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だい よんじゅうさん わ ~海女房~




 夏休みを利用した学習合宿も、残す所あと二日となった。

 そのシステムの仕様上、午前中の講義後の確認テストで合格すれば午後の講義の受講は免除されるということで、この三日間私たちはのびのびと午後の海水浴を楽しんでいた。もちろん、学習合宿の名目で月波学園管轄のプライベートビーチと海の家に来ているのだから、自主的に講義を受けてもいいのだが、宇井ういに「せっかく海に来たのに遊ばないとは何事か!」と怒られてしまった。

「ふう……」

 一頻り海でダイビングを楽しんだ後、私はビーチに立てられたパラソルの下に腰を下ろし、海の家の太った管理人さんが用意してくれたキンキンに冷えたスポーツドリンクを一口飲んだ。

「あ、お疲れ様ですハルさん」

「ああ、ユー介か。君もお疲れ様」

 迷彩柄の水着に半袖のパーカーを羽織ったユー介が何やら重そうな段ボール箱を抱えてこちらにやって来た。たしか彼は昼食の後にお酒の買い出しに向かった羽黒はくろさんの付き添いで外出していたはず。一緒に何か差し入れでも買ってきてくれたのだろうか?

「それは?」

「羽黒さんのおごりです。じゃじゃーん」

 そう言って箱のふたを開けると、緑と黒の縞模様の独特の光沢のある大玉が二つ出てきた。

「おお、スイカか」

「やっぱり海に来てスイカ割りをしないのは礼儀に反する! ってきょうさんが言ってたので買ってきました」

「スイカ割り……やったことがないな」

「そうなんですか?」

「ああ、ないな」

 というか日本以外でそんな風習はないと思うが。

「じゃあハルさん、スイカ割りデビューですね。ところで言い出しっぺの経さんは?」

「ああ……彼なら今頃、駒野こまの香川かがわ両名と共に風間かざま先生の地獄のような集中講義を受けているよ」

「……どうりで今日はビーチに男臭さがないわけだ。というか経さんタイミング悪っ」

 あの三人は風間先生に常日頃から目を付けられているから、今頃嬉々として難問を出してくる風間先生に涙を流しているのだろう。

「あ、ユーくん。お帰りなさ……スイカです!」

「姉さん。ただいま」

 二人で話していると、フリルがあしらわれたピンクのワンピースタイプの水着を着たみのりさんがこちらにやって来た。講師役として招かれた穂さんだが、今日は午後の講習の受講者がいないということで皆と海に遊びに来ていたのだ。

「ユタカー。お帰りー」

「ビャクちゃんただいま!」

 そして目敏く旦那を見つけたビャクもこちらにちょこちょこと駆け寄ってきた。白い狐の尻尾をぶんぶん振り回して嬉しさが溢れ出ている。

「むー……ユーくん、私に対する挨拶とのテンションの差が大きすぎませんか? いえ、その前に今年初の水着姿に何か言うことはないのですか?」

「何で実の姉の水着姿に何か言わなきゃいけないのさ。それに姉さんだって挨拶の途中でスイカに目を奪われたくせに」

「うっ……」

 押し黙る穂さん。

 こうして見ると本当に姉弟なのか怪しくなってくるな。穂さんも歳の割に幼く見えるし。

「それに、ここ数日ハルさんやもみじさんのを毎日見てるから、今さら姉さんの中途半端な体型と水着姿に何らかの感想を抱けと言う方が難しい」

「酷いです!?」

 グサッという音が聞こえてきそうなほどの衝撃が穂さんを貫いた。まあこう言ってはアレだが、古き良き日本人体型の穂さん(彼女の名誉のためにも言っておくが、胸は大きい方だと思う)と私では、流石に差は出てくる。

 これでも故郷では私も胸は小さい方だったんだがな。

「……………………」

「ん? どうした、ビャク」

 姉弟(兄妹?)のやり取りを見ていたビャクが、何やら不満そうに私と穂さん、そして自分の胸を見ていた。そして意を決したようにユー介に詰め寄った。

「ねえ、ユタカ」

「ん? 何?」

「ユタカもやっぱり、胸の大きい子の方がいいの?」

「へ? いきなり何――むぐぅっ!?」

「「!?」」

 突然の出来事に、私と穂さんは言葉を失った。

 それは、ビャクが何の予備動作もなしにユー介に抱き付き、若いながらも歴戦の陰陽師であるユー介も反応できないほどの速度でキスをしたということに対して()()()()

 キスに関しては、この二人が人目もはばからずにイチャイチャとするのはいつも通りだし、かと言って人前でキスをするというのは今まではなかったが、まあ正直に言って「おや今回は激しいな」という感想しかないのだが。

 そうではなく。

 キスをしたビャクの姿が、一瞬にして可愛らしい少女のそれから、大人びた美しい女性へと変貌したことにある。

 しなやかな脚にくびれたウエスト、豊満なバストと、さっきまでのビャクと同一人物だとはとても思えない。身長も伸びて、可愛らしいデザインの水着がパッツンパッツンになって妙に扇情的になってしまっているし、ついでとばかりに獣の耳と尻尾も消えている。

「おお、これが噂に聞くビャクちゃん(大)ですか」

「穂さん、知ってるんですか?」

「前にユーくんからチラッと。ビャクちゃんはユーくんとキスをして精気を吸い取ることにより大人化することができるらしいのです。まあ話を聞いた時はビャクちゃんに酔いしれて口にした戯言か寝ぼけているのだと思っていましたが」

「その見解はともかく、これは……」

 穂さん曰く精気を吸ってこの姿になったらしいビャクは、何か色々とやつれて砂浜に倒れたユー介の上に跨っている。が、ユー介の様子が……。

「どう? ユタカ。私だってその気になればいつでもこの姿になれるんだよ? ……ねえ、聞いてる? ユタカ」

「あー、ビャク?」

 ユー介の奴、多分吸われ過ぎて気を失っているのだと思うんだが……。

「ビャクちゃん、とりあえず水着のサイズが合っていないので着替えてくるべきだと思います」

「穂さん、それもそうですが、弟さんの心配も少しはしましょうよ」

「自業自得です」

 微妙に違う気がするのだが。

 いや、合ってるのか?

「とりあえず今はユーくんのパーカーを借りて着てください。それで海の家に貸し出し用の水着があるそうですから、サイズが合うのを探してきましょうね」

「あ、うん」

 言うと、穂さんは手際よくユー介のパーカーを剥ぎ取るとビャクの肩にかけた。そしてそのまま二人で海の家に向かうのを見届ける。その去り際、大人化したビャクがパーカーの襟元を口元に持っていき「ユタカの匂い……」とか口走ってたのは無視した。

 旦那も旦那なら、嫁も嫁である。

 とりあえず、このまま気を失ったユー介を真夏の炎天下の元に放置するのは危険なので、パラソルの下に引き摺っておくことにした。

「……うっ……重い」

 え、何これ?

 そこそこ鍛えてはいるようだが、ユー介は見た目は結構細身な分類だ。外見の筋肉量ならば経の方が上だろう。

 しかし、二の腕に手を回して持ち上げようとすると、確かに両腕に伝わってくるガッチリとした異質な重量感。これ……多分骨密度と筋繊維密度が常人の数倍はあるな……身長と体格を考えるとそうとしか思えない。

 そう言えば、同じ八百刀流のあずさもあの身長からは想像もできない体重があると聞いたことがある。

 とんだ脳筋一族だな……。

「おや? 穂波くん、どうしたの?」

「ありゃー、気絶してるー」

「あ、藤村ふじむら先生……」

 本人には申し訳ないと思いつつもズリズリと熱された砂浜を引き摺りながらユー介を運んでいると、穂さんたちとは入れ違いに藤村先生とその妹で幽霊のアヤカがやって来た。

 アヤカは幽霊故に亡くなった時の姿の冬用コートを着ている状態なのだが、藤村先生はいつものサングラスのような瞳が見えない濃いカラーリングの色眼鏡に加え、普通に半袖短パンという夏らしい恰好のために並ぶとシュールな光景となっている。

「まあ、何と言うか……ビャクに精気を吸われて気を失ったのです。それでこのまま放置するのもアレなので、パラソルの下に移動させようとしたのですが」

「重くて持ち上がらない? まあ穂波くんって結構鍛えてるからねー」

 いえ、これは鍛えているとかそういうレベルじゃないんですけど。

「じゃあ一緒に運ぼうか。アヤカ、反対側持って」

「ほいほーい」

 スイーッと滑らかな動きで私の横に移動するアヤカ。そして藤村先生が足側に移動し、三人で声を合わせて持ち上げる。

「せーの」

 よっと……。

 うん、さっきよりはマシだけどやっぱり少し重いな。気を失って無気力になっているというのもあるのだろうが、一体何キロあるんだ。

「これでよし、と」

「ありがとうございます藤村先生」

「いえいえ。これでも彼の担任だからね。これくらい当然だよ」

 何とかパラソルの下までユー介を移動させ、一息つく。まあこれだけ鍛えてあるならば、日陰に置いておくだけで問題はないだろう。

「それじゃあ、僕は羽黒さんに釣りに誘われているからこれで。アヤカ、あんまり遠くに行っちゃだめだよ? お盆も近いし、あの世とこの世の境目が薄くなってるから変なモノが迷い出てきてるかもしれないからね」

 藤村先生のその言葉に、私はあの出来事を思い出した。

 合宿初日の自由時間の時、一緒に来ていたいずみが見えない何かによって泳いでいる途中に水底に沈められたのだ。幸い、泉は日本の水妖の代表格である河童であったため、別段溺れることもなく救出された。

 しかし結局、あずさや彼女の兄である羽黒さん、それにここの管理人である奥田おくたさん夫妻に聞いても、泉を沈めたモノの正体は不明のままだ。曰く、「そんなモノはいくらでもいる」とのこと。

「はいはい了解りょーかい」

 一応それを気遣っての注意なのだろうが、兄の心妹知らずとでも言うべきか、アヤカは笑って手を振った。

「にーちゃんも気を付けてねー」

「何に?」

「羽黒さんに釣果で負けたら何言われるか分からないじゃーん」

「……肝に銘じておくよ」

 乾いた笑みを浮かべて眼鏡の位置を直し、藤村先生はビーチから立ち去った。

「んじゃ、ウチは泳いでくるねー」

「そう言えば幽霊って泳げるのか?」

「泳げるよー。正確には泳ぐっていうより水の中を浮遊してるだけなんだけどねー」

 プランクトンみたいだな。

「でも呼吸の必要がないからいつまでも水の中にいられて、結構面白いよー?」

「ああ、その気持ちは私も分かる」

 人魚である私も、水中は本来の領分だ。人化していても3時間以上息継ぎなしで潜っていられる自信はある。ただ何もせずじっとしているだけならば半日は余裕だ。

「あ! それじゃーさ! これから一緒に優雅に水中散歩と洒落込みませんこと?」

「口調が変だぞ」

 まあでも、一緒にいれば何かあった時に対応できるか。

「いいな、それ」

「にっひひー」

 もうちょっと泳いでくるか。



       *  *  *



 その日の夜のことである。

 大人たちが初日から数えて通算四晩目の飲み会で食堂を占拠して騒いでいるのをいいことに、私は目を盗んで海の家の外に出かけることにした。

 熱帯夜に加えて、日に焼けた肌が熱を持っていて、風に当たりたくなったからだ。

「肌が熱い……日焼け止めは塗ったんだがな……」

 規約では夜八時以降の外出は禁じられているのだが、今はギリギリ八時前。海の家に戻る頃には時間は過ぎてしまっているだろうが、少しは大目に見てくれるだろう。

「ふう……」

 夜の海の危険さは私が一番よく知っているため、あまり遠くへは行かない。海の家から漏れる光が届く範囲の岩場に腰を掛け、私はウンっと背伸びをした。その岩場は昼間見た時は波もほとんど届かないような位置にあったのだが、今は潮が満ちて岩の足元くらいまでなら水で浸かる状態にあった。

「静かだ……」

 いや、正確には海の家の方から宴会の声が微かに聞こえてくるし、波の音もあって完全な静寂ではない。

 それでも、「静か」だと感じさせるような何かが、夜の海にはあった。

 月が浮かぶ夜空も、周囲には街灯も最低限しかないため、普段見る街中の物とはまた違って見える。

「そうだ」

 どうせ誰も来ないだろうから、いいだろう。

 ここまで履いてきたサンダルを脱ぎ、素足になる。さらにホットパンツとその下の下着まで脱いで、準備を整える。

「ふっ……」

 その状態で足に力を込めると、仄かな光が下半身全体から漏れ出す。魔力とか妖力とか言われる、妖怪が持つ力の一端。それが霧散する頃には私の脚はすっかり消え失せ、代わりに瑠璃色と翡翠色が入り混じったツートンカラーの鱗で覆われた魚の尾びれになっていた。

「んー……この姿になるのは随分と久しぶりだな」

 指と指の間には水かきが生え、耳も魚のヒレのような形状へと変化している。

 完全な人魚の姿へと戻ったのは、本当にどれくらいぶりだろうか。生まれてこの方、人間社会に溶け込んで早十七年。妖怪としての本性の姿なんて、現す機会などそもそもなったからな。

「ん~……んん~……」

 気付けば私はハミングをしていた。

 曲目は、学園祭の時に歌ったあの曲だ。

 月夜の元、岩場で歌う人魚というのは、我ながらソレらしくてなかなかに映えるのではないだろうか。

 なんて、柄にもなく自惚れつつも私は気分が高揚してきて、鼻歌だけでは物足りずに、身振りも併せて歌詞を口ずさむ。

「やっぱり綺麗な声だな」

「っ!?」

 調子に乗ってビブラートを付けたりして遊んでいる時だった。

 あまりにも歌うのに夢中だったせいか、腰かけている岩場のすぐ近くに誰かが来ているのに全く気が付かなかった。

「こんな所にいたのか。探したぜ?」

「きょ、経か!?」

 暗くて顔が良く見えないが、声やうっすらと見える背格好は確かに彼だ。どうやら私を探しに来たようだが、今はまずい!

「こっちに来るな!」

「は? 何でだよ」

 来るなと言っているのに、ピョンピョンと暗い岩場を物ともせずに、軽やかな足取りでこちらにやって来る。

「あー、もう!」

 今私、人化を解いてるとは言え下半身丸裸なんだが!?

 海に飛び込んで逃げようかとも思ったが、流石にそれは危険すぎるため諦めざるを得ない。というか、このまま海に飛び込んだらズボンと下着を残していくことになる。どんな痴女だ。

「ハル、何してんのお前? ……あれ? お前、その姿は」

 そして私があたふたしている間にすぐ後ろまで近付いて来ていた。……かくなる上は仕方がない! なるようになれ!

「経!」

 とりあえず、下着を我ながら呆れるほどの速度でホットパンツのポケットに突っ込み、下半身をずらしてうつ伏せになり、逆エビの要領で上半身を起こす。そして目の前まで来ていた彼に、ホットパンツを突きだした。

「「……………………」」

 ……何をやっているんだ、私は。

 顔に血が上って物凄く赤くなっているであろうことが自分でも分かった。

「は? ……………………あっ」

 私の恥を省みない行動は、結局として何とかその真意が彼にも伝わったらしい。目の前の衣類と、鱗で覆われてはいるが本来ならば丸見えとなっているであろう臀部の間を、視線を一往復させると察してくれたらしく、首が折れるんじゃなかろうかという速度で明後日の方を向いた。

「すまん!!」

「……気にするな。気付かなかった私も悪い」

 恥ずかしさを誤魔化すため、私は努めていつも通りの口調で弁解した。

「そ、それで、私に何か用か?」

「あ、ああ。大したことじゃないんだ。隈武くまべのがトランプをしようって俺たちの部屋に押しかけて来たんだが、どうせならお前も呼ぼうってなって、探しに来た」

「そうか。手間をかけさせたな」

「いや、結果として役と――」

「は?」

「ナンデモアリマセン」

「って、こっちを向くな!」

「うおっ!?」

 どさくさに紛れてこちらを向こうとした彼に対し、人魚のスキルを生かした水鉄砲(かなり控えめな表現)をお見舞いする。辺りが水だらけだから思った以上の威力となった。

「ぷはっ!? 何すんだよ!」

顔からなかなかの勢いの水流を被った彼は、文句を言いながら犬のように頭を振った。

「いきなりこちらの方を見るからだ!」

「普通に話してるからもう着替え終わったのかと思ったわ! 早く着ろよ!?」

「む、それもそうか……」

「ったく……」

「……………………」

 ぶつくさと文句を言う彼。確かに動転していたとは言え、私も私でさっさと着替えればよかった。それでは彼が後ろを向いているうちに、さっさと人化を解いて履くべきものを履こうと――


 ちゃぷん……。


 ――思った、その時である。

 人化を解いたことで、いつもより鋭敏となった聴覚が何やら異質な水音をとらえた。

 先程から絶え間なく寄せては引いている波の音ではない、何かが水面を漂っているような音。しかも耳を澄ませば、どうやら一つ二つではないようだ。

 波の音に混じって、ちゃぷん、ちゃぷん、と、大量の何かが水面で音を立てている。

「何だ……?」

「ん? どうした、ハル」

 彼には聞こえていないのか、はたまた普通の波の音でも思っているのか、緊張感のない声で尋ねてきた。

 彼の反応に、気のせいだと思いたかったのだが、やはり大量の何かが水面にいるのは間違いなさそうだ。月の光が波を反射し、黒い影がいくつか見え――

「……!? これは……」

「え? ……んなっ!?」

 ひときわ大きな波が、私たちのいる岩礁を叩いた。

 その時になって、私も彼も異変に気が付いた。

「何じゃこりゃ……!?」

 波に月光が反射し、一瞬だけ辺りが明るく照らされた。

 そしてようやく視認できた、海面に浮かぶ無数の影。

 仄暗い眼光を湛えた瞳と鋭い牙を持った青白い肌の女の顔。水の下でよく見えないが、どうやら首から下は魚の胴体のようだった。

 それはまさに、私の人魚としての姿を、さらにおどろおどろしくした様な、見たこともないナニカであった。

「げ」

 しかも、海面だけではなかった。

 彼が浜辺の方を指さした。よく目を凝らして見ると、砂浜に打ち上げられた海獣の如く、両手では数えきれない程度の数が蠢いていた。しかもどんどん増えている。

「これ……全部人魚なのか……?」

「いや、これは人魚っつーより……!」

 彼が冷や汗を流しながら歯ぎしりをする。その表情からは、いつもの余裕は全く見受けられない。

 と、その時である。


 ガキンッ!


 私たちの足元に、何か棒状の物が突き刺さった。

「何だ……?」

 引き抜くと、それはどうやらカーボン製の丈夫な矢であった。その中ほどに、古めかしくも矢文が括り付けられており、ご丁寧にも小型のペンライトも一緒に結ばれていた。

 開いてペンライトで照らして読んでみると、宇井の名前と共に「早く戻ってこい」と切羽詰った字面で殴り書かれていた。

「戻ってこいっつったって……あれ、何かすげえヤバげな感じがするんだけど……」

「同感だ……」

 サイズはさほど大きくはないが、何せ数が数だ。いつぞやのゾンビほど大群ではないのが救いだが、代わりに鋭い牙が生えている。あの口は明らかに人食い系の何かだろう。

 ……ん?

「とりあえず、駆け抜けるしかなさそうだな……。ハル、さっさと人化してこんな所おさらばしようぜ」

「……いや、待て経」

 おかしい。

 この人魚もどきが人食い系だとして……いや、私たちは人ではないけど、何で襲ってこない? あれだけ狂暴そうな牙を持っているのに実は大人しいとか? いや、それならばこの宇井からの矢文の説明にはならないか。

 と、なると、だ。

「経」

「何だ」

「君、私を抱えて海の家まで走れるか?」



       *  *  *



「海女房」

 風間かざま先生が酒で顔を赤くしつつも、いつもと変わらぬ眼光で窓の外を睨みながら呟いた。

「赤ん坊を連れた半人半魚の化物で、水死した女が化けた姿と言われる。海中が主な住処だが数日程度なら陸に上がることもでき、人語を解す個体もいるらしい」

 ふう、と溜息と共に一度言葉を区切り、風間先生は視線をこちらに向けた。

 ……並べて床に正座させられた私たちの方に。

「よかったなー、藤原ふじわら、ハルが一緒で。海女房は日本版人魚の代表格だが目があまり良くない。海辺の漁師を襲いに小屋に来たが隠れた漁師を見つけられずに塩漬けの魚だけ食って帰ったって話もあるからな。人化を解いていたハルを匂いで仲間だと思ったんだろ。その隣にいたお前の匂いも紛れて気付かれずに済んだんだな」

 そう。

 あの人魚もどき――海女房の群れを突破する際、私はあえて人化せずに人魚の姿のまま、彼に抱きかかえられた状態で帰還したのだ。

 そして私と風間先生の予想通り、私のを匂いで仲間だと思った海女房は、密着していた彼のことも、見向きはしたものの別段気にする風でもなく一瞥した程度でスルーしたのだった。

 しかし彼も生きた心地はしなかっただろう。

 陸に上がって間近で見る羽目になった海女房は思っていたより不気味で、生臭さを撒き散らしながらズリズリと浜辺を這う姿は生理的嫌悪感を誘発させた。

 そんな中、私を抱えた状態で慎重に海の家に戻って来て、待っていたのは憤怒の形相で仁王立ちしていた風間先生である。

 女だからと容赦はしない教育的鉄拳を二人仲良く頂戴した後、着替えてから会議室に集合すると私たち二人分だけの椅子が無く、代わりに風間先生の前に不自然な空きスペースが完成していたために大人しくそこに正座することとなった。

「……で、何で外に出た」

 風間先生が再び視線をこちらに向ける。

「日に焼けた肌が熱くて、夜風に当たりたくなって……」

「俺はハルを探しに……」

「ほー。つまり元を正せばハルが悪いと」

「はい。しおりには八時以降の外出は禁止と書いてあったのに、まだ時間があるから大丈夫だと思い、外に出ました。……軽率だったと、反省しています」

「……フン」

 鼻を鳴らし、視線を外す風間先生。

 これは相当怒ってるな……私たちには数か月前の黒炎事件の時の前科があるだけに、なおさらだ。

「まあ何で外出禁止なのかを説明してなかった僕たちにも責任はありますから、その辺で勘弁してやってはどうですか?」

 そう困った表情を浮かべつつ風間先生をなだめる日に焼けた太った男性――ここの管理人の奥田さん。

「このお盆の前の時期はあの世とこの世の境が薄くなるからね。加えて、海岸っていうのは陸と海の境、つまりこの世とあの世の境目。地理的にもあの世とこの世が近い場所だから、変なモノが湧き出てきやすいんだよ」

「でも妙だねぇ」

 と、奥田さんの奥さんが訝しむように窓の外を睨み付ける。その先には、いまだに浜辺を這いずり回る海女房が群れを成している。

「海女房がこれだけの数出てくるなんて初めてじゃないかい? それに奴ら、磯女の同族みたいなもんだからアタシには何となく考えてることが分かるんだけど、どうも変な感じがするね。何も考えてないっていうか、まるで生まれたばっかりみたいだ」

「さすが三浦みうら姐さん。鋭いじゃねえか」

 バタンと会議室の扉が開かれ、全身黒ずくめの長身の男が入って来た。

 梓の兄で、今回臨時講師兼バスの運転手で呼ばれた羽黒さん。

 その手には何故か大きめの魚が数匹顎に指をかけた状態でぶら下げられていた。

「羽黒、アンタどこに行ってたんだい」

「ちょっと様子見に外へ」

 言うと、手にした魚を奥田夫人へ突きつけた。

「スズキじゃないか。なかなか良いカタだけど、まさかこの非常時に釣りに行ってたんじゃないだろうね」

「いやさすがの俺もそこまで非常識じゃねえっすよ……」

 じゃなくて、と。

 羽黒さんは切り替える。

「海の家の近くまで這い上がってきた海女房がいたから念のために始末しておいたんだが、倒した途端コレになりやがった」

「……は?」

 羽黒さんの言葉を理解しきれずに、奥田夫人が眉を顰めた。

「え? じゃあ何かい? あの海女房の正体は魚だって言うのかい?」

「多分な。暗くてよく見えんが、湾外に何かが出たんでしょう。その妖気に当てられて、魚が妖怪化したっつーのが俺の説」

「だがよー、瀧宮たつみや」と、そこで風間先生が口を挟んだ。「海女房ってのは水死した女の霊じゃねーのか?」

「それは俺にも分からん。現にこうして、トドメを指したら魚の姿に戻ったわけだし、むしろこいつらが『海女房っぽい何か』って考えた方が分かりやすい気がするがね」

「ほーん」

 自分で聞いておいて大した興味も示さずに、再び窓の外に視線を移す風間先生。さっきから何をやっているのかと思えば、ひょっとして、海女房がここに近寄らないように風で威圧しているのだろうか? 時折ガタガタと窓枠が不自然に揺れている。

「で、どうするよ」

「どうするって、何がだい」

「いやあいつらを。さすがに放っておくわけにもいかんだろうが、始末するにもここはあんたとヲタクの管轄でしょう」

「ん? ……あー、そういうことかい。全く、傲岸不遜なくせに変な所で気が回るんだから」

 肩を竦め、苦笑する奥田夫人。

「どうせ日の出前には消えるだろうけど、確かに一晩中放置ってのは安心して寝れないからね。可愛い後輩たちに何かあってからじゃ遅いし。処理を頼むよ、八百刀流。謝礼は出せないけど、明日の酒代はアタシらが出すってことでどうだい?」

「承った」

 にっと笑うと、羽黒さんはパンパンと手を叩いて手早くその場の面々に指示を出した。

「修二、周囲五キロ圏内に隠蔽系の魔法かけとけ。ここは月波市関係の土地とは言え一般人も多いからな。梓とナベは俺と一緒に浜に下りるぞ。ただし無理はするな、近付いてくる奴だけ相手しろ。ユウと宇井は屋根に上って援護射撃を頼む。ユウ、もう一回宇井にボウガンを出してやれ。風間は万が一のために玄関ホールで待機。あとの面子は非戦闘要員。さっさと部屋に戻って寝ろ。以上! 全員配置に着けー」

 羽黒さんの号令に各々返事をしてノソノソと椅子から立ち上がる。「何で俺までこき使われにゃならんのだ……」だの「あたしに命令してんじゃないわよ!」とかそう言った不平不満が聞こえてくるが、何だかんだできちんと言うとおりに動く辺り、やはり羽黒さんは凄い人なのではなかろうか。

「それでは、私たちは大人しく退散するか」

「ああ」

 正座で痺れた足をさすりながら何とか立ち上がり、宛がわれた寝室へと向かう。

 その後、布団に入った辺りで戦闘が始まったらしく、ユー介の物と思われる銃声が微かに聞こえてきた。しかし藤村先生が何やら防音対策の魔術を施してくれていたらしく、ほとんど気にならない程度のごく小さな音となっていた。

 そして日付が変わって少し経った頃、フラフラになった宇井が部屋に戻ってきた。寝惚け眼で尋ねると、あらかた一掃は済んだらしく、あとは大人たちが相手をするから学生は部屋に戻って良し、とのことらしい。

 普段から「自分は戦闘向きではない」と言っている宇井はかなり辛い戦闘だったらしく、かなり消耗していたのか布団に倒れ込むとそのまま寝息を立て始めた。毛布くらいかけてやろうと思ったが、暑いのか単に寝相が悪いのか、朝になると宇井の毛布は足元に丸められているのを思い出し、そのままにしておくことにした。


 翌朝。

 気になってかなり早い時間に目が覚めてしまい、建物の外に出てみた。

 するとそこには、徹夜で流石に疲れたのか、ぐったりと宙を見つめている大人たちがいた。しかし全員――羽黒さんも含めて、何やらポカンと呆けたように同じ方向を見つめていた。

 気になって視線の先を追ってみると、崖と防波堤で形成された湾の入り口に、昨日まではなかった()()()()()()()()()

「……は?」

 何だ、あれは。




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