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だい さんじゅうなな わ ~アンデッド~




 そのドレスに袖を通すのは久しぶりでした。

 一切の色彩を感じさせない純白のドレス。

 この国ではまず見ることのない、特有のデザイン。

 最後に着たのはいつだったでしょうか。

 確か、彼と出会い、紆余曲折の末に故郷を去る前に開かれたパーティーで着たのが最後だったような気がします。

 今でもあの日のパーティーは明瞭に覚えています。

 煌びやかなダンスホール。

 笑顔を浮かべる友人たち。

 豪勢な食事に綺麗なお酒。

 そして美しいメロディー。

 私も彼も場違いだからとダンスは遠慮していたのに、友人たちに連れ出されていつの間にかホールの真ん中で踊っていたのも、今となってはいい思い出です。

 ああ、そう言えば。

 彼と初めて出会ったあの夜も。

 このドレスを着て二人きりでダンスをしましたっけ。

 私が何百年と眠っていた古城で。

 月明かりの照明の元。

 彼の鼻歌をメロディーに踊った、でたらめなステップ。

 もう何年も前の出来事なのに、つい昨日のことように褪せることのない記憶。

 死にながら生きているような私ですが。

 きっと。

 ちゃんと死ぬ時は、あの夜のことを思い出して死ぬのでしょうね。



       *  *  *



「――それでは、引き続き後夜祭をお楽しみください」

 小さな村の噴水広場をモチーフにして制作したダンスホールに設置された舞台を下りながら、私は改めて周囲を見渡しました。

 つい一時間前まで夕暮れだった幻想の空が、今はすっかり日も暮れて月が顔を出しています。シャンデリア代わりの提灯の光が暗くなった広場を照らしています。

「挨拶お疲れ様、モミジ」

「あら、ナンシーさん」

 橙色の髪と褐色の肌に合わせた、くすんだ赤色のドレスをまとったナンシーさんが声をかけてきました。手には炭酸のジュースが入ったグラスが二つ。

「モミジはお酒の方が良かったかしラ?」

「もう。高等部の生徒会長がお酒を飲んでいたら示しがつかないじゃないですか」

「言うと思ってたワ。グレープとオレンジ、どっチ?」

「それでは、オレンジを貰いますね」

 濃い黄色のジュースが入った方のグラスを受け取り、一口だけ口に含みます。

 うん、渇いた喉に柑橘の香りと炭酸の刺激が心地良いです。

「それに私は、人前でお酒を飲むことを禁じられていますので」

「オウ、どうしテ?」

「私は覚えていないのですが、どうやら私は酔うとキス魔になるらしいのです」

「……………………」

 何とも微妙な表情を浮かべるナンシーさん。

「……それは……確かに、人前では飲めないわネ」

「はい。しかも相手が昏倒するレベルまで生気を吸い取ってしまったらしくて」

「あラー……」

 苦笑を浮かべながら、ナンシーさんも一口ジュースを飲みました。

「それは、彼氏さんも大変だったわネー」

「本当に、彼には申し訳ないことをしてしまい……あら?」

 今ナンシーさん、彼氏さんって言いました?

「私、付き合っているってナンシーさんに言いましたっけ?」

「いいエ? 言ってないわヨ?」

 ですよね。

 だいぶ前ですが、あずささんに暴動が起きる? とか何とか言われて口止めされてから口外しないようにしてきたのですが。

 はて?

 小首を傾げていると、ナンシーさんが種明かししてくれました。

「ほら、ついこの前、裏取引されていた写真を回収したでしョ? あれに写っていた黒い彼がモミジの恋人だって、アズサが、というか、正確にはホナミくんが教えてくれたのヨ」

「あら、そうなのですか」

 口止めした梓さんがバラすというのは、何とも変な感じがしますが。まあ私に特に実害はないし、それ以前に別に公開されて困るような情報でもないのですが。

「そう言うナンシーさんは? 最近どうなんですか?」

「え、ワタシ?」

「はい。みことさんと何か進展はありましたか?」

「アー……」

 いつもきっぱりとモノを言いきる彼女にしては珍しく、何とも煮え切らない嘆息が聞こえてきました。

「まあ、ほら、あのミコトだしネー。そもそもあの男、ほとんど学園に来ないじゃなイ」

「それもそうですが」

「本当に、何であんなのに惚れちゃったのかしらネ!」

 腰に手を置き、やれやれと首を振るナンシーさん。

「でも諦める気はないのでしょう?」

「当たり前! もうこなったら、とことん長期戦の構えヨ」

「応援していますよ。尊さんを追いかけて生徒会にまで入ったナンシーさんです。きっと努力は実を結ぶはずです」

「そうなるといいけどネ」

 苦笑し、グラスに残っていたジュースを一気に飲み干しました。

「さて、ワタシはもう一働きしてくるワ」

「あら? まだ仕事残ってましたっけ?」

「会計の仕事って奴ヨ。このパーティーを機に、お近付きになって部費をもぎ取ろうってあくどい連中がたまにいるノ」

「お疲れ様です」

「全く、なんで高校生の身でこんな腹の探り合いをしなきゃいけないんだカ。高等部最後の後夜祭くらい羽を伸ばさせてもらいたいワ!」

 言いながらも、ナンシーさんは勇ましく広場の方に向かっていきます。

 本当に彼女は強いですね。

 妖怪としては各下でも、人間としては格段に上。

 羨ましいし、尊敬します。

 グラスを傾けつつ、早くも近付いてきた男子生徒と何やら話し始めたナンシーさんを目で追っていると、不意に流れていた音楽に違うメロディーが混じりました。

 見れば、男子生徒二人と女子生徒一人が学園ОBOG率いる音楽隊に乱入したようでした。どこかに隠していたらしいギターとベース、ドラムを引っ張ってきて勝手に演奏を始めました。それを卒業した先輩方も苦笑交じりに歓迎し、三人の演奏に合わせて曲目を変えました。

 遅れて、女子生徒二人が手招きされて音楽隊に混じります。

 あれは……今年ののど自慢MVPのかなでさんと、留学生のハルさんですか。

 ピアノを弾いていた音楽隊の一人がハルさんに席を譲り、奏さんとハルさんにマイクを設置します。

 あらあら、これは豪勢ですね。

 のど自慢コンテスト勝者とバンド勝者のコラボですか。

『突然の乱入失礼します! 美しい音楽にいてもたってもいられなくなりました! それでは、最初の曲は――』

 奏さんとハルさんの声がマイクを通して広場全体に響きます。

 どうやら、最初からハルさんたちのバンドグループとは話し合っていたらしく、月波学園が誇る二大美声が私たちの心を満たしてくれます。

「いやア、いいものですねエ」

「……あら」

「どもー」

 いつの間にか、顔立ちの整った男子生徒と、少し地味ですがニコニコと可愛らしい笑みを浮かべる女子生徒が隣に立っていました。

理久りくさん? けいさん? 今回はあなたたちはご招待していないはずですが?」

「出版委員会委員長特権で入らせて頂きましたア」

「同じく新聞部部長権限ー」

「ほらア、学園祭が終わったら壁新聞を出版しないといけないでしょオ? そのためのネタ収集ですよオ」

「まあそう言うことなら構いませんが」

 言ってくれたらリボンも用意しましたのに。

「いえいえ、わざわざ白銀しろがねもみじ生徒会長のお手を煩わせてまでリボンを用意しなくてもよろしいですよオ」

「ねー。白銀さん、忙しそうだったしー」

「心を読まないださい」

「おっとオ、これは失礼しましたア」

 別段悪びれす様子もなく、理久さんは笑って頭を下げました。

 まあサトリという妖怪の特性上、否応なしに何を考えているのかが分かってしまうのは仕方がないのですが。

「それに、リボンなしで入場しているのは佐藤さとう理久という男と新聞部部長吉川(よしかわ)慧だけではありませんよオ。ほらア」

「え?」

 理久さんの指さす方を見ると、確かに、体のどこにもリボンを付けていない方が友人たちと談笑しているようでした。

「ほら、ちょうど風紀委員長の和田わだくんもいることだしー、言って注意させればー?」

 広場の反対側、ここからでは見えないずっと向こう側を指さす慧さん。

「……まさか。いくら私でも、そんな手厳しいことはしませんよ」

 だって初等部の小さい女の子ではありませんか。

 きっと、ダンス系MVPのピンポンダッシュのメンバーがいまいちルールを理解できずに普段仲のいい友達を招いてしまったのでしょう。入口には梓さんたち高等部生徒会庶務、それに中等部と初等部の生徒会児童会の応援の方もいたはずですが、人数の多いピンポンダッシュメンバーに紛れたか、あるいはあえてスルーしたか。

「その想像で大体正解ですよオ」

「本当に、あなたたちのその力は出版委員会と新聞部の長にピッタリですよね……」

 記事を書くにあたって質問する必要がないのですから。

「いやいやー? 質問はするよー?」

「でもその受け答えが真実であるかどうかは分かりませんので、その辺はこの佐藤理久という男がよく吟味した上で記事にしているのですよオ」

 ……なるほど。これまで幾度となく作成されてきた完璧な記事の裏側にはそのような細工があったのですか。

 しかしそうなると、後継者問題が重大ですよね。理久さんや慧さんほどの力を持った記者はそうはいないでしょうし。

「その辺については大丈夫ですよオ」

「今年は新聞部も出版委員も優秀な子が多いからー」

 自慢げに語る二人。それなら、来年度以降も素晴らしい学内新聞が読めそうですね。

 お二人と話しているうちに、奏さんとハルさんの乱入コンサートは終わりを迎えたようです。美声を披露して下さったお二人はドームにいる全員に手を振りながら音楽隊から離れました。

「おっと、さーて佐藤くん! 出番よー! 特ダネの匂いがするー!」

「ええ、分かっていますよオ。それでは、白銀もみじ生徒会長、またお話今度を聞かせてくださいねエ」

 恋人のこととか、と。

 彼は声には出さずに口の動きでそう伝えました。

 ああ、やっぱり理久さんには知られていましたか。いえ、別に隠していたわけではないのですが。

 二人の背中を見送りつつ、私は何となく小さな村の広場と化したドームをぐるりと見渡しました。

 そこに、何かを求めるように。

 あの日の夜を思い出すように。

 ここにいるはずのない、私の半身の如き彼を探すように。

「……あら」

 当然、招待しているはずのない彼がここにいるはずもなく。

 代わりに、珍しい姿が視界の隅に入り込みました。

 手元のグラスを一息に煽り、近くにいたスタッフ役のOGの方に預けました。

 長いドレスの裾を引き摺らないよう少し持ち上げ、小走りで彼に近付きます。

「これはこれは珍しい」

「……何の用だ、白銀」

 学生の身でありながら明らかにジュースではない匂いを発するグラスを傾ける大柄な男子生徒。凶悪な目付きをさらに細め、威嚇するようにこちらを睨んでいます。

 高等部生徒会副会長神崎(かんざき)尊。

 さっきまで話をしていたナンシーさんの片恋相手。

「いえ、普段こういった表立ったイベントにはまず参加しないあなたが来ているのを見つけたので、興味本位で」

「ち」

 舌打ちし、グラスに入っていた氷を口に含み、ガリガリと噛み砕く尊さん。

 一応後夜祭参加の条件であるスーツでのドレスアップと、生徒会用の青いリボンは満たしているようですね。ノーネクタイの上、かなり着崩していますが。

「不良は来てはいけないとは知らなかった。気分を害したのなら、早々に立ち去ろう」

「誰もそんなことは言っていませんよ。どうせ参加するならもう少し楽しそうにすればいいではないですか」

「この俺があの童顔のクソ野郎と同じ空間にいる時点で楽しめると思ってんのか」

 吐き捨てるその視線の先には、たくさんの女性に囲まれて笑顔を振りまく光輝さんの姿が。本当に二人は仲が悪いですね……。

「そう言えば白銀」

「はい?」

 少しの沈黙を置き、意外なことに尊さんから話を振られました。

「お前、付き合っている男がいるそうじゃないか」

「……………………」

 何で尊さんまで知っているんですか。

 隠していたことではないとは言え、誰にも話していない情報がこう何度も他人の口から聞かされるというのは、気分のいいものではありませんね。

 そう言えばさっきナンシーさんが梓さんとユウさんバラしたと言っていましたが、出所は今回もあの二人でしょうか?

「それがどうかしましたか?」

「今度俺にも会わせろ」

 言って、尊さんは好戦的な笑みで顔を歪ませました。

瀧宮たつみやから聞いたぜ? なかなか腕が立つそうじゃないか」

「止めておいた方が良いですよ」

「あ?」

 どうせこの喧嘩好きは、一度でいいから手合せしたいとか、そんな所なんでしょう。そう言えば、月波市一の戦闘狂、八百刀流『大峰』の御当主とも親交があると聞いたことがあります。

「五秒ともちませんよ」

「……なんだと」

 尊さんの目に殺気立った光が宿ります。

 そして同時に、遠くから視線を感じました。チラッとそちらを見てみると、光輝さんがこちらを警戒するように睨み付けています。

 ただの人間のくせに、なかなか鋭い眼力ですね。

「小鬼風情が粋がらないでください。()()は私を唯一屈服させた男です」

「……………………」

 しばしの沈黙。

 視線をぶつけながら、私たちの間に険悪な空気が漂います。それを感じ取ったのか、周囲からスッと人が立ち退いて行きます。

「ち」

 舌打ち。

 尊さんが顔を顰めながら頭を掻きました。

「無礼講とは言え、こんな所でお前相手にドンパチするほど無粋じゃねえよ」

「そうですか。それは助かります」

「だが」

 ピッと私の方を指さしながら、尊さんは笑みを浮かべます。

「いつかお前を含めて、ガチで殺り合ってみてえけどな」

「止めておいてください。一秒ともちませんよ」

「……へっ。抜かしやがる」

 顔を顰め、手にしたグラスを渡しに押し付けて大股で立ち去る尊さん。

「どこへ?」

「帰る」

「ナンシーさんはどうなさるんですか?」

「……………………」ピタッと足を止め、物凄く嫌そうな顔で振り返りこちらを睨み付けます。「……あいつがどうしたって?」

「いえ、別に大したことではないのですが。もうすぐダンスパーティーに移行するので、帰るのならそれが終わってからの方が私も助かるのですが」

「何でお前が助かるんだよ」

「主催側の私たち生徒会が誰ともペアを組まずに棒立ちしているというのは体裁が悪いのですよ。そして間違いなく、ナンシーさんはあなた以外の男子生徒と踊るつもりはないです」

「……………………」

 苦虫を噛み潰したような顔とは、このことを指すのでしょうね。

 尊さんは心底面倒くさそうな表情を浮かべ、深い溜息を吐きました。

「こうして表舞台に出てきた以上、最低限の職務は全うして頂きます」

「……やっぱサボればよかったぜ」

 再び踵を返し、しかし今度はドームの出入り口とは別方向、ナンシーさんが各サークルの代表者の方と腹の探り合いをしているグループへと向かいました。

「……素直じゃないですね」

 私は小さく笑みを浮かべ、その大きな背中を見送りました。

「ナンシーさんに拝み倒されて、こんなところまで出てきたくせに」

 キュッと、私は胸元で小さく拳を握りました。



       *  *  *



 月波学園学園祭の後夜祭は、主に四つのシナリオで構成されています。

 開始直後は食事会を兼ねた親睦会。

 次に招いたOB・OGの方々による舞台発表。

 そしてダンスパーティー。

 最後にMVPの表彰。

 特にダンスパーティーは、後夜祭をこの形式で行う前からの伝統だったらしく、毎年楽しみにしている生徒たちもたくさんいます。事前に打ち合わせしてパートナーを選ぶも良し、直前にアタックするのも良し。どちらにせよ、このダンスパーティーが出会いの場になっていることは確かです。

 もちろん、私たち主催側も参加しなくてはなりません。

 さっきの尊さんではありませんが、ダンスパーティーにおいてポツンと棒立ちになっている状態というのは何とも浮いて見えてしまうのです。それが主催側でも同じこと。

 まあそうは言っても。

 私たちにも選ぶ権利というものがありますので……。

『『『お願いします!!』』』

 私を取り囲むように、十人近い男子生徒が膝を付いて右手を差し出していました。

 後夜祭ダンスパーティーにおいて、男性が女性にダンスのパートナーを申し込むときの伝統的な姿勢であることは理解していますが……。

「えっと……」

 何でこんなに大勢?

「手、取らないでくださいね?」

「っ!?」

 今耳元で女の子の声が!?

 しかし、振り返っても誰もいません。というか周囲をぐるりと跪いた男子生徒の方々に取り囲まれているので、誰かが耳元で囁くということは不可能のはずです。

「あたしです、あたし。梓です」

「……梓さん?」

 確かに声は梓さんと酷似していますが……。

「どこにいるんですか?」

 何となく小声で聞き返すと、クイクイっと肩の辺りの髪を一房引っ張られるような感触がありました。視線だけを動かしてそちらを見ると、そこにいました。

 親指よりも小さい、二頭身に可愛らしくデフォルメされた梓さんのような何かが髪の毛に掴まっていました。

「式神……?」

「です。複雑な情報伝達用の上級式神です。何だか近寄りがたい雰囲気だったのでこれで失礼しますね。ちなみに、最大身長三十センチ、一度に一体しか召喚できません」

 へえ……使い勝手は悪そうですが、方法によっては便利そうですね。

「いいですか? もみじ先輩」

 キリッと澄ました顔で話しかけるちび梓さん。真剣な表情なんですがそこがまた可愛らしいです。

「もみじ先輩は自覚がないようなのでこの際はっきりと言っておきますが、もみじ先輩は全生徒のアイドル的な存在です」

「はあ……?」

「例えばの話。清楚なキャラクターを売りにしている女優さんがたくさんの男と遊んでいるというネタが浮上したとします。それが全国的に知られたらどうなりますか?」

「まあ、いわゆるスキャンダルというやつですよね。その女優さんはこれまでの立場を失いかねません」

「その通り! 今のもみじ先輩はその女優さんと同じ立ち位置だと言っても過言ではありません!」

「だとしても……この方たちの手を取ってはならない理由が分からないのですが……」

「いいですか?」

 耳元から聞こえるちび梓さんの声音がさらに真剣みを帯びます。

 ちょっとくすぐったいです。

「この十人の中から、もみじ先輩のダンスパートナーに選ばれるのは、たった一人です」

「そうですね」

「それはつまり、この中の誰か一人を贔屓しないといけないということです」

「……ああ」

 何となく、梓さんの言いたいことが分かりました。

 何ということはない。

 何百年も前。

 私がまだ、生きている人間だった頃にも似たようなことがありました。

 私の家柄欲しさに、もしくは私を妻として迎えるという記号欲しさに。

 いくつもの家が争ったことがありました。

 別に剣を持ち殺し合ったわけではなく。

 ただ、人間の汚い部分の全てを見てきました。

 アレと比べるのは現代を平和に生きるこの子たちには失礼というものだろうけども。

 それでも。

 根本にある物は同じなのでしょう。

「申し訳ありません」

 私は苦笑しながら、それでもはっきりと口にして、跪く男子生徒たちに頭を下げました。

「これからもう少し、やらなければならないことがあるので、他の方を誘ってください」

『『『……ですよねー』』』

 ガクッと項垂れ、そう声を合わせました。そして口々に「まあ俺たち如きがパートナーに選ばれるなど端から思っているわけでもなし」「元々玉砕覚悟だった」「後悔はしていない」「白銀さんの前で跪いたことに意味がある」「踏まれたい」「声をかけてもらえただけで満足としよう」と口にしてぞろぞろと去って行った。

 何だか一部、変な欲望が混じっていたような気がするんですが……?

「しかし、これは困ったことになりましたね」

「……? 何ですか?」

 ちび梓さんが小首を傾げます。

「いえ、さっき使った言訳で、私は少しの間お仕事と称してこの場を去らなければならなくなりました」

「はあ」

「しかしさっき、尊さんに『出てきたのなら生徒会の面子のためにナンシーさんと一曲踊ってから帰れ』的なことを言ってしまったのですよ。生徒会長としては、自分が踊らずにこの場を離れ、さっきの言葉を反故にするわけにもいかないのですが」

「あー……」

 しばしの沈黙。

 掴んでいた髪の毛を離し、肩の上に下りたったちび梓さんはポンと手を叩きました。

「では一回ここを離れましょう。それでダンパが始まるまで少し舞台裏にでも隠れて、始まったら出てくる感じで」

「パートナーはどうしましょう」

「ぶっちゃけ、もみじ先輩と一般男子を組ませるわけにもいかないので、ここは一つ、生徒会女子の中で男装しているあたしか玲於奈れおな先輩と組んでください」

「まあ、それが妥当ですかね」

 それでは、あたしはこれで、と。

 肩の上のちび梓さんはふっと消え、代わりに細長い紙切れが宙をヒラヒラと舞い、それも床に落ちる前にポッと小さな音を立てて燃え尽きました。

 さて、そうと決まりましたら少し隠れていますか。

 そう思い立ち、スタッフルームのある舞台裏へと歩き出そうとしたその時です。

 ふと、出入口の方で何やら揉め事のようなことが起きているのに気が付きました。

 ここからでは口論の内容までは聞き取れませんが、どうやら遅れてきた参加者がいるようです。一応リボンは持って来ているようで、受付担当の颯太そうた君と正志まさし君が対応しているのですが、何故か会場に入れまいとしているようです。

 人影で見えにくいですが、遅れてきた参加者は黒いコートのようなものを羽織った長身の男性のようです。顔にはなぜかマスカレードで使うような装飾の施された仮面をつけ、目元を隠していました。

 確かに怪しいは怪しい恰好ですが、リボンを持っているのなら招き入れて問題はないはずですが。

「……………………」

 しかし、あの仮面……。

 それにあのコート……いえ、ちょっと待ってください。

 脳裏に浮かぶ、古城のダンスホール。

 ぽっかりと空いて天井の穴から零れる、月光のスポットライト。

 それは――


 ドクン


 高鳴る心臓。

 死にながら生きている肉体を、血が巡るのを感じました。

「……え?」

 見覚えがあります。

 とても、懐かしい。

 ですが。

 彼は。

 あれらを。

 とっくに捨てたと思っていたのですが……。

「あ……」

 制止していた二人を押し退け、もったいぶるような、ゆったりとした足取りでこちらに近付いてきました。

 ゴツゴツと、厳ついブーツの靴底が床とぶつかって音を立てています。

 近付いてきて、改めて見て取れるその黒いコート。この辺りでは見ることはまずないであろう、不思議なデザインの装飾。それは、まさしく私が今着ているドレスに施されている装飾と対になっています。

 この世に二着とない、一対のドレスとコート。

 私があの夜に、私と彼のために作った物でした。


 ドクン


「よう、お姫様」

 言って。

 彼は仮面から露出している口元を歪め、軽薄に笑いました。

「羽く――」

「一曲、いかがかな?」

 私の呼びかけを遮るように、羽黒はくろは流れるような自然な動きで床に膝を付き、そっと右手を差し出してきました。

 羽黒が跪いている。

 もう見ることはないだろうと思っていたその光景に、私はますます、初めて会った時のことを思い出しました。

 あの夜が最初で最後でしたっけ。

 私が主で。

 羽黒が従僕で。

 私がダンスのエスコートをして。

 それで――

「おい」

「……はい?」

「何やら思い耽っている所悪いが、受けるなら受ける、断るなら断る。さっさとしてくれ。あんまり待たせて恥をかかせるな」

 お前が教えた事だろう、と。

 羽黒は皮肉交じりにそう口にしました。

「もちろん――」


 ――手、取らないでくださいね?


 一瞬、さっきの梓さんのセリフが蘇えってきました。

 ですが。

 ごめんなさい。

 私は私自身を――抑えきれない。

「お受けいたします」


 ドクン


 羽黒の右手を手に取り、そっと彼を立たせました。

 私よりも高い位置にある彼の顔。仮面で隠れていますが、その眼光はしっかりと捉えることができます。

 海よりも深い黒。

 私を引き摺り込むような、暗い海底のような漆黒の瞳。

 その瞳を見ているだけで、私はもう何も考えられなくなってしまいます。

 ある種の性欲にも似たこの感情。

 そう言えば、最近来ていないと思っていましたが、今夜でしたか。

 吸血衝動。

 週に何度か来たり数年単位で全く来なかったりと、私はかなりバラつきがあるのですが、ここまで間隔があいたのは珍しいですね……。

 私がこの街に来てからは初めてですか。

「吸いたきゃ吸っていいぞ」

 言って。

 羽黒は左手でコートの襟をはだけて首筋を晒しました。

 私の中を奔る、どくどくと流れる赤い衝動。

「あの夜みてえにエスコートされるのも、たまには悪くない」

 その言葉に。

 私は最後の箍が外れるのを感じました。

 ナイフよりも鋭く尖った、私の牙。

 血を啜るためだけの、鬼の牙。

 気付いた時には、私は彼に抱き付くように腕を首に回し、そして――


 ガブリと。


 羽黒の首筋に噛みつきました。

 羽黒の皮膚は龍殺しを行った際に、超硬質な龍麟を手に入れました。

 斬撃・打撃・魔法を受け付けない最強の盾。

 絞め技には若干弱いようですが、それでも世界広しと言えど羽黒の鱗を破ることは難しいでしょう。

 ですが。

 少なくとも私は。

 私だけは。

 こうしてハクロに牙を立て、流れ出る血を啜ることができる。

 私だけの特権。

 私だけの羽黒。

 羽黒だけの――私。

「んぅっ……」

 血液と一緒に、力の奔流が私の体を隅々まで満たしていきます。

 羽黒の中に封じ込めていた、私の力。

 羽黒の中に眠るモノを抑えるために私が貸し与えた、私の力。

 その一部が私の中に帰ってきます。

 変化はすぐに訪れました。

 視界の隅で捉えていた、自慢の夜空の如き黒髪。

 それが満月のように光り輝く銀色へと変色していきます。

 周囲がどよめいている気がしますが、それすらも耳に入ってきません。

 私の耳に入ってくるのは、羽黒の声と血流の音だけ。

 そして。

 静かに流れ始めた、ダンスパーティーの音楽でした。



       *  *  *



「アンデッド」

 ステップを踏みながら、羽黒はそう口にしました。

「死にながら生きている者。生きながら死んでいる者。動き続ける死体。解釈は別にどれでもいいが、やっぱり有名どころと言ったらゾンビやキョンシーだろうな」

「あら。私をあんな雑魚と一緒にするんですか?」

「冗談。とてもとても、畏れ多い」

 私の右手を取り、腰に左手を添える羽黒。今日はヒールの高い靴を履いているので、いつもより羽黒の顔を近くに感じます。

「何度見ても……綺麗な瞳だな」

「そう言ってくれたのは、あなたが初めてでしたよ、羽黒」

「他の連中は見る目がねえんだよ。本当に綺麗な、紅葉色だ」

 紅葉色。

 血のように赤い、紅葉色。

 羽黒が最初に私にくれた物――白銀もみじという、一人の人間としての名前。

 吸血鬼となってから名前という記号性に全く重要性を感じていませんでした。しかし、初めて私の瞳を褒めてくれた羽黒にもらったこの名前だけは、私にとって命と同じくらい大切なものとなりました。

「そう言えば」

 ふと気になっていたことを思い出しました。

「どうやってそのリボンを手に入れたのですか?」

 羽黒の手首に巻かれた、赤いリボン。

 これは一部の教職員や学生の方にしか配られていないリボンなんですが……。

「おいおい、もみじ。少し考えたら簡単だろう」

「……?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「あ」

 そうでした。

 今回のMVPリボンは、うちの雑貨屋で注文したんでした。安いので。

「……くすねたんですか?」

「人聞きの悪い。ちゃんと別料金で払った」

 まあなんだ、と。

 羽黒は少し視線を逸らしました。

 恥ずかしい時にいつもする癖ですね。

「ダンパは俺がガキの頃からの伝統だったんだが、俺と俺が所属する団体はついぞMVPに選ばれなかったからな。生徒会で運営側に回ってことはあったが、一参加者としてここで踊ったことはなかったんだよ」

「それで?」

「あー……」

 言いよどむ羽黒。

 しかし私がじっと見つめていると、観念したように口を割りました。

「まあ、月波学園の生徒として、一度ここで踊ってみたかったって願望がないわけではなかったんだよ。それに相手がお前なら、まあ、乱入してやってもいいかなとは思ったりもしてだな……あと、これは後付けだが、一般公開を一緒に回れなかった侘びも兼ねて……………………これ以上言わせんな」

「はい……ありがとうございます、羽黒」

 これ以上弄ると、羽黒は完全にそっぽを向いて何も喋らなくなってしまいますからね。

 本当に、可愛いです。

「なあ、もみじ」

「はい?」

 ステップを踏みながら、羽黒が思い出したように話題を変えました。

「お前に黙っていたことがある」

「何ですか?」

「実は昨日から居候が増えたん――」

「知っています」

 今度は私が羽黒の言葉を遮りました。

「……は?」

「知っています」

「……………………」

「一昨日の晩にコソコソと帰ってきて何かしているなー、とは思っていましたが、それがまさか翌日になって一人家族が増えることになるとは思っていませんでした」

「お前……どうやって……」

「あら。さっきあなたが言ったことじゃないですか」

 ペロッと、私は羽黒の血の味を思い出すように唇に舌を這わせました。

「私はアンデッド。吸血鬼。不死者の王。生者の気配には敏感ですよ? まあ大分隠蔽されていたので自信はなかったのですが」

 あとはまあ、決定的だったのはアレですかね。

「それに冷蔵庫からちょうど一人分の食材が消えていたので、そんな気がしていました」

「主婦かお前」

「主婦みたいなものじゃないですか」

「違いない……」

 台所は私のテリトリーです。

「それで、今回は何を企んでいるんですか?」

「まあそう慌てるな」

 フッと体が軽くなりました。

 羽黒が私を持ち上げ、ターンをしてからそっと腕に抱きとめられました。

 より一層近くなった羽黒の顔。

 その表情は、半分隠れて見えませんが、いつもより真剣みを帯びているように感じました。

「お前、ずっと俺といる気はあるか」「もちろんです」

 即答でした。

 抱きかかえられていた半身を起こし、再び手を取り合ってステップを踏みます。

 私の夢は、あなたと一緒に、私たちの子に看取られて静かに死ぬことなのですから。

 私は長いこと生き続け過ぎました。

 長いこと死に続け過ぎました。

 この終わらない生と死の終着点くらい、そのような幸せを祈っても、罰は当たらないでしょう。

「私はあなたの物。あなたは私の物。そう約束したのをお忘れですか?」

「……そうだったな」

羽黒が口元を歪めて小さく笑みを浮かべます。

「それに、あなたにプロポーズされて感動するほど私は乙女ではありません。むしろ決定事項の確認のようなものですよ」

「おいおい」

「それ以前に、今更余念を挟むというのは私に対して失礼ですよ」

「こいつは手厳しい」

 小さく笑みを浮かべる羽黒。

 それは、何かを決意するかのような微笑でした。

「それなら、少なくともお前の賛同は得られそうだな」

「……? 今回あなたが企んでいることに対する?」

「ああ、そうだ」

 静かに流れる音楽の中、私は彼の言葉に耳を傾けます。

 仮面の隙間から窺える、深き海の如き瞳に魅了されながら、私たちは踊り続けます。


「お前、義妹が欲しくないか? じゃじゃ馬な義妹と、クソ生意気な義妹と」


 私の高等部最後の学園祭は、こうして幕を閉じました。

 羽黒のそんな言葉と共に。




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