だい にじゅうはち わ ~二口女~
早朝六時。
俺たちはいつものメンバーで学園正門前に集まっていた。
と言ってもついに始まった、この地方都市では稀に見る規模の学園祭の準備をするためではない。露店の準備なら店に行くし、舞台発表の練習なら部室に集合する。
では何しに正門くんだりまで赴いたかと言うと、単に友人の見送りに来ただけである。
「相良、調子はどうよ?」
「うん、大丈夫だよ。少し緊張して寝不足だけど……行きのバスで寝るから問題ないと思う」
「……本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよ。明良、変な所で心配性なんだから」
「……………………」
「おー。明良が照れた。そっぽ向いたー」
「……黙れ隈武」
「あたっ!? もー、何するのよ」
駒野をからかいだす隈武の。しかしすぐに駒野のデコピンによって黙らされた。
何だかんだで、こいつら仲良いんだよなー。隈武のはちょっかい出しているだけにも見えるし、駒野は何考えてるか分からんが……。
「経、バンドの方も大丈夫?」
「お? おう! もちろん! お前の穴はしっかり埋めれたからな、心配ご無用」
「頼もしい」
「来年は……五人で組もうぜ」
「うん、楽しみにしてる」
穏やかに微笑む香川。
駒野のパワフルなドラムもいいけど、香川の調律の優れたドラムも捨てがたい。
来年の学園祭には新メンバーも含めた五人全員でライブをやりたいものだ、何て、まだ今年の学祭が始まったばかりなのに、言うことじゃないか。
で。
「……………………」
その新メンバーはと言えば。
「香川、必要なものは全て持ったか?」
「うん、ちゃんと持った」
「ハンカチ、ティッシュ、朝食は? 特に朝食はきちんと食べないと試合で万全な状態で闘えないぞ」
「あはは、大丈夫だよ。ハルさん、何だかお母さんみたいだ」
「……む? そうか?」
巨大な図体を揺らしながら笑う香川。対してハルは少し照れ臭そうに頬を掻いた。
……うん、いつも通りのハルだ。
だがいつからかは分からないが……その、な。
「なあ、ハル」
「何だ、経?」
「……………………」
こう……やけに親しげになったというか……いや、前から仲は悪くなかったと思うが……。
何だろうこの違和感。
俺、いつの間にフラグ回収した?
「どうした?」
「あ、いや……。なんつーか、香川を心配しても無駄だとは思うぜ?」
「何故だ?」
「ほら、いくら全国大会って言っても、香川のガタイは抜きんでてる。よほどのことがない限り、体格差で負けたりしないさ」
「まあ……だがそうは言っても、油断は大敵だろう」
「そりゃそうだけど」
「大丈夫」
香川は笑った。
「せっかく、皆とやるはずだったライブを犠牲にしたんだ。絶対に勝つよ」
それは、奴にしては珍しい強気な笑みだった。
ガキの頃から図体がデカいばかりで、中身はやけに穏やかな奴だったが……何だ、ちゃんと成長してんじゃねえの。
「なら、大丈夫だな」
「任せて」
「おう」
ゴツッと。
俺たちは拳を合わせた。
* * *
午前九時三十分。
ドンドンと音を立て、狼煙の白煙が青空に昇った。
第四十八回月波学園の学園祭がようやく始まった。と言っても、実際には昨日の夕方に行われた前夜祭が初日なわけだが。しかし来客からすれば、一般公開されている今日こそが一日目だといっても差し支えないだろう。
初等部のガキどもは完全に来客という扱いで、この一週間は昼間から親兄弟や友人たちと遊び回っている。そして中等部や俺たち高等部、大学は露店やステージ発表で盛り上げ、自分たちも盛り上がる。
特に大学の敷地は毎年すごい賑わいを見せる。農学部なんかはとれたて野菜の産直なんかを開いているため主婦層に大人気だったりするし、工学部もロボコンなんて本格的なものを催して人だかりを築き上げている。
そんな、一般公開初日からナンチャラランドとだって互角に相手取れる賑わいの中、俺はと言うと――
「……………………」
「あっつ……!」
「……気を付けろ」
ひたすらに芋を揚げていた。
芋の水分が高温の油によって瞬時に蒸発し、その突沸の勢いで油が跳ねる。いや、跳ねなくても熱された油の熱気で火傷しそうだ。
プラス、油跳ねによる火傷予防のために長袖のシャツを着こんでいるもんだから、なおさら暑い。
「何でこの炎天下の下、フライドポテトを揚げ続けねばならんのだ……」
「……お前がクラスの出し物を決める抽選会でフライドポテトを引き当てたからだ」
「……………………」
そうでしたそうでした……。
仏頂面がデフォルトの駒野が、この熱さで五割増しに不機嫌に見える。下手に口出しすれば火傷するのは目に見えている……ここは大人しくしておこう。
月波学園の学園祭における露店のメニューや、教室を使った模擬店の内容は厳正な抽選によって決められる。何せ一つの学年だけで二十クラスはあるんだ。同学年内だけでも出し物が被らないとは言い切れない。
実際、過去に同じメニューを出す露店が全体で三十店舗以上揃ってしまうという珍事があったのだそうだ。そうなればもちろん、客の奪い合いになる。その年の露店は揉めに揉めて、結局は風紀委員会まで出動して店同士の抗争を鎮静化させなければならない事態になったのだそうだ。
その事件を踏まえ、現在では同じ内容の露店や模擬店は多くても十店舗まで、ただし店同士が遠く離れていること、という決まりができたのだ。
で、その出店内容を決めるのは、俺たち一般生徒ではなく、生徒会による抽選会だ。自分たちで自由に決められないもんだから一部からは不満の声も聞こえるが、まあ概ね、大規模な抗議行動もなく上手く回っていた。それに出店内容に不満があれば、他のクラスと交渉して入れ替えることも可能だしな。
「はあ……」
忙しかったクラス代表に変わり、俺が抽選会に赴きフライドポテトの出店権を得た時には、俺もクラスの連中も大喜びだった。フライドポテトのようなジャンクフードは、来客数も望めて売り上げにも期待ができる。
……だが。
「熱い……そして暑い……」
「……我慢しろ」
正直、調理班はなあ……! 労働と報酬が割に合わないっつーか? 晴れて気温も高い今日この頃に揚げ物とか……地獄だぜ……!
「フライドポテトLサイズですね? 受け渡しは隣の列で行っていますので、そちらにお並びください。……あ、食券ですか? 移動販売員かこちらの列で買えるので、先に食券を購入してからこちらの列での注文となります」
「……………………」
さっきまで調理班だったのに、急遽受付に回されたハルが羨ましい……。確かに見てくれがいいから、裏方で汗かきながら油の相手するよりずっといいだろうけど。
でも何か引っかかるな……。
「……ボーっとしてないで油の世話をしろ」
「あたっ!? って、うおっ!?」
大鍋に沸く油の加減をしながら、駒野が俺の頭を小突く。
おおう、危ない。もう少しで芋が焦げるところだった……!
「サンキュー」
「……ふん」
黙々と油から細く切った芋を掬い上げる駒野。
こいつ、意外と細かい作業とか得意だから、こういうの向いてるんだよなー。
「うーん、相変わらずヘマしてるわねー」
「ん?」
と、不意に背後から聞きなれた声が聞こえてきた。
今度は油に気を付けながら、俺はいつの間にか後ろに立っていたそいつの方に向き直った。
「……隈武」
「ハロー」
「どうしたお前」
今朝会ったばかりだが、こいつは確かアーチェリー部の練習場でアーチェリー体験の監督を任されていたはずだ。何でこんな、しかも露店の裏側にいる?
「……サボりか」
「まあ人聞きの悪い狼ですこと。経、聞いた?」
「駒野の意見に全面的に賛成」
「むっ。何よ、もう。せっかく学園祭見て回ろうって誘いに来てやったのに」
「あ?」
学園祭見学の誘い?
「状況を見て物を言え、隈武の。俺たちが暇しているように見えるか?」
「……同意だ」
珍しく駒野も俺の意見に声を揃える。
俺たちは絶賛シフト中。次の交代の時間まであと二時間はある。
だが隈武のはやけに楽しそうに笑っている。
「全く、頭を使いなさいよ頭を」
「あ?」
「いい? ハルを含めて、わたしたちはバンドのメンバーよ?」
「……それがどうした」
「知ってると思うけど、舞台発表をする団体には学園敷地内の端っこ、第九体育館の練習目的での使用許可が下りている」
「ああ。けど、今さら俺たちに練習はいらねえだろ。それに、今から楽器出してくるのも面倒く――」
「ただし!」
俺の言葉を隈武のが遮る。
指先を、チッチッとわざとらしく俺の目の前で振って見せた。
「……ただし。体育館を使えるのは舞台発表での出番を終えるまで。それ以降の使用許可は下りない。……この意味、分かるわよね?」
「……?」
「……………………」
俺と駒野の一瞬の沈黙。
そして、次の瞬間には気付いた。
「なるほど……!」
「分かった? つまり、バンドの練習と銘打って堂々と店を抜けれるのは、わたしたち、今日だけなのよ!」
「くっ……こんな所で芋なんか揚げてる場合じゃねえ……!」
「……いや、だがシフト……」
「そんなもん、学園祭後半の連中と替わってもらえばいいだろうが! ほら、ハルも呼んで行くぞ!」
「おー!」
「……知らんぞ、全く……」
とかなんとか言いつつ、似合わないエプロンを外しながら受付の方へと向かった。
駒野がハルに説明している間に、俺はバンド練習のために抜けるということをクラス代表に伝える。渋い顔をされたが、隈武のが一緒にそれらしく頼んだからか、思ったよりもすんなり承諾された。
ナイス、隈武の。
俺たちは手早く身支度を整え、完全に学園祭に繰り出す格好になって露店を後にした。
「うーん、思ったよりすんなり抜け出せたね」
「……対価はあったがな」
渋い顔で自身の首にかかっているプラカードを見下ろす駒野。
そこには『2S 揚げたてホクホク! フライドポテト!』の文字が。似たようなものが俺の首にも下がっているが、こっちには『Sサイズ 200円 Mサイズ250円 Lサイズ300円』の文字が。
店番を代わってもらうため課せられたのが、歩きながらの宣伝だった。
つーか、これを渡された時点でサボり目的ってことはバレてんじゃん。
クラス代表ぱねー。
「まあ、これくらいならどうってことないけどよ」
プラカードを弄りながら、俺はハルの方を見る。
急に連れ出してみたものの、こいつはサボりとかはあんまり快く思わない奴だと思っていたが、俺たちの誘いに割と乗り気で付いてきた。
曰く、「文化祭など初めてだから楽しみだった」とのこと。
確かに、日本の文化祭って色々と特殊だしな。
「だが、別に今日見て回る必要はあったのか?」
その辺のクラス露店で買ったリンゴ飴を舐めながら、ハルは俺に訊ねてきた。
「いやー、確かに今日じゃなくてもいいっちゃいいんだけどさ。やっぱり、一般公開初日と最終日じゃ、空気が違う」
「と言うと?」
「最終日となると、露店とか模擬店でも材料が売れ残っても黒字確定ってところも増えてくる。そうなると在庫処分のための消耗戦って感じになって、それはそれで盛り上がってるんだが、イマイチ覇気に欠けるんだよ」
「そ。本当に盛り上がってる学園祭を見たいなら、やっぱり初日じゃないとね!」
隣で話を聞いていた隈武のが首を突っ込んでくる。
俺も隈武のも、ついでに駒野も初等部からこの学園祭を見てきている。いつどこでどんな企画が盛り上がって楽しいかはすでに熟知している。
「と言うわけで、ハル!」
「うん?」
「俺たち古株三人組がおススメする、ここの学園祭を巡るコースがいくつかあるんだが……」
「例えば?」
「……コースA。とにかく盛り上がるイベントをひたすらに梯子する」
「コースB。とりあえず美味しい物を食べたーい! グルメツアー!」
「コースC! 効率的にイベントを巡りつつ、美味い物も堪能していく!」
何せ敷地面積だけでも月波市の二十パーセントを占める巨大な学園だ。実際に学園祭で使われている敷地はそのうちの六割ほどだが、ナンチャラランドにだって負けない出店やアトラクションが揃っている。一日や二日で全て回るなど、不可能!
「つーわけで、ここに来て一年目のハルは、俺たちが厳選したコースを選ぶことをおススメする。どれがいい?」
「ふむ……」
食べ終えたリンゴ飴の棒を咥えながら、ハルはしばし考えに耽った。
そして口から棒を引き抜くと、まっすぐに俺の方を指した。
「経のコースで。やはり最初くらい、欲張りに行ってもいいだろう」
「決まりだな」
リンゴ飴の棒を受け取り、近くのゴミ箱に放り込む。
「それじゃあまず、毎年人気ですぐに売れ切れちまうところに行くか!」
「あーはいはい。あそこね」
「……なるほど」
「どこだ?」
小首を傾げるハル。
それに俺たちは声を揃えて言った。
「「「相撲部のちゃんこ鍋!」」」
「ちゃん、こ……鍋?」
「そう。相撲部屋で力士の賄料理として出されてた鍋が初まり。ここの相撲部もちゃんこ鍋作って自分たちで食ってるんだが、学園祭の時に露店として出してるんだ」
「これがまた美味しいのよねー。本当におススメ!」
味噌味と醤油味、塩味があるけど、俺は醤油派。駒野は味噌で隈武のは塩派らしいけどな。
「まあ、行く途中でも美味そうなもんあったら買い食いしていく感じで。四人で分け合って食えば、そんなに腹も膨れずに色々堪能できていいだろ」
「……ふむ。ではこれはどうだ?」
「え? おい、駒野! いつの間にそんな美味そうなの買ってきた!?」
一体いつからいなかったこいつ? そしていつ戻ってきた? とにかく、駒野はジューシーな肉の塊を焼いて削いだもの――ケバブを買ってきていたのだ。
「……そこの中東からの留学生ブースで出していた。ヒツジを使った本格派だそうだ」
「うーん、美味しそう……! 一切れ貰うわね!」
「……ああ」
「あ、俺も」
駒野が持っている紙皿から薄く切った肉を一切れ摘まむ。
羊肉のクセのある香りと甘辛のソースが上手く絡み合い、口に入れた途端に何とも言えない甘味が広がった。
ヤバい、美味い!
「くーっ! これだから学園祭の露店は油断ならねえ!」
「確かに、美味いな」
ハルも駒野から一切れ貰い、手に付いたソースを舐め取っていた。
「あ、ねえ! あれって焼きソーセージじゃない? しかもドイツ語研の!」
「マジか」
ドイツ語研究会の出店するソーセージ屋。全て手作りの本格派で、色々な種類のものを置いてあるんだが、こいつも学園祭中盤には売り切れてしまう人気メニューだ。
そうか、今年はこの辺で出店してたのか。
「ちょっと買ってくるわね!」
「あんまりでかいの買ってくると、ちゃんこ鍋入らなくなるぞー」
「分かってるわよ! すみませーん、この小さめのを――」
財布片手に露店の方に駆けていく隈武の。
何、奢り? やったね。
「何だか申し訳ないな……奢ってもらってばかりで」
「気にすることないぞ。今日この日に限っては、俺たち四人の財布は共用だ。美味いもんを見つけたらためらわずに買って分け合って食う。これが学園祭の醍醐味っつってね」
まあでも、調子に乗って買い食いしすぎるのも問題だけどな。このお祭り騒ぎに浮かれて、知らず知らずのうちに財布の紐が緩んでるんだ。気付けばあっという間に懐に寒気がやってくることになる。
「……しかし」
空になったケバブの紙皿を捨ててきた駒野が戻ってきた。
「どうした?」
「……いや。相変わらず、この時期は見慣れない連中が増えるな、と」
「あー」
そりゃそうか。
普段学園に通ってる連中じゃなく、一般人も露店を見に来てるしな。そしてその中には、このお祭り騒ぎに釣られて根城から出てきた、人間としてではなくあくまで妖怪として生きているのも混じっている。
「パッと見、名前もないような小妖怪に混じって、大物っぽいのもチラホラいるよな」
豆腐小僧に一本だたら、乳鉢坊やら橋姫なんてマニアックなのも出てきて……げ。袖もぎさんまでいる。気を付けないと……。
まあ、この街の住民なら、袖もぎさん対策くらい知ってるだろうから、問題ないか……。
「はーい、ただいまー。ん? 経、何してんの? キョロキョロして」
「おう、おかえり。いや、この時期は何か見慣れないのも多いなーって思ってな」
「あー、そりゃそうね。さっき、向こうでホムラ様が八百刀流五家の守り神を引き連れてグルメツアーしてたし」
「マジか」
神様のくせに俗っぽい……いや、はっきりと俗物と言ってもいいか、うん。
「しかし、本当に改めて見ると色々いるよな、この街。マニアックなの多いし」
「うーん、わたしから言わせれば、鬼一口だって十分にマニアックな分類だと思うけど……」
「そう言うなよ」
自覚はある。
俺たち、影薄いしなー……。
「他にも珍しいのいるな……鈴彦姫にすねこすり、ひょうすべ……あの狛犬はどこの神社から抜け出してきたんだ?」
ちゃんと神社守れよ。
「それに向こうは抜け首、山童……あら珍しい。この時間帯に浮遊霊御一行様。それに……あれ?」
「ん?」
不意に、俺に倣って普段見慣れない妖怪観察に勤しんでいた隈武のが素っ頓狂な声を上げる。その視線の先は……俺?
「何だよ、俺は十分珍しい類だって自覚は――」
「じゃなくて。その子、誰?」
「は?」
隈武のが指さしたのは、俺の背後。駒野もハルも、自然と視線が俺の後ろに向かった。
で。
そこに何がいたかと言えば。
「子供?」
ちっちゃい女の子だった。
たぶん五歳にもなっていないような幼女が、俺のシャツの袖の端を遠慮がちに摘まんでいた。
「……妖怪」
「いや、そりゃ何となく分かるけど」
目の前にいるのに、気配がしない。きっと、見た目通り生まれて数年も経っていない子供の妖怪だ。この時期の妖怪は力も弱く、気配も希薄なんだ。
「何だ? 迷子か?」
ちゃんと人間の服を着てるから、ヒトの子として生まれてきた妖怪には違いない。
けれどそれにしては、周囲に親らしい姿は見えないが……。
「お嬢ちゃん。お父さんとお母さんはどうしたのだ?」
ハルがしゃがみこんで視線を合わせる。が、お嬢ちゃんはビクッと震えて俺の足にしがみついて隠れてしまった。
「……………………」
幼女に怖がられて、切なそうな顔をするハル。
「あー、ハル?」
「……何だ……私は今、微妙に傷付いているのだが……」
「うん、なんつーか……この子は、お前を怖がったんじゃなくて、お前の青い目にビックリしたんだと思うぜ?」
たぶん、初めて見る外国人だったんだろうなー。
自分と目の色が違うもんだから、そりゃビックリするわ。
「で、どうする? 迷子っぽいけど」
「うーん、近くに親がいればいいんだけど……」
と、今度は隈武のが膝を折ってお嬢ちゃんと向き合った。
おお、今度は怖がらずに顔を見ている。ハルは微妙な表情だが。
「ねえ、お嬢ちゃん、ひょっとして、迷子になっちゃった?」
「……………………」
フルフルと首を振る。
まあ、迷子は皆そう言うんだよ。
「じゃあ、お父さん、いる?」
「いる」
お、答えた。
そうか、父親はその辺にいるのか。
「じゃあ、お母さんは?」
「いない」
「どうして?」
「おうち」
なるほど、親父さんと一緒に来たのか。
「他に、一緒だった人は?」
「おじいちゃん」
……爺さんと親父さんと来たのか。いや待て。こんな平日の昼間に親父さんがこんなところに来れるわけがない……ひょっとしたら、親父さん、この学園で働いてるのか? それで、爺さんに連れられて会いに来た、とか?
「お父さん、ここで働いてる人?」
同じことを考えたのか、隈武のはそう質問した。
しかし、お嬢ちゃんは黙って首を振った。
ありゃ、違ったか。
「おじいちゃん、ここのひと」
「ん、あ。そっちか」
なるほどね。
じゃあ何? 親父さん、わざわざ休みとって娘をここに連れてきたのか? 世話焼きだねー……できれば娘から目を離してもらいたくなかったが。
「そっかー。それじゃあ、お父さん、どこにいるか分かる?」
おいおい隈武の……。
「それが分かったら迷子になってなら――」
ないだろう、と。
俺は口にすることができなかった。
なぜなら。
「……………………」
と、お嬢ちゃんは無言で。
「は……?」
指さしたのだ。
「「「……………………」」」
俺を。
そして一言。
「おとうさん」
「「「「……………………」」」」
えーと。
……………………。
はい?
* * *
誰か、説明を求む。
何で俺はこんな目に遭ってるんだ?
「……藤原、お前……相手は誰だ」
「ちょっと!? 人聞きが悪いぞ駒野!」
「じゃあ経! 何だってこの子は頑なにあんたをお父さんだって言い張ってるのよ!」
「知るか! つーか、どう考えてもおかしいだろ!? 俺はまだギリギリ一七になってないっつーの!」
「いや……この子が五歳として……生物的には……十分……子供は……」
「やめろハル! 冷静に分析するんじゃない! お前が言うと説得力が二割増しだってことを自覚してくれ!」
俺は学園祭のために急設された迷子センターで、友人たち三人から針の莚に座らせていた。
何だこの状況。
駒野は鋭い目付きをさらに険しくしているし、隈武のは汚い物を見るような目で俺を睨んでいるし、ハルは……目が死んでいる。
「ダメねぇ、経くぅん。何度も放送かけたけどぉ、誰も来る気配がないわぁ」
月波学園保健室の名物、ロリ巨乳先生こと白沢が白衣を翻し、困ったような顔でこっちにやってきた。ここの迷子センターは救護室も兼ねているらしく、養護教諭が在住しているのだそうだ。
「白沢、本当にちゃんと放送かけてるんだろうな?」
「かけてるわよぉ。ここからでも聞こえてたでしょぉ? それにやっぱりぃ、名前がないのは辛いわねぇ。それと先生を付けなさぁい」
まあ、確かに……。
このお嬢ちゃん、なぜか自分の名前を言わない。何でも、爺さんに「知らない人に名前を教えちゃいけない」って教わったらしい。
いやいや、その爺さんがこの学園で働いてるってことはすんなり話したじゃねえか、何て、ガキにはそんな理屈は通じない。つーか、俺を父親だと勘違いしてるなら教えてくれたっていいじゃねえか。矛盾してね?
まあその辺が、子供ゆえの理不尽さって感じだな。
「白沢先生、この子、ここで預かってくれませんか?」
「私はいいんだけどねぇ」
ハルが訊ねると、白沢は困ったように頬に手を当てた。
いや、一番困ってるのは俺なんだが……。
「すっかり懐かれちまった……」
このお嬢ちゃん、出会った時から一時たりとも俺から離れようとしない。ずっとシャツの端を握っているか、足にしがみ付いているかだ。
「うーん、これは本当に、経父親説が有力になってきたわね」
「やめろ。いや、やめてくださいお願いします」
身に覚えがなさすぎるっつーの。
「たぶんこの子のお父さんに似てるんでしょうねぇ。だからこんなに懐いちゃったとかぁ」
「自分の父親と間違えるか、普通……」
「分からないわよぉ? 単身赴任とかで長く家を空けるとぉ、小っちゃい子なんてすぐ顔を忘れちゃうんだからぁ」
「ふーん」
親父としては報われない話だな。
「でぇ? どうするのぉ?」
「どうするも何も、ずっと連れまわすわけにもいかんしな……」
今日という日は短い。
せっかく露店のシフトを代わってもらったんだから遊びに行きたいし。
でもなあ……。
「……………………(スッ)」
「……………………(トコトコ)」
出ていこうとすると、ついて来ちゃうし……。
「うーん、本当にどうしようか?」
「……ここに置いていければいいんだが」
「そうもいかないようだがな」
三人も困ったように額を合わせて話し合っている。
ジッと俺を見上げてくるお嬢ちゃんの頭を撫でながら、三人の話し合いに耳を傾ける。
「プランA。一緒に学園祭を見て回る」
「知らない子を連れてか? 万が一の時は誰が責任を取る? 私たちか?」
「……プランB.藤原をここに置いていく」
「駒野、それ本気で言ってるか?」
だとしたらこいつには血が通っていない。
けど、実際のところ四人でここに留まっているわけにもいかない。合理性を求めるのなら、俺をここに置いていくのが最適だが……。
「そうはいかんだろうな……」
ハルがお嬢ちゃんの頭を撫でようと手を伸ばすと、やっぱり怖がって俺の後ろに隠れた。
ダメだこりゃ、完全に苦手なヒトとして認識されたな。
「お嬢ちゃん、あんまりわがまま言わないで、ここで待とう? ね?」
「……やだ」
「そうは言っても君、迷子だろう?」
「まいごじゃない。おとうさん、ここにいるもん」
「……………………」
ハルが困ったように俺に視線を向けてくる。
いや、そんな目で見られましても……。
「どうしたもんかな……」
さっきからずっと堂々巡り。
このままだとこいつの保護者が出てくるまで迷子センターに足止めだぜ。
何て、俺も含め一同そんなことを考え出し始めた時。
――ごぎゅるるるるるるるるるるうううううぅぅぅぅぅ……。
「「「「「……………………」」」」」
何の音だ、今の……。
音のする方を向くと、顔を赤くして俯くお嬢ちゃんがいた。
「……………………」
「……お」
「お?」
「おなか……すいた……」
「……………………」
今の、こいつの腹の音かよ……!
「ふぅん……はいはいなるほどねぇ」
と、白沢が興味深そうに恥ずかしがっているお嬢ちゃんを見つめた。そして何度か頭を撫でたり頬を突いたりして弄んだあと、俺に向き直った。
「経くぅん」
「何だよ」
「はぁい、これぇ」
「ん?」
ゴソゴソと白衣の中から財布を取り出し、そこから紙切れを一枚引き抜いて俺に渡してきた。
「何こ……はあっ!? 諭吉さんじゃねえか!」
「軍資金よぉ」
何でもないような口調で、白沢はそう言ってのけた。
それはまさしく、一万円札。高二の俺に取っちゃ大金だ。
「軍資金って……え?」
「これでぇ、このお嬢ちゃんに何か食べさせてきてねぇ」
「はあ!? 何で俺が!」
「だってぇ、この子ぉ、経くんに懐いちゃったんだもぉん。私が行けたらいいんだけどぉ、ここを離れることができないしぃ」
「そりゃ、まあ……」
「お釣りは皆で好きに使っていいからねぇ。それじゃぁ、後はヨロシクぅ。何かあったら連絡するからぁ、ケータイはこまめにチャックしてねぇ」
……………………。
マジ?
俺は去っていく白沢の後ろ姿と手元の諭吉さんを見比べた。
「おお……」
釣りは好きに使っていいって……マジか。
「……どうする」
「どうするも何も、行くっきゃないっしょ!」
急にハイテンションになった隈武の。俺の手から諭吉さんを奪い取ると、クククと楽しそうに笑った。
「この子に何か食べさせてって言っても、こんな小さい子、食べる量なんてタカが知れてるでしょ。お釣りはわたしたちで好きに使っていいらしいし、じゃんじゃん楽しみましょうよ!」
「だが、この子に万が一もことがあったら……」
「ハルは心配性ねー。大丈夫よ、わたしたちがいるじゃない!」
「まあ……そうだが」
渋々といった具合に引き下がるハル。
さっきまでは俺もこのお嬢ちゃんを連れて行くのは反対だったが、こんな軍資金を頂戴したんなら是非もない。さっさとこのお嬢ちゃんの空腹を満たし、余った金で遊びまわろうぜ!
「んじゃ、改めて学園祭を楽しもうぜ!」
「あ、その前に!」
と、隈武はガサガサと今までずっと持ってきたビニール袋を漁りだした。
「さっき買ったドイツ語研のウインナー、どうせだからここで食べてこ。座るとこあるし」
「……ああ、そう言えば買ってたな」
頷く駒野。
確かに、冷え切っちまう前に食べた方がいいな。
「じゃあその辺のパイプ椅子を借りて……ん? どうしたお嬢ちゃん」
クイクイとシャツの裾を引っ張られた。
見ると、お嬢ちゃんはめっさキラキラした目で隈武のが取りだしたパック入りの焼きたてウインナーを見つめていた。
「んー? どうしたの? 食べたいの?」
「たべたい!」
即答かよ。
トコトコと隈武のが持つウインナーに近寄るお嬢ちゃん(でもしっかりと俺のシャツは離さない)。
「どれが食べたい?」
「たくさん!」
「……………………」
どれ、と聞いて、たくさん、と答えるか……。
すげえ思考回路。
「いいじゃんいいじゃん。はい、好きなだけお食べ」
「わあい!」
と、お嬢ちゃんは歓喜の声を上げながらシャツを握っていない方の手でパックを受け取った。
ところで、両手が塞がってんのにどうやって食うんだ? 俺のシャツを離す気配はないし。
なんて。
そんな疑問はすぐに消え去った。
「いただきます!」
行儀よくそう言ったお嬢ちゃんは、
「「「「は?」」」」
ゾゾゾと急激に伸びだした髪の毛を使ってウインナーを摘まみ、
「「「「はいぃっ!?」」」」
後頭部にぱっくりと開いた巨大な口に、全てのウインナーを放り込んだのだった。
* * *
「二口女」
目の前の光景が信じられないというような口調で隈武のが呟く。
「その正体は山姥とも餓死した子供の霊が女性に取り憑いた姿とも言われるけど、どちらも共通して触手のように伸びる髪を使って後頭部の巨大な口で食事をする。あと、よく食べる」
「んなもん……見りゃ分かる……」
妖怪としての本性を現したお嬢ちゃんは今、俺に抱えられながら焼きそばを食っている。
デカい鉄板の上で焼かれているそばを、後頭部の口と髪を使って直接すするように。
「お、おい藤原……勘弁してくれ。何だよその子……」
店番をしていた日野原が顔を青くしてお嬢ちゃんを見ていた。
「いや、俺の意思じゃどうにもならんし」
「だから! その子をどっか違う店に連れてけって言ってんだ! このままじゃ今日の午前中の分の食材がなくなっちまう!」
「ったく、イチイチうるせえ奴だな。金は払ってんだから文句ねえだろ」
「金云々の問題じゃねえ! 他の客に迷惑だ! ああもう!」
日野原が暑苦しく喚く中、お嬢ちゃんは後ろの口だけでは足りないのか、小さい手で箸を持ち、前の口でも美味しそうに焼きそばをすすっている。それにしても、後ろの方は本当に鉄板から直接すすってるように見えるけど、熱くないのか?
「ごちそうさま! おいしかった!」
「おー……そうか。よかったな」
すげえ嬉しそうに口の周りに付いた青海苔を舐め取るお嬢ちゃん。対して、後ろの2Rの焼きそば屋はひたすらにコテを操り続けて手首が死んでいる。ついでに、午前中用に用意した食材を全て食われたらしい。
二口女……妖怪とは言えなんと非常識な食欲だ……。
「えー……八千五百円のお買い上げとなります……」
「……おう」
もう吠える気力もないのか、日野原は生気のこもっていない声で金額を言う。
それに応える駒野も、明らかに気力がない。
それもそうだ。この店は全額駒野持ちだったりする。
「やはり……最初の一軒で一万円をほぼ使い果たしたのが痛かったな……」
「だな。まさか農学部畜産科名物の豚の丸焼きを、切らずに丸齧りするとは思わなかったしな」
とにかくガッツリ食わせてしまえば満腹になるだろうという俺たちの甘い予想に反し、この子は涼しい顔で自分の体の半分くらいはある子豚の丸焼きを平らげてくれた。
丸々一頭、しめて九千八百円也。
畜産科の人たち、目を丸くしてたなー。
しかし、お嬢ちゃんの空腹はそれでは満たされなかったのだ。
豚の丸焼きの後、当初の予定通り向かった相撲部のちゃんこ鍋屋で、お嬢ちゃんは大鍋一つを空にし(七千八百五十円、隈武の持ち)、お次は3Cのフライドチキンを骨まで完食(八千二百円、ハル持ち)、さっきの留学生ブースに戻ってケバブを食わせたら焼いた肉塊のまま齧り付いて平らげた(一万五千七百円、俺と駒野持ち)。
で、おまけとばかりに、ここでも焼きそばを全て食らいつくした。
……もう財布の中身、スッカラカンよ……。
だと言うのに。
「おとうさん! つぎはなに?」
「あー……そうだなー……」
まだ食うのか……。
初めの頃は「お父さんじゃねえ」なんてツッコミをイチイチ入れていたが、それももうどうでもよくなってきた。財布の中身の現状と比べたら……な。
「なあ、もうそろそろお腹一杯になってきたんじゃないか?」
「えー。まだたべたーい」
ぎゅるるる、と。
お嬢ちゃんは変わらぬ轟音を腹から響かせながら無邪気に笑う。
……これ、その辺に捨てて逃げたいんだけど……。でも置いて行こうとすると泣きながら追いかけてくるしなあ(経験済み)。
この子、どうして本当の親とはぐれたんだ?
「うーん……どうする? 本当に……」
「どうすると言われても……」
「一旦、皆の所持金を確認しようぜ」
「……八百二十円」
「わたしは五百三十五円」
「ギリギリ……千円残っているな」
「で、俺が三百八十三円」
合計二千七百三十八円……一店に付き五千円オーバーがデフォのこの子の食費を考慮すれば、全然足りない……!
「くそっ……白沢の奴、何がお釣りは好きに使っていい、だ……大赤字じゃねえか……」
「この場合、白沢先生を責めるのは筋違いではないか?」
「いーや。あいつは知ってて俺たちに押し付けたんだ」
あの変態養護教諭に知らないことなどない。おそらく、このお嬢ちゃんが二口女であることに気付いて、自分にたかられないうちに追い出したくて俺たちに一万円を握らせたんだ。
ったく。あれで一部じゃ神獣なんて呼ばれてる妖怪だなんて、とても信じられん。
「……で、どうする」
「どうするって、決まってんだろ」
もう他に道はない。
「決まってるって……経あんた、まさか……!」
「そのまさかだ、隈武の」
「……?」
俺たち古株三人組が視線を合わせる中、ハルだけは意味が分からずに首を傾げている。
「一体、何の話だ?」
「学園祭見学に出発した時、隈武のがグルメツアーのコースBを提案したろ?」
「ああ。だが、それがどうした?」
「あれの強化版コースを行く」
「今からか!?」
「ああ。……そのコースは上手くいけばタダでたらふく食えるコースだが……失敗した時の損害は軽く五万円にも及ぶ」
「なっ……!?」
だが。
だが大丈夫だろう。
俺は焼きそばを食べ終え、それでもなお空腹が満たされずに腹を鳴らしているお嬢ちゃんを見る。彼女は相変わらず俺のシャツの端を握りしめているが、その表情は俺たちが次は何を食べさせてくれるのだろうと期待すしているようだった。
「行くぞ。コースBGだ」
「「了解」」
「ちょっ……え?」
俺たち三人は、いまだに現状が理解できていないらしいハルと、無邪気に笑いながら足にしがみ付いてくるお嬢ちゃんを連れて歩き出した。
* * *
一件目。
柔道部主催の焼き鳥屋。
ここの顧問が農学部畜産科の教授であるということもあってか、毎年市場に出せない欠品鶏肉を安く手に入れることができると言うことで、ボリュームのある焼き鳥が安く食えるということで人気だ。
そして、何代か前の主将が冗談交じりで考案したメニューが――
「ダイナミック焼き鳥セット」
「な、何だこれはっ!?」
ハルが驚くのも無理はない。
これは本当に何の冗談だ? と聞き質したくなるような料理が目の前に運ばれてきた。
鶏を丸々一羽串焼きにした、北京ダックさながらの焼き鳥。
それがぶっとい串に三羽刺さっている。
ちなみに、間にはネギが一本ずつ、計二本挟まっている。
ネギマである、一応。
「えー、挑戦者は誰だ?」
ストップウォッチ片手に柔道部の奴がやってきた。
「おう、駒野か。分かってると思うが、一応ルール確認だ」
「……ああ。この店には中学の頃、痛い目見たからな」
「がっはっは。また返り討ちにしてやる。えー、制限時間は四十分。参加人数は三人まで。時間内に食べきることができたら代金はいらねえ。失敗した場合、通常料金の五千円だ。それ以上時間をかけても食えなかった場合は罰金一万円」
「……分かっている。ところで」
「何だ?」
「……骨まで食う必要はあるのか?」
「ああ? がっはっは! そりゃ食えたらむしろ、こっちから五千円出してやるよ」
「……言ったな?」
「はっはっ……は?」
「ほらお嬢ちゃん、お口のまわり、タレでべったりよ?」
「おいしかったー!」
「んなにっ!?」
皿の上には一欠けらの骨片も残っておらす、串だけが転がっていた。
「……ご馳走さん」
「……っ!」
「……で、骨まで食ったら、何だっけ?」
「ちくしょおおおおおぉぉぉぉぉっ!? 何なんだその子はあああああぁぁぁぁぁっ!?」
* * *
二件目。
インド語研究会主催のカレー屋。
現地から直輸入したスパイスを使った本格的なインドカレーから、日本人好みのちょっと甘めのカレーまで食えるということで有名なところだ。それでいて一杯三百円からというリーズナブルなお値段で、毎年長蛇の列が形成される。
しかし、ある一メニューだけは行列に並ばずに食うことができる。
その名も――
「ヒマラヤカレー」
「んなっ!?」
ハルが悲鳴を上げるのも無理はない。
これを考えた奴はバカなのか? と問いたくなるような光景が目の前に広がっている。
業務用としか考えられない巨大な皿に、文字通り山のごとく盛られた白米。その上からマグマさながらのドロッとしたとろみが美味そうなカレールーがたっぷりとかけられているのだ。
その姿、世界の屋根のヒマラヤの如し。
「宇井、また性懲りもなく徒労を組んでやってきたわねー」
「えっへへ~」
隈武のと知り合いのインド語研の女子が苦笑しながらやってきた。
「一応ルール確認ね。制限時間は一時間。人数制限五人まで。重さ一五キロのカレーを全て食べきることができたら、賞金五千円。残しちゃったら罰金一万円だから、気を付けてね」
「はいはーい」
「一応、今回は小っちゃい子も参加するって聞いたから、特別に甘口のカレーにしたわ」
「わー、ありがとう! ……でもね」
「え?」
「その優しさが……仇となるわよ」
「へ?」
「お嬢ちゃん、水、いるか?」
「ありがとう、おとうさん!」
「お父さんじゃねえ」
「へ? あれ……?」
カランと皿の上にスプーンが落ちる。
そこにさっきまで確かに存在していたはずのカレーの山は、いつの間にか更地にされていた。
「いつも通り、少し辛めのカレーだったらやられてたかもね」
「……っ!!」
「はーい、賞金五千えーん! ご馳走様でしたー」
「きゃあああああぁぁぁぁぁっ!? うっそおおおおおぉぉぉぉぉっ!?」
* * *
三件目。
中華料理研究会主催の中華料理屋。
ここは家庭科室にあるようなザコなコンロなど使わず、この日のためだけに作った釜戸の大火力で作る本格中華が売りだ。中華料理を作ることのみを研究目的としたサークルだけに、その腕前はそこら辺の安い中華料理屋など足元にも及ばないような絶品料理を食うことができるのだ。
そしてここで食える、最高に美味くて最高に膨大な量の料理と言えば――
「満漢全席!」
「もう……何も言えない……」
ハルが言葉を失うのも無理はない。
教室一杯になるほどの長テーブルの上に並べられた、中華料理の数々。スープから点心、揚げ物、デザートに至るまで、どれもこれも目移りしそうだ。
「やあ、君。派手に暴れているようだね」
「で……何で委員長がここにいるんですか……」
中華研のブースに足を踏み入れた途端、肉まんを食いながら風紀員会委員長の和田さんが登場した。
「いやね。君たちがBGコースを荒らしまわってるってタレコミがあってね。まあないだろうとは思うけど、一応念のために不正がないかどうかをぼくが直々に調べに来たのさ」
「不正? そんなもんはないっすよ」
「そうだろうね。いや、そうだといいね。万が一にも不正が発覚した場合、これまでの得てきた賞金は没収。もちろん、正規の金額も払ってもらうよ」
「分かってますよ。でも不正なんてこれっぽっちもしてません」
「んん? そうかい? まあそれは、ぼくがこの目でしっかりと確かめてあげるから安心して」
「へいへい」
「ところで本当に美味しそうな料理の数々だね。さすがは中華研」
「ああ、そうっすね」
「そもそも満漢全席とは、清の時代から始まったもので、満州族と漢族の料理から山東料理の中から選りすぐりのメニューを宴席に出す宴会様式だそうだよ。広東料理や漢族の他の地方料理も加わるようになったのはもう少し後。西太后の時代になるとさらに洗練されたものとなって、盛大な宴の例では途中で出し物を見たりしながら、数日間かけて百種類を越える料理を順に――」
「あー。委員長?」
「食べる場合も……何だい、君」
「ウンチクもいいですけど、見てなくていいんですか?」
「え?」
「……満足したか?」
「すっごいおいしかった!」
「なん……だって……?」
テーブルに並べられていた料理が跡形もなく消えていた。
委員長は狐につままれたような、今まで見たこともない顔でテーブルの下とかカーテンの裏とかを探しまくった。
だが残念。料理は全て、あのお嬢ちゃんの腹の中だ。
「そう言えば、ここの満漢全席のルールを言ってなかったっすね」
「……………………」
「確か、時間無制限人数無制限。満漢全席のメニュー百種類を完食した場合には賞金一万円。できなかった場合は罰金三万円でしたっけ?」
「……………………」
しばらく、目の前の光景が信じられないらしい委員長は呆然とし、しかしすぐにヤレヤレと首を振りながらいつもの調子に戻って高らかに宣言した。
「不正がなかったことを、高等部3年A組所属、風紀委員長和田光輝が証明します」
屋外の厨房の方から、中華研の悲鳴が聞こえてきた。
* * *
「「「「……………………」」」」
重い沈黙が流れる。
あれからもひたすらにBGコースを巡り、二口女のお嬢ちゃんにデカ盛りグルメを食わせた。
それどころか、行く先々で賞金を手に入れ、俺たちが被った損失も完全に癒されてきた。
……だと言うのに。
「おとうさん、つぎはー?」
「「「「……………………」」」」
まだ……食おうと言うのか……?
「どうするよ経! もう他に大食い系はないわよ!?」
「……今年から始めたところも、全て回った」
「ああ。そしてもう来年はやらないだろうトラウマまで残してきた」
正直、見ているこちらも怖かった。
身長百二十センチもない小さな体に、あれほどの量の飯が次々と吸い込まれるのが。……いや、俺も少し前にハルを頭から呑みこんだことがあるが、それとはまた完全に別だ。
見る見る間に目の前の料理が消え去っていく恐怖。店側としては、近年稀に見る恐怖としてその心にトラウマを負ったことだろう。
「……………………」
途中から、アホ丸出しな量のメニューにも慣れてしまったハルも、正門で配られていたパンフレット片手に他にもいいところがないかを探している。だが、俺たちの経験や今年のパンフレットもネタを尽きた。
まさかまた、普通の露店荒らしに向かわねばならんのだろうか……?
「うん……? なあ、経」
「あ?」
俺が真剣に悩んでいると、何かに気付いたのかハルがパンフレットをこちらに見せてきた。
「これ、ここ」
「んー?」
「ここも食べ放題系の模擬店ではないか?」
「どれどれ……『俺たちに腕相撲で勝ったら焼肉食い放題!』……レスリング部か」
「あー、そこはダメダメ」
「何故だ、宇井」
「そこ、賞金もない代わりに罰金とかもないからいいんだけど、食べ放題の条件がきついのよ」
「条件?」
「……店名にある通りだ。タダで食うためには、レスリング部の連中に腕相撲で勝たねばならん」
「そう。あそこの連中は筋肉バカばっかりだからな。腕相撲で勝とうなんて無理無理。何よりも、あそこには香川が――」
……香川?
「待てよ……?」
香川は今、レスリングの大会に出ている。奴が今年のレスリング部で一番の怪力であることは言わずもがな。そしておそらく、他の上位クラスの連中も、香川の応援について行ったはず。
つまり、だ……。
「今レスリング部で店番してるのって、応援にも行けないような補欠組じゃねえか?」
「あっ」
隈武のも気付いたらしく、ポンと手を叩いた。
「これって、チャンスじゃね?」
「そうね。試してみる価値はありそう。どうせペナルティーもないんだし」
「よし」
行くか、レスリング部の焼肉屋に!
* * *
午後三時二十分。
一般公開が午後五時までだから、この時間帯になるとだいぶ客足も疎らになる。
だがレスリング部の陣地の周辺だけは、昼間と変わらぬ盛況ぶりだった。
「かーっ。やっぱり人が多いな!」
「何せ勝てばタダで食べられるしね」
「……の、割にはさっきから金を払って食ってる連中ばかりだがな」
腕相撲で勝てばタダ食い。負けたら正規料金を払わないと食えない仕組みになっている。そして屋外に大量に設置されている金網で肉を焼いている面々は、どうやら負けてしまったらしく一様にどこか残念そうに苦笑している。
だが、そんな連中に混じってガタイの良い奴らが何組か、豪快に笑いながら遠慮なく焼肉を堪能していた。
「ふむ……やはり経の予想は当たったようだな。何組か勝利してタダで食べているようだ」
「だな。こりゃ、俺たちにも脈ありだな」
「……………………」
俺はチラッと駒野を見やる。
駒野はただただジッと、受付で行われている腕相撲を見ていた。
挑戦者を待ち受けているのは、やはり見たこのがない顔だった。どうやら今年入った一年のようで、確かに体格はいいが自分と同等のガタイの持ち主には辛勝といった戦績だった。
あれなら、駒野でも十分勝つ見込みはあるだろう。
「……行くぞ」
「おうよ」
先頭に立って歩き出す駒野。
その後を、俺たちが続く。
「いらっしゃい。腕相撲、挑戦しますか?」
受付に立つと、マネージャーらしき女子生徒が声をかけてきた。タキシードっぽい衣装にわざわざ蝶ネクタイまでしてるってことは、この娘が審判を務めているようだ。
「……ああ。挑戦する」
「何名様でしょうか?」
「……五人」
「はい、分かりました。五人ですと、どなたか一名が勝てば全員食べ放題となります」
マジか。
そう言えば、腹減ってきたなー。思い返せば、駒野が買ってきたケバブ以来何も食ってない気がする。
「ここら辺で、俺たちも食事にありつけたらいいな」
「だねー。食べてるのを横から見てるだけじゃ、お腹は膨れないよー」
「全くだな」
苦笑する女子二人。どうにもお嬢ちゃんが食う姿に見惚れて自分の食事を忘れていたらしいが、しっかりと腹は空いていたらしい。
「では、こちらへどうぞ」
審判に案内され、俺たちはテントのわきに設置された台に向かう。
そこにいたレスリング部は……ほほう。近くで見ると、なかなかデカい。駒野ほどではないにしろ、十分に巨体と言って差し支えない。
「では、右か左かを選んでください」
「……右」
「分かりました。それでは、構えてください」
「……………………」
台の前の椅子に腰かけ、右肘を台の上に付ける駒野。それに倣い、相手も右肘を付けて手を差し出した。
ガッチリと結ばれる両者の右手。
その手の上に審判がそっと手を添え、お互いの様子を確認する。
タイミングを見計らい、小さく息を吐く。
そして。
「レディー……………………ファイトっ!!」
ギシッ!
掛け声とともに、台と二人の関節が軋む音が耳に届いた。
何だあの一年……腕力だけなら駒野と互角かよ……。こりゃ、来年にはいい選手に成長しそうだ。
「ぐっ……」
「……ぐぅ……!」
唸り合う両者。だが、どうにも相手はバカ力はあっても一応は人間のようだった。持久力なら、駒野の方が上だ。
それに。
「……ぐるるる……!」
駒野の奴、力み過ぎて本性が現れだしやがった。腕の筋肉は遠目からも一割増しに太くなっているし、体毛も濃くなってきた。さらに口からは若干だが牙が伸び始めているのが見える。
「すげえ……」
だが賞賛すべきは、ただの人間のくせに人狼である駒野と渡り合っている相手の方だろう。
そもそもの筋肉量もそうだが、その筋の一本一本の使い方が上手いのだ。
「ぐぬっ……!」
「……ぐるる」
だが駒野にも妖怪の意地がある。右腕だけでなく、台の側面についている左手にもあらん限りの力を咥えて踏ん張っている。
ギシギシと、断続的に軋む音が聞こえる。
「「「……………………」」」
俺もハルも隈武のも、黙ってその様子を見ていた。
完全に均衡している。
けれど人間である以上、スタミナは確実に向こうの方が先に切れる。
この勝負、もらった。
そう思った矢先。
勝負はあっけない幕切れを見せた。
バキッ!
何かが砕ける音がした。
それと同時に、駒野の姿勢が右に崩れる。
「……ぐぬっ!?」
呻く駒野。
しかし崩れた体制はそう簡単に持ち直せるはずもなく。
ダンッと、盛大な音とともに、駒野の右手の甲は台に押し付けられた。
「あー……」
隈武のが残念そうな声を出す。
その後ろのハルも、落胆の表情を浮かべている。
「どうしたよ、何があった」
「……………………」
近寄って駒野に訊ねると、ただむっつりとさっきまで左手をついていた部分を指さした。
「ん? ……あちゃー」
なるほど、これが原因か。
台の側面。何度も使われて老朽化していたのか、単に駒野の腕力に耐えられなかったのか、とにかく台の一部が無残にも砕け散っていた。
「す、すみません! 台を替えてもう一度やりますか?」
「……いや。いい。壊れる前に決着を付けれなかったオレの負けだ」
「……………………」
駒野のセリフに、対戦相手だったレスリング部がムッと顔をしかめた。
まあそうだよな。今のセリフ、少し挑発染みてる。
「ですが、これはいささかアンフェアですし……。そうだ! 皆さんの代金を半額にするというのはどうでしょう?」
「……………………」
ほー。
そりゃ結構、魅力的な提案じゃないか。
けど。
「それじゃあ、ダメなんでね」
俺は足にしがみ付いているお嬢ちゃんを見やる。
このお嬢ちゃんは、間違いなく底なしに食う。その肉代が半額になったところで、結局俺たちに帰ってくる負担は大して変わらない。
レスリングの連中には悪いが、どうしてもただ飯を食わせてもらうぜ。
「つーわけで、だ。俺が出る」
「経?」
ハルが驚いたような目で俺を見ている。
まあ、そうだろう。
駒野が勝てなかった相手に、俺が勝てるのかって話だ。
「……いけるか?」
「ああ。大丈夫だ。駒野、お前を噛ませ犬にしたんだ。勝ってやるさ」
「……ふん」
鼻を鳴らしながら、椅子から立ち上がる駒野。
そしてすれ違いざま、突き出した俺の拳に、乱暴に自分の拳を合わせて後ろに下がった。
「さて、と。結構な馬鹿力らしいけど、腕相撲はパワーだけじゃないってことを教えてやるよ」
「……?」
反対側に座ると、やはりその巨体は圧巻だった。
なるほど、こりゃ駒野も簡単に倒せないわけだ。
「審判」
「あ、はい!」
「俺は左でいく。いいよな?」
「は、はい。もちろんです」
「うっし。じゃあ行くか」
「あの、台の交換は……?」
「いーよ、別に。手が反対なんだし、別に構わないよ」
ガッチリと組まれる左手。何度かその手を握り、感覚を確かめる。
……うん、いけるな。
「えっと……それでは……」
審判が俺たちの手に自分の手を重ねる。
息を揃える。
よし。
「レディー……………………ファイトッ!!」
ゴッ!!
「へ……?」
その間抜けな声は、ハルか審判か、はたまた対戦相手のレスリング部員だったかもしれない。
どのみち、そんな声を上げてしまった連中が別に悪いわけではない。
だってそうだろう。
「焼肉五人前、食べ放題ご馳走さん」
決して大柄とは言えない俺が、レスリング部を腕相撲で瞬殺してしまったのだから。
* * *
「で? どうやったのだ?」
「んー?」
次々と運ばれてくる肉をどんどん熱せられた網の上に乗せながら、ハルは俺に訊ねてきた。
「正直、私も勝てるとは思ってなかったぞ?」
「ああ、腕相撲」
そりゃそうか。
むしろそっちが普通の反応で、別段驚いていない駒野や隈武のが異常なんだ。
「簡単なことだ。奴は駒野級の連中との連戦で右腕が疲れていた。それだけだよ」
「だったら、右腕で勝負した方が有利ではないのか?」
「まあ普通はな」
「ん?」
「実際、腕相撲って組んでる腕の力だけでどうこうなるもんじゃないんだよ」
個人的な意見だが、反対側の腕の力も重要なファクターであると思っている。反対側の手でしっかりと台を抑え、倒す方の腕とタイミングを合わせて力を入れる必要があるのだ。現に、駒野の時は左手を置いていたところが耐え切れずに壊れてしまったしな。
「奴は疲れ切った右腕で台を抑えなきゃいけなかったからな。上手く力が入らなかったんだろ」
「はあ……」
「あとはまあ、スピード」
「スピード」
「そう。俺がそんなに体格がいいわけじゃないから、奴は油断してた。だから向こうが完全に腕に力を入れ切る前に、こう、ダン! ってな」
「な、なるほど……」
他にもまあ、筋肉の動かし方とか色々あるんだけど、その辺は上手く説明できないから省略する。
と、俺が自慢げに話し終えたところで、焼きあがった牛肉を噛みしめながら隈武のが溜息を吐いた。
「なーにそれっぽいこと言って自慢してんのよ。そんな取ってつけたような説明して」
「ぎくっ」
「……?」
「お前……せっかく格好良く決まったんだから、バラすなよー……」
「うっさいわね。いい、ハル? こいつが勝てた理由は。まあ今言ったことも要素としてはあるんでしょうけど」
「違うのか?」
「間違いじゃないだけ。ただ単に、こいつの力があのレスリング部よりも上だったからよ」
「何っ!?」
眼鏡の奥の碧眼が瞬く。
「ハル、こいつの正体知ってるでしょ? 鬼一口」
「ああ」
「鬼一口って言うのは、人間を丸呑みできるくらい巨大な鬼よ? ハルは経験済みだっけ」
「まあ……そうだな……。って、ああ、なるほど」
「そう言うこと。そんなサイズの鬼が人間に化けてるだけなのよ、こいつは。レスリング部だろうが何だろうが、ただの人間に力で負けるはずないじゃない」
「ったく……」
こいつは……。
「ネタばらしすんなよー。せっかく俺が珍しく頭脳プレーしたっぽい雰囲気出してたのに」
「馬鹿おっしゃい。あんたに頭脳プレーなんかできる脳味噌があるわけないじゃない」
「ひでぇ……」
「あとこいつ、左利きに近い両利き。相良にだって左手で腕相撲すると互角でやり合えるわよ」
「へー……」
「……………………」
さっきまで感心していたハルが、何とも言いようのない微妙な表情を浮かべていた。
そんな目で見るなよ……。俺だって頑張ったんだからさ。
「つーか、俺が頑張んなきゃこうやって焼肉食い放題なんかできなかったんだぞ。お嬢ちゃんの空腹も満たされずに、下手したらまた散財しながら露店巡りしなきゃいけなかったかもしれんし」
「うーん、そう言われたら、返す言葉もないけど」
「だろ?」
「そのたった二文字のセリフが、なんかムカつくー」
「へいへい悪ーございました」
肩を竦めながらも、俺は焼きあがった肉を自分の皿に放り込む。
そう言えば、さっきから妙に嬢ちゃんが静かだな。そんなに食ってる風もないし。
「おーい、お嬢ちゃーん……? あれ?」
「……………………」
隣に座っているハルのそのまた向こう側。
前かがみになって覗いてみると、お嬢ちゃんはハルに寄りかかりながら寝息を立てていた。
「いつから?」
「つい数分前だ。食べながら寝てしまった」
見れば、口の周りが焼肉のタレでべったりだ。よほど夢中で食べていたのか、器用にも皿を手にしたまま夢の中だ。
「はーあ。ようやく食欲が満たされたって感じか?」
「……そのようだ」
「うーん! ようやく満腹かー。お店の人たちには何か悪いことしちゃったかなー」
「トラウマを大量に植えつけてしまったな」
はは、確かに。
この子が通った後の店は、跡形もなく食材が消え去ったのだ。まだ学園祭は始まったばかりだと言うのに、いきなり今日は閉店しなきゃいけなくなった面々に合掌。
「だが……楽しかった」
「だな」
焼けたピーマンを齧りながら、ハルが満足そうに笑ってお嬢ちゃんの髪を撫でた。
最初はあんなに怖がっていたのに、腕相撲の辺りから俺を離れてハルにもくっつくようになっていた。何か少し妬けるぞー。
「で」
「うん?」
「この子、結局誰?」
「「「……………………」」」
隈武のの言葉に、一同沈黙する。
そうだ。結局、あれから白沢からは何の連絡も来ない。それはつまり、あれからこの子の保護者らしき人物は現れなかったってことか?
「でも、どう見ても野良妖怪には見ないわよねー」
「……ああ。家族はいるようだしな」
首を捻る駒野と隈武の。
確かに、今は眠ってて食欲は収まっているようだが、さすがに目を覚ましてまた腹減ったとか言われても、もういい加減面倒は見きれない。かと言って、迷子センターに預けても、こいつは俺について来ちまうだろう。
「どうしたもんかねー」
焼肉を食いながら、俺たちは悩んだ。
しかし妙案が浮かぶわけでもなく。
ジュウジュウと焼肉の良い匂いがする煙が立ち込めるだけだ。
……焦げる前に食っちまわないと。何だかんだで、このお嬢ちゃんがほとんど食っちまったもんだから、残りは少ない。今焼いてる分と皿に残ってる分で、俺たちとしては丁度いい感じだ。
「いやー、探したよー」
「……?」
不意に、どこかで聞いたような声がした。
振り返ってみると、どこかさえない中年オヤジがこちらに向かって小走りで向かってきていた。
「あれ、主任じゃね?」
「あ、ホントだ」
俺たちはあんまり関わりがないけど、それは間違いなくうちの学年主任の市丸だった。
「何だよ市丸。そんなに急いで」
「いやー、そりゃー急ぐよー。それとー、先生をつけなさーい」
「……………………」
こいつの喋り方、うざいんだよなー。うちの担任以上に間延びした口調だもんだから、世間話でさえ眠くなる。
「んで? 何すか?」
「うん、まあねー。実は用があるのはー、君らじゃなくてー、そっちの子なんだよー」
「へっ!?」
……我ながら素っ頓狂な声だったろう。
市丸が指さしたのは間違いなく、すっかり寝入ってしまった二口女のお嬢ちゃんだった。
「何? ひょっとして、この子が言ってた『おじいちゃん』って、市丸先生!?」
「うん、そうだねー」
はっはっはと笑いながら、市丸は眠っているお嬢ちゃんの髪を撫でた。
「笑い事じゃねーよ! この子のおかげで俺たち大変だったんだぞ!」
「あー、すまんねー。その点に関しては、私が全面的に悪かったよー」
申し訳なさそうに笑いながら、市丸は白い物が混じる髪を掻いた。
「学園祭を見せてやりたくて連れてきたんだがねー。急に『おとうさんだ!』って言って駆け出しちゃってねー。今までずっと探してたよー」
「白沢先生が放送をかけていましたが、聞こえなかったんですか?」
「白沢くんが? あー、そう言えばそうだったかもしれんねー。慌ててたから聞き漏らしてしまったよー」
「間抜けな爺さんだな……」
「そう言ってくれるなよー、藤原くん。これでも一日中駆けまわってたんだよー。まー、おかげで色々足跡が発見できてー、この広い学園内で見つけることができたわけだがー」
「足跡?」
……ああ、足跡。
確かに俺たちは行く先々でデカ盛り系食い放題系の店にトラウマを残していったからな。追跡は比較的楽だったろうな。
「いやー、一日面倒を見てくれてありがとう。これ、私からの気持ちだよー。少ないけど、取っててくれー」
「え? いいのですか?」
懐から茶封筒を取り出す市丸。
受け取って中身を確認すると、英世さんが三人いた。
「いいんだよー。普通の小さい子の子守でも大変なのにー、この子はさらに手間がかかったろう?」
「「「「ええ、まあ」」」」
一時期、俺たちの財布はスッカラカンになっちまったしな。まあ、この子がBGコースを制覇してくれたおかげで、賞金たんまりで懐は温かくなったが。
「ありがとう。君たちのおかげで、この子も楽しめたと思うよー」
「あ、待てよ」
「んー?」
眠ったままのお嬢ちゃんを抱えて立ち去ろうとする市丸。
俺は一つ気になったままの疑問を爺さんにぶつけてみた。
「その子さ、初めて会った時、俺を親父さんと間違えたんだ。どういうことなんだ?」
「えー? そうなのかい? うーん……」
お嬢ちゃんを抱っこし直しながら、市丸は俺をじっと見つめた。そしてあることに気付いたように、「あー」と笑った。
「そうかー。君は鬼一口だったねー」
「? ああ、そうだけど」
「実は、この子の父親……私の娘婿だがー、彼も鬼一口なんだよー」
「へ?」
鬼一口?
こいつの親父さんが? つーか、鬼一口なんてマニアックな種族が俺の他にもこの街にいたとは……。
「なるほど……外見ではなく、気配で勘違いしてしまったのか」
「うーん、でも何でまたそんな勘違いを?」
「それなんだがねー」
市丸は思い出すように上を見上げた。
そろそろ学園祭二日目も終わる。西の空にはすでに傾きだした太陽が見えた。
「彼は普段は単身赴任でこの街にはいないんだがなー。去年のクリスマスだったかなー? 帰れないって嘘を吐いてがっかりさせてねー。でも実際は家の中に隠れててー、夜にサンタの格好で出てきてこの子をびっくりさせたんだなー」
「へえ……」
なかなかお茶目な親父さんじゃん。
市丸の腕の中で眠るお嬢ちゃんを見ながら感心した。
「それでなー、この子、『いないと言って実は隠れているお父さん』って言うのが気に入ってしまってなー。今日とか本当は来れる予定だったんだが来れなくなってー、それでもこの子は近くにいるって思ってー、近い気配の君に着いて行ってしまったのだよー」
「ああ……」
そう言うことか。
白沢も言っていたな。単身赴任とかで長い間家を空けると、小さい子どもなんてすぐに顔を忘れるって。
でもこの子は、顔は忘れてしまっても親父さんの気配は覚えてたのか。
「じゃあ、私たちはこれで失礼するよー」
「おう。今度は目を離すなよ、市丸」
「はいはーい。それと君はいい加減、先生を付けるようになー」
お嬢ちゃんを抱き直し、苦笑しながら去っていく市丸。
それを見送り、四人が四人、誰がと言うわけでもなく溜息を吐いた。
「全く……何か大変な一日だったぜ」
「……そうだな」
「ねー。結局、あの子に一日中振り回されちゃったもんだからね」
「だが……何か、いいな。たまにはこういうのも」
ハルのその一言に、俺たちは少し疲れた笑みを浮かべた。
今日一日でなかなかない疲労感を経験することになった。それでも確かに楽しかったのだ。
すでに遠くなった市丸たちの背中を見ながら、俺はボソッと呟いた。
「いいな、ああいう家族」
「うん? 経、どうした?」
「いや……。何かな、あのお嬢ちゃん、好かれてるなーって思ってな。親父さんにも市丸にもちゃんと愛されてて、いいなって思って」
「何か……その言い方だと、君は愛されていないように聞こえるのだが?」
「あー、どうなんだろう? 実際に家族と過ごしている本人が感じているのと、他人から見てるのとでは少し違うと思うんだが」
どうなんだろうな?
俺は別に家族から疎まれていると感じたことはないが。
「大丈夫よ、経。あんたは十分愛されて育ってるから」
「そうか?」
「じゃなきゃ、こんな奔放に育つもんですか」
「それ、どういう意味?」
楽しげに笑う隈武の。
それにつられ、ハルも笑った。
「……ところで」
「どうした、駒野」
「……あの子、名前は何て言うんだったんだろうな」
「あー。そう言えば、結局聞けなかったっけな」
「うーん、いいじゃない別に。市丸先生に会った時にでも聞けば」
「それもそうか」
っと、話し込んでいる場合じゃない。
網の上で焼かれている肉や野菜たちはすっかり食べ頃だ。
「ほら、どうせどんだけ食ってもタダなんだ。今のうちに食って、明日のライブに備えようぜ!」
「おーっ」
「追加注文は取るか?」
「……少し頼もうか」
ハルが近くを通りかかったレスリング部を呼んで、追加の肉と野菜を注文する。レスリング部はすっかり生気の抜けた笑みを浮かべながら伝票にメニューを書き足した。
まあ、あのお嬢ちゃんが食らい尽くした分の損失を補うのは大変だろうな。頑張ってくれ。
「うっし! 明日のライブ、頑張ろうぜ!」
「……ふん」
「まっかせなさい!」
「ああ。今までの練習の全てを押し出そう!」
第四十八回月波学園学園祭二日目。
この日は今まで体験したことがない、実に愉快な日として、俺の胸に刻み込まれたのだった。