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だい よんじゅうに わ ~磯女~




「……で、なんであんたがいんのよ。しかもバスの運転手として」

 背後からの剣呑な気配と、絶え間なく繰り出される座席越しの嫌がらせ目的の蹴りを浴びながら、俺は別段気にするでもなく大型バスの運転をする。バックミラーを確認すると、苦笑するもみじの横で我が愚妹が女子とは思えない人相でこちらを睨んでいた。

「なんでも何も、どっかの馬鹿がバスのチャーター忘れたから、俺が出張って来てやったんだろうが」

「ぐっ……」

 だがこの事態の原因の一角を担っている自覚はあるらしく、言い返すと口をつぐんで黙りこくった。ドスドスと蹴りは続いているので不満はあるようだが。

「何でもみじ先輩ももみじ先輩で、こいつに頼んだんですか……普通に学園のバスの運転手頼みましょうよ」

「本来、学園バスチャーターは一ヶ月前の予約が必要なんです。それを一週間前に予約を入れたので、運転手さんの予定が付かなかったんですよ」

「……………………」

 結局不満の原因が自分であるため、全部自分に返ってくる。愚妹は苦虫を噛み潰したような表情でズルズルと座席に沈んでいった。

「あと何よりも、羽黒はくろがいれば教師枠も一つ埋まりますし。運転手や塾講師を頼むとお金がかかりますけど、身内なので無料です」

「って、もみじ先輩が言ってた『教師役のアテ』ってこいつ!?」

「そうですが?」

「最悪だ!?」

 驚愕と絶望の表情で座席に沈む我が愚妹。

「そうは言うがなあずさ。初等部の頃、何度俺がお前を赤点から救ったと思ってるんだ。ユウも宇井ういも物覚えは良かったのに、お前だけは俺が付きっきりで教えねえと、てんでダメだったよな」

 何なら、二つ下の白羽しらはの方が物覚えが良かった。

「そんな昔の事掘り起こすな……」

 梓はポスンと力なく座席に蹴りを入れ、完全にバックミラーから姿を消した。

「……羽黒が……付きっきり……」

 そして今度は横のもみじに変なスイッチが入った。こいつ、たまにわけ分からんところで嫉妬するよな。

「羽黒、実は私、この前のテストの結果が思わしくなかったのですが……」

「ああ、お前が全教科満点じゃないなんて珍しいよな。唯一間違えた数学のあの問題、お前に満点を取らせないよう風間かざまが極悪難易度の物を用意したらしいぞ。だが気にするな、お前ならすぐに理解して解けるだろ」

「……………………」

 ぶう、と口をへの字に曲げて頬を膨らませるもみじ。滅多に見られないその表情に、俺は不覚にも吹き出してしまった。

「……と言うか、瀧宮たつみやよー」

「あ?」

「何ですか?」

 斜め後ろから気怠そうな声が聞こえた。たしかあの場所は、風間が座っていたような。

「あー、そうか。どっちも瀧宮か。面倒くせー。じゃあ男の方の瀧宮」

「なんだよ」

「何でお前、俺たち教師陣のテスト制作事情知ってんだ」

「俺、月波学園歩く十八禁とSNSで相互フォローしててだな」

「……白沢しらさわか……」

 チッと、教師らしからぬ舌打ちが聞こえてきた。しかしそれで納得したのか、風間は黙りこくった。

「ってかさ、普通にスルーしてたけど」

 と、今度は風間の後ろの席、恐らくは鍋島なべしまと思しき声が聞こえた。

「クロ、アンタいつの間に大型免許なんてとったの? 何なの? 暇なの」

「あ、そうよ。兄貴、その前に本当に免許持ってんの?」

 失礼な奴らだな。

「もみじ」

「はい、羽黒」

 呼びかけると、心得ていますとばかりに迅速な動きで自分の手持ちカバンから俺の財布を取り出すもみじ。愚妹と鍋島が「「何であんたが持ってんだ……」」と呟いたが、俺も全く同じ気持ちだ。俺のカバンから出せってつもりだったのに、何でお前が持ってんだ。

 まあ、いいか。今更だしな。

「こちらが羽黒の免許証です」

「ホントだ……大型免許だ」

「何のためにわざわざ……」

 物珍しそうに免許証を眺める二人。

「取れるもんは手当たり次第取ったからな。他にも教員免許とか図書館司書とか狩猟免許とか薬物取扱いとかライフルとか」

「教員と司書はともかく、誰よこんな危険人物に薬物と銃火器の免許与えた奴は!?」

「お前、本当に失礼な奴だな」

 絶叫しながら座席への蹴りを再開する愚妹。

 いやまあ、さすがにこればかりは俺も手広く取りすぎたと思うが。

「梓」

「何」

「そろそろ高速入るから、蹴るの止めろ」

「……………………」

 不承不承と言った感じに蹴るのを止める愚妹。全く、どこでどういう間違った育て方をしたらこんなじゃじゃ馬になるんだか……。

 と、その時、今度は最後尾の座席から「嫌だー! 帰る! 俺は帰るぞー!」と騒ぐ声が聞こえてきた。どうやら昔よく宇井とつるんでいた悪ガキ(確かきょうとか言ったか)が暴れているらしい。

 そう言えばあいつはコレが学習合宿だと知らずに参加したんだったか。確か、俺が高等部生徒会長の時も人数合わせで連れて行ったのだが、その時の勉強漬けの夏休みが相当なトラウマになっているらしい。哀れな奴め。

「ちっ……高速の看板が見え始めた途端また暴れ出しやがったか……」

 舌打ちと共に風間が立ち上がる気配がした。バックミラーを見ると、バスの中央の通路を通って最後尾座席まで向かった。そしておもむろに一番後ろの補助席を下げると、そこにどっかりと腰を下ろした。

 途端に大人しくなる経。

「……………………」

 まあ、なんつーか、苦労してんな。

 どっちがとは言わないが。



       *  *  *



「今日はありがとうございます」

「ん?」

 高速のサービスエリアにて、昼食を兼ねた休憩時間中のことである。

 自販機で買ったさほど美味くもないコーヒーを飲んでいると、もみじが近付いてきてそう口にしたのだった。

「わざわざ一週間もお付き合いいただける上に、バスまで出してくれて」

「どうした藪から棒に。俺は別に気にしちゃいねえけど」

「ええ、あなたはそういう人ですけど。ですが、ほら。地下室の件」

「……待った」

 少し真面目な話になりそうだった。

 別に聞かれても意味が分かるとは思えないが、周囲に人が多すぎる。俺たちは一度建物の外に出て人目につかないようなところに移動することにした。

 建物の裏手、車椅子搭乗中車両の駐車場。

 ここならば滅多に人は来ないだろうが、念には念を入れて、龍殺しの力の一端である人払いの結界を張っておいた。

「で、何だって?」

「地下室の件があるのに、一週間も留守にさせてしまったことについてです」

「あー」

 何だ、そのことか。

「お前、そのこと気にしてたのか。それこそ気にするな」

「ですが……」

「あの地下室は瀧宮家の秘術を応用して作った物だ。俺の許可がない奴は出入りできねえ仕組みだし、そもそもあの女狐でもない限り探知すら不可能だ。ま、お前は『生者の気配』って別ベクトルから気付いたようだが」

 称賛の意味を込めてもみじの頭を軽く撫でてやる。すると猫のように気持ちよさそうに目を細め、さらに絹のような手触りの黒髪も相まって、ずっとこうしていたくなる気持ちもあった。しかしまだ質問には答えていないため、ほどほどの所で手を放す。

「心配しなくても、今あそこで作ってるモノを邪魔する奴はいねえよ。今あの部屋に入室を許可されてるのは、俺とお前を除けばあの小僧とその助手だけだ。死神だって――それこそ、あのリンの奴だって入れねえよ」

 いや、リンに至っては心配するまでもない。

 俺と死神の間に結ばれている不可侵条約。

 死神の側から、俺と俺に関係する者に接触することはできない。

 その条約を、誤って現世に召喚された悪魔の捕縛を条件に結んだ張本人であるのだから。

「リンですか……正直、私は彼女のことが苦手です」

「そう言えばそうだったな」

「信用はしていますが、はっきり言って嫌いです。何を考えているのかまるで分かりませんし」

 眉根にしわを寄せて吐き捨てるもみじ。そう言えば、今までこいつがここまで露骨に嫌悪感を表す相手は、後にも先にもあいつだけだったな。

「まあそれはそれとして」と、もみじは話題を元に戻す。「目的が目の前に迫ると少々焦って大胆な行動に出るのは、あなたの悪い癖ですよ」

「そうか?」

「そうです。例のモノはあと少しで完成なのでしょう? 普通、そういうデリケートなタイミングでは、そばにいて待つものでしょう」

「あー、まあ、そうなんだけどな」

 何だろう、初産の妻の出産の瞬間を仕事で逃して怒られる旦那の気分。

「普通はそうなんだろうけどな。けど当の本人に出て行けって言われちまった」

「は?」

「俺とお前の力が強すぎて地下室の霊的磁場が狂ってるそうだ。上手く計算ができないとか何とか。家主に出て行けとは大した小僧だ」

 しかし、一週間家を空けるだけで俺の悲願を達成できるのならば安いものだ。

 スポンサーが下手に口出しして企業が上手くいくためしもないしな。

「と言うわけで、気にするな。ちょっと早いが盆の夏季休業だと思って店も閉めたしな」

「それならばいいのです」

 納得してくれたのか、素直に頷くもみじ。

 と、その時、遠くから見慣れた亜麻色の髪の少女が走ってくるのが見えた。

「あ、いた!」

「……よう、梓」

 こいつ、俺の人払いの結界スルーしやがった……あ、ミオの加護が効いてるから瀧宮家の者には無意味なんだった。

「何してんのよこんな所で。もみじ先輩と密会? 死んでくれない?」

「罵声しにわざわざ来たのかよ」

「んなわけないでしょ。兄貴がいないとバスに入れないのよ。もう皆集まってるわよ」

「あー、悪い悪い」

 思ったより話し込んでしまっていたらしい。

 俺は愚妹に促されるまま、バスへと向かった。



       *  *  *



 その後、高速をバスで走ること約一時間。

 俺たちは月波学園管轄のプライベートビーチ、及びそれに付属する宿泊施設に到着した。

 浜辺に隣接する高台に建てられた、小洒落た小さなホテルのような建物。エントランスホールを突き抜ければすぐそこは海と言う、夢のような立地のそれは、俺が学生時代の頃と全く変わっていなかった。

「海だー!!」

「おおー!!」

「……落ち着け」

「あははは」

 バスを降りるなりビーチに直行しようとしたハイテンションな宇井と白狐の嬢ちゃんを取り押さえる明志あかしの弟とユウ。まあ月波市は内陸にあるから、滅多に見られない海に我を忘れる気持ちは分かる。

 一旦バスを駐車場に停め、改めて玄関をくぐると、すでに解散した後なのか皆それぞれに宛がわれた部屋に向かったようだった。

 予定表によると、今日は一日自由行動らしいから、ガキどもは海に行く準備でもしているのだろう。

 ホールにはもみじと、懐かしい顔が俺を待っていた。

「よう! ヲタク!」

「羽黒先輩! お久しぶりです! もう、その呼び方やめてくださいよー」

 もみじと話していた、縦にも横にも無駄にデカい大男。海辺での仕事が多いからか昔よりも色黒になったソイツは、しかし当時の面影の残る笑みで俺を迎えてくれた。

「羽黒、ここ『海の家・月波』の管理をなさっている奥田おくた俊之としゆきさんです。ひょっとして、ご存知でした?」

「ご存じも何も、俺の一個下の後輩。生徒会長時代の書記だ」

「あら、そうだったんですか」

「もう、当時は羽黒先輩にこき使われてたよ」

 筋肉と贅肉で丸太のようになっている腕で頭を掻くヲタク。名字が「おくた」で、肥満気味の見た目も相まって当時の生徒会全員が「ヲタク」呼ばわりしていたのもいい思い出だ。まあ実際、オープンなガチヲタでマゾのケがあったから、本人も口先ばかりで本心からは嫌がってはいなかったが。

「そう言えば嫁さんは?」

「今沖に出てますよ。そろそろ戻ってくるかと」

 辺りを見渡すも、もう一人いるはずの懐かしの顔が見当たらない。聞くと仕事に出ているらしいと聞いて内心安堵するが、次の瞬間には気を抜いたことを後悔することとなった。

「は~く~ろ~」

「イッ!?」

 背後から首筋に這うように回された筋肉質な腕。ヲタクほどではないが黒くこんがりと焼けた逞しいそれがジワジワと締められていく。

「アンタ、アタシらの結婚式に欠席するたぁイイ度胸じゃないのさ。アンタ以外の面子は全員来てたのにさぁ」

「た、たんまたんま! 絞め技は俺も普通にキッツいっす! ってか、俺そのころ日本にいなかったし!」

「言い訳無用!」

「ちょっ! 降参降参!」

 ちょっとシャレにならないレベルで首が締まってきたため、大人しく両手を上げて降伏の意志を示す。すると背後の彼女は高笑いをしながら腕を解き、バシンバシンと力任せに俺の背中を叩いた。

 喉をさすりながら立ちなおすと、もみじが珍獣を見るような目で俺を見ていた。まあ我ながら、俺がここまで狼狽するのも珍しいか。

 やっぱ何年経っても苦手な相手は苦手なままだな。

「あっははは! 久しぶりだねぇ、羽黒!」

「はは、お久しぶりっす、三浦みうら姐さん。いや、今はもう奥田か」

「いいよ、別に三浦で。職場じゃ旧姓で通ってるしね」

 豪快に笑う色黒の逞しい女性。

 俺がいない間に、いつの間にかヲタクと結婚したらしい、かつての先輩。

「もみじさん、紹介するね。こちら、僕のカミさんで」

「俺の一つ上の先輩。で、俺の一つ前の生徒会長、奥田雅音(まさね)さんだ。ちなみに、高等部時代からの大恋愛の末の結婚だそうだ」

「初めまして、奥田雅音だ。ここの管理を夫婦でやってるけど、普段は漁協に勤めてる。週に何度か漁にも出てるよ。ここで出す魚料理は全部アタシが獲って来たモンさ! 新鮮で美味しいから期待しておいてくれ! それと、さっきも言ったけど、三浦って呼んでくれ。もしくは姐さん! もうずっとそう呼ばれてるからそっちの方が慣れてんのさ!」

「初めまして。今期、月波学園高等部生徒会長を務めさせて頂いております、白銀しろがねもみじと申します。今日から一週間、よろしくお願いします、三浦さん」

「へえ」

 丁寧に頭を下げるもみじ。そして隣に立つ俺へと視線を往復させながら、三浦姐さんはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべていた。

「何すか」

「羽黒、アンタ現役JKに手ぇ出したって噂ぁホントだったんだねぇ」

「人聞きが悪いな!?」

 何でこんな辺境の地にまで知られてんだ!?

 それと現役JKっつっても自称五百歳の実年齢数千歳だ――

「いっ!?」

「……羽黒、今何か失礼なことを考えませんでした?」

「め、滅相もない……!」

 ゴリッと全力で足の小指を踏まれた。如何に龍麟があっても、吸血鬼に小指踏まれたら普通に痛い!

「あっははは! しかも既に尻に敷かれてるときたもんだ!」

「羽黒先輩も大変ですねえ」

「お前に言われたくない……」

 家じゃ絶対三浦姐さんに顎で使われているだろうヲタクに言われると異様に腹立つ。

「っと、積もる話はまた今夜にでもしようかね。大人連中はそろそろ会議室に集まってるころじゃないか?」

「ああ、すいません。それでは、私はこれで」

「んじゃ俺も」

「お疲れ様です」

 管理人二人と別れ、俺たちは一階の会議室に向かう。すると途中の廊下で、大量のワークを抱えた我が愚妹と鉢合わせた。

「よう。すげえ量だな」

「何だかんだで生徒が集まったからねー。この位の量になったのよ。兄貴、暇なら運ぶの手伝ってよ」

「やだよ。それに俺、これから教員会議だ」

「あ、それがあったか。もみじ先輩、私も出た方が良いですか?」

 尋ねる愚妹。しかしもみじは首を横に振って「いえ、梓さんは出席しなくても大丈夫ですよ」と答えた。

「初日はせっかくの自由時間なんですから、ゆっくりしてください」

「そうですか?」

「それにバスのチャーター忘れるような主催者が出席しても意味ねえっての」

「しつこいわね!」

 鬼の形相で蹴りをかましてくる。しかし大量のワークを抱えているため上手くバランスが取れずに、へなちょこでショボイ蹴りしか繰り出せずに徒労に終わった。

「つ、次はこうはいかないから!!」

「分かったから、さっさとワーク配ってこい」

「があああああ!!」

 大量のワークを抱えているにもかかわらず、平地を走っているのとなんら変わらない速度で階段を駆け上がる愚妹。相変わらず筋力だけはバカバカしいほどの練度だな。

「さて、と」

 会議室に向かう前に、もみじにも一言。

「もみじ、お前も遊んで来い」

「え? ですが、私が今回の責任者ですし、会議には出るべきでは?」

「いいんだよ、こういう時くらい。せっかくの自由時間を会議なんかで浪費するな。心配しなくても、お前が用意した資料があれば何ら問題もない。七面倒臭いことは俺たちオッサン共に任せておいて、若人は外に出て健康的に焼いて来い」

「……それでは」

 戸惑いながらも軽く会釈をし、踵を返して歩き出す。

 しかしその足取りは、歩を進めるごとに軽くなり、俺の視界から消えるころには鼻歌でも歌い出しそうな軽やかなステップを踏んでいた。

「やっぱ楽しみだったな」

 そう言えば、ひょっとしてあいつ、実際に海を見るのは初めてじゃないか?

 昔俺とつるんでた時は海なんて行く暇なかったしな。

「なあにが齢ウン千歳だか」

 外見相応の幼さも残ってるじゃないか。



       *  *  *



 会議室に入ると、すでに俺以外の全員が席に座って待っていた。

「遅いぞ、瀧宮」

「ヲタ……奥田管理人に挨拶してて遅れたわ」

「……まーいい。さっさと座れ」

 議長席と思しき中央の椅子に腰かけた風間が剣呑な目で睨んでくる。まあ学生時代にショウやミサ、加えて鍋島と、一癖も二癖もある連中とつるんで散々迷惑をかけた主犯格としては、そんな態度も仕方がないとは思う。

 しかしもう少し抑えてくれてもいいんじゃなかろうか。

「あ、あの……」

「ん?」

「お久しぶりです、羽黒さん」

 席に着くと、隣にいたみのりが声をかけてきた。

「おう、久しぶりだな穂。こうやってちゃんと話すのは、もう何年ぶりだ?」

「十年ぶりか、それ以上だと思います。悪魔騒動の夜やビャクちゃんが復活した日にちょっと会っていますけど」

「ああ、もうそんなになるか。そりゃ俺も歳を食うはずだ。あんなに小さかったお嬢様が、立派になったな」

「えへへ……」

 照れくさそうに笑う穂。

 こいつが月波市にいたのは初等部までで、それ以降は穂波ほなみ家当主の仕事の都合で遠く離れた地に移り住んだ。生来のビビりな性格も相まって、お化けだらけの月波市とは疎遠になり、年に何度か帰ってくるくらいだった。しかしこうして会ってみると、まだまだ子供だった頃の面影って言うのは残っているもんなんだな。

「さて、資料は全員に行き渡ったか?」

 風間が配っていたもみじ製の資料が手元に届いた。見てみると、事前に配られたしおりの内容をベースに、教師用の注意事項が事細かに書かれていた。


「ざっくりと説明すると、皆さんには明日から五日間、一日一教科ずつ、一人当たり生徒二、三人をローテーションで請け負って集中講義を行ってもらう。担当教科は国語が藤村ふじむら先生。数学が俺。英語が瀧宮。理科が市丸いちまる先生。社会が穂波。中等部と初等部の三人は鍋島に任せる。教育実習生のイヴには市丸先生のお孫さんの面倒を見つつ、鍋島の補佐をお願いする。

 指導内容は基本的に苦手箇所の克服。余裕があるならば応用問題。朝の八時半から講義開始で十一時まで行う。その後十二時まで確認テストを行い、昼の一時半まで昼食を兼ねた昼休み。その間に確認テストを丸付けする。

 テスト結果から、不合格と判断された生徒は二時から六時までの午後講習に参加させる。それ以外の生徒は基本的に自由時間とするが、午後講習は参加自由とする。それ以降は基本的に全員自由時間だが、夜八時以降の生徒の外出は禁ずる。なお、講義中に分からなかった箇所があった場合、もしくは午後講習で不十分と感じた際は、この時間帯に聞きに来るよう講義の終わりに伝えておくこと。以上」


 そこまで一気に話終えると、風間は面倒臭そうに資料を机に置いた。

「えー、何か不明な点はありますかね」

「……………………」

 不明な点も何も……お前、資料を音読しただけじゃねえか……。

 いやまあ、それで大体分かるから、もみじが作った資料が凄いってことは実感できたが。

「はい、風間先生」

「なんだ、イヴ」

 と、このクソ暑いと言うのにフリルだらけのゴスロリワンピースを身に着けた教育実習生が挙手した。

「一人二、三人を受け持つとのことですが、具体的に誰が誰を教えるというのは決めてあるのでしょうか」

「いや、まだだ。明日の組み合わせは今夜夕食の後にでも生徒たちに決めてもらうことにする。ただし高等部の者は必ず五日間のうちに五科目分の指導を受けてもらうことにする。他は?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 席に座るイヴ。それを見て風間が「他にないか?」と視線を巡らせるも、特にこれと言って手は上がらなかった。

「何も無いようなので会議終了、お疲れ。明日に備えて頑張るべー」

「ノリ軽いな!?」

 そして相変わらずテキトーなオッサンだな。

「つっても、もう言うことねーし。詳しいことは資料に載ってるしな」

「まあそうだけどよ」

「むしろ俺としては、これから話すことの方が重要なんだがな」

「あ?」

 何だよ。

「いいか、ここにいる者はほぼ全員、誰かしらが誰かしらと浅からぬ因縁がある。常日頃から嫌でも顔を合わせている奴もいれば、数年ぶりに再会した者もいる。そんな奴らが一堂に会して、しかも全員成人とくれば、やることは一つだろう……」

「……………………」

 こいつ、まさか……端からこれが目的で今回の引率を引き受けたんじゃ……!

 風間の発言に、その場の全員が目を光らせる。

 こいつらも、風間が言おうとしていること、さらに言うならば今夜すべきことを理解したらしい。

「……瀧宮」

「いや、その前に、あんたはいくら出す」

「五千」

「なら、俺も五千だ。他は」

 その場にいる面々に訊ねると、皆それくらいの数字を提示した。さすがに教育実習生であるイヴには出させる気はないが、代わりに手を貸してくれることとなった。

「それでは、今提示しただけ、この封筒に入れていけ。不正は許さん」

 どこからともなく茶封筒を取り出した風間。それが順々に目の前にリレー形式で渡っていく。そして最後に俺の元に辿り着いた時には、なかなかに美味しそうな厚みになっていた。

「瀧宮」

「なんだ」

「一度国道に出て、南に行けば俺たちの目当てのモノがある。内容はお前に任せる」

「いいのか。やけに信頼してくれてるが」

「阿呆め。お前自身はこれっぽっちも信用も信頼していない。だがな」

 クックックと、風間は喉の奥で笑った。


「酒を愛す者が、酒に関することで不正を働くはずがない。そしてお前は月波市でも五指に入るほどの酒好きだ」



       *  *  *



「磯女」

 辛口の冷酒を升で啜りながら、俺は目の前の光景に溜息を吐いた。

「主に海辺に出現し、足元まで伸びた長く濡れた髪の美女の姿をしているが、下半身が幽霊のようにぼやけていたり、ヘビみてえだったり、普通の人間の様だったりと、結構まちまち。後ろから見ると岩にしか見えないなんて伝承もある。が、共通して、その長い髪の毛で男を縛り上げて髪から血を吸って殺すらしい」

 俺の目の前では、泥酔してその磯女の本性を現した三浦姐さんが、高笑いしながら旦那であるヲタクを長い髪の毛で縛り上げていた。

 いやまあさすがに血は吸っていないようだが、締め上げられてる……いや、もっとはっきり言うと、亀甲縛りにあってるヲタクが色黒の顔をほんのり紅潮させてるもんだから、気色悪いことこの上ない。

 やけに艶のいい黒髪が、ヲタクのたるんだ腹や二の腕、太腿に食い込んで、はっきり言って縛られてる本人以外には地獄絵図でしかない。見るに堪えないとはこのことだ。

 では何故この惨状に誰も文句を言わないのか。

「だーかーらーよぉー……おめー率いる生徒会の荒れくれ者のためによー……ひっく、俺が何枚始末書書いたと思ってんだよー」

「……はいはい、その節はどうも」

「ぎゃははは! マサネちゃん最っ高ー!!」

「……うっせーな、ナベの奴」

「生! 生の亀甲縛り!! 初めて見た!『こりゃ想像以上に生々しいぜ!!』」

「……イヴ、お前もうその辺にしとけ」

「ふー……しゅー……くー……」

「……穂、寝るなら部屋に行って寝ような?」

「こうか! こうか! これがいいのかい!?」

「……三浦姐さんもほどほどに」

 単純に、この場にいる奴らで俺以外に正気を保ってるのがいないだけだ。

 ちなみに、市丸のじーさんは早々に酔って自主退室。風間の嫁さんは娘と市丸の孫を寝かせるためにそもそも不参加。修二しゅうじの奴も付き合いの悪いことに最初からいなかった。

 案外修二はこの惨状を予見して来なかったのかもしれないが。

「ひぎぃ! ありがとうございます!」

「ヲタクうっせえ!! 気持ち悪ぃんだよ!」

「おぽっ!?」

「誰が寝転がって良いって言ったね? さっさと跪きな!」

「はいぃっ!」

 手元にあった空の一升瓶を変な声を上げたヲタクに向けて投げつける。我ながら酒が入ってるとは思えない素晴らしいコントロールで投擲された一升瓶は、ヲタクのふくよかな頬肉に食い込むように直撃。手足を縛られているためバランスを崩し、畳に倒れ込んだところを三浦姐さんがおもっくそ踏みつけた。そして再び発せられる変に熱のこもった悲鳴。

「にゃははははは!」

「もうダメ! もうお腹がおかしくなるー!」

 その光景を見て、再び鍋島とイヴが腹を抱えて笑いだす。

 どうでもいいが、ヲタクの奴、マゾ度が学生時代よりも悪化してやがる……。これが結婚によるものなのかは不明だが、恐ろしきは三浦姐さんだな。

「あー、もうこりゃダメだな……」

 誰もこの惨状に終止符を打てる者はいない。

 俺も諦めて、空になった升に新しく酒を注いで再び飲み干す作業に入る。

 無駄に酒に強いというのも困りもんだな……。

「おーおー、瀧宮ぁ、やっぱお前酒つえーなー」

「はいはい、風間センセ、飲んで飲んで」

「おっとっとっとー」

 奥田夫妻とは別に、風間も風間で面倒臭いことこの上ない。

 学生時代に色々あった分、酒が入ると昔の話を掘り出しつつ何かと絡んでくる。いい歳したオッサンが酒に飲まれんなよ……。

 こういう奴はさっさと潰すに限る。

「ぅっはー! 美味ぇーな、この酒!」

「そりゃ妖怪向けの酒『獅子炎』の無濾過大吟醸だしな。美味いが度数もおかしいことになってるから潰すにはもってこいの酒だ」

「んあー? おめー俺を潰すってかー? やーれるもんならやってみやがれぇー」

「はい、飲んで飲んで」

「おーう! どんどん注げー」

 酒瓶を傾けて風間のコップを満たしてやる。

 しかしこのオッサン、微妙にしぶとい。微妙に。

 普通ならもうとっくにトイレの住人になってそのまま朝までコースのはずなんだがな。

「おーら、ご返杯!」

「はいはい、ありがとさん」

 まだ升に少し残っているのに無理やり注がれる。しかもダバダバとこぼしやがる。酔っている分、酒を飲むときのマナーとかもうどうでもよくなってるな。酒の一滴は血の一滴という言葉を知らんのか。

「あーもう、この調子じゃ明日も買ってこないとすぐになくなるな……」

 昼間、俺とイヴで少し離れたところにある業務用スーパー買って来た酒とツマミがマッハで無くなる。別働隊で風間たちが釣った魚で軽く料理も用意していたが、そんなもんはとうの昔に消え失せた。


「さっさとしな! このウスノロ!」

「はいぃっ! ありがとうございますぅ!」

「にゃっはははは!」

「くひっ! あはははは!」

「すー……すー……うにゅ」

「おーっと瀧宮ぁ、空いてるなー?」

「……もうどうにでもなれ」

 全員諸共、明日二日酔いで苦しめばいい。




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