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だい さんじゅうご わ ~魔法陣~




 一般公開される学園祭最終日の朝。

 僕とビャクちゃんは高等部第一校舎裏に来るようにと、あずさからメールで呼び出しを喰らった。学園祭最終日ということで、教室で念入りに準備確認をしていたのだが、あとで痛い目を見たくはないため仕方がなく二人で指定された場所に向かった。

「何なんだろうね?」

「さあ?」

 どんな用事か知らないけど、長引くと厄介だ。まあ言って、あいつもうちのクラスの展示責任者だから心配はないだろうけど、着替える時間が無くなるかもしれないので一応ビャクちゃんには喫茶店の衣装を着用してもらった。

「……………………」

 うん、今日もビャクちゃんは可愛い。

 スカートということでモッフモフの尻尾は隠してもらっているが、表情と一緒によく動く狐の耳は出しっぱなしだ。

「……………………」

 えい。

「ふにゃっ!? ゆ、ユタカっ!?」

「んー?」

「な、何で急に耳を……?」

「いや、触り心地が良さそうだったから、つい」

「急にビックリするじゃない!」

「あはは……ゴメン」

「もう……言ってくれたら、ユタカにはいつでも触らせてあげるのに……」

「え?」

「何でもない!」

 顔を真っ赤にしながら前を向くビャクちゃん。しかしそれでも、僕の隣を歩き続ける。

「朝っぱらからイチャイチャしてんじゃねーよ」

「まあいいじゃないか。仲良きことはいいことだ」

「あ。きょうさん。ハルさん」

「うっす」

「やあ」

 背後から声をかけられる。

 振り向くと、ニヤニヤと笑いながら経さんが小さく手を振っていた。

「どうしてここに? 経さんたちのクラスの出店場所はずっと向こうでしょう?」

「ま、何だ。多分穂波(ほなみ)のと同じ用件だよ」

 言って、経さんはケータイのディスプレイを僕に見せてきた。

 そこには、今朝方僕のケータイに着信したメールと同じ文面が。

「梓ですか」

「おう。昔馴染みとは言え、先輩を呼びつけるとはどういう用件だ、あの亜麻色は」

「なんかすみません」

「気にすんな」

 それに、と二人も僕の隣に並んだ。

「どうやら呼び出されたのは俺たちだけじゃなさそうだからな」

「え?」

「ほれ、見えてきた」

 経さんの視線の先、梓との待ち合わせ場所。

 そこには見覚えのある面々が集まって雑談していた。

「……よう」

「あ、ユーユーも?」

 明良あきらさんと宇井ういさん。

 相良あらいさんは大会に行っているからしょうがないとして、まあこの二人がいることは経さんとハルさんと合流した時点で何となく予想はしていたけど。

 問題は、他の面々だ。

「おはよう穂波くん。今日もいい天気学園祭日和だね」

「……ぐう」

寺田てらだ、立ったまま寝るな」

「いやー、はっは。本当に立ったまま寝る奴っているんだねー」

「アタシも初めて見たかも」

「ほらアキヨシ、起きなさイ」

「……………………」

 須々木(すずき)沙咲ささき

 寺田てらだ昭義あきよし

 日野原ひのはら颯太そうたさん。

 白川しらかわ正志まさしさん。

 針ヶ瀬(はりがせ)玲於奈れおなさん。

 ナンシー・滝沢たきさわさん。

 そして、神崎かんざきみことさん。

 驚いたことに、本当に驚くべきことに、究極のサボり魔と名高い尊さんも含め、なぜか生徒会長のもみじさんは除いた月波学園高等部生徒会の面々が集合していたのだ。

「こいつは……一体何が始まるんだよ……」

 さすがにこんなにそうそうたるメンバーが揃っているとは予想していなかったのか、経さんが引き攣った笑みを顔に貼りつける。

「やーやー、おはようございますウ」

「あ! 佐藤さとう先輩! おはようございます!!」

 宇井さんがめっちゃ目を輝かせながら、遅れてやってきた人影に駆け寄る。

 今度は出版委員会委員長の佐藤理久(りく)さんか……。梓はどこかの国に戦争でも仕掛けるつもりなのか?

 そして止めとばかりに。

「やあ皆さん。一名のクソ野郎を除きご機嫌麗しゅう」

「い、委員長……」

「……………………」

 風紀委員長、和田わだ光輝こうきさん。

犬猿の仲である尊さんが視線で殺さんばかりに睨みつけているが、当の本人は風紀委員の風上にも置けなさそうな邪悪な笑みで迎え撃っている。

一触即発とはこのことか。経さんがすっげえ居心地悪そうである。

「どうもお待たせしましたー」

「お。やっと来た」

 物々しいメンバーを眺めていると、背後に何だか色々と消耗しきった朝倉あさくらを引き連れてようやく梓が登場した。

「やっほーアズアズ」

「ウッちゃん、おはー」

 八百刀流の仲良しガールズが意味もなくハイタッチする中、光輝さんが来たことで凶悪さ三割増しな目付きになった尊さんが口を開く。

「おい瀧宮たつみや。朝から何の用だ」

「あ、尊先輩。来てくれてありがとうございます」

「御託はいい。これでもやることがあるんだ」

「またまたご冗談を。君にやれることなんて不良たちの上で踏ん反り返るくらいだろう?」

「あ?」

 光輝さんの挑発に、心なしか尊さんの体が大きくなった気がする。

 こんな所で本性出さないでくださいよ……?

「はいはい、アンタたちは黙ってなさイ。話が進まないでしョ」

「「……………………」」

 ナンシーさんが仲裁に入り、二人も大人しく引き下がる。それを理久さんが面白そうに笑いながら傍観している。

「それでアズサ。本当に何の用なノ? これだけの面々を集めテ。生徒会メンバーの中でモミジだけがいないのも関係あるのかしラ」

「さっすがナンシー先輩。話が早くて助かります」

 微笑みながら、梓はスカートのポケットに手を突っ込んでゴソゴソと漁る。そしてすぐに茶封筒を取り出してひっくり返し、中から何かを取り出して皆に配った。

「……? っ!?」

 回ってきた写真を受け取ると、そこにはなぜかうちのクラスの喫茶店で、うちのクラスの女子が担任の藤村ふじむら先生と、そしてなぜか梓の実兄であるところの羽黒はくろさんが写っていた。写真の女子はイケメン二人に挟まれてご満悦である。

「ああ、これはアレですねエ。昨日一部の女子の間で裏取引されていたといウ」

「やはりご存知でしたか理久先輩」

「これでも情報通を自称しておりますのでエ」

 わざとらしい甘ったるい笑みを浮かべる理久さん。目に毒なので僕はさりげなくビャクちゃんを背後に隠した。

「で、この写真がどうしたんだい。確かに裏取引されていたのは問題だけど、こんなメンバーを集めるほどか?」

 玲於奈さんがもっともな意見を口にする。

 その気持ちは凄く分かる。

 分かるんだけど……これはまずいだろう。

「……………………」

「……ちっ」

 梓に視線をやると、非っ常に嫌そうな顔して舌打ちをした。どうやら忌まわしくて自分の口からは説明したくないのだろう。

「あー、じゃあ、何となく察しがついたので、僕から説明しますね」

「……どうぞ」

 梓が殺気の篭った声で吐き捨て、一歩下がる。

 そんなに嫌いか。

「えっと、まあ端的に説明しますと……この写真の藤村先生じゃない方。黒髪の方ですが、この人、もみじさんの彼氏です」

『『『はあっ!?』』』

 その場のほぼ全員が目を剥いて写真の羽黒さんを凝視した。事情を知っているビャクちゃんと梓、朝倉、そして情報通を自称する理久さんだけはノーリアクション。無表情の須々木でさえ、マジマジと写真を見つめている。

「え、ちょっ、まっ、えぇっ!?」

「そいつは、まあ……驚きだ」

 颯太さんと正志さんが表情を引き攣らせている。二人とも何か思うところがあったのか救いを求めるように理久さんに視線をやるが、彼は変わらず整った顔に甘い笑みを浮かべているだけだ。

 対して生徒会女性陣はそれほどショックというわけでもなさそうだった。むしろ納得した風に頷いている。

「あー。どうりでガードが硬いわけだね。納得したよ」

「だね。もみじさんの都市伝説級のガードはそういうことか」

「恋人がいるなら告白を全部断ってきたのも頷けるワ」

「でも確かにイケメンですね。これなら白銀しろがね先輩とも釣り合っていいんじゃないですか?」

「いやいや、この人結構軽そうな雰囲気してない? この笑い方とか、アタシ苦手かも」

「そうかしラ? ワタシは真面目すぎるモミジには丁度良いと思うけド?」

 言いながら、写真の羽黒さんの評価を勝手に下していく生徒会女子。

 けれど、誰も事態のヤバさに気付いていない模様。

 その時。

「あの、委員長。これってヤバくないですか?」

「ああ、ヤバいよ。非常にヤバいよ」

 経さんと光輝さんの風紀委員会組が気付いてくれたようで、顔を青ざめている。

「? 経。生徒会長に恋人がいることが分かったことに何か問題があるのか?」

「ああ、ハル。これは大問題だ」

「具体的には?」

「これが学園に知れたら、大スキャンダルどころの話じゃない。暴動が起こるかもしれん」

「???」

 今年の春に編入してきたばかりのハルさんは事態が呑み込めていないらしい。

 それは仕方がないとして、もみじさんはただの生徒会長じゃないんですよ……。

「ぶっちゃけた話、白銀もみじ生徒会長の人望は常軌を逸しているからねエ」

 理久さんが言葉を引き継ぐ。

「容姿端麗、成績優秀、品行方正と、どれを取っても非の打ちどころのないのが彼女ですからねエ。彼女を支持する生徒はもはや、彼女の事をアイドルのように扱っていると言ってもいいんですよオ」

「実際、白銀の非公式ファンクラブもいくつか存在してるしね。本人は気付いていないようだけど」

 やれやれと首を振る光輝さん。

 そう。もみじさんのファンクラブは多数存在する。特に最も巨大な勢力を誇る『もみじ駆り』はちょっとしたサークル以上の権力を持っているとすら言われている。

 そんな中、当の本人に恋人発覚というスキャンダルが流れると……。

「それは……確かにまずいな」

 芸能界だってアイドルにスキャンダルが報道されるとちょっとした混乱が生じるのだ。

 それがこんな学園に、それと同程度の規模の混乱が局所的に発生するとなると。

「……下手したらリコール」

「明良、それはさすがに言い過ぎじゃない?」

「いや、一部の過激なファンはやりかねんな」

 明良さんの突飛な意見に宇井さんが首を傾げるが、経さんは油断なく首を振る。

「このことについて、知ってるのはここの面々だけ?」

「はい。あたしは昨日一日中もみじ先輩と一緒にいましたが、接触は確認していません」

 玲於奈さんの確認に梓が首を振る。

 まあそうだろうな。これですでに接触済みだったら、エライことになる。なんせ僕らがいる目の前で羽黒さんにキスしたもみじさんだ。またぞろ人目を憚らずに行動に出たら学園が終わる。

 今までジッと写真を眺めていた寺田が口を開く。

「それで……瀧宮はどうしたいんだ……?」

「もちろん、この男の出入りを禁じる! 昨日は真奈まなちゃんが黙っていたせいで後手に回ったけど、今日はそうはいくもんですか!」

「ううっ……ごめんなさい」

 力なく謝罪を口にする朝倉。そう言えば昨日朝倉は一日シフトが入っていたから羽黒さんが来ていたのは知っていたはず。大方口止めされていたのだろうが、それを梓にこってりと絞られたって感じか。どうりで元気がないはずだ。

「でも瀧宮ちゃん。この人が今日また学園祭に来るとは限らないだろう」

「いや来る」

「根拠は」

「さっき今まで見た事ないくらいウキウキしてたもみじ先輩を目撃した」

「なるほどね」

 いいのか須々木、それで納得して。

「そんなことはどうでもいい」

 と。

 今まで黙っていた尊さんが口を開く。

「瀧宮。お前がそれだけで俺を呼ぶまい」

「……………………」

「この男、強いのか」

「……悔しいですけど」

「ふん」

 鼻で笑うと、尊さんはさっさと歩き出した。

「ミコト? どこに行くノ?」

「どこだっていいだろう。お前には関係のないことだ」

「……………………」

 その逞しい背中を目で追いながら、ナンシーさんが溜息を吐く。

「アズサ。ミコトをけしかけてどうするつもリ? もしこの人が怪我でもしたラ」

「それこそ、あたしとしては願ったりかなったりなんですがね」

「アズサ」

「……ま、でも心配ないですよ。こいつが誰かにやられるのなんか想像できませんし」

 憎々しげに吐き捨てる梓。

 自分も羽黒さんに歯が立たなかった忌々しい記憶でも甦ってきたのだろうか。本当にこいつは、あの人の話題になると殺気立って仕方がない。

「ええと、つまりイ」

 理久さんがこれまでの話をまとめる。

「我々はこの男を見つけ次第学園敷地内に追い出す、もしくは白銀もみじ生徒会長に近付けさせない、ということでいいんですかア?」

「いいです。やれるんならぶっ殺したって構いませんよ。殺したって死ぬような奴じゃないし」

「アズサ」

 物騒なセリフを吐いた梓に。ナンシーさんが睨みを利かせる。

「うーん、しっかし、黒にーさんが相手かー……」

「……骨が折れる」

「あの人色々と無茶苦茶だったしな」

 幼い頃何度か会ったことがある宇井さん、明良さん、そして経さんが苦虫を噛み潰した顔で呟く。できれば関わりたくない、というのが普通の反応なのだろう。

「まあいいや。とりあえず見かけたら連絡するわ。んじゃ、俺たちは店の準備があるからこの辺で」

「アズアズ、じゃーね」

 言って、三人はイマイチ状況が理解しきれていないハルさんを連れて去っていった。それを皮切りに、他の面々も各々の仕事のためにその場を離れる。

「んじゃ、僕も行くよ。梓は生徒会の仕事あるんだろ?」

「まあね。あのクソ兄貴のせいで、今日もまたもみじ先輩と行動を共にして監視する必要がでてきたわ」

「お疲れ」

「何かあったら連絡よこして。いっそ狙撃したって構わないわ。あたしが許可する」

「お前が許可したって仕留められるとは思えないけどな」

 仕留める気もないけど。

「んじゃ、行こうかビャクちゃん、朝倉。学園祭最終日だし、残ってる材料全部使い切るつもりで労働に励むよ!」



       *  *  *



 昼。

 僕とビャクちゃんは自由時間に宣伝がてら看板を持ってその辺をテキトーに歩いていた。

 喫茶店のメニューはまだ少し残っているため、値段を下げて売り出すつもりなのだそうだ。看板にも昨日までより安価な数字が並んでいる。

「さすがにここまで来ると人気店は売切れちゃってるなあ」

「そうみたいだね」

 横を歩くビャクちゃんが少し残念そうに微笑む。

 お祭りの定番とも言え、る焼きそばやかき氷などを出していたクラスは軒並み売り切れ御免の張り紙を掲げ、早くも調理器具の片づけを始めている。

「あ! ねえユタカ、ふらんくふると、残ってるよ! 食べたい!」

「え、いやアレは止めた方が……」

「何で?」

「何でも」

「むう……。じゃあ、ちょこばなな!」

「お願い止めてください……」

 ビャクちゃんの無邪気なおねだりをかわしつつ代わりに綿飴を買ってやり、僕は串に刺さったから揚げを一本購入した。なぜか一緒にビスケットの天ぷらなる珍妙なメニューを在庫処分のつもりなのかオマケでもらったが、これが意外と美味しかった。

 ふと値段を見たら、一枚五十円だった。原価を考えればぼったくりもいいところである。

「どうするビャクちゃん。この時間帯でもクラス展示とかアトラクション系はまだやってると思うけど」

「んー、今日はいいかな? 昨日のうちにだいたい回ったし」

「そか」

 じゃあどこか行きたいところはあるかと尋ねると、ビャクちゃんはしばらく悩んだ後に、

「ユタカとのんびりしたい」

 とのことだったので、普段は縁のない大学の方の敷地に行ってみることにした。

 メインストリートを横切って大学エリアへ移動する。さすがに大学生になると資金的にも行動力的にも高等部を大きく上回るようで、僕らの露店とは格段に違う完成度の学園祭が催されていた。

 そんな中、僕らは露店を通り過ぎて工学部にあるとある食堂に向かった。

 少し高いところにある噴水広場へ続く階段のど真ん中に構えるオープンカフェのような造り。出されるメニューも他の食堂とは一線を画す品揃えばかり。その分少しお高いのだが、大学生カップルやちょっと背伸びしたい高等部女子が女子会を開いたりなど、そんな感じの客層が多く見受けられる。

 通称カフェ・スイートピー。

 正式名称は『連理草れんりそう食堂』という可愛らしさも欠片もない名前なのだが、まあそれはともかく。

「ビャクちゃん、何が食べたい?」

 運良く空いていたテーブルに着き、メニューを開く。

 本当なら普通の食堂同様に食券を買うのだけど、学園祭中は見た目道通りの普通のカフェのようにウェイトレスやウェイターがいるのだ。

「どれにしようかな……あ。この抹茶ぱふぇって美味しそう……」

「また可愛いんだか渋いんだかよく分からんチョイスを……」

「……ダメ?」

「そんなわけないじゃないか。僕は最初に抹茶をスイーツに取り入れた人は神として崇められてもいいとすら思っているよ」

 一応は神の一柱であるビャクちゃんを前にして言うことじゃないかもしれないけど。

「もう、大袈裟なんだから……」

 苦笑しながら、ビャクちゃんは手を上げて近くを通りかかったやけに髪の長いウェイトレスさんを呼び止めた。

「あの、すみません」

「あ、は、はいっ! ご、ご注文はお決まりでしょうかっ!?」

 めっちゃ挙動不審だった。

 笑顔も何かぎこちないし、新人さんかな?

「えっと、この抹茶ぱふぇと……あ、ユタカは何にする?」

「あ、僕はチーズケーキで」

「えっと、と、当店は学園祭期間中、その、カップルでご来店された方には、飲み物をさ、サービスしておりますが……!」

「「……………………」」

 カップル……。

 改めて言われるとちょっと気恥ずかしいというか……。

「えっと、じゃあ、僕は紅茶で……」

「わ、私はかふぇらて……」

「か、かしこまりました! しょ、少々お待ちください……!」

 三人揃ってぎこちない口調で注文を済まし、ウェイトレスさんが去ったところで僕らは顔を見合わせた。

「どしたの?」

「いや、何でもない……ふふ」

「えへへ……」

 少し離れた所から「明菜あきな! やっぱり私に接客は無理だ!」「耐えて愛美えみ! どうしても一人足りなかったの!」「だが限界だ……! そもそもこんなヒラヒラだらけの服を着てるのを直行なおゆきに見られたら……!」「……詠美えいみ? こんな所で何をしてるんですか?」「きゃあああああああああっ!?」「ちょっと愛美!? あんたタイミング悪過ぎよ!!」「はい!?」とちょっとした言い争いが聞こえてきた。

「何か、慌ただしいね」

「ね」

 さっき僕らの所に注文を取りに来たウェイトレスさんが動きにくそうなスカートを物ともせずに全力ダッシュしていったのを見ながら、僕らは苦笑する。

「お待たせしました。抹茶パフェとチーズケーキです。お飲み物はもうしばらくお待ちください」

「ありがとうございます」

 さっきどこかに逃げて行ったウェイトレスさんとは別の人がやってきてパフェとケーキを運んできた。パフェは彩り豊かだし、ケーキもチーズが香って凄く美味しそうだ。

 そして遅れて僕の紅茶とビャクちゃんのカフェラテが運ばれてきた。

「わ、可愛い!」

「おー、すげえ」

 ビャクちゃんが歓喜の声を上げる。何事かとビャクちゃんの前に置かれたカップを覗き込むと、カフェラテの表面にクリームで可愛らしい模様が描かれていた。

「ジルスチュアートだっけ。よくできてますね」

「まだ練習中ですが……」

「え、これ、あなたがやったの? すごーい!」

 持って来てくれたウェイトレスさんが作ったらしい。練習中と言っていたが、これ普通にお店で出しても通用するんじゃ……?

「それではごゆっくり」

 ウェイトレスさんがテーブルを離れてからも、ビャクちゃんは凄い凄いと言ってなかなかカップに口を付けようとしなかった。

「冷めちゃうよ? まあ今日は少し暑いけど」

「んー、でも、何かもったいない……」

「まあ分からないでもない」

 はー、と溜息を吐きながらカップを眺めるビャクちゃん。

 僕は苦笑し、ポケットからケータイを取り出してカメラを起動する。

「ほら、ビャクちゃん」

「ん?」

 パシャ。

 機械的なシャッター音と共に、ディスプレイにビャクちゃんの上気して嬉しそうな顔が静止画として映し出された。

「ビックリしたー」

「いや、つい可愛くて」

「……もう」

「これで撮ればその模様もいつでも見れるよ?」

「あ、そっか! それじゃ、お願いしていい?」

「もちろん」

 ビャクちゃんがカップをこっちに押し出した。それをケータイのカメラで撮影してディスプレイをビャクちゃんに見せる。

 改めて見ると本当によくできてるなー。

「満足?」

「満足!」

「それじゃあ食べようか」

「うん! いただきます!」

 満面の笑みでパフェの中央、薄緑色のアイスをスプーンですくう。

「ん!」

「どう?」

「甘くて美味しい! でも抹茶の味!」

「あは、そりゃそうだ」

 いやでもホント、最初に抹茶味のスイーツを考えた人は偉いと思う。

「おっと、これは……」

 僕も一口チーズケーキを頬張る。

 何とも濃厚なチーズの香り。さらに下の上にどっしりと感じる重厚な触感。

「うめえ……」

 ただの食堂のメニューと侮っていたが……さすが月波学園。

「そんなに美味しい?」

「うん。すごい」

「そうなんだ……」

 ジッと僕のチーズケーキを見つめるビャクちゃん。

 とても物欲しそうな表情。尻尾が出ていたら全力で振っているに違いない。

「食べる?」

「え、いいの? でももう一個頼むのは……」

 言って自分の目の前のパフェを見つめる。当然ながらまだまだ残っていて新しく注文するのは憚られる、と言った感じか。

「いやいや」

 僕は首絵を振ってフォークでチーズケーキを一口分切り分ける。

「はい、どうぞ」

「え?」

 それをフォークの上に乗せてビャクちゃんに向けた。

「……いいの?」

「いらないの?」

「いや欲しいけど……そうじゃなくって……」

 何かゴニョゴニョと俯いて口にするビャクちゃん。

 少し考えて、関節キスになることを恥ずかしがっているんだな、ということくらいは想像がついた。が、何だか今更な気もして、僕としてはそれに恥ずかしがっているビャクちゃんが見れて満足……って、あれ? 僕ってこんなキャラだっけ?

「いらないなら僕が食べちゃうけど」

「あ! 待って! いる! 欲しい! 食べさせて!」

「……うん、分かったから。落ち着いて」

「あう……」

 食い意地を張ったことが恥ずかしいのか、顔を真っ赤にするビャクちゃん。

 僕は気にしないけどねえ……他の行燈館の皆もよく食うし。それに一杯食べる女の子って、見てて気持ち良いんだよね。

「はい、どうぞ」

「ん。あー」

 今更遅い気もするのだがお淑やかに口を小さく開けてチーズケーキを頬張る。

 が。

 ここで僕も予想していなかった事態が。

「……………………」

「……んん?」

 チーズケーキがあまりにも濃厚で、フォークにねっとりとくっついてしまっていたようだ。それを舐め取ろうとしているのか、ビャクちゃんは「んっ」と唇をきつく閉じてゆっくりとフォークを口から引き抜いた。

 ……うわあ。

 何か、このフォークを使うのは背徳的な気がしてきた。これ、関節キスとか、そういうのとはまた少し違う気がするんだけど……。

「んー! 美味しい!」

「そ、そう……。よかったね」

 さっきまで恥ずかしがっていたくせに何も気付かずに笑顔を見せる。何だかなあ……『関節キスの羞恥心<チーズケーキの美味しさ』って感じにコロッと忘れてるなこれ。

 ま、いいんだけどね。



       *  *  *



「さて、小腹も満たしたことだし」

「ユタカ」

「次はどこに行こうか」

「ねえ、ユタカ」

「ビャクちゃんはどこか行ってみたいところはある?」

「ユタカー?」

「そうだお化け屋敷とかどう?」

「ねえってば」

「ここのお化け屋敷、本物の脅かし系の妖怪を雇ってるから本当に怖いって評判……」

「ねえユタカ!」

「……はい」

 目の前の事態から目を逸らしていたけれど、ビャクちゃんは逃がしてはくれなかった。

 まあここで見ないフリをしていたのが何らかのルートで梓にでもバレたら、悲惨なことになりかねんのだけど……。

「でも見た感じ、普通に仕事しに来たって感じだし……」

「まあ、そうだけど……」

 カフェ・スイートピーを後にしてしばらくテキトーに歩いている時だった。

 メインストリートから一本外れた小道を小型トラックが走っているのを見つけてしまった。最初はどこかの露店のレンタルの大型調理器具か何かを回収しに来たのかと思ったが、しかしよく考えるとそう言った物は、明日片付けるのがいつものことだから少し変だな、と何となく眺めていた。

 そしたら。

「ぶっ!?」

「ユタカ、あれって……」

 運転席から見えたのは、見覚えのあるボサボサの黒髪の男。

 向こうもこちらに気付いたのか、チラッと視線を向けて軽く手を振ってきた。

 手ぇ振ってんじゃねえよ気付かれなかったらスルーできたのに……!

 トラックはそのまま走り去っていったが、僕は現実逃避でそれどころではなかった。というか関わりたくなかったのに、何で見つけてしまうかな……。

「アズサに連絡する?」

「……いや、それは最後の手段で。学園祭最終日を惨劇で終わらせたくないし……」

「だよね」

 というわけで渋々、僕らは学園祭巡りを中断してトラックの追跡をすることになった。

 すでにトラックの姿は見えないが、ビャクちゃんが音と臭いで追えるので問題はない。

「……何か、人気のないところに向かってる感じ」

「そうなの?」

「うん。少なくとも学園祭の物品回収を頼まれたって感じじゃない」

 耳を動かし鼻をスンスンと鳴らして追いかけるビャクちゃん。確かに人通りはどんどん減っていき、工学部の敷地のかなり奥の方まで来てしまったようだ。

「あ、あれだ」

「本当だ」

 かなり奥まで進んだところで、さっきのトラックを発見した。大きな建物の前に停められていて、羽黒さんの姿はなかったが建物の自動ドアの電源が切られて開けっ放しになっていることから、どうやら中にいるらしい。

「自動ドアが開けっ放し……やっぱり物品回収かな?」

「どうしてそう思うの?」

「荷物を抱えて出る時、いちいち自動ドアが開くのを待ってたらじれったいし、効率が悪いでしょ? だから電源を切って開けっ放しにすることが多いんだ」

「なるほどー」

「でも何だってこんな所にで?」

 工学部三号館と壁に書かれた建物からは活気というか、そもそも人の気配がほとんどしない。羽黒さんがいるはずだから無人というわけではないようだが、こんなところに何の用なんだろう?

 とりあえず出てくるのを待つ。

 敷地外に追い出すにしても、もみじさんとの接触を妨害するにせよ、ここで会っておかないと話にならない。

 しばらくすると。

「あ」

「お」

「ん?」

 段ボール箱をうず高く積んだ荷台を押す羽黒さんがエレベーターから現れた。

「よう。どうした、ユウに白狐の嬢ちゃん」

「えっと……」

 そう言えば何て言ったらいいか考えてなかった。

「お仕事? ハクロが学園に来るなんて珍しいし」

「ん? まあな」

 ビャクちゃんが話を繋ぐ。

 グッジョブ。

「やっぱり学園祭関係っすか? 物品回収とか」

「いや、今日は引っ越しの手伝いって感じだな」

「引っ越し?」

「おう。研究室を移す教授がいてな。実験器具とか諸々を丸ごと移動させてほしいんだと」

「……何でまた学園祭の日に」

 そんなに急いでいたのだろうか?

「そうなんだー。てっきりモミジに会いに来たのかと思ったんだけど」

「……昨日はそのつもりだった」

「昨日?」

「いや、何でもない」

 ふむ……やはり昨日来ていたのはもみじさんが目当てだったのか。危なかった……運良くすれ違いになったようだ。

「で、今日はお仕事と?」

「おう。あわよくばちょっと会ってこうとも思ったんだが、今日は忙しいからと断られちまった」

「「……?」」

 断られた?

 梓はもみじさんが嬉しそうだったから羽黒さんが会いに来るのだろうと言っていたが、どうやら勘が外れたようだ。

 まあ何にせよ、二人の接触が避けられるのであれば特に問題はない。

 羽黒さんが健全に仕事に勤しんでいるのなら、梓もそう事を荒立てはすまい。

「そうだ。ユウ、お前、手伝わないか?」

「へ? 何をですか?」

「俺の仕事。正直、思っていた以上に荷物が多くてヤバいと思っていたところなんだよ」

「えっと……」

「まあデートの邪魔になるだろうから、無理にとは言わないが」

 言って、羽黒さんは僕の横のビャクちゃんを見やる。

 確かにビャクちゃんとゆっくりしたいという気持ちもあるが、同時に、念のために羽黒さんを監視しておいた方がいいかもしれない、という気持ちもある。

「私は手伝ってもいいよ?」

 ビャクちゃんの方を見ると、苦笑しながらそう言ってきた。僕と同じ考えに至ったのか、何やかんやで羽黒さんの手伝いをすることになるのを見越したのか、それは分からないがとにかくビャクちゃんの同意を得ることができた。

「じゃあちょっとだけ」

「おう。いやあ、助かったわ」

 言って、羽黒さんは荷台を押してトラックの横に着けた。

「んじゃ、ユウは上に乗ってくれ。俺が下から渡す」

「了解です」

 トラックの荷台に飛び乗り、僕は羽黒さんが渡してくる段ボール箱を受け取った。どうやら大量の紙が詰まっているらしく、なかなかに重かった。

「よっと……」

「ねえハクロ。私は何をすればいいの?」

「ん? うん、そうだな……おいユウ、睨むな。さすがに力仕事は頼まねえよ」

「睨んでました?」

「すげえ睨んでた」

 マジか。

 羽黒さんを睨み付けるなんて、無意識って怖いね。

「んじゃ、ここの四階の23406室って所に行ってくれ。そこに資料とか色々散らばってるから、廊下に置いてある段ボールにテキトーに詰めておいてくれ」

「分かった」

 言って、建物の中に入るビャクちゃん。

 その背中を目で追いながら、僕は羽黒さんが渡してくる段ボール箱を荷台に積み重ねていった。

 羽黒さんが持ってきた分を積み終わり、僕たちも四階の六番室に向かった。そこで散らばっていた(本当に床が見えないレベルで散らばっていた)資料やらファイルやらを箱詰めしているビャクちゃんと合流し、箱詰めが完了したらまとめて下まで持って行く。

 汚部屋と言っても差し支えない乱雑とした部屋を片付けるにも手間取り、大体一時間くらいで紙資料は全て運び終えた。

 残るは……。

「この割れ物注意たちですか……」

 ガラス製の実験器具だけが残された研究室の中で僕は呆然とした。

 数だけなら三桁近い。

「これ、一つ一つ新聞か何かで包むのか……」

「割れたりしたら大変だしね……」

 でも一つ、強烈な存在感を発する物体がある。

 何だこれ? 巨大な水槽? でもやけに縦に長い……人一人余裕で入れそうだ。

「これ何で包む……ってか、どうやって運ぶんですか?」

 そもそもどうやってこの部屋に持ち込んだんだろうか……?

 明らかに扉よりもデカいんだけど。

「おいおい、さすがにこんな物は運べねえよ」

 と、羽黒さん。

「そもそも純ガラス製だから百キロ以上あるだろ」

「あ、そっか……」

 じゃあ素人の僕らじゃ流石に無理だ。

 落として割ってビャクちゃんが怪我したら堪ったもんじゃないし。

「そらじゃあ、どうやって運ぶの?」

 ビャクちゃんが物珍しそうにペチペチと巨大水槽を叩く。その仕草がとても愛らしくて……羽黒さんがいなかったら問答無用で抱きしめているというのに!

「ま、そこは月波市ならではの運び方って奴だ」

 言って。

 羽黒さんはポケットから白い何かを取り出した。

「……チョーク?」



       *  *  *



「魔法陣」

 チョークで床に何やら書きながら羽黒さんが説明する。

「魔術の行使において床に描く紋様や文字で構成された図、もしくはそれによって区切られる空間のことだな。術者の力を増幅させたり逆に封印したり、また種類によっては異界への扉となったり悪魔やら何やらを召喚することも……っと」

 そこまで口にし、口を滑らせたという風に言葉を区切った。

「何か、すまん」

「ううん」

 珍しく羽黒さんが自分から謝る。

 それに対し、謝られたビャクちゃんは気にしない風に首を振った。

 僕とビャクちゃんが出会うきっかけとなった、そして何より、羽黒さんがこの街に帰ってくるきっかけとなった、あの事件。

 朝倉真奈。

 悪魔に願った魔女の事件。

「本当に気にしてないよ? だってマナはもう、私の友達だし」

「そうか」

 小さく微笑み、羽黒さんは作業を続ける。

 その笑い方が、ちょっと懐かしかった。

 やんちゃなあいつと、生意気なあの子を眺めている時の、あの笑顔だった。

「なあ、ユウ」

「はい?」

 不意に声をかけられる。

「いつだったか、あいつのために死ねると思ったことがあるか、って聞いたことがあるだろ」

「ええ」

 あの時。

 僕はビャクちゃんが消えてしまったと落ち込んでいた。

 僕が守れなかったと、悔やんでいた。

 結果としてビャクちゃんは凄く近くにいたわけだけど、羽黒さんはどうなのだろうと、特に何も考えずに聞いてみたのだ。

 実の妹を手に掛けたと言い張る、この強き兄(シスコン)に。

 そしてその答えというのが――

「今なら死ねる」

 と。

 羽黒さんは床に魔法陣を描く手を止めずに、あの時と同じ言葉を口にした。

「あの時俺は、あいつが今も普通に生きていていて、あいつを傷つける何かが迫っていたら、というIFの話ならば、死んででも守る、という意味で答えた」

「……………………」

 僕は答えない。

 沈黙で、先を促す。

「だが今なら、別の答えを言える」

「……………………」

「死ねない」

 魔法陣が描きあがったのか、羽黒さんは短くなったチョークを無造作にポケットに突っ込み、立ち上がった。

「死んでたまるか。俺はもう失敗しない。愚妹賢妹共々守ってやるさ」

「……………………」

 僕は。

 どんな顔をしていたのだろう。

 拍子抜け?

 違う。

 その答えが意外だったわけではない。

 むしろ、ようやく僕が知っている羽黒さんに出会えた気がしたくらいだ。

 誰よりも強く、誰よりも仲間を想い、誰よりも妹たちを愛していた瀧宮羽黒。

 最悪が通称となる前の、絶対的な黒。

 次期当主の座を追われても。

 最高の白に追い抜かれても。

 決して腐ることのなかった、強き兄。

 六年ぶりに見るその姿に、僕は安堵したのだろう。

「羽黒さん」

「あ?」

 パンパンと手に付いたチョークの粉を払い落とし、羽黒さんはこちらを向いた。

「おかえりなさい」

「……? お、おう」

 テキトーに返事をする羽黒さん。

 まったく、こんなシーンを梓に見られたら殺されるな。

「で、だ。魔法陣が完成したわけだが別に悪魔召喚したり異次元転移したりするためじゃないぞ」

「まあ分かってますけど。ところで羽黒さんって魔法使えるんですか?」

「使えると思うか?」

「いいえ全く」

「……ま、明かり灯したりするくらいはできる」

 こっち帰ってからは使ってないが、と、今までどんな生活をしていたのか不安を感じさせる呟きをこぼす。

「だが安心しろ。術者は別にいる」

「ってか、そもそも何の魔法陣ですか?」

「転移魔法。まあ簡単に言えばワープだな」

「ははあ」

 ま、ガラス製の実験器具一式を中心に描いていた時点で何となくそんな気はしていたけど。

「これを使って目的地まで運ぶんですか?」

「そういうことだ」

「……今更ですけど、あの段ボールの山もこれで運んだらよかったんじゃ?」

 結局運び出した段ボール箱は大小合わせて大体五十個くらいになったのだ。荷台を使ったとは言え、トラックに積み込むのは人力だから結構……いや、かなり疲れた。

 それに対し、羽黒さんは苦笑しながら肩を竦める。

「術者の実力的に、この実験器具一式を移動させるのが限界だそうだ」

「……便利なのか不便なのか……」

「まあ本職は魔術師じゃないからな。転移魔法を扱えるだけ良しとするか」

 言って、羽黒さんはケータイを取り出して耳に当てた。

 ワンコールと置かずに通話相手が電話に出る気配がする。

「おう俺だ。言われた通り陣を描いたぞ。……おう、了解」

 一旦ケータイを耳から離し、僕らの方を見た。

「ちょっと離れてな。中心に近いと一緒に飛ばされんぞ」

「了解っす」

「分かった」

 二歩後ずさる僕とビャクちゃん。

 そして、そのタイミングを見計らったかのように光り出す魔法陣。

「ちなみに簡単な解説をすると――」

 光る魔法陣を見つめながら、羽黒さんがどうでもよさそうな口調で語りだす。

「この魔法陣は『送信』専用。新しい研究施設で待機中の術者……まあぶっちゃけると、今回の依頼主なんだが、そっちに別に用意してある別の魔法陣が『受信』の一方通行」

「で、中心に置かれた物を転移させるわけですか」

「そういうことだ。一度に運べる物量は術者の技量による。今回の術者はランク的には中の下って感じだから、限界は二百キロって所か」

「え? それって結構凄いんじゃないんですか?」

「凄いのは魔法陣の方だ。複雑な魔法陣を理解することができるなら、術者の魔力含有量はそれほど問題じゃない」

「はあ……」

「それに、あの眼鏡の嬢ちゃんならこれの五倍は運べると思うぞ」

「マジっすか……」

「ああ。昨日少し会ってみたが、いい成長っぷりじゃねえか。まとってる魔力で分かる。さすが修二しゅうじの弟子だ。最も、その修二が本気を出したらちょっとした街レベルの規模の物体を移動できるだろうが」

「……………………」

 マジっすか。

 藤村先生もかなり高位の魔術師だって聞いていたけど、そのレベルだったとは……。

「お」

「あ」

「すごーい……」

 魔法陣の光が一段と強くなる。

 そして一瞬だけ、視界全体を覆うような強い発光があった。眩しくて思わず目を瞑ったが、すぐに余裕で目を開ける程度の発光へと弱まった。

「……成功したようだな」

 もう一度ケータイに耳を当て、術者である通話相手から報告を受ける羽黒さん。

 聞くまでもなく、さっきまで目の前にあったはずの実験器具の山が見事に消え去っている。どっか変な空間に振り出されたのでないとしたら、まあ成功なのだろう。

「はーあ、やっと終わった! さて、後はあの段ボールの山を運ぶだけか!」

「お疲れ様です」

「おう。ユウも白狐の嬢ちゃんもな」

「ううん、気にしないで」

「んじゃ、これ、バイト代な」

「「え?」」

「あ?」

 手渡された野口さん三人に二人揃って声を上げると、羽黒さんは変な物を見る目で僕らに視線を寄越した。

「何だよいらないのか?」

「いや……お金もらえるとは思ってなかったんで……」

「おいおい、いくら俺でも無償でこんな重労働させるわけねえだろ。真っ当な労働には真っ当な対価を」

 押し付けられる三野口。

 そうまで言われて受け取り拒否するのも変な感じがしたので、僕はありがたく頂戴することにした。

「はあ……じゃあ、遠慮なく」

「おう。これで残りの学園祭、美味いもんでも食ってけ」

「ありがとうハクロ」

「んじゃな。俺はこの部屋掃除してから行くから――」

 言って。

 羽黒さんは軽薄そうな笑みを浮かべてこうのたまった。


「また明日な」

「「……………………」」

 その嫌な予感しかしない不吉なセリフに、その後の学園祭最終日をあまり楽しむことができなかった。




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