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だい ごじゅういち わ ~犬神~



 瀧宮たつみや白羽しらはの生存と帰還。

 実を言うとあたしは、そのこと自体にはさほど驚きはしなかった。


 兄貴――瀧宮羽黒(はくろ)があの夜連れ帰った白羽ちゃんの遺体が、不自然に血色がよかったこと。

 あれほどあたしたち姉妹に甘かった兄貴が急にそんな凶行に及んだこと。

 何も言わずにこの街を出て行ったこと。

 何もかもが不自然だった。 


 極めつけは、真奈ちゃんに取り憑いた悪魔を引き剥がした時に兄貴が使った、純白の太刀。

 そしてその太刀が見せた、斬るべき物のみを斬る力。


 それら全てを冷静に思い返し、考察する時間は十分にあった。

 兄貴が何やら企んでいて、暗躍しているらしいというのは何となく察していた。

 だからあたしは、白羽ちゃんの帰還に関しては、割とすんなり受け入れることができた。


 だからこそあたしは――


あずさお姉さま。突然ですがお願いがありますわ。その次期当主が座る座布団――この白羽に返していただけません?」


 ――白羽ちゃんのそのクソ生意気な物言いに、ムカついたから殴りかかった。



       *  *  *



 どかっ


「ったあっ!?」

 何が起きたのか分からなかった。

 一瞬の浮遊感の後に奔った背中の衝撃――どうやら投げ飛ばされたらしいという事に気付いたのは、あたしの下敷きになって目を回していた使用人の顔を確認してからだった。

 ……使用人たちはまとめて下座に座っていたはず。

「あら? 梓お姉さま、軽く重いですわね?」

 遠く、上座の方から白羽ちゃんの頓狂な声が聞こえてきた。

「庭の池の方まで飛ばしたつもりだったのですが。使用人の方々、ご免あそばせ」

「くっ……!」

 兄貴の影からひょっこりと顔を覗かせて驚く白羽ちゃん。しかしあたしが背中の痛みをこらえながら立ち上がる時には、既に興味が失せたように上座に座る親父に顔を向けていた。

「さ、お父様。白羽の力は示しましたわ。新しい肉体にはまだ戸惑いがあり、完全に使いこなしているとは言えませんが、以前と同程度には動けますわ」

「……………………」

「ですから、狭量なことを仰らずに、その座布団を白羽にくださいません?」

 この……クソ妹……もうあたしのことはもう眼中にないってか?

 余裕ぶっこいてる所を今度こそ殴り飛ばしてやろうかと身構えたところで、広間の一角――爺連中が固まって座っている所がにわかに騒がしくなった。

「宗家! 白羽お嬢様の言う通りですぞ!」

 爺連中の中でも中心的禿爺――一応親戚のはずだけど、親戚のどの位置の人か全く記憶にない――が立ち上がり、親父に向かって檄を飛ばす。

「歴史からは隠された一族と言えど、我ら『瀧宮』は由緒ある家柄! その次期当主となる者は一族の中でも最も腕が立つものにこそふさわしい! そして既に『瀧宮』を勘当されておるそこの元『絶対的な黒』を含めても、白羽お嬢様が一族の中でも最も優れていることは明白! そしてたった今、残念ながら梓お嬢様と白羽お嬢様との力の差が改めて明らかになりました」

「然り。加えて歴代瀧宮当主は名に色を冠している者がつくのがしきたり。ここは『瀧宮』の未来のため、宗家、ご英断を」

 禿爺の隣に座っていた髭爺も立ち上がり、禿の後押しをする。

 おいふざけんな。

 何勝手に話を進めようと

「おいふざけんなそこの禿と髭!」

「さっきから聞いてりゃ、何勝手に話し進めようとしてんだ死にぞこない!」

 と、今度はこちら側の使用人たちが座っていたエリアが騒がしくなる。

「何だってお嬢が今日急にポッと出てきた小娘に次期当主の座を譲らにゃならんのだ! 名前に色? しきたり? んなもん餓鬼にでも食わせとけ!」

「妹御だか何だか知らねぇが、お嬢は六年間ずっと当主になるために修行してきたんだ! 今更ハイそうですかと譲れるほどその座布団は安くねえんだよ!」

「大体――」

 血の気が多い若い衆が次々と立ち上がり、爺連中に抗議する。すると今度は爺共が「おやおや今日は蚊蜻蛉がやけに五月蠅いのう」と大人げなく挑発に挑発で返す。そうなるとやはり若い衆も黙っておらず、蜂の巣を突いたような勢いで怒鳴り散らす。

 ……もう手が付けられん。

 当人も置いてけぼりだよ。

 周りが沸き立つと中心は逆に冷静になるというもの。

 チラリと上座の方の親父と母様を見るも、変わらず親父は厳しい表情を浮かべたままだし、母様は悲しそうに目を伏せている。その正面に座る兄貴の表情はここからだと見えないし、胡坐をかく兄貴の膝の上に座っている白羽ちゃんも同様だ。

 しかしいい加減騒ぎに収集がつかなくなってきた。爺連中と使用人を始めとした若い衆の罵り合いは、いつ取っ組み合いに発展してもおかしくなくなった。その時。


「――《鎮まれ》」


 ズンッと、全身に鉛の重石を科せられたかのような圧迫感が襲った。目だけを動かして周囲を確認すると、広間にいた全員があたしと同じように身動きがとれなくなっていた。

 そしてあれだけ騒がしかった面々を一瞬で鎮圧した力の根源は――上座に座る親父だ。

 でも今の力は……「大峰」の言霊……?

「梓」

「は、はい」

 フッとあたしにかかる重圧が消えた。

「席に戻れ。()()ここはお前の席だ」

「……………………」

 今は、か。

 白羽ちゃんと爺連中の話を聞く限りだと、どうやら白羽ちゃんの横暴に反対してくれているもんだと思っていたけど、案外そうでもないのかもしれない。

 強いて言うならば、中立か。

 親父の隣、母様の反対側の次期当主の座布団に戻り、改めて白羽ちゃんと対峙する。

 ふと気になって兄貴を見ると、やはり今まで見たことないくらいの戸惑いの表情を浮かべ、瞳は死人のように何も捉えていない風だった。

「では改めて。梓も揃ったところで状況を整理する。良いな」

「ええ、構いませんわ」

「……問題ないわ」

「……………………」

 白羽ちゃんとあたしが頷く。しかしもう一人の当事者であるはずの兄貴は、呆然としたまま微動だにしなかった。

「羽黒」

「……ん、ああ……俺も構わん……」

 親父に名前を呼ばれてようやく反応を見せる。そこにいつもの傲岸不遜な様子はまるで見られず、廃人もかくやというほどだ。

「兄貴どうしたのよ。コレは、兄貴が企んでいたことじゃないの?」

「……………………」

 俯いたまま、兄貴は答えない。

 ただ、口元は微かに動いていた――違う、と、言っているように見えた。

「では確認する。白羽」

「はい」

「お前は羽黒の無銘の太刀に貫かれ、魂を封印されたまま肉体を失った」

「その通りですわ」

「そして羽黒がしつらえた新しい肉体の魂蔵に太刀を封じることで今こうして身動きがとれる状態になったと」

「その通りですわ」

「そしてお前は――『瀧宮』に帰環し、次期当主の座も取り戻したいと」

「その通りですわ」

「不可能だな」

「……………………」

 バッサリと切り捨てた親父。それに対し、白羽ちゃんは父親に向けるそれではない目つきで問い返す。

「理由を伺いたいですわ」

「『瀧宮』への帰環そのものは問題ない。だが当主襲名に関してわしが不可能と判断する理由の一つに、先程使用人の者が言っていた通り、六年もの間行方知れずであった者に譲るほど次期当主の座は軽くない」

「……行方知れずだった経緯については、全責任が白羽にあるわけではないのですけれど、まあいいですわ。ところで一つ、という事は複数あると」

「ある。二つ、梓はお前の不在の間にも次期当主としての修業を進め、現存する『瀧宮』の太刀千六百三十八本のうち、五百三十七本を『継刃の儀』にて引き継いでいる。当主襲名の条件である、『現存する太刀の半数を引き継ぐ』までは必要な数は残り二百八十二本。対してお前の所持する太刀は、お前自身の魂が封じられている太刀を入れたとしてもその一本のみだ」

「ふむ……それは確かにその通りですわね」

 瞳を伏せ、小さく頷く白羽ちゃん。しかしすぐにニヤリと生意気な笑みを浮かべ、親父に確認事項を述べる。

「お父様。梓お姉様はその他に当主襲名の条件を満たしておいでですの? 『研磨の儀』と『太刀打ちの儀』、それに『魂抜きの儀』による太刀の精製は?」

「いや、まだだ」

「なるほど」

 笑みを顔全体に広げ、すくっと立ち上がる。

 改めて全身を確認できたけど、本当に、生前の姿のまま帰ってきたのね……。

「お父様、お手を失礼しますわ」

「……?」

 親父に歩み寄り、そっと手に触れる白羽ちゃん。そしていっとう明るい笑みを顔面に張り付け――

「――納刀、五百三十六本」

「ぬうっ……!?」

 目に見えるほどの強力な力の奔流が、親父と白羽ちゃんの間に発生する。あまりにも膨大すぎる力により、親父と白羽ちゃんの手が発光してあたしの目を焼く。

「くっ……!?」

 思わず腕で目を庇う。

 発光はたっぷり十秒ほど続き、唐突に何事もなかったかのように消え去った。

 今のは……まさか……?

「――抜刀、五百三十六本」

 白羽ちゃんが言霊を紡ぐ。

 するとそれに呼応するように、広間の人と人の隙間に隙間なく、柄と鍔のない太刀が突き刺さるように出現した。

 む、無理やり親父から太刀を引き抜いた……!?

「――抜刀、【白羽シラハ】」

 爺連中が「おおっ!」と歓声の声を上げる中、さらにもう一本、白羽ちゃんの手に切っ先から柄まで混じり気のない純白の美しい太刀が顕現する。

 あれは……間違いない。

 あの夜、真奈ちゃんから悪魔を斬り祓った太刀……!

「都合五百三十七本。これで梓お姉様に並びましたわよね?」

「……………………」

「別にきっちり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そこは梓お姉様の六年間に敬意を払ってやめておきましたわ」

「……っ!」

 こ、このクソ妹……!

「……………………」

「それで、お父様。白羽が当主を継ぐことのできない理由は他におありですの?」

「……ある、もう一つだ」

「お聞きいたしましょう」

 親父の元から離れ、兄貴の膝の上に戻る白羽ちゃん。

 その兄貴以上に傲岸不遜な態度に、今はもう苛立ちすら起きない。

 こいつは……白羽ちゃんは、完全にぶっ飛んでる。

「もう一つは、先程の立ち合いともいえぬやり取りだ」

「ふむ。どういう事でしょうか」

「より腕の立つ者が当主となるべき。これは至極当然のこと。しかし先程の不意打ちを不意打ちで返したような立ち合いでは、互いの力を十全に示されたとは言えぬ」

「つまり、梓お姉様と白羽が正式の試合で決着を着ければよろしいのですね?」

「……そうだ」

 親父が厳粛に頷く。


「あは♪」


 その応えに、白羽ちゃんは「我が意を得たり」と言わんばかりの今日一番の笑みを浮かべた。

 そのあまりにも邪気のない笑みに、あたしは背筋がすっと冷えるのを感じた。

「ではこうしましょう!」

 無邪気に太刀を抱えたままパンと手を叩く。

「梓お姉様。白羽に十日間の猶予を下さいませ」

「……は?」

「如何に白羽と言えど、六年間、魂のみの状態で体感三十年近く身動きがとれずにいたので、ブランクは流石に大きいですわ。六年間修業を積んできた梓お姉様にはとてもじゃありませんが勝てる気がしませんの」

「……………………」

 このクソ妹、いけしゃあしゃあと……!

「十日間で白羽も何とかして生前の感覚を取り戻してきます。その間に梓お姉様は――『研磨の儀』と『太刀打ちの儀』、それに『魂抜きの儀』を成し遂げて自身の太刀を完成させて下さい」

「は?」

「そしてその太刀を用いて――」

 笑う。

 最高の白と称された少女が、笑う。


「白羽で『試し斬りの儀』を行ってください」


 その一言に、親父と爺連中、それに死んだ目をしていた兄貴でさえ、ビクリと体を震わせた。

「お、おい白羽……!? お前、それをどこから聞いた……!?」

「さあ、どこでしたっけ。昔々、そちらのオジサマたちが祝宴の場で口に出したのを聞いたのでしたかしら?」

「……っ!」

 親父と兄貴が爺連中の方を睨みつける。

 さっきまで白羽ちゃんの圧倒的な力に盛り上がっていた爺連中は一転して、バツが悪そうに顔を背けた。

「ねえ、父様……『試し斬りの儀』って何? あたし、初めて聞いたんだけど」

「……お前が知る必要は――」

「ありますわよね? 次期当主となる身であればこそ、『瀧宮』の闇についても把握しておく必要があるはずです。六年間も梓お姉様の修業に付き合っておいでながら『試し斬りの儀』について何一つ教えなかったというのであれば、それはお父様が心のどこかで梓お姉様は当主に向いていないとお考えだったからでは?」

「それは……」

「仮にそれは白羽の考えすぎで、単純にお姉様にあの話は時期尚早であるとのお考えでしたら別に問題ありませんわ。それで、お父様? 梓お姉様の『試し斬りの儀』、承認して下さいません? 拒否されるのでしたら、白羽はお父様の所持する太刀を一本残らず引き継いで、即座に当主を襲名いたしますわ。梓お姉様と違い、白羽は既に生前に作った太刀――【浅蔭アサカゲ】をお父様に引き渡しておりますゆえ、襲名の条件はすぐに揃いますわ」

「……………………」

 親父は答えない。

 普段から的確に即決即断する親父にしては珍しい、熟考だった。

「父様。あたし、やってもいいですよ。その『試し斬りの儀』とやら」

「梓……!?」

 気付けば、あたしはそう親父に告げていた。

「それがどんな儀式かは知りませんが、何か聞く限り、白羽ちゃんと試合すればいいのでしょう? だったら好都合です。あたしは十日のうちに太刀を都合して、白羽ちゃんと試合して、それで勝負がついて次期当主の座が決まるなら納得します」

「流石は梓お姉様ですわ! 話が早くて助かります!」

 白羽ちゃんがニコリと笑い、兄貴の膝の上から立ち上がる。そしておもむろに「――納刀」と言霊を紡いで広間に突き刺さったままだった全ての太刀を自身の魂蔵に収める。

「それでは梓お姉様、十日後までごきげんよう。さ、羽黒お兄様、帰りましょう」

「……あ、ああ……」

 ふらふらと立ち上がる兄貴。おぼつかない足取りで踵を返す兄貴の背中に、親父が怒鳴りつける。

「羽黒! その愚娘を説得しろ! いいか! これはお前も望んでおらぬ結果だろう!」

「……………………」

 一度歩みを止めた兄貴。しかし返事をするわけでもなく、やはり今すぐにでも倒れてしまいそうな歩調で、白羽ちゃんに付き添われながらゆっくりと広間から出て行った。

「梓!」

「大丈夫ですよ、父様」

 二人が出ていくと、今度はこっちに檄が飛んできた。

「それに、個人的にも白羽ちゃんとは白黒つけなきゃいけないと思っていましたし」

「梓! お前は……お前は『試し斬りの儀』を知らぬからそのような暢気なことが言えるのだ!」

「だからその『試し斬りの儀』って何なんですか。言っておきますけど、さっきのは白羽ちゃんにも理がありましたし」

「……ならば教えてやる……!」

 苦虫を数十匹噛み締めたような渋い表情で、親父が告げる。

「いいか、『試し斬りの儀』とは――身内同士で行う、本気の殺し合いのことだ。それも当主の跡目争いによる殺し合いを正当化するために作られたような、いわば『瀧宮』の闇だ」



       *  *  *



 今から三百年程前のことである。

 第十二代「瀧宮」当主、瀧宮渡緑(どりょく)という男がいた。

 当主在位期間は、僅か二日だった。


 渡緑はその名の音に反して、才能溢れる陰陽師だった。

 しかし渡緑は生来の残虐性と加虐性から十一代目の判断により、長男であり名に色を関しているにもかかわらず、次期当主の座は与えられなかった。

 代わりに次期当主の座に就いたのは、彼の実弟であった瀧宮水蓮(すいれん)だった。

 これを不服とした渡緑は、夜盗の仕業に見せかけて水蓮と先代を殺害。

 それだけには留まらず、他の三人の実弟と実妹――二歳になったばかりの末の妹ふゆに至るまでその手にかけた。

 これにより、渡緑は当主を襲名することとなった。

 しかし渡緑の悪行は当主襲名二日目にして、先代の弟――渡緑から見て叔父にあたる公亮こうりょうによって露呈。その場で公亮自らの手によって斬り捨てられた。


 今際の際、渡緑は「可愛い弟たちに当主の座は重すぎた。だから殺した」と宣ったそうだが、それは別の話として。


 事態を重く見た公亮は即座に当主代行を襲名し、年寄り衆を招集して話し合った。

 如何に「瀧宮」が古い家柄とて、その当主として二日間だけと言えど親殺しを平然と行う殺人鬼を頭に添えたというのは問題があった。

 また公亮自身も、甥である渡緑を斬り殺してしまった。

 そこで年寄り衆は()()()()()()()()()()()()()()()()、素行に問題のある身内が間違っても当主とならないため、物理的に排除することを目的とした「試し斬りの儀」をでっち上げた。


 以後この「試し斬りの儀」は「瀧宮」の闇として、当主の近縁と一部の年寄り衆にのみ語り継がれてきた。

 実際に「試し斬りの儀」が行われたのは、渡緑と公亮の事例を除くと過去に一例のみ。

 第十八代目当主が襲名の際、当主の実の弟にあたる男が襲名を不服として「試し斬りの儀」を挑み、返り討ちにあった事例のみである。



       *  *  *



「ばーか」

「……………………」

「ぶぅゎぁか」

「……………………」

 市街地から大きく外れた、小京都を彷彿とさせる古き良き街並みの一角。月波市の貴重な観光資源でもあるこの街並みのほぼ中央にどんと鎮座する旅館――「旅籠・風林家」の一室で、あたしは両手両膝、額を畳にこすり付けていた。

 ……いわゆる土下座である。

「『試し斬りの儀』が何かも知らんで受けたんだってな? 馬鹿だ馬鹿だとは前々から思ってたが、本当に馬鹿だな、お嬢」

「……返す言葉もございません……」

 後頭部に罵声を感じながら、あたしはジッと土下座を続けた。

 相手はこの旅館の若旦那にして「瀧宮」の分家の一つ、「大峰」の現当主――大峰(おおみね)昌太郎(しょうたろう)

 かの「最悪」こと実兄・瀧宮羽黒が最盛期の頃、双璧をなしていたと言っても過言ではない、「狂悪」の通り名で畏れられた陰陽師だ。

「で? 何だよお嬢。『試し斬りの儀』まで十日しかないんだろ。こんなところで土下座なんてしてる暇があったら、とっとと『太刀打ちの儀』済ませて当日に備えろよ」

「そのことなんですが……」

 一度あたしは言葉を区切る。

 良いのか?

 本当に良いのか……?

 この人に、頼み事なんてして……。

 相手は守銭奴で有名なショウさん……真奈ちゃんの時も、兄貴から依頼されて最初は渋っていたのに金を積まれたらコロッと協力的になったらしい……後でいくら請求されるか分かったもんじゃない。

 いやしかし、背に腹は代えられない状況……!

「ショウさん!」

「あぁ?」

「あたしに、修業をつけてください! お願いします!」

 ゴリッと畳に額を押し付ける。

「……………………」

 ああ、困惑と侮蔑のこもった視線が超痛い。

「あたし、これまでずっと対妖戦剣術ばかりやってきて、対人戦が疎かになってて……付け焼刃でいいんです。十日後までに白羽ちゃんと互角にやり合えなくても、せめて初手で出し抜ける程度には剣術を身につけておきたくて……!」

「……ん?」

 ショウさんが首を傾げる気配がした。

 恐る恐る顔を上げると、意外そうに物を見る目でこちらに視線を送っていた。

「お前、あの白羽とガチの殺し合いをする羽目になって、それを中止にさせる口添えを頼みに来たんじゃないのか」

「は?」

「オレはてっきり、そういう用件で朝っぱらから押しかけて来たのかと思ったが……なるほど」

 腕組みをし、着物の懐から煙草とライターを取り出して口に咥え、火をつける。それと同時にニヤリと嫌味ったらしく口元を歪めた。

「お前、今日は学園どうするつもりだ」

「……学童の身でありながらこんなことを言うのはアレですけど、今は家のことに集中したいと思っているので」

「サボりか。いいご身分だな」

「……………………」

 反論できない。

 でも今回ばかりは、あたしの人生もかかっている案件だし……。

「ちょっと待ってろ」

「え?」

 スクっと立ち上がり、何やら部屋の片隅の棚を漁り始めるショウさん。何を探しているのだろうと黙ってみていると、すぐに資料の束と足元に重ねられていた小さな作業台を抱えて戻ってきた。

「働かざる者食うべからずってな」

「う……」

 出た。

 一体何を要求されるんだろう……。

「これ、風林家(うち)の雑品に関する領収書の束とこれまでの記録な」

「はあ」

「過去の記録を参考に、品目別に分けて月ごとに集計していってくれ。今日中な」

「え……は!?」

 いやいやいや。

 ちょっと待ってちょっと待って、ちょっと何言ってるか分かんないっすわ!?

「あのコレ……領収書だけで二十センチくらいの厚さがあるんですけど……」

「ここ一年分はあるからな」

「なんでそんなに溜め込んでるんですか!?」

「ついサボってたら」

「若旦那! しっかりしてください!」

「だって今時アナログの帳面に直筆記入だぜ? やってられっかっての。爺共がパソコン分からないからって今でもこれで確認してんだよ」

「まあ、その気持ちは分かりますけど……あの、分かりました、やります。やりますから、せめて電卓を……」

「そんな物はない」

「ふぁ!?」

「オレ、金の単位がつくと二次関数までなら暗算できるし」

「金額を二次関数ってどういうこと!?」

「たっく、いちいちうるせぇな。仕方ねえ、これを使え」

「うわ、木製算盤……しかも五つ珠って……!」

「ないよりマシだろ」

「ないよりマシですけど……」

 ズシリとした重量感がヤバい骨董品レベルのデカい算盤を受け取る。一応領収書の仕分けと金額の合計計算だけだから、これでもなんとかなるけど……。

「んじゃ、頼んだぜ」

「はあ……」

「オレは別件があるから、分からんところはうちの疾風はやてにでも聞いてくれ」

 言うだけ言うと、ショウさんはさっさと部屋から退散していった。

 ……いや、いいんだけどさ……。

 あたしが頼み込んだことだし、何よりもあたしの我が儘に付き合ってもらってるわけだし。

 さて、とショウさんが引っ張ってきた作業台に帳面と領収証の束を置く。改めて見ると領収書すごい束だけど、生徒会で培った雑務処理能力を遺憾なく発揮して何とか……!

 と、思ったところで、

「あ、筆記用具ないじゃん」

 いきなり出鼻を挫かれた。

 いやまあこの帳面と領収書はこの部屋から出現したんだから、筆記用具くらいあるでしょ。しかし他所様の部屋だからどこに何があるか――


「昌太郎様! 今日という今日は逃がしません!」


 スパンッ! と。

 たった今ショウさんが出て行った襖がものっそい勢いで開け放たれ、美しい白い着物をまとい、栗色の髪を腰まで伸ばしてた妙齢の美女が猟犬のような形相で駆け込んできた。

「昌太郎様! 今日こそは領収書の仕分けと帳面への記入をやってもら――っていない!?」

 よく見れば人化が解けかかっているらしく、獣の耳と尻尾だけでなく牙まで露出している。

 大峰家が抱える偵察部隊「狼衆」の頭目にして、先程もショウさん自身の口から名前も出てきた疾風さん……なんだけど、普段の沈着冷静で落ち着き払った彼女がここまで慌てているとは何事かあったのだろうか。

「は、疾風さん……?」

「……!? こ、これは梓お嬢様……! このような時間から当家にどのような御用でしょうか? というか、あの、学園の方は……?」

「……えっと」

 ショウさん、疾風さんに何も伝えないでどこ行ったんだろ。

「っと、そうだ梓お嬢様!」

「は、はい?」

「うちの若旦那見かけませんでしたか?」

「え……ショウさんなら、あたしに帳面の記入を任せた後、別件があるからってどこかに……」


「また逃げられたああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 疾風さんの絶叫が風林家に木霊した。



       *  *  *



「犬神」

 サラサラと時代錯誤な帳面に毛筆で品目を記入しながら、疾風さんはそう呟いた。

「我々犬神は餓死寸前の犬の首を斬り落とし、焼いて骨にして祀ることで誕生します。本来の用途は術者の願望を叶え、その家を繁栄させるというものですね。まあ術者の力量と殺された犬の恨みの深さによっては、逆に術者を取り殺すこともありますが」

 そう言いながら、疾風さんは背筋が凍るような薄ら寒い微笑みを浮かべている。

「……………………」

 やっぱ呪いで生み出された妖怪って怖いわ。

 主に対する忠誠心と殺意が同居してんだもん。

「申し訳ありません、梓お嬢様。このような雑務を手伝わせてしまって……昌太郎様には後で()()()言っておきます」

「は、はは……」

 笑えねえよ。

「しかし、そうですか。本家ではそのようなことに……」

 疾風さんが記入の手を止めずにポロっと呟く。

「あれ、疾風さん知らなかったんですか? 疾風さんいっつもどこから手に入れるのか分からないくらい色んな情報に通じてるのに」

「いえ、昨夜の段階で本家から白羽お嬢様の帰還の通知は来ていたのです。しかし流石に具体的にどういった経緯で試し斬りの儀を行うに至ったのかまでは」

「う……」

 パチパチと算盤を弾く手が止まる。

 まあ、軽率ではあった。

 白羽ちゃんの口車に乗せられて、口八丁手八丁に軽々しく試し斬りの儀を行うことを承諾したあたしは、間違いなく愚か者だ。この軽率さを爺連中から当主不適合として指摘されても、あたし自身は何も言い返せない。

「……ていうか、疾風さん、試し斬りのこと、知ってたんですね」

「ええ、まあ」

「うー……疾風さんも知ってたことを、本家で、一応は次期当主のあたしには伏せられてたっていうのが地味にきます……」

「それは、やはり宗家の時期尚早という判断によるものですよ。梓お嬢様が当主に向いているかどうか、という事ではなく、単純な年齢的な問題です。それに試し斬りを詳しく語ると芋蔓式に他の八百刀流に関する黒歴史も出てきますからね。羽黒様が去り、白羽お嬢様もお亡くなりになった――とされていた中、ゆっくりと当主としての素養を培っていってもらおうという宗家のご意向だと思いますよ」

「はあ。……でもやっぱりなんか納得いかない」

「ふむ、そう言われましても、八百刀流の裏事情に明るいのは『大峰』の務めでもあります故」

「へ? 何それ知らない」

「……………………」

 ふいと顔を上げた疾風さんと目が合った。

「……梓お嬢様」

「……はい」

「もしかして、各分家が担っている八百刀流としての役目も……ご存知ない?」

「……………………」

「……………………」

 気まずい。

 超気まずい。

「……はあ。宗家は何をお考えなのでしょう」

「うぅ……本当にあたし、次期当主として教養がなさすぎる……対妖戦術ばっかりじゃん」

「ああ、いえ、今一つ思い当たることが。梓お嬢様は当主となる『しきたり』の一つである色を名に冠しておりません。それを今回の年寄り衆のような面々からとやかく言われぬよう、先に当主襲名の条件を満たすことを優先していたのではないでしょうか」

「そうなのかな……」

「そうですよ。現に梓お嬢様はかなりの数の太刀を宗家から受け継いでいるではありませんか。今回の件がなかったら、次代は梓お嬢様となっていたのは宗家が保証していたのですから」

 まあ、その保証も白羽ちゃんの帰還とあたしの失言によってかなり怪しいものとなっているのだが。

 珍しくあたしネガティブ~♪

「まあ話を聞く限り」

 そう前置きし、記入作業に戻りながら疾風さんがフォローを入れてくれる。その言葉を聞きながら、あたしも算盤を弾いてリストの計算を再開する。

「今回の件は明らかに、大義は梓お嬢様にあります。家出娘が急に帰ってきて横暴にも遺産相続に介入してきたようなものです」

「遺産相続って」

 仮にも自分が仕える一族の本家事情の例えに使う言葉じゃない気がする。というか親父死んでないし。多分あと四十年は固いぞ。

「ですので、不肖この犬神疾風、今回の件に関しては梓お嬢様の肩を持ちましょう。発言権の類は皆無ですが、何か聞きたいことがおありでしたら何なりとどうぞ」

「はは……そりゃ心強いです」

「そうでしょうとも」

 疾風さんは小さく笑い、そしてこう続けた。


「何せ『試し斬りの儀』は、この疾風が最初にお仕えした公亮様も関与しております事案ですので」


「……………………」

 再び算盤を弾く手が止まった。

 あたしが知らなかった試し斬りの儀を知っているというか、当事者だった。



       *  *  *



「まず『瀧宮』から分家として別れたのは『穂波』でした。

 別に仲違いとか一族のいざこざとか、そういう話ではありません。

 流石にこの疾風も、『穂波』が分家として成立した頃はこの世に存在すらしていなかったのであくまで伝聞ですが、何でも土地神・焔御前(ホムラゴゼン)との約定であったらしいです。

 当時からこの月波の地は人妖入り混じる特殊な土地だったそうですが、ある年の記録的な大飢饉により人も妖怪もバタバタと死んでいき、土地も枯れ、信仰も薄れていったのだそうです。

 ところで梓お嬢様、土地神たる焔御前を殺す簡単な方法をご存知ですか?

 簡単です。拝まなければよいのです。

 神は人間の信仰によって神として成り立ちます。

 故に当時の焔御前は相当衰弱していたらしいのです。大陸の王朝を滅ぼした大妖もざまぁありませんね。

 え? 嫌いですよ? 疾風は狐が大嫌いです。犬ですから。

 まあそれはともかく、そんな衰弱していた焔御前を頼って、京の都から落ち延びてきたのが、後に八百刀流の開祖となる『瀧宮』と名乗る陰陽師と澪ノ守(ミオノカミ)――ご存知、ミオ様です。

 彼女は――ええ、彼女です。ミオ様のことではないです。八百刀流の開祖は女性陰陽師です。この辺のことは、またおいおい機会があれば。ともかく、彼女は自分の祖先と所縁のあった焔御前を頼り、焔御前も『瀧宮』とミオ様を月波に逗留させる代わりに、二つの条件を出しました。

 一つは陰陽師の本懐……まあ、いわゆる薬師ですね。薬師として可能な限り、人妖分け隔てなく、月波の民を救う事。もう一つは、『瀧宮』の次代を分家させ、土地神・焔御前に仕えさせること。再び自然の驚異によって民が苦しめられた時、陰陽道の知識がある者が宮司であったら色々と便利ですからね。

 まあもうお分かりでしょうが、この『瀧宮』の次代で分家したのが『穂波』です。

 ……おや、『穂波』の話だけで思ったより長くなりましたね。失敬、巻きで行きましょう。記帳が終わらなければ元も子もありませんからね。

 続いて、最初に月波の地に落ち延びた初代から数えて八代目に分家したのが『兼山』です。

 これは『穂波』の時のような事情はありません。単なる術式の方向性の違いらしいです。空間制御の術式に秀で、刀剣の扱いに長けていた『瀧宮』とは違い、『兼山』の初代は己の肉体一つで怪異を封じることを得意としていたそうです。つまりは肉体の強化術によるレベルを上げて物理で殴るというやつです。まあ両名とも基本的に脳筋であることは変わりなかったので特に仲違いもせず、すっぱりさっぱり分家したらしいですよ。現在でも初代の術式が刺青として受け継がれているのは、梓お嬢様もご存知でしょう。

 そして問題なのが十三代目に分家した、我らが『大峰』です。

 十二代目渡緑については? ああ、ある程度お聞きなさっていますか。では『試し斬りの儀』の経緯については省略します。

 渡緑亡き後、当主代行となった公亮様は大義名分の捏造等の事後処理を終え、自ら絶縁状をしたため、十三代目となり青嵐せいらんと改名した従兄弟に託しました。しかし公亮様の堅実さを幼き頃からご存知であった青嵐様は受諾を渋ったのです。公亮様が『瀧宮』……いえ、八百刀流から離れて隠居するには惜しい人物だと分かっていたためです。

 そこで青嵐様は公亮様に代案を持ちかけました。

 それは公亮様を当主として新たに分家を作るという事でした。

 青嵐様はこう仰いました――いつまた渡緑のような男が『瀧宮』から生まれるか分からない。故に、公亮とその子孫には我ら『瀧宮』を助け、また監視者としての役目を担ってもらいたい。我らの子孫が再び過ちを犯した時、律する役目を担ってもらいたい。

 ……公亮様も、『瀧宮』――八百刀流を憂う気持ちに変わりはありませんでした。公亮様は青嵐様の申し入れを受け入れ、ここに『大峰』の一族が誕生したのです。

 そして公亮様を始め、『大峰』は青嵐様の意志に報いるべく、『瀧宮』の本流とは全く異なる術式を積極的に取り入れるようになりました。

 既に刀剣による妖怪の滅殺を目的とした瀧宮流の陰陽術は確立していたため、その補助をするべく、瀧宮流がこれまで不要として捨ててきた探知・探査の術を進化させました。更にこの疾風のような、本来は陰陽道からは外れている呪術も取得して『瀧宮』にある程度の影響力を及ぼすことが可能な力も付けました。

 全ては公亮様と青嵐様の背中合わせの信頼があってこそ……!

 素晴らしい!

 男と男の友情!

 嗚呼! なんと甘美な響き……!

 ……………………。

 ……………………。

 ……………………。

 失礼しました。

 何分、公亮様について語るのは久方ぶりでしたので、興奮しました。忘れてください。

 え? 続き?

 ああ、いえ……実は、これでこの疾風が知っていることは全てでございます。『隈武』については何かないのか? 申し訳ありません、『隈武』については、疾風も詳しくは知らないのです。

 強いて言うのであれば、『隈武』は『瀧宮』からではなく、『穂波』から分かれた一族であること。分かれた後、陰陽術に関する役割は専ら『隈武』が引き受け、『穂波』は焔御前の世話役以外は基本放任されていること。分家の際、焔御前が自身の矜持に反してまで口出ししてきたこと……くらいです。流石に土地神が自ら関与してきた案件ですので、数少ない関係者一同全員口が堅く、詳しいことは分からずじまいでした。

 さて。

 長くなりましたが、『瀧宮』とそこから分かれた『分家』の役割の説明は以上です。

 もっと詳しことは、当主を襲名した暁に宗家から直接聞き出してください」



       *  *  *



 ショウさんが帰ってきたのは、すっかり日も傾いた午後五時を過ぎてからだった。その時には疾風さんの手伝いもあり、領収書の仕分けも帳面への記入作業も終了し、疾風さんが淹れてくれたお茶を飲んで一息ついていた。

「……疾風、手伝ったのか」

「散々この仕事から逃げ回っていた主の尻拭いをしただけです。それに昌太郎様は『分からないことは疾風に聞け』と仰ったそうですが、別段手助けを禁じていたわけではないのでしょう。契約の確認不足ですね」

「それ言ったらお前、オレも帳面に記入しろと言っただけで、オレが何か対価を払うとは一言も――」

「おっとそういう態度に出ますか。では今月の煙草代は倹約対象として削減させていただきます」

「何でお前、今日はお嬢の肩持つんだよ!? まあ待て。対価を払わないとも言っていないだろ。お嬢の要望を受け入れよう」

 そんなやり取りを経て、あたしはショウさんに修行をつけてもらえることとなった。

 てかあたしの修業ってショウさんの煙草代をどうこうするより安いのかよ。

 納得がいかない。

「その前に、だ。お嬢」

「はい?」

 神妙な面持ちで、煙草に火をつけながらショウさんが尋ねてくる。

「お前、実の妹と殺し合うことに関してはどう思ってる」

「嫌に決まってます」

 即答だった。

「じゃあ何で素直に『試し斬りの儀』をすることにしたんだよ。オレはどーもそこが気になってんだ。今回の件、どう考えても大義はお嬢の方にあるだろ。白羽は明らかにポッと湧いてきた異分子なんだからよ。お前が頼み込めば宗家も一族に働きかけて取り止めにだってできたはずだ」

「まあ、そうなんですけどね」

 疾風さんの淹れてくれたお茶を一口飲み、乾いた口内を潤す。

「でもだからと言って、白羽ちゃんに次期当主の座を簡単に譲るのも、なんかムカつくので『太刀打ちの儀』は受けます」

「……ふーん」

「それに、あのクソ兄貴が原因とは言え、六年間もほっつき歩いてようやく帰ってきて、あの態度は姉として超腹が立つので、やっぱりいっぺん殺し合うつもりの喧嘩もしたいですし」

「……かははっ」

 笑って、ショウさんは紫煙を吐く。

「何だお嬢、お前、本当にオレに修行つけにもらいに来ただけなんだな」

「……さっきから、そう言ってますが」

「いやいや、オレが思っていたより()()()()が強いらしいと感心しただけだ」

「あたしの方……?」

「ああ。どうやらクロの方は……いや、それはいいか」

「……?」

 兄貴が何かしたんだろうか。

「ところでお嬢」

「はい?」

「何で修行相手にオレを選んだ? ミサなら普段からガキども相手に武道教えてんだから、そっちの方が正解な気もするぜ?」

「それも考えたんですけど」

 ショウさんと同じく、「瀧宮」の分家「兼山」当主の美郷みさとさん――ミサちゃんに頼るという事も、もちろん選択肢にはあった。だけど、あたしは迷いなくショウさんの方を選んだ。

「相手はあの白羽ちゃんです。そして白羽ちゃんに対人剣術を教えたのは、あのクソ兄貴だったはず」

「ああ、そうだな」

「そしてあの兄貴と互角に戦えるのは、あたしの記憶だとショウさんしかいなかったので」

「……なるほど」

 幼い頃から兄貴に剣術を教わっていた白羽ちゃんの太刀筋は、少なからず兄貴のソレと似かよっているのは記憶にある。だからこそ、兄貴と幾度となく衝突してその癖を熟知しているショウさんに教えを乞うのは、まあ遠回りだが、妥当な判断だったと思う。

 一番の近道は瀧宮羽黒本人から剣術指南してもらうのが手っ取り早いのだが、あのクソ兄貴に今更指導してもらうのは真っ平ごめんだ。

「んじゃ、お嬢。早速行くか」

 まだ火の残っている煙草を灰皿に押し当て、ショウさんが立ち上がる。それに続いてあたしも立ち上がろうとしたが、疾風さんからストップがかかった。

「え。昌太郎様、今からですか?」

「当たり前だろ。あと十日しかないうちの一日がもう終わるんだぜ? さっさと始めるべきだ。時は金なりっつってな」

「それもそうですが、昌太郎様。昌太郎様が今日やるはずだった仕事が完全に手付かずなんですが」

「は? いや、記帳は全部終わって――」

「これは今日までの積み重ねにより溜まっていたものです。昌太郎様の本日のノルマは別にあります」

「……………………」

「それに実際に昌太郎様が指導なさるのはもう少し先の予定なのでしょう? まずは基本からというのが昌太郎様のお考えのはず」

「な、何故それを……!」

「昌太郎様の着物から僅かながらに汗と畳と木張りの床の匂いが。これは兼山道場に行った帰りだからですかね。梓お嬢様の基礎鍛錬は美郷様にお任せになる手筈であると予想しますが、疾風の考えに何か間違いはありますか?」

「……………………」

 ショウさんが沈黙して目をそらす。

 なんか、全盛期の兄貴と双璧をなしていたとは思えない狼狽ぶりだなあ……。

「昌太郎様。昌太郎様を産湯につけて以来二十七年、この疾風、片時も昌太郎様の元を離れず()()()()()きました。そんな疾風が、貴方様の考えを読めないとでも?」

「か……はは……」

「何ですかその姿勢は。今更土下座をしたって許すわけないでしょう。ただでさえ本家のお嬢様を学園を休ませて副業の雑務としてこき使ったというだけで、バレたら大事なのですよ? その辺のことを分かっ――」

「あ、あの、疾風さん?」

 流石に、土下座した上に疾風さんに頭を高速で撫で回されているショウさんを見るのが辛くなってきて口を挟む。しかし疾風さんがギョロリとした猟犬のような目つきでこちらを見据えてきて、喉の奥から「ひっ」と変な声が出かけた。

「あら梓お嬢様。申し訳ありません、お見苦しいところを。この疾風、もうしばらく昌太郎様のお説教をした後に今日の仕事が終わるまで監視しなければならないので、先に兼山道場の方へお願いします。昌太郎様はそれが終わってから向かわせますので、どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ。もうそろそろ暗くなるので一応うちの若い者をお連れ下さいな」

「あ、いえ……ここからならバス使えばすぐなので……! じゃあ、お邪魔しました! ショウさんこれからお願いします!」

 疾風さんに土下座をし続けるショウさんに軽く頭を下げ、簡単に私物をまとめて風林家を飛び出した。……あたしが退出してすぐ、ショウさんの悲鳴が聞こえてきた気がするけど、気のせいという事にしてくれ。


 本日の教訓。

 幼い頃から面倒を見てきた妖怪(しかも呪術系)には絶対に勝てない。




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