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だい よんじゅうろく わ ~応龍~




「合宿最終日……つっても、何だかんだ昨日まで遊びつくしたからやる事ねーなー」

「贅沢な悩みだねー」

「……全くだ」

「こらそこ、筋肉ダルマ三人が固まらないでくださいよ。暑苦しい」

 長かった学習合宿も最終日――なのだが、きょう先輩もぼやいている通り、午前中の講義内容の小テストをパスしたら午後は自由時間というシステム上、おおよそ夏に海でやる遊びはやり尽くしてしまった感がある。特に今日なんかは夕方バスで帰るだけなので、朝っぱらから遊びまわり、もはやすることが何もないくらいだ。

瀧宮たつみやの、筋肉についてはお前に言われたくない」

「ガチムチが何言ってんですか。見よ、あえてバキバキに割らず、程よく引き締めた腹筋を」

「もうこの一週間で見慣れたわ」

「ぶっちゃけ、この合宿のために若干筋肉落としました」

「プロ意識高過ぎんだろ」

 明日からまた鍛え直して戦士の体つきに戻す予定。元々筋肉が付きやすい体質らしいから、肉食って筋トレすれば五日で戻るわね。

「いやでもホント、やることないわね」

「あれ? いつも一緒にいる朝倉あさくらさんたちは?」

「あたしと真奈まなちゃん、それにビャクちゃんの三人でさっきまで一緒に砂のお城作ってたんですけど、藤村ふじむら先生とアヤカちゃんが参戦したら魔術とか駆使して姫路城とかコロッセオとか作り出したんで付いて行けずに離脱してきました」

「何それすげえ」

「……穂波ほなみは」

「ユーちゃんなら……ほらアレです」

 あたしが指さす先――九十九海岸に隣接する湾内で派手な音と波飛沫を立てて走り回る水上バイクから悲鳴と歓声が断続的に聞こえてくる。

「何アレ」

「兄貴が運転する水上バイクにイヴさんが二人乗りし、さらにユーちゃんが水上スキーをやらされている図です」

 水上バイクは明らかな速度の出し過ぎにより、船首を持ち上げるどころか時々全体が浮き上がる始末だ。その度に兄貴とイヴさんのテンション高めな声が響き渡り、同時にユーちゃんの今にも泣き出しそうな悲鳴も混じって聞こえてくる。

 てか、何気にあの速度で一回もバランス崩すことなくしがみ付いているユーちゃんも凄いな。

「……大したバランス感覚だ」

「アレに食いついたまま離さないとは、称賛に値する」

「単に離して水に叩き付けられたら死ぬほど痛いから必死なだけじゃ……」

 相良あらい先輩の的確な分析に苦笑しながら、あたしはその場を後にした。

 体力に自信がある三人もさすがに疲れているのか、パラソルの下に腰を下ろしたまま結局一歩も動こうともしなかった。つまらん。

 あと暇を潰せそうなのは……風間かざま一家と市丸いちまる先生とお孫さんの味香みかちゃんは釣り。鍋島なべしま先生も小魚のおこぼれ狙いで猫姿で付いて行ってしまった。いずみちゃんは遠泳に行ったところ懲りずに塩水にやられてくれないくんにシャワーを浴びせられながら説教食らってたし、残るはもみじ先輩、ハル先輩、それにウッちゃんかな。

 さてさてどこに行ったのかなと見渡してみると、合宿所として使った海の家が建っている高台にパラソルとテーブル、椅子を設置してテラスハウスっぽい物を作ってくつろいでいた。

 持ち込んだのであろう文庫本から目を離し、もみじ先輩がこちらに気付いて「あら、梓さん」と声をかけてきた。それに気付いて、ウッちゃんとハル先輩も手を振ってきた。

「どもっす」

「アズアズいらっさーい」

「何だか珍しい組みあわせね。ウッちゃんとハル先輩はいつも一緒にいるけど」

「ふふ、それもそうですね」

 小さく微笑むと、もみじ先輩はペラッと文庫本のページを繰り、アイスティーの入ったグラスを口に付ける。その時、髪が一房耳から零れ落ちた。それを再び耳を出すように髪を持ち上げる仕草が……何というか……。

「「「綺麗……」」」

「え?」

「いえ、こっちの話です」

 今日もみじ先輩が着てるのは薄水色のワンピース。いつもは兄貴に合わせてか黒い服ばかりなのだが、さすがに夏の海であの恰好は暑いのか、珍しく淡い色合いだった。それも相まってか、深窓の令嬢って感じがしていつも以上にお美しいですお姉さま!

「……って、今何を考えたあたし……」

「どったん?」

「いや、何でもない……」

 もみじ先輩が姉のような存在になるのは大歓迎ではあるが、その前提としてあのクソ兄貴がどうしても絡んでくるというのは気に食わない気に食わない!

「はっ……兄貴ともみじ先輩をくっつけた後、兄貴を始末すれば公然ともみじ先輩を義姉と呼べるのでは……!?」

「何物騒なこと考えてんのよあんたは。早々に白銀しろがね先輩を未亡人にする気か」

 はあ、と溜息を吐くウッちゃん。

「せっかく髪も伸びてきて女の子っぽくなってきたのに、発言がいちいち血生臭いというか何というか」

「そう言えば梓、大分髪が伸びたな」

「え、そうですか?」

「ああ。春先、私がこっちに来た頃はもっと短かっただろう」

「あー」

 そう言えばここ数か月美容院に行った記憶がないなー。黒炎事件から学園祭、期末テスト、そんで今回の合宿と、すっごい忙しくて行く暇もなかったっけ。

「あ、そだ。ねえアズアズ、わたしが切ったげよっか」

「ウッちゃんが?」

「うんうん、わたし、髪切るのは得意なんだー」

「何で料亭の一人娘が髪切るのが上手いのよ。ウッちゃんは若女将の修行でもしてなさい」

「わたし向いてないってー、あの家業。良い男捕まえたらそっこー仕事全部押し付けてやるんだから」

「……? 宇井ういの家は料亭だったのか?」

「んー? あれ、言ってなかったっけ?」キョトンと首をかしげるウッちゃん。「わたし、こう見えて老舗料亭『隈武屋』の跡取り娘なんだよね」

「あたしらの家の本職は陰陽師だけど、この時代、陰陽師だけで食べていくのは辛いですからねー。使用人とかかなりいますし。それに元々ウッちゃんちは昔から料亭を隠れ蓑に陰陽師やってたから、家を継ぐならそっち方面での修行もしなければいけないのです」

「はあ、意外だな……老舗料亭の跡取り娘……」

「だーから向いてないんだって。わたしの将来の夢は、重いもの全部次世代に投げつけてやること。んで、のんべんだらりと生きる。少なくとも父ちゃんみたいに仕事人間が凝り固まってぎっくり腰になるのだけはご免こうむりたいわ」

「親父に聞いたんだけど、隈武のおじ様も若いころ同じこと言ってたらしいわよ」

「何だと!?」

「血は争えない、というやつですね」

 もみじ先輩が苦笑し、ウッちゃんが悔しそうに表情を歪める。ちなみに、大女将であるウッちゃんのお婆さんも乙女時代に同じことを言っていたらしいというのは秘密である。

「ところで、隈武家が料亭なら、他の家は何をしているんだ?」

「ユーちゃんちは焔稲荷神社……ホムラ様のお付です。が、最近は陰陽師と神社の管理だけでも辛いらしいので、ユーちゃんのお爺さんの代から普通に働いてますよ。お爺さんは元軍人、お父さんは普通に公務員だったかな。今は転勤で月波市離れてますけど」

 それにしても、あの好々爺然としたじーちゃんが泣く子も黙る鬼軍人だったという噂もあるが、眉唾物である。

「あとハルとはあんまり関わりがないけど、『大峰』は旅館で『兼山』は武道とか作法とか諸々のお稽古所。現当主のミサミサ――美郷みさとなんて、すっごいんだよ。武道十八番の他にお花、お茶、着付け、書道も何でも教えられるんだ。見た目お子様だけど」

「それは……凄いな。それで、瀧宮家は?」

「土建屋です」

「……………………お、おう」

 微妙な反応ありがとうございます。もう慣れましたわ。

「お嬢! どうしやした! 浮かない顔をして!」

「ウッちゃんヤメテ。てかどっから声出してんのよ、そのしわがれ声」

 言っとくけど、うちは真っ当な会社だから! ちょっと全身に刃物仕込んだガタイの良い兄ちゃんたちが多いけど! 袖から色鮮やかな墨が見える時もあるけど!

「まあアズアズんちって古き良きヤクザって感じよね。わたしも子供の頃、目付きの悪い使用人さんたちにお世話になったわー。飴もらったり」

「何の変化球も付けずに思いっきりヤクザ呼ばわりしてくれたわね……!」

 一部事実なだけに、否定しづらい。

「つまり、梓さんは女組ちょ……女社長になるんですかね」

「もみじ先輩、今組長って言いかけましたよね」

「ちなみに会社の名前は?」

「瀧宮組」

「やっぱヤクザじゃん」

「違うって! とんだ偏見! 昔からある建設会社はナントカ組って名乗る伝統があったのよ!」

「ははあ、そうなのか」

「そうなんです」

 だからうちは真っ当な会社だって……。

「別に土建屋家業は世襲制じゃないんで継ぎませんよ。遠からぬ親戚が継ぐんだと思います。あたし関連の誰かが継ぐことになるにしても、あたしの旦那とかがそこに収まるんじゃないですか?」

「てか、アズアズの旦那とか想像できないわー。というか、アズアズのウェディングドレスとか白無垢とか、脳機能の範疇外だわ」

「失礼な! あたしだって女の子だし、そう言うのに憧れはあるわよ!」

「そんな戦士みたいな引き締まった肉体をしていて女の子を語るかね」

「別にいいじゃん! 戦士系女子、そのうち流行るわ!」

「ちなみに、梓さんの理想の男性像は?」

「あたしより強い人」

「そんな化物がそこらに転がっててたまるもんですか」

「まあ梓の理想の男性像って、実は羽黒はくろさんが根本にあるようだから無理もないかな」

「はあっ!? ハル先輩何言ってんですか!?」

「違うのか? この一週間羽黒さんの近くにいてそう感じたのだが。この兄にしてこの妹あり。幼少期はかなり影響を受けて育ってきたように見えたが」

「あー、ハル。そりゃそうよ。今でこそこの子ツンツンしてるけど、その昔は――」

「わー、わーっ、わーっ!?」

「あら、その話は私も気になりますね」

「もみじ先輩まで食いつかないでください! 大人しく本読んでて!」

「二言目には『にーちゃんとけっこんするー』とトコトコ黒にーさんの後ろを付いて回るロリズサが懐かしい……」

「言うなっ!?」

「あら、梓さんが相手であっても私は手加減しませんよ?」

「怖っ!? もみじ先輩目怖っ!? 昔の話ですよ!? もう十年近く前! 今は殺したいほど――」

「憧れている」

「憧れてない! ウッちゃんちょっと黙って!!」

「も~、梓ちゃん素直じゃないんだから~」

「だからあたしは……………………へっ!?」

 その時、あたしはいつの間にか背後に建っていた人影に気付いた。

 夏仕様の薄手の藤色の羽織袴にピンクのリボンで髪をくくり、カランコロンと高下駄を鳴らす。日傘替わりなのか赤い和傘を手にしてそこに立っていたのは、瀧宮家の守り神であるミオ様だった。

「へ、え? 何で?」

「やっほ~、梓ちゃん」

「やっほ~、じゃないです。何でミオ様がここに?」

「うん、ちょっと用事があってね~。来ちゃった☆」

「来ちゃった☆ じゃないです!? 超ビックリした!」

 唐突過ぎるうちの守護神の登場に、あたしはあたふたと何もできずに立ち往生した。それを見かねたのか、もみじ先輩が苦笑交じりに椅子をもう一つ持って来てミオ様に勧めた。

「お久しぶりです」

「あら~、もみじちゃんお久しぶり~。前にうちに来た時以来かしら~?」

「そうですね。アイスティーいりますか?」

「あら~、気を使わせちゃったわね~。それじゃあ一杯頂こうかしら~」

「お、おお、お久しぶりですミオ様」

「あら宇井ちゃ~ん」

 と、あたし同様に驚いて固まっていたらしいウッちゃんも復活。ギクシャクとした動作で頭を下げた。

「宇井ちゃん最近全然うちに遊びに来てくれないから寂しかったわ~。しばらく見ないうちにすっかり綺麗になっちゃって~」

「ミオ様、親戚のおばちゃんじゃないんですから」

「似たようなものよ~、うふふ~」

 かいぐりかいぐり。ミオ様はウッちゃんの頭を撫で回し、ホンワカとした笑みを浮かべる。少しくすぐったそうだが、ウッちゃんも満更ではないらしくはにかみながらなすがままだった。

「それで~、そっちの異国の方は初めましてかな~?」

「あ、はい。ハル・セイレン・ラインと申します。今年の春から月波学園に留学してきました。高等部二年生です」

「あら綺麗な発音~。それにいい声してるわね~」

「さっすがミオ様お目が高い。ハルは月波学園美声2トップの一人なんですよ」

「ま~! それじゃあ今度歌を聞かせてもらってもいいかしら~?」

「は、はい、私で良ければ」

「うふふ~、そんなに畏まらなくてもいいのよ~? 見たところあなたも水妖でしょ~? 同じ水妖のよしみでフランクに行きましょ~」

「いやですから、ミオ様は神様としての自覚を持ってください……」

 どんなに人間臭い上にホワホワな雰囲気でも、仮にも神と呼ばれてる相手にフランクに接することができるほど我々の心臓に剛毛は生えていない。

「ミオ様、お茶が入りました」

「あらありがと~」

 ……まあ、もみじ先輩ならミオ様相手でも臆せず接することはできそうだが。もっとも、彼女は誰にでも丁寧な態度で臨むので比較の対象にはならないか。

「それで、ミオ様は何しに来たんですか」

 もみじ先輩が注いだアイスティーの入ったグラスを両手で可愛らしく持ちながらコクコクと喉に流し込んでいた。

「ふ~、喉が渇いてたから助かったわ~」

「そりゃ良かったです。んで、何しに来たんですか?」

 まさか海水浴というわけでもあるまい。

「野暮用……と、言うと相手方に失礼かしらね~。ちょっとお仲間に呼ばれて来たの~」

「お仲間?」

 ミオ様のお仲間って……。

「そうだわ~! 梓ちゃんたちっていつここを発つの~?」

「え? 今日の三時過ぎです」

「それ、少し遅らせることはできないかしら~? 出来れば五時くらいにならないかしら~」

「へ? えーと……」

「参加人数も結構いますし、予定等を聞いてみないことにはすぐに返事はできませんね」と、あたしの代わりにもみじ先輩。「何をなさるつもりかは存じませんが、一応聞いてみますね」

「ありがとうもみじちゃ~ん! それじゃ~、私は準備しなきゃいけないからこの辺で~。お茶美味しかったわ~、ご馳走様~。それじゃあ五時くらいに浜辺に集合ね~」



       *  *  *



 奇跡的にと言うか、全員等しく「予定はないから大丈夫」という返事をもらった。

 まあ実際に大した用事もないというのもあるのだろうが、あのミオ様が一体何をするつもりなのかが気になったというのが大きな理由なのだろう。

「ま、期待はそこそこに待っててやるか」

 というのが兄貴の弁。ミオ様が唐突なのは昔からだしね。

「ってことで五時になったけど……」

 辺りはすっかり夕日で赤く染まっている。もうそろそろ逢魔時ということもあってか、この前の化鯨らしき仄暗い声が沖合から響いてくる。

「あの化鯨、まだその辺にいるのね」

「もう座礁して来ねえだろうな」

 兄貴共々げんなりと溜息を吐く。こっちの気持ちを知ってか知らずか、化鯨は呑気にボーゥ、ボーゥと歌うように鳴き続けている。

 またぞろ海女房でも大量発生させられたら敵わないからとっととどこかに行ってほしいんだけ……ど……?

「ん……?」

 その時、あたしは水平線の辺りに何かがいるのに気付いた。

「何だアレ……?」

 目を細め、視力をフルに使ってソレを見極める。この距離でも頑張れば海面からひょっこりと顔を覗かせているのが分かる程度には巨大なアレは……。

「海坊主……」

「待って、それだけじゃないぞ」

 と、ユーちゃんが言霊を紡ぎ、手元に巨大なライフル銃を喚び出した。そしてスコープを望遠鏡代わりに覗き込むと、次々に名前を列挙していく。

「海坊主の他に、船幽霊、蟹坊主、化鮑、海の方のぬらりひょん、海女房に牛鬼、鵺までいるぞ。あと名前分からん有象無象は数えきれない」

「いや、もういいわよ……」

 スコープで覗かなくても、ここからでも海の妖怪がウジャウジャと海中から湧いて出てきているのは十分見て取れる。

 最初はポツポツと見えていたそれらの影は、ついには水平線を覆い隠した。そして水面に浮かびあがり、それぞれが何かを伝えるかのように夕日の照らす空に向かって鳴き始めた。


 ホォーゥ……

 ヴォー……

 フォィー……

 ヒューィ……


 不思議なその合唱はついには遠く離れたこの海岸にいてもはっきりと聞き取れるほどの大きさになった。

「……………………」

「ハル……? おい、どうした!?」

 経先輩の叫び声が聞こえた。

 そちらを見ると、空ろな表情を浮かべたハル先輩がスニーカーが濡れるのも憚らずに波打ち際からさらに海の中へと足を突っ込んでいた。経先輩が止めなかったら、もっと深くまで行ってしまっていた気がする。

「あ……すまない。何だか……あそこまで行きたくなったというか……」

「はあ!? おい、大丈夫なのか!? 引っ張られてないか!?」

「大丈夫……大丈夫だ。だが、ここにいさせてくれ。少しでも、海に浸かっていたい……彼らと共に、祝福したいんだ……」

「は? 祝福……?」

 見れば、泉ちゃんもダッシュで海に飛び込もうとして紅くんに羽交い絞めにされていた。奥田おくた夫妻もソワソワと落ち着かなそうだし、ひょっとして水妖系に影響を及ぼす何かがあの妖怪の群れの合唱にはあるんじゃ……?

 ミオ様は、ここで一体あたしたちに何を見せたいというのだろうか。

「んー……んん!? 見て、あれ!」

 と、ずっと目を凝らしていたウッちゃんが水平線を指さす。あたしより視力が上のウッちゃんは何か見つけたらしいが、あたしには何も見えない。仕方なくユーちゃんからライフルを借りてスコープを覗き込むと、妖怪たちの真ん中に見慣れた人影が水面に浮かぶように立っていた。

「ミオ様……?」

「何してんだあいつ……?」

 訝しげに呟く兄貴。

 あたしもミオ様の真意を掴み切ることができずにただボーっとスコープを覗き込んでいると――唐突に、ミオ様の背中から巨大な猛禽の翼が生えた。

「は?」

 そこからはあっという間だった。

 瞬きをする間もなくミオ様の姿はスコープの視界に収まりきらないほど巨大化する。スコープから目を離すと、沖合に佇む海坊主など比ではないほどの巨体を誇る、艶のある黒と藤色の鱗を持つ龍へと変化した。

「アレが……ミオ様の本当の姿……? すごい……」

「ああ……俺も初めて見たぜ……」

 ミオ様は雄大な翼を羽ばたかせると、その場で蜷局を巻くように水面ギリギリを滑るように飛び始める。一体何をしているのか分からなかったが、しばらくすると海面からもう一つ、何かが顔を見せた。

 それはミオ様よりもかなり小さい――と言っても、周囲の妖怪たちからすれば巨大な、もう一頭の龍だった。

 龍は海面から顔を出したまましばらくミオ様の動きを目で追うと、あたしたちの目から見ても覚束ない動きで海中から飛び出した。

 ヨタヨタと見ているこちらが不安になってくる動きでミオ様の後を追いかけるように宙を舞う。時折海面に体をぶつけながらも、その龍はミオ様に並ぶように少しずつ高度を上げていった。

「もう少し……もう少し……!」

 誰からともなくそう呟く声がした。

 あと少しで……!

 その時、ミオ様が一際大きく翼を羽ばたかせた。その勢いでミオ様は天に向かって首をもたげて大きく飛翔する。その風圧で海面に波紋が浮かび、浜辺まで強い風が届いた。

「うっ……」

 誰かがその風圧に呻く。

 しかし誰一人として、その光景からは目を離さなかった。

 龍はミオ様が起こした気流に乗り、未だ覚束ないながらも体をうねらせてしっかりと姿勢を保ち、天を目指して飛翔した。そして上空で待っていたミオ様が龍の隣に並び、雲の彼方へと消えていった。


 ホォーゥ……

 ヴォー……

 フォィー……

 ヒューィ……


 海面で二頭の龍の飛翔を見守っていた妖怪たちが再び鳴き始めた。それは新しい仲間の誕生を歓迎しているかのような不思議な響きがあった。

 ボーゥ、と一際巨大な声が上がる。

 水平線のさらに向こう側で、巨大すぎる化鯨が海面から全身が浮き上がるほどの力強い跳躍で、新しい龍の誕生を祝福していた。



       *  *  *



「応龍」

 バスを運転しながら、兄貴が呟く。

「蛇は五百年で鱗が生え揃い蛟になり、蛟は千年で龍になり、龍はそれから五百年で角が生えて角龍に、そしてもう千年で翼が生えて龍族の最高位である応龍になる。特に応龍の中でも年老いて強い力を持つ者は黄龍と呼ばれる特別な存在になるんだそうだ」

「つまり、あの龍は蛇から蛟になったばかりの若い個体ってこと?」

「多分な。龍族の個体が少ない理由はもちろん、霊力を持つ長寿な蛇が少ないからなんだが、それ以前に五百年も生きながらえること自体が困難だからな。蛟になる前は普通に蛇なんだから、鳥に襲われればそこでお終いだ」

「なるほどねー。そりゃ、あれだけ盛大に祝福されるわけだ」

 何かあの辺り一帯の海には水妖系のコミュニティがあるらしく、数百だか数千年ぶりに身内から新しい龍の一族が誕生するということで、至る所から妖怪たちが集まって来ていたというのがあたしたちの見解だ。しかも冥界から化鯨まで祝福に来るわ、ゲストでミオ様までやって来るわで、彼らとしては一生忘れられないイベントとなったに違いない。

「まあそれで海女房騒ぎが起きたあたしらとしては、たまったもんじゃないけどね」

「違いない」

 軽薄な笑みを浮かべながら、兄貴はブレのないハンドル捌きで大型バスを操る。

 バスの車内は初日とは打って変わって静まり返っている。普段から喧しい脳筋三人組や泉ちゃんを始め、ほぼ全員がダウンしてしまい座席で眠りこけている。もみじ先輩でさえ、あたしの隣でこっくりこっくりと舟を漕いでいる。

 てか真横で改めて見るともみじ先輩まつ毛長いなー……超綺麗。

「この寝顔を普段独り占めしてるとかふざけんじゃないわよこのクソ兄貴」

「いきなりなんだお前」

 ポスンと一回だけ兄貴の座る運転席の後ろから軽く殴りつけ、あたしは座席に深く腰を下ろした。

「……ところでさ、兄貴」

「ん?」

 あたしは前々から気になっていたことを訊ねた。

「兄貴はさ、何で龍殺しなんかやったの?」

「……………………」

「今日初めてミオ様の本当の姿を見たけどさ、アレに立ち向かおうなんて普通考えないでしょ。あんたバカなの?」

「……まあ、龍殺しは俺の目標のための手段の一つだったんだよ」

 兄貴は語る。

 周りの人が起きないように、あたしにしか聞こえないような小さな声で。

「目標?」

「強くなること。ああ、特に深い意味はないぞ。単純に、肉体的に、能力的に強くなりたかったってだけだ」

「まあ……分からないでもないけど」

 あたしたち兄弟は、すぐ身近に最高の白という越えられない強者の壁を感じながら育ってきた。特に兄貴は十年以上積み上げてきた物を、十歳足らずの少女に完膚なきまでに叩き壊されてしまったのだ。強さを追い求めるのは至極当然の事だったのだろう。

「実際に龍殺しに至った経緯は、実は成り行きに近いな。ちょっとした事情で谷の底に叩き落とされちまってな」

「あんた何したのよ、谷の底に叩き落とされるって」

「まあそこは置いとけ。話せば長くなる。で、その谷の底にはとあるドラゴンを神として祀る一族の末裔がいたわけなんだが、その当のドラゴンは生きることに疲れて……いや、絶望していてな」

「絶望……」

「ああ……デカい、本当にデカいドラゴンだった。それこそ、並べばミオが蛇程度にしか見えないくらい巨大だった」

「……………………」

「そのドラゴンは生まれながらの特殊な体質らしくてな。簡単に言えば、食らった対象のそれまでの歴史、過去を自分に取り込んでしまうんだと。しかも食えば食うほど相手の過去と一緒に魔力やら霊力やらも貯蓄していってしまうから、どんどん個体としての力も強くなる。すると自ずと肉体は巨大化していき、食う量も増える。食う量が増えるとまた貯蓄されていく魔力も増大し……って感じで、自分でも手に負えなくなっていったそうだ。加えて、食った相手のそれまでの記憶も自分の物として取り込んじまうんだから、ぞっとする。想像に絶する」

「それは……」

 確かに、絶望する。

 食らった相手の記憶をも自分の物として取り込んでしまうということは、すなわち、生まれ落ちてから食われるまでの記憶を取り込んでしまうということ。つまり、自分が自分に食われてしまうかのような記憶を取り込んでしまうということだ。

「だから、あいつは食うのをやめた。何者も食わず、殺さず、ただただ空腹を紛らわすために己の尾を噛み続けていた」

 そうすればそれ以上の記憶を取り込むことはなくなるからな、と兄貴は小さく笑った。

「自殺は……考えなかったのかな、そのドラゴン」

「考えたらしいぞ。だが思い立った頃には死んでも死にきれないほど強大な存在になっちまっていたらしい。その上、奴は必要以上に優しすぎた。いつの間にか自分が神として崇められていて、自分を頼って身寄りのない者が集まりだしていたからな。放って置けなかったんだろ」

「なんか……」

「ん?」

「……ううん、何でもない」

 兄貴みたいな奴だね、と。

 あたしはその一言をとっさに呑み込んだ。

「で、そんな奴の前にひょっこり俺が現れて、話を聞いて『じゃあ俺が殺してやるよ』ってなったわけだ」

「ノリ軽っ」

「ちなみに、すげえ抵抗されたぞ」

「まあ、そうよね」

 例え生きることに絶望していたとしても、自分を頼って集まってくる人たちがいたら抵抗くらいするわ。そう思ったのだが、兄貴は「違う」と首を横に振った。

「言っとくけど、そいつの元に人が集まって神として崇めていたのは大昔の話だぞ? 言ったろ最初に。末裔って」

「あ、ああ、そういうこと」

「まあそう言う気持ちがないでもなかったんだろうけどな。だが奴が抵抗した一番の理由は、『自分を殺した後、瀧宮羽黒の身に何が起こるか分からないから』だ」

「へ?」

「バカだろ? あいつは自分を殺そうっていう奴のその後の心配までしてたんだぜ?」

「それは……」

 それこそ、まるでかつてのあんたみたいじゃない……。

 あたしら姉妹を過保護なくらい心配していた、兄貴みたいじゃない……。

「まあ龍殺しの力の源が、ドラゴンの魔力を帯びた血を浴びるってことだからな。奴のように特殊なドラゴン由来の魔力を俺が受け継いで――取り込んだら、どうなるか分からんと思ったんだろう」

「あ……!」

 そうか。

『取り込んだ相手の記憶りゃ魔力を取り込む』という特殊な能力を持つドラゴンの力を取り込んだら、兄貴が第二のドラゴンになる可能性があるのか。

「え、じゃあ、兄貴は今……」

「安心しろ。別にその特殊能力は受け継いでねえよ」

「あ、そうなんだ」

 安心した。

 安心して、何であたしがクソ兄貴の心配をせねばならんのかとムッとした。

「別に食った魚や肉の生前の記憶を取り込んでる感覚はないから、奴の杞憂だったんだろ。それか、奴が自分で思っているほど、特別でも特殊でもなかったか」

「それは……どうなんだろ。あたしには分からないわ」

「ちなみに派手に抵抗されて俺は『御託はいいからとっとと力を寄越しやがれクソ蛇』と罵った」

「それはあたしにも分かる。あんたが最悪だってことが」

 このクソ兄貴が……結局いつも通り、平常運転だったんじゃないのよ。

「まあ結果として龍殺しは成されたわけなんだが、もみじに助けられた節もあるんだよな」

「あ、もみじ先輩とはもうその頃には出会ってたんだ」

「まあな。実際にその場にいたわけじゃないんだが、結果として――ん?」

 と、兄貴は話題を切り上げて急に黙った。

「何よ」

「梓、俺のケータイ鳴ってないか?」

「え?」

 言われて耳を澄ませば、どこからか単調な着信音が微かに流れている。音源を辿れば、もみじ先輩の足元のカバンの外ポケットから聞こえてきていた。何で兄貴のケータイがもみじ先輩のカバンに入ってるのかはもうツッコまないことにした。

「メールだって」

「読み上げてくんね?」

 見覚えのある黒いスマホを起動させ、画面をタップしてメール着信画面を呼び出す。受信ボックスには新着が一通、宛名は「工藤くどう」となっている。


「えー、と、工藤さんから。『完成した』……って、これだけ? 件名もないし。兄貴、何これ」

「……そうか」

「え?」

「気にするな。そのうち教える」

 そう言って、兄貴はその後一言も発しなかった。




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