんで?」

「うむ。神に二言はない。ここまで戻ってくることが出来たら好きなだけ儂の髪をくれてやる」

「あ、ありがとうございます!」

 飛び跳ねるように立ち上がり、社を飛び出した。

 これであのクソ妹に対抗する手段が一つ増える!

 あたしはそう考えながら、竹林の中にそびえ立つ九つの古びた朱色の鳥居を駆け抜ける。

「っし!」

 そして何事もなく参道の入り口に到着し、踵を返して焔稲荷神社を目指してダッシュする。こんなんで神の力の一端を借り受けられるなら安いもの。ホムラ様の妨害も特にないようだし、試練と言う名の形式美だったんかね。

「……なんて」

 んなわけがない。

 あたしの脚なら入り口から社まで片道ダッシュで三分ほど。

 二分もダッシュすれば、少し離れたところに社が見えてくるはず。

 だが。

「ったく……そういうパターンですか!」

 走れども走れども、社は見えてこない。

 一度足を止めて目を凝らす。

 あたしの目の前に続く参道には、無数の朱色の鳥居が連立していた。もちろん、本来あるべき鳥居の数などとうにオーバーしている。実際に見たことはないが、稲荷神社の総本山、伏見を彷彿とさせる。

『ククク……梓よ』

 どこからともなく、ホムラ様の声が聞こえてくる。

『今宵の儂は気分が良いからの。いくら時間をかけても構わぬ。儂の元まで辿り着けたら髪に宿る霊力を御主にくれてやろう』

「……そりゃ寛大なことで」

『じゃが一つ忠告はしておくぞ』

「え?」

 喉の奥で笑いをこらえながら、ホムラ様はこう宣った。


『その結界の中は時の流れが不安定での。中の者が激しく動いおると時はゆったりと流れ、逆に立ち止まっておると外界の何倍もの速度で時が流れるようになっておる』


「……………………」

 その言葉にあたしは一瞬思考が停止し、体だけは反射的に全力疾走を始めていた。

 あの女狐なんつー結界に閉じ込めてくれてんだ!?

「くそ! くそ! くそ!!」

 この広大な空間の中から結界を解く方法を全力疾走しながら探らなければならない。

 それは、探査能力のほぼ全てを分家に押し付けてここまできた「瀧宮」にとって、あまりにも絶望的な試練だった。

『ククク……「試し斬りの儀」までに出られると良いのう』


 そう笑うホムラ様は、あくまでいつも通り、親しげな声音だった。




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