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だい よんじゅういち わ ~河童~




 何かがおかしい。

 俺は、何かを失念している……何だ?

 思い出せない。

 けれど間違いなく感じる、途方もなく嫌な予感しかしない既視感。

 心の何処か、記憶の奥底に眠る過去の光景が、俺に全力で逃げろと警鐘を鳴らしている。

「そーいや瀧宮たつみや

「はい、何ですか? 風間かざま先生」

 夏真っ盛りで頭上から容赦のない日光が降り注ぐ中、瀧宮のたち生徒会が企画したという旅行に出発すべく、俺たちは集合場所である月波学園正門前に来ていた。瀧宮のも、もう少し日陰が多い所を集合場所にしてくれても良かったものを。気がきかん奴だな。

 そんな折、学園主催と言うことで名目上引率が必要になったため同行することになったらしい俺たちのクラスの担任の風間が、瀧宮のに訊ねた。

「今回俺たちの移動手段は何だ?」

「バスですよ? 毎年そうなってます。しおりに書いてませんでした?」

「書いてなかったぞ?」

「あれ?」

 ゴソゴソと荷物を漁り、自分のしおりを引っ張り出す瀧宮の。その時、空いたカバンの隙間から教科書やら参考書やらが見えたんだが……何こいつ、旅先で宿題でもするつもりか?

「……ありゃ、本当だ」

「やっぱりな」

「すいません、あたしのミスです……」

「訂正文を要求する」

「今からですか!? いや、さすがにそれはちょっ――」

 言いかけたところで、瀧宮のは凍りついたようにピタッと動きを止めた。目の錯覚か、全身が白っぽくなってるようにも見えた。

「おい、どーした?」

「え……いや、ちょっと……待って……くだしあ……」

 何語だよ。

 ガクガクと生まれたばかりの小鹿の如く震えはじめた瀧宮のは、そのままおぼつかない足取りで、しきりに腕時計で時間を気にしている白銀しろがねさんの元へ駆け寄った。

「……もみじ……しぇんぱい……」

「どうしました? あずささん」

 瀧宮の異様な状態に流石にギョッとした顔をする白銀さん。

「あたし……ひょっとして……バスの手配するの……忘れてませんでした……?」

「……………………」

 瀧宮の、その絞り出したような呟きを聞き、俺だけでなく今この場の全員が「は?」とか「げ」とか、そんな表情を浮かべた。

「梓……それ、マジ……?」

「……………………」

 穂波ほなみのが俺たちを代表して訊ねる。すると瀧宮のは、とてつもなく珍しいことに、涙目でコクンと小さく頷いた。

 あいつが泣いてるの、初めて見たかも……。

 いや、まあ、気持ちは分からんでもないけど。

「どうすんだよ……こっから九十九海岸までだと、電車でも三千円くらいだろ?」

「うぅっ……ゴメン……」

「いや、もう謝るな。な?」

「だって……初めての企画で……こんなポカして……」

 あちゃー……。

 まあ確かに、これが個人的な旅行だったら、二つ三つの嫌味の後に笑い飛ばすだけで済んだのだが。

 しかし今回の旅行は、生徒や教師陣、その家族も参加している大所帯なものだ。それを企画主が移動手段の手配を忘れていたとなると……瀧宮のに圧し掛かる重圧は、半端ない。

「大丈夫ですよ、梓さん」

「ふぇ……うぷ」

 白銀さんがそっと瀧宮のを抱きしめた。その豊満な胸に瀧宮の顔が押し当てられて……うらやま! 瀧宮の、そこ代われ!

「……きょうが何かゲスいこと考えてる気配がする……」

「はあ……」

 女性陣の視線が痛い。

「本当はいつ気付くか見ていたのですが、念のため、私が代わりにバスの手配しておきました」

「……! もみじせんぱぁい……」

「次からはちゃんと気を付けてくださいね? 本当は梓さんが自分で気付いて自分でやらなければいけないことだったのですよ?」

「はぁい……!」

「ですが、梓さんはちゃんと反省できる子ですし、説教はこの位にしておきますね」

「もみじ先輩! 一生付いていきます!」

「あらあら」

 苦笑交じりに瀧宮の亜麻色の髪を撫でる白銀さん。何というか、絶世の美女の白銀さんと、見た目だけならそこそこ美少女な瀧宮のが抱き合ってると、非常に眼福である。

「……経、その辺にしときな」

「はあ……」

隈武くまべの!? お前さっきから何で俺の心読んでんの!?」

 出版委員長の佐藤さとうさんじゃあるまいし!

「顔見てりゃ分かるわよ、このスケベ。すっげえキラキラした目で見てんじゃないわよ」

「さーせんした……」

 おっかねえ。

 ところで。

「それで、移動手段は確保できたとして、そのバスはいつ来るんで?」

「もうそろそろのはずなんですが……あ、来ましたね」

 腕時計で時刻を確認し、キョロキョロと辺りを見渡した白銀さん。しかしすぐに探していた物を見つけると、そちらに向かって手を振った。

 バスと言うから学園の外から来るのかと思ったら、俺の予想に反して、学園内からその大型バスはやって来た。

 プシューッと音を立て、俺たちの前に停車するバス。その車体には、「月波学園」とペイントされていた。

 この学園、バスも持ってたのか……。まあ強豪な運動部もそこそこ揃ってるし、大会に行く足として必要なんだろうな。フロントガラスには「月波学園高等部学習合宿御一行様」と書かれたステッカーが貼られて……ん?

「あれ……?」

 俺の見間違いか?

 そう思って前の方に回って確認してきたが、やはり見間違いではなかった。確かにそこには「学習合宿」の文字が。

「……………………」

 凄まじいまでの嫌な予感。

 というか、むしろ悪寒。

「やばい、経のやつ、感付いたかも……」

「……逃げられる前に伸すか」

「いや、さすがに今頃逃げ出すことはないんじゃ……?」

「いやハルさん、経ならあり得るよ……」

 ひそひそと何やら相談しはじめる悪友たち。

 何だ……俺は何を忘れているんだ……?

「うーっす。ちょっと手続き手間取ったわ」

 と、その時。

 バスの扉が開き、中から黒髪黒シャツに黒ジーパン黒サンダル黒サングラスという、見事なほどに全身黒ずくめの男が出てきた。その姿を見た途端、俺の心の奥底に封印していた、あの忌まわしき夏休みの記憶が掘り起こされた。

「って何でクソ兄貴がバスから出てく――」「思い出したああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」「――って何事!?」

 何か叫んだ瀧宮の声量を上回る俺の絶叫。周囲の視線が一挙に俺に集まるが、構うものか!

「思い出した思い出した! 思い出した!! 八年前の夏休み! 瀧宮家に皆で集まって宿題してたら瀧宮の兄貴に『プライベートビーチに連れてってやる』って誘われてホイホイ着いてったら一週間勉強漬けにされたんだった!!」

「おー、お前、よく宇井ういとつるんでた悪ガキか。デカくなったな」

「あ、お久しぶりっす……じゃなくって!」

 なぜ今まで忘れていた!!

「チィッ! 思い出しやがった!」

「……藤原ふじわらにとってはあまりにも苦行だった故、自分で記憶を封印していたから大丈夫だと思っていたが……!」

相良あらい先輩! 経先輩を取り押さえて!」

「う、うん!」

 俺の肩に圧し掛かる、香川かがわの巨大な手の平。その重圧に、俺はあっという間に動きを封じられてしまった。

「嫌だあああああ! 放せえええええ! もうあの地獄の一週間は嫌なんだあああああ!」

「ええい! ここまで来たら覚悟を決めなさいよ! 男らしくない!」

「経暴れないで! 危ないって!」

「……こんな時ばっかり鬼の全力使いやがって……!」

 喚くも、香川の圧倒的な膂力に敵うわけもなく。

 俺はズルズルと引き摺られるようにバスの中に拉致られたのだった。



       *  *  *



「……はあ……」

「……鬱陶しい溜息だな」

 最後尾座席中央に座らさせ、両脇を駒野こまのと香川、正面の補助席に風間が座るという鉄壁の陣形で固められ、高速道路をバスに揺られること三時間余り。「海の家・月波」というそのまんま過ぎる看板を掲げた小洒落た雰囲気の、小さなホテルのような監獄に到着した俺たちは、それぞれ男女別に牢屋に拘束された。なお、メンバーは駒野と香川と言ういつも通りすぎるむさ苦しい面子だ。

「……完全に騙された……」

 おのれ瀧宮のじゃじゃ馬が……! 先輩を陥れるとはふてぇ奴だな!

「……お前、少しでもおかしいとは思わなかったのか?」

「ああ思ったさ! ただの旅行に学園が金出して負担してくれたり、やけに引率の教師が多かったり、瀧宮のは何か勉強道具持って来てたり! 変だと思ってたよ!」

「それなのにホイホイ着いて来ちゃったんだ」

 自分たちの荷物の整理をしながら、駒野と香川は呆れ顔でこっちを見る。ええい! そんな目で俺を見るな!

「そうだ! 俺そもそも勉強道具持って来てねえから免除されるんじゃ!?」

「おーい、三人ともいる? 夏合宿用課題の問題集届けに来たよー」

「……………………」

 俺の淡い希望は、隈武のが持ってきた三冊の冊子(極厚)によって一瞬で砕かれた。

「……安心しろ、藤原」

「あぁ?」

 何やら荷物を漁りだす駒野。そしてお目当ての物を見つけたのか、ドヤ顔(パッと見はいつものしかめっ面だが)で、それを俺に見せつけてきた。

「……お前の夏休みの宿題は、オレがおばさんから預かってきた」

「だったら何だってんだよっ!?」

 駒野から渡された五教科の問題集をバシンと床に叩き付ける。課題増やしてんじゃねえよ!

「経、こんな日本語知ってる?」

「あ?」

 極厚問題集を配りながら、隈武のが可笑しそうに笑いながらこう言った。

「騙される方が悪い」

「うっさいわっ!!」

 隈武から渡された問題集も叩き付ける。さすが極厚問題集。ドスンとすげえ音がした。

「藤原ぁっ! さっきからうっせーぞ! 下に響いてんだよ!」

「げっ!? 風間!?」

 窓の外、下の階の方から風間の罵声が聞こえてきた。

 この下、風間の部屋かよ。

「すいませーん、風間先生。経はわたしがシメときますんでー」

「おいコラ隈武の」

 どいつもこいつも……!

 図らずも、目の前に積み上げられた八冊の問題集の山に頭を抱える。おかしい……俺は、遊びに来たはずなのに……こんなはずじゃなかったのに……。

「ところで三人とも」

「……ぅあ……?」

 呻き声をもって隈武のに答える。

「まだ準備できてないの? もうそろそろ皆下に集まる頃よ?」

「……今行く」

「おれはいつでもいけるけど、経、準備出来た?」

「何のだよ」

「何のって、海に行く準備に決まってるじゃん」

「……………………」

 え?

 今何と仰いました?

「海行く準備?」

「うーん? あ、そか。経にはしおり渡してなかったっけ。相良」

「うん。経、これが本当のしおり」

 言って、香川が自分の分と思しき小冊子を手渡してきた。「月波学園高等部学習合宿旅のしおり」と銘打たれた、俺が瀧宮のから貰ったしおりとは完全に別物のようだ。俺が貰ったのは単に「しおり」と書かれていて、内容は集合時間と出発時間、解散予定時間、持ち物、必要費用、参加者一覧と言う、本当に重要なことしか書かれていなかった。

「えー、なになに? ……おお!」

 ページを開いてざっと目を通す。するとそこには、勉強は合宿二日目からで、移動日を兼ねた初日と最終日は基本的に自由時間とする、との記載が!

「つまり今日は遊んでいいと!?」

「そう! 加えて、明日からの勉強会ではお昼前に小テストをやるらしいんだけど、それで満点を取ると午後の指導は免除になるらしいわ!」

「マジか! うおおおおお! みなぎってきたぜ!」

「「「……ちょろい……」」」

「何か言ったか?」

「何か聞こえた?」

 きょとんと首を傾げる隈武の。

 ……まあ、いいか。

「じゃあ下で待ってるわねー。あ、下の個室更衣室は今女子が全部使ってるっぽいから、水着に着替えるなら部屋で着替えてから来てね」

「おー」

「じゃねー」

 軽く手を振って部屋から出て行く隈武の。それを見送ってから、俺たちはおのおの水着に着替えだした。



       *  *  *



 玄関を出てすぐの砂浜に着くと、着替えが簡単な男性陣は既に全員集合していた。それと、他に女子はまだ来ていないのに、瀧宮のと、何故か中等部から参加しているさわいずみも来ていた。

「何でお前ら着替えんの早いんだよ。普通女子って着替えに時間かかるもんだろ?」

「早寝早食い早着替えは芸のうちですよ」

「ボクは下に着て来たんっす!」

「……………………」

 ドヤ顔女子がうぜえ。

 ……にしても。

「ふむ」

 瀧宮のが着てるのは、スポーティーなビキニタイプ。上は黒地に白ラインとシンプルだが、下はジーンズのホットパンツを重ねて履いて、なかなかに格好良い感じだ。鍛えて割れてる腹筋のせいで、マニアックな絵面にはなっているが。

 澤は……まあ、どうでもいいか。見た目小学生幼女のスク水なんて、瀧宮の以上にマニアックすぎる。残念ながら二人とも俺の守備範囲外。

「……何ですか。人のことを舐めるように見つめて、いやらしい」

「変態さんっすー」

「お前ら誤解を招くようなセリフは控えてもらおうか」

 まあ二人とも見てくれは良いから多少の罵詈雑言は目を瞑ってやろう。さすが先輩、心が広い。

 対して……。

「……………………はあ……………………」

「「「「何だその溜息」」」」

 野郎共のむさ苦しさと言ったら……。

「穂波の、迷彩柄とかただのミリオタじゃねえか。猿山さるやま、学園指定のトランクスタイプとか普通過ぎてつまらん。駒野、スパッツがパッツンパッツンで気持ち悪い。香川、ブーメランパンツとかマジでねーわ」

「「「「黙れピンクに黄色の水玉」」」」

「うっさいわ!」

 去年お袋が買った水着を押し付けられたんだよ! 一回も使わないのはもったいないとか言って! けどあの下町のオカンに勝てるわけねえだろ! 俺だって違うの買いたかったわ!

「こりゃ、後から来る女性陣に期待だな……」

 ただし隈武のは除く。

「って何ですか経先輩! あたしらじゃ不満ってんですか!?」

「ぶーぶー!」

「黙れマニア向け共! 俺の視界に入りたくば、バストサイズを最低二つは上げて出直してぐふぁっ!?」

 何者かに思いっきり蹴とばされた!?

「ふんっ!」

「ぎゃっ!?」

 しかも体勢を崩して転んだところを踏まれた!?

「何かさっき、とんでもなく失礼なことを考えていた気がしたので」

「その声! 隈武のか!」

 何とか首を捻って後ろを振り向くと、黄色に白のストライプ模様のビキニを着た隈武のが、腰に手を添えて俺の上に仁王立ちしていた。

「……………………」

「何よ経。その目は」

「いや、お前、脱ぐと胴の長さが如実にげぼらぁっ!?」

「ごめーん経、よく聞こえなかったわー。……もう一回言ってみ?」

「何も言ってない何も言ってない! てか、ヤバいヤバいヤバい! 内臓的な何かがヤバい!」

 これ以上はモツがはみ出る!

「ふん!」

 右手を砂浜に何度も叩き付けてギブアップの意思を示すと、隈武のはそれでようやくグリグリと踏みつけていた力を弱めて足を退けてくれた。

「あー……死ぬかと思った……」

「あんたも大概やられるって分かってんだから、その減らず口を何とかしなさい。何なの? ドМなの?」

「失礼な。ただ俺の口は真実を告げているだけだ」

「それが余計だっつってんでしょーが」

 ポカリと殴られる。が、いつもの激しいツッコミ(控えめな表現)と比べたら、この程度、文字通り小突かれた程度。俺は笑いながら海の家の方に向き直った。

「すまない、着替えに手間取った」

「ぐはぁっ!?」

 そこに、一体の生物兵器がいた。

 長い金髪を緩く一つにまとめたハル。眼鏡の奥の青い瞳に合わせたのか、着ているのはシンプルな水色の紐ビキニなのだが……何というか、モノスンゴイ。欧米体型を地で行くハルは、凄まじいの一言に尽きた。胸の豊かな膨らみも、瀧宮のとは全く別ベクトルで引き締まった腰のくびれも、すらっとした長い脚も、夏特集のファッション雑誌からそのまま飛び出てきたような完璧さだった。さらに、白人特有の透けるような白い肌が日光を反射して眩しい。

「……………………」

「こっち見んな、変態」

「アレと比べないでください、変態」

 罵声を浴びせながらも、隈武のも瀧宮のもハルから目を離せないでいる。具体的には、隈武のは日本人は持ち合わせていない長くて綺麗な脚を、瀧宮のは歩くたびに揺れる胸を凝視している。

「……………………」

「で? 経。何か言うことは?」

「あー……ドンマイ?」

「あたしらにじゃないです! ハル先輩に対して、何か言うことはないんですか!?」

「え、そっち!?」

「「間違いなくこっちへのフォローだと思われてたのがすげえムカつく」」

 あ、ヤバい、俺陰陽師に殺される。

 どうせ殺されるのであれば、せめてこの光景を眼球に焼きつけてから……!

「な、なあ、経? そんなに見つめられると……流石に、照れる……」

「ん、お、おう。すまん」

 しまった、思わずじっと見つめてしまった。

「それで……ど、どうだ?」

「あ、ああ。すげえ似合ってるぞ、綺麗だな」

「……………………」

 ハルは少し顔を赤くし、それでも誇らしげな笑みを浮かべ、満足げに頷いた。

「良かった、最近体育の授業がないせいで少し体重が増えていたから……」

「「それで増えてるの!?」」

 目を剥く陰陽師系女子二人。

「どこだ!? どこに肉が行った!?」

「胸肉!? やっぱり胸肉なんですか!?」

「ちょ、まっ……! お、落ち着け二人とも!」

 何かわちゃわちゃし始める女性陣。若干二名はS級危険人物だが、こうやって水着でじゃれ合ってるのを見る分には眼福である。色々と期待もしちゃうしな!

「おにーちゃーん!」

「……………………」

「お、お待たせしましたー……」

 と、そこにもう三人が到着した。

 あ、何だろう。あの三人、すっげー和む。

 元気一杯全力疾走してくるのは、学年主任の市丸いちまるの孫で、一時期俺をお父さん呼ばわりしていた味香みか。ネコのキャラクターの模様がアクセントのピンクのワンピースタイプの水着を着た味香は、踏むと音が出るサンダルをパフパフ鳴らしながらこちらに駆け寄ってきた。

「おー、味香。可愛いじゃん!」

「えへへ~」

 抱き上げると、ニパッと顔全体で嬉しさを表すような笑みを浮かべた。それが微笑ましくて笑い返すと、隈武が「こうして見るとホント親子よね」とか言いやがった。誰が親父か。確かに、水着もピンクでお揃いだが。

「お、真奈まなちゃんも似合ってんじゃん」

「そ、そうかな……?」

「うん、いいんじゃないかな」

 そう言って瀧宮・穂波の一年生コンビに迎えられたのは、二人の友人である朝倉。彼女もまた、水色に白い水玉と、色や模様は違えど、ビキニだった。他の面々とは違ってセパレーツにパレオを腰に巻いてはいるのだが、引っ込み思案で大人しそうな彼女がこのテの水着を選ぶとは意外だった。高等部女子組はビキニで揃えようと結託でもしてるのか? あ、瀧宮のが無理やり押し付けたんじゃなかろうな? だとしたらグッジョブなのだが。

「っと、そう言えば、その子は?」

 さっき朝倉が味香と一緒に連れてきた女の子。見た目だけなら澤と同じくらい、つまり小学校低学年くらいの子が、朝倉の手を放さないようギュッと握っていた。

「あ、えとこの子は……ほら、楓花ふうかちゃん、ご挨拶」

「……………………風間……楓花です……………………」

「へえ、楓花って言うのか……………………は?」

 今、風間っつった……?

「えと……風間先生の娘さんらしいです」

『『『えええええぇぇぇぇぇっ!?』』』

 瀧宮のと朝倉以外の、その場の全員が驚きの声を上げた。それにビビった楓花は、涙目で朝倉の足にしがみ付いた。

「って、何でそんなにビックリしてんですか!? あたし参加者名簿に書いてましたよね!?」

「いやいやいやいや!? いやいやいやいやいや!? いやいやいやいやいやいやっ!?」

「経先輩日本語喋って」

「いやいやいやいや! 俺らが驚いてんのは風間に娘がいたことじゃねえよ!」

 それについてはあいつのクラスである俺らどころか、学年全体が知ってることだ。奴は授業中、ちょいちょい雑談で娘の話題を出すからな。

「じゃあ何ですか。何に驚いてんですか」

「俺らが驚いてんのはな! あの冴えないチョイ悪オヤジの遺伝子で、どうすりゃこんな美少女が生まれてくるんだってことだ!」

 皆も俺と全くの同意見だったようで、コクコクと必死に頷いている。

 そう、楓花は十歳にもなっていないであろう幼さで、この場の全員が美少女と認めるほど、可愛らしかったのだ。手触りの良さそうなサラサラな黒髪は肩で切り揃えており、眉目の整ったその顔つきは、将来を大きく期待させてくれる。また、俺たちに驚いて潤んだ黒目がちな瞳や、少しぐすって震えている薄ピンク色の唇は、限りない保護欲をかき立ててくる。

 加えて、淡いグリーンの爽やかな色合いの、ちょっと大人っぽさを意識したデザインの子供用ビキニが、これまた愛くるしい。

 結論。

『『『可愛い~!』』』

「……………………」

 俺たちが声を揃えると、楓花は再び朝倉の影に隠れた。てか朝倉、やけに懐かれてるな?

「その……さっき、風間先生の奥さんに、お世話を任されたので……」

「へえ、そうなのか。ん? そう言えば大人連中は?」

「今、会議中だそうです……。明日からの、勉強会の準備だとかで」

「あー……」

 そう言えば学習合宿だったな、これ……。麗しい水着美女たちで頭から抜け落ちてたけど、明日からは地獄が始まるのか……嫌だな……。

 思い出したらフツフツと俺を騙してくれた瀧宮のへの怒りが……いかん、変なことして殺されたらせっかくの目の前の天国が今ここで終わってしまう。とりあえず、楓花でも撫でて心を落ち着かせようか。

「楓花って言ったか? この子は味香だ」

「みかだよ!」

「……………………味香……………………」

「で、俺は経って言うんだ。よろしくな」

「……………………経……………………」

「おう、よろし――ったあっ!?」

「経っ!?」

 楓花に手を伸ばしたら、何か超局所的な突風に吹かれて俺はぶっ飛ばされた。ぶっ飛ばされたというか、殴り飛ばされたに近い感覚だった。

「大丈夫か、経!」

「あ、ああ……大丈夫だ……」

 ハルが心配して駆け寄ってきた。前屈みになって手を差し伸べてきたが……うっひょう視界が天国! ……じゃ、ねえや、それよりも!

「今のって、楓花か?」

「あ、ああ……おそらく……」

 ハルの手に掴まって起き上がる。いくら娘が大事だからって、今ここにいない風間が力を使って俺をぶっ飛ばしたとは到底思えない。風間の嫁さんも然り。だとすると消去法で、残るは楓花本人と言うことになるが……。

「……………………男の人は……………………」

「あ?」

 楓花が朝倉の影に隠れながらこう呟いた。


「……………………男の人は……汚いから……触るな……………………」


 前言撤回。

 こいつ全然可愛くねえ!!

 というか可愛げがねえ!!

「……………………って……パパが言ってた……………………」

「あの不良教師! 娘に何教えてんだ!」

「……………………特に……経ってヒトは……絶対って……………………」

「……っ!!」

「お、落ち着け経! どこに行く気だ!?」

「一発風間をぶん殴ってくる……」

「風間先生は過保護なだけだ! ……たぶん!」

「おにーちゃん、きたないの?」

「味香! 変なこと覚えるな!」

「???」

 小首を傾げる味香。チクショウ! 俺の周りの女で俺に優しいのはもはやハルくらいか!?

「ちょいとあんたら」

「あ!?」

 何だか呆れ顔の隈武のがこっちにやって来た。

「そっちで盛り上がってるとこ悪いんだけど、こっちはこっちで結構大変なんだけど?」

「何だよ」

「どうしたんだ?」

 見れば、すでに全員の注目は楓花から逸れていた。皆が群がって呆れ顔で見ているのは――パーカーを着た白髪の美少女を後ろから抱きしめている、穂波のだった。

「ユーちゃん……あんたね……」

「見せない! 僕は何と言われようと! ビャクちゃんの水着姿を公衆の面前には晒させない!」

「何のために海に来たと思ってんのよ!」

 どうやら俺たちが向こうでギャーギャーやってるうちに、穂波の彼女であるビャクが着替え終わってやって来たらしいが、それをどこからともなくパーカーを取り出した穂波のが、水着の上から着せて隠してしまっているらしい。……当の本人は、後ろから抱きしめられてテンパってそれどころじゃないらしいが。

 爆砕四散してくれねえかな、あの野郎。

「少なくとも水着を見せびらかすためじゃない!」

 穂波の力説は続く。が、いい加減苛立ってきた瀧宮のがブチ切れ、鬼の形相で器用に穂波のだけを蹴り飛ばした。

「女子のファッションなめんな!」

「ぐぼぉっ!?」

「ユタカあああああ!?」

 砂浜の上を二度三度とバウンドしていく穂波の。そこに瀧宮のは更なる追い打ちをかけるように駆け出し、早くも体勢を立て直そうとしている穂波の背中に跨って両腕をガッチリとホールド。そのまま逆エビ固めを極めた。

「今よウッちゃん! その邪魔なパーカーを剥ぎ取って!」

「了解!」

「やめろおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 絶叫する穂波の。というか、あいつは何で逆エビ食らいながら悲鳴一つ上げないんだ? 頑丈過ぎんだろ。

「ほい、御開帳~」

「あ」

 守護神がいなくなったことで、あっけなく剥ぎ取られるパーカー。その下の、穂波のが決死で隠そうとしていた水着は……おお!

「白のビキニ! フリフリつき! 可愛いっすビャクちゃん!」

「そ、そうかな?」

 ビャクの周りをぴょんぴょん跳ねまわる澤。確かに、あのテの水着は着る者によってかなりイタい雰囲気になってしまうものだが……ビャクは、見事に着こなしていた。背も低くて肉付きが薄いため俺の趣味ではないが、十分に可愛いと思え――


 チュイン!


「ったぁっ!?」

 今コメカミの横を何かが飛んでった!? 衝撃波的なナニカが来たんだけど!

足元を見れば、俺の物と思しき髪の毛が一房落ちていた。

「……………………」

 ゆっくりと振り返ると、どうやったか知らないが、瀧宮の関節技から脱出した穂波のが銃を構えていた。が、すでに瀧宮のに後頭部を踏みつけられて砂に顔を押し当てていた。

 ってかあいつ、今躊躇いなく実弾撃って来なかったか? いつから穂波のは瀧宮のと同じS級危険人物に昇格してしまったんだ……前まではギリA級だったのに……。

「さて、これで全員揃ったかな?」

 隈武のが辺りを見渡して確認する。

「まだ白銀さんが来てねえけど?」

「もみじ先輩は大人連中と会議中ですよー。企画側代表として出席してくれてます」

 まだ向こうで騒いでいた穂波のを無理やり気絶させ、引きずるように持ってきた瀧宮のが答える。顔を砂まみれにして四肢をだらんとさせた穂波のを投げ捨てると、ビャクが心配そうに駆け寄って、そっと膝枕をしてやっていた。まったく甲斐甲斐しいねえ。

「あれ? 企画主はお前じゃねえの? だったらお前が出るべきじゃね?」

「あたしもそうするべきだと思ったんですけどね……………………ちっ」

「え、何、その舌打ち」

 尋ねるも、瀧宮のは物凄い不機嫌顔でそっぽ向いてしまった。一体向こうで何があったし……。

「あの……」

「うーん? どしたの真奈ちゃん」

 おずおずと手を挙げる朝倉。隈武のが訊ねると、朝倉は「もみじさんのことなんですが……」と答えた。

「会議に出なくてもいいことになったので……少し遅れてくる、とのことでした」

「え?」

「さっき、わたしたちが出る時に……入れ違いで更衣室に来たので……」

 ん? じゃあそろそろ来る頃じゃね? つーか、白銀さんの水着姿とか、激レアじゃん! 期末テストの一悶着以来、改めて白銀さんの注目度は上がってんだよな。特に水着とか、体育の授業で一緒のクラスしか拝めないだろうから、もうヤバいね! カメラ持ってくりゃ良かったぜ。今からでも部屋に戻って取ってこようか。

 ……などと考えて、海の家にこっそり戻ろうとした時だった。

「……っ!?」

「うーん? どうしたのよ、経」

 硬直した俺の顔を覗き込む隈武の。

 俺は見てしまった……最終兵器を……!

 アレは……ヤバい! ヤバすぎる!

 何がヤバいって、ヤバいって分かってんのに視線を逸らすことができないその吸引力だ!

 頭に、具体的には鼻と下っ腹に集中する熱い激動。それを何とか堪えながら、俺はこの場の野郎共全員に警告を発する。

「皆……! 逃げろ……!」

「……藤原? ……っ!」

 俺の意図に気付いたらしい駒野がマッハで視線を逸らし、水平線を睨み付け始めた。続いて、男性陣の中では最年少の猿山が、ついうっかりそっちに視線をやってしまった。ただでさえ赤い顔をさらに赤くし、しかし驚異の精神力で視線を逸らして駒野の横に並び、水平線を見つめていた。……時々気になるのか、振り返ろうとして駒野に頭を鷲掴みされるのは、若さゆえのご愛嬌。

「??? ねえ、二人とも何して……うっ!?」

 あああああ!

 香川が! 香川が! 思いっきり見てしまった!!

 ヤバい! 香川ヤバい! 一度はっきり見てしまったら……もう視線が……! しかも香川! お前、そんな水着で大丈夫か!? 一番ヤバいのお前だろう!!

 もう男子で無事(?)なのは気絶してる穂波のだけか!

「ちょっと男子、さっきから何し……て……」

 二人が明後日の方を向き、残る二人が海の家の方を凝視して硬直してるのを不審がった瀧宮のが俺たちの視線を辿る。ああ、またしても、新たな犠牲者が……!

「嘘……でしょ……」

「そんな……ことって……」

「はわわわわ……」

「あれは……」

 隈武のや朝倉、ビャク、そしてついにはハルまでもがそれを見てしまい、言葉を失う。どちらかと言えばそちら側であるハルですらこの威力……恐るべし! 唯一、見た目も中身もガキな澤だけが「おー! 凄いっす!」と無邪気にはしゃいでいた。

「お待たせしました。……あら? 皆さん、どうしました?」


 最 終 兵 器 降 臨 。


 筆舌するのも烏滸がましい、完成された魅惑のボディ。しなやかで長い脚、程よく膨らんだヒップ、くびれたウェスト、豊満なバスト……どれをとっても文句のつけようがない。そして、その美しい肉体を包んでいるのが――


『『『黒のマイクロビキニだとおおおおおぁぁぁぁぁっ!?』』』


 我らが生徒会長、白銀もみじの水着姿を見てしまった全員が、声を張り上げて驚嘆した。

「……ぅえ?」

「ユタカ! 見ちゃダメ!!」

「くぺっ!?」

 俺たちの絶叫に、ビャクの膝の上で目を覚ました(いや復活早過ぎんだろ)穂波のが、必死にその視界を塞ごうとしたビャクによって変な角度に首を曲げられ、再び気絶させられてしまった。哀れ。

 しかし……何て刺激的な水着なんだ……! 首元でクロスさせた細い布地で隠された胸元は、しかし惜しげもなく輝かしい南半球を露出させている。そして下の方は、隠す面積は最小限に留めた、ほぼ紐。その紐を腰のわきでリボンのように結び、水着とその着用者の女性らしさを際立たせるアクセントにもなっている。

 というか、これだけ露出が高いのに、全く下品に見えないあたり、白銀さん、流石である。

「あの、ダメだったでしょうか……? 水着ショップの店員さんに勧められたものを買ってみたのですが……」

「ダメ……じゃないけど、色々とアウトです!」

「え?」

「そうだ! ウッちゃん! さっきのパーカー!」

「はいアズアズ!」

「とりあえずこれで隠し……胸が邪魔してチャックが閉まらない!?」

「はぁっ!? ……仕方がない! 男子! 見んな!」

「「ゴメン無理!!」」

 隈武の理不尽な命令に、俺と香川が全力で拒否する。

 我ながらバカだと思うが、男とはそもそもそういう生き物なんだ! 見るなと言われて視線を逸らせるほど賢くねえんだよ!

 あのパーカー、穂波のが持ってたのだから奴のだろうし、ビャクの体をほぼ全部隠してたから結構サイズはデカいと思うんだけど、それでも前が閉まらないってどういうことだ!? 瀧宮のが何とか閉まらないか頑張ってるが、今にも弾け飛びそうだ!

「こうなったら最終手段だ! 香川!」

「う、うん!」

 このまま何もしないでいると、陰陽師系女子二人に殺される未来がすぐそこまで来ている。ならばせめて、自分の手で……!

「恨むなら、男に生まれてしまった自分を恨め!」

「そっちこそ!」

 俺たちは向かい合い(視線は白銀さんに固定されたままだが)、お互い拳を固く結び――鬼としての全力で、お互いの鳩尾を殴り飛ばした。

「「ぐふぅっ……!」」

 その衝撃に、朝飯の残骸とか、昼に寄ったパーキングエリアのサンドイッチとか、色んなものが出てきそうな衝動を残った気力で抑え込み、俺たちはゆっくりと砂浜の上に倒れ込む。そして穏やかに気を失っていった。

 最期に視界に映ったのは、青い空と白い入道雲。そして、誰かの声。

「……男って、ホントにバカね……」

 そう呆れ声が聞こえた気がしたが、誰の呟きかは分からなかった。



       *  *  *



 目が覚めると、俺は砂浜に立てられたパラソルの下で寝かされていた。

「うっ……うぷ気持ち悪っ」

 香川に殴られた衝撃がまだ残ってる。あいつ、本当に手加減なしの全力で殴りやがったな。俺もだけど。

「お。起きたな」

「あ? 冷たっ」

 後ろから声をかけられ、振り返るとちょうど、キンキンに冷えた缶ジュースが頬に押し当てられる格好になった。そこには、休憩中なのか、水着の上からタオルを羽織ったハルが座っていた。

 さっきまで泳いでいたらしく、金髪が濡れて太陽の光を反射し、キラキラと光っている。さらに眼鏡も外しているため、いつもと大分印象が違って見えた。

「水分補給だ。気を失っていても汗はかくからな」

「おう、サンキュ、ハル。そう言えば俺、どれくらい気絶してた?」

「四十分くらいだろうか。香川は君が起きる十分くらい前に復活して、今は会議を終えて釣りに出かけた先生たちの方へ行ったぞ。少し強く殴り過ぎたと謝っておいてくれと頼まれた」

「いやいや、あの最終兵器に対抗するためだったんだ。お互い恨みっこなしだろ」

「あぁ……確かに……すごかったな……」

「な……」

 まずい、思い出したらまた赤い衝動が……。

「ちなみに、その最終兵器は?」

「梓が着せたパーカーでは胸が入らなかったので、代わりに羽黒さんの物を着せ、加えて私が予備で持って来ていたパレオで威力が半減。彼シャツに梓が物凄い形相になった以外、これといった被害の確認はされなかったため解放され、向こうでビーチバレーをしている」

「それもうほとんど元の水着見えてねえじゃねえか」

 白銀さんの微妙そうな表情が目に浮かぶ。

 ハルが指さした方を見ると、離れたところでビーチバレーをしているグループに一人、妙に厚着の女がいたが、あれがそうか。遠目でも分かるな。背が高いから優秀なブロッカーになっているようだった。

「ちなみに現在、白銀もみじ&瀧宮梓ペアの三十二連勝中らしい」

「俺が気絶してる四十分の間に何ゲームしてんだよ!? そして何故その二人を組ませた! 鬼か!」

「鬼は君だろう」

 せやな。

 っと、いつまでもこんな所でたむろってるのも時間の無駄か。せっかくもらえた自由時間だ、海に行こうじゃないか!

「経兄ぃ! 起きたっす!」

「ん?」

 海の方から何かが叫びながら砂を巻き上げてこちらに走ってきた。何者かと待っていると、俺たちの目の前で急ブレーキ。小さな体にスクール水着をまとった澤がすっげえ目を輝かせて立っていた。

「経兄ぃ経兄ぃ! 水泳勝負したいっす!」

「いきなりなんだ、この幼女は」

「幼女じゃないっす! もう中学生っす!」

「奇声を上げながらシュールなネタをかます一発屋芸人かお前は。その見た目で中学生って言うのも、俺は未だ信じられんのだがな」

「肉体強度的にはバッチリ中学生っすよ!」

「微妙だな、それ」

「だからボクと水泳勝負するっす!」

「お前は今回の学習合宿で『だから』の意味をしっかり習ってこい」

 何かこいつと話してると妙に疲れるんだが……。

「で? 何で水泳勝負? 確かに海に来たんだから泳ぎたい気分だが、普通に泳げばいいじゃねーか」

「あっれー? ひょっとして中学生女子に負けるのが怖いんっすかー?」

「……………………」

「痛い痛い痛い! グリグリ痛いっす!?」

 澤のコメカミを両拳で挟み込み、思いっきり力を入れてやる。何故だろう、こいつを見てると頭をグリグリとしたくなるのだが。

「……む。藤原、起きたのか」

「うちの泉がご迷惑かけてすみません」

 と、ビーチバレーの方から、どうやら負けて来たらしい駒野と猿山の長身コンビ(猿山は中一にしては、だが)やって来た。あの二人、こいつらにも勝ったのか……。瀧宮のはともかく、やっぱ白銀さんもバケモンだな。

くれないくん! ちょうどいい所に!」

「何だよ」

 頭を放してやると、バビュン! と澤は猿山の元に駆け寄った。

「水泳勝負するっす!」

「しない」

「えーっ!!」

「何で負けると分かってる勝負に挑まなきゃいけないんだよ。おれは普通に泳ぐ」

 ……ん?

 何だ澤、こいつ、泳ぐの速いのか? まあ自分から勝負とか挑んでくるくらいだし、自信はあるんだろうけど。

 ちょっと気になるな……。

「おう、澤」

「ほい?」

「いいぜ、水泳勝負。面白そうじゃん」

「おーっ!」興奮して顔を赤らめる澤。「さっすが経兄ぃ! 分かってくれると信じてたっす!」

「まあ普通に泳ぐのより断然面白そうだしな」

「うんうん! ささっ! 紅くんも! ついでにアキ兄ぃも!」

「……オレは構わないが……というか、アキ兄ぃってオレか?」

「先輩たちが良いというなら、まあ……」

 駒野は澤の呼び名に首を傾げつつ、猿山は不承不承――と、いう体で、若干ワクワクしながら頷いた。このガキ、単に素直じゃないだけの友達欲しい奴か。

「で、どうするハル? お前も参加するか?」

「いや、私はいい。見学させてもらうよ。審判も必要だろうし」

「ああ、それもそうだな」

「それに――私が出ては、それこそ勝負にならないぞ?」

「……………………」

 そう言えばこいつ、忘れてたけど人魚だったな。勝てる気しねー。



       *  *  *



「ただいま」

「おー、お帰り。どうだった?」

 その後、海の状態を見て安全を確認してくるとかで一人潜りに行ったハル。さすがは人魚と言うべきか、人化したままで十分間潜り続けた後、さして疲れた風も見せずに浜辺に戻ってきた。

「……ハルさんとも、いつか勝負っすね……」

「無謀かお前」

 澤が変な闘志を燃やしていたが、アレに勝てるのは不可能と思われる。

「で? どうだった」

「ああ、この辺りは危険な岩場もないし、潮の流れも穏やかだ。最大深度は五メートルほどと、少々深いのが気掛かりだがな。それと、これはここに来る前に海の家の管理人さんに聞いた話だが、遊泳可能区域は湾内の浮きとロープで区切られた所まで。ロープと湾の外は岩場が鋭かったり潮が速かったりと特に危険だから、絶対に外には出ないように、とのことだ」

「了解。お前ら気をつけろよ」

「ほーい!」「はい」

 中学生コンビに注意を促すと、素直な返事が返ってくる。……澤が今の説明で理解できたか不安なんだが。ちゃんと見ておくか。

「それじゃあ、経」

「ん?」

「この浮き輪を膨らませてくれないか?」

「浮き輪? 何に使うんだ?」

 ハルがカバンから取り出した、空気の入ってない畳まれた浮き輪を受け取る。俺はそれを困惑しながらも、素直に応じて膨らませる作業に入る。

「はぁっ……ぷぅっ……!」

「おお、速いな」

「……っぷはぁ! まあな、これでも肺活量には自信があるし。はぁっ……ぷぅっ……!」

 普通ならボンベとか使うところだろうが、妖怪である俺にとっちゃ、ちょろいもんだぜ。まあさすがに一息で、とはいかないが、あっという間にパンパンに空気が入った。

「で? これを?」

「これをこうする」

 浮き輪に付属していた紐を一旦解き、最大限に伸ばしたところで紐が通っていた穴に結ぶ。それを抱えると、ハルは再び海に入って行った。さすがに今度は浮き輪を抱えているため潜らず、それでも全く衰えているようには見えないスピードで泳いでいき、少し進んだところで潜水。すぐに浮き上がり、浮き輪をその場に放置してこちらに戻ってきた。

「ただいま」

「お帰り。なるほど、あれが目印か」

「ああ。あそこに良い感じの流木が沈んでいたから結んできたんだ。波打ち際から浮き輪まで大よそ三十メートル。少し水に入って二十五メートル地点から泳ぎだし、往復すれば五十メートル。波のある海で競うには丁度良い距離だと思うが」

「ああ、完璧だ! さすがハルだな!」

「そ、そうか……? 褒められると、やはり嬉しいな」

 少し照れたように微笑むハル。

 よし……じゃあ軽く準備運動して……っと!

「ところでハンデとかいるか?」

「ハンデ?」

「ああ。ここの面子が全員妖怪っつっても、さすがに高二と中一が同じステージでって言うのは、大人げないしな……」

「それもそうか。それなら、紅の五秒後に経と駒野。そのさらに五秒後に泉でどうだ?」

「は? いやいやいや。澤も猿山と同じ、俺たちの五秒前でいいよ。何で俺らより後なんだよ。駒野もそれでいいだろ?」

「……異存はない」

 軽く屈伸をしていた駒野が頷く。するとハルは「本人がそれでいいなら、それで……」と、何やら悟った表情を浮かべていた。

 何だ、気になるな。

「よし! じゃあ全員位置につけ!」

「おーっ!」

 ざぶざぶと波打ち際に足を踏み入れ、いつでも泳げる準備をする。

「おお、水が透明だぞ……」

「九十九海岸は月波市を流れる辰帰川の河口だからな。学園のプライベートビーチとして管理されてるから、綺麗なのも当然だ」

「なるほどな」

「さて、皆、準備はいいか?」

「俺はいつでもいいぜ!」「バッチリっす!」「……ああ」「大丈夫です」

 頷く四人。うっし! 何だか漲って来たぜ!

「それじゃあ、紅と泉がスタートして十秒後に経と駒野がスタートだ。それでは、よーい……」

 ごくりと唾を飲む。

 澤の奴、ずいぶんと自信満々のようだが、お手並み拝見と――


「スタート!」


 ザッバア!!


「って速っ!?」

「……何だあの速度!?」

「だから言ったのに……」

 綺麗なフォームと驚くべきジャンプ力で水面に飛び込んだ澤は、同時スタートの猿山をあっという間に置いてきぼりにし、すでに目印の浮き輪の目前まで迫っていた。

 しかもバタフライだった。

 あのスピード、もはやノットで表した方がいいレベルじゃねえか!?

「あいつ水妖系かよ!?」

「……聞いてないぞ!」

「聞かれなかったからな」

「クッソ! おいハル! もう俺たちスタートしていいよな!?」

「ああ、二人とも、スタートだ」

「「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 二人同時に海に飛び込み、鬼と人狼の膂力を惜しげもなく発揮してザカザカと波を掻きわける。海の綺麗さだとか、海中の豊かな生態系だとか、途中で追い越した猿山とか、そんなこともはやどうでもいい!

 いくら水妖系と言っても、中一女子に泳ぎで負けるとか恥ずかしい!

 後で隈武のに何て言われるか!

「「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 駒野と二人、競い合うように浮き輪を目指す。そして体感的には澤と同じタイムで折り返し地点に到着し、そのままスピードを落とさないようにUターンして砂浜を目指す。

「「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 帰りは波のおかげでスピードアップ! でもそれは澤も同じのはずで、良くて同時ゴール、ひょっとしたらもう砂浜に着いてるかもしれない。

「「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 ラストスパート!

 砂浜に突っ込む勢いで、俺と駒野はスピードを緩めず泳ぎ切った。

「ごおおおおおぉぉぉぉぉるっ!!」

「……結果は!?」

 二人で審判役のハルに向き直る。するとハルは難しい顔をして結果を出す。

「んー……身長差で、駒野が一着! ……だった気がする」

「……よし」

「あー! クッソ!」

 駒野に負けたー!

 ……って、あれ?

「澤は?」

「ハンデのつもりなのか、浮き輪の辺りで泳ぎ方を潜水に変えて、まだ泳いでるぞ」

「……ハンデをもらって勝っても……何とも言えんな」

「だな」

 まあ俺たちも五秒のハンデがあったし、おあいこってことで。

 ……っと、噂をすれば。

「来たか」

「げほっ……げほっ」

 ……ん? ありゃ?

 咳き込みながら海から上がってきたのは、学園指定の水着を着た長身の少年だった。

「……猿山?」

「おや意外だな。澤がビリか」

 いくら潜水と言っても、最初にあの速度で引き剥がした猿山に負けるとは思わなかったが。なるほど、これが慢心か。

「たっ……」

「おー、お疲れ猿山。三位だ――」

「大変です!」

 と。

 いつも落ち着いている猿山には珍しく、すごく焦った声音で俺たちに駆け寄ってきた。

「どうした?」

「泉が、沈んでました!」

「は?」

 沈んでた? 澤が?

「潜ってたの間違いじゃなくて?」

「はい……! 海底の一番深い所で……ジタバタ暴れてて……!」

「……っ!!」

 気付くと体が勝手に動いていた。

 ザブンと海に飛び込み、澤の小さな体を探す。横を見るとハルも一緒に来ており、軽やかな動きで水中をスイスイ進んでいた。こんな状況でなかったら、その美しい泳ぎに見惚れるところだった。

 しかし、今は澤が先だ。

 幸い、九十九海岸の海の高い透明度のおかげで、すぐに発見することができた。

 確かに猿山の言う通り、水底で全身を掻き毟るように暴れている。

 一体どうしたというんだ。

 とりあえず一旦水面に顔を出し、大きく息を吸った後、急速潜水する。って、あれ? ハルの奴、どこ行った……って、あそこか。なるほど。

 ハルも澤は見つけているだろうに、彼女はそのまままっすぐ泳ぎ進んでいった。その冷静な判断に脱帽しつつ、任された澤を救出すべく俺は海底へと急いだ。

「……っ! ……っ!!」

 ガボガボと口から気泡を発しながら暴れる澤。さすがは水妖と言ったところで、別段呼吸に苦しんでいるわけではないようだ。じゃあなんでコイツ溺れてるんだと疑問に覚えつつ、皮膚をただひたすら掻き回っている澤を取り押さえ、上を目指して海底を蹴った。

 海面では、目印として使っていた浮き輪を回収してきたハルが立ち泳ぎで待機していた。

「おら!」

 その浮き輪に澤を突っ込み、俺はようやく一心地ついた。

「ヒリヒリして痛いっすー!」

 ようやく海面に顔を出した澤は、全身を掻きながらそう叫んだ。



       *  *  *



「河童」

 浜辺の簡易シャワーで澤の頭に水をかけつつ、猿山が呆れ顔で呟く。

「体躯は子供くらいで全身緑色か赤色をしていて、頭の上に体が乾かないように水を溜めておく皿を乗せている。短い嘴、カメのような甲羅、水かきがあり泳ぎが得意。相撲が強い。キュウリが大好物、等々。日本では鬼や天狗と並んでかなり有名な妖怪」

 はあ、と大きくハルが溜息を吐く。

「カワウソの見間違えという説もあるが、本物のカワウソは海にも出るのに対して河童は山の妖怪だ。淡水の生き物が海水で長時間泳いでいれば、浸透圧により体中の水分が失われていくのは当然だ」

「うー……まだヒリヒリするっす……」

「だからこうして真水をかけてやっているんだろう」

「ぶぱっ」

 シャワーを澤の顔面に押し当てる猿山。ガボガボと何か文句を言っているようだが、抵抗する気力はないらしい。大人しく、されるがままでいた。

「生き物の特性が妖怪にも反映されるとはな」

「河童は有名過ぎてこの世への具現化が著しい種の一つらしいです。普通妖怪って、死んだら肉体は魔力だか妖力だかになって霧散しますよね? でも河童はこの世に定着し過ぎて、普通に肉体が残るらしいですよ。だから、生き物的な要素が多いんだと思います」

「ああ、そう言えばどっかの寺に河童のミイラが保管されてたっけ」

 サルとかカメとかのミイラの組み合わせとか言われてるけど。

「あ、あのミイラ、ボクらの集落のご先祖様っすよ?」

「こんな所に有名人(?)の子孫いた!?」

「昔々、ご先祖様が人里にイタズラをしに行ったら捕まっちゃったらしいっす。その時、かなり乱暴に扱われたっぽくて、亡くなっちゃったらしいっすけど……。その後干されてお寺に奉納されたんっすけど、でもいつまでもご先祖様の死体が人間の晒し者になってるのは我慢ならん! って、お爺ちゃんが若い頃に酔った勢いでお寺に忍び込んで奪い返したんっす」

「お前の爺ちゃん酔った勢いで何してんの!? え? じゃああのミイラは?」

「お爺ちゃんがサルとカメの死体で作った偽物っすよ。本物は里できちんと埋葬されたっす」

「本当にサルとカメの死体だった!? しかもまさかの河童本人の手作り!」

「いくら河童が小柄って言っても、ミイラ化したとは言え死体があんなに小さいわけないじゃないっすかー。何でみんな変に思わなかったんっすかね?」

「じゃあもう少しデカくして不自然さを減らせよ! 寺に忍び込むガッツがあるならそれくらいしてほしかった!」

 変な所でテキトーだな河童共!

 いやまあ、だからこそこれまで親しまれてきたのかもしれないが……。

「とりあえず泉。お前は海で二十分泳いだら十分シャワーを浴びろ。それが私の見立ての限界ラインだ」

「ふぁい……」

 素直に頷く澤。

 何だか大変だなこいつも。

「しかし河童が溺れるところなんて初めて見たぜ」

「……河童の川流れという言葉も、存外あり得る話かもしれないな」

「あー、なるほどな」

 今回こいつが溺れたのは海だけど。

 神妙に頷く俺と駒野。しかし澤は「違うっす!」と全力で首を振った。

「何が違うんだよ」

「……溺れていただろ」

「それは……まあ、溺れたっすけど……でもそうじゃなくって!」

「ん?」

 力説する澤。

「体中ヒリヒリしてきて上手く泳げなくなって、スピードが落ちた後なんっすけど、何だか急に体が沈んでいったんっす。何と言うか、誰かに引っ張られていったみたいな……」

「は?」

 何こいつ、おっかねえこと言ってくれてんの?

「……何かいるのか?」

「まあ、月波市関係の土地だし、何かいても不思議ではないが……」

「海に引き摺りこむ妖怪は……まあ、たくさんいるけど」

 俺もそんなに詳しいってわけじゃないからなー。後で隈武のか瀧宮のに聞いてみるか。

「それに盆も近いしな。どうせ小妖怪か何かが浮かれてんだろ」

 言いながら、俺たちは念のため白銀さんや教師陣に報告しておこうという方向で話を決めた。澤が溺れたのは事実だし、他にも被害が出てからでは遅いだろう。


「うー……早くまた泳ぎたいっす」

「お前反省の色がないな」

 ……こっちで真面目な話をしてるっつーのに、猿山に小突かれる澤からは緊張感の欠片も感じなかった。




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