だい にじゅうご わ ~天邪鬼~
とっぷりと夜も更け、蛍光灯の白い光が廊下を照らす中、わたしは足早に歩いていた。
「すっかり遅くなっちゃった……」
藤村先生の下、改めて魔法を習い始めて数週間。ここ最近の、放課後の学園祭の準備の後も個人指導は続けてもらっている。
お兄ちゃんのような立派な魔術師になる。
改めてそう決意するきっかけとなったあの事件から、すでに半月なのだ。
時の経つのは、早い。
「真奈ちゃんゴメンなー。ウチのにーちゃんがズルズルとこんな時間まで付き合わせてー」
と、頭上から声が聞こえてきた。
見上げれば、初夏だというのに冬物の厚手のコートを着込んだショートカットの少女が済まなそうに苦笑していた。
この少女、背丈は私と同じくらいだ。それなのに顔を見るのになぜ見上げなければならないかというと、答えは実に簡単だ。
空中にフワフワと浮いているのだ。しかも、体が透けて天井が見える。
「気にしなくていいよ、アヤカちゃん。私が頼んだことなんだし……」
「そーは言ってもさー。限度ってものがあるじゃん。今九時だよ、九時ー」
ブウ、と口を尖らせるアヤカちゃん。
やけに生き生きとした表情を浮かべているが、彼女――藤村アヤカちゃんは、わたしの担任の先生にして魔法の指導を請け負ってくれている藤村先生の、亡き妹さんである。
藤村先生の三つ歳下らしいが、外見はわたしとそう変わらない。何でも、高校一年の冬に事故に遭って亡くなったらしい。
が、何か未練が残っているらしく、以来短くはない期間をずっと浮遊霊として過ごしてきたのだそうだ。彼女自身も頑張って成仏しようとしているらしいが、何が未練なのか自分でも分からないとのことで、半ば諦めかけているのだとか。
「でも……やっぱり藤村先生はすごいよ。あんなに長時間、集中できるなんて……」
「えー。ウチに言わせれば、真奈ちゃんの方がすごいと思うけどなー。だって呪文、全部覚えてるんでしょー? ウチのにーちゃん、今でもたまにカンペ読んでるしー」
「わたしの場合……知識に実力が追いついてないところが多いから……」
確かに、わたしは一度見聞きしたことは決して忘れることはない特異体質だ。それはルーンや呪文を覚えなくてはならない魔術師としては恵まれた能力なのだろう。事実、わたしが披露した知識に、藤村先生も舌を巻いていた。
けれど、わたしにはそれを扱いきれる力がない。
だからこそ一ヶ月前のあの日、わたしは暴走してあんなモノを喚び出してしまったのだろう。
「……あ」
「お」
と、二人で歩いて(?)いると、廊下の奥に人影が見えた。
確か、わたしの部屋の上の階に住んでいる、三年生の先輩だったはず。
「あら、ごきげんよう」
「ごきげんよー」
「ご、ごきげんよう……」
先輩は優雅に一礼しながら挨拶し、それにわたしも応える。
「「……………………」」
先輩が遠くに去っていくのを確認してから、わたしは大きく「はー……」と息を吐いた。
何なんだ、この挨拶……。
「まだ慣れない?」
「うん……。ごきげんよう、なんて、生まれてから一度も言ったことなかったもん」
「だろうねー。でも慣れてねー。この寮の女子同士の挨拶だからー」
「……はあ」
寮には変わった習慣が多いって、入寮する前に梓ちゃんに聞いてたけど、これは少し変じゃないかな……? 今時「ごきげんよう」って……。
溜息を吐きつつ、わたしたちは部屋に戻る。
わたしの部屋は寮の三階、北側の十三室だ。本当は二人部屋なんだけど、アヤカちゃんが暇を持て余し、入り浸っているので三人部屋みたいな状態だ。
……変と言えば、わたしの相部屋の娘も変なんだよね……。
ガチャリと、鍵のかかっていない扉を開けて中に入る。
「やあ朝倉ちゃん。遅かったね。今夜も藤村先生の個人指導かい?」
部屋の中央に置かれたソファに腰掛けた、一見すると性別不明の部屋員が抑揚のない声で話しかけてきた。
「ごきげんよー、沙咲ちゃん」
「おや藤村ちゃんもいたのか。ごきげんよう」
ペットボトルのスポーツ飲料水を表情を変えずに飲みながら、沙咲ちゃんはやはり抑揚のない口調で挨拶を返す。
須々木沙咲という、何だか不思議な名前の女の子については、梓ちゃんから色々と聞いていた。
無表情。
無感情。
無アクセント。
ただし無口ではなく、かなりのお喋り。
生徒会に所属しているが、サボり癖が酷い。
などなど、なかなかにアクの強いヒトだと言うことだけは理解できた。わたしがこの雲海寮に入って部屋員が沙咲ちゃんだったと伝えると、えらく微妙な顔をされたのは記憶に新しい。
そして数週間の間、同じ部屋で寝起きを共にしてきたけど、どうにも掴みどころのないキャラクターにわたしは振り回されている。
「ところで朝倉ちゃん。今戻ってきたと言うことはお風呂はまだなんだね?」
「え、うん。そうだけど……」
「だったら一緒に行こうか。僕もこれからなんだ」
「あ、いいなー。ウチも行くー」
「おいおい藤村ちゃん。君は幽霊なんだから入浴の必要はないだろう」
「気分の問題よー」
「だいたい君。そのコート脱げないだろう」
「ぶー」
姦しくお喋りをしながら、沙咲ちゃんはお風呂に行く準備をすすめる。バスタオルや着替えを衣装ケースから取り出し、簡単にまとめて小脇に抱える。
「ん? 朝倉ちゃん行かないのかい?」
「え……あ、ごめん。今準備するね」
「そうしてくれ」
荷物を一旦テーブルの上に置き、再びアヤカちゃんと雑談に興じる沙咲ちゃん。
「ところで沙咲ちゃん……。ひょっとして、わたしが戻ってくるのを待ってたの?」
「え? いやいやそんなわけないだろ勘違いしないでよね僕は別に朝倉ちゃんと一緒にお風呂に入りたくて学園祭の準備が終わった後もずっと待っていたわけじゃないんだよ」
「……………………」
ずっと待っていてくれたらしい。
ありがたいはありがたいんだけど、何でこうもわざとらしくツンデレるのだろうか?
着替えとタオルを持ち出し、シャンプー類を手桶に入れる。ここの大浴場にはシャンプーとリンス、それにボディーソープは備え付けてあるが、少しわたしの肌には合わない。
それにわたしの髪はそこそこ長いから、一度に大量に使うことになる。アヤカちゃんは「もっと髪が長い先輩も気にしないで使ってるんだから、別にいいと思うよー」と言ってくれるが、それでも申し訳ない気がしたので自前の物を使っているのだ。
沙咲ちゃんのような、男の子みたいに短い髪なら気にしなくても良かったんだろうけど。
幽霊ゆえに、亡くなった時の状態でい続けるしかないアヤカちゃんを部屋に残し、沙咲ちゃんと二人で一階の大浴場に行く。
雲海寮は男女共同の寮だけど、実質的には別々で生活しているようなものだ。
二階と三階が男子部屋、四階と五階が女子部屋があるが、女子部屋へは学生証がなければ使えないエレベーターと、非常階段でしか行けない仕組みになっている。
たまに非常階段を登って不可侵領域に足を踏み入れようとするおバカさんもいるらしいが、たいていは女性陣によって痛い目に遭うのだそうだ。
そして一階が共同スペース。大浴場や談話室、食堂などがここにある。
「やっぱり遅くなってしまったね。結構混んでいるよ」
沙咲ちゃんが無表情無感情無アクセントで、しかしどこかゲンナリとした雰囲気で大浴場の「女湯」の暖簾がかかった入り口を見る。
すりガラスの向こうからは姦しいお喋りの声が聞こえてきていた。
「それじゃあ行くよ」
「う、うん……」
わたしは神妙な面持ちで扉の引き手に手をかける。
そして。
「ごきげんよう! 5411室高等部一年G組所属! 須々木沙咲です! 入浴させて頂きます!」
「ご、ごきげんよう……! 5411室高等部一年F組所属! 朝倉真奈です……! にゅ、入浴させて頂きます……!」
入浴前の挨拶。
こうしないと浴室どころか脱衣所にすら入れてもらえないのだそうだ。
どんな文化だ……。
「ごきげんよう。どうぞ、ゆっくり疲れを落としてね」
脱衣所の奥の方から返事が返ってくる。よかった……一回で入れてもらえた……。
初日なんか、「声が小さい」って何度も何度もやり直しをさせられたんだよね……。途中でアヤカちゃんが助けに来てくれなかったらずっと挨拶をしていた気がする。
「はあ……」
「あはは。疲れてるね」
「うん……。何でこう、この寮は変な文化が多いの……?」
「うちはまだマシだよ。僕が知る限り男子寮だけど細波寮が一番変だし。何だったかな? 確か三階に住んでいる一年生は夜十時の静粛時間開始の放送と共に『お休みオッスー』と叫ばなければいけないらしい」
「階ごとに文化が違うの……!?」
「しかも一応は静粛時間だから他の階には聞こえないように叫ばないといけないとか。上下の階に響いちゃうと先輩が怒鳴りに来るらしい。それにビビッて控えめに叫ぶと逆に三階の先輩に聞こえないと怒られるんだそう」
「……っ!?」
何その寮!?
住みたくないんだけど……!
「細波に比べて雲海は平和平和」
「いや……うちが平和かと言えば、そうとは言いにくいと思うんだけど……」
……いや。しかしこれはある種の人と人とのつながりだ。
わたしは人とのつながりを強くするために、寮に入ったんじゃなかっただろうか……!
この前の事件は、相談できる人もいなくて一人悶々とした結果、暴走してしまったのが原因だったのだから……!
「まあ何にせよ慣れなきゃね」
「うん……! わたし、頑張ってみる」
「その意気だよ朝倉ちゃん」
脱衣所に入り、とりあえず服を脱いでカゴに入れる。やはりこの時間帯は混んでいるようで、わたしも沙咲ちゃんもようやく空いているカゴを見つけた。
……さて。
「……………………」
「大丈夫かい? 朝倉ちゃん」
「だ、大丈夫……」
「すごい震えてるけど?」
うぅっ……何だかんだで、お風呂の時間が一番緊張するんだよね……!
「大丈夫……! 行ける。わたしなら行ける行ケる行ケル……!」
「こりゃダメかもね」
「サア、行コウカ沙咲チャン……!」
「あー。うん」
「シ、シシシ、失礼シマス……!」
ガラリと、浴室への扉を開ける。
ムワッとした湯気で視界が白く曇る。……と思ったら、メガネを外すのを忘れていた。
「……うぅ」
「とりあえず外そうよ。メガネ」
さすがに緊張しすぎた……。
すごすごと服を入れたカゴの中にメガネを突っ込み、ぼやけて何も見えない頼りない視界で浴室の入り口まで戻る。
「では改めて」
「う、うん……! し、失礼します!」
ガラッと扉を開け、浴室に入る。
メガネがないので何も見えないが、やはり結構混んでいるようだった。それでも、何とか二人分のスペースは空いているようだ。
「それで、沙咲ちゃん……! ど、どなたがいいかな!?」
「ちょっと待ってね。えーと」
「あ……あの人ってこれから入る感じじゃないかな!?」
「え。あ。ちょっと朝倉ちゃん。その人は」
「し、失礼します……!」
わたしは手と足を同じタイミングで前に出しながら進み、今ちょうど鏡の前に腰掛けた先輩と思しき人に近付いた。
「失礼します……!」
「はぁい?」
「お、お背中をお流しします……!」
「あらぁ。じゃぁ、お願いしようかしらぁ」
どこか妖艶な間延びした言葉と共に、その人は長い髪を邪魔にならないように前に持っていって背中を見せた。
……うわあ、この人、お肌スベスベだ。
わたしは手桶にお湯を張り、少しずつ背中にかけていく。
「ここの文化にはもう慣れたかしらぁ?」
「あ、はい……。少しずつですが……」
「そぉ、よかったわぁ。この背中流しもぉ、すぐに慣れるわよぉ」
「はい……」
入浴時のもう一つの文化。それがこの背中流し。入る時に、体を洗おうとしている人がいたら自分から背中を流しに行かなければならない、らしい。
「んふふぅ、ありがとぉ」
「は、はい……」
綺麗な肌を傷つけないように優しく洗い、ボディーソープの泡を流し落とす。
なんかすごい緊張する……! 何て言えば伝わるか分からないけど、とにかく緊張する……!
とにかく、これで入浴前の儀礼は終わったわけだ。ようやくゆっくりとお風呂に入れる……。
などと思ったのも束の間。
「ふぅ……。それじゃぁ、お返しねぇ」
「え……?」
「んふふぅ。ほらぁ、後ろ向いてぇ」
「あの……?」
背中を流した先輩が、問答無用でさっきまで自分が座っていた椅子にわたしを座らせた。
えっと……? こんなこと、今まであったっけ……?
「んふふぅ。今からぁ、お姉さんが気持ちよぉくしてあげるねぇ……」
「あの……!?」
シャワシャワと、背後からハンドタオルでボディソープを泡立てる音がやけに鮮明に聞こえる。
そして途轍もなくイヤ~な予感が……!
「えぇい」
「ひゃぁっ……!?」
で。
触られた。
と言うか、揉まれた。
胸を。
ボディーソープでアワアワでヌルヌルの手で。
そりゃもうしっかりと。
胸の形が変わるくらいに。
「んふふぅ……。もっちりと手の平に張り付く程よいサイズ……そして感触……少し高めの体温……! あぁ、なかなかの物を持ってるじゃなぁい」
「ひゃっ……! ちょっ、やめてくださ――きゃぁっ!?」
「んふふぅ……んふふふふふぅ……!」
な。
ななな……。
なあぁっ……!?
何なのこの人っ!?
「あー。やっぱりこうなったか」
と、横から無アクセントなのに、どこか同情するような声が聞こえてきた。
「沙咲ちゃん……!?」
「その人はうちの寮公認の百合色変態先輩だよ。だから今まで誰もその人の背中を流そうとはしなかったんだよ。お礼に背中を流してあげると称して背後に回って胸を揉んでくるからね」
「そう言うことは……んくっ!? は、早く言ってよ……!」
「朝倉ちゃんが暴走してその人のところに勝手に行ったのが悪いんだよ」
「でも……!」
「んふふぅ……こぉら。先輩が背中を洗ってあげてるのにぃ、他の女と話すなんてぇ……イ・ケ・ナ・イ・コ♪」
「全然背中洗ってくれてないじゃないですか……!」
「んふふぅ……何のことかしらぁ?」
「ああ。こりゃ完全にアウトだね」
「ひゃっ!? だ、ダメです……! そ
強 * 制 * 終 * 了
「「はあ……」」
「……なによ、あんたたち。溜息ユニゾンしちゃって」
「「まあ、色々と……」」
「……………………」
あんなとんでもない入浴があった翌日。
朝の教室でボーっとしていたわたしとユッくんのため息が重なり、梓ちゃんが気持ち悪いものを見るような目でわたしたちを見比べた。
ユッくんも朝からかなり疲れているようだけど……何かあったんだろうか?
「まあ、色々と……」
尋ねると、ため息混じりにそう返ってきた。
「そっちは?」
「こっちも、まあ……寮で、色々と……」
「そうか……」
……………………。
「「はあ……」」
「はいはい、鬱陶しいからやめなさい」
煩わしげに顔をしかめる梓ちゃん。
「で? 一体何があったっていうのよ」
しかしそこでスルーせずに、こうやって相談に乗ってくれるのが梓ちゃんのいいところだと思う。頼り甲斐があるというか、頼られることに慣れているというか。
「で、ユーちゃん。どうしたのよ、朝っぱらから」
「いや……朝っぱらから、と言うか正確には夕べから……」
「何よ。夫婦喧嘩でもしたの?」
「ぶっ!?」
項垂れたまま気のない声で返事をしていたユッくんが、いきなり覚醒した。
そして明らかに狼狽したように、視線をあっちこっちに漂わせる。
「……何? ホントに夫婦喧嘩?」
「違う。喧嘩では……うん、ないと思う」
あ、否定するところはそこなんだ……。
ユッくんには、白くて綺麗な狐の女の子の恋人がいる。彼女は、わたしが喚び出してしまったアレに襲われ、瀕死の重体だったらしい。そこをユッくんに救われ、それが縁で……ということなのだそうだ。
それを考えれば、良くも悪くも、わたしが二人を繋いだということになる。けれど、その背景を考えれば、その狐の女の子にはどうしようもないほどに負い目があるわけで、素直に誇らしいとは思えなかった。
「じゃあ何よ。ビャクちゃん関連なのは確か?」
「まあ、ね……」
夕べのことを思い出したのか、心なしかユッくんの顔色に疲れが増す。
「これからのビャクちゃんのあり方について、ちょっと行燈館の面々を単身で相手取ってた」
「何があったのよ、何が」
「……すぐに分かる」
そう一言残し、ユッくんは無言を貫いた。
本当に、何があったんだろう……?
ただ少し気になるのは、ユッくんが嫌そうに溜息を連発している割に、話している間中ずっと口角がわずかに上がっていたのだ。
困っているようだけど、それと同等の喜びを味わっているような、不思議な表情だ。
「あっそ」
ユッくんの謎の微笑を訝しみながらも、興味をなくしたのかこちらに振り返る梓ちゃん。
「で? 真奈ちゃんはどうしたのよ」
「えっと……」
梓ちゃんに尋ねられ、夕べの光景がフラッシュバックする。
「夕べあったこと……」
夕べ……。
……夕べ……。
――ひゃあぁっ!? ま、待ってください! そ、そこは……!
――あらぁ? ここぉ? ここなのねぇ♪
――んんっ!? だ、ダメ……!
――あらあらぁ、可愛い反応ねぇ……ホント、食べちゃいたぁい……。
――きゃあっ……!?
「……………………」
「真奈ちゃん?」
あは。
あはは……。
「……もうわたし、お嫁に行けない……」
「「何があったぁっ!?」」
梓ちゃんとユッくんの声が重なる。
「あー……うー……もー……どー……しよー……」
「待って待って待って! 真奈ちゃん! なんか目がすごいことになってるよ!?」
「お前、悪魔に乗っ取られてる時だってそんな顔してなかったぞ!?」
「あは。あはは……。あははは……!」
「真奈ちゃん戻ってきて!?」
……………………。
はっ。
「……あれ? どうしたの二人とも? 血相変えて……」
「いや……今お前、また暗黒面に堕ちそうになってたぞ……?」
「あー……ごめんなさい……」
やっぱりダメだなー……。もっとしっかりと精神を鍛えないと……。
「こういうのも、コミュニケーション障害っていうのかな……?」
「いや、真奈ちゃんの場合は特殊例だと思うけど……」
「特殊例って言うか、特例って言うか……」
どうしよう。梓ちゃんにまで疲労が伝染してしまった。
人間関係って難しいね。
「はーい、席着いてー」
と、わたしが人と人との関係性についての難しさを再認識したと同時に、教室の前の方の扉から藤村先生が入ってきた。
藤村先生は若い。それは雰囲気が、ということではなく、実際にまだ二十代中盤らしいのだ。けれど分かりやすい授業と気さくな態度、柔らかい雰囲気から、わたしたちのクラスは元より、他学年からも人気があるのだそうだ。
実際毎日、学園の勉強ではないけど、個人指導を受けている身からすれば、藤村先生がすぐれた教師であることは明白だ。なんて、一生徒のわたしが判断することではないけれど。
でも、一部の年配の先生方からはあまりいい評価はもらえていない。
「はい、じゃあ出席とりまーす」
そう前置きして、藤村先生は眼鏡を持ち上げて位置を直す。
……ド派手なサングラスのような、色眼鏡を。
「……………………」
正直、趣味が悪い。
アヤカちゃんも、藤村先生の色眼鏡にはいつも酷評タラタラだ。
「……アレがなければ、最高の先生なのに……」
名簿の順番的にすぐに呼ばれた自分の名前に返事をし、小さく呟く。
似合っていると言えば、まあ似合ってなくはないんだけど……。
けれど正直、教職員が身に着けるものではないと思う。
藤村先生の色眼鏡について前に梓ちゃんに聞いたことがあるが、「色々と事情があるのよ」と苦笑しか返ってこなかった。
あの眼鏡の下は、一体どうなっているのだろうか?
それはもはや、この学園の七不思議の一つに数えられているのだとか……。
「……っと、うん。今日も全員いるようだね。関心関心」
パタンと出席簿を閉じ、満足げに頷く藤村先生。
「一応連絡しておくね。今日はいつも通り、午後は学園祭の準備。本番まであと一週間と少ししかないから、みんな頑張ってね」
はーい、と気のない返事が教室のあちこちから聞こえる。返事から、すでに頭の中は学園祭のことで一杯であることが伺える。
でもなあ……正直に言うと、わたしはそんなに乗り気じゃなかったりして……。
別に楽しみじゃない、なんてことはない。けれど、クラスの出し物がアレだからなあ……。
なんて、溜息を吐きながら、さてそろそろ朝のホームルームも終わるころだろうと、一時限目の授業の準備をしようと机の中に手を突っ込んだ時だった。
「それと、皆にもう一つ大事な連絡」
ん?
大事な連絡……?
「何だろう……?」
首を傾げて呟く。それと同時に、「はあ……」とわざとらしいほどに大きな溜息が聞こえた。何事かと声のした方を見ると、ユッくんが頭を抱えていた。
「……………………」
えっと……。
もしかして、もしかするんじゃないかな、この流れ……。
そんなユッくんの様子を気にするでもなく、藤村先生は話を進める。
「急な話だけど、今日からこのクラスのメンバーが一人増えます」
「……………………」
ドヨドヨとざわめく教室。
そんな中、わたしと梓ちゃんだけは、溜息製造機と化しているユッくんの方を見ていた。梓ちゃんはニヤニヤと「そういうことか」と言う顔をしている。きっとわたしも、あんな感じなのだろう。
そして。
「紹介します。どうぞ入って」
「はいっ」
ガラッと、教室の扉が開く。
そして入ってきたのは、真っ白な女の子。
背中まで伸びた雪のように白い髪、透き通るような白い肌。そして澄んだ青い瞳。頭には水色のカチューシャをつけている。
前に会ったときは古びた着流しを着ていたけど、今は当然ながら、月波学園の制服姿だ。それが不思議とよく似合っていた。
「じゃあ、自己紹介ね」
「はいっ」
元気よく返事をし、ニコニコと笑いながら少女は自己紹介をした。
「今日からこの学園の生徒になりました、穂波白です!」
「ほ! む! ら! 穂村白でしょうが! 勝手に僕と同じ苗字を名乗らない! 色々と誤解が生まれるから!」
真っ白な少女の、黙っていたら誰も気にしなかったであろうセリフに律儀に突っ込みを入れるユッくん。
これで二人に何らかの関係があることが一瞬にしてクラス中に知れ渡った。
何を考えているんだろうね……ユッくんにしても、あの娘にしても……。
「いやー、なるほどなるほど。そういうことかー」
と、もう楽しくて楽しくて仕方がないという感情が溢れる声音が聞こえてきた。声の主を見なくても分かる。……梓ちゃんだ。
「……何だよ」
「いやいやいや。……そりゃー気まずいわよねー。そっかそっかー、ビャクちゃんがうちのクラスに編入かー。うんうん、分かる分かるその気持ち」
「……………………」
なんとなく気になって、梓ちゃんの方を見る。
「……………………」
そこには、もう今まで見たことがないほどいい笑顔の亜麻色の少女がいた。
ドS全開である。
そして最大級の爆弾を投下してくれた。
「さすがに自分の嫁が同じクラスじゃ気まずいわねー」
ガタガタッ。
「――小銃、コード【BM92‐0‐B】!」
シーン……。
えっと……?
今の一瞬で何が起きたの……?
気付いたらわたし以外の全員が、藤村先生がいるのに携帯電話を取り出して……それで、ユッくんが拳銃を二つ取り出して皆に向けて……?
「さーて、動くなよー……? 今出したケータイは電源を切ってカバンに戻すんだ。ツ○ッターで呟こうものなら問答無用で撃ち砕あぁっ!?」
ガキンっと金属同士がぶつかり合う激しい音が聞こえた。
何事かとユッくんの方を見てみれば、さっきまで手にしていた拳銃を床に落としていた。
そして遅れて聞こえてくる、ターンという銃声。
「……くっ!? ら、ライフル……! まさか、特殊男子同めぇえっ!?」
ターン。
さらにもう一回、銃声が響く。
今回は何とか見えた。
開いていた窓の隙間から、何かが超高速でユッくんの足元の床に飛来したようだった。
「パチンコ玉装填可能の改造エアガン……! それに窓の隙間を的確に狙う腕……! 正輝さんか!?」
キッと窓の隙間を睨み付ける。そしてすぐにハッとして床に落とした拳銃を拾い上げ、窓に銃口を向ける。
「バンッ!」
そう口にして、引き金を引く。
かと思ったら、何かが空中でぶつかり合い床に落ちた。
「容赦なさすぎだろうが……!」
床に落ちたそれを見やり、悪態をつくユッくん。
それは、ひび割れて今にも砕けそうなパチンコ玉だった。
「ちょっと行ってきます!」
「あー、はいはい。一時限目には間に合うようにね」
「努力します!」
拳銃を握り直し、教室の扉に手をかけるユッくん。
それを藤村先生は苦笑いしながら見送った。
……止めないんだ。まあクラスが狙撃されていることにも動じない神経もどうかと思うが。
「さて」
パン、と藤村先生は手を叩いた。
「風紀委員会。さっき携帯電話を取り出した面々から没収しておくように」
「……………………」
本当に動じない……。
パイペースすぎやしないだろうか?
その妙な落ち着きように、わたしは密かに嘆息した。
ちなみに、ユッくんは色々とボロボロの状態だったけど、何とか一時限目の授業に滑り込みで間に合った。
* * *
その少女ことを何と呼べばいいのか分からなかったが、梓ちゃんや恋人のユッくんが親しげに『ビャクちゃん』と呼んでいたので、わたしもそれに倣うことにした。
「えっと……ビャクちゃん……?」
「何?」
昼休み。
当然のようにユッくんと向かい合ってお弁当をつついていた(ユッくんは周囲の視線が気になって食事どころではなさそうだったが)ビャクちゃんを捕まえて話しかけた。
「ちゃんと顔を合わせて話をするのは……初めて、だよね……?」
「そうね」
「わたしのこと、分かる……?」
「当たり前じゃない」
そう言って。
ビャクちゃんは青い目でわたしを見た。
冷たい目だった。
氷のように、冷たかった。
「朝倉真奈。十五歳。魔術師。得意分野は精霊召喚。瞬間記憶能力の持ち主でもある。そして――」
ビャクちゃんは、視線を逸らすことなくわたしを見続けた。
「私の記憶と魂を奪った悪魔を喚んだ、張本人」
「……………………」
「……………………」
わたしは沈黙する。
ユッくんも、私たち二人を黙って見ていた。
「よくも私の魂を奪ってくれたわね」
と。
ビャクちゃんは話し続ける。
その青く冷たい視線は、いまだにわたしを捉えている。
「で?」
「え……?」
「私に何か言いたいことがあるんじゃないの?」
「えっと……」
「私に何か言いたいことがあるから、話しかけたんじゃないの?」
「……………………」
わたしは沈黙する。
けれど、それはほんの一瞬の間。
わたしはすぐに行動に移した。
「ごめんなさい」
腰を曲げ、頭を下げる。口調も、はっきりとするように心掛けた。
謝罪。
それが、今のわたしにできる全てだった。
彼女の失った力を取り戻すことはできない。
補うことは、ユッくんにしかできない。
心の傷を埋めるのも、また然り。
わたしには、謝ることしかできない。
「……うん」
と。
ビャクちゃんが頷く気配がした。
「……?」
恐る恐る顔を上げる。
そこには、満足げに笑みを浮かべるビャクちゃんの姿があった。
その青い瞳に、さっきまでの冷たさは微塵もない。
「うん、よし。許す」
「……えっと?」
「だから、許すってば」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。けれど、じわじわとその言葉の意味が染み渡ってくる。
あのまま罵倒されても仕方がないと思っていた。
わたしは、それだけの、いや、それ以上のことをしたのだから。
表向き、あの事件とわたしは無関係ということになっているらしい。だからクラスのみんなはわたしに大した注目もしなかった。
けれど、現場にいて解決に導いた梓ちゃんやユッくんは、事件の後も態度を変えなかった。
意味が、分からなかった。
入院中も、入院後も、授業中も、授業後も、放課後も、休日も。
あの二人は、全く態度を変えなかった。
わたしを責めるでもなく、蔑むでもなく、憐れむでもなく。
まるであの事件がなかったかのように、もしくは全く気にしていないかのように。
まるで同じように接してくれた。
ある程度の交友があったから、とも考えた。
けれど。
だけれども。
何で。
この白い少女は、わたしを責めないのだろう?
被害者なのに。
何でこの娘は、加害者のわたしを許すのだろう。
ただ一言――「ごめんなさい」の一言だけで……。
「何て顔してるのよ」
ビャクちゃんが呆れ交じりに笑った。
「何? 私が許さないとでも思った?」
「だって……!」
「うん、まあ、憎いと言えば憎いわよ。実際、完全に人化するだけの余裕はまだないし。尻尾を隠すので精一杯。この髪飾りで耳を隠さなきゃいけない状態だし」
そう言って、ビャクちゃんは青いカチューシャを外してみた。
ピョコンと狐の尖った獣耳が出てきた。
……こんな時にこんなことを考えるのは場違いだろうけど、触ってみたい……。
「でもさ」
と、ビャクちゃんは続ける。
「憎いからって、仲良くしちゃいけないわけじゃないでしょ?」
「……!」
「それに憎いけど、感謝もしてる。だって、ね?」
笑い、ビャクちゃんはユッくんに向かって微笑んだ。
「こうやって、ユタカと会えたし」
「……………………」
「だから、さ?」
スッと、ビャクちゃんはわたしに向かって手を差し出した。
白く、透き通るような綺麗な手だった。
「仲良くしよう?」
「いいの……? わたしで……」
「いいも何も、今日から嫌でも毎日顔を合わせるのよ?」
仲良くしたいじゃない、と。
ビャクちゃんは綺麗に笑った。
その時。
「……あ……」
わたしは。
「……ありがとう……!」
泣いていたのかもしれない。
自分でも分からない。
けれど、嬉しかった。
それだけは、間違いようのないことだった。
「はーいっ! たっだいまーっ!」
と。
両手にお総菜パンや菓子パンを抱えた梓ちゃんがこっちに駆けてきた。
「何だよ梓、そのパンの山……」
「いやー、今日はパンが全品二割引だったからさー。ついついたくさん買っちゃった」
「一人で全部食べるのか、それ……?」
「まさか。ユーちゃんたちにもあげるわよ」
「え、いいの?」
「もちろん! さ、ビャクちゃん、どれがいい?」
「えーと……」
クスリと。
わたしはついつい笑みをこぼした。
何だかんだ言って。
いつの間にか、わたしもこの風景の中に入っていたのかもしれない。
梓ちゃん。
ユッくん。
そして、ビャクちゃん。
「ほら、真奈ちゃんも選んで!」
「え……わたしもいいの?」
「いいわよ。あたしとしては、このメロンパンがおススメなんだけど」
「あ。ありがとう……これ、結構好き」
「じゃあ僕にもくれ」
「ユーちゃんはこっちのメザシパンでも食べてなさい」
「扱い酷くないか!? てか、何だよメザシパンって!?」
「……ユタカ、私の分を半分こする?」
「ありがとう……」
ようやく。
わたしにも、友達ができました。
* * *
「今日はずいぶんと機嫌がいいね」
「はい……?」
放課後。
の、さらに後。
学園祭の準備を適当なところで抜け出し、わたしは第七図書室の準備室に来ていた。というのも、藤村先生は普段はここで司書をやっているからだ。魔法の勉強は、もっぱらこの部屋で行われる。
「わたしが、ですか……?」
「うん、そう。機嫌と調子は直結するからね。そして調子と魔力も、また然り。今日はずいぶんと調子がいいからね」
そう言って、藤村先生は色眼鏡の億の瞳を細めた……気がした。
「……そうですか?」
「うん。朝倉さんの魔力に直接触れている僕が言うんだから、間違いない」
ペラリと辞書よりも厚い魔導書をめくりながら、藤村先生は笑った。
「何よりも、集中力が素晴らしい。見てみて」
「え……あっ」
ふと、わたしは自分の目の前に広がっている物に目をやった。
そこには、わたしがこの数時間のうちに読み解いた、魔導書の山だった。
「これ……」
「タイムは二時間十七分二十九秒。読み解いた魔導書は六百十五ページ。……僕よりも、断然早い」
満足げに頷く藤村先生。
魔法の勉強と言っても、実技などは存在しない。
どこか、だだっ広い異空間に入って超大規模な魔法を発動させることなんてないし、怪しげな儀式を行うこともない。
基本はこのように、魔導書の解読と知識吸収だ。
儀式や実践など、最後の最後だ。
それをすっ飛ばしたから、過去のわたしがあるのだけど。
「……それじゃあ、次の段階に移ろうか」
「え……?」
「よっと……」
言って、藤村先生は準備室の奥の方にある棚を指さす。
その途端、棚に収められていた魔導書の一冊がカタカタと震え、かと思えばスーッと藤村先生の手元まで飛んできた。
無詠唱魔法……!
魔法を発動させる際に使用する、ルーンや呪文を一切省いた技術だ。
わたしも簡単な魔法でならできなくもない。
けれど、ここまで無造作にはできない。
何だかんだ言っているが、この人はわたしなんかのずっと上にいる人だ。
あの夜も、この人はたった一人で月波市全体を結界で覆っていたらしい。
梓ちゃんを始めとする八百刀流の人たちは、いくつもの複雑な術式を重ね、十数人で月波市を覆ったというのに。
「さて、朝倉さん」
「は、はい……」
スッと、藤村先生の手元に飛んできた一冊の魔導書が差し出される。
「ためしに、この精霊の封印を解いてみて」
「え……?」
ドキッとした。
藤村先生が無造作に渡してきたのは、封印された精霊が記載されている魔導書だった。それも、どれもこれも上級精霊だ。
蘇るあの光景。
薄暗い自室で、あの化物を喚び出してしまった、あの光景が。
あの悪魔の封印を、解いてしまったあの光景が。
「大丈夫。僕がフォローするから」
微笑む藤村先生。
今日は、どうしたんだろう……?
わたしは息を呑む。
この数週間、藤村先生はわたしに魔法の使用を禁じていたのに。
「いいんですか……?」
「いいんだよ。それに、これは単に実習というわけでもない」
「え……?」
「溜まってるんでしょ? 集中力は素晴らしくとも、そろそろ魔力は発散させないと淀んでくるからね」
言われてみれば、最近魔法を使っていないからか、魔力がわたしの中で渦巻いている気がする。淀んでいるのかどうかは分からないが、ただ何となく、言われてみると何だか少し不快感があるような気もしないでもない。
そう言うと、藤村先生は苦笑した。
「そういうのは本人じゃあまり分からないよ。傍から見て、何となくそんな気がする、くらいだから」
「はあ……」
「でもまあ、溜め過ぎはあまりよくないことは確かだしね。今のうちにドドンと発散しておこう」
そう言って、差し出した魔導書のページを指さした。
「とりあえずはこいつ。この魔導書を書いたのは日本人だから、ルーンも日本語だよ」
「あ、はい……」
「でも先に解読からよろしく」
「はい……」
わたしは指定されたページに目を落とす。
確かに、日本語で記されている。一見すると、どこかの町の史書に見えなくもない。けれど……これは多分、魔力を当てると文面が変わるタイプ……。
「……………………」
手の平に魔力を集め、そっとページを撫でる。
すると、ページに並んでいた文字が薄くなり、代わりに萌木色に光る魔法陣が浮かび上がってきた。
「この術式は……」
左手で魔力を当てながら、わたしは魔法陣に記されている術式を違う紙に書き写す。
次に、左手の魔力を心持強める。すると、さっきとは微妙に異なる魔法陣が浮かび上がってきた。それをまた、さっきの術式に重なるように写す。
この作業を新しい魔法陣が出てこなくなるまで繰り返す。
そして。
「……できました」
タイムは十五分くらいだっただろうか。
A4の紙にして五枚分の術式の解読。
「……うん、そんな感じ」
一応、完成した術式を藤村先生は苦笑いをしながら頷いていた。
「さすがに早い。やっぱり今日は調子がいいね」
「そう……でしょうか……」
実際、わたしは解読には強い方だろう。
わたしは忘れることがない――忘れることができない。例え、解読の初めの方に複雑な術式が出てきても、それを一番最後の術式と掛け合わすことなど造作もない。その気になれば、全て頭の中でやることだって可能だ。こうやって紙に書いているのは、藤村先生にミスを見つけてもらって魔法の暴発を防ぐためだ。
「それじゃあ、完成した術式から魔法陣を再構築して、実際に封印を解いてみて」
「……………………」
「大丈夫。危なくなったらちゃんとフォローするさ」
それに、と続ける。
「そこに封印されてるのは、害意がある精霊じゃない」
「え……?」
ならどうして封印なんてされてるんだろう……?
いや、そもそも何で、藤村先生がここに封印されている精霊のことを知って……?
「さ、御託は後々。やってみよー」
訊ねるも、笑ってはぐらかされる。
この辺の妙に軽いノリは、アヤカちゃんと似ている気がする……。
「えーと……」
何を言っても無駄な気がしたので、大人しく魔法陣の再構築に取り掛かる。
再構築と言っても、それほど難しいことではない。
読み解いた魔導書に記されていた術式を、円を描くように羅列するだけなのだ。そして中央に、封印解除のための鍵穴の役割となる図形を書き込む。
それだけである。
今回の図形は……術式から考慮すると、三角形を中央に置いて、その周辺にさらに小さな三角形を三つ置くのが最適か。
「……どうですか?」
「うん、いい感じだよ。さあ、喚び出そうか」
「はい……!」
緊張する。
まともな魔法は数週間ぶりだ。
「――我が名は魔術師、朝倉真奈……」
記されていた通り、日本語で名乗りを上げる。
「――汝、微風と春風の使者の名を呼ぶ者なり……」
次の呪文で、精霊を特定。
そして。
「――その名、風の精霊《シルフ》……来たれ!」
パアッと。
魔法陣が萌木色に輝く。
記された文字の一文字一文字が浮かび上がり、術式が解放されていく。
幾重にも折り重なっていた術式が複雑に絡み合い、一つに収束していく。
「……これって……!」
ただの召喚魔法じゃない。
ただの封印解除でもない。
これは――
「……久しぶりだね、フィー」
と。
藤村先生が懐かしむように、萌木色の光に話しかける。
瞬間。
「くっ……!?」
光が、一際大きく輝いた。
思わず目をつむる。
『はー、やっと出られた! 修二、喚ぶの遅すぎ!』
少女の声が聞こえた。
恐る恐る目を開ける。
「……へ?」
そこに、小さい女の子がいた。
どれくらい小さいかと言うと――ちょうど、藤村先生の手の平くらいの大きさの。
というか、藤村先生の手の平に乗っていた。
「紹介するね、朝倉さん」
藤村先生は笑って、その小さな女の子を差し出した。
肩までで切り揃えた金髪に尖った耳。翡翠色の瞳。萌木色のワンピースに、背中にはトンボのような薄く透き通った光る羽が生えている。そして全身が淡く輝いている。
「僕の仮契約精霊、シルフのフィーだ」
『フィーよ! よろしく!』
「まあ、仮契約と言っても、今この瞬間から『元』が付くんだけど」
「えっと……?」
現状把握が追いつきません。
とりあえず、分かってることは……。
「あの……藤村先生?」
「うん?」
「わたし、ひょっとして……今、その娘と契約しました?」
「うん」
「……………………」
いや、うんって……それだけ?
『貴女がフィーの新しいマスター?』
「え……?」
『よろしくね!』
「……………………」
どういうことか説明してください。
そうわたしは視線で問いかけた。
「つまりだね。フィーは僕と仮だけど、契約していた精霊の一人なんだ」
『と言っても、フィーの他にも五百二十八人いるけど!』
「ごひゃ……!?」
「あー、勘違いしないでね。いくら何でも、その全員と契約してるわけじゃないよ」
あくまで仮だよ、と。
藤村先生は説明を続ける。
「生まれつきなのかどうなのか知らないけど、僕は精霊に好かれる体質らしくてね。大抵は意志も持たない下級精霊なんだけど、たまにフィーみたいな意志を持つ上級精霊も集まってきちゃってね。みんな僕と契約したがるんだけど、全員と契約してたら僕の魔力が枯渇しちゃうからね」
『で! とりあえずの仮契約を結んで、そこの魔導書に封印してもらってたの! フィーたちと契約するに足る魔術師と出会えたら仲介するって約束で!』
「えっと……それで、わたしが……?」
「そういうこと。朝倉さんになら、フィーを任せられる」
『もー! いつまで経っても呼ばれないんだもん! フィー、忘れられたかと思ったよ!』
「ゴメンゴメン。なかなかフィーを預けられる魔術師がいなくてね」
そう言って、藤村先生はわたしに向き直った。
「それに今回は、朝倉さんにフィーを任せるだけが目的じゃないしね」
「え……?」
「フィーと契約することで、適度な魔力の使用方法を実践で身に着けてもらおうと思う」
説明を続ける。
「朝倉さんも召喚師なら知っていると思うけど、精霊と契約を交わし続けること自体、そこそこ魔力を消費することなんだ。なぜなら?」
「精霊をこの世に留め続けなければいけないから……ですか?」
「そう。精霊と僕たちはそもそも住む世界が違うからね。無理やりこちらに喚ばれて留まっているわけだから、存在することそのものに精霊は魔力を使ってしまう。上級精霊なら数日は魔力の供給源なしでも生きていけるだろうけど、それでも限界がある。……だから?」
「わたしたち魔術師と契約することで……魔力を供給してもらう」
「正解。座学も怠っていないようで、嬉しいよ」
褒められた。
ちょっと嬉しい……。
「そこでだ。また朝倉さんにはしばらく、魔法の使用を控えてもらうわけだけど、それだと魔力が溜まり続けちゃうからね。だからフィーと契約して適度な魔力の発散を行ってもらおうというわけだよ」
「はあ……」
なんとなく分かった気もする。
つまり、この精霊――フィーちゃんと契約し続けることそのものが、魔法の勉強というわけか。ついでに、わたしの魔力の発散も兼ねている、と。
「フィーを四六時中そばに喚び続けられたら大したものだけど、最初はそんなに気張らなくてもいいよ。そうだね……初めは一時間。それに慣れてきたら少しずつ時間を増やしていこうか」
「はい……」
改めてじっとフィーちゃんを見てみる。
『……?』
あどけない表情でこちらを見つめ返してくるフィーちゃん。
小さくても、ちゃんとヒトの形してるんだなあ……。一見すると精巧なお人形にも見えるけど、ちゃんと瞬きしてるし。
「えっと……フィーちゃん?」
『何かな、マスター!』
「これから……よろしくね」
『うん!』
そう言って。
わたしは彼女の小さな小さな手と握手をした。
……また一人、小さいけれど友達が増えました。
* * *
その日、寮に帰ると何やら慌ただしい雰囲気に包まれていた。
「えっと……?」
すれ違っても、みんな挨拶もそこそこにバタバタと走り去ってしまった。
どういうことだろう……?
「あっ! 真奈ちゃん!?」
「え? アヤカちゃん……?」
頭上から声がしたかと思えば、天井から顔だけを突き出したアヤカちゃんだった。
……いや、幽霊だから壁や天井を突き抜けれるのは分かるんだけど……実にシュールな光景である。
「もう帰ってきたの!?」
「え……? いつもこれくらいだと思うけど?」
「あちゃー……。にーちゃん、もう少し足止めしてくれよなー……」
ブツブツと何か文句を言うアヤカちゃん。
「みんな忙しそうだけど……何かあるの?」
「えっとねー……。うん、まあ、あるっちゃあるんだけどー……」
「わたしも手伝うよ。……何すればいい?」
「あ、えっとねー……」
視線を逸らして口ごもるアヤカちゃん。
どうしたんだろう? わたし、何かいけないことでも聞いたかな……?
「えっとねー……うん! とりあえず、真奈ちゃんは自室待機で! 何かあったら呼ぶよ!」
「そう……? だったら先にお風呂入ってこようかな……。今なら空いてるでしょ?」
「いやいやいやいやいやっ! 今混んでる! すっごい混んでる!」
「え、そうなの……?」
「そうそう! もう芋洗い的にゴチャゴチャしてんの!」
「こんなにバタバタしてるのに……?」
「……………………」
沈黙。
で。
「えっと、混んでるって言うか……! そう! あの先輩!」
「……え」
「あの百合先輩が入ってるからやめといた方がいいよー!」
「……………………」
それは……リアルに嫌かも……。
はあ……仕方ない。
「じゃあ先に夕食を……」
確か買い置きのパスタが残ってたはず。
だが。
「晩ご飯もダメーっ!!」
「……………………」
えー。
「何で……?」
「えっとー……! さ、沙咲ちゃんがコンロの調子が悪いって言ってたよ!」
「そうなの……?」
「うん! そうそう! 爆発しちゃうかもしれないから、しばらく使用禁止だって!」
「……………………」
ふーん……。
そっか……。
「うん、分かった……。じゃあ、しばらく部屋で大人しくしてるね」
「そ、そうしてー!」
「じゃあ……何かあったら呼んでね?」
「うん! じゃあね!」
そう言って、大げさに手を振りながら天井に消えるアヤカちゃん。
……いや、何も元来たところから戻らなくても。
それよりも。
「……何を隠してるんだろう?」
いくら何でも、あれで誤魔化されるほどわたしも純真ではない。
アヤカちゃんのあの言動から察するに、今わたしには部屋で大人しくしていてもらいたいらしい。さらに、夕飯も食べずに待っていてほしいようだ。
「何をしてるのか分からないけど……素直に騙されておこうかな……」
部屋に戻ると、沙咲ちゃんもその何かに駆り出されているようで不在だった。わたしはとりあえず、何か飲もうと思って棚を漁った。
「……あ。ホワイトココアある」
沙咲ちゃんのだろうけど、基本的にキッチンにあるものは何に手を出してもいいという協定がこの部屋の中だけで結ばれている。
ココアなのに白い。少し気になってパッケージの裏を見てみる。
「……え。牛乳がいるの?」
この白さは牛乳の白さなのか……。
「あったかなあ……」
冷蔵庫を開ける。
しかし、お目当ての牛乳はない。
そもそもこの雲海寮には食堂があるが、各部屋にキッチンも備え付けてある。これは、平日の午後八時以降や休日は食堂が閉まってしまうため、自炊の必要があるからなのだが、基本的に休日しか料理をする必要がないため余計な食材は買い置かないのが普通だ。
現に今も、冷蔵庫の中には長期保存がきく類の物しか入っていない。
「コーヒーでいいか……」
と、思い立ったところで思い出す。
……コンロの調子が悪いって言ってたっけ。
「……………………」
チラッと確認するも、一見すると問題ないように見える。
というか、そもそも問題などないのだろうけど……。
「……いっか」
素直に騙されておきましょう。
わたしは部屋の中央に陣取っているソファに腰を下ろし、テーブルの上に置きっぱなしだった読みかけ小説を開いた。
さて。
どれくらい経ったろうか。
帰ってきたのが夜八時くらいで、本を読み始めたのも大体同じくらい。急げば間に合ったのだろうが、何となく食堂に行ける雰囲気じゃなかったから大人しく部屋に引き篭ってたけど、そろそろお腹が空いてきた。
「……遅いなあ」
と、呟きなら時計を見る。
現在、八時三十五分。
いまだ、音沙汰なし。
「みんな、何してるんだろう……?」
……………………。
気になる。
気になって、わたしは部屋の扉のドアノブに手をかけ――
「きゃん……!?」
「おや?」
……ようとした。
「朝倉ちゃん。そんなところにいたら危ないじゃないか」
「……うぅ……。さ、沙咲ちゃん?」
「僕が僕以外に見えるのかい? 当たり所が悪かったかな」
ポリポリと頭をかきながら、扉がぶつかって額を抑えるわたしを見下ろす沙咲ちゃん。
相変わらず無表情で、心配してくれているのかどうか分からない。
「それで……? どうしたの……?」
「おっとそうだった。急がないと。朝倉ちゃん」
「何……?」
「ちょっと食堂まで一緒に来てくれないか?」
「え? もう食堂は閉まってるんじゃない……?」
「いいから。ほら」
そう言うと、沙咲ちゃんはわたしの手を掴んで立たせてくれた。そしてそのまま、手を繋いだまま歩き出す。
「ねえ、沙咲ちゃん……?」
「何?」
「みんな、何してたの……?」
「すぐに分かるさ」
「……………………」
それっきり、沙咲ちゃんは無言でわたしの手を引いた。
いや、手を引かれなくても食堂の場所は分かるし、どこにも逃げないんだけど……。そんなに忙しいのかな?
さて。
「着いたよ」
「うん……」
まあ、すぐに着くだろう。何て言ったって、女子階直通のエレベーターを降りてすぐなんだから。
「さあ入って」
そう言って沙咲ちゃんはわたしの背中を押す。
言われるがままにわたしは食堂の扉を押し開けた。
瞬間。
――パァンッ!
――パンパンッ!!
「……へ?」
立て続けに鳴り響く破裂音。
一瞬だけ、朝のユッくんの騒動を思い出したけど、これはそんな殺伐としたものではない。
だって。
「えっと……?」
席に着く寮の面々。
テーブルの上に並ぶ料理の数々。
食堂の奥の壁に掛けられた、『朝倉真奈ちゃん歓迎会』という文字が並ぶ看板……。
「せーの」
わたしの後ろから、沙咲ちゃんの無アクセントな音頭が聞こえた。
そして。
『『『真奈ちゃん、雲海寮にようこそっ!!』』』
――パァンッ!
――バンパンッ!!
と。
クラッカーの第二陣とともに、寮の皆の声が食堂に響いた。
「これって……?」
「見ての通りさ。朝倉ちゃんの歓迎会」
さあ主役は早く席に着く、と沙咲ちゃんはわたしを主賓席まで案内してくれた。
「やあ、いらっしゃい」
「あ……藤村先生」
すぐ近くの席には、藤村先生も座っていた。
「あの……これって……?」
「見ての通り、朝倉さんの歓迎会だけど?」
そう言って微笑む藤村先生。
「いえ……そうではなく、何でこの時期に? わたしが入寮してから結構経ちますけど……?」
「うん、それなんだけどね……」
「おーっと! にーちゃんそれ以上はダメだよー!」
と、フヨフヨとアヤカちゃんがコップを持ってこちらに近づいてきた。
……肉体がないのに、どうやってコップ持ってるんだろう?
「はい真奈ちゃん、ジュース。炭酸大丈夫だったよね?」
「あ、うん。……ありがと」
「どういたしましてー」
シュワシュワと炭酸の泡が弾けるコップを手渡され、わたしはどうしたらいいものかと見渡す。すると少し離れた席に座っていた沙咲ちゃんがおもむろに立ち上がり、わたしの方を見た。
「えー。それでは歓迎会を始める前に主賓から一言頂きましょうか」
「え、わたし……!?」
「他に誰がいるのさ」
途端に、おーという歓声と拍手が鳴り出した。
えぇー……!
「わ、わたしこういうの苦手なんだけど……!」
「まあまあ。それなら僕の質問に答えていったらいいよ。さながら記者会見のようにね」
無表情なのにどこか楽しそうに沙咲ちゃんはそう言った。
「では簡単な質問から。寮生活にはもう慣れたかな?」
「あ、うん……。うん、なんとか慣れました。戸惑うことも多かったけど、それ以上に楽しいと思うし……」
おー、と歓声が上がる。
「そうかい。それはよかったよ。じゃあその楽しかったこととは何かな?」
「楽しかったこと……っていうか、やっぱり、隣人がすぐ近くにいるっていうのは、やっぱりいいものだね」
「うん。それは僕も寮に入って思ったことだよ。一人暮らしだと風邪をひいた時とか悲惨だからね」
……それはそうかも。
風邪をひいてだるい時に、誰もお世話してくれないんだもんなー。
「ところで」
と。
沙咲ちゃんは改めてわたしに向き直った。
「さっき戸惑うことも多かったっていったけど具体的にはどんな風に戸惑ったのかな?」
「え……」
戸惑ったことって……。
そりゃまあ、言うまでもなく……。
「あ、挨拶とか……?」
「挨拶?」
「ほら……女子同士は『ごきげんよう』って……」
「え?」
「……え?」
何? その「今初めて聞いた」みたいな反応?
「そ、それにお風呂の時とか……! 名乗りを上げないと入れないとか……!」
「え? え?」
「先輩の背中を流すとか……!」
「えー?」
「……………………」
おかしい。
何かがおかしい。
沙咲ちゃんのこの受け答えもそうだが、周囲の反応。
なぜかみんな、下を向いて肩をかすかに震わせて……?
「……………………」
まさか……。
「はーい! それじゃあ皆さん、ご唱和くださーい!」
アヤカちゃんが、そりゃもう楽しそうな声を上げた。
そして。
『『『ドッキリ大成功ーっ!!』』』
今日一番の轟きが食堂に響き渡った。
* * *
「天邪鬼」
アヤカちゃんと無表情で歓談する沙咲ちゃんを見ながら、藤村先生はそう口にした。
「仏教では煩悩を表す象徴として四天王に踏まれてる悪鬼だけど、民話では人の心を読んでからかう子鬼として扱われることが多いね。それが転じて、『他人の考えを分かっている上でそれに逆らう捻くれ者、嘘吐き』という現代のイメージになったそうだよ」
そう言って、藤村先生はウーロン茶が入ったコップに口をつけた。
「……で」
「で?」
わたしがジトッと藤村先生の方を見ると、ケロッとした口調で聞き返した。
「何?」
「……それが、今回のドッキリとどう結びつくんですか」
「いやー」
あははと笑いながら沙咲ちゃんの方を見る。
「ほら、彼女は人の心をある程度読めるからね。朝倉さんが色々と落ち込んでるのも分かってたんだよ。でも天邪鬼としての縛りで、素直に励ますことはできないからね。だから、僕や他の寮生たちに遠まわしに今回の企画を提案したんだ」
「はあ……」
「まあこの企画そのものは、毎年春先に新入寮生に対してやってることを流用したんだけどね」
「……………………」
毎年やってるんですか。
そりゃどうりで、みんな自然体だったわけだ……。
「このドッキリは文化なんですね……」
「そうなるね。本当はもう今年の四月に一回やってるんだけど、今回は特別にね。須々木さんは中等部の時からこの寮にいて、毎年サクラをやってるから慣れたもんだよね」
「……本当に騙されましたよ」
あの嘘くさい態度が、本当に嘘だとは誰も思うまい。
さすが天邪鬼――嘘吐きの妖怪だ。
「いやいや藤村先生。そんなわけないじゃないですか」
と、さっきまでアヤカちゃんとお喋りをしていた沙咲ちゃんがこっちにやってきた。
「さっきの藤村先生の話を聞く限りだと僕が朝倉ちゃんのことが心配で心配でたまらなくて寮生全員に呼びかけて今回のドッキリをけしかけて馴染ませようとしたみたいに聞こえるじゃないですか。全くそんな事実は存在しないんですから滅多なことは言わないで下さいよ。朝倉ちゃんが勘違いしちゃうじゃないですか」
「……はいはい。そうだね。そういうことにしておくんだったね」
「全くですよ」
「……………………」
いやいや。
いくら捻くれ者で嘘吐きな妖怪だからって、沙咲ちゃん、ちょっとキャラクターが濃すぎるんじゃないかな?
でもまあ。
今回は、そのキャラクターのおかげで楽しませてもらったわけだけど……。
「……あ。そう言えば沙咲ちゃん」
「ん? 何かな朝倉ちゃん」
「一応確認しておくけど、もうドッキリはないんだよね……?」
「うん。それは保障するよ。もう『ごきげんよう』なんて挨拶はしなくていいしお風呂に入るのも自由だよ」
「そっか……ちょっと安心」
「本当は他にも色々と仕掛けてたんだけどね」
……………………。
「え?」
「例えば朝の飲み物は一年生は牛乳だけとか」
「……………………」
いつも牛乳しか飲んでなかったから特に引っかからなかった……。
「例えば一年生は夜十一時までに寝ないといけないとか」
「……………………」
毎晩十時には寝てました……。
「まあ他にも色々。一年生は毎朝六時に起きてマラソンするっていうのもあったんだけど僕らサクラもやらなきゃいけなくなるからそれはさすがに面倒だから流れたんだよ」
「わたしの知らないところで色々とあったんだ……!」
しかもそれ、一年生のサクラのみんなも、その縛りで生活してたんだよね?
……お疲れ様。
「あとはまあ。一番見てて面白かったことと言えば」
「アタシかい?」
「え……?」
不意に背後から声をかけられた。
「おや針ヶ瀬先輩じゃないですか。聞いてたんですか」
「何やら面白そうな話をしてたからね」
「えっと……?」
振り向くと、見覚えのないヒトが立っていた。
けど……何だろう? 少し引っかかるような……?
染めた髪を高い位置のツインテールにした、一見すると活発過ぎて素行の悪い生徒にも見える風袋だった。スカートもやけに短いし。
そのヒトには見覚えはない。わたしの記憶力に間違いはないから会ったことはない……はず。けれど、なぜかその声には、聞き覚えがあった。
「あはは! 完全無欠な記憶力でも、メガネを外している時に会った奴の顔は覚えれないようっすね」
「まあそうだろうね。見えてないわけだしね」
笑う先輩と、苦笑する藤村先輩。
えーと……? この先輩の話だと、わたしたちは前に会ったことがあるらしいけど……?
「分かんないか。……だったら、これならどうだい?」
そう言って、先輩はニヤニヤ顔のまま染めたツインテールを解いた。
バサリと背中まで垂れ下がる髪。そうすると、一気に活発なイメージが妖艶な雰囲気に変わって……って、え?
「んふふぅ……これなら分かるでしょぉ?」
「んなぁっ……!? ゆ、百合先輩っ!?」
えええええぇぇぇぇぇっ!?
全っ然雰囲気が違うんですけどっ!?
「おい須々木。この娘にアタシをどう紹介したんだい?」
「この寮公認の変態百合先輩ですが」
「……まあ、ドッキリ期間だけならいいんだけどさ……百合キャラで固定されたら恨むからな」
「それくらい針ヶ瀬先輩の演技が完璧だったってことじゃないですか」
「嬉しくない!」
バンとテーブルを叩く先輩。
それを、遠巻きに見ていた他の皆が笑い飛ばした。
「はあ……まったく。えー、一応初めましてだな。アタシは二年C組の針ヶ瀬玲於奈ってんだ。よろしくな」
「あ……はい。よろしくお願いします……」
「あはは! そう固くならずに! この前は悪かったね。でもアタシにそのケはないから安心し」
「ないんですか?」
「須々木、後でアタシの部屋来い」
ギロリと下ろした髪の隙間から睨むと、沙咲ちゃんは脱兎の勢いで逃げ去ってしまった。
逃げる途中に「わー」と棒読みで口にしていたのは……うん、気のせいだろう。
「……まあ。アタシはこれでもアレの上司でね。生徒会会計なんだ。本当は演劇部にも所属してんだけど、最近は忙しくてめっきり参加できてないが」
「はあ……」
「ほら、アタシはこんな喋り方だろ? だから男らしい女とか、百合キャラとかがよく回ってきてさ。そしてら寮でもこんな役回りだ」
そう言って苦笑する針ヶ瀬先輩は……なるほど。同性でも惹かれるところがある気がする。
わたしは髪を結い直す針ヶ瀬先輩を見ながら、そう思った。
「そう言えば朝倉さん」
「はい……?」
一部始終をニコニコと笑いながら見ていた藤村先生が声をかけてきた。
「ちょっとフィーを喚んでみてくれない?」
「え……? 構いませんが……」
「あの子はこういうパーティーみたいな雰囲気が好きだからね。喚べば喜ぶと思うよ」
「あ、はい……」
わたしは意識を集中させ、どこかにいるはずのフィーちゃんに呼びかける。
すると。
『マスター! 何かな! って、ふおっ!?』
わたしの目の前の空間が歪み、そこから小さな女の子が姿を現す。
かと思えば、テーブルに並ぶ料理の数々に瞳を輝かせた。
……うん。
出てきた瞬間からハイテンションだねー。
『何かなマスター! この美味しそうなの!』
「えっと、少し落ち着こうか……」
『はい!』
「……………………」
パタパタと周囲を飛び回って料理を見つめるフィーちゃん。
いや、落ち着いているようには見えないけど……。
まあ、いいか。
「わたしの歓迎会なんだけど……フィーちゃんも食べたいかなーって」
『食べていいの!? フィーも食べていいの!?』
「うん、もちろ……」
『いただきます!!』
もちろんいいよ、と言う前にフィーちゃんはお皿の上に入っていたビスケットに飛びついた。そしてカリカリカリと音を立てて齧りだす。
……わー。小動物みたいで可愛い。
すると、突然姿を現した精霊を珍しそうに遠巻きに見ていた面々が集まってきた。
「おーっ! なにこれ可愛い!」
「すげえ、初めて見たかも」
「ちっちゃーい! 光ってるー!」
『……?』
一気にフィーちゃんを中心に輪が出来上がった。しかし当の本人は光る羽をパタつかせながらビスケットを齧るのに夢中のようだった。翡翠色の瞳をパチクリさせている。
しかし、この順応性も改めて見るとすごいことだよね……。わたしが中学生の時だったら絶対にありえなかったことだ。
だって、目の前に精霊がいるのに、感想が「可愛い」やら「ちっちゃい」やらだもんなー。
本当に――
「ねえ」
「……え? わたし?」
「そうだよー」
と、女子の一人が声をかけてきた。
「この子、朝倉さんの契約精霊?」
「えっと……うん。そうだけど……」
「うっそマジで!? すごーい!」
「そう……かな?」
「そうだよ! うちもお母さんから召喚系は教わったけど、全然うまくいかないし」
「そりゃお前の才能がないだけだろ」
「うっさい! ……で、さ。今度時間がある時でいいからご教授願いたいなー、なんて」
「あ、それ俺も参加していいか?」
「あんたは一人寂しく自主練してなさい」
「ひでえっ!?」
みんながワイワイと騒ぐ中、わたしは藤村先生をちらりと確認する。
すると藤村先生は、ただ無言で、だけどしっかりと口元に笑みを浮かべて頷いた。
「えっと……その、わたしでよかったら……」
「マジで!? やった!」
いえーい、と何人かがパチンと手を合わせた。それを期に、また何人かがテーブルに集まってきてフィーちゃんに歓声を上げた。
もう一度、わたしは藤村先生の方を向いた。
「あ……」
一瞬だけ、光の具合でサングラスのような色眼鏡の奥の瞳が見えた。
まるで自分のことのように、嬉しそうに目を細めていた。
「で、で? やっぱコツとかあんの?」
「おい、別に今じゃなくてもいいだろ」
「今は楽しもうよー」
「あ、そうだね!」
「おーい! ジュース持ってこーい!」
「かんぱーい!!」
『『『かんぱーいっ!!』』』
至るところから聞こえてくる、いくつもの乾杯の声。
「……………………」
わたしはそれを見ながら、心の底が温かくなってくるのが分かった。
お兄ちゃん……。
今日はたくさんの友達ができました。