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だい に わ ~猫又~




 大学卒業のカウントダウンが始まり、私は非常に焦っていました。

 単純な話、就職先が見つからなかったのです。

 世は就職氷河期とすら言われる時代。もちろん私も大学二年生の終わりにはすでに就職活動を開始していました。

 ですが運悪くというやつで、実力が伴っていないというわけでもないのに(ここ重要)全く就職先が見つかりませんでした。

 試験を受けた企業は二百七十一社。

 全戦全敗。

 勝率ゼロ。

 ここまでくれば逆に清々しいです。

 原因ははっきりしています。

 私は朝に弱いのです。

 枕元には十二個の目覚まし時計が置かれていますが、それでも毎朝、異様に朝に強いお母さんに叩き起こしてもらっています。

 ちなみになぜ目覚まし時計が十二個もあるのかというと、小学一年生から高校三年生の誕生日プレゼントが全部目覚まし時計だったからなのですが。

 それは置いておいておきます。

 つまり私が受験する企業は全て始業時間が十時以降だったりするのです。

 だって九時開始とか、絶対起きられません!

 そんな風にお父さんに言ったら、「よくそんな条件の会社、二百七十一も見つけたな」と逆に感心されました。

 そうかと言って夜行性というわけでもなく、夜の十時になれば眠くなるのですが。

 一日十時間睡眠とか当たり前です。

 ですが実際のところそんなことが言い訳になるわけがないし、働かなければ生きていけないのです。

 そもそも、いつまでもお父さんやお母さんのお世話になっているわけにはいきません。

 四の五の言っていられないため、日本全国津々浦々、大中小の企業関係なく就活に勤しんでいたのですが。

 全戦全敗の大黒星。

 もう面白くて笑ってしまいそうですね。

 はあ……。

 同じ学課の友達は、ほとんど就職先が決まって残り少ない大学生活を楽しんでいますというのに。

 私だけが未だに就活用に買ったスーツとハイヒールを身に付け走り回っています。

「誰かいいトコ紹介してくださーーーーーい!!」

 何て叫びたくもなります。

「あるよ、いいトコ」

 で。

 そんなあっけない返事は、学校の試験休みで下宿先から珍しく帰郷していた弟の口からもたらされました。

「ユーくん、そこに座りなさい」

「いや、僕さっきからずっと座ってるんだけど」

「お姉ちゃんの揚げ足を取ってないで、お姉ちゃんの話を真面目に聞きなさい!」

「まず姉さんは揚げてもいない足を取られないようにしようよ」

 呆れ顔で夕食のカレーライスを口に運ぶユーくん。

 妙に大人びた雰囲気を持つ、料理や洗濯など家事全般をかなりの高品質でこなす器用な弟です。そのスキルを生かして、下宿先では家事手伝いのアルバイトもしているとか。

「……昔は自転車で走ってて田んぼの用水路にはまっちゃうようなドジッ子だったのに。いつの間にこんなしっかりした子に成長したのかしら。あぁ、『助けてお姉ちゃん!』って泣いていたユーくんはいずこへ……」

「記憶の改竄をしない。田んぼの用水路に自転車で突っ込んだのも、泣いて助けを求めたのも、全部姉さんだから」

「そうでしたっけ?」

「確か母さんがアルバムにとじてたから、探せば証拠が――」

「いいです、いりません!」

 首を激しく横に振って断固拒否します。

 そうでないと、本当にユーくんはアルバムを引っ張ってきますので。

「それで? 何、姉さんの話って」

「あ、そうでした」

「……………………」

 ユーくんが溜息をついた気がしたが、きっと気のせいでしょう。

「ユーくん、あなたは就職活動という名の戦争を甘く見ています」

「はあ」

「かく言う私も何十何百という企業さんと面接をして、ことごとく落とされました」

「そうだね。始業開始時間にこだわらなければもっと早く就職先が決まっていたとは思うけど、とりあえず、そうだね」

「つまりお姉ちゃんの就活が上手くいかないのは、私の実力が至らないというわけではなく、運が悪かったということなのです!」

「待って。そこでそういう理論に飛ぶのは明らかに不自然だよ」

「私の実力が至らないというわけではなく、運が悪かったということなのです!」

「聞いてない……。それで?」

「つまり! この私が全戦全敗を記している就職活動という名前の戦争に、あろうことか中学生であるユーくんが簡単に『いいトコあるよ』などと軽々しく口にしてはいけないのです! 大学生の就活は中学生のアルバイト探しとは違うのです!」

「へえ、そうなんだ。うん、よく分かったよ姉さん」

「分かればよろしい」

「うん、じゃあこの話はなかったということで」

「待ちなさいユーくん」

 いつの間にか、食べ終わっていたカレー皿を片付けようと立ち上がりかけたユーくんの袖を掴んでいました。

 ユーくんは「ん?」とわざとらしく小首を傾げています。

「どうしたの、姉さん」

「……ユーくん。あなたはいじめっ子ですか」

「いや、そんな自覚はないけど……」

「ここまで引っ張ってきておいて、ここまでお姉ちゃんの就活が上手くいっていない話を聞いておいて、その『いいトコ』の話を一切しないで立ち去るというのはいじめっ子以外の何者でもありません」

「被害妄想を弟にぶつけだしたよこの人……」

 素直に教えてって言えばいいのに、とユーくんは溜息をつきながら腰を下ろしました。

 どうやら素直に教えてくれるようです。

 感心な弟ですね。

「それで、どのように『いいトコ』なのですか?」

「えっと、住み込みのお仕事なんだけど、基本的に家事が出来れば問題ないね」

 それは住み込みの家事手伝いということでしょうか。

「家に住んでいる人が昼間出かけている間に掃除に洗濯、あとご飯の準備とか家事全般をするのが主な仕事かな」

 なにやらメイドさんっぽくて面白そうですね。実は少し憧れています。

 メイド服って可愛いじゃないですか、と友達に言ったら微妙な顔をされましたから口にはしませんが。

「姉さん、家事は大丈夫だよね」

「ユーくんはお姉ちゃんを誰だと思っているのですか。もうお姉ちゃんは大人の女性ですよ」

「家事の出来ない大人の女の人も中にはいると思うけど、うん、その様子じゃ大丈夫そうだね」

「当然です」

 私は自信たっぷりに頷きました。

 これは実際、見栄なんかではなく本当に家事には自信がありました。お母さんもお父さんもお仕事で帰りが遅かったため、ユーくんのお世話は私の仕事でしたから。

「ところで、その職場とはどこなのですか?」

 そう言えば詳しく聞いていませんね。

 私はユーくんに訊ねます。

 するとユーくんは、あぁ、と思い出したように頷きました。

「僕の下宿先。つまり僕のバイト先」

「はい?」

 いまいち理解できません。

「だから、僕が通う高校の下宿。姉さんにはそこの管理人をやってもらいたいんだ」

「え? どういうことです?」

「いやだから――」

「いえ、仕事先とか仕事内容が理解できないのではなく、なぜユーくんが下宿しているところで管理人さんを募集しているのかが分からないのです」

「あ、そういうことか」

 ユーくんは納得したように頷きました。

「管理人さんは別にいたんだ。でも実は結構なお歳でさ。僕たちでさえもうさすがにこれ以上仕事を続けるのは無理なんじゃないかなって思ってたくらいで。でも何十年もそこの管理人をやっていたから名残惜しかったらしくて、引退の時期を逃しちゃったんだ」

「あら」

「でもこの年末に……」

「え、まさか……」

 私は一瞬、最悪のシチュエーションを想像してしまいました。

 ですがユーくんは慌てて首を横に振ります。

「あ、大したことじゃないよ。いや、大したことなのかな……? その管理人さん、仕事で重い物を持ち上げようとして腰を痛めちゃったんだ。普段なら僕たちが代わりに運ぶような物なんだけど、運悪く全員出払っちゃってて……」

「それは大変ですね……」

 お歳を召してから腰を痛めると長引くと聞きます。

「で、案の定、病院に行ったらお医者さんに、これ以上働くのは難しいですって言われたんだって。腰にバンドを巻いてたら日常生活は大丈夫らしいけど、管理人なんて特殊な職業は厳しいんだって」

「なるほど。それで急遽管理人さんを募集したわけですか」

 そうなんだ、とユーくんは頷きました。

「今は先生たちが代わる代わる来てるけど、いつまでもそんなことも出来ないからね。家事全般は僕たちバイトで成り立ってるけど。とりあえず今年度はこの状態が続くとしても、来年度からは少なくとも一人は大人の人がいないと、僕たちは路頭に迷っちゃうんだ」

「え、それは結構大変な事態ではないですか」

「そうだよ」

「なぜあなたはそんなにのほほんとしているのですか」

「でもこうやって次の管理人さんが見つかったことだし」

「いえ、他にも管理人さんをやりたい人はいないのですか? たくさんいたら困るでしょう」

 主に私が。

 ですがユーくんは笑って首を横に振ります。

「その点については大丈夫。ただ家事が出来るだけの人は、うちじゃ管理人なんて出来ないから」

「え?」

 どういうことですか?

 そう訊ねようとしましたが、ユーくんはポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てました。

 誰かが電話をしている時は静かにするのが我が家のマナーです。

「あ、もしもし。鍋島(なべしま)先生? 3Yの穂波(ほなみ)(ゆたか)です。夜遅くにすみません。例の管理人の件、見つかりましたか? あ、はい。ちょうど僕の姉さんが就職先を探していまして……はい、はい……それじゃあ一週間後にでも。そうですね、多分大丈夫だと思います。何せ僕の姉さんですから。それ系の対処は心得ています。……はい、それではそういうことで。はい。分かりました。それではお休みなさい」

 パキンと音を立てて、ユーくんの携帯電話が畳まれました。

「……………………」

「ん? 姉さん、どうしたの?」

「……いえ、まずどこから問いただせばいいかと悩んでいるところです」

「え?」

「まず『家事が出来るだけじゃダメ』とはどういう意味ですか! それに先ほどの電話に出てきた『それ系の対処』って何ですか! ユーくん、あなたはお姉ちゃんに何をさせようというのですか!」

 私にしては珍しく、少々声を荒げてしまいました。

 それぐらいワケが分からなかったのです。

 ですがユーくんはニッコリと笑ってこう言い放ちました。

「秘密」

「……………………」

「とりあえず来週面接やるから。予定空けといてね」

「待ちなさいユーくん。ちゃんと説明を――」

 しかしユーくんは、私の呼びかけを軽く笑って受け流しました。すでに空になったカレーのお皿を持ってキッチンに向かっています。

 私も立ち上がって後を追おうとしましたが、目の前にはお皿に半分以上残ったカレーライスがあります。

 我が家では、食事中に立ち上がるのはマナー違反です。

 私は仕方なく、冷えかかったカレーライスを口に運びました。



       *  *  *



 そして一週間が経ちました。

 余裕を持たせるため、面接は明日ですが早めに私は実家を出発しました。

 車で約二時間。私はユーくんが普段生活をしているという下宿に到着。

 ですが到着して早々、私は呆然とその建物を見上げました。

 持ってきたお泊りセットの入った鞄を落としてしまいます。

 隣に立っていたユーくんが心配そうに私の顔を覗き込みました。

「……………………」

「姉さん?」

「……ユーくん」

「う、うん」

「……そういうことですか」

 私は何とか正気を保ち、そう呟きました。

 なるほどなるほど、よく分かりました。

 どうりでユーくんが詳しく教えてくれないわけです。

「まあ……そういうこと」

 ユーくんもどこか気まずそうにそう返しました。

「ここはお化け屋敷か何かですか!?」

 やたらと大きく古い武家屋敷が、ほとんど手入れのなされない状態で佇んでいました。

 いたるところがボロボロで、屋根の瓦が半分以上剥がれています。さらに見える範囲の柱の大半が腐りかけていますし、庭も雑草がぼうぼうと生い茂り……いえ、一つ一つ指摘していけばキリがありません。

 つまりは廃屋同然の古い建物があったというわけです。

「帰ってはダメですか?」

「やめて! 僕らが路頭に迷ってもいいの!?」

「ユーくん! これはお姉ちゃんが怖いものが大の苦手と知っての狼藉ですか!?」

「そこを何とか! 試験を受けに来た人全員が建物を見てドタキャンしたんだ! あとはもう姉さんしかいないんだ!」

 ユーくんが泣き叫ぶように私にしがみ付きました。

 しかし、これは……。

 改めて目の前の廃屋に目を向けます。が、何度見直したところで、ボロボロ武家屋敷が高級マンションに変わるわけでもないのです。

 しかし改めて見ることで、私はその異様とも言える大きさに驚きました。

 そのボロボロさが目にいきがちですが、それでも昔の威厳を失わないほどの巨大さを誇っています。下手な高層マンションよりも部屋が多いかもしれません。

 下宿と言うよりは寮に近いでしょうか。

 なるほど、試験をドタキャンした人の中には建物の雰囲気よりも、この建物の広さを見て戦いた人もいたのかもしれません。

「お願い、姉さん!」

 ユーくんの懇願の声が耳に入ります。

 私はユーくんと、それから目の前の武家屋敷を見比べます。

 可愛い弟とお化け屋敷。

 家族愛と己の恐怖。

「……………………」

 私は黙って落とした鞄を拾い、重い足を前に動かしました。

『行燈館』の看板が掲げられたその武家屋敷は、外見はともかく、内装は想像以上に綺麗でした。

「まあ住んでるのは僕たちだし。腐りかけた柱とかは補強するとしても、それ以外は下手に修理も出来ないけどね。お金もないし。だから内装だけは住み心地良くしないとね」

「なるほど、そういうことですか」

 ギシギシと軋む廊下を進みながら、私は感心していました。

 廊下もよく掃除もされていますし、何より古い木造建築物特有の心地よい香りが私の気持ちを鎮めています。

 少し薄暗い気もしますが。

「とりあえず姉さんは外泊者用の部屋が割り当てられてるから。今日はそこに泊まって。あ、それから勝手に出歩くと迷子になっちゃうから声を掛けてね」

「それもそうですね」

 正直なところ、さっきから何度廊下を曲がったのか分からなくなりました。

 本当に無駄に広いですね。

「ここだよ」

 そう言ってユーくんが案内した一室は、とても綺麗に片付けられていました。

 入り口は襖、部屋の真ん中には木目の美しいテーブル、床の間には活花と、まるで旅館の部屋のようです。

「外泊者用の部屋だけはトイレとお風呂が付いてるんだ。僕らは共同だけどね。姉さんもそっちは使えるけど、多分迷っちゃうからオススメはしないな」

「いえ、ここで十分です」

 建物の外見からは想像もできないような、本当に綺麗な和室です。中央のテーブルにお茶やお菓子が置いてあったら、それこそ旅館と間違えてしまったでしょう。

「じゃあ僕は自分の部屋に行くね。廊下を出て右に行ったところの突き当りを左に曲がったとこの廊下が僕たち一年生の部屋だから。表札が出てるから間違うことはないと思うけど」

「はい、分かりました。ですが何かあったら電話すると思いますよ」

「ああ、そうだね。そっちのほうが楽かな」

 そう言うとユーくんは自分の携帯電話を取り出しました。マナーモードを解除するのでしょう。

「あれ?」

 するとユーくんが素っ頓狂な声を上げました。

「鍋島先生からメールが来てる……」

 鍋島先生……? ああ、ユーくんの担任の先生でしたっけ。

 どうやら鍋島先生からメールが来ていたらしいですが、マナーモードになっていて気付かなかったようです。

「えぇっ!?」

「どうしました!?」

 素っ頓狂な声を上げたと思ったら、今度は驚嘆の叫びを上げました!

 何事です!

「ヤバイ! 鍋島先生がもうすぐ来る!」

「それがどうヤバイのです?」

「面接! ああ、もう! 明日って言ったじゃないか!」

「え、面接試験ですか?」

「うん! 姉さん、悪いけどすぐに着替えて!」

「え、あ、はい。分かりました」

 どうやら急遽予定が早まったようです。

 私は急いでお泊りセットとは別のカバンに入れてきたスーツ一式に手を伸ばそうとしました。

「もう来たよ」

 不意にそう声が聞こえました。

 声のする方に振り向くと、そこには黒いジャージにツインテールの中学生くらいの女の子がいました。

 ここの生徒さんでしょうか? 可愛らしい女の子ですね。

「あ、鍋島先生」

「えぇっ!?」

 とんでもない名前が聞こえました。

 こ、この可愛らしい女の子が鍋島先生ですか……!

 どう見ても中学生、いえ、下手をすれば小学生と言っても通じるほどの小柄な体躯と童顔です。

 現役教師ということは、私よりも年上のはずですが……。

「鍋島先生、面接は明日って言ったじゃないですか」

「うーん、アタシもそのつもりだったんだけど、ちょっと急に会議が入っちゃってね。時間もないし、到着したばかりのところで悪いんだけど、すぐに試験始めたいんだけど」

「……どうする? 姉さん」

 少し困ったように私の方に振り返るユーくん。

 どうするもこうするも。

「そういう事情でしたら仕方がありませんね。すぐに準備をしますので待っていていただけますか?」

「あ、そのままで結構よ。わざわざ着替えなくても」

 鍋島先生は首を横に振りました。

 そう言えば鍋島先生もジャージ姿です。確かに面接試験を行なうには少し不釣合いな服装です。

 形式的な試験は嫌いなのでしょうか。

「ではまず自己紹介から」

「はい」

 小さく頷きます。

「ユーく……裕君の姉で、穂波(ほなみ)(みのり)と申します。初めまして」

「初めまして。ユタカちゃんのクラス担任をさせて頂いております鍋島美弥(みや)と申します」

「よろしくお願いします」

「はい。それではいきなりですが……試験を始めます」

 そう言って鍋島先生は一歩下がりました。そして私たちにも一歩下がるように指示しました。

「ちょっと狭いと危ないからね。下がってて」

「あの、鍋島先生……?」

「それじゃあ試験を始めまーす」

 そう宣言すると、鍋島先生はニヤッと意味深な笑みを浮かべました。

 なぜでしょう。嫌な予感しかしません。

「試験内容は、これから目の前で起きる事に対し、いかに平静でいられるかです」

 え?

 そう声を上げる間もなく、鍋島先生はいきなり目の前でバクテンをしました。

 黒いジャージに包まれた小さな体が弓形に反り、それはそれは綺麗なフォームのバク転でした。

 体育の先生なのでしょうか。

 そんな感想も、私は驚愕のあまり口に出来ませんでした。

 なぜなら、トンと小さい音を立てて着地した鍋島先生は――

「にゃあ。どうかにゃあ?」

 爛々と光る金瞳を持つ、二尾の黒猫になっていました。



       *  *  *



「猫又」

 横になった私の枕元で、冷水に浸したタオルを絞りながらユーくんが呆れたように呟きます。

「個人的には、日本の化け猫の中でも一番有名な妖怪だと思ってる。主に山中で人を襲っていた獣が妖怪化するパターンと、人家で飼われた猫が年老いて妖怪化するパターンがあるけど、鍋島先生の場合は後者ね。尻尾も二本あるし」

 絞ったタオルがまぶたの上に置かれます。

 冷たくて気持ちいいです。

「これで分かったでしょ? 姉さんの他にここの管理人が出来る人はいないんだ」

「……………………」

 私は自分でタオルを押さえながらユーくんの話に耳を傾けます。

「この町は月波市っていう名前なんだ。でも『ツキナミ』の名前に反して全然月並みじゃない。なぜか昔からこの町には妖怪とか幽霊とか、たまには神様とか、そういった普通じゃない存在のたまり場となっていたんだ」

「……………………」

「しかもここに集まる人間も普通じゃない。ほとんどが退魔師とか霊媒師とか――それに僕たちみたいな陰陽師の末裔とか。ここに住んでいる人だって、いわゆる普通の人なんて一人もいないんだよね」

「……ぅうっ……私は陰陽師なんかじゃありません……」

「まあ姉さんは陰陽師の才能はなかったけど。でも見えるんでしょ? 幽霊とか」

「……見えます。だから怖いんです……。普段は人の形をしている妖怪さんならともかく、いきなり猫に戻る猫又さんとか、夜中にヒュ~ドロドロドロとかいって出てくる幽霊さんとかが苦手なんです」

「姉さんの怖がるポイント、相変わらず微妙だよね」

「……そうですか?」

 普段は人の姿をしている妖怪さんは割と多くいます。

 それは穂波家が陰陽師の末裔であるからということから、『それ系』の方々と触れ合う機会があったため知っていることですが。

 とにかく私はそういった方々は怖いとかは感じません。

 というか一生懸命人間社会に溶け込もうとしている方々を怖いなどと感じません。

 ですが、先ほどの鍋島先生のように驚かす意思があって本来の姿に戻る妖怪さんや、いきなり薄暗いところから出てくる幽霊さんとかが苦手なのです。

「姉さん、何があっても平静でいろって言われたのに、いきなり気絶しちゃって」

「だ、だって仕方がないじゃないですか! いきなり人が猫になったら誰だって驚きます!」

「まあ悲鳴を上げなかったのは立派だったよね」

「うぅ~……」

 悲鳴を上げる間もなく気絶してしまったのですが。

「まあたぶん大丈夫だとは思うけど……で、どうするの?」

「……どうする、とは?」

「いや、姉さん。こんな文字通りのお化け屋敷に、お化け苦手の姉さんが来てくれるとはとても思えないんだけど」

「そもそも、気絶してしまった私が合格とは思えないのですが……?」

 そう言うと、ユーくんは一瞬だけキョトンとしました。

 そしてすぐにニコッと笑いました。

「てことは、合格したらここに来てくれるってことだ」

「……まあ、大切な弟を路頭に迷わすわけにはいきませんしね」

「そっか」

「いえ、ですから、なぜあなたはそんなにのほほんとしているのですか。私、気絶してしまったのですよ? 合格できるわけがないじゃないですか」

「合格だにゃ」

「ですから、そんなわけが――」

 ……合格だ『にゃ』?

 私はゆっくりと声のする方へ振り返りました。

 そこには予想通り、金瞳の黒猫が二本の尻尾を揺らしながら座っていました。

「鍋島先生……?」

「へえ、もう驚かにゃいのかにゃ?」

「ええ、まあさすがに二回目ともなれば。それに始めに声をかけてくださったので……」

 そんなことよりも。

「え、鍋島先生……合格って……?」

「文字通りの意味だにゃ」

 鍋島先生の表情は、猫の顔そのものであるにもかかわらず真剣であることが読み取れました。

「ミノリちゃんは確かにアタシを見て気絶してしまったにゃ。でも今はこうして普通に(はにゃ)しているにゃ。それにユタカちゃんに聞いたところだと普通に家事全般はこにゃせるそうだにゃ。十分、ここの管理を任せられるとアタシは判断しましたのにゃ」

「はあ……」

 表情は真剣なのですが……猫語だからでしょうか、緊張感に欠けます。

「それに」

 鍋島先生は困った表情を浮かべました。

「もうアタシたちも選り好みしている場合じゃにゃいのにゃ。そろそろ次の管理人が見つからにゃいと、ユタカちゃんたちの住むところがにゃくにゃってしまうにゃ」

「……………………」

 じ~、とついつい鍋島先生を凝視してしまいます。

 猫の小さな口から人間の言葉が発せられているというのは、初めこそ違和感を覚えましたが……見慣れてくれば可愛いじゃないですか。それに猫語です。

 口を動かすたびに動くおひげなど、本当に可愛らしいです。

「……………………」

「ですから、アタシたちとしても、ミノリちゃんがここの管理人をやってくれたら、すごく助かるにゃ」

「……………………」

「どうかにゃミノリちゃん? あまりいいお給料は出にゃいけど、バイトは自由だし、住むところはここだし、割といい条件だと思うにゃ」

「……………………」

「……ミノリちゃん?」

「もちろん……」

「にゃ?」

「もちろんここに決めさせて頂きます! 鍋島先生!」

「にゃにゃっ!?」

「姉さん!?」

 気付けば、私は飛びつくように鍋島先生を抱きしめていた。

 何やらユーくんが慌てて引き剥がそうとしていますが、その程度では離しません!

「やーっ! もう! かーわーいーいーっ!! もうこの毛並みなんか最高です! お耳もフニフニです! プニプニ肉球反則です! こんな可愛い妖怪さんがいる町なら、多少のお化けなんか克服します! もちろん断る理由なんかありません! もう明日からでも住み込みたいくらいです!」

「いや姉さん、まだ大学卒業してないでしょ!?」

「にゃにゃ~……!?」

 目を回してしまった鍋島先生を抱きしめつつ、私は頭の隅でこれからの生活について考えていました。

 確かにお化けは怖いですが、それでもこの町での生活はとても楽しみです。

 こんなに可愛らしい妖怪さんがいるなら、私の怖がりもきっと克服できるに違いありません!

「ぃや~っ! 本当に可愛い!」

「姉さん、いい加減離してあげて! 抱っこが苦手な猫もいるんだから!」

「うにゃあああぁぁぁ~……」


 ちなみにその後、鍋島先生を無理やり奪い取ったユーくんに、本気でお説経を受けたことは言うまでもありません。

 少しやりすぎてしまいました……。

 要反省、です。




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― 新着の感想 ―
[一言] 就活でそこまで落ちると流石に心が折れてしまうのでは……しかし、そこそこ主人公もマイペースでなんとかなったようですね。 新しいお仕事。めちゃくちゃ異形の類がいる町のとくに出没しやすい場所の管理…
感想一覧
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