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だい にじゅうきゅう わ ~白澤~



「いらっしゃいませ~! 1Fコスプレ喫茶へようこそ~」

 普段は考えられない甘ったるい声が教室入口から聞こえてくる。これが僕もいつもの状態ならば、茶々を入れるなりツッコミするなりしたのだろうが、残念ながらそれどころではない。

「ユッくん……! オム4、ミート3追加お願い……!」

「了解……!」

 黒いとんがり帽子に黒いローブを身に着けた、魔女のコスプレをした朝倉あさくらの切羽詰まった声が厨房として使っている教室に響く。

 オムライスが四つ、ミートソーススパゲティが三つ追加か……!

「朝倉! 悪いけど、飲み物系は自分で持って行ってくれ! さっきのアイスコーヒーと紅茶、そこのポットから出して!」

「わ、分かった……!」

 新たな注文を持ってきた朝倉が、さっき入った注文分の飲み物をカップに注いでいく。その手つきが覚束ないのは、彼女が天性のドジっ子属性であることに加え、酷く緊張しているからというのもあるのだろう。

 今日だけで、朝倉はカップを五個、皿を三枚割っている。

 まあ今日は少ない方だが。学園祭初日なんか、破損食器の数が一時間で二桁を突破したくらいだし。

 現在、午前十一時半。

 昼食時で、僕ら食品系を扱う模擬店組はてんてこ舞いだ。

 しかし、ただ忙しいだけじゃない。

「ああ、もう! 何だって誰も帰ってこないんだ!?」

 厨房には、なぜか僕しかいなかった。

「ユーちゃん! さらにオム2追加!」

「無理!」

「無理じゃない! お客を待たせない!」

「無理なものは無理だって! 人手が足りないんだよ絶対的に! 他の連中は何やってるんだ!?」

 本来なら、ここのシフトは僕の他にも調理係が四人いるはずだった。交代時間は十時半。だと言うのに、時間になっても僕以外誰も姿を現さないのだ。

「さっきから電話してる! でも誰も電話に出ないのよ!」

 くノ一姿のあずさが、服装に似合わないケータイを取り出して耳に当てる。

 彼女の言うとおり、さっきから隙を見ては何度も電話をかけてくれている。しかし、連中は揃いも揃ってどこかのイベントを見に行っているらしく、時間にもケータイの着信音にも気付いていないようだった。

「梓! 厨房手伝ってくれ!」

「オムライスが消し炭になるけどいい!?」

「ごめん、大人しくウェイトレスやっててくれ!」

「了解!」

 梓は料理スキル皆無だし、朝倉はテンパってて戦力としては期待できそうにない。

 そして接客のシフトに入ってるもう一人は――


「すみません、こっち目線下さーい」

「え、あ、うん……!」

「笑顔くださーい」

「こ、こう?」

「背中越しに視線お願いしまーす!」

「え、えっと……」


「……………………」

 戸惑いがちに、ゴツいカメラを構えた面々のリクエストに応えていた。

 ……さて。

「梓、ちょっとあいつら狩ってくる」

「お待ちなさい。あの人たちはお客だって」

「調子に乗りやがって……! ビャクちゃんに変な注文しやがったら蜂の巣だぞ……!」

「あんた、キャラ崩壊っていうか、もはや病気よね……」

 失礼な。

「客に手を出す暇があったらフライパンの手を休めない! まだまだ客足は止まらないんだから!」

「いや待てよ。あの連中を撃ち払ったら客足も治まるんじゃないか?」

「バカ言ってんじゃない!」

「それかビャクちゃんを厨房担当にしよう。そうすれば客足も少しはマシになるはず!」

「……いや、でもビャクちゃん、あたしほどじゃなくても料理できないじゃん……」

 そうかな?

 前に姉さんから卵焼きを教わった時は、少ししょっぱくてゴリゴリしてただけで普通に食べられたし、学園祭の試作段階の時も甘ったるいミートソースができちゃったくらいだし。

「いや、それを平然と食べられるのはユーちゃんだけだって」

「愛が最高の調味料ってこと……?」

 と。

 再び注文を取ってきたらしい朝倉が戻ってきた。

 ……手には、邪悪なオーラを放つ注文伝票が……。

真奈まなちゃん」

「ユッくん、クレープ四つ追加だけど……できる?」

「無理。不可能」

「……だよね」

 僕の完全拒絶に溜息を吐く朝倉。

「一応、時間がかかるって言っておいてるけど……」

「それにしても、限界はあるわね」

 ケータイを弄りつつ、梓も渋い顔をした。

「ダメ。電話にもメールにも反応しないわ、あいつら」

「出ないの……?」

「もう全く。無反応よ」

「そっか……」

 悩ましげに、眉間に似合わないしわを寄せつつ朝倉は嘆息する。人手が足りていないのは厨房だけでなく、接客組もそうなのだ。不本意ながら、ビャクちゃんの撮影会で客のおかげで間は持っているが、さすがにそれにも限界というものがある。

 と言うか、撮影会を中止させるためにも他の連中には早く来てもらわなければならない。

 むしろこっちから探しに行こうか。

 しかし僕はここを離れるわけにもいかないし……!

「はあ……仕方ないね」

「ん?」

 言って、朝倉は目を閉じて何やら呟きだした。

 おお、衣装と相まって、何かそれっぽい。

 そして。

「来て……フィーちゃん」

 パアッと、朝倉の手の平が光った。

 そしてその光は、次第に小さな人型へと変化していった。

『マスター! 何かなマスター!』

 肩まで揃えた金髪に尖った耳。翡翠色の瞳に萌木色のワンピース、トンボのような透き通った羽。そして、子供のように甲高い声。

「へえ……」

 梓が感心したように声を出した。

 これが、噂に聞いた朝倉の契約精霊のフィーか。精霊なんて、実際にこの目で見るのは初めてかもしれない。

「そっか分かった! 真奈ちゃんの精霊ちゃんに伝言を頼むのね!」

「あー、なるほど。それなら、ここの人手は減らないからな」

「うん、そうなんだけど……」

「でもさ」

 と、梓。

「それならそうと、最初からこの子に呼びに行ってもらったらよかったんじゃない?」

「そうなんだけどね……この子――」

『ふぉっ!? マスター! 何これマスター!!』

 不意に甲高い歓喜の声を上げたかと思えば、フィーは作りかけのメニューの上を飛び回り始めた。彼女の周りを、光の粉が尻尾のように付いて回る。

『これ! これ、フィーが食べていいの!?』

「ダメだよ……!?」

『えーっ!』

「これは、ダメ……。ユッくんがお客さんのために一生懸命作ったものだから、食べちゃダメ……!」

『うー……分かった、マスター』

 珍しく強い口調になった朝倉に、すごすごと引き下がるフィー。

 ……なるほど。

「こりゃ確かに、まっすぐ伝言に行けるとは思えないわね」

「ご、ゴメンね……」

「朝倉が謝ることじゃないだろうに。でもさ、一応は上級精霊なんだろ? この子。人並み以上の知能はあってもいいと思うんだけど」

「えっと……知能と人格は別と言うか……」

 そう申し訳なさそうに苦笑する朝倉。

 まあ、その理屈は分からないでもない。

 現に僕には、ビャクちゃんという身近な例がある。

 あの下衆でお喋りな悪魔から過去千年分の記憶と魂を取り戻したビャクちゃん。しかし、その身に千年間の記憶が戻ったにもかかわらず、彼女はそれまでの性格に一切の変化が見られなかった。

 さながら、千年の重みなどないかのように、彼女は彼女のままだった。

 ホムラ様のような深みはないし、ミオ様のような達観もない。ましてや、もみじさんのような慈しみもない。

 千年の時間を取り戻しても、ビャクちゃんは無垢な少女のままなのだ。

「フィーちゃん、いい……?」

 朝倉が人差し指を立てて、むくれるフィーに指示を出す。

「この人たち……この四人の所まで行って、時間だよって、教えてあげて……?」

 空中に魔法で絵を描く朝倉。

 そんなこともできるのか……しかも妙に上手いし。

 しかし、当の契約精霊は相変わらず不機嫌そうだ。

『むー……』

「……フィーちゃん?」

『甘い物……』

「え……?」

『マスター、甘い物……』

「……………………」

 困った表情の朝倉。

 何だろう、手のかかる我が子に対する母親みたいな顔になってるぞ。

「じゃあ、こうしよう……?」

『何かなマスター!』

 急に元気いっぱいになるフィー。

「寄り道しないで四人のところまでお使いができたら、次の休憩時間に甘い物を買ってあげる。……できる?」

『行ってきます!』

 光の粉をその場に残して消え失せる小さな少女。

 甘い物の力って絶大だね。

「これで、もうしばらくしたら帰ってくるはず……」

「サンキュー、朝倉」

 この地獄の厨房も、もう少しで終わりか……!

「ほら、そうと分かればチャッチャと働くわよ! ユーちゃん、まだまだ客足は途絶えない!」

「了解……!」

 梓に激励され、僕は改めてフライパンに向き直った。



       *  *  *



「……………………」

「「「「……………………」」」」

「言い訳を聞かせてもらえるかしら?」

 僕は腱鞘炎一歩手前の両腕をビャクちゃんに濡れタオルで冷やしてもらいながら、その恐ろしい光景を視界の脇に捉えていた。

 ビャクちゃんは僕制作の和ゴスメイド服を着ている。この娘は普通のゴスロリも似合うし、本人も気に入っているようだけど、やっぱり僕は和の要素を取り入れた物の方が似合うんだ――なんて現実逃避しても、目の前の凄惨な光景は変わらない。

 結局、フィーが四人を連れて帰ってきたのは、あれから一時間が経った頃だった。

 一時間。

 つまりは、とっくに僕ら五人のシフトが終わった頃だ。

「ねえ知ってる? あたしが何度も電話をかけたの」

「「「「……………………」」」」

「真奈ちゃんが精霊を喚んで、あんたらに伝言を頼んだのを」

「「「「……………………」」」」

「ユーちゃんが二時間も一人でフライパンを振るい続けてたのを」

 次のシフトの面々が調理台の前に立つ中、四人は教室の隅で正座させられ、仁王立ちで見下ろす梓を震えながら窺っている。

「今まで何をしていたか、順番に答えなさい」

「「「「……………………」」」」

「答える!」

『ひっ!』

 なぜか四人よりも先に悲鳴を上げるフィー。彼女は朝倉の肩で、綺麗な黒髪の中に隠れるように顔だけを出している。

 四人の供述によると、やはりドームで行われていたイベントを見に行っていたのだそうだ。それがかなりの盛り上がりで、梓の電話も、フィーの呼びかけも全て打ち消してしまって気付かなかったのだそうだ。

 いや、きちんと時計を確認していたらこのようなことにはならなかったのだ。

 梓は身内には基本的に甘いが、やるべきことをやらない、単なる怠慢を働いた者には――容赦がない。それは僕が一番知っていることではあるが……。

「こうして見ると、やっぱり兄妹だよなあ……」

 この辺の性格は、間違いなく兄譲りだろうな。

 梓がどんなにあの人を嫌っていても、あの人に可愛がられた十年間が消えるわけがなく。

 どんなに嫌がっても、あの人は梓に、僕にだって影響を与えているのだから。

 なんて、本人の目の前で言ったら殺されるけど。

「さて……この償いはキッチリ払ってもらうわよ? クスクスっ……!」

 事情聴取を大方終え、梓が邪悪な笑みを浮かべている。別に僕が怒られているわけでもないのに、こっちまで血の気が引いてくる……。

「ユーちゃん」

「……んっ!? 何だ?」

「何か声が上ずってるわよ?」

「気のせい気のせい」

 一瞬心を読まれたかと思った……なんつータイミングで声をかけてくるんだ。

「ユーちゃんのこれからシフトって、どんな感じだっけ?」

「僕のシフト? えっと……今日は二時半から最後まで」

「明日は?」

「今日と同じ。十時半から十二時半、二時半から最後まで」

「明後日も?」

「明後日は二時半から最後まで」

「うん、ちょうどいいわね」

 不敵に笑い、梓は四人に振り返る。

「というわけで! あんたたち四人、明後日までのユーちゃんのシフトの代わりに入りなさい。異論は認めない。恨むなら自分たちの注意不足を恨みなさい」

「「「「……………………」」」」

 ぐうの音も出ずに黙りこくる四人。

 えっと、つまり僕はこれから三日間ほど何もしなくていいってことか……?

「それはそれで暇なんだけど……」

 僕とビャクちゃんは朝倉の計らいで同じタイミングで休憩時間になるようになっていたのだ。だから自然と、シフトが入っていない時は二人で学祭デー……元言い、二人で行動することになっていたのだが……。

 ぶっちゃけ、一人で学園祭を見に行ってもつまらないし。かと言って、ビャクちゃんが働いている時に他の誰かと見て回る気にもなれないし……。

「あ、ねえユタカ」

「ん?」

 新しい濡れタオルを持って来て手首に当ててくれるビャクちゃん。

 冷たくて気持ちいい……。

「ユタカの休憩時間が四回分増えたんだよね? だったら、そのうちの半分を私にくれない?」

「え?」

「つまり、ユタカと私で二回休むの。そうすれば、ユタカが暇しなくて済むし」

「うーん……」

 なるほどね。

 なかなかいい案だ。僕としても四回分の休憩シフトは少し多い。それならば、半分の二回の休憩をビャクちゃんに譲って、残りの二回をビャクちゃんと一緒に学園祭見学とすればいい。

いい案ではある。少なくとも、僕らにとっては。

「でもなー……。ビャクちゃんはうちの店の看板キャラだからなー」

 と、話を聞いていた梓が渋い顔をする。

「それに正直、ビャクちゃんの休憩シフトを増やす義理はないのよねー」

「うっ……」

 確かに。

 そう言われたら全く言い返せないよな。

「あ、それなら、こうしない……?」

 と、朝倉が何やら思いついたらしく笑って向き直った。

「わたしが、ビャクちゃんが抜けた部分に入るの……。それなら接客組の負担は増えないでしょ……?」

「いやいや真奈ちゃん。真奈ちゃんの負担が増えてるでしょうが」

「……わたしは、別にいいよ。それに……」

 罪滅ぼしもしたいし、と。

 朝倉は苦笑した。

「もちろん、こんなことで借りを返せると思ってないけど……」

「……………………」

「ダメ……?」

 ほんの数秒、梓は考える素振りを見せた。しかしすぐにヤレヤレと溜息を吐きながら顔を上げた。

「シフトの変更、面倒なのよねー」

「え? じゃあ……」

「ただし条件。ビャクちゃんはその恰好のまま出歩くこと! たっぷり色気振りまいて宣伝してきなさい」

「えっと……色気云々はよく分からないけど……ありがとう、アズサ! マナ!」

「はいはい。そうと決まったら、さっさと宣伝してきなさい。あ、過度なイチャイチャは禁止ね。旦那持ちだってばれると来ない人もいるから。さーさー行った行った」

「ちょ、おま……! 押すなって!」

 決まってからの梓の行動は早かった。

 まるで僕らを排除するかのように、厨房から文字通り押し出した。



       *  *  *



 僕は『1Fコスプレ喫茶』と書かれた看板を首にぶら下げ、ビャクちゃんと人とヒトでごった返しているドームに来ていた。

 その気になれば全児童生徒を収容できるこの巨大なドーム。学園祭で一般の来客も多数訪れているとは言え、この混みようは流石と言わざるを得ない。

 理由は簡単。

 学園祭におけるドームでのステージ発表は、選ばれた団体だけが舞台に立つことが許される特別な物なのだ。事前にコンテスト形式で参加希望団体に振るいをかけ、審査員のお眼鏡にかなった物だけが発表される。

 それはすなわち、ここで行われる発表の全てがハイクオリティーであるということだ。

 そしてその出場権を、行燈館で一緒に暮らしている留学生のハルさんと、彼女の友人のきょうさんが率いるバンドグループが手に入れたというのだ。

 その選定に携わった梓曰く、何でも生徒会会計のナンシーさんの強い要望があったのだそうだ。

「でも出遅れちゃったな……もうだいぶ進んじゃってる」

 すでにドーム内はとんでもない盛り上がりを見せていた。自分の独り言でさえ、周囲の歓声に打ち消されてしまいそうだった。

 ドームの中央――前夜祭で梓やもみじさん、みことさんが挨拶やエールをやった場所には今、顔馴染の四人が立っている。

 勇ましくバチを振るっているバンドの明良あきらさん。

 グループの支えるような旋律のベースの宇井ういさん。

 美しい音色で調和を作り出しているキーボードのハルさん。

 そして、中央で激しい速弾きと圧倒的歌唱力で観客を盛り上げている経さん。

「すごい……」

 隣からビャクちゃんの呆けるような声が聞こえた。

 確かに、凄い。

 経さんって普段はチャランポランな性格だけど、自分の好きなことに本気で取り組むと……本当に凄い。凄すぎて、凄いとしか言いようがないのだ。

 そして。

 ジャーンというギターとドラムの音と共に、曲が終わった。

 途端に、ドーム内に木霊して爆音と化した拍手が鳴り響いた。

「あれっ!? ひょっとして終わっちゃったっ!?」

 ビャクちゃんが焦りの表情を浮かべる。

 確かに時間的に、そろそろ終わってもおかしくない。シフト交代に手間取ったから出遅れたけど、まさかラスト一曲だった……?

 その時。

「違うわよぉ」

 と。

 この拍手の爆音の中、不思議とよく聞き取れる、おっとりと間延びした声が耳に入ってきた。

 声のする方を向くと、僕たちが立っている通路のすぐ隣の席に、白衣を着た女性が座っていた。

白沢しらさわ先生?」

「はぁい、久しぶりねぇ。ユタっち、元気してたぁ?」

「……………………」

 見れば、白沢先生の座っている席の両脇が空いている。さながら、僕ら二人が来ることを知っていて取っていたかのように。

 ……いや。

 このヒトは知っていたのだろう。

 白沢先生は、何でも知っているのだから。

「二人が来ると思ってぇ、席を二つ空けておいたのぉ。どぉぞ」

「あ、ども……」

「……………………」

 白沢先生が一つ席を移り、二つ分の座席を作る。僕らのために取っていてくれたというのなら、遠慮する必要はないだろう。

 どうせ他の席はほとんど埋まっている。空いている席も一つずつバラバラで、二つ並んでいるところなんて皆無だから、どのみちここに座るしかない。

「それじゃ、お言葉に甘えて……?」

「……………………」

 急に袖を引っ張られた。

それで少しバランスを崩して一歩下がった瞬間、僕が座ろうとしていた席にビャクちゃんが腰かけていた。

「……?」

 えっと……。

 とりあえず、ビャクちゃんの隣に座る。

 気になって隣のビャクちゃんの顔色を窺ってみる、が。

「……………………」

 ムスッと不貞腐れた表情でステージを見ている。しかし時折、不満そうにチラチラと白沢先生の方を見て……ああ、そっか。

 二人きりを邪魔されてご立腹ですか。

「……………………」

 僕は苦笑を漏らしながら、そっとビャクちゃんの手を握ってやる。

 すると一瞬だけビクッと手どころか全身を震わせたが、すぐに満足そうに握り返してきた。見れば、さっきまでの不貞腐れ顔はどこへやら。ニコニコと笑っているし、周囲に迷惑にならない程度に尻尾まで振っている。

 やれやれ、僕も相当なヤキモチ焼きである自覚が生まれつつあったが、彼女も相当なものだな。

 でも梓や朝倉、それにハルさんと話している時は何ともないんだけどなあ……。

 何を基準に妬いてるんだろうね、この娘。

「最後の曲、始まるわよぉ」

 と、ビャクちゃんの笑顔を眺めていると反対側から白沢先生が声をかけてきた。

 ステージに向き直れば、曲の合間のトークが終わり、すでに演奏準備が完了していた。

「……ん?」

 ハルさんが中央?

 明良さんの位置は中央奥と変わらないが、ハルさんの両脇に経さんと宇井さんの弦楽器が立つ形だ。

 鍵盤が中央って、あんまり見ないけど……。


『それでは、最後の曲です。最後の一曲は、作詞作曲の全てを私たちがやりました』


 スピーカーからハルさんの綺麗な声が聞こえてくる。

 ……ああ。そういうこと。

「最後はハルちゃんのボーカルで閉めるみたいねぇ」

 白沢先生が楽しそうに笑っている。

 確かに、経さんのダイナミックな歌もいいけど、ハルさんの綺麗な歌唱力も捨てがたい。それに加え、いずみちゃんの話だと、最後のオリジナル曲は、ハルさんが作詞を担当したという。

「楽しみだね」

「うん!」

 ビャクちゃんが朗らかに笑う。

 そして遠いステージの上で、ハルさんが静かに、キーボードの鍵盤に指を添えた。

 ポーン、とピアノを模した電子音が響く。

 単調な音。

 それが段々、ゆっくりとしたメロディーへと変わっていく。

 そこにフッと、自然な感じで宇井さんのベースが加わりリズムを刻んでいく。

「綺麗ねぇ。さすがハルちゃん」

 呟くように、白沢先生が称賛する。

 確かに綺麗だ。無機質な電子音に過ぎないキーボードから、これほど感情が籠った音が出るとは思わなかった。

 そして、その時が来た。

 ハルさんが身を乗り出すように、キーボードに取り付けられたマイクに口を近づける。

 合わせるように、ギターとドラムも静かに鳴りだす。

 ハルさんはそっとその碧眼を閉じ、口を開いた。


『――――、――――――』


 それは、とても綺麗な声だった。

 美しいメロディーだった。

 心に染み入る旋律だった。

 そして――聞いたこともない言語だった。


『――、――――――――』


 洋楽は聞かないけど、明らかに英語ではないことは分かる。

 他の外国語なんて全然知らないけど、それは僕が知る国の言葉ではないような気がした。

 それなのに。

 不思議と、その旋律に、歌声に、僕はなぜか、梓を思い出した。

 脳裏に、あの勝気で生意気な亜麻色の悪友の顔が浮かんだ。


『――――――――、――』


 いや。

 梓だけじゃない。

 脳裏を過る顔は次に宇井さんになり、鍋島なべしま先生になり、イヴさんになり――そして最後に、ビャクちゃんの笑顔になった。


『――――――、――――』


 ふと、隣に座っているビャクちゃんの方を見る。

 するとビャクちゃんも同じタイミングでこちらを向き、完全に視線が一致した。

「「……………………」」

 二人とも無言で、重ね合わせたままだった手を、キュッと握り合った。

「「……………………」」

 ……いつもの、僕かビャクちゃんの部屋でのノリだとこのままキスとかしてしまうところだったけど、生憎とここは公衆の面前。というか、ビャクちゃんの奥の席で白沢先生が嫌らしい笑みを浮かべていたので、普通に思い止まることができた。

 まあともかく。

 僕たちは、ハルさんと経さんたちの綺麗なバンドを聞き入っていた。



       *  *  *



「いい歌と曲だったわよぉ」

 ライブ終了後。

 僕たちは白沢先生に連れられてハルさんたちの楽屋まで来ていた。

 何で部外者である僕らがこんな所にいるのかというと、白沢先生が事前に用意していたスイーツ研の露店で買ったお菓子を差し入れするためだ。それにハルさんと宇井さんを除いても、僕らは知らない仲ではないし、挨拶くらい、というのもあった。

「うっす。サンキュー、白沢」

「いえいえ。でも先生付けなさいねぇ」

 タオルで汗を拭きながら箱入りのお菓子を受け取る経さん。その中身を見ようとハルさんと宇井さんが寄ってきた。

「お、タルトじゃん!」

「おお……綺麗だな」

「ねー。あそこ、たまにスイーツのコンクールにも出てるからレベル高いのよね」

 箱の中からタルトを一切れ摘まみ、美味しそうに頬張る宇井さん。それにつられ、ハルさんも一口齧った。

「本格的だな」

「うーん、やっぱり美味しー! でも紅茶が欲しくなるわね……。確かティーパックがあったような……明良、お湯沸してー」

「……………………」

「お湯沸して?」

「……………………」

 部屋の隅でムッツリとスポーツドリンクを飲んでいた明良さんが渋々と言った風に立ち上がり、楽屋に置いてあったポットに流し台から水を汲んでスイッチを入れた。

 何か最近、明良さんから僕と同じ匂いがしてきてるんだけど……。

 ……………………。

 気のせいか。

「ハル、すっごい良かったよ!」

「ああ、ありがとう」

 ビャクちゃんに褒められ、タルトを口にしながらはにかむハルさん。

「前々から綺麗な声だなって思ってましたけど、本当に凄かったですよ」

「こらユー介。褒めても何も出ないぞ」

「いえいえ。心からの称賛ですよ」

「まあでも、目下の問題としては……」

 タルトを摘まみ、味わっているとは思えない早さで飲みこんだ経さん。その視線の先には、見つめられて不思議そうな顔をしているハルさんが。

「今回のライブで、歌系の部活やサークルが黙っちゃいないってことだろうな」

「どういうことだ?」

「……決まってるだろう」

 と、沸いたお湯の入ったポットを持って明良さんがこっちに来た。

「……学園祭が終わったらスカウトが殺到するだろうな」

「なぜだ?」

「なぜって、ハル……」

 呆れ顔の宇井さん。

「あんなすっごいの聞かされて、ほっとくわけないじゃん」

「だな。ただでさえ、春先のサークル勧誘で失敗してるから、連中燃えてるぜ、きっと」

「そ、そんなこと言われても……」

 珍しくオロオロするハルさん。

 まあ、何だかんだ言って今までずっとサークル勧誘を断り続けてきてたしなー。正直、僕としては経さんたちのライブに参加するってだけでも意外だったのにね。それがこれからより一層勧誘が激しくなるとなれば、ねえ?

「あ、だったらぁ」

 と、部屋の隅で明良さんが沸かしたお湯で勝手に紅茶を飲んでいた白沢先生が声をかけてきた。

「ハルちゃん、このまま軽音部に入部しちゃえばぁ?」

「え?」

「もう入部してまぁす、って言えば引き下がる人も多いと思うしぃ? 何よりぃ、経ちゃんたちとの演奏、楽しかったでしょぉ?」

「それは、まあ……。でも保健委員会は」

「別にハルちゃんが軽音部で羽を伸ばす余裕くらいはあるわよぉ? せっかく憧れの日本での学生生活なんだからぁ、楽しまないと損よぉ?」

「はあ……」

「それにぃ……うふふぅ……」

 と、白沢先生がイヤ~な笑みを浮かべた。

 そのやけに色気のある笑い方に、ビャクちゃんがムッと不機嫌になる。

 はいはい、僕はこの程度じゃ靡きませんよ。

 白沢先生が可笑しそうにハルさんを後ろからハグしながら、耳元で囁いた。

「だってぇ、あぁんな情熱的な歌詞の曲を公衆の面前で歌うんだもぉん。軽音部に入れるなんて本望じゃなぁい?」

「……っ!?」

 一瞬。

 本当に一瞬の間にハルさんの顔が蒼白を経由してから紅潮した。

 えっと……どういうこと?

 宇井さんも驚いたような表情を浮かべ、白沢先生に詰め寄る。

「え? 白沢先生、あの歌詞の意味が分かるんですか?」

「もちろぉん。あれって人魚の古い言葉でしょぉ? まさかここで聞けるとは思わなかったけどねぇ」

「そうでなく……!」

 真っ赤な顔のハルさん。

「何で白沢先生が古代人魚語を知ってるんですか!? 万が一を考えて、古語まで使ったのに!」

「えぇ~。だってぇ、ねぇ?」

 うふふと笑いながら、白沢先生は楽しそうに目を細めた。

「私は何でも知ってるのよぉ?」



       *  *  *



「白澤」

 経さんがタルトを齧りながら、何やら揉めている保健委員組を眺めていった。

「牛のような体に人面、顎髭を蓄え、顔に三つ、胴体に六つの目、額に二本、胴体に四本の角を持つ姿で描かれることが多いな。だがその奇異な姿形に反して、聡明で森羅万象に通じ、古来から病魔よけとして信じられてきた、らしい」

 まあ俺も本人から聞いた話だが、と肩を竦めて締めた。

 その話は僕も知ってはいたけど、実際こうしてハルさんしか知らない情報をスラスラと口にしたところを見ると、やっぱりこのヒトは凄い妖怪なんだなって実感できる。

 何でも知っている。

 それが白澤の特性、あるいは何でも知っていなければならないという、ある種の縛りなのだ。

 何でも知っているから、人を癒す方も知っている。

 何でも知っているから、邪を祓う方も知っている。

 ゆえに、白澤は中国では神獣とも扱われているのだ。

 しかし……。

「うふふぅ、照れちゃって可愛い♪ でも歌詞の内容はすっごい大人っぽくてぇ」

「そ、それ以上言わないでください!!」

「……………………」

 あれで中国じゃ神獣なんて呼ばれてる妖怪なんだよね? 全然そんなふうには見えないけど……。女子高生いじめて遊んでるし。

「でもさー、ハル」

 と、今までずっと白沢先生を警戒して僕にくっついていたビャクちゃんがハルさんに声をかけた。

「そんなに恥ずかしがるなんて、どんな歌詞書いたの?」

「……………………」

 ピタリと動きを止めるハルさん。

 そしてビャクちゃんのセリフと、ハルさんの動き見逃さなかった者が約二名。

「あ、それはわたしも気になってた」

「俺も俺もー」

「……同じく」

「……っ!?」

 ワラワラとハルさんの周囲に集まってくる面々。

 そしてグルリと一周、皆の顔を見た後最後に経さん……の後ろの扉を一瞥し――

「くっ……!」

いきなり猛ダッシュで逃げ出した。

 綺麗が金髪が風に煽られ、視界の端へと消えていく。

 一瞬の静寂の後。

「ハルが逃げた!」

「逃がすな! 追え! このままじゃ歌詞の内容が気になって眠れん!」

「勘弁してくれっ!!」

 扉から飛び出していったハルさんを、経さんと宇井さんがノリノリで追いかけて行った。そしてその後を、「……ライブ終わったばかりでよく走る体力がある」と嫌そうな顔をしながらも、やはり明良さんも追いかけて行った。

「「「……………………」」」

 楽屋に残された、この場には全く無関係な三人組。

 僕は何となく四人が駆け抜けていった扉を見つめた後、その視線を一度ビャクちゃんに向けてから白沢先生に向き直った。

「……で、ハルさんが書いた歌詞って、どんなんだったんですか?」

「えぇ? それを聞いちゃうのぉ?」

「まあ、気にはなりますし」

「うふふぅ」

 笑いながら、白沢先生は意味深に、あるいは意味もなく僕とビャクちゃんの間で視線を動かした。


「乙女には秘密の一つや二つ、あるものなのよぉ?」




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