だい にじゅうなな わ ~うわん~
「やっと終わった……!」
教室の中にいた全員が、異口同音にそう口にした。
人間と妖怪が共に暮らす街、月波市。そして月波市唯一にして全国最大規模の学び舎、私立月波学園にも、いわゆる学園祭の季節がやってきた。
「いやー、何とか間に合ったね」
そう言って、私の隣に腰を下ろした彼は、穏やかに笑いかけてきた。
「ビャクちゃん、どっち飲む?」
「ありがとう、ユタカ。じゃあ、こっちちょうだい」
「はい」
ユタカからシュウジが買ってきてくれた差し入れの缶入りの飲料水を受け取り、蓋を開ける。以前はどうやって開けるのか分からず、いつもユタカにやってもらっていたけど、最近はさすがに自分でもできるようになった。
プシュッという心地よい音と共に、中身が数滴弾けた。
飲み口に唇をつけ、缶を傾ける。すると果実の爽やかな香りを伴って、喉の渇きを潤してくれた。
うん、冷たくて美味しい。
「しっかし、ギリギリだったなー」
「うん。でも何とか前夜祭には間に合ったね」
実を言えば、厳密には今日から学園祭本番なのだ。一般公開は明日からだけど今日の夕方から開催式を兼ねた前夜祭で、準備が終わっていない学級は参加できないのだそうだ。
「いやー、二人ともお疲れ!」
「ユッくん、ビャクちゃん、お疲れ様……」
少し離れた所で、やはり差し入れ飲料水を飲んでいたアズサとマナがやってきた。
「おー、梓。悪かったな、生徒会の仕事もあるのに手伝わせて」
「全くよ。あっちのイベントの準備が大体終わったから来てみたら、全然できてないんだもん。残りの仕事、颯太先輩に全部押し付けてきちゃった」
「ゴメンね梓ちゃん……。やっぱり、まとめる人がいないと、上手く進まなくて……」
申し訳なさそうに苦笑するマナ。
確かにマナの言うとおりだ。この学級は良くも悪くもアズサを中心に回っていると言っていい。でもアズサは生徒会の仕事で忙しく、あまりこっちの準備に来れなかったのだ。その結果、学級全体をまとめる人がおらず、こんな前夜祭ギリギリまでバタバタとする羽目になった。
「まあいいじゃん。間に合ったのは間に合ったんだし」
「……って、あたしがいない間、指揮はユーちゃんに任せてたと思ったんだけど?」
「僕には無理だった」
「はー。……どうせビャクちゃんとイチャイチャしてて何もしなかったんでしょうが」
「「……………………」」
「あ、図星なんだ」
アズサに額に青筋が浮かんだ。笑顔が……怖い。
まずいまずい、怒ってる怒ってる……!
「な、何もしなかったわけじゃないぞ!」
「へー? 例えば?」
と、ユタカが慌てて言い訳を口にする。
「食材の調達ルートを確定したり、タイムテーブルの調整をしたり、看板作りしたり、女子の衣装作りしたり……」
「と、言っていますが監視役の真奈ちゃん、どうですか?」
「え? わたし……? うーん……」
悩まないで。
お願いだから悩まないで! アズサの視線が痛いの!
「う、嘘は吐いてないよ……? ユッくん、ちゃんと食材のルート確定に貢献したり、タイムテーブル調整に意見したり、看板作りの手伝いしたり、わたしたちの衣装を作ったり……」
「……うん? 何か微妙に引っかかるような?」
ジロッと、梓はユタカを睨み付ける。
その視線から逃げるように、ユタカは視線を逸らす。
「何で、ルート確定とタイムテーブル調整と看板作りは『貢献』とか『意見』とか『手伝い』とか、直接手を出した風はないのに、衣装作りは普通に『作った』のかなー?」
「……………………」
「えーと、ね……」
視線を逸らし続けるユタカに、気まずそうなマナ。
もう……逃げられないのかな……?
「ユッくん……基本的にずっとビャクちゃんの衣装作ってて、他の係が相談に来た時に答えてた感じで――」
「とぅぉぉぉぉぉぉおおおおおりぃゃぁぁぁぁぁあああああっ!!」
「ゲフッ!?」
「ユタカぁぁぁぁぁあああああっ!?」
アズサの拳がユタカの顎に思いっきりぶち当たり、冗談抜きに体が数刻の間、宙に浮いた。
そして、ドシャッと嫌~な音と共に床に背中から叩き付けられる。
コンコンコンと、手に持っていた缶が床に転がる。未開封だったから惨劇は免れたけど……。
「って! 結局自分から進んでやった仕事は自分の嫁の衣装作りだけかい! ルート確定! タイムテーブル! 看板作り! どれもこれもほとんど手ぇ出してないじゃない!」
「ぐっ……! で、でも、男女とも衣装作りが一番捗ってなかったから……」
「何着作った?」
「ビャクちゃんの分、一ちゃ――」
「ふん!」
「ドボォッ!?」
「ユタカぁぁぁぁぁあああああっ!?」
今度はお腹を思いっきり蹴り上げられた!?
再び仰向けに倒れ込んだユタカは、嫌~な感じに四肢を痙攣させていた。白目剥いてるし……。
「成敗」
「ちょっ、アズサ……!?」
「で?」
あ。
これはまずい。
怒りの矛先がこっちに向いた。
「あたし、一応ビャクちゃんにもこのバカの監視を頼んだよね?」
「うぅっ……!」
「……まあ、ユーちゃんがビャクちゃんに甘々と同じくらい、ビャクちゃんもユーちゃんに甘々なのは分かってたことだけど」
「ご、ごめん……」
「それで、ユーちゃんがチクチクとビャクちゃんの衣装を作ってる間、ビャクちゃんは何をしてたの?」
「……………………」
えーと。
ユタカが私の衣装を作ってる間、私がやったことと言えば……。
「か、買い出しに行ったり?」
「うん、買い出し。他には?」
「衣装の規格直しに協力したり?」
「うん、サイズ直し。そして?」
「……………………」
「そ・し・て?」
「……み、皆とお喋りしながらお菓子食べたり?」
「――抜刀、十本」
アズサは言霊を紡ぎ、その体内から太刀を十振り喚び出した。
抜き放たれた太刀は教室の出入り口の辺りでフヨフヨと宙に浮き、ちょうどコソコソと抜け出そうとしていた級友たちの喉元にその鋭い切っ先を向けていた。
「動くな」
そう口にするアズサの眼は……怒りのあまり光を宿していないように見える。
「クスクスっ。なるほどなるほどー。そっかそっかー。ユーちゃんには悪いことしたなー」
床に転がって気絶しているユタカをチラッと確認し、アズサは教室の中をグルリと見渡した。私は背中から変な汗が流れおち角を感じ、オロオロと成り行きを見守っていたマナも顔を真っ青にさせている。
「ユーちゃんだけが悪いわけじゃなかったねー。クスクスっ、クスクスっ……」
「あ、アズサ……?」
わー。
すっごい、いい笑顔で笑ってる……目は死んでるけど!
『『『……………………』』』
教室中の面々が固唾を飲んで見守る中、アズサはクスクスと笑い続けた。
そして。
「あんたら全員共犯だぁぁぁぁぁあああああっ!! サボってないで仕事したらどうなの!?」
「で、でも梓ちゃん……こうして無事に準備は終わったことだし……!」
「終わってないでしょーが! 真奈ちゃん! うちのクラスは飲食店系の出し物なのよ!? 衣装とレシピ、タイムテーブルの準備ができたからって終わりじゃないでしょ!?」
「えっと……?」
「接客! あたしらは接客業! どんな風にお客さんを出迎えるのかとか、メニューの取り方とか、全く練習してないんじゃないの!?」
うっ。
そう言えば、そうだ。準備にかまかけて、そこら辺の練習は全くの手付かずだった。
「前夜祭が始まるまで、あと四時間! まだまだ時間はあるわ! 最低限の受け答えができる程度に練習しないと前夜祭には参加させないから! そのつもりでいなさい!」
その言葉を聞いた途端、一部からブウブウと不満の声が漏れた。しかしそれをアズサは「やかましい!」の一言で鎮圧する。
「いい!? 今からでも十分に間に合うから、対応の練習始めるわよ! 女子は実際に衣装着て、当日の感覚を覚えなさい! 男子は別に制服のままでいいわ。どうせ特別変わったものはないんだし。調理場組も注文に対応できるように練習! さっさと持ち場に付きなさい!」
衣装係! と教室の隅で怯えるように固まっていた数名に声をかける。
「女子の衣装持ってきて! 参考までに男子の衣装も一人分は着せて動きを見たいわ。さあ早く動いて! 前夜祭まで三時間五十分!」
ハチの巣を突いたように、とは少し違うかもしれないが。それでもアズサの号令とともに、さっきまでの「やっと終わった」という弛緩した雰囲気は一変し、再び慌ただしく練習の準備を始めた。
私も、ユタカが作ってくれた衣装をマナが持ってきてくれたので、手早く着替えた。
* * *
「うっ……うぅ?」
「あ。起きた」
夕日の赤い光が差し込む誰もいなくなった教室で、ユタカはようやく永い眠りから目覚めた。
子供のように瞼をこすりながら、それでもアズサに蹴り飛ばされたお腹を押さえながらゆっくりと目を開ける。
「おはよ、ユタカ」
「ん……? ああ、おはよう、ビャクちゃ」
と、寝起きの顔は姉のミノリに似てるなーとか考えていると、ユタカの言葉がいきなり途切れ、すぐさま瞳に覚醒の光が宿る。
その瞳を見つめ返すと、ユタカは何だか形容しがたい表情で口を開いた。
「えっと……ビャクちゃん?」
「何?」
「これはいったいどういうじょうたいかな?」
「口調が少し幼くなってるよ?」
「失礼。これは一体どういう状態かな?」
「わざわざ言い直し、お疲れ様」
「いえいえ。……じゃなくて」
何度か瞬きをし、見間違いではないことを確かめるユタカ。
「何で僕はケモ耳白髪の和ゴスメイド服美少女に膝枕されてるのかな?」
「あらやだ美少女だって」
「いえいえ。ビャクちゃんは普通に可愛い……それより」
何でこんなことになってるの、と。
ユタカはもう一度私に訊ねてくる。
んーと、どこから説明しようかな?
「まず、ユタカ、アズサに蹴られたのは覚えてる?」
「うん。すげー痛かった。いつか僕はあいつに殺されるんじゃないかと戦々恐々だよ」
「蹴られた理由は覚えてる?」
「まあね。僕がろくに仕事もしないでビャクちゃんの衣装を作ってたんだ」
「うん、そう。その後、私たち全員が怒られたの」
「えっと……?」
「理由は……まあ、同じ」
「ああ……。そりゃ、チンタラ仕事してたもんなー」
ユタカも自覚があったのか、苦笑しながら髪を掻いた。その動作が何だか愛おしくて、私も膝の上に載っているユタカの頭を撫でる。
「で、よく考えたら私たち、全然接客の練習とかしてなかったじゃない?」
「……? あ。そうだった……」
一瞬の沈黙の後、ユタカの表情がハッと固まった。
うーん、やっぱり忘れてたんだ……。まあ当日、実際に接客する私たちも全く記憶になかったから当たり前と言えば当たり前か。
「それで、前夜祭までの数時間で接客の練習しないと、教室から出さないって」
「うわー。それで、こんな時間まで練習してたの?」
窓の外の赤い空を見ながら、ユタカは同情するように嘆いた。
「アズサ……すごい剣幕だった……」
「あはは」
「あれ、何て言うんだっけ? えっと……す、すぱ……?」
「スパルタ?」
「そう、それ」
マナとか、涙目で注文取る練習してたもん。何度か転んで本当に泣いてたし。
それにしても、何でマナは何もないところで転ぶんだろう? 当日、料理を運んでる時に転ばなきゃいいけど……。
「そっか。それでビャクちゃんも当日に衣装着てるんだ」
「うん。『実際に来て動いて慣れろ。ほらほらもう二時間切ったわよ! クスクスっ……!』だって」
「それ、梓のマネ?」
「うん。どう?」
「似てる。すげー似てる」
「ども」
どちらともなく笑い出す。
私はその間も、ユタカのちょっと硬い髪の毛を撫でていた。
「って、で? 何で僕はずっとこの姿勢なんだ?」
「嫌なの?」
「全然。だけど、何でかなーって」
「マナとか、最初は保健室に連れて行こうとしたんだけどね。アズサが『そんな暇ない、その辺に捨てとけ』って」
「鬼だ……あいつ鬼だ……」
確かに、扱いがどんどん酷くなっていっている感は否めない。
「それで、ずっと床は可哀想だと思って、膝枕」
「どうもありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
私はユタカの髪を撫でながら微笑んだ。
「でもさー。ビャクちゃんが保健室に連れて行ってくれたらよかったんじゃない?」
「えー。だってアズサが怖かったんだもん」
「……真っ当な理由だ」
それに……。
保健室には、あの教師あるまじき教師がいるし……。ユタカがあんなのに誘惑されるとは思えないけど、それでも絡まれているのを傍から見るのは見ていて気分がいい物じゃない。
どうせ連れて行っても私はすぐに戻らなきゃいけなかったわけだし、ユタカと二人きりになんてさせたくないし……。
むー。
「ビャクちゃん、どうしたの?」
「え? あ、ううん。何でもない」
「そう?」
首を傾げながら、ユタカは上半身を起こしてウンと背筋を伸ばした。
「あ……」
幸せな重さが、私の膝からなくなる。
もうちょっと、こうしてたかったなあ……。
「んー……! あ、結構気を失ってたんだ……」
教室の壁にかかっている時計を見て、ユタカは頭を掻く。
ユタカが立ち上がるのを見て、私も裾を叩いて隣に立つ。
「ところで、誰もいないのを見るに、梓から合格点をもらって前夜祭会場に行った感じかな?」
「うん。ギリギリ妥協点だって」
「相変わらず手厳しい」
パンパンと、ユタカの背中に付いた埃を取ってあげる。
「ありがと」
「どういたしまして」
「それじゃあ、僕らも行こうか前夜祭。まだ少し時間はあるけど、先に行った連中が場所取りしてくれてるとは思えないし……」
「マナが取っててくれるって言ってたよ?」
「あ、そうなんだ。じゃあゆっくり行こうか。ビャクちゃん、着替えたら? 僕、廊下で待ってるから」
「……………………」
あー。
そういえば、まだ言ってなかった……。
「ねえ、ユタカ」
「うん?」
教室から出ようとするユタカを呼び止める。
「どうして私が衣装着てるのか、言ってなかった」
「え? 僕が気絶してる間に接客の練習してたんじゃないの?」
「そう」
「で、終わったから皆前夜祭に行ったんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ僕らも行こうよ」
「まだ終わってないよ?」
「……はい?」
意味が分からない、と言った風にユタカは首を傾げる。
「まだ練習、終わってないよ?」
「えっと……?」
「ユタカの練習が終わってないよ?」
「……………………」
「ユタカが目を覚ましたら練習させるように、って。アズサが。それで私、着替えないで待ってたの」
「え、でも……僕、当日はホール担当……」
「それでも、ほら。どんな感じで注文が来て、それにどんな風に対応するのか、練習しておいた方がいいんじゃない? って、アズサが」
「まあ……そうだけど。でも、時間的に今から練習したら前夜祭に……」
「いいからいいから! それに、調理場は私たちと違ってそんなに練習するようなこともないから、すぐ終わるわ。当日の動きの確認だと思って、ね?」
「う、うん……」
気乗りじゃないなー。
そんなに早く前夜祭に行きたいのかな?
「じゃあ早速やってみよ? ついでに、私の動きに変なところがないか、見ててね?」
「了解」
そう返事をし、ユタカは仕切りで区切られた向こう側の調理場に向かう。そして入口からこちらに顔を出し、準備がいいことを手で伝える。
「じゃあ、行くよ?」
「オッケー。それじゃ、はい、お客様が来ましたー」
言って、ユタカは扉の方を指さす。
実際は誰もいないけど、仮想お客さんで練習。
「……………………」
コホン。
えー。
「いらっしゃいませ! 1F、こすぷれ喫茶にようこそ!」
私たちの学級は、生徒会による厳正な抽選の結果、私たちが色んな恰好をして接客する喫茶店に決まっていた。決まった時は「恥ずかしい」と一部からは不満が聞こえてきたが、今では全員ノリノリだったりする。
私もユタカが作ってくれたこの服、気に入ってるし。イヴとかミノリとかが着せてくれる『ごすろり』と普段私が着ている和服を合わせたような感じが、何だか新鮮だ。
ちなみにアズサは忍者みたいな服、アズサは魔女の衣装を着ることになっている。
「男性二名様ですね? こちらへどうぞ」
入口で男女一人ずつのペアでお客さんを迎え、相手が男だったら女子が、女だったら男子が机まで案内する。
ちなみに、何でかは知らないけど、最初は男性客を「ご主人様」、女性客は「お嬢様」と呼ぶ予定だった。でもユタカの猛反対と「別にメイド喫茶執事喫茶じゃないんだし、いらないんじゃない?」というアズサの一言で廃止になった。
よく分かんないけど。
「ご注文お決まりになりましたら、べるを一度だけ鳴らしてください」
言って、私はべるとめにゅーをてーぶるに置く(フリをする)。
そして一旦、調理場入口でこちらを見ていたユタカのところに駆け寄った。
「どう? あんな感じでいいんだよね?」
「……あ。うん、そう、いいと思う」
「……?」
何だか歯切れが悪い。
何か変だったかな? でも、そうならそうとユタカは言うだろうし……。
「……………………」
「……うん?」
ユタカ、何だかボーっとしてない?
視線も妙にソワソワして……。
ん? あ、違う。さっきからチラチラ私を、正確には私の着物の裾とにーはいとの間から見えるフトモモを見て……。
「……………………」
ピラッ。
「ブフッ!?」
吹いた。
私が裾をちょっとだけ持ち上げると、ユタカは盛大に噴き出した。
「ユタカ……どこ見てボーっとしてた?」
「あっ……えっと……」
「はあ……。私は別にいいけどね、ユタカになら見られても。でも当日、他の女の子のココに気を取られてボーっとしたら、許さないんだからね?」
「ごめんなさい……」
「分かればよろしい。それじゃ、次行こうか」
溜息交じりに、私はさっきべるを置いた(フリをした)てーぶるまで行く。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
……ここで、アズサ曰く、ちょっと小首を傾げた方がいいらしい。ので、言われた通りにちょっとだけ首を傾げながら注文を聞く。
そして、まあ誰もいないわけだけど、注文されたとして、
「『愛情たっぷりふんわりおむらいす』がお二つ、『爽やかな香りの清楚なれもんてぃー』がお一つ、『ちょっと甘いくーでれこーひー』がお一つですね? かしこまりました」
しかし、練習の時も思ったけど変な名前だなー。普通に、おむらいす、れもんてぃー、こーひーでいいと思うけど……。
手に持った伝票に注文の品を書くフリをして、ユタカのところに戻る。
「……相変わらず、変なメニュー名だな」
「あ、ユタカもそう思う?」
「朝倉のちょっとズレたセンスが生み出したのだと思うと、あいつに全任した梓が恨ましいな」
めにゅーの名前を決める時、珍しくマナが率先して自分に任せてほしいと言ってきたのだ。ユタカとアズサ曰く、以前のマナでは考えられないことだったらしい。それでアズサはマナの成長を喜んで、名前決めを一任したのだそうだ。
「その結果がこれか……まあ、ファンシーな店の雰囲気に合わないとは言わないけど……」
溜息交じりに、私たちは調理場に入る。
そこには、明日から戦場になるだろうことを考慮して、すでに持ち運び可能な焜炉や調理器具、食器類が並べられている。
「それじゃあユタカ、調理台に立って」
「うん」
「それで、私が注文を取ってきましたー」
「はいどうぞ」
「おむ一、れもん一、こー一」
「んー、ちょっと待とうか」
「……?」
何だろう?
「不思議そうな顔をしない。何? その呪文は」
「『おむ』は『愛情たっぷりふわふわおむらいす』の略、『れもん』は『爽やかな香りの清楚なれもんてぃー』の略、『こー』は『ちょっと甘いくーでれこーひー』の略だよ」
「いや、『おむ』と『れもん』は何となく想像つくけど……何、『こー』って。そこまで言ったら普通にコーヒーでいいと思う……」
「でもアズサが、少しでも時間は短縮した方がいいって」
「そりゃその方がいいけどさ……まあ、いいや。梓だし」
「アズサだもんね」
「ちなみに、ホットコーヒーの場合は? 『ちょっと甘いくーでれこーひー』はアイスだったよね」
「『優しくホッとするこーひー』? えっと確か、ほこ」
「貫かれそうだな」
苦笑交じりに、ユタカは改めて調理台に向かう。
「それで、僕は注文された料理を作ればいいんだね?」
「うん、そう。それで、伝票はここに注文された順番に並べていくから、その順番に作っていってね」
「了解。飲み物は?」
「食前か同時か食後かを聞いておくから、それに合わせて。でも、飲み物係と食べ物係は分けてるはずだから、ユタカは料理の方に集中していいはずだよ」
「分かった。それで?」
「それで?」
「……………………」
「……?」
じっと見つめ合う私たち。
ヤダ、何だかドキドキする。
「終わり? これで」
「うん、終わり」
「……………………」
「あ、一つ忘れてた」
「何?」
「アズサから伝言」
「うん?」
「『当日ユーちゃんはただひたすら、あたしらの指示に従って料理を作る機械になりなさい』」
「……………………」
「……………………」
「ねえ」
「なあに?」
「一つ気になったんだけど」
「うん」
「これ、実際ここに立って練習する必要ってあった? ていうか僕、何もしてないよね?」
「ないねー」
「やっぱりな梓の阿呆!」
と、ユタカはアズサがいるのであろう方向に向かって吠えた。
まー、練習のほとんどは私たち接客係ばかりで、調理組はやることなかったもんなー。その分、当日はやることが一番多いんだけど。
「はー……はー……」
「落ち着いた?」
「うん……」
一頻り叫んで気が済んだのか、肩を上下させながら溜息を吐くユタカ。
「……………………」
「ふにっ!?」
かと思ったら、いきなり私の頬を無言で摘まんできた!?
「で? 何でビャクちゃんまで梓の気まぐれに付き合ってるのかなー? 正直、練習する必要ってなかったんだよねー?」
「ふ、ふん……」
「この余興に気を取られて前夜祭に間に合わなかったらどうするのさ。僕、ビャクちゃんにはこの学園祭のイベントはしっかり参加してほしくて気を揉んでたんだよ?」
「ほ、ほへん……」
「……………………」
ふにふに。
ユタカは何度か私の頬を突いた後、ようやく手を放してくれた。
「痛い……」
「ちょっとだけ自業自得だと思いなさい」
「はーい……」
しょぼん。
ヤレヤレと首を振るユタカ。
「でも……」
「何?」
「ビャクちゃん、わざわざ衣装で待ってる必要もなかったわけだよね? 僕が気を失ってる間に練習が終わったんなら、着替えて待ってたらよかったのに」
「……………………」
あー。
「それはねー」
「うん」
「ユタカに、私がこの服着て実際に動いてるの、見てほしかったから」
「え?」
「だって当日、ユタカも私も同じすけじゅーるで動くことになってるじゃない?」
ちなみに、私たちの予定すけじゅーるを組んでくれたのはマナだったりする。休み時間が同じになるよう気を遣ってくれたのかな?
「でもそれだと、実際に私がこの服を着て働いてるのは見れないわけじゃない? ユタカ、調理場で忙しいだろうし」
「……………………」
「そりゃ、試着とかでこの服を着てるのは何度か見せてるけど、でも実際に動いてるのは見れないんじゃないかなーって思って。それだと、せっかく作ってくれたユタカに申し訳ないかなって。それで、着替えないで待ってたんだけ……どっ!?」
不意に。
いや本当に不意に。
私は抱きしめられた。
「なっ、なななっ!? なっ!?」
「やー……」
「どどどどどうしたの急に!?」
ユタカの腕はしっかりと私の背中に回っていて、振りほどけない。いや、別に嫌じゃないし、振りほどくつもりはないんだけど、でも何で急に!?
「ゆ、ユタカ……?」
「んー」
鼻息が髪越しに首筋に当たってくすぐったい。それだけで、何だか力が抜けてしまう……。
気付くと、私は完全に全身をユタカに預けていた。
「いやー、何かね。何だか急に抱きしめたくなったって言うか?」
「そ、そう……?」
「ビャクちゃん可愛いなーって」
「……もう」
甘えん坊……。
いや、それは私も同じか……。私もすぐにユタカに甘えてしまう。
「もう少し、こうしてていい?」
「え? でも、前夜祭……」
「思ったより練習早く終わったから、大丈夫だよ。ここから会場までは歩いて十分もかからないし。それに、朝倉が席取っててくれてるんだろ?」
「そ、そうだけど……」
さっきから、ユタカ喋るたびに鼻息が首に当たって……! いや、それ以上に、姿勢の関係で仕方ないんだけど、鼻孔いっぱいにユタカの匂いが広がって、何だかボーっとしてきた……!
「あ。でも結構時間ないんだなー」
ふと、ユタカはそう口にした。自分の腕時計で時刻を確認したのか、左腕をゴソゴソ動かしてるのが服の生地越しに感じる。
「じゃ、じゃあ、そろそろ行こうか……!」
ちょっと名残惜しいけど……。
「……んー」
その思いが伝わったのかどうか知らないけど、ユタカは一度ギュッと抱きしめ、それから体を離――
「……………………」
「……?」
――すかと思ったら、なぜか見つめ合う距離で手を止めた。
何だろう……? この距離感、むしろ抱きしめられるよりもドキドキするんだけど……。
「そう言えばさー」
「う、うん……?」
「まだお仕置きしてなかったなーって」
「お、お仕置き……?」
「うん。梓の気まぐれに乗って、いらん練習に付き合わせたお仕置き」
まあ無駄ではなかったけど、と。
ユタカはもう一度体を密着させてきた。
「……?」
何をする気だろう?
よく分かんなかったのでユタカに身を任せていると、何だか髪の辺りで手もモゾモゾさせていた。それがだんだんと首の方にまで上がってくる。
……くすぐったい。
何て、そんな考えは甘かったとすぐに気付く。
「……………………」
ユタカは。
「……………………」
私の髪をそっと掻き上げ。
「……………………」
首元を露出させると。
「っ!?」
ちう、と。
「――――――~~~~~~………………っ!?」
吸った。
そりゃもう、結構強く。
しっかりと頭の上に生えている耳にまでその音が聞こえたもん。
「にゃっ、なっ、にゅゎぅえおくぁせぶにふぁえぉえなっ!?」
「せめて日本語喋ろうよ」
何て。
ユタカは首筋に唇を当てたまま喋った。
だから!
くすぐったいなんてもんじゃないんだけど!?
「……………………っ!!」
「はーい、深呼吸」
できるか!
だってこの姿勢でそんなことしたら、ユタカの匂いでボーっとしちゃうし……!
「はーい、吸ってー」
「……すー」
あ。
吸っちゃった。
「……ぅ~……」
「はい、吐いてー」
「ふわぁ~……」
もう……何なの……?
私は首筋まで真っ赤になっているのを感じながら、フラフラする視界に耐えて転ばないようにユタカにしがみ付いていた。
「……で? 何なの、急に……」
「んー、印付け?」
「しるし……?」
しるし……。
しるし?
……印っ!?
「ちょっ!?」
一気に正気に戻り、私は慌ててユタカを振りほどく。
そして調理場から駆け出して、私の荷物が突っ込まれている棚からハルがくれた手鏡を取り出す。そして髪を持ち上げ、首筋を確認する。
そしてそこには……。
「クッキリハッキリぃっ!?」
もうそれはそれは赤くて綺麗なきすまーくが付いていましたとさ。
って!
「どうするのよ! これ、誰かに見られたら……!」
「大丈夫じゃない? ビャクちゃん、髪長いし。隠れて見えないよ」
「でも何かの拍子で……!」
「大丈夫」
「え?」
何が大丈夫なのよ。
あ、ひょっとして、早く消す方法を知ってるとか?
「もし見つかっても、恥ずかしいのは僕も一緒だから」
「バカあああああぁぁぁぁぁっ!!」
共倒れじゃないのよ!
ちょっとだけ期待したのがバカらしくなってきた! っていうか、本当にどうするのよ、この印!
* * *
「あ、遅かったね……もうすぐ始まるよ?」
「いやー、悪い悪い。席取っててくれてありがとな、朝倉」
「どういたしまして……」
あれから自分たちの荷物をまとめ、少しだけ歩いて前夜祭の会場に二人で行った。
ユタカが……その、あんなことをしでかしたもんだから、時間的には結構ギリギリになってしまった。それで着替える暇もなく、私は当日の衣装のまま会場に入ったのだが。
「何だか……変な格好の人、多くない?」
「……ビャクちゃんも人のこと言えないと思うよ?」
何だか会場のいたるところで制服ではない、あきらかに学園祭のために用意したであろう格好の生徒の姿が見えた。早くもお祭り気分で浮かれているのか、私たちみたいに直前まで準備していたのかは知らないけど。
「ほら、ここ座って」
「ありがとう」
「お。ここ、結構いい場所じゃん。ステージがよく見える。やるじゃん朝倉」
「えへへ……頑張ってみました」
この会場、正直に言って私立とは言え学園にあるまじき規模を誇っている。ごく稀に緊急生徒総会でも使われるらしいこの会場は、一応屋内設備と言うことになっている。
けれどこの学園の全校生徒数は、軽く五ケタを超す。私たち高等部だけでも三千人近くいるのだ。それを全員収めるとなると、かなり巨大な施設が必要になる。
で。
何を思ったか、この学園の理事長は作っちゃった。
超巨大などーむを。
「しかし、こうやって見るとうちの学園ってアホみたいに人数いるよなー」
「それにこのドーム、観客席だけで一万人以上は収容できるんだよね……? 理事会、お金持ちだなあ……」
「私はむしろ、こんなものを作っちゃった行動力の方に感心するわ……」
学び舎の規模じゃない。
「っと、始まるぞ」
ユタカが運動場のど真ん中に設営されたすてーじを指さす。それと同時に、天井から吊り下げられた、これまた超巨大なすくりーんにアズサの顔が映し出された。
「へー、あいつが司会進行か」
「……何だか、そんな大役の直前にわたしたちの手伝いをさせちゃって、申し訳ないね……」
「だね……」
終わったら改めてお礼言わなきゃ。
『あ、あー』
すくりーんの中でアズサがまいくに向かって声を出す。最初は雑音だらけだった声が、次第に明瞭になっていく。
『あー、うん、よし。……えー! 長らくお待たせいたしました!』
会場中のざわめきが心持、大人しくなる。
アズサはすごく明るい声と笑顔で、まいくで挨拶を進める。
『ただ今より! 第四十八回、月波学園学園祭、前夜祭を開催いたしますっ!!』
その瞬間。
会場に集まった、約一万人の月波学園関係者がワーッと歓声を上げた。
それはもう、この建物の構造上の関係でよく音が響くことも相まって、ちょっとした雷が落ちるよりもよっぽどすごい轟音だった。
「ふびゃっ!?」
私は慌てて、尻尾を出す代わりに獣の耳を引っ込め、人間の耳に体を変化させた。
狐の耳は人間と比べると遥かに優れた聴覚を持つ。でもその分、轟音に対しては非常に弱く、この喧騒は軽く暴力の域だ。でもこうやって人間の体に変えてしまえば、かなり軽減されるのだ。
「ビャクちゃん! 気を付けて! 尻尾! スカート捲れないように!」
「分かってる!」
隣に座っているユタカとも、叫ばなければ会話もできない。すごい盛り上がりだ。
「……! …………!」
「えっ!? マナ、何!?」
でも、ユタカを挟んで座っているマナの声は全然聞こえない。元々声が小さいというのもあるんだろうけど、この騒音の中では聞き取りは厳しい。
「……………………」
すると、マナは口元を動かして何やら呟きだした。
そして。
「あー……うん、二人とも、聞こえる……?」
「うおぅっ!?」
「ビックリしたー!」
急にマナの声が鮮明に聞こえるようになった。それに、ユタカや自分の声も聞き取りやすい。でも、相変わらず周囲の轟音のような歓声は凄まじい。
「何したの?」
「ちょっとね……わたしの契約精霊のフィーちゃんに頼んで。わたしたちの会話を聞き取りやすくしてもらったの」
「へ? お前、そんなことできるの?」
「正確に言えば、実際に声を運んでくれてるのは私じゃなくてフィーちゃんだけどね……。私はただ、フィーちゃんにお願いしただけ」
「ふーん」
感心するように頷くユタカ。確かに、妖怪である私にすら何も見えないけど、私たち三人の間に何か不思議な存在が漂っている匂いがする。
『プログラム一番! 開催の挨拶! 高等部生徒会長、白銀もみじさん、お願いします!』
あ、モミジだ。
すてーじの中央に、楚々とした背の高い美人が姿を現した。すくりーん越しでも惜しげもなく伝わってくるその美貌に、同性の私もつい溜息が出る。
そして……夏服に衣替えしたことによって、より凶暴性を増した胸部に、男女問わず視線が向かっている……気がする。ついつい自分と比べて……やめておこう……気分が暗くなる……。
わ、私だって、ユタカから精を分けてもらえば、あれくらいに成長した姿に人化できるもん……!
負け惜しみじゃない! ……と、思う。
『皆さん、こんにちは』
と、モミジが喋りだした。
……って、すごい。あれだけ騒がしかったのに、一気に静かになった。モミジの言葉を聞き漏らさないようにしようという態度の表れなのだろうか? 何にせよ、すごい人望だ。
私たちも大人しく耳を傾ける。
『今年も、待ちに待った学園祭の季節がやって参りました。皆さん、この半月の間に様々な準備をしてきたと思います。大変だったでしょう。ハプニングもあったでしょう。ですが、それらもこの七日間が終われば、きっと良い思い出になるかと思います』
すくりーんに映るモミジの顔は、とても凛としていて格好良かった。
普段私たちに見せる微笑や、ハクロに見せる照れ笑いとは全然違う、生徒の代表としての笑顔だった。
『終わり良ければ全て良し、とは言いますが、私はこの言葉は我々の学園祭には相応しくないと思っています』
と、ここでモミジは一度言葉を区切った。
そしてグルリと観客席に座る私たちを見渡し、小さく微笑んだ。その微笑に、再びざわめきが蘇え「俺に微笑んだ!」「イヤ俺だ!」「何を言っている俺を見ていただろう!」「だが心は俺の方を向いていた!」「もみじさーんっ! 俺だーっ! 結婚してくれーっ!」『『『ぶっ殺すぞお前っ!!』』』「もみじさーん! 私よーっ! 結婚してーっ!!」『『『誰だお前っ!?』』』……いや、ざわめき過ぎだろう。
「本当に人気だなー……」
「そうだね……」
モミジに恋人がいる事実を知っている私たちは滅多なことは口にしない。暴動が起きるからとアズサに止められているし、この現状を見たら嫌でも口を閉じざるを得ない。
信者の暴走に遭って死にたくないし。
『終わり良ければ全て良し? いいえ!』
モミジがまいくを握り直し、再び声を張り上げる。
『月波学園の学園祭は、前夜祭から後夜祭までの一週間! 徹頭徹尾盛り上がり続けます! ここに、第四十八回目を迎える学園祭の開催を宣言いたします!』
瞬間。
さっきのアズサの挨拶の時とは比べ物にならない歓声と拍手が響き渡る。すでに人間並みの聴覚まで落としているのに、鼓膜が破れそうなほどの轟音にちょっとだけ眩暈がする。
「すごい盛り上がりだね!」
「ああ! 特に今年は、人気のもみじさんによる開催宣言だからね! 盛り上がって当然だ!」
ユタカも興奮したのか、マナが会話を聞き取りやすくしてくれているにもかかわらず、大きく声を張り上げた。当の私もついつい大きく声を出してしまっているし、マナも顔を上気させながら懸命に拍手をしている。
拍手と歓声は、モミジがお辞儀をしてすてーじから降りてもなお続いた。
そして再び、すくりーんに視界のアズサが映し出される。
『はい、もみじ先輩ありがとうございます! さて続きまして、プログラム二番! エールです! 応援団の方々、お願いします!』
……えーる?
「何をするの?」
「うーんと、簡単に説明すると、うちの応援団が学園祭の成功祈願の応援をするんだ」
「へー……。というか、うちの学園、応援団なんてあったんだ……」
意外そうな顔をするマナ。
「まあね。これでも歴史だけは古いからね。最近はなかなか見ない硬派な応援団があるんだよ」
私も知らなかった。
硬派って言うと、あれかな? ミノリが大好きな、ちょっと古い学園モノのどらまに出てくる感じ?
何て想像してると……本当に出てきた。
「あれが?」
額に白い鉢巻をつけ、やけにボロボロなまんとのように長い学生服を身に纏った、ガタイの良い男子生徒がすてーじに上がってきた。
よく見れば、学生服の下には素肌にサラシを巻いただけという、かなり粗野な印象だ。足元も、これまた古臭い下駄で、何代も同じものを受け継いできたことが伺える。
そしてその男子生徒に続き、やはり古びた学生服を着た生徒が数名、すてーじに上り、後ろに控える。
「何か……怖い」
マナがちょっと上ずった声で呟く。
確かに、すくりーんに映し出された面々は、誰も彼もが堅気とは思えない人相の持ち主だった。
そしてなぜか、ユタカまで青ざめていた。
「……あれって……尊さんか……!? あのヒトが学園行事の表舞台に立つなんて……前代未聞だぞ……」
「ユッくん、どうしたの……?」
「……?」
ブツブツと何やら口にするユタカ。
あの応援団がどうしたんだろう?
「ユタカ……?」
声をかけようとした時。
『……第八十七代目月波学園応援団長、3Bの神崎尊だ。よろしく』
雑音たっぷりのまいくから聞こえる声は、やけに重低音で、ドスが効いていた。モミジの挨拶に盛り上がっていた面々も、さっきとは全く質が違う沈黙を保っている。
そしてミコトと名乗ったその応援団長は、ふいにアズサに向かって拡声器を投げ捨てた。
『ちょっ! 備品投げないでくださいよ……』
何て、小さく悪態を吐く声をアズサのまいくが拾う。
けれど、誰もそれに笑う者はいなかった。
全員が、すてーじに立つ応援団……と言うかミコトに注目していた。
そして。
「押忍っ!」
『『『押忍っ!』』』
「押忍っ!」
『『『押忍っ!』』』
「押忍っ!」
『『『押忍っ!』』』
「押忍っ!」
『『『押忍っ!』』』
「押忍っ!」
『『『押忍っ!』』』
「……押忍」
ミコトの掛け声に一瞬遅れて、後ろの団員達も掛け声を合唱する。その声量と言ったら、まいくも使っていないと言うのに、この広い会場全体に響き渡るほどだった。
「すごい迫力……」
呟くマナ。
確かにミコトを始め、全員が鬼気迫る表情を浮かべている。
「あー……二人とも」
「え……?」
「何?」
ミコトが最後に小さく押忍と言って小さく頭を下げた後、舞台を見ながらユタカが引き攣った顔で声をかけてきた。
「耳、塞いどきな」
「「……?」」
私たちは顔を見合わせ、それからもう一度舞台すてーじを見る。
するとそこには、遠目から見ても大きく息を吸い込んでいると分かるミコトの姿があった。
そして次の瞬間。
鼓膜が破れるかと思った。
* * *
「うわん!」
会場中に轟くえーるに対抗するように、ユタカも声を張り上げる。
「驚かし系妖怪の代表格! ただ『うわん』と鳴いて驚かしてくるだけの妖怪! でも、こう口で言っただけでは伝わらないと思うけど、実際はその声の大きさで驚かす妖怪なんだ!」
「そんなの見れば分かるわよっ!!」
これ、本当にミコト一人の声なの!? 後ろの応援団も何やら叫んでいるようだけど、全然聞こえない! すてーじの下で太鼓を叩いている応援団員もいるけど、申し訳ないがその音すらも聞き取ることができないし!
しかも聴覚が麻痺してきたのか、そのミコトの声すらも聞こえなくなってきた。いや、聞こえてはいるんだけど、もはや何を叫んでいるのか聞き取れないのだ。
「尊さんって……何者なの……!?」
マナも叫ぶ。
精霊の力によって声は届くはずなのに、爆音によって大気が振動して聞き取りにくくなっている。自然と叫び声になる。そうしないと会話が成り立たない。
「月波学園の応援団長にして、生徒会副会長! 副会長が応援団長も兼ねるのは伝統なんだけど、尊さんはにはもう一つの顔がある! むしろそっちの方がメイン!」
「もう一つの顔っ!?」
「月波学園の不良たちのトップ! 昔で言うところの番長!」
ユタカによると、月波学園にもそう言った素行が悪い面々の集まりがあるらしい。
いや、むしろあって当然か。これだけの生徒数を誇っているんだ。全員が全員優等生なわけがない。そんなの、生き物の集団としては気持ち悪い。
そして入学早々、彼らの頂点に昇り詰めたのが神崎尊そのヒトらしい。
うわんは驚かし系の妖怪。しかし一応は鬼の眷属であって腕っぷしはいい。喧嘩に負けることはそうそうなかったのだそうだ。
それに加え、うわんの「大声で驚かす」という特性も加わり、学園の裏に蔓延っていた不良たちを、文字通りたった一言で粛清し、頂点に立ったのだそうだ。
では何でそんな不良たちの頭領が生徒会、しかも副会長なんて重役の椅子に座っているのかと言うと、彼の喧嘩まみれの学園生活において唯一の黒星をきっした相手である、現風紀委員長・和田光輝に対抗するためだそうだ。
コウキは過去に、風紀委員として不良たちの一斉粛清に乗り出したのだそうだ。そこにミコトが立ち上がり、コウキと徹底抗戦したらしい。
結果として、何とかコウキは追い返したものの、ミコトも決して勝ったとは言えず、このままではいけないと考えたのだそうだ。
そこでミコトはあえて生徒会に立候補し、コウキもそう簡単に手を出せない生徒会副会長という地位を手に入れたのだそうだ。
最初は風紀委員会に対抗する手段として手に入れた地位だったのだそうだが、今ではそれがいい方向に働いているらしい。コウキ率いる風紀委員会はミコト率いる不良たちに下手に手を出せない。けれど、その頂点たるミコトが、派手に暴れて風紀委員会に目を付けられないように不良たちに睨みを利かせているのだ。
そして現在、上手い具合に住み分けされ、表と裏の治安の維持が二人によってなされているらしい。
……なんて、ミノリが好きそうな物語が過去に展開されていたという。
もっとも、教えてくれたユタカも、アズサからの又聞きだから本当かどうかは分からないのだそうだ。
しかし、ミコトとコウキが犬猿の仲であることは事実だそうだ。
「どこまでが真実かは知らないけど、まあそんな感じの出来事があったらしい、程度に留めておけばいいと思うよ!」
「本当に、すごいお話……!」
「だね! 短編小説が一本書けそう!」
耳を押さえながら会話を交わすという、何とも珍妙な状況にも慣れてきてしまった。
今は応援歌を歌っているようで、爆音に何となく節があるように聞こえる。
「そろそろ終わりかな」
ユタカがゆっくりと、耳から手を離す。それに倣って、私とマナも恐る恐る耳を塞いでいた手を離す。
すると、ついさっきまで応援歌も終わり、太鼓の音だけが名残惜しげに響いている。そしてその音も、すぐに止んでしまった。
残ったのは、爆音の後の静寂と、キンキンという耳鳴りだけ。
『押忍……。お疲れ』
あれだけの大声を長い間出し続けていたというのに、アズサが持ってきたまいくが拾うミコトの声は、全く掠れていなかった。どんな声帯を持ってるんだ……。
「いやぁ~……凄かったねぇ~……」
「朝倉ぁ、何だか発音が変だぞぉ?」
「ユタカもぉ。……あれぇ? 私もぉ?」
聴覚をやられたかな……? 上手く発音ができない……。
* * *
「アズサ、お疲れ様ー」
「あれ? 三人とも、どうしたの?」
前夜祭は滞りなく終わった。
あの文字通りの意味で衝撃的だったえーる以降は、校長先生と理事長による挨拶、そして前夜祭での出演権を抽選で勝ち取ったくらすや部活の宣伝だった。
ユタカによると、中には名前だけ聞いたら何をやるのか見当もつかない企画や部活もあるので、こういう時に掘り出し物ないべんとを探しておくんだって。
ちなみに、残念ながらユタカの射撃部と私たちのくらすは抽選に外れてしまったので、前夜祭での出演はなかった。
「一緒に帰ろう思って、寄ってみたの……」
「あ、そうなの? でもゴメン。まだ少し仕事があるから」
そう言ったアズサの机には、確かに書類が山積みになっていた。
……でも。
「仕事があって忙しいって割には、人が少なくないか?」
生徒会室を見渡して、ユタカがボソッと呟く。
アズサの言葉とは裏腹に、ここにはアズサの他にモミジとササキしかいなかった。
「神崎先輩以外の男性陣は皆さっきの前夜祭の後片付けの指揮を執ってるんだよ。神崎先輩はいつも通りさっさと帰ったけどね。それで僕ら女性陣は明日からのスケジュールの再確認。会計コンビは他のサークルの所に確認しに行ったよ」
手を動かしながら、ササキは抑揚のない口調でそう言った。
アズサからサボり魔だと聞いていたが、さすがにこの時期はキチンと仕事をするようだ。
「と言うわけで朝倉ちゃん。申し訳ないけど先に帰っていてくれないかい? 別に一緒に帰れなくて寂しいとかそんな考えはこれっぽっちも思っていないけどね」
「うん……しょうがないもんね」
苦笑しながら、マナは私たちに向き直った。何だかんだで、この面倒臭い性格の友人とは上手くやっているようだった。
「忙しいならしょうがないな。じゃ、先に帰るぞ」
「うん、ゴメンね―。それじゃ、明日から頑張ろー」
「そうだね。……それじゃあ、お疲れ様」
言って、私たちは生徒会室を後にしようとした。
しかし。
「ああ、少し待ってください」
さっきまで手元の書類に目を通していたモミジが、不意に顔を上げた。
「梓さん、沙咲さん、先に帰ってもいいですよ?」
「「え?」」
二人同時にモミジの方を向いた。
「でも僕たちの仕事はまだ結構残ってますが?」
「そうですよ。これ、どう見積もってもあと一時間はかかる量ですよ」
「大丈夫です。それに私、今日は徹夜の予定ですから」
「徹夜っ!?」
「はい。今日、理事会から目を通すように言われた資料がありまして。資料に会長印を押さなければならないので、それが結構な分量があって、どうしても今夜は帰れそうにないんですよ。すでに宿直室を一室、借りる手続きは取ってますので、問題ないです」
「でも僕らの仕事をさらに上乗せさせるのは忍びないのですが」
「大丈夫です。どうせ徹夜なんですから、一時間や二時間増えたところで変わりません。それに私、元々は夜行性ですから、むしろ夜に仕事した方が捗るんです」
「はあ……そうですか」
さすがにそこまで言われたら引き下がるしかないだろう。
アズサとササキはどことなく申し訳なさそうに自分の荷物をまとめ始めた。
「それじゃ、あたしたちは先に帰りますね」
「無理はなしないでくださいね。あなたに倒れられて困るのは僕たちなんですから」
「分かっていますよ。お疲れ様です」
モミジは微笑みながら手を振った。
何だか、私たちがモミジの徹夜の背中を押したみたいで、ちょっとだけ申し訳ない気がする。でもまあ、本人がああ言ってるんだから、いいのか、な?
「それじゃあ先に帰りますね」
「お疲れ様でーす」
自分の鞄を持って二人がこっちにやってくる。
「それじゃあ帰ろうか」
「そだね」
五人揃ったところで、私たちは生徒会室から出ようと扉に手をかける。
……そこで、私はようやく思い出す。
「あ! 私、着替えてない!」
「「「「え」」」」
全員が「今気付いたのか」って目で私を見た。
えーそーですよ。今気付きましたよ。
「普通に着てたから、普段着にするつもりなのかなーって、思ってた……」
「なわけないでしょ!」
「いやー、ビャクちゃんならありえるなーって思ってたわ、うん」
「さすがにこれ着て日常生活は送りにくいでしょ!」
「大丈夫さ。君にならできるよ」
「他人事!」
皆、私をどういう目で見てたんだ……。
確かに私はこういう服好きだよ? ミノリが用意してくれためいど服(冥土じゃないと知ったのは最近。恥ずかしかった)は動きやすく可愛いので、休日の普段着に使っているが、イヴがくれた『ごすろり』とかもそうだけど、普段は着ないもん。
「こういうのは、その……きちんとお洒落したい時に着るんだもん」
「「「……………………」」」
「みんな、なぜ僕を見る?」
視線がユタカに集中。
「でもビャクさん、その服、とっても似合ってますよ?」
「ありがとう、モミジ……」
「ビャクさんのシフトはいつですか? 喫茶店、ぜひ行ってみたいですね」
お待ちしております。
さて、それはそうと、制服を取りに教室戻らなきゃ。
「制服なら僕が持って来てるけど?」
「……………………」
何で?
「いや、あんな鍵も何もないところにビャクちゃんの制服を放置してたら、盗まれるかもしれないと思って」
「いやいやいやいや。ユーちゃん、心配性すぎるでしょーが」
「穂波くん。ただ単に穂村ちゃんの脱ぎたて制服が欲しかっただけじゃないのかな?」
「……ごめん、ユッくん。フォローできない……」
「お前らはどんな目で僕を見てるんだ!?」
酷い言われようである。
何だか私も声をかけようかと思ったが、それよりも先にユタカは肩に下げていた袋から私の制服を取り出した。
「はい」
「ありがとう」
きちんと畳んであって、変なシワは寄っていないようだ。
「ほら、ユーちゃん出た出た。乙女のお着替えタイムに同伴するつもりじゃないでしょーね」
「はいはい」
肩を竦め、大人しく生徒会室から出ていくユタカ。
私は別にいいけどね……でもさすがに、常識というか、体裁というものがあるからね。
「着替え、持っててあげるね」
「ありがとうアズサ」
ユタカに制服を預け、帯代わりになっていたえぷろんの腰紐を解き、上着から脱ぐ。しかしこうやって改めて見てみると、上着もすかーともフリフリが一杯ついててとっても可愛い。
……やっぱり、ユタカに作ってもらって良かった……。
「おーい、そこの和ゴスメイド服を抱えて恍惚としている白髪の美少女やーい」
「……え? 私?」
「他に誰がいるのよ。ユーちゃんに作ってもらった服を愛おしそうに抱きしめちゃって、まー。幸せそうだことー。このリア充共め」
「もう……梓ちゃん」
「はいはい瀧宮ちゃん。君は少し落ち着こうか」
ユタカが作ってくれた衣装をササキに持ってもらい、代わりに制服を受け取る。
それを簡単に羽織り、上着の中に入ってしまった長い髪を引き抜く。
「……あれ? ビャクちゃん」
「ん、何?」
完全に髪を上着から引き抜き、軽く整えている時だった。
マナが不思議そうに声をかけてきた。
「虫刺され、できてるよ……?」
「え、ウソ。どこに?」
「首のとこ……」
「んー? どれどれー?」
アズサが私の髪をたくし上げ、首の辺りを注意深く探す。
「あ、これかな? ちょっと赤くなってるね。……ん? でもこれ……」
「どうしたんだい瀧宮ちゃん」
「ねえ、沙咲ちゃん。これ、虫刺されにしては変じゃない?」
「へえ? どれどれ」
ササキも寄ってきて、首の辺りを見る。
それにしても、いつ刺されたのかな?
「どうしたのですか皆さん、集まって。お着替えはどうしました?」
「あ、もみじ先輩」
ワイワイ騒いでいたのが気になったのか、机で資料を読んでいたモミジまでこっちに来た。
「何か、ビャクちゃんの首のところに虫刺されの跡があって」
「あら、そうなのですか? お薬ありますけど、塗ります?」
「んー、いいよ。全然痒くないし」
「そうですか? ……あら」
と。
モミジは私の首筋を見るなり、急にニヤニヤと笑いだした。
「これはこれは、ずいぶんと情熱的な虫刺されですねー」
「へ?」
情熱的?
虫刺されに情熱的も何もないと思うけど……。
「とっても幸せそうで、何よりです」
「……?」
幸せ?
……………………。
あ。
「……えっと……その……」
「へー……見ようによっては、相当質が悪い虫ね」
「でもなるほど。確かに情熱的な虫刺されだ」
気付いたのは、まあ、四人同時だっただろう。
私は一瞬で血の気が引いて体温が下がり、しかし次の瞬間には心臓の激しい動悸とともに耳や首どころか、出したままだった尻尾の先まで熱くなるのを感じた。
ようやく気付いた。
マナが見つけた、首筋の虫刺されって……!
「……だから、前夜祭に来るのが遅かったの……?」
「ちょっと待ってマナ! 顔を赤くしながら何を想像してるのよ!?」
「へー、ナニだってー」
「アズサはちょっと黙ってて!」
何か発音が卑猥!
「えっとね、これは、その、別に何でもなくって……!」
「いやいや穂村ちゃん。何でもないってことはないよね。そんなに熱くて情熱的な虫刺されを首に付けておいてさ」
「別にそれ以上のことはないわよ……! 単に、首にちうってされただけで……はっ!」
「「「「……………………(ニヤニヤ)」」」」
四人が何とも形容しがたい表情で私を見ていた(ササキはいつも通り無表情だったけど)。ニヤニヤニヤニヤと、その視線に冷や汗が止まらない。
「うぁ……うぅ……!」
「幸せそうで、本当に何よりです」
「……えっと、うん、お幸せに……?」
「やー、ホント、リア充ねー。一周回って微笑ましいわ」
「穂村ちゃん。今度その時の様子を事細かに教えてくれないかい?」
「……っ!」
あー……もう……!
「ユタカのバカあああああぁぁぁぁぁっ!!」
余談。
私が叫んだ瞬間、何事かとユタカが生徒会室に入ってきちゃったんだけど、その時私はまだ上着を羽織っただけの何とも無防備な格好だったわけで。
着替え中に入ってきたユタカは、その場にいた女性陣に筆舌しがたい制裁を与えられ、再び気を失ってしまった。元はと言えばユタカが原因なわけで、慰める気は起きなかったけど、何で入ってきてしまったのか理由を尋ねてみた。すると、
「尊さんの大声並みの叫び声が聞こえてきたから、何が起きたのかと思って……」
とのこと。
そんなに凄かったかな……?