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だい ごじゅう わ ~迷い家~




 九月六日。

 衝撃的だった瀧宮たつみや白羽しらはの帰還の知らせより三日が経った。

 僕と朝倉あさくらは放課後、四日の早朝に「心配するな」というメールが来てから一切の連絡がつかないあすざの行方を捜して歩き回っていた。

「その……ユッくん」

「何?」

「わたしもまだちゃんと理解できてないんだけど……その、白羽……さん? って、確か……」

「瀧宮白羽。六年前、羽黒はくろさんに殺されたはずの、瀧宮三兄妹の末っ子。……なんだけど、朝倉、大丈夫。僕もまだちゃんと理解できてない。それをこの目で確かめるのも目的の一つだ」

「……うん」

 三日前の夜遅く、僕と姉さんを含む八百刀流関係者全員に回された伝令用の式神に記された内容に、僕は最初何かの間違いだろうと思っていた。

 だが瀧宮家当主である紅鉄あかがねさんの名前で回されていたため誤報ではないと判断し、それでは、これまでお盆の時期になってもこの世に戻ってくることはなかった白羽ちゃんの霊が、季節外れの帰宅をしたのだろうと思った。

 そんな感じの議論を姉さんとしていたが、幽霊云々の話題になった辺りで怖がって自室に撤退してしまった。結局事の真相は見えてこないまま、とりあえず梓にメールを打った。怖がって眠れなくなったとベソをかく姉さんを自分の部屋に追い返しながら返事を待つも、ケータイは僕が眠りにつくまで全くの無反応だった。

 で、翌朝。

 僕のメールに対する返事ではない、しばらく休むが心配するなという内容のメールが梓本人から送られてきていた。

 阿呆、お前を放置したら何しでかすか分からんだろうが。

「あのメールから二日間月波市を探し回ったけど、全然手がかりすら見つからねえ……」

「お家の様子はどうだった……?」

「そっちもダメ。ていうか入れなかった。瀧宮家関係者が集まって会議してるらしくて、分家の僕も立ち入り禁止って追い返された。使用人の人に聞いたけど、帰って来てないのは確実」

「じゃあどこを探すの……? 梓ちゃんが行きそうなところは全部探したし、目撃情報もないし……」

「うん。だから、今日はまず梓が行きそうにない場所から回ってみることにする」

「え……?」

「行きそうにないって言うか、真っ先に行くべきだった場所かな。僕らも慌ててたから見落としてたよ」

 僕は朝倉を連れだって歩き、あの場所を目指す。

 学園前の通りから少し外れた商店街……からも、少しだけずれたところ。

「ここって……」

 朝倉もどこに向かっているのか察したのだろう。

「雑貨屋WING……羽黒さんの根城だ」

「うわ……絶対に梓ちゃんいなそう……」

「でも手掛かりはあるだろ」

 何てったって、白羽ちゃんを殺したはずの張本人だ。

 そして梓が行方不明ってことは、無関係なはずがない。

「問題は、ここ数日ずっと臨時休業の張り紙を出しているらしく、ついでにここの住人でもあるもみじさんも学園に来ていないということだ」

「……絶対何かあったね」

「むしろなんで今までここ調べに来なかったんだって話だよな」

 話しているうちに、見覚えのある黒塗りの建物が見えてきた。

 看板には白抜きで「WING」と店名が書かれており、前情報通り扉には本日閉店の張り紙が出ていた。

「鍵は……当然のように締まってるな」

「どうしようっか……? 裏口から入れな――」

「――小銃、コード【BM92‐1‐B】」

「って、え……!?」

 言霊を紡ぎ手元にバレッタを具現化させ、鍵穴に銃口を向ける。

「ちょ、まっ……!」

 そして躊躇せず引き金を引く。


 ――ダンッ!


 鍵穴が砕け散り、扉が開閉可能になった。

「ユッくん……!?」

「いや、今まで羽黒さんがやって来た事を考えたらこれくらいやっても別にいいかなーって」

「毒されてる毒されてる……!」

「まあいいや。お邪魔しまーす(ばんっ!)」

「足で開けないで……!?」

「ぎゃふんっ!?」

「「……………………」」

 今何か小動物蹴っちゃった時みたいな悲鳴が聞こえた気が……。

 いやな予感がして、恐る恐る開いた扉の反対側を覗いてみる。

「いったぁ……一体何なんですの何なんですの!?」

「あ……」

 そこに、いた。

 純白の髪の毛をポニーテールに結わえ、髪と同じく白いシャツとデニムのショートパンツ、サンダル姿十歳にも満たないような少女が尻もちをついている。

「もう! いきなり凄い音がしたと思ったら鍵壊れてるし! 扉はいきなり開いておでこぶつけるし! 本当に何なんですのー!!」

「あ、えっと……」

「貴方ですの!? 鍵壊して白羽の可愛いおでこに傷をつけてくれた不届きも……の……は……?」

「あー……………………もしかしなくても……白羽ちゃん?」

「ゆ……ユー兄様……!?」

 僕の最後の記憶と寸分違わない姿の白い少女は僕と目が合うとポカンと呆けた表情になり、すぐに顔を真っ赤にしてドタドタと慌ただしく店の奥の居住スペースに駆け戻って行った。

「もみじー! もみじぃーっ!! お茶! 冷たいお茶をユー兄様にお出ししてーっ!!」

「あ」

 そう叫びながらダカダカと激しい足音が階段を駆け上り、すぐにダカダカと足音が戻ってきた。……一目で上等な物だと分かる上品な白いワンピースに着替えて。

「ユー兄様お久しゅうございますですわ。ささ、上がってくださいまし。お互い積もる話もあるでしょうし!」

「あー……うん」

 上品な仕草で僕らを居住スペースに招き入れる白羽ちゃん。

 顔を赤らめながら会話をする癖といい、この背伸びな態度といい、僕の中の彼女と全く同じだ。実際にこの目で確かめるまでは信じられなかったけど……この子は間違いなく、あの白羽ちゃんだ。

 でも……。

「ユッくん……?」

「あ、ごめん……ちょっと、動揺した」

 背筋をジトッと変な汗が流れるのを感じた。

 死んだはずの人間が目の前に現れるという現象は、月波市では稀にあることだが……霊体ではなく生身の姿で現れると……流石に、来るものがある。

「ユー兄様? どうされました?」

「ううん……何でもない」

 まるで何でもないように振る舞う白羽ちゃん。

 でもゴメン……君がこうして目の前であの日のように笑っている光景を、何度夢見てきたか分からないのに……素直に受け入れられない自分もいる。

 白羽ちゃんに案内されて居間に向かうと、長い黒髪を一つ結びにしたもみじさんがコップに麦茶を注いでいる所だった。

「ユウさん、真奈まなさん。いらっしゃいませ」

「お邪魔します」

「お、お邪魔します……」

 既にお茶と座布団が用意されている所に僕と朝倉が並んで座る。すると当然のように僕のそばにくっついていた白羽ちゃんが朝倉の反対側に腰を下ろし、なんか妙に不機嫌そうな表情で朝倉の方を睨み付けた。

「……貴女、誰ですの?」

「え、今気付いたのか」

 久々に会ったからってテンション上がり過ぎじゃないかな? ずっと僕の隣にいたけど。

「あ、えっと……」

「まさか……まさか! 貴女、ユー兄様のここここ、恋人とか言いませんわよね!?」

「ひっ……!?」

 気持ち一歩身を引く朝倉。

 表情が恐怖で引きつっている。

「ゆ、ユッくん! この子本当に梓ちゃんと羽黒さんの妹だよ……! 殺気がすごいそっくり……!!」

「殺気の質で判断すんな。朝倉、大丈夫大丈夫。白羽ちゃんは初対面の女子にはいつもこうだから」

「いつも……!?」

 ああ、そう言えばそうだった。

 この子はいつも同性に対して敵意剥き出しのファーストコンタクトを取るもんだから、同性の友達が極端に少なかったっけ……。

「大丈夫ですよ白羽さん。彼女は朝倉真奈さん。あなたのお姉さんのお友達です」

「わ、わたしはユッくんの恋人ではないです……!」

「あらそうですの。姉がいつもお世話になっていますわ」

「あ……うん、こちらこそ……」

 警戒を解くと手のひらを返したように丁寧な態度になり、可愛らしい笑みを浮かべるのもいつも通り。

「確かにユー兄様お相手にしては若干地味ですわね」

「……………………」

 あ、珍しく朝倉がイラッとした。

「ユッくん……?」

「大丈夫、すぐに慣れる」

 天使なクソ生意気。

 昔々うちの姉さんが白羽ちゃんをそう評したことがあったっけ。

「では、何よりもまず、ユー兄様」

 白羽ちゃんが居住まいを正し両手を床にそっとつける。

 そして教養を感じさせる美しい姿勢で頭を下げた。

「報告が遅くなって申し訳ありませんですわ。瀧宮白羽、先日月波市に戻って参りましたわ」

「あ……うん」

 僕は曖昧に頷く。

 曖昧にしか、応えられなかった。

「まあ正確には、羽黒お兄様と一緒にこの街には戻ってきていたんですの。自由に身動きが取れるようになったのが五日前という話ですわ」

「五日前……そうだ、そもそも白羽ちゃん、君は一体どうやって……」

 僕は六年前、葬儀で確かに白羽ちゃんの遺体を確認している。

 棺の中で、まるで生きているかのような綺麗な表情で眠っているのを僕は――

()()()()()()()()()()()()……?」

「流石はユー兄様ですわ。察しがよろしくて助かりますですわ」

 ニコリと笑う白羽ちゃん。

 そして右手を前に突き出し、おもむろに言霊を紡ぐ。

「――抜刀、【白羽シラハ】」

「「……!」」

 言霊に呼応して白羽ちゃんの手の平に具現化された太刀に、僕と朝倉が息を呑む。

 僕はそれをかつて一度だけ見たことがあるし、朝倉はそれに貫かれたのを身で覚えているらしい。

 切っ先から鍔、柄まで天使の羽根のような純白一色。

 兄の羽黒さんが持つ龍殺しの大太刀、【龍堕リュウオトシ】とは真逆の色合いの、美しい太刀だった。

「あ、そう言えば思い出しましたわ」

 白羽ちゃんがふと朝倉の方を見る。

「真奈さんと仰いました? 貴女、白羽に一度斬られたことがおありですわよね? 正確には貴女に憑いていた悪魔との繋がりだそうですが。白羽はよく知りませんが」

「……………………」

「ああ……そういうことか……」

 白羽ちゃんのその一言に、僕は全てを察した。

 白羽ちゃんはあの日、正確には死んでいなかったのだ。

「羽黒お兄様の無銘の太刀に貫かれて、白羽の魂は太刀に封じられましたの。でも肉体の方はまだ生きていた。……時間の問題ではあったでしょうけども」

「現に葬儀の時には、肉体は完全に死んでいたわけだ。でも魂を無理やり引き剥がされた状態で死んだから、妙に血色のいい死体が出来上がっていたと……」

「まあ、そんな感じですわ。裏返せば、羽黒お兄様から太刀を回収して白羽の肉体に戻すことができたら、白羽は普通に生き返っていたと思いますわ。それに羽黒お兄様が気付いた時には、白羽の体はとっくに機能停止してお骨になって先祖代々のお墓の中だったので、羽黒お兄様がこの新しい体をしつらえてくださいましたの」

「なるほど……」

「全く、それにしても本家の人間も誰一人として気付かなかったとか、大爆笑ですわ。まあ羽黒お兄様が廃人同然になってろくに説明できる状態ではなかったから仕方がないですが、爺連中もこれまでですわね」

 襲名したら真っ先に引導を渡して叩き出してやりますわ、と。

 白羽ちゃんは笑った。

「襲名……?」

「そうだユーお兄様!」

 と。

 白羽ちゃんが思い出したようにこちらに向き直った。

「ユーお兄様、何かこの白羽にご用があったのではありませんの!?」

「え、いや、別に白羽ちゃんに用事があったわけじゃ……」

「……………………」

「うそうそ、白羽ちゃんに用事があったんだったー」

 涙ぐみながら太刀を握りしめないでほしい。怖いわ。

「白羽ちゃん、梓がどこにいるか知らない?」

「え? 梓お姉様ですの?」

「うん。三日前から連絡が取れないし、学園にも来てないんだ。タイミング的に白羽ちゃん関係で何かがあったと思って、羽黒さんに確かめにここに来たんだけど……」

 と、ここまで言って口が滑ったと少し焦った。

 このセリフだと白羽ちゃんに会いに来たってわけじゃないってバレて白羽ちゃんが不機嫌になってしまう。

 不機嫌になった白羽ちゃんは姉同様、何をしでかすか分かったもんじゃない。

「……………………」

「……白羽ちゃん?」

 しかし、白羽ちゃんは無反応で、しばし考えるような素振りを見せた。

 そして。

「へえ……梓お姉様……頑張っているようですわね」

 と、ニコリと笑った。

 その笑みは、何か企んでいる時の羽黒さんと、戦闘中の梓の笑みを足して二乗したような、身の毛も弥立つ物だった。

「瀧宮白羽!! 下にいたのか!」

 玄関の方から何やら声が聞こえてきた。

 そちらの方を見ると、ダボダボの白衣に身を包んだ見覚えのない少年が仁王立ちしていた。

「え、誰」

「げ! 工藤くどう快斗かいと!」

 と、白羽ちゃんが生前(?)でもそうそう見ることのなかった凄まじいく嫌そうな表情で身構えた。

「夕方の検診の時間だ! 時間になっても来ないから部屋まで行ってみたらもぬけの殻だし、さっさと来い!」

「はあ!? 貴方、白羽の部屋に無断に入ったんですの!? 信じられない! 信じられませんわ!!」

「嫌なら時間通りに行動しろ。いちいちこの俺の手を煩わせるな」

「ちょ、襟掴まないでくださいまし! おやめなさい! はな、やめ……やめろおおおおおぉぉぉぉっ! 脱げる! ワンピース脱げる!! ああユー兄様見ないでえええええぇぇぇぇぇっ!」

「うるさいクソガキだな」

「クソガキに言われたくねえよ離せ!! あと白羽は十四歳だからテメエより年上だ!」

「口調が崩れているぞ、君。あと八歳で肉体が死んで精神もそこでストップがかかっているから君は正真正銘八歳だ。それに合わせて成長させたホムンクルスに魂ぶち込んでいるから見た目も八歳相応だ」 

「むきぃぃぃぃぃぃっ! 何で羽黒お兄様は白羽の新しい体を十四歳の大人体型にしてくれなかったんですの!?」

「十四歳が大人という考え方がすでに子供だな。中等部二年なんてまだまだ子供だろう。そんなことよりもさっさと歩け」

「だから離せって言ってんだろ!! この変態! マジで脱げる! 白羽の下着や裸を見る気か変態!」

「君、将来的に子供のお医者さんごっこに卑猥な意味を見出すタイプの人間だな。言っておくが、この俺は一学者として君を扱っているから君の裸を見たところで何も思わん。というか、君の体を作ったのはこの俺なのだからそんなもん見飽きた」

「へんたああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」

 白羽ちゃんのそんな絶叫を最後に、二人は部屋から出て行った。

 出て行ったというか、引き摺り出されたというか……朝倉はポカンと見ているだけだったし、もみじさんはのほほんと麦茶を飲んでいた。

「あ、お代わりいります?」

「……いただきます」

 もみじさんが差し出してきた麦茶ポットにグラスを差出し、コポコポと注いでもらった。



       *  *  *



「残念ながら、私も梓さんの居所は見当もつきません」

 ここに来た理由をもみじさんに告げると、あっさりと目的は達成された。

「私も白羽さんの面倒を見るためにここ最近は学園に行っていませんでしたからね。梓さんが音信不通だったということも今初めて知ったくらいです」

「へえ……意外ですね」

 てっきり梓はもみじさんにもあのメールを送っている物だと思っていたが。

「今は非常なデリケートな時でしょうからね……白羽さん……というか、羽黒と関係のある私とも、なるべく関わり合いになりたくないのでしょう」

「そんなに……」

 そんなに、追い詰められているのか。

 ……でも少しおかしい気もする。

「白羽ちゃんの帰還というのは、確かになかなかショッキングな出来事ですし、それに羽黒さんが一枚噛んでいるのも理解しました。でも梓は……それくらいで行方をくらますほど、弱くない」

 そうなると、やはり羽黒さん、もしくは白羽ちゃんが追加で何かやらかしたと考えるのが普通だ。

 そして先程の白羽ちゃんの笑みを思い出すに、やらかしてくれたのは――白羽ちゃん。

「もみじさん、羽黒さんか白羽さんから何があったのか、聞いていませんか……?」

「残念ながら。白羽さんはあの通りですので何を聞いてもはぐらかされます。それに羽黒は……」

「そう言えば、羽黒さんは?」

 あの人の放浪癖はいつもの事だけど、白羽ちゃんを残してほっつき歩くとは考えにくいのだが。そもそも、もみじさんが学園を休んで白羽ちゃんの世話をしているのがおかしいのだ。これは本来、羽黒さんの役目のはず。

「羽黒は……実は羽黒も、行方不明で音信不通なんです」

「「え?」」

 僕たちは驚いて素っ頓狂な声を上げた。

 それは羽黒さんが行方不明で音信不通ということにではない。

 もみじさんがそれを是と受け止め、放置していることだ。

 このヒトならば、羽黒さんがいなくなったら地獄の底まで追いかけそうなものなんだけど……。

「いえ、私も探しはしたんです。ですが白羽さんのことを羽黒本人から任されてしまったので、あまり時間が割けなくて。それに行先は分かるのですが、どこにあるのか分からなくて……」

「行先は分かる?」

「でもどこにあるか分からないって……?」

 朝倉と一緒に首をひねる。

 どういうこっちゃ。

「最後に見かけたのは昨日の朝です。羽黒がフラッとどこかへ出かけようとしていたので行先を聞いたら『迷子に行ってくる』とか何とか。……羽黒、白羽さんを瀧宮本家に連れて行ってからお酒ばかり飲んでいたので、多分どこかの居酒屋なんでしょうけれど、月波市のどこにもそんな名前のお店が無くて、ついでに何故か羽黒との繋がりも辿れなくて手詰まりなんです。……誰かに迷惑をかけてないといいんですが」

「……………………」

 僕は、もみじさんに注いでもらった麦茶を一気に飲み干した。

 何となく、事態が掴めてきた。

 そしてやはり確認のため、羽黒さんにも話を聞かないといけないようだ。

「朝倉、行くぞ」

「あ……うん」

 もみじさんにグラスを返して立ち上がり、玄関に向かう。

「ユウさん」

「はい」

 声をかけられる。

「羽黒を見かけたら、早く帰って来るようにと伝えてください」

「はい」

「あと今夜の夕飯は白羽さんのリクエストでハンバーグだとも」

「……はい」



       *  *  *



「迷い家」

 夜七時を回って流石に薄暗くなってきた路地裏を、朝倉を案内しながら語った。

「行き倒れそうになるほど疲れ切った旅人が山中を歩いていると、ひっそりと佇む大きなお屋敷を見つけた。鍵は開いており、入ってみると中には誰もおらず、ただ人を招く用意がなされているだけだという。その屋敷では旅人の望む物が望むだけ現れ、旅人は飢え死にせずに済んだ。この奇妙な出来事を皆にも伝えたいと綺麗な椀を一つだけ持ち帰った。すると旅人は妻と子宝、さらには富にも恵まれた。このことを村の者に伝えると、ある者が『椀一つでそれほどの幸福が訪れたのであれば、もっとたくさんの椀を持ち帰ればより富に恵まれるに違いない』と、旅人が見たというお屋敷を探しに喜び勇んで出かけて行った。方々の体でようやくお屋敷を見つけるも、村人が望む物は何一つ現れず、小汚いひび割れた椀をようやくひとつ探し出して持ち帰るも、生活は何一つこれまでと変わらなかったという」

 一息ついて、これを以て迷い家の怪と申します、と締めくくった。

「……凄い詳しいね」

「まあね。小さい頃からうちの爺さんに聞かされた昔話だから、いつの間にか暗唱できるようになった」

 これはお化けとかそういう話とは少し違うから、姉さんも大人しく聞ける珍しい怪談だった。だから僕は何度も何度も爺さんにこの話をするようねだったのだけれども、こんなことを言うと姉さんが調子に乗るから絶対に言わない。

「それに、爺さんにとっても、迷い家は思い入れのある怪談だったらしいし」

「そうなの……?」

「うん。だからこそ、僕は出来るだけあの店には行きたくなかったんだけど……事態が事態だ、仕方がない」

 それに今日があの日だと決まったわけじゃない。

 でもなーんかイヤーな予感がするから、今日はあの日なんだろうなあ……。

「さて、そろそろだ」

 この辺りの街並みに反して不自然なほど複雑に入り組んだ路地を通り抜け、ようやく見覚えのある一本の細長い道に出た。

 その先には大きな赤提燈を掲げる小さな居酒屋があった。

「アレが『居酒屋迷子』……知る人ぞ知る、月波市の隠れた名店」

「……何でユッくんが知ってるの」

「昔爺さんに何度も連れてこられたからね」

 最後にここを訪れたのはいつだったかほとんど覚えていないのに、よく道順覚えてたな僕……。

 扉に手をかけ、静かに開けて暖簾をくぐる。

 まず最初に目に入るのは、酒と煙草の煙が染みついてくすんだ板張りの壁。そして無数に張り付けられたメニューの張り紙。

 席は六人掛けの決して広くはないカウンターに、その奥に二人掛けの小さなテーブルが()()()()()()()()()()()()()

「何この空間……」

 朝倉がその異様な光景に嘆息しているが、僕はそんなことよりもカウンターに腰掛ける面子に「うわ」と小さく呻いてしまった。

「ちっ。おい不良少年。こんな時間に女の子連れて居酒屋来るたぁいい度胸だね」

「おやまあ珍しい」

「ありゃりゃ」

 口に咥えていた煙草を灰皿に押し付ける目付きの悪い中年女性。

 ビールジョッキを口につける雪のように白い髪と着物の妙齢の女性。

 コーラと思しき飲み物をストローで飲むパーカーに短パンというラフな格好のサイドテールの少女。

 何ともバラバラで共通点が見いだせないような三人組だが、全員が全員僕の知り合いだ。

 しかも、よりにもよって浅からぬ仲だ。

 やっぱり今日はあの日だったか……。

「朝倉、紹介します」

「あ、うん……」

「僕の義理の祖母たちです」

「……………………」

 当然の沈黙。

「……………………はい?」

 そして当然の反応。

「その呼び方やめなクソガキ!」

「ま、事実だけどね」

「うー……ウチは見た目幼い方だから複雑な気分サ」

 そして向こうからも予想通りの反応が返ってきた。

「手前から、あさが橋の橋姫で爺様の五番目の奥さんの桜河おうかさん」

「どうもどうも。五番目の奥さんって言っても、とみと同じ籍だったのは一週間もなかったけどね」

「で、真ん中が三番目の奥さんの氷室ひむろさん。月波学園の裏山で食堂のおばちゃんやってる。今年のミス月波学園って言えばわかるかな」

「バカ、結婚歴があるのにミスってやっぱり変だろうってことで、学園祭が終わった後返上したよ」

「おや、もったいない。んで、一番奥が……」

「ちっ。冨爺の二番目の嫁の青葉あおばだ」

「舌打ちは気にすんな。歯の裏のヤニとってたら癖になったらしい。目付きが悪いのも生まれつき。こんなんだけど面倒見は良くて、この前まで行燈館の管理人やってた。青葉さん、その後腰の具合はどうですか?」

「まだまだコルセット外せないんだよねー、青葉」

「ちっ! 余計なこと言うんじゃないよクソガキ、氷室! ちっ」

 そしてもう一人。

「今は姿が見えないけど、この居酒屋の店主をやってる舞香まいかさんが、四番目の奥さん。爺様の元奥さん同士で何故か妙に仲が良くって結構な頻度でここに集まってるらしいんだ」

「は、はあ……」

 未だにキョトーンとしている朝倉。

 まあいきなり他所んちの婆さん六人のうち四人を紹介されても困るわな。

 すでにお酒が回っているのか、氷室さんがニヤニヤしながら朝倉に説明する。

「お嬢ちゃん。こいつの爺はバツ五なんだよ」

「いきなり凄いカミングアウト……」

「当時は旧家に嫁いでくる女は跡継ぎを作るだけの道具みたいな風潮があったのよ。加えて『二年、生まず女は出ていけー』なんてマジで言ってるような時代だったしね。今じゃ考えられないわな。最初の奥さんは死んじまったんだけど、二番目から四番目まではあいつとの子供が出来なくてポイポイ家を追い出されてさ」

「ちっ。後で分かったことだけど、アレは爺の方に問題があったんだろ。確か妖怪とは子供が作れない体質だったとか」

千歳ちとせには子供が出来たから普通気付かないわ。……結局、その子は病気で流れて、その後は子供が産めない体になっちまって、追い出されたんだっけ」

「ちっちっ。胸糞悪い時代だった」

「……………………」

 じゅごーっとコーラをストローで啜りながら、桜河さんが呆れた表情を向けてきた。

「この馬鹿孫。酒が入ってる時のこいつらに昔話を振ったら色々と面倒って知ってるはずサ」

「あー、ごめん」

「それで? 本当に何の用サ? こんな時間に未成年だけで来る場所じゃないサ」

「羽黒さん探しに」

「……………………」

 ジュゴゴゴゴとコーラの最後の一滴を吸い上げながら、桜河さんが店の奥を指さす。

 目をじっと凝らすと、数十メートルほど奥の方のテーブルに、見覚えのある黒い背中が座っていた。

 やっぱりここにいた。

「ありがとう桜河さん」

「用が終わったらさっさとアレも持って帰るサ。昨日からずっとあんな感じで辛気臭くて仕方がないサ」

「……?」

 辛気臭い?

 羽黒さんには全く関わりのなさそうな言葉な気がするけど……。

「胡散臭いの間違いなのでは?」

「……そう思うなら、自分の目で確認してみることサ」

 はあ。

「……………………」

「「……………………」」

 二人で昔話に棘だらけの花を咲かせている氷室さんと青葉さんを放置して、羽黒さんの所に行くと、僕たちは言葉を失った。

 空瓶で埋め尽くされたテーブルに何とか隙間を作って突っ伏し、髪はボサボサで、前髪の隙間から覗く瞳には全くと言っていいほど精気が宿っていない。小汚い無精髭が顎周りに生えてきているし、焼き鳥のタレと思われる汚れが口元に付いたままだ。灰皿には煙草の吸殻が山のように積み上げられている。

 何だこの羽黒さんによく似た人間の抜け殻は。

「うわ、こんなに妖酒空けて……完全に廃人じゃん」

「洋酒? ブランデー? とかそういうの?」

「違う違う、妖しい酒で『妖酒』。簡単に言えば体が丈夫な妖怪でも酔える強力なお酒のこと」

 ただし単純にアルコール度数が高いってわけじゃないらしい。

 何でも、普通のお酒が体を酔わせて気分を軽くするのに対し、妖酒は魂を酔わせて気分の軽くするらしい。

 そして魂と精神は密接な関係にあり、心が弱っている時に適正量以上の妖酒を人間が摂取すると……こうなる。

「何があったか知らないけど、こんな羽黒さん見たくなかったな」

「だね……」

 それと同時に、やはり白羽ちゃんが何かやらかしてくれたということがはっきりした。

 梓は行方不明だし、羽黒さんは廃人になってるし。

 全くあの天使なクソ生意気は……復活早々自分の兄姉に何をしたんだ。

「話を聞くにもまずは気付けしないとな」

「お、お水もらってくるね……」

 そう言ってカウンターの方に戻ろうとした朝倉を「ちょっと待って」と引き止める。

「水ならもうあるよ」

「え……? あれ?」

 羽黒さんが死んでいるテーブルの上にあった空瓶やら空き皿など一切合切が消え去り、代わりにチェイサーに入ったレモンの輪切りが浮いた氷水とコップが三つ並んでいた。

「あー、舞香さん、水差しあったらお願いしていい? 風邪ひいた時とかに使うやつ」

「へ……あれ!?」

 虚空に話しかけると、いつの間にかコップの一つが水差しに変わっていた。

「うそ……いつの間に……?」

「言ったろ、ここは迷い家なんだから。望んだ物は何だって出てくる」

 水差しに水を注いで朝倉に持たせ、ぐでんぐでんに脱力仕切った羽黒さんの上半身を何とか持ち上げ首を固定する。それでも意識を戻さないので本当は死んでるんじゃないかとも思ったが、体温はむしろ高いしゆっくりとだが呼吸もしっかりしている。

「朝倉」

「う、うん……」

 羽黒さんの半開きの口に水差しの注ぎ口を突っ込んでゆっくりと傾ける。

 口腔内に注ぎ込まれた水を羽黒さんは反射的に呑み込む。それを確認したらまた少しずつ水を飲ませていき、とりあえず水差しの中が空っぽになるまで続けた。

「……………………う、ぶぇ……」

「お、息を吹き返した」

「よかった……」

 水を飲み終えた羽黒さんは弛緩した体にゆっくりと力を入れていき、なんとかテーブルに肘をついて上体を起こした。

「羽黒さん、水、もう一杯いります?」

「……………………あ……」

 尋ねると、今度は自分から手を差し伸べてきた。

 いつの間にか朝倉の手の水差しが普通のコップに戻っており、それに半分だけ水を注いで羽黒さんに手渡す。落とさないようにしっかりとコップを持たせると、思いっきり被るようにコップを傾けた。

 被るようにというか、ほとんど口に入らず顔面に水をぶっかけたみたいになったが。

「か……………………ひゅぅ……」

「大丈夫ですか? ていうか死にそう? これ死にそう? やめてくださいよ、僕らをさんざんしっちゃかめっちゃかに混ぜっかいしてくれた伝説級の龍殺しが急性アル中で死ぬとか」

「やめようユッくん……若干、シャレにならない……」

 口の隙間から涎と一緒に情けない破裂音のような声を発しながら、羽黒さんは再び四肢を弛緩させ、ぐだっと椅子に身を投げ出した。

 もうどうしようもねえなこの酔っ払い。

 これでは話を聞くどころか……いや待て。

「なあ朝倉」

「なぁに……?」

「お前、自白を強要させる魔法とか知らないか?」

「自白を強要するって日本語あってる……?」

「知らない?」

「いや、うん……存在自体は知ってるし、一応理論の知識はあるけども……まさかユッくん、酔って精神がズタボロの羽黒さんの心の隙をついて何があったか聞き出そうっていうんじゃ……」

「ご名答」

「やっぱり……」

 はあと溜息を吐く朝倉。

 しかしそれ以上の案も浮かばなかったのか、「こういうのはあんまり得意じゃないんだけど……」と愚痴を口にしながら魔力を練り、ルーンを唱えていく。

「――《吐露(エクスプレス)》」

 羽黒さんの額に赤く小さな魔方陣が浮かび上がった。

「これでいいのか?」

「うん、大丈夫……のはず」

「よし……じゃあまず、羽黒さん、三日前の白羽ちゃん復活の知らせが回ってきた日、あなたたち兄妹に何が起きたんですか?」

「……………………」

「……あれ?」

 羽黒さんは答えない。

「朝倉、この魔法あってんの?」

「そ、そのはずだよ……! じゃあ今度はわたしが聞いてみる……」

「どぞ」

「羽黒さん……三日前、羽黒さんと梓ちゃん、それに、白羽さん……あなたたち兄妹に何が起きたんですか……?」

「……………………」

 やはり、答えない。

「もう一回。今度は言霊込めて聞いてみよう」

「う、うん……」

「『羽黒さん、三日前あんたら脳筋三兄妹に何が起きたかさっさと答えろ』」

「ユッくん落ち着いて落ち着いて……」

 おっと焦りのあまりつい本音が。

 しかし、本音にドカンと言霊を込めて聞いたにもかかわらず、自白魔法がかかっているはずの羽黒さんは無言を貫いた。ていうか起きてるかこの人?

「……あ、寝てるね」

「意味ねえじゃん!」

 朝倉が不審に思ったのか羽黒さんの顔を覗き込み、恐る恐る瞼を無理やり開けてみると、瞳がピクピクと小刻みに揺れていて……つまりは爆睡していた。

 寝てる奴に自白も何もないだろ!

「ああもう! だめだこのクソ兄貴使えねえ! 梓の気持ちが分かる気がする!」

「落ち着いてユッくん……! 後その気持ちは、きっと梓ちゃんのとは微妙に違う気がするよ……!」

 妙に的外れなツッコミを入れる朝倉もまた、落ち着く必要があると思われる。

「もう仕方がない。時間も遅いし、今日はもう撤退しよう」

「うん……そうだね」

「羽黒さんは……あー、義理とはいえ婆様の店にこんな酔っぱらい捨てて帰るのもアレだし、こっちで処理しよう……」

 ポケットからケータイを取り出してもみじさん宛てのメールを打つ。羽黒さんは発見したが酔いつぶれて爆睡してるという旨を伝えると、十秒後にタクシーで近くまで向かうとの返事が来た。

 とりあえず迷い家の領域から出た辺りの住所をもみじさんに再度返信したところで、いつの間にやらテーブルには伝票……というか請求書が置かれていた。記載されている金額は僕のバイト代一か月相当。どんだけ飲み食いしてんだこの人。

「さて、羽黒さんの財布は……って、空っぽじゃん」

 札入れの所も小銭入れも全くの一文無し。普段カードで生活しているのか、クレジットカード(色は黒かった。マジか)は入っていたが、これは僕じゃ代わりに払えないな……。

「ごめん舞香さん。ツケってできる?」

 尋ねると、テーブルの上にあったはずの請求書は跡形もなく消え去っていた。

 どうやらOKということらしい。

 朝倉と二人で羽黒さんの弛緩した体を両脇から抱え上げて肩に担ぎ、二人とも羽黒さんと比べると身長が足りないゆえに足はずるずると引きずる形になったが、まあ仕方がない。

「うぇ~……い? はりゃぁ? 千歳ぇ?」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ! 千歳だぁ! どした~? あたしゃあの世の扉なんて開いてないよ!」

 入口のカウンターに差し掛かった時、すっかり出来上がってしまった氷室さんと青葉さんに朝倉が絡まれた。どうやら朝倉と爺様の一番最初の奥さんとを見間違えているらしい。既に亡くなって久しい人と間違うとはなんと迷惑な。

「ほらそこの酔っ払い二人、孫友が困ってるじゃないサ。……ごめんなお嬢ちゃん、うちらもすぐに帰るサ」

「お、お気をつけて……」

 唯一素面の桜河さんが謝る。朝倉が苦笑いしながら頭を下げたところで、自動ドアでもないのに勝手に入口の扉がスライドして開いた。

「じゃあね舞香さん。今度は二十歳すぎてから来るよ」

 そう言って迷い家そのものである義理の祖母に別れを告げると、入口の赤提灯がボウッと大きく輝いた。

 とりあえずこの迷い家の領域を抜けた路地まで運ばないと、もみじさんとも合流できない。羽黒さんには悪いが、まあそれは羽黒さんが悪いので気にしないが、靴の爪先がズルズルと削れそうだが無理やり運ばせてもらおう。

「朝倉、悪いけどもう少し手伝ってくれ」

「うん……いいよ」

「よし、じゃあ行くか。しっかし、全然起きないなこの人」

 普段の慇懃無礼な態度と軽薄な笑みを浮かべているばかりだからアレだけど、この人でも何かに傷つき、落ち込んで酒に逃げることもあるんだな。

「……………………」

「ん? 羽黒さん、何か言いました?」

 ボソッと何か口にした羽黒さん。運搬する足を一旦止めて聞き返すと、もごもごと口元を動かしながらおっそろしく聞き取りにくい声でこう言った。

「……ぎ……ため……し……ぎ、り……………………もう……俺じゃ……と、め……」

「え? 何ですって? 試し斬り?」

 あまり聞きなれない物騒な単語にもう一度聞き返したが、羽黒さんは今度こそ気を失ったように眠り、何度声をかけても唸り声しか返ってこなかった。

 ただ、その単語には妙な聞き覚えがある気がした。

 たぶんずっと昔、盆とか正月とかの八百刀流全体の集会に父さんに連れられて出席した時、会席で酔った爺連中がそんなことを言っていた気がする。

 そして、それはとてもーー良くない物、だった気がする。

「……………………」

「ユッくん……?」

「いや……何でもない。さあ、さっさと運んでしまおう」

「う、うん……」



       *  *  *



 迷い家の領域を抜けて通常の路地に出ると、既にタクシーを待機させているもみじさんが待ち構えていた。

「……あ……羽黒……」

 想像以上に痛々しい姿になっていた恋人に、最初は叱責をかけようと開きかけた口を引き締め、慈しむような表情でそっと頬を撫でた。

「あなたはいつもそう……いつもいつも、一人で抱え込む……」

「……………………」

 眠る羽黒さんは、その声には応えない。

「ありがとうございました、ユウさん」

「いえ。こちらこそ、朝倉のこと、よろしくお願いします」

 もう時間も時間だということで、雑貨屋WINGに戻るついでに一度学園に寄り、朝倉を寮まで送ってもらえることになった。代金はもみじさん持ち。どうせ後で羽黒さんのお小遣いが減らされるんだろう。

「さて……僕も帰らないと。姉さん心配してるかな……」

 こんな時間までほっつき歩いているとか、絶対怒られる。一応今日の食事当番であるビャクちゃんには梓を探しに行くということは伝えているが、まさか僕もここまで遅くなるとは思わなかった。

「うわ、メールと不在着信の山……」

 迷い家の支配領域だったゆえにずっと圏外で気付かなかったが、案の定「早く帰ってこい」「心配している」「今どこ」といった内容のメールと留守電が積もり積もっていた。

 とりあえずこっちの無事を知らせるために姉さんに電話を――


「――て聞――玉――!」


 ……?

 え?

 何だ、今の声。


「私が――――て産ん――ですも――可愛――――っていますよ」


 周囲を見渡しても人影はない。

 誰の声でもない。

 でも聞こえてくる。


「清――本当に行――……? 私――方の人生を縛――――っている――ら、私は何処へ――も……」


 ノイズがかかっていたように聞き取りにくかったその声は、次第に鮮明になっていく。

 声の主は、一体どこだ?

 肉声ではないことは確かなようだけども……!


「清――――明……――――てて……母――方を……救って……!」


「……っ!?」

 そこで謎の声はぶつりと切れた。

 それと同時に、胸の奥がズキリと痛む。

 あの声……僕の中から……?

「何だったんだ……? 一応、後でホムラ様に相談を……………………ホムラ様?」

 その時気付いた。

 月波市を守護する土地が身であると同時に、八百刀流陰陽師「穂波」家に加護を与える稲荷の御遣いにして大妖怪白面金毛九尾の狐・焔御前。

 彼女から僕に対する加護が大幅に弱まっていた。

「兼山」の狒々にして猿神のガク様然り。

「大峰」の送り狼にして真神のイツキ様然り。

「隈武」の八咫烏にして熊野の御遣いのスズ様然り。

 そして「瀧宮」の応龍にして蛇神のミオ様然り。

 八百刀流五家を守護する神獣たちは、そこにいるだけで各々の一族に分け隔てなく加護を与え続けている。

 それが、術者が自分で分かるほど加護が弱まるということは、ある種の異常事態とも言える。それも「穂波」のホムラ様は、かつて大陸を傾けた大妖狐が神格化した常識外れの存在だ。

 その加護が、ホムラ様の膨大な力から見たら僅かであるとは言え、薄れたとは――ただ事ではない。

「これは……今すぐにでも……」

 駆けだそうとして、そう言えば姉さんに連絡取ろうとしていたのを思い出した。

 すぐさまアドレス帳から姉さんのケータイ番号を呼び出し、通話設定にして耳に当てる。

 いつもならそろそろおねむの時間だが、相手はワンコールと置かずに電話に出た。

『ユーくん!? 今どこ……っていうか早く帰ってきなさい! 今ビ――』

「ごめん姉さん、それどころじゃないんだ! ホムラ様に何かあったみたいだから確認してくる。今日はそのまま爺様の所に泊まるからそのつもりで! じゃあ!」

『あ、ちょ――』

 何か言いたげのようだったが、こちらも急いでいる。姉さんも「穂波」とは言え陰陽師の素質は皆無だから事態に気付いていないのだろう。姉さんには悪いが、父さんが街を離れていて身動きがとれないゆえに「穂波」の当主代行を任されている身としては、優先順位はこちらが上だ。

 そうと決まれば走り出すしかなかった。

 幸い、今いる迷い家領域の入り口から焔稲荷神社までは全力で走れば五分ちょっとで着く。ホムラ様が何者かに倒されるということはまず考えられないが、ちょっかいをかけている誰かがいるのは間違いない。

 確認しなくては。

 僕はなるべく早く着くために、知る限りの近道をフル活用して路地を駆け抜けた。

 そして息も絶え絶えながらも、神社の入り口である住宅街の中に突如として現れる竹林に辿り着き、やはり何かがあったらしいと察した。

「なんだ……これ……」

 焔稲荷神社の境内へと続く小道は、鬱蒼とした竹林を突っ切るように伸びている。

しかし小道に沿って鬱蒼と生えていたはずの竹が、一本残らず見事にバッキバキに伐採されていた。小道から外れて何とか残っていた竹も、そのほとんどが何やら鋭利なもので斬り付けたような痕がついている。

「一体何が……」

 よくよく注意してみると、あちこちにホムラ様の力の残滓らしきモノが燻っており、陽炎のようなものが漂っている。

 ホムラ様が自分から力を使うとは、やはりこれは異常事態か。

 しかし……。

「やけに静かだな……」

 小道に沿って立っている全部で九つある鳥居のうち、六つ目を潜り抜けたが、切り倒されている竹以外は変わったところは何もない。もうホムラ様が一人で処理してしまったのなら問題ない……というか、「穂波」としては情けない限りだが。

 足早に小道を駆け抜け、境内に足を踏み入れる。

「うわ……」

 思わず声を上げる。

 普段は灯の燈っていない灯篭に、ホムラ様のものと思しき金色の狐火が封じられて、辺りは仄かに金色に輝く異空間のような雰囲気となっていた。

 そして社に近付き――なにやら中からドタドタと騒がしい物音が聞こえてくるのに気付いた。

 何だ……?

 賽銭箱の横を通り過ぎ、ずっと以前から建付けの問題なのか妙に開きにくくなっている扉を思いっきり力を込めて横にスライドし――


「ほれ梓。ミオのボケが気を失っている今のうちじゃ。ズバッといったれズバッと」

「あー、これ大丈夫ですかね? あたし、後で殺されたりしません?」

「元々そのつもりで儂らに正面切って喧嘩吹っ掛けたんじゃろうが、今更怖気づくでない」


 龍角と猛禽の翼、龍の尻尾を展開させてはいるが、チーンと効果音が聞こえてきそうなほど力なく床にうつ伏せに倒れている藤色の羽織袴姿のミオ様。

 そのミオ様の背中を踏みつけ、ミオ様の長い後ろ髪を鷲掴みにしているホムラ様。

 そして何故か、本当に何故か、その髪に太刀を当てている――我らが瀧宮梓。


「何しとんじゃあああああぁぁぁぁぁっ!?」


 思わず絶叫した。

 絶叫せずにはいられなかった。

 何だこの状況誰か説明してくれ!

「あれ、ユーちゃん? 何してんのこんな時間に」

「それはこっちのセリフだ!」

 ミオ様の髪に刃を宛がったまま、梓は前髪で隠れている右側の瞳をこちらに向けた。

 ……あれ?

 梓の亜麻色の髪の毛……この前まで背中に届くくらい伸びていたのに、今は肩口で切り揃えてボブカットみたいになってる。正直、あんまり似合ってないな。

 ……じゃ、なくって!

「待て待て待て待て! ちょっと待て!」

「何よさっきからうっさいわね殺すわよ」

「いつもよりツッコミが過激だなオイ!? お前、ミオ様に何しようとしてんの!? ホムラ様まで何手伝ってんですか!?」

「何って、まあ」

 そう口にし、梓は太刀を手にする手に力を込めた。


 ザシュッ


「あ゛」

 何の躊躇いもなく、梓はミオ様の髪を太刀で斬り払った。

 その瞬間、ミオ様の斬り落とされた方の髪の毛から凄まじいまでの濃度の力が溢れ出し、梓の携える太刀の刃へと吸い込まれていった。

「あ……」

 今気づいた。

 梓の持つあの太刀――鍔と柄がついていた。

「……まあ、あたしが何をしているかって言えば」

 一度セリフを区切り、太刀を肩に担いでこちらに向き直る。

 そしてこれまで見たこともない、獰猛な笑みを浮かべてこう言った。


「修行パート?」




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