だい よんじゅうなな わ ~お盆~
「……えーと、つまり、吉田さんはノウサギに発信機を付ける研究をしようとして、研究室のおっかない先輩の紹介で怪しげな業者を紹介されて、発信器注文したはいいけど期日になっても届かなくて、確認したら注文されてないことになっていて、仕方なく海外の健全な業者に頼んだら、先の怪しげな業者から注文の件承ったっていう今更な連絡が来て、断ったけど『そっちから注文しといて断るとはなんだ』って因縁つけられた……って感じですかね?」
「うん、そういうこと……」
春先からこっち、見る見る間にやつれていった吉田さんが死んだ魚のような目で頷いた。
「さらに付け加えるなら、そのヤバい業者がうちのもう一人いるおっかない先輩とも知り合いらしくて、その人に発信器を付けるのを依頼してたんだけど、そっちにまで飛び火しちゃって……俺、調査で山奥にいたのに、食料調達に麓まで戻ったら『明後日業者と直に会って話し合いすんぞ!』ってメールに気付いて、でもそのメールが来てたのは三日前で既に話し合い終わってたって言うね……俺、事前に調査行くから連絡取れませんって研究室のホワイトボードに書いてたのに『お前の研究のために話し合いの場を設けてやったのにメールにすら返事しない』ってヒステリー起こしちゃって――」
「もういい! もういいんですよ吉田さん! ほら、注文してた日本酒来ましたよ!」
「ああ……ありがとう……」
僕の隣に座っていた渡辺さんが店員から日本酒の入った二合燗とお猪口を受け取り、吉田さんに渡して静かに注いでやる。
それを一息で煽ると、そこにまた渡辺が日本酒を注ぐ。今度は一気に飲み干さず、チビチビとお猪口に口を付けて飲み始めた。
「なんか、こういうこと聞くと研究室配属ってちゃんと情報収集しないとって思うわ……」
「ですね……」
渡辺さんと顔を見合わせ、僕は深く頷いた。
サークルは引退したが時折顔を出してはニコニコと僕たちを指導していってくれる吉田さん。このヒトがここまで愚痴をこぼす姿は、付き合いはそれほど長くないが初めて見た。僕らはまだ一年だけど、三年になった時の研究室配属はきちんと考えていかないといけないと思う。
「研究内容にもよるけど、人間関係も重要ですね……」
「吉田さんたちは人間じゃないけどねー」
と、苦笑交じりに赤いカクテルの入ったグラスを豪快に飲み干す。
このカクテルならジュースみたいなもんだから酒に弱くても平気だよ、と渡辺さんから一口もらったが、オレンジジュースの中に異質な苦みを感じて美味しいとは思えなかった。どうやら僕は体質的にアルコールには強いらしいが、舌が受け付けないタイプの下戸のようだった。
「あーあ、あたしも来年の今頃にはこうなんてんのかねー。ヤダヤダ」
「渡辺……お前なあ……」
顔を赤くしながら吉田さんが嘆息する。
僕も苦笑しながらノンアルコールカクテル(せっかくの飲み放題なのにソフトドリンクだけではもったいないと吉田さんが押し付けてきた)をチビチビ口に入れていると、サークル代表さんが立ち上がり、パンパンと手を叩いた。
「はいはーい、そんじゃ、宴もたけなわではございますが、飲み放題の時間もだいぶ押していますので、この辺でお開きにしようと思いまーす」
『『『うぇーい』』』
代表の号令に、各々のテーブルで派手に飲み食いしていた面々がサッと立ち上がって揃って店の外へと歩き出す。すでに会計係が全員から飲み会代は徴収しているため、撤退は至ってスムーズである。
「よっ……っとっと」
「吉田さん、大丈夫ですか?」
「んー……」
是とも非とも取れない曖昧な返事をしながら、吉田さんがフラフラと店の外へと向かう。
「あちゃー、飲ませすぎたかな」
「最後の方、ピッチヤバかったですもんね」
渡辺さんがポリポリと頭を掻きながら、心配そうに吉田さんの後を追う。それに続いて僕も店の外に出ると、すでにサークルの面々がわちゃわちゃと路上にはみ出しながらたむろしていた。車通りの少ない裏路地の店だからまだいいものの、危ないなーと見ていると、会計を終えたらしい代表たちも僕たちに続いて出てきた。
「はいはい、道路出んな轢かれるぞー。はい、じゃあ今日はお盆の帰省直前だというのに、我ら溜池保全サークルの飲み会によく集まってくれた暇人共」
「半分以上が地元民だぞ代表ー」
「やかましい、揚げ足取んな。はい、じゃあ二次会行く人はどうぞご自由に、帰る人は気を付けて、ヤバい感じのやつは大人しくタクシーを捕まえること! 以上! んじゃ一本締めす――」
「よぉーっ!」
――パンッ
「俺の一本締めの音頭とったやつ誰だ!?」
「ぎゃははははっ!」
「代表話長ぇーぞー」
「やかましい、これくらい我慢しろよ! あー、もう! 解散解散!」
代表がシッシッと手を振ると再び笑いが起き、各々の目的が合う同士で固まっていく。
一次会で飲み足りなかったものは二次会へはしごする面子を集め、懐具合と明日の予定を考えて遠慮する者はさっさとその場を去る。
カラオケやボーリングに行こうという人も多かったが、中には「二次会宅飲みでいい?」「んじゃお前んちな」「あ、その前に俺んち寄っていい? ウシガエル捌いたから持ってくわ」「どうせなら今から捕まえに行こうぜ! 農場の溜池にいたろ」「どうやって捕まえんだよ」「お前河童だろ、潜って獲ってこいよ」「この酔っぱらった状態で汚ぇ池泳ぐとか自殺行為じゃねえか!」なんてとんでもない会話も聞こえてくる。この辺りはまあ、学部の毛色というかサークル柄というか、まあ、そんな感じだな。
「渡辺さんはどうします? 二次会?」
「あー、ちょっと懐具合が寂しいからなー。行くとしてもラーメンとか牛丼とかかな」
「よく食べますね……」
飲み会中、僕ら男性陣と同じくらい食べてた気がするんだが。
「それじゃあ、そこの牛丼屋行きますか」
「そうしようかなー……あ、待って」
と、渡辺さんは何かを見つけたように小走りで駆けていった。その先には、フラフラと歩道と道路のギリギリを歩く吉田さんの背中があった。
「よっしー、ちょっと大丈夫?」
「うー……ん」
座っている時はそうでもなかったのだが、立った瞬間一気にアルコールが回ってしまったのだろう。気持ち悪そうな吉田さんの肩に腕を回し、渡辺さんはちらっとこちらに向き直った。
「ゴメンネ、吉田さん送ってくわ」
「僕も行きますか?」
「大丈夫大丈夫、あたし、アパート同じとこだから」
「あ……」
何となく、察しがついて僕は一歩後ずさった。
「じゃあ……お願いします」
「はいはいお願いされましたよ。じゃあね――佑真君」
去って行く二つの背中を眺めながら、「フラれたなー」と、小さく呟いた。
別段小腹が空いているというわけでもなし、相手がいないのに一人で牛丼屋に行く気もなれずに、僕は大人しく退散することにした。
そう言えば今何時だろうと、飲み会中故にマナーモードにしていたケータイを取り出す。すると一件の新着メール通知が目に留まった。
開いてみると、最近ようやくケータイでメールすることを覚えた母からだった。と言っても、未だに変換機能を使いこなせていないらしく、非常に読みにくい平仮名オンリーのメールだったが。
ともかく、その内容は「お盆には帰れるのかどうか」という質問であった。
「帰るとしたら……明日か、遅くても明後日には出ないといけないけど……」
当然のように、バスも電車もチケットなどとっていない。当日の鈍行列車でなら時間をかければ帰省できるだろうが、何となく、受験の時のギクシャクとした雰囲気を払拭できていないまま今日まで来てしまったという理由もあり、非常に帰りにくい。
悩んだ末に、農場実習の当番があるから帰るのは難しい、帰れたとしてもお盆の後半になる、という若干虚偽を含んだ内容のメールを送信することにした。
全くの嘘ではない。実際、農場実習の当番があることは確かだ。僕の分は月波市生まれ月波市育ちの地元民の友人が代わってくれることになっているが。
ともかく、何となく、僕は家に帰るのを躊躇っていた。
* * *
「お盆」
駅のホームで電車が来るのを待ちながら、僕はケータイで調べた内容をそのまま音読する。
「元々は仏教行事である盂蘭盆会が日本に形を変えて広まったもの。一般的に八月半ば、もしくは七月半ばに迎え火や墓参りをし、あの世から帰ってくる先祖の霊を供養する行事。地方によって形式は様々」
本当なら、今すぐにでも実家に帰るべきなのだろう。
この街に来てから霊の実在を痛感した身としては、亡くなった先祖たちに礼を尽くすべきなのだ。
それにもしかしたら、実家の近所に住んでいた彼女が帰ってくるかもしれない。
彼女はあの夜――僕に何も告げることなく、成仏していったのだから。
「……会いたいな」
つい本音が零れる。
でも、会ってはいけない。
せっかく未練が晴れ、六年にも及ぶ呪縛から解き放たれたのだ。
僕が彼女を再び縛りつけてはいけない。
だからこそ僕は、実家に帰るのを躊躇っている。
「僕は……どうするべきなんだろう」
線路の向こうから電車がやって来る。
乗り込み、遅い時間ゆえガラガラな座席に腰掛け窓の外をボーっと眺める。タタンタタンと音を立てながら流れる車窓の風景に、一瞬だけ月波市を流れる辰帰川が写った。
「あ……」
水辺――とりわけ、川はあの世とこの世の境目となりやすいと聞いたことがある。
気の早いことに、キュウリの精霊馬に跨った死装束の幽霊らしき影が、河川敷を歩いているのがチラリと見えた。
「本当に、もうすぐお盆なんだな……」
なんだか不思議な気分だった。毎年何となく過ごしていた行事が、真実味というか、現実味を帯びるというのは。
「……………………」
などと考えているうちに、電車は下りるべき駅に到着した。
もはや見慣れたホームと改札口を通り、やはり通いなれた道を一人歩いてアパートにある自室に向かう。どうせ帰っても誰もいないのだからと、蒸し暑い夜道を小走りで帰って汗をかくのも嫌な気がして、ゆっくりと無駄に時間をかけて歩いた。
「……あれ?」
ようやくアパートが見えるところまで来た時、僕は首を傾げることとなった。
僕の部屋――四階の一番端の部屋に明かりがついていた。
「電気消し忘れたかな」
だとしたら、電気代もったいないな。
今更感があったが、僕は小走りでアパートに駆け寄り、エレベーターがないため結局じんわりと汗をかきながら階段で部屋に向かった。
財布のキーホルダーに取り付けた鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。そしてガチャンと――鍵が締まる感触に、顔から血の気が引くのが自分でも分かった。
今朝、鍵は締めたはず。これは毎朝確認していることだから間違いはない。だったら今鍵を回して締まったということは、開いていたということで――まさか泥棒?
息を飲み、ケータイをいつでも一一〇番にかけれるようにした状態で、もう一度鍵を回して今度こそ扉を開ける。幸い、飲み会では渡辺さんから一口貰ったカクテル以外アルコールは摂取していないため全力疾走は大丈夫だろう。中に誰もいないならまだしも、未だ物色中だとしたら何をされるか分からないため、すぐに逃げれるよう扉は開けっ放しで玄関に足を踏み入れた。
すると――
「あ、お帰りー」
と。
何とも間の抜けた、どこか子供っぽい笑みを浮かべた女性が、キッチンから顔を出して挨拶してきた。
「……は?」
訳が分からなかった。
思考停止とはこのことか。
だって。
だって彼女は――
「あは。佑真君、どうしたの? 早くお上がりよ」
「あ……」
ああ、そうか。これはまたアレか、残留思念というやつか。彼女のと楽しい思い出が、お盆前というこの時期によって部屋全体に色濃く映し出されているとか、そういうアレなんだろう。
「あれー、佑真君、ほんのちょびっとお酒臭いぞ? なんか遅かったし、佑真君まだ未成年なんだから、無茶しちゃダメだよー」
頬を可愛らしく膨らませながら、彼女は手をタオルで拭きながらこちらに向かってくる。彼女は僕の思い出の彼女らしくない、黒いシャツに黒いハーフパンツという地味なカラーリングの恰好だったが、その挙動は間違いなく、彼女その物だった。
「ありゃりゃ、やっぱり驚かしちゃったかな? 家庭的なっていうか、フランクな感じの再会を目指してたんだけどなー」
と、彼女の幻覚は微笑んだ。
その時、僕の中で何かが吹っ切れた。
……どうせ。
どうせ幻覚ならば。
ほんの少しのアルコールのせいにして。
甘えてしまっても――いいのかな。
「加奈子さん!」
「うおっと!?」
「加奈子さん加奈子さん! 加奈子さん……!」
「お、おお、熱烈なハグ! そんなに嬉しかった? よしよし……」
彼女の細く華奢な体を力いっぱい抱きしめる。最初は驚いて手をパタパタとさせていた彼女の幻影も、子供をあやすようにゆっくりと僕の背中を叩いた。
その心地よさと、彼女の体の柔らかさ、温もりが、とても幻影とは思えぬ生々しさで――僕はようやく、落ち着きを取り戻した。
これは、幻影なんかじゃない。
「本当に……加奈子さん……?」
「あは、幻とでも思ったー?」
と。
彼女は、出会った頃と変わらぬ子供のような笑みを浮かべて、僕の頬を撫でた。知らぬ間に、僕の目からは涙が零れ落ちていた。
「うん、そう、カナ姉ちゃん復活の巻」
「どうやって……成仏したんじゃ……」
「うん、そう。成仏して、まあ、色々とね」
それよりも、と。
彼女はウズウズとした様子で僕の顔を見つめてきた。
そのまっすぐな視線に、僕の方がたじろいで「な、なに……?」と聞き返す。
「うっふふ……」
「え?」
「ごめん、ウチも我慢できないわ」
不意に、僕の唇に温かい物が触れた。
彼女の顔が、すぐ近くにある。
幽霊でも仮初めの肉体でもない、彼女自身の温かさが、伝わってきた。
* * *
「まあ難しい話を省略して結論だけ言うと、ウチ、死神になりました」
「は?」
今なんて?
「昔から突拍子もないことを言う人だとは思っていたけど……」
「ちょっと!? そんな残念なモノを見る視線をウチに向けないで!? 仕方ないじゃん、事実なんだから! ほらほら! 死神様だぞ!」
言うと、加奈子さんはどことも知れぬ空間から黒い半袖のローブと、何だかちょっとだけファンシーなデザインの髑髏(?)を模したと思われる仮面を取り出し、実際に着けて見せた。
「何その可愛い髑髏」
「いいっしょ、新米死神が自分でデザインを選べるオーダーメイド。この前ようやく完成したんだー」
「ローブが半袖なのは?」
「クールビズ」
「……………………」
「だからそんな目で見ないでってばー……!」
仮面を外し、拗ねて頬を膨らませる加奈子さん。悪いとは思いつつも、可愛かった。
「それで、何で死神?」
「うんっとね……教えられる範囲だけ話すけど……」
まとめると、こういうことだった。
あの日、ホムンクルスという仮初めの肉体を得て、死者である加奈子さんが一瞬でも人間のような状態になることは死神の間で――というか、あの世でも大問題になりかねない事案だったらしい。
そのため加奈子さんは成仏した後、裁判にかけられた。
裁判は思いの外長引いた。
彼女に丈量酌量の余地があること、彼女をあの世に送った死神からも弁護があったこと、それ以上に、彼女の案件に厄介な人物の関与が認められたこと。
それらを踏まえて、最悪の事態である魂の消滅は逃れられたものの、有罪判決は受けた。
罰として懲役五十年――死神として五十年、あの世のために尽くさねばならなくなったらしい。
「簡単に言えば、死神ってウチみたいに罪深かったり、陰陽師とか魔術師とか強い力を持った要観察処分って判断された人間が、転生するまであの世の管理下に置くための役職らしいんだよね。ウチもしっかりと理解してるわけじゃないけど」
「いいのそれで」
「だってウチ、まだ研修中だもん。座学と実践指導の繰り返しで、あの世とこの世を行ったり来たり。この前なんか大変だったんだよー。あの世からでっかいクジラがこの世に境界を突き破って顕現しちゃって、指導後回しで先輩たちと対処したりねー。ま、ウチは何もできないから遠くから客観的に見守って報告書を書くだけだったけど」
「なんか……現実味がないというか……」
「そりゃそうよ、だって死後の話だもん」
現実を生きる佑真君が理解してはいけない話だよ、と。
加奈子さんは苦笑した。
「と、まあ、ウチが喋れるのはこの辺までかな。それで、ここからが本題」
「……?」
加奈子さんがいつになく真剣な面持ちで、こちらに向き直った。
「ウチはあと五十年は、死神として過ごすこととなったわけだけど。佑真君、君はどうする?」
「え……?」
「さっきも言った通り、佑真君は現実を生きている。死後の世界の住人であるウチに縛られ続ける必要は――ない。佑真君はあの日、ウチは佑真君と一緒にいた方が幸せだったと言ってくれた。けれどウチは……もう過去の人物であるウチに縛られて、佑真君が将来の幸せを逃すのは望まない。だから」
「……だから?」
だから、何だというんだ。
「だから加奈子さんは、僕に思い切って振ってほしいと、そう言いたいの?」
「……………………」
無言は。
肯定の表れだった。
「加奈子さんは、どうしたいの?」
「ウチは……だから、佑真君が――」
「そう言う建前じゃなくって。加奈子さんの本音はどうなの」
「……………………」
無言は。
戸惑いの表れだった。
「……………………」
ふう。
「ところで話は変わるけど、加奈子さん、しばらくは月波市にいるの?」
「え? あ、うん。ここ最近、例年になくあの世とこの世の境目が薄くなってるらしくって、研修中の新米死神もこぞって現場に駆り出されてるんだよね。特に月波市は特殊な土地だから、土地勘のあるウチも派遣されることになったんだ」
「じゃあこっちで研修する間、宿はどうするつもり?」
「え? えっと……いちいち向こうの寮に帰ることもできるけど、毎回審査するの面倒だから、長期滞在届出そうかなーって思ってるけど。その場合は、どっか適当にアパートかホテルを借りようかなって」
「死神がアパートとかホテル借りるんだ……」
「月波市担当の死神御用達物件があるらしいのよねー」
「そうなんだ……じゃ、なくって!」
僕は改めて、加奈子さんに向き直る。
「何でそこで遠慮するのさ!」
「え?」
「わざわざ泊まるところを探すくらいなら、ここに住めばいいじゃないか! また一緒に、暮らせばいいじゃないか!」
「でも、だってそれじゃ……」
「だっても何もないよ!」
叫んで。
僕は彼女を抱き寄せた。
突然のことに硬直したのか、加奈子さんは微動だにしなかった。
「好きな……大好きな人が困ってるのに、宿の一つも提供できないような男になりたくないって言ってんの。そんな度量の小さい男にはなりたくない。加奈子さんを……死神を一人くらい抱えて背負って生きる覚悟は――地縛霊だった加奈子さんを見捨てなかった時点で、もうしてる」
「佑真君……」
「それに、加奈子さんだってそうだ。もし僕に本当に諦めて欲しいんだったら、呑気に近況報告なんてしに来なきゃよかったんだ。わざわざここに来たってことは、僕にもう一度引き止めて欲しかったんじゃないの? 我慢できずにキスまでしちゃったくせに、変なとこで意地なんて張るなよ!」
「……………………」
無言は。
肯定の表れと……とってもいいのだろう。
「あーあ……」
彼女は、僕の耳元で嘆息した。
不思議と、幸せそうな溜息だった。
「本当にもう……大人になっちゃって……格好良いなあ、佑真君」
「そりゃ……どうも」
「惚れ直しちゃったな……」
「え……?」
加奈子さんが体を離し、僕と向き直った。
瞳には、溢れる限界まで涙を湛えていた。
「地縛霊の時みたいに、ウチを受け入れてくれる?」
「もちろん」
「守護霊の時みたいに、ウチと一緒に笑ってくれる?」
「もちろん」
「ホムンクルスの時みたいに、ウチに優しくしてくれる?」
「もちろん」
「死神の今も――今までと変わらず、愛してくれる?」
「当たり前」
僕は静かに頷いた。
「よかった……」
彼女は笑う。
「ウチ、今、すっごい幸せだよ……!」
瞳から涙が零れ落ちた。