だい さんじゅう わ ~ポルターガイスト~
大学生にとって、自分の通う大学の学園祭というのは部活やサークルに入っていない限り、意外と思い入れがない。
特に学科ごとで集まって出店を開くわけでもないし、食べ物も飲み物も学園祭終了後の打ち上げを目論むサークルばかりで割高だ。野外で行われるライブやステージ発表はCDをレンタルして聞いた方がずっといい。
……そう、思っていました。
「うおおおおおっ……!」
「ね、凄いでしょ!?」
せっかく学園祭で一週間も休みができたのだから、今のうちに課せられたレポートや期末試験に向けて家で勉強していた時だった。
同居人で幼馴染である加奈子さんが朝食もそこそこに僕を月波学園まで連れ出したのだ。
正直、規模が大きいとは言え学生主体で動くイベントにそれほど興味はなかったのだが、この三日間ほど引き篭って机に向かっていたことをすぐに後悔することになった。
まず正門に、どこのテーマパークかと疑いたくなるような人混みができていた。彼女曰く、ほとんどがライブを目当てに座り込みをしていた人と、大学の農学部が売る格安の野菜を目当てにした主婦なのだそうだ。
この人数を見るだけで、このイベントがどれほど規格外なものであるかが分かる。
そして九時のオープン。
百メートルと進まないうちに、僕は先ほどの奇声とも取れる感嘆の声を上げたのだった。
「加奈子さん……なにこれ凄い……」
「ねー? 言ったでしょ、凄いって」
僕の隣をフヨフヨと漂う加奈子さん。
この街に来て再会した時、自分がすでに死んでいて幽霊であることを隠していた加奈子さん。初めの時こそ驚いてどう接したらいいのか戸惑った時もあったが、すぐにそんな物は消えうせた。
死んでいても。
幽霊であっても。
僕の初恋相手でもある彼女は、生前と変わらず僕に笑いかけてくれるのだ。
「それなのに、佑真君ったらウチの話も聞かないでずーっと机でカリカリカリカリ」
「あはは、ごめんなさい」
そっぽ向いて拗ねて見せる加奈子さん。
それに僕は苦笑で応えた。
……本当に、死んでいるとは思えない。生前のまま、彼女は子供のようにコロコロと笑う。
それが、いいことなのかは、僕にはまだ分からないが。
「少し早いけど、買い食いしながら見て回る?」
「うん、そうしよっか」
言いながら、加奈子さんは僕の隣に降り立ち、並んで歩いた。
別に幽霊だからと言って、飲み食いをしないわけではないらしい。しなくてもいいのだそうだが、食べ物を摂取した方が自分の存在をしっかりと保つことができ、魂の消失を防げるのだそうだが。
「あ! 佑真君あれ! 綿飴、懐かしー」
「買う?」
「もちろん! わー、いつぶりだろうなあ」
パタパタと子供のように腕を揺らしながら、綿飴屋に向かって走る加奈子さん。
彼女の場合、魂がどうとかの小難しい話の以前に、嗜好品として食べているだけのような気もする。実際、普段の食生活も「死んでるから太らないし」の一言の元、自分の好きな物を好きなだけ食べている。
まあ、昔からよく食べるほうだったとは思うけど。
「えへへー。はい」
「ん? あ、僕の分も買ってきてくれたの?」
「うん、一緒に食べよ?」
言いながら、薄っすらと水色に着色された綿飴を渡してくる加奈子さん。そして自分も、ピンクの綿飴に美味しそうに齧り付く。
「あーあー、そんな食べ方したら口の周りに付いちゃうよ?」
「ん? あ、ほんとだ」
ペロッと舌を出し、頬に付いた綿飴の破片を取ろうとする加奈子さん。それで取れたら取れたで怖いんだけど……。
「はい」
「ん。ありがと」
手を伸ばし、綿飴を取ってやる。
さてこれをどうしようかと考えた時。
「はむっ」
「……………………」
何を思ったのか、加奈子さんは綿飴を僕の指ごと口に咥えた。
「……………………」
え? 何この状況。
微妙に加奈子さんの歯と舌の感覚が指先に伝わってきて……。
「……………………」
「美味しかった。ご馳走様ー」
「いえ……こっちも、ご馳走様です……」
「? なんで佑真君もご馳走様?」
「まあ、色々と」
「ふーん?」
小首を傾げながら、自分の綿飴を指で千切りながら口に運ぶ加奈子さん。
僕の視線は、自然とその唇に……。
いやいや。
どこの変態だ。
「僕ってこんなキャラだったっけ……?」
「どうしたの?」
「何でもない……」
さっさと自分の分の綿飴を平らげ、串をごみ箱に捨てる。
「……そう言えば加奈子さん」
「んー?」
「前から気になってたんだけど……加奈子さんって、幽霊なんだよね?」
「そうだよ? 享年二十三歳、生きてたら三十路手前」
「いや、年齢のことはいいから」
そう言えば前にもこんな話してたなー。女性だし、気にしてるのかな。
「幽霊なのに、何で物触れるの?」
「あー」
と、加奈子さんは手元の綿飴を見る。
一見すると普通に綿飴の串を持っているように見えるが、その部分が幽霊にも持てるような特殊な物質でできているのだろうか? ちょうど、僕が工学部の人から特別に作ってもらった、霊感を底上げする眼鏡を借りているように。
でも普通の割り箸に見えるんだよなー。
「これね、持ってるわけじゃないんだよ? ほら」
「……うお」
手の平に串が突き刺さった――ように見える。
実際は串が手をすり抜けてるんだけど、でもこれどういうこと?
「あ、これは単純な話なんだけ……ど?」
ふと。
加奈子さんは言葉を切って上を見上げた。
それに倣って僕も空を見ると、赤い風船が上へ上へと飛んで行っていた。そして少し離れた所に、ぐずる男の子をあやす両親らしき二人。
「ああ、風船飛ばしちゃったのか」
可哀想に。
しかしあの高さまで飛んじゃったらもう無理かな。どこかに引っかかって止まるような物もないし。
「とう」
「……………………」
フヨフヨと宙を描ける加奈子さん。そしてあっという間に風船まで辿り着くと、紐を握りしめて降りてきた。
……亡くなった時のままのジーパン姿だからいいものの、これがスカートだったらやってほしくないなあ。
* * *
「ポルターガイスト」
男の子に風船を渡し、加奈子さんがこちらに戻ってきた。
「誰もいないのに物が動いたり、音が鳴ったりする現象の事ね。実際は自然現象の偶然が重なって起きるんだけど、ウチら幽霊が物を動かしたりすることもそういうんだよね」
言いながら、加奈子さんは器用に食べ終わった綿飴の串を使ってペン回しをしてみる。
しかしよくよく見てみると、串は直接手には触れておらず、若干だが宙に浮いている状態だった。
「ね? 実はこうやって幽霊の不思議パワーで物を動かしてるだけなんだよね」
「何ですかその不思議パワーって」
「分かんない。こう、あれじゃない? 妖力とか霊力とか、そんなの」
ほわー、と声を上げながら両手を前に突き出す加奈子さん。
いや、ほわー、って言われても何か出ているようには見えないし。
「加奈子さんって、たまに子供っぽいよね」
「実は狙ってやってます」
「はいっ!?」
「冗談冗談」
衝撃のカミングアウトかと思いきや、すぐにいつもの子供のようなコロコロとした笑みを浮かべる。
「やー、でもね。大学入ってすぐに大人っぽいキャラになろうとしたことはあるのよ」
「はあ……」
「いわゆる大学デビュー?」
「……………………」
正直に言おう。想像できない。
「で、まあ、すぐに挫折しちゃったんだけどね」
「似合わないって?」
「むう、どういうことよ」
「あ、何かすみません……」
「まあいいけど。というか、こっち来て最初は知り合いいなかったんだよ? 似合う似合わないもないじゃん」
「ああ、そっか」
じゃあ何で止めたんだろう?
そう聞くと、加奈子さんは苦笑を浮かべながらこう言った。
「ウチが疲れた」
「……………………」
意味ねー。
「まあでも、いいんじゃない? 今の方が、加奈子さんらしくて」
「そうかな」
「そうだよ」
言いながら、僕らは並んで歩く。
しかし凄い人気味で、はぐれないように進むだけで精一杯だ。
喋りながらも、僕は何度もすれ違う人とぶつかって謝り続けていた。
「加奈子さん!」
「何?」
「ちょっと人混みのないところで休まない? 少し疲れた」
「ん? いいよ?」
そう返事した加奈子さんはケロッとしていて全く疲れているように見えない。この人混みを掻き分けているのに何でだろうと思ったら、単純に体がすり抜けてぶつからないだけだった。
……不謹慎かもしれないけど、便利そうだと思った。
* * *
……さて。
「ここはどこでしょう……」
「どこだろうね……」
人口密度の低い方へとひたすら歩いて二十分。
気付けば、周囲には誰もいなくなっていた。
さっきまでの人混みは、遠くから聞こえる声のみでしか感じることはできない。
「どこだろうねって……加奈子さん、ここの卒業生でしょ?」
「ウチ出身は教育学部だもん! 自分のとこの学部以外土地勘ないわよ。そういう佑真君は現役生じゃない」
「さっきのセリフ、そっくりそのままお返しします」
僕も、所属する農学部以外はどこに何があるかなんててんで分からない。
もっとも、農学部の敷地はそれはそれで広いため、僕もその全貌を把握しているわけではないが。
「でもさすがに、人気がないとは言え寂しすぎない?」
「そうだね。もう少し戻ってみようか」
全く人気がないわけでもなく、それでいて苦しいほどに人混みが酷くない程度の場所を回ろう、という我儘な提案の元、僕らは歩き出す。
「ここら辺は本当に何もないんだね」
古びたコンクリート道路を歩きながら、僕は周囲を見渡す。
人気のない校舎が立ち並ぶその風景は、本当に学園祭が行われている場所と同じ敷地内にあるとは思えない。
「そうだね、出店もないし……」
加奈子さんも辺りを見渡す。
ここに通い始めて約三ヶ月。こんな場所があるとは知らなかった。
その時。
「ひひ……」
背後から、含み笑いが聞こえた。
「六月三十日木曜日、午前十時十六分。恋人の元地縛霊と学園祭に訪れ、人混みに疲れて道を外れるも、今度はどことも知れない場所に出て戸惑う……。ひひ……オレの予想通りだ」
「「……?」」
僕らは揃って振り返る。
するとそこには、一人の少年がいた。
少年、と言っても、スリーサイズは大きいダボダボのパーカーを着て、顔を完全にフードで隠しているため、背格好や声からでしか判断できなかったが。
その不思議な少年は、口元に含み笑いを浮かべたまま小さなテーブルの前に座っていた。右手で頬杖をつき、左手でテーブルの上の水晶玉をなでている。
テーブルには「占い研究会」の文字がある。
えっと……。
「その……君は誰だい?」
明らかに、彼は僕らに話しかけてきた。
声をかけると、少年は口元を歪ませて笑った。
「オレか? ひひ……オレは九弾。人丑九弾だ。見ての通り、占い研究会の者だぜ?」