だい よんじゅう わ ~納戸婆~
我ながら、何というポカをしてしまったのだろう。
夏休みが始まり、普段と比べてだいぶ人気がなくなった高等部第一校舎。その三階に位置する高等部生徒会室で、あたしは頭を抱えていた。
「どうしてくれんですか……」
机に突っ伏し、親の仇のように、一枚の書類を睨み付ける。
そこには、夏休み学習合宿要項(仮)の文字。
内容を簡単に説明すると、生徒会主催の夏の長期休暇を利用して学力向上を目的とした合宿を行う――と、言う名目で、学園が所持している海の家に行って遊ぼうぜ、という企画である。
しかし。
「参加者が……いない……!」
生徒だけでなく、引率を兼任する教師も、である。
現在参加者名簿は、あたしと生徒会長のもみじ先輩しかいない。
一応が「学習合宿」という名目の旅行である。旅先での講習は最低限必要であるため、先生たちの参加が必要不可欠なのである。
そもそも何で(一応)真面目な組織である生徒会がこんな企画を立てているのかというと、言ってしまえば単なる伝統である。何代か前の生徒会長が、期末テストで疲れた生徒の慰問と教師の社員旅行を兼ねて企画したのが最初だとか。
当時のその生徒会長が、海の家経営に着手していた理事長を言い包め、七泊八日の合宿という名の旅行を計画してから幾年月、今でも伝統として脈絡と受け継がれている。
それで、今年は生徒会長のもみじ先輩から直々に、あたしが企画するように任されていた。
もちろんあたしも初めての企画運営ということで張り切った。理事会のОKも出て、海の家の予約も取った。後は参加者を募集するだけという段階まで持って行った。
そんな時に、あの事件が起きた。
言わずもがな、もみじ先輩のファン連合による大規模なデモ――という名の内乱である。
ちょうど募集期間と内乱勃発時期が重なったおかげで、あたしたち生徒会もずっとドタバタしていた。
生徒会副会長の尊先輩は配下の不良たちを率いて前線切って参戦しちゃうし、それに触発されて普段は犬猿の仲のはずの風紀委員会も手を組んじゃうし、生徒指導教室の教師陣もこれ幸いとばかりに一斉検挙に躍り出るしと、あの一週間は本当に働き詰めだった。
結局、もみじ先輩本人が乱入したことで内乱は物理的に鎮静化され、何とか期末テストも乗り越え、学園に平穏が戻ってきた。
そしてテスト終了と同時に学習合宿の募集締め切りを迎え、いざ箱を開けてみると、ものの見事に空っぽだったのだ。
「いや分からないでもないよ? あの頃はみんなゴタゴタしてて、学習合宿なんて考える余裕はなかったし。そもそも、戦犯容疑で検挙されたり、内乱にかまけて試験勉強がおろそかになって赤点とったりで補習者が大量生産されてたし……」
そう考えると、もみじ先輩の影響力の何と強いことか。
キス一つで学園全体が大いに荒れ、多数の生徒を学力低下に追い込み、そこそこ伝統のある夏休み企画を中止に追い込もうとしているのだ。
「で。どうしてくれるんです……って、今ここにいないヒトに向かって愚痴ってもしかたないか」
というか、こんな所で文句を言っていても意味がない。
自分から動かないことには、事態も動き出してはくれないのだから。
「幸い、日程やその他諸々は準備完了してるし、あとは参加者を集めるだけ! ポジティブポジティブ!」
とりあえず知り合いに手当たり次第アプローチかけてみようか。
教師陣で参加しそうな人の目星はついてるし……。
今日の計画を頭の中で練っていた、その時。
夏休み中とは言え校内ゆえにマナーモードにしていたケータイが勢いよく振動し始めた。
画面を見てみたら、珍しいことに、出版委員会委員長の佐藤理久先輩からの着信だった。
「はいもしもし、瀧宮です」
『やあこんにちはア。佐藤理久という者ですウ』
「存じてますが。それで、何かご用ですか?」
『貴女が今計画している、手当たり次第に合宿参加者を募る作戦ですが、残念ながら佐藤理久という男は参加できませんので、悪しからずウ。すでに実家に帰省していますのでエ。お盆が終わるころには帰りますよオ』
「……………………」
わざわざそっちから断りの電話を入れなくてもいいだろうに。
というか、どこにいるか知らないが、超遠距離読心すんなや気味が悪い。
『気味が悪いとは申し訳ありませんねエ。サトリとしての性分ですのでエ』
「……それで、わざわざ電話して来て、それだけですか?」
『いえ、一つアドバイスを、と思いましてエ』
「アドバイス?」
何だろ。
『今、学園に白銀もみじ生徒会長が向かっていますウ。どうやら夏季休業中でも部活に参加している生徒を狙って学習合宿に勧誘しようとしているようですよオ。彼女も自分が原因で参加者がいないということに負い目を感じていたようですからねエ』
「……了解しました」
あるがとうございます。
あたしは心の中でそう付け足し、通話をきった。
「よし」
荷物をまとめていつでも出れる準備をしてから、部屋の片隅にある印刷機に向かう。そこに五十枚ほどのコピー用紙を突っ込み、スキャナーに学習合宿の要項をセットする。
「これだけありゃ足りるでしょ」
スイッチ、オン!
ガーガーと爆音を立ててコピーを始める旧式印刷機。音は凄いが印刷速度はまだまだ現役で、あっという間に五十枚のプリントが刷り上がった。
「うっし、行きますか!」
印刷が完了したプリントを束にして鞄に突っ込み、生徒会室を後にした。
* * *
さすがは理久先輩と言ったところか、メインストリートに着いた辺りでもみじ先輩を捕獲。そのままプリントの束を押し付けるように渡し、あたしは足早に学園を後にした。
「では、学園はお任せください。こちらも臨時講師を請け負ってくださる方にも目途はついていますので、ご安心を」
ともみじ先輩も言っていたし、学園内での勧誘は任せてしまおう。
こっちは誘えば来るような面々の所を巡ることにした。
電話で済ませてしまえば楽なのだろうけど、実際に面と向かって誘った方が断られづら――もとい、参加してくれる気がする。
ではまず一件目。
あたしは学園近くの夕涼商店街に向かった。
お目当ては、商店街に古くからある小さな酒屋、藤原酒店――経先輩の家である。
「どもー、梓ですー」
酒瓶やら箱ビールやらが陳列されている店頭ではなく、店の入り口の脇にある階段を上っていく。踊り場部分の扉を開けて中を覗くと、意外な人物と目が合った。
「ありゃ? 市丸先生?」
「おやー? 瀧宮さん、だよねー? 高等部一年生の」
高等部二年の学年主任、市丸先生が勝手口を入ってすぐの居間でお茶を飲んでいた。
「こんな所でお会いするなんて。今日はどうしたんですか?」
「うん、今日は家庭訪問……に、なるのかなー?」
家庭訪問?
おかしい、経先輩の担任は風間先生のはず。なんでわざわざ学年主任の市丸先生が……経先輩、何かしたのか? 赤点とって留年の危機とか。
「おや梓ちゃん、久しぶりだね」
「あ、女将さん、どもっす」
ガラガラなハスキー声の方を振り向くと、経先輩のお母さんで酒屋の女将さんが湯呑にお茶を注いでいた。恰幅の良い女将さんはひょいとお茶菓子と湯呑が乗ったお盆を片手で持ち上げると「まあお上がりよ」とあたしを中に入れてくれた。
「経なら自分の部屋にいるよ。お友達も二人……いや、三人来て遊んでる」
三人……いつものメンバーが揃ってるようでラッキーだった。ここが済んだらそっちに行く予定だったし、手間が省けた。
「どうせ行くならこれ持ってってくんないかい?」
「はーい」
女将さんからお盆を受け取り、返事をする。さらにあたしの分と思しき湯呑を受け取ると、勝手知ったる他人の家、ずかずかと廊下を進んで経先輩の部屋に向かう。
「はいはーい、どーもー。お茶持ってきたよー」
「んあ?」
暑いからか開けっ放しになっていた部屋に堂々と這入り込む。
そこにはやけに古臭いブラウン管テレビに繋がれた、これまた妙にレトロなゲーム機で遊ぶ経先輩の背中があった。
そしてその両脇に、巨漢と金髪碧眼の美女の姿も。
「あり? ハル先輩?」
「やあ、梓」
暑いのか、いつもは背中まで流している綺麗な金髪をポニーテールにしていた。
そしているだけで部屋が暑苦しくなりそうな巨漢、相良先輩も、にっこりと笑って自分の坊主頭を撫でる。
あれ? 三人って言ったから、ウッちゃんと明良先輩もいると思ってたんだけど、ハル先輩と相良先輩だけ? あと一人はトイレかな?
「どうも。お邪魔してます」
「香川、家主でもねー奴にお邪魔しますって、変じゃね?」
ゲームのステージが一区切りついたのか、コントローラーを置いてこちらを振り返った。
と、今まで経先輩の体の影になっていて見えなかった三人目に気付く。
彼女は経先輩の膝の上にちょこんと座って、目をキラキラさせながらあたしが持ってきたお茶菓子を見つめていた。
「誰ですか? その子」
尋ねると、その小さな女の子の髪を撫でながらハル先輩が答えてくれた。
「市丸味香ちゃん。市丸先生のお孫さんだそうだ。味香ちゃん、ご挨拶は?」
「いちまるみかです! ごさいです!」
「はい、よくできました」
「えへへ~」
褒められたのが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべてハル先輩に抱き付いた。
いやいや。
「市丸先生にお孫さんがいたことも初耳ですけど、何で経先輩たちが預かってるんですか。経先輩ってロリコン? さすがに五歳は犯罪以上の何物でもないですよ?」
「違ぇよ阿呆!?」
鬼の形相で全力否定する経先輩。
「学園祭の時に色々あって懐かれたんだって。おれもその場にいなかったからよく知らないけど」
「ああ。何かコイツの親父さんに間違えられたりしてな」
「へー……」
なんか色々あったらしい。
「で、たまに俺んちに遊びに来てるわけ。アンダスタン?」
「何かムカつくわねその言い方」
持ってきたお盆を経先輩の勉強机に置き、ハル先輩の横に座る。
「それで? 何しに来たよ、瀧宮の」
「あー、うん、そうそう」
あたしはバックを漁って学習合宿のプリントを出……そうとして、はたと気付く。
ハル先輩や相良先輩ならともかく、勉強嫌いな経先輩が「学習」と付くイベントに参加するわけがない。ここは仕方ない、学習合宿云々は黙っておいて……。
「今度生徒会主催で海の家に旅行に行くことになってるんですよー」
「海の家? 旅行?」
聞き覚えがないのか首を捻る経先輩。
まあ確かに、そもそも学習合宿なんてイベントに興味のなかったであろう経先輩のことだ。学園祭後のゴタゴタがなくても告知のポスターなんか見てないに違いない。
対して他の2人は「あっ」と何かを察したように無表情を保っていた。
「そう、七泊八日で」
「結構長いな」
「でもその海の家、学園の持ち物だから、宿泊費と食費の一部を理事会が出してくれるんですよ。だから参加費は移動とか合わせて一万円ポッキリ! 夏の思い出にいかがですかー?」
「ほうほう……」
確かに一万で海の家一週間はかなり安いな、となかなか好感触な呟きが聞こえてくる。
もう一押しか。
「経先輩って、釣りをしてみたいって言ってませんでしたっけ?」
「お? おう! 一度でっかい魚釣って自分で捌いて食ってみたい」
「さっすが、ワイルドですねー。実はその海の家の近く、知る人ぞ知る大物の穴場スポットらしいですよ」
「マジか!」
嘘だけど。
「経先輩が釣ってきたお魚で夜はバーベキューとか……どうですか?」
「おお! いいな!」
よっしゃ食いついた!
こんなルアーで釣れる魚もいるのねー。
「でしたら、この参加申込書にサインをお願いします」
「おう!」
「あ、お二人はどうします?」
ガリガリと汚い字で参加申込書に名前を書く経先輩。それを苦笑交じりで見ていたハル先輩と相良先輩にも尋ねる。
「どうする? ハルさん」
「まあ、行ってみようか。旅行の内容はともかく、海の家一週間一万円は破格だし」
「じゃあ、おれも……」
「毎度ありがとうございます~」
二人にも申込み用紙を渡したところで、ハルさんの膝の上に座っていた味香ちゃんが経先輩に訊ねた。
「おとうさん、どこかいくの?」
「お父さんじゃない、お兄さんだ。今度みんなで海に行くことになった」
「うみ!? みかもいきたーい!」
「こらこら、ワガママを言うんじゃねえよ」
「あ、ひょっとしたら連れてけますよ?」
え? と三人があたしの方を見る。
「この企画、教師陣の社員旅行も兼ねてるので。市丸先生が参加するなら、一緒に行けると思いますよ?」
「マジか。よし、ちょっとお爺ちゃんに聞いて来るぞ!」
「あ、あたしが行きます。どんな旅行か説明しなきゃいけないので」
多分、市丸先生はこの学習合宿のことを知っている。せっかくカモ……じゃなくて、経先輩が参加してくれることになったのに、市丸先生経由でネタバレしちゃったら元も子もない。
ここは穏便に行こう。
廊下に出て、市丸先生がいた居間に向かう。
するとさっき見た光景と同じように、市丸先生が女将さんと談笑している最中だった。
「市丸先生」
「おやー? 瀧宮さん、どうしましたー?」
「市丸先生、これに参加しませんか?」
「んー? ……ああ、これー」
「何ですか? ソレ」
持って来ていた学習合宿要項を見せる。それを、女将さんも横から覗きこんできた。
「毎年我が校で夏休みに行っている学習合宿ですよー。まあその実態は、生徒の息抜きと教師の社員旅行を兼ねているわけですがー」
「今日は先輩たちを勧誘しに来てまして。一応、経先輩も参加することになりました」
「へー。あの子がこんな行事に参加するとは意外だね。雨でも降らなきゃいいけど」
女将さんの辛辣な評価。
まあ経先輩は合宿の実態を知らずに参加申し込みしたわけだが。
「それで、経先輩が参加するって言ったら、味香ちゃんも行きたい! って感じになりまして」
「あー。そう言えばあの子はまだ海を見た事がないからー」
うーん、としばらく悩む市丸先生。
こっちももう一押しかな。
「実は、まだ参加者が全然集まってないんです……生徒も、先生も」
「おやー? そうなのかいー?」
「はい。ですから、臨時講師役として、是非とも先生のお力添えを、と思いまして」
「うーん……」
「お願いします!」
誠心誠意を込めて頭を下げる。
実際、引率と講師を兼ねた先生がいなかったのは事実だ。一応もみじ先輩も心当たりがある先生を当たってくれているみたいだが、一人でも多く集めた方が良い。
「うん、いいよ、受けるよ」
しばらく悩んだのち、市丸先生が苦笑交じりに頷いた。
「味香が行きたがってるんだし、お爺ちゃんとして、連れてってあげなきゃねー」
「ありがとうございます!」
っしゃあ!
生徒三人、先生一人確保!
出だしとしては好調でしょう!
* * *
経先輩の家を後にし、歩きながらもみじ先輩に電話で現状報告をする。経先輩が参加する旨を伝えると、少し待つように言われ、すぐに電話が切れた。そして三分としないうちに、今度はもみじ先輩の方から電話がかかってきた。
『お待たせしました』
「どうしたんですか?」
『いえ、ちょっとベストタイミングだったので。さっきまで風間先生に交渉中だったのですが、経さんが行くのなら監督が必要になるだろう、と参加して頂けることになりました』
「お、おう……」
経先輩信用ないなー……。
『他はどんな感じですか?』
「えっと、経先輩の他にハル先輩と相良先輩。あと、経先輩の家に家庭訪問に来ていた市丸先生とそのお孫さんも来ることになりました」
『こちらは部活帰りの宇井さんに声をかけたのですが、参加できるそうです。これから明良さんを誘いに行くとのことでした。あ、それと、風間先生は奥さんと娘さんも連れて行くそうです』
ああ、ウッちゃん部活だったのか。 ん? なら明良先輩は何で経先輩の家にいなかったし。いつも五人で固まってるくせに。
そして風間先生は相変わらずの愛妻家だなあ。見てくれはただのチョイ悪オヤジだけど。
『これから雲海寮に行って藤村先生に打診してみます。その際、梓さんのお名前をお借りするかもしれません』
「了解でーす。あたしの名前で良ければじゃんじゃん使ってくださいな。あ、藤村先生誘うなら、ついでに真奈ちゃんもお願いします」
『わかりました。それでは』
「はーい」
通話を切り、あたしも再び歩き出す。
さて、これで生徒はあたしともみじ先輩含めて六人、教師は二人、外部三人確保。あと明良先輩と藤村先生、真奈ちゃんも確保したも同然。藤村先生も来るならアヤカちゃんも来るだろうし……いや、幽霊は宿泊者の頭数に入れないか。飲み食いしないから。
となると、あと最低でも教師三人は欲しいな……そっちはもみじ先輩に期待しとこ。
こっちは生徒の参加者探して来よう。
「って、ことで!」
やってきました行燈館!
あたしの目の前には古い大きな武家屋敷が静かに佇んでいる。
ここならユーちゃんとビャクちゃんのバカップル、少なくともこの二人の参加を確保できる。あわよくばその他諸々の面々も。
クスクスと笑い、あたしは玄関の引き戸に手をかける。
「ちー……っす?」
扉を開くとガラッと音が立つ。
すると目の前に、誰かいた。
「……は?」
薄汚れた着物を着た、頭の禿げたしわくちゃのお婆さんが、宙に浮いていた。
「え、な――」
「ほおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ぎゃあああああ!?」
顔中のしわが全部伸びるほどに顔面を広げ、奇声を上げるお婆さん。
その何かヤバい雰囲気のお婆さんのようなナニカに、あたしも奇声を上げてしまった。
「ほおおおおおおおおおお!!」
「ぎゃああああああああああ!?」
「ほおおおおお――げぶっ!?」
「いやああああああああああ!!」
あまりの恐怖に、おもっくそ顔面を殴り飛ばしてしまった。
「うっ……げふ……!?」
いけね! 明らかに人間じゃない何かだけど、お婆さんに暴力振っちゃった!?
殴られた顔面を抑え玄関にうずくまる老婆のようなナニカ。
コレどうしようか見ていると、老婆は唸りながら台所とかに出没する黒いアレみたいな動きでカサカサと玄関から這い出てきた。
その気持ち悪い動きに条件反射的に尻を蹴飛ばしてしまったが、その勢いもあってかスピードを上げてカサカサ這いつくばり、庭先に移動し縁の下に潜り込んでいった。
「な、何だったの……?」
まだ心臓がドキドキしてる。
驚かし系の何かだったとは思うけど……。
「今の悲鳴、こっちか! ……って、梓?」
「おー、ユーちゃん」
「アズサ大丈夫!?」
バタバタと廊下の奥からかけてくるユーちゃんと、なぜか全身にフリル満載なゴスロリワンピースを着たビャクちゃん。二人とも手にはなぜか竹箒を握っている。
「何かハゲのばーさん出たか?」
「うん、出た出た。殴ったら縁の下に逃げ込んでいったけど……」
「え、それ本当!?」
ビャクちゃんが大きな碧眼をパチクリしながらあたしを見てくる。
あれって本当に何?
* * *
「納戸婆」
イヴと名乗った女の子が床に大量に置かれたゴスロリ衣装を選別しながら笑った。
「人家の納戸とかに住み憑く老婆の姿をした妖怪。家主が扉を開けると『ほーっ』っていう奇声を上げて驚かすだけの、いわゆる驚かし系ね。その正体は豆狸が化けたものだったり、納戸の神様だったり、たまに山姥と混同されたりするけど、大体は箒で叩き出せば縁の下に逃げ込んで消えるの」
「いや、今回あたしは納戸を開けてもいないし、箒で叩いてすらいないんだけど……」
玄関を開けたらそこにいて、素手で殴り飛ばしたら縁の下に逃げて行ったけど。
「『ケケケッ! どーせ盆が近いから浮かれて顕現条件が緩くなってたんだろ!』まあそれはあり得るわねー」
「……………………」
手にした白いウサギのぬいぐるみを使って腹話術をするイヴさん。無駄に上手い。
聞けば、ユーちゃんが所属している射撃部の部長さんで、教育学部の三年生らしい。見た目はあたしと同じくらいの年齢だけど、妖怪なら外見年齢なんてあてにならない。
「まあそれで……」
あたしはユーちゃんが出してくれた麦茶をすすりながら、床に転がっているその人を見た。
「穂姐さんが眠るように死んでいるわけだ」
「死んだように寝てんだよ」
「もとい、気絶してるだけだけど……」
顔に冷やされたタオルを乗せられ、座布団を枕にして横たわる穂姐さん。時折うなされているのかくぐもった声が聞こえているので、一応生きてはいるらしい。
月波市の出身のくせに妖怪や幽霊が苦手で一時期街を離れていた穂姐さん。ここ行燈館の管理人として働くために月波市に戻ってきて大分経つが、やはりそう簡単には克服できないらしい。
聞けば、今朝方寝惚け眼に自室から出ようとしたところを納戸婆に遭遇し、気絶してしまったのだそうだ。気絶時間長すぎ。
「大変だったんだよ。この三日間くらい色んなところから出てきて驚かすんだ。いきなり出てくるもんだから追い出す前に驚いて、その隙に逃げられるし。梓が考えるより先に手が出るタイプで助かった」
おい。
褒めてねえだろ。
「ところでさ、ユーちゃん」
「ん?」
ぼけーっと庭先で水撒きをしている泉ちゃんと紅くんを眺めていたユーちゃんに声をかける。
「何か今日は人少なくない?」
いつもなら休みの日はもっとゴチャゴチャと人で溢れているはずなのに。今日はいつも見るメンバーしかいないようだ。
ユーちゃんが頭を掻きながら答える。
「あー、ほら、うちって遠方から来てる奴が多いからさ。特に用事がない連中は夏休みに入ると同時に帰省しちゃうんだ」
「げ。そうなの?」
ここで合宿の参加者を大量ゲットしようと思ってたんだけど……上手くいかないものね。
「そそ。だから寂しかろうと思ってアタシらが来てやってんのー。ねー?『なー?』」
「イヴさんは遊んでないで教育実習先を見つけてきてください」
さっきからビャクちゃんを着せ替え人形にして遊んでいるイヴさんに溜息を吐く。学園祭の時にあたしも着付け研の連中に着せ替え人形にされたことがあるけど、ビャクちゃんは実に楽しそうに次に着る衣裳を選んでいる。
まあ、本人がいいなら、いいのか。
「ただいまー」
「只今帰りましたー」
「あ! 良兄ぃたちが帰ってきたっす!」
水撒きに使っていたホースを紅くんに押し付け、玄関に駆けだす泉ちゃん。その際に盛大に頭から水を被った紅くんは、無言で怒気を孕んだ水流を泉ちゃんの背中にぶっかけていた。
庭先でギャーギャー騒ぐ中学生コンビに苦笑しながら、良樹さんとあき子さんが大きな買い物袋を抱えてやって来た。
穂姐さんが二度寝しちゃったから代わりに行ってきた感じかな?
「お、瀧宮。いらっしゃい」
「梓さん、いらっしゃい」
「お邪魔してまーす」
顔馴染の二人に軽く挨拶する。
すると庭先で水合戦に勤しんでいた泉ちゃんが、目敏く良樹さんが持っていた荷物の一つに気付いて歓喜の声を上げた。
「あ! スイカ!」
「泉、ずぶ濡れで縁側に上がるんじゃねえ」
全身濡れ鼠の泉ちゃんをシッシッと追い払う良樹さん。
それにしても泉ちゃん、夏だから暑いのは分かるけど、ノーブラってどうよ? 柄もののTシャツだからまだいいけど、ずぶ濡れだから透けるよ?
「じゃあスイカ冷やしてきますね」
「おう」
ユーちゃんが二人の荷物の一部を受け取り、三人で厨房代わりの土間の方に消えていった。
っと、いけね。忘れるところだった。
「ユーちゃん、ちょっとー」
「んー?」
土間の方から声だけ返ってくる。
「ユーちゃんさー、学習合宿行かなーい?」
「学習合宿? あー、あれかー」
「そそ。あれ」
「何、まだ人数集まってないの? まあ色々とゴタゴタしてたから仕方ないか」
「そーなのよー。このままじゃ人数少なすぎて、先方に失礼なレベルなのよー」
少なくとも合計二十人くらいは集めたい。今のところ十五人くらいは確保できているはずだから、最低でもあと五人。可能ならば教師は三人欲しい。
「んー、でもどうすっかなー。僕、ここの家事手伝いのバイトもあるし……」
「えー」
幼馴染で十年来の友達が困ってんのにバイトを理由に断るか、普通。
仕方がない。
「ねービャクちゃん」
「なーに?」
イヴさんに着つけられ、フリルまみれのモッフモフになっていたビャクちゃんに合宿の要項を手渡して話を振る。
「今度生徒会でこういう企画やってるんだけど、参加しない?」
「んー?」
髪の毛にゆるふわカールをかけてもらいながら、ビャクちゃんは要項を熟読する。
どうでもいいが、イヴさんの苦労は無駄になることは目に見えている。あたしも一度ビャクちゃんの長い髪を三つ編みにしてみたことがあるが、猫毛過ぎて勝手に解けてしまったのだ。
「……………………」
じっくりと要項を読み耽るビャクちゃん。何だろう、じっくりと読みこまれ過ぎて、どこか誤字とかなかったか心配になってきた。
「どうかな?」
「へー! 面白そう!」
パアッとキラッキラな笑みを浮かべるビャクちゃん。この感じは、勉強会云々よりも海に行けるってことで頭が一杯になってる感じだ。
「ユタカー! 私、これ行きたーい!」
「よし分かった僕も行こう」
ちょれー。
「はい二人確保ー」
申込用紙を二枚取り出しながら、さて次はどうしようかと考える。
ここなら人数がいるからそこそこ参加者を確保できると思ってたんだけど、帰省してみんないなくなってたから当てが外れてしまった。
どうすっかなーと悩んでいると、ビャクちゃんが読んでいた要項をイヴさんが横から覗き見ていた。
「ああ、そう言えばこんな企画、アタシが高等部の時もあったわ。懐かしー……あれ? ちょっと待って……ふんふん、これは……」
「……? どうしました?」
「ねえ。瀧宮ちゃん」
向き直るイヴさん。
「これって教育実習生として参加するのってOKじゃなかったっけ?」
「え? えーと……ちょっと待ってください?」
そう言えばそんなことが過去の資料に書いてあったような……?
鞄の中を漁り、一緒に持って来ていた過去の資料を取り出す。確か五年前くらいの参加者名簿に……あった、これだ。
「えと、はい、確かに過去に教育実習生の受け入れもやってたみたいですね」
「っしゃあ!!」
「っ!?」
何事!?
何かこれまでのキャラを一掃するような雄叫びと共にガッツポーズしたかと思えば、手にしていたウサギのぬいぐるみを投げ捨ててケータイを怒涛の勢いで操作し始めた。スマホなのにタンタンと音が聞こえてくるレベルだった。
興奮して顔を赤らめながらケータイを耳に当てる。
「あ、もしもし? ワタクシですー。はいー、はいー」
何という猫なで声。
一人称も変わってるし。
「……はいー、無事見つかりましたー、はいー。それではよろしくお願いいたしますー、失礼しますー」
ポチッと電話を切る。
そして、悪魔のような何だかおどろおどろしい笑みを浮かべてあたしの方に向き直った。
「瀧宮ちゃん」
「は、はい」
「アタシ、実習生参加で。OK?」
「了解っす」
誰が断れるか、こんなの。
単位がかかった大学生、おっかねえ……!
「何? イヴさんも参加するんですか?」
と、土間での仕事を終えてユーちゃんが帰ってくる。手にはアイスキャンディーの箱を抱えている。
「ほい、ちょうど一人一本」
「お、さんきゅ」
ちょうど冷たいものが食べたかったのよねー。
「アイスー!」
「泉はまず体拭いて来い」
遅れて戻ってきた良樹さんが再びずぶ濡れで上がろうとした泉ちゃんを追い返し、アイスを一本取りだしてガリガリと齧る。
「後二人くらい教師役が欲しい所だけど……ユーちゃん、心当たりない?」
「んー?」
全身フリルまみれになったビャクちゃんをごく自然な動きで膝に乗せ、二人して仲良くアイスを食べるユーちゃん。こいつら家でもこうなのか。
「藤村先生は?」
「今もみじ先輩が交渉中。たぶんそのうち成功報告が来るわ」
「あ、そ。つっても、僕もそんなに先生と仲が良いってわけじゃないぞ? あとは鍋島先生くらい? 中等部だけど」
「中等部かー……」
でもたまに高等部の授業に来るから、完全に無関係ってわけでもないしー……。
また行き詰ったか……。
「アイスー!!」
「お前さっきからそればっかりだな」
悩んでいると、体を拭き終えた中学生コンビがドタドタと居間にやって来た。泉ちゃんは散々お預けを喰らっていたアイスにむしゃぶりつくと、棒まで噛み砕く勢いで食べ始めた。
「……………………」
いやまあ、人数合わせだけでいいなら……。
「泉ちゃーん」
「何すっかー?」
「海行きたくなーい?」
「行くっすー!!」
「そっかー。じゃあこれに名前書いてー」
「ほーい!」
単純すぎる……。
「いいんですか?」
「何が?」
簡単に要項に目を通した紅くんが心配そうに尋ねてくる。
「これ、高等部の企画なんじゃ……?」
「そうだけど、別にそんなお堅いもんじゃないから。先生なんか家族連れてくるくらいだし。紅くんも来る? 山育ちで海ってあんまり行ったことないって、いつだったか言ってなかったっけ?」
「はあ……」
曖昧な返事だが、目だけはキラッキラしている。やっぱりまだまだ子供だなー。子供は無邪気の方がいいわー。
申込用紙を渡すと、紅くんも素直に受け取って記入事項欄にペンを走らせた。
さて、これで生徒側の一応の人数は揃った感じじゃないかな?
あと教師が一人二人欲しい所だけど。一応鍋島先生にもメールしとこ。どうせ夏休み中暇だろうし、あのヒト。
「そう言えばさ」
と、さっきあたしが引っ張り出した過去の資料を見ていたユーちゃんが、何かに気付いたように声をかけてきた。何だろ?
「これって、先生は学園関係者じゃなきゃいけない決まりとかある?」
「え?」
「これ見たら、教育実習生の他にも塾講の先生も臨時教師として参加してるっぽいんだけど」
「あー」
そう言えばそんな記述があった気がする。
確か、当時参加していた先生の旦那さんが塾講師で、家族旅行ついでに教鞭をとってくれたとか何とか、そんな記述があった気がする。
「別に問題ないなら、そこで気絶してるの、教員免許持ってるよ」
「え!?」
ユーちゃんが指さしたのは、未だ目覚めない穂姐さん。……てか、気絶というか、もはやガチ寝じゃないの、これ?
「マジマジ。通ってたのは看護系の大学だったけど、片手間で教員免許取ってた」
「それって、何気にスゴイことじゃないの……?」
人は見かけによらぬものだ。
「就活に役立ちそうな資格はあらかたとってたよ。ま、結局活用しきれずに下宿の管理人やってるわけだけど」
「い、意外と多才な方だったんですね……」
良樹さんの隣に座ってアイスを食べていたあき子さんが感心したように寝ている穂姐さんを見る。まあ普段寝てばっかりでビビりでふわふわした人だから、意外性はとんでもないけど……。
でも聞いた話だと、寝てばっかりなのにいつの間にか家事やその他諸々は終わらせてるって言ってたような……ブラウニーか何か憑いてるのか?
「でも穂姐さんここの管理人でしょ? いない間誰がここを管理するの?」
「あ、それなら俺たちが留守番してやるよ」
と、手を上げたのは良樹さん。
「良樹さん、いいんですか?」
「別に構わねーよ。どうせ俺もあき子も集中講義があるからどこにも行けねえし、皆帰っちまってるからそんなに手間じゃねえし。なあ?」
「そうですね。それに管理人さんもいつも頑張っていますし、羽休みには丁度良いと思います」
あき子さんも、良樹さんの意見に賛同する。
まあ羽休みって言っても、行った先で申し訳程度の講義はしてもらうわけだけど。
「とりあえず、これで人数的には見栄えはするかな?」
生徒で確定してるのは、あたし、もみじ先輩、経先輩、ハル先輩、相良先輩、ウッちゃん、ユーちゃん、ビャクちゃん。それと泉ちゃんと紅くん。あと明良先輩と真奈ちゃんは交渉中だけど、たぶん来る。
先生は風間先生、市丸先生、イヴさん、穂姐さん。藤村先生は交渉中だけど、きっと大丈夫。鍋島先生も誘えば来るだろうし。
あと先生たちの関係者で、市丸先生のお孫さんの味香ちゃん、風間先生の奥さんと娘さん。
合計で……二十一人か!
土壇場だったにしては上出来じゃない?
あとはもみじ先輩の交渉次第で、もう少し増えるかも。
「何だか楽しそうだな、梓」
「え、そう?」
そうかも。
何だかんだ言って、初企画が上手くいきそうだからねー。
あたしもちょっと浮かれて、今から当日が楽しみだった。
だからというわけではないが。
いや、ここははっきりと言い訳せず、自戒を込めて、浮かれていたから、としよう。
一つ重要なことを失念していたのを、あたしは、合宿出発当日になって気が付くことになるのは、また別のお話。