だい さんじゅういち わ ~ホムンクルス~
「今日、午後二時三十分までに私立月波大学工学部の三号館四階23406室に行きな。そしてこう言うんだ……『三つ首犬を手懐ける焼き菓子が欲しい』ってな。その先には……ひひ。お前らが望む物があるぜ?」
昨日。
ウチと佑真君は月波学園の学園祭に行き、道に迷った。
そこで出会った、人丑九弾と名乗った少年。
彼はウチらが何か言う前に、そう押し付けるように口にした後、いつの間にか――本当にいつの間にか、ずっと見ていたはずなのに、視線を逸らしてすらいなかったのに――消え失せていた。
「な……」
隣で。
佑真君が息を呑むのが分かった。
「何だったんだ、今の……?」
「……………………」
ウチは答えられなかった。
佑真君はこの街に来て日が浅い。
対して、すでに幽霊となって日が浅いとは言えないウチには、彼が人間ではない何かだということはすぐに分かったが――佑真君はよほど驚いたのだろう。
彼がさっきまで腰かけていたテーブルセットがあった場所を凝視している。
いや。
それにしても。
「何だったんだろうね、本当に……」
彼が口にしたことが、ウチにもよく分からない。
確か、工学部のどこかの部屋に行け、みたいなことを言っていたけど……。
「ねー、佑真君」
「うん……?」
「行ってみない?」
「え……」
「さっき、あの子が言ってた場所に」
正直、興味本位だった。
それこそ、子供の頃に戻ったような感覚であった。
人間でないあの子が「行け」と言っていた場所に何があるのか気になった。
そこにあるという、ウチらが望む物とは何なのか。
「うん……まあ、いいけど」
「じゃあ決まり! 何があるんだろうね? あの子、占い研究会って言ってたけど」
その時。
ウチは思い出すべきだったのだろう。
人丑九弾という名前を。
そして。
月波学園七不思議の一つ――人丑九段の怪についてを。
* * *
工学部の三号館四階23406室。
ウチらは一旦メインストリートまで戻り、そこから人混みを掻き分けつつ買い食いをし、ゆっくりと工学部を目指した。
どうせ時間はあるし、あの子が言っていた時刻までは余裕はあるだろうと高を括っていたのだが、どうにもお昼ご飯の時間帯になってますます人混みがすごいことになって、工学部の敷地に辿り着いた時にはすでに二時になろうとしていた。
「えっと……ここ?」
「そうみたいだけど……」
工学部三号館は学園祭とは無縁の空間らしい。
一階の事務室に明かりが点いているだけで、他に人の気配はしなかった。
今、ウチらが立っている部屋の前も同じく。
工学部《2》三号館《3》四階《4》六番《6》室からは、物音一つしなかった。
「失礼しまーす……?」
佑真君が恐る恐る扉を開ける。
別に鍵はかかっていなかったようで、すんなりと開いた。
二人揃って中に入ると……そこは、酷いの一言に尽きる惨状だった。
よく分からない書類やら実験器具やらが棚はおろか、机や椅子からはみ出んばかりに積み重ねられ、しまいには床にすら置かれている。何とか最低限の移動は可能、という具合だ。
そして部屋の奥の、やはり書類で周囲を埋め尽くされたソファーに小柄な人影が横になっていた。
背丈からして十歳くらいの男の子だろうか。顔に開いた本が乗っていて表情は見えないが、一定のリズムで上下するお腹から察するに、居眠りしているらしい。
何でこんな所に子供が?
さらに気になることと言えば……何でこの子、白衣なんて着てるんだろう? しかも、大学教授が着るような、上等な物だ。
「えっと……」
部屋には、彼以外誰もいない。
ただ入口に立っているだけなのもアレなので、ウチは床に山積みになった書類を倒さないようにすり抜けながらソファーに近づいた。
「あのー」
「……………………」
声をかけるも、返事はない。ただ寝息が聞こえてくるだけだ。
「あーのー」
今度はもう少し大きな声を上げてみた。しかしこれも全く無意味。
「えっと……」
どうすればいいんだろう……。
そう言えば、あの占いの子、何て言ったっけ?
ここに来れば、ウチらの望む物があるって言ってたけど……他に……ああ、そうだ。
「三つ首犬を手懐ける焼き菓子が欲しいんですけど……」
そう、思い出して口にしてみた。
途端。
「……………………」
「うわっ!?」
ガバッと半身を起こし、キョロキョロと周囲の確認をする白衣の少年。
その目の下には、年齢に似合わない隈がくっきりと彫り込まれていた。
「……………………」
「……えっと……」
一通り部屋を見渡し、ウチと入口に立っている佑真君を見比べた。
「ふむ。どうやら君の方が幽霊のようだな」
「は、はあ……」
子供らしからぬ小生意気な口調だった。だがそれが不思議と、目の下の隈と白衣にあっているようにも見えた。
「いやはや。それにしても、こんなにも遅くになってから到達する者が現れるとは、完全に予想外だよ。この俺にしては珍しいこともあるもんだ。だがまあ約束は約束だ。君に優勝賞品を与えよう。来たまえ」
ソファーから起き上がり、ブツブツと何やら呟きながら部屋のさらに奥の扉へと向かう少年。その途中、いくつもの書類や書籍の山を崩していったが……それよりも今、何て言った?
「優勝賞品?」
佑真君がところどころ顔を覗かせている床を慎重に足場に選びながらこっちに来た。
「って、何の事?」
「んん?」
床を散らかしながら突き進む少年が足を止め、振り返る。
「何だ君たち。優勝賞品が何なのか知らないでこのゲームに参加したのか?」
「「ゲーム?」」
「……んん? このチラシを見たのではないのか?」
白衣のポケットをゴソゴソと漁り、一枚の紙切れを見せた。
それはチラシとは名ばかりの、やけに無機質なA4用紙だった。そこにびっちりと、病的なまでに、文字化けよろしく数字が羅列されていた。
「え……なにこれ気持ち悪い」
「文字化け……数列?」
「んんん?」
ここに来て、少年も違和感を覚えたのか眉根を顰めた。
「君たち、これを知らずにここに来て、あのキーワードを口にしたのか?」
「は、はあ……まあ……」
曖昧に頷くと、彼は少々困ったような表情を浮かべた。だがすぐに「まあいいか」と自己納得したようだった。
「最初にここに来てあのキーワードを口にした者に渡すという予定だったのだ。ここに辿り着くまでの過程はどうでもいいと言えばどうでもいいことか」
「……………………」
どうでもいいんだ。
じゃ、なくて。
「で、結局何なのー? これ……」
ウチは文系だから、こういう数字の羅列は見てるだけで気持ち悪いんだけど……。
「これは……………………ところで君、文系か?」
「うん」
「それなら分かりやすく言うと、暗号だ」
「……………………」
理系、と答えたらどんな説明をされたんだろうか。
「これをあーしてこーして並べ替えてそーして計算するとこーなって、さっき君が口にしたキーワードになるんだよ」
「……………………」
やっぱり分からなかった。
「で、まあ詳細は省くが、この俺が自ら作ったこの暗号を、学園側にも秘密裏に、学園中に百枚だけばら撒いたんだ。これを運良く拾い、この数字の羅列を暗号だと理解し、さらに解くことができた者には優勝賞品を授けようと思ったのだ……が」
ポリポリと頭を掻く少年。
「学園祭初日にばら撒いたというのに、誰も訪ねて来なかった」
「「……………………」」
ウチと佑真君で顔を見合わせる。
いやこれ……暗号が難しいとか、そういう問題じゃなくて……。
「単にこれが暗号だって気付いた人がいなかっただけじゃ……?」
「……………………」
佑真君の一言に、少年は一瞬ポカンと口を開け、すぐに手元の紙をマジマジと見つめた。
そして一言。
「設問も暗号化させてしまったようだな」
「「……………………」」
何だろう。
この子、見た目からして年齢不相応の頭の良さを誇っているっぽいけど、アホの子だ……。
「まあともかく」
「……?」
「欲しいか? 優勝賞品。どうやら君たち以外で訪ねてくる者はいなそうだが」
「えっと……」
欲しいかどうかの前に、それがどんなものか分からないから何とも……。
そう伝えると、少年はそれもそうかと頷いた。
「幽霊向けの景品なんだが……。どうせ誰も貰う者がいなければ処分する予定だったのだ。これも何かの縁だと思って受け取ってみないか?」
「はあ……。まあ、そういうことなら」
曖昧に頷く。
だが正直なところ、『幽霊向け』という言葉に若干の興味はあった。
幽霊となってからこの方、興味を惹きつける物には飢えていた。
その時。
「教授~。露店の焼きそばとたこ焼き買ってきましたよぉ~。一緒に食べ――きゃあああああぁぁぁぁぁっ!? 教授! 何また散らかしてるんですかぁっ!?」
茶色く染めた髪の毛をシニョンに結い上げた、やはり白衣を着ている眼鏡の女性が部屋に入って早々悲鳴を上げた。
「ん? ああ、間取か。何だ君、見ないと思ったら学園祭に行ってたのか」
「行ってたのか、じゃないですよぉ~!? 教授は放っておくと何も食べないから、買って来たんじゃないですかぁ~!!」
「一日の必要カロリーは摂取している。それに動かんから余分な物を食す必要もない」
「もぉ~。またそういうこと言う~……。ほらぁ~、このソースのいい香り! 熱々のたこ焼き! 美味しそうでしょぉ~? ……じゃなくて!! 何で私がちょっと目を離した隙にこんなにゴチャゴチャになってるんですかぁ~っ!?」
「む……」
自分が歩き回ったためにさらに乱雑になった部屋を見渡し、少しの間沈黙したのち「まあいいか」と呟いてズンズンと本の雪崩を巻き起こしながら進む少年。
「まあいいか、じゃないですぅ~!! これ誰が片付けると思ってるんですかぁ~!!」
と、泣きながら足元の崩れた書籍やら書類やら実験器具やらを手に取る女性。しかし、構わず雪崩を巻き起こし続ける少年の背中を見て、ハアと溜息を吐いて手を止めた。
と言うか……。
え、今、このヒト何て言った……?
「「教授?」」
佑真君とウチの声が重なる。
その声に反応したのか、部屋の奥の扉まで突き進んでいた少年が振り返る。
「ああ、そうか。君たちは正確には今回のゲームの参加者じゃなかったんだったな。チラシには書いていたのだがな……まあいい。それならば、自己紹介をしようか」
白衣を翻し、少年は隈が彫り込まれた目を細めて笑った。
「私立月波学園工学部、特殊生命工学研究室教授。兼、私立月波学園初等部四年D組所属の工藤快斗。専攻は錬金術だ。改めて、よろしく」
* * *
それが、昨日の事。
あの後ウチは助手らしい間取さんに全身隈なく(身長、生前の体重、スリーサイズから好物その他諸々)調べられ、研究室を出たのだ。
快斗君は「明日の昼ごろにもう一度来たまえ。その頃には完成している」と言っていたけど……ウチから取ったデータで、何を作るんだろう?
「と言うわけで来てみたけど……」
ウチはまた佑真君と、あの研究室に来ていた。
ノックはしたものの、返事はなかったので入ってみるが……。
「何か、昨日よりさらに悲惨なことになっているような気がするんだけど!?」
昨日は何とか歩くスペースはあったが、今日は全く床が見えない。どころか、辛うじて無事だったガラス製の実験器具が一部砕けたまま放置されていて危険すぎる。
「あ……いらっしゃいませ、お二人ともぉ~……」
と、背後から声がかかる。
振り返ると、快斗君ばりの隈を目の下に彫り込ませた間取さんが立っていた。
「あの……大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ぅ~。教授が片付けたそばから散らかして、それをまた片付けるとまた散らかしてのエンドレスなんて、いつもの事ですからぁ~」
「……何か、すみません。ウチらが押し掛けたばっかりに」
「いえいえお気になさらずぅ~。でも、私たちも十分変な類ですけどぉ~、お二人も少し変わってますよねぇ~」
「え?」
「だって、あんな子供が教授だなんて、普通はもっとびっくりすると思いますけどぉ~?」
「……この街に来てから、外見年齢があてにならないということは十分学んだけどな……」
佑真君がボソッと呟く。
まあ、ウチもこの街に来たばかりの頃だったらすっごい驚いただろうなあ。でも今となっては、「ようやく子供先生が出てきたか」って感じだもん。
「特に妖怪のヒトは、小さくても僕より年上ってしょっちゅうだし……」
「教授は人間だけどねぇ~」
「「……………………」」
固まるウチら。
「……マジ?」
「うん、マジマジぃ~。妖怪は、むしろ私だしぃ~?」
「じゅっ……」
十歳で教授って……何じゃそりゃ!?
「まあでもぉ~、義務教育はまだ終わってないから教授職は兼業みたいな感じなのかなぁ~? 中等部を卒業したら本格的に研究に専念するつもりらしいですけどぉ~」
「他人の個人情報を漏洩させるな、間取」
部屋の奥の扉から快斗君が顔を出した。
どうやらずっとそこにいて話を聞いていたようだ。それならノックに返事すればいいのに。
「あ、教授ぅ~」
「この俺の予想より千八百秒ほど早い到着だな、二人とも。まあいい。君たちに渡すものはすでに完成している。早くこの部屋に来たまえ」
「……来たまえって……」
足元を見る。
ギッチリと敷き詰められた、書籍と書類とときどきビーカー(破砕)。
「別に踏んでも構わ「構います! 私が片付けるんですよぉ~!?」……何なら、ラッセルしながら来い。床に靴底を擦り付ける様にな」
「いやいや……」
割れたガラスが混じってるじゃない。幽霊のウチは飛べるし何ともないけど、佑真君が歩いたら怪我しちゃう……。
「あぁ~、もぉ~……分かりましたよ私が運びますぅ~……」
「え?」
運ぶ?
そう首を傾げた瞬間。
「って、うわっ!? 何コレ!?」
「佑真君!?」
間取さんと佑真君の体が宙に浮いた!? なにこれすごい!
「どうなってるのこれ?」
「えっと……僕の胴体に何か巻き付いてて、それでぶら下げられてる感じ……?」
「正解ですぅ~。私の糸で、私と佑真さんを持ち上げてるんですぅ~」
「へー」
確かに目を凝らせば、すっごく細くて透明な糸が佑真君と間取さんの腰の辺りに巻き付いている。そしてその先を目を凝らして追いかけると、全て間取さんの指から出ているようだった。
「絡新婦」
自慢げに微笑み、間取さんが自慢げに説明しようとする。
「名前通り、蜘蛛の妖か「無駄話してないで早く来い」何してくれてんですか教授っ!? もぉ~……私、これから出番少なそうなのにぃ~……!」
「何の話だ」
「何でもありませんよぉ~だ……」
ブツブツと文句を言いながら、宙を進む二人。その後にウチも付いて行く。
「さあ、よく来た」
扉の前で待っていた快斗君。
「これが、運良くここに辿り着いた君たち……正確には、幽霊の君への賞品だ」
言って、扉を開けてウチらを招き入れる。
扉を潜る。
そこは、薄暗い部屋だった。
さっきまでいた部屋ほどではないが、よく分からない実験器具で埋め尽くされた部屋。
その中央に、巨大な――それこそ、人一人が入れるほど巨大な水槽が置いてあった。
中には青白く光る、透明な不思議な液体。
そして。
「これって……」
長めの黒髪に白い肌。見慣れた顔立ち。
一人の裸体の女性が、水槽の中に漂っていた。
「ウチ……?」
それは正しくウチ――森田加奈子だった。
* * *
「ホムンクルス」
快斗君は水槽から取り出し、手術台のようなベッドに寝かせた、ウチに瓜二つな女性を前に説明をした。
「蒸留器に人間の精液を入れて四十日ほど密閉し腐敗させると、透明で人間のような形をした物質ではないモノに変わる。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し、四十週間保存すると人間の子供ができる。ただし体躯は人間のそれに比するとずっと小さいと言うのが通説だ。また、ホムンクルスは生まれながらにしてあらゆる知識を身に付けていると言われているが……一説によるとホムンクルスはフラスコ内でしか生存できないらしい」
「……でも、普通に人間大でフラスコ……っていうか、水槽から出てるんだけど」
佑真君が、裸のウチの体を見るのが気恥ずかしいのか、視線を逸らしながら尋ねる。
まあ……ウチもちょっと恥ずかしいけど。
「当たり前だ。これは、この俺が史実を元にして改良……いや、改悪して一から作り上げたホムンクルスもどき、だ」
「もどき?」
「そうだ。このホムンクルスもどきには知識もなければ意志もない。生命活動は行っているが死んでいるも同然のただの肉だ。ただし……このように人間と変わらぬ大きさで、しかもフラスコから出しても問題はない。ある程度の下準備をしておけば、姿形造形の確定も一晩で終わる」
さて、と。
快斗君は全く恥ずかしがる様子もなくウチを模したホムンクルスもどきの上半身を抱き起した。医者が女の患者さんの体に、一般女性ほど特別な感情を持たないのと同じだろうか。はたまた、単に子供だからか。
「これが、君への賞品だ」
「え?」
「このホムンクルスもどきをあげよう」
「……………………」
いや。
いやいやいや。
いやいやいやいやいや。
「こんなの貰ってどうしろと!?」
使い道がナッシング!!
「使い道がない? 本当にそう思うか?」
言うと、快斗君は不敵に笑った。
目の下の隈と薄暗い部屋が相まって、気味が悪い。
「これは構成物質と内構造的には全く人間と変わらない。さらに君の魂の周波数を、昨日間取に測らせ、この肉体がそれに適合するよう弄ってある。その上、外見は全く君と同じだ。……この俺が、そう作った」
それを踏まえたうえで、と。
快斗君は笑う。
「君がこの空っぽの肉体に取り憑いたら……どうなる?」
「え……?」
「霊媒師と呼ばれる者たちを知っているか? 彼らは自分の肉体に霊を呼び入れ、その声を代弁する。だが肉体の支配権はその肉体に元から宿っている魂にあるわけだから、霊には想いを語ることしかできない。だが! このホムンクルスもどきは違う!」
快斗君は楽しそうに。
愉しそうに。
語る。
「肉体の支配権を持つ魂がそもそも存在しないのだ! そこに君が肉体の支配者として入り込めば、生前の姿のままこの現世を再び歩くことができるのではないか?」
「……っ!」
隣で、佑真君が息を呑むのが分かった。
ウチも佑真君も、快斗君の言葉を聞き漏らさないよう耳を傾ける。
「考えたことはないか? どうして私は死んでしまったのだろう。もっと楽しいことをしたかった。やり残したことがいっぱいある。それらが未練となって未だに成仏できない。……これは、一時的に肉体を取り戻した幽霊が未練を晴らす手助けをする新しい肉体。義手義足ならぬ義体だ。さて……」
と。
快斗君は眠っているようなホムンクルスもどきを抱きかかえながら、ウチに向き直る。
「森田加奈子。君は、これらを踏まえてもなお、使い道がないと言うか?」
「……………………」
ウチは。
一瞬だけ言葉に詰まる。
本来なら触れられないはずの、佑真君の服の袖をちょっとだけ摘まみ、そして手を握る。
ウチが死んだ――かつての恋人に殺された、あの部屋の呪縛から解き放たれたのは、佑真君のおかげ。
けれど、この未練の呪縛からは一向に解き放たれる気配がない。
佑真君と過ごす時間はとても楽しい。
でも、いつまでもこのままではいけないと言うことも分かっている。
ウチは、輪廻の流れから外れてしまった存在なのだから。
「正直……」
ウチは、言う。
「自分の未練が、この世に留まり続けている理由が何なのかも、分からない。でも――」
でも。
ウチは……。
「もう一度だけ……もう一度だけ、体を取り戻すことができるなら……それが何なのか、分かるかもしれない。きちんと肉体が、感覚がある状態であの部屋に戻れば……何か、分かるかも……」
「……決まりだな」
快斗君が不敵に微笑む。
「さて準備だ。さすがにこの状態の肉体に取り憑くのは抵抗があるだろうから、服を貸し与えよう。間取、着替えさせろ」
「はぁ~い」
と、ずっと部屋の入り口で待機していた間取さんがこちらにやってくる。
「私の研究室泊まり込み用の予備服なんですけど、背格好似てるから大丈夫ですよねぇ~? あ。佑真さん、教授、乙女のお着替えですから後ろを向いていてくださいねぇ~?」
「あ、うん……」
「ふん」
佑真君と快斗君が後ろを向くと、それを見計らって部屋の隅のロッカーから衣類を取り出す間取さん。泊まり込み用、と言っていたので下着類はデザインがほとんど施されていなかったが、その他は結構ウチの趣味にも合うシンプルだけどちょっと可愛いものだった。
「さて、とぉ~」
間取さんが糸を使いながら手際良く裸の不ムンクルスもどきに服を着せていく。
「ん、こんなもんかなぁ~? さて加奈子さん」
「あ、はい」
「取り憑き方は分かるぅ~?」
「えっと……やったことはないけど……」
「まず、体がぴったり重なるように寝てみてぇ~。そしたら目を閉じて、心を落ち着かせてぇ~。この肉体には魂は入ってないから、すぐに馴染むと思うけどぉ~」
「……………………」
言われた通り、ウチは手術台に乗ってホムンクルスもどきに体を合わせる。
「ああ、そうだ言い忘れてた」
と、快斗君が向こうを見ながら声をかけてきた。
「何?」
「そのホムンクルスもどきな、一応まだ実験段階なんだよ。動物実験では成功しているが、如何せんいつどんな支障が出るか分からん。何か異変を感じたらすぐに連絡を入れたまえ。後で連絡先は渡しておく」
「分かったー」
「それともう一つ」
快斗君は続ける。
「新しい肉体に魂が入った場合の一日分のデータが取りたい。明日のこの時間にまた来てくれ。一日の間に成仏できるようなことがあれば、それはそれで万々歳ではあるが……」
「……うん。分かったよ」
ウチはもう一度、向こうを向いて立っている二人を見る。
小さい背丈の快斗君の隣に、ウチの大切な人がいる。
もしかしたら、彼と過ごせる時間はもうわずかしかないかもしれない……。
思いがけずやってきた成仏と言うチャンスに、彼は何を思うのだろう?
考えつつ、ウチは静かに目を閉じた。
そして。
フッと。
懐かしい感覚が全身を走る。
もう何年も体感していない、あの感覚。
「もういいよぉ~」
間取さんの声が聞こえた。
ゆっくりと、ウチは上半身を起こす。
その動きが僅かにぎこちない。
ウチは、その感覚を思い出す。
これは――肉体の、重さだ。