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だい にじゅうに わ ~魔術師~




「魔術師」

 お兄ちゃんは口癖のように、わたしにいつも言い聞かせていた。

「元々は雨乞いとか、人のために祈る人たちのことをそう呼んだんだ。けれど科学技術の発展の裏で細々と受け継がれてきた魔術と魔術師は、だんだん邪悪なものとして扱われるようになってきた。確かにルーンなんてよく分からない呪文を唱えて、よく分からない現象を自在に操る僕たち魔術師は、普通の人から見たら、やっぱり『よく分からない』存在だろうね。そして人は、その『よく分からない』ものを、『悪』として扱うんだ」

 そこでお兄ちゃんは言葉を区切って、わたしの髪を撫でてくれるのだ。

「いいかい、真奈まな。確かに僕たち魔術師は、やろうと思えば人を殺めることもできるし、操ることもできる。けれどそんなことをしなければ、僕たちは『悪』になんかにならずに済むんだ」

 当時わたしは小さかったから、お兄ちゃんが何を言っているのかイマイチよく分からなかった。

 けれどわたしの、この常人離れした記憶力は、お兄ちゃんの言葉を忘れることなく心に残しておいてくれていた。

 あの時の口調も、表情も。

 息遣いも優しい目つきも。

 何一つ忘れることなく、わたしはずっと覚えていた。

 呪いのようなこの力。

 忘れることのできないこの記憶力。

 ルーンを覚えて暗唱しなければならない魔術師にとって、最高の力。

 今でこそ分かる。

 お兄ちゃんは「使い方を間違えるな」と、そうわたしに教えてくれたのだ。

 ただ、勘違いしていただけ。

 わたしは、魔術師としての力の使い方を間違えるな、と。

 そう解釈していた。

 けれど違った。

 お兄ちゃんは、この記憶力こそ、使い方を間違えるなと言っていたのだ。



       *  *  *



朝倉あさくらってさ、何かキモイよね」

 その言葉を初めて耳にしたのは、小学四年生の頃だった。

 ピタリと、わたしはそのセリフを聞いて足を止めた。

「あ、やっぱアンタもそう思う?」

「うんうん。つかさ、キモイってか、おかしくない?」

「だよねーっ。たまに何もないところ見てブツブツ喋ってるし」

「霊感少女? 不思議ちゃん? ウケるんだけど!」

 かしましくお喋りをしながら、わたしがずっと『お友達』だと思っていた四人は歩き去っていった。

「どうして……?」

 わたしは、意味が分からずに呆然としていた。

 後になって考えれば、ごく当たり前のことだった。

 彼女たちには、わたしに見えるものが見えない。

 ただその一点が、わたしと彼女たちの唯一にして最大の違いだったのだ。

 それは、いわゆるイジメの理由としては十分すぎる理由だった。

 だってそうだろう。

 彼女たちが『普通』で。

 わたしが『おかしい』のだから。



       *  *  *



 そんな状態が五年以上も続いた。

 よくまあ、自分でも耐えたと思う。

 わたしもわたしで、さっさと不登校にでもなってしまえば、いっそ気が楽になったかもしれない。

 わたしが『悲劇の主人公』になれて。

 彼女たちが『悪』になるのだから。

 けれど。

 わたしは彼女たちを『悪』にはしたくなかった。

 小さい頃から仲が良かったあの四人。

 あの頃の思い出まで、『悪』にはできなかった。

 わたしは誰とも遊ばず。

 誰とも声を交わさず。

 気付けば、家族意外と口を利くことはなくなっていた。

 学校が終わるとすぐに家に帰って、お兄ちゃんのコレクションの魔導書を読み耽り、ひたすら魔術師としての力を磨く。

 お兄ちゃんの魔導書に書いてあることの意味は分からない。

 けれど、いつか理解してやる。

 その想いが、わたしを『自殺』などという圧倒的な『悪』から遠ざけていたような気がする。

 いつかお兄ちゃんみたいなお医者さんになる。

 オカルトと現代医学の融合。

 その信念の元、お兄ちゃんはお医者さんになった。

 そして。

 お兄ちゃんのような、立派な魔術師になる。

 それが、わたしの唯一にして絶対の目標だった。

 その目標を奪ってしまったのは。

 その目標を奪った『悪』は。

 わたし自身だった。



       *  *  *



 中学三年生の十二月。

 受験シーズンに足を踏み入れた矢先、わたしの受験戦争は終わった。

 私立月波学園。

 お兄ちゃんの勧めでそこの推薦入試を受けたら、あっさりと合格してしまったのだ。

 家族はもちろん、先生も「よかったね」と言ってくれた。

 でもわたしは正直、素直に喜べなかった。

 推薦で合格すると言うことは、一足早く受験を終えると言うことで。

 それはつまり、どうしても悪目立ちしてしまうということで。

 案の定、わたしに対するクラスの扱いも、目に見えて酷くなっていった。

 勉強することもないので本を読んでいれば「余裕ぶってムカつく」と囁かれ。

 ならばと勉強すれば「受かってるくせに勉強するとか、イヤミじゃん」と後ろ指を指された。

 一体どうしろと言うのだ。

 けれども、推薦を取り消されないように学校を休むわけにもいかず。

 わたしは周囲の冷たい視線に耐えながら登校する日々を送っていた。

 授業の時以外は、逃げるように図書室に篭った。

 受験生用にと常時解放されてはいたが、ほとんど利用者がいなかったから都合が良かった。

 お兄ちゃんに内緒で借りてきた魔導書を開き、その解読の時間に宛がった。

 本当は、内容は全て頭に入っていたのだが、やはりノートに書き写した物と本物では微妙に違う。

 本質は同じでも、わたし自身のポテンシャルの問題だ。

 あの分厚い魔導書を読み解く。

 そう思うだけで、負けん気と言うか闘争心が競り上がってきたのだ。

 短い休み時間ではほとんど読み進められなかったけど、昼休みや放課後は程よく集中できた。

 そして約二ヶ月。

 黙って持ち出した魔導書の解読が半分ほど終わった頃。

 内容的には、精霊召喚系の魔導書だと確信した辺り。

 その事故は起きた。



       *  *  *



 その日は公立高校の合格発表の日だったらしい。

 わたしはいつも通り図書室に篭っていたため、「何かいつも以上に空気がピリピリしてるな」程度にしか分からなかった。

 そんな日に、わたしは暢気に図書室で魔導書を読んでいたのだ。

 それが直接的な原因だったとは思えない。

 けれど。

 それもまた、立派なきっかけの一つだったことは否定できない。

 わたしは放課後、いつも通り図書室を最後に出て、帰路に着いた。

 ただその時、わたしはいいところまで魔導書を読み解いていた。

 あと少しの何かで、行き詰っていた部分が読み解ける気がしたのだ。

 道中、わたしは歩きながら魔導書を開いて読んでいた。

 もう何年も歩いてきた道だから、信号にさえ気をつければ大丈夫だろう。

 そう思いながら私は、歩道橋を一人で歩いていた。

 そして。

「きゃっ!?」

「あ……すいません」

 わたしはお喋りに夢中になっていた女子中学生の集団とぶつかってしまった。

 反射的に謝り、わたしは魔導書から目を離し、顔を上げる。

「あ……」

 そしてわたしは言葉を失った。

「……………………」

 そこにいたのは、昔は仲が良かった彼女たちだった。

 わたしたちは気まずくなり、無言になった。

 けれど。

「アンタさあ」

 と。

 一人が口を開いた。

「月波学園に受かったんだよね?」

「あ、うん……」

「そ。おめーと」

 なげやりに彼女はそう言った。

 おめでとう。

 彼女はそう言ったが、その目はとても祝福しているような目付きではなかった。

「ウチもさあ、滑り止めで受けたんだよ、月波」

「そう……なんだ」

「そ。で。落ちた」

 その声は、酷く冷たかった。

「ついでに公立も落ちた。今から後期の受験勉強」

 言って、彼女はわたしに一歩近付いた。

「ウチの成績じゃ、後期も怪しいんだって。正直、倍率一の月波狙ってたのに、何でか落ちちゃったのよ」

 アンタは受かったのにね、と。

 彼女はまた一歩近付いてきた。

「アンタみたいな薄らぼんやりしたのが受かって、ウチが落ちるとか意味分かんないんですけど?」

「そ……そんなこと、言われても……」

「しかも受かって余裕ぶって。そんな意味分かんない本読んで、今さら点数稼ぎ?」

「そ――」

「あーもう、意味分かんない」

 言って。

 彼女は、わたしが抱えていた魔導書を引っ手繰った。

「あっ……!」

 抵抗する間もなく、魔導書は彼女の手に渡る。

「……フンッ」

 パラパラと興味なさ気に魔導書を捲り、彼女は魔導書を閉じる。

 そして。

「えい」

 と。

 魔導書を歩道橋の欄干の外に差し出した。

「あっ……!」

 わたしは。

「きゃあっ!?」

 気付けば、彼女に掴みかかっていた。

 あの魔導書は、お兄ちゃんの大切な一冊。

 彼女が手を離せば、魔導書は車が行き交う道路に真っ逆さまだ。

 それだけは、嫌だ。

 わたしは彼女から魔導書を奪い返すべく、手を伸ばした。

「わっ、きゃっ!」

 わたしの反応が予想外だったのだろう。

 彼女は慌てて両手を振ってもがいた。

 その時。

「あっ!」

 彼女が、手を滑らせた。

 恐らくは、故意ではない。

 彼女もまた、驚いたような表情を浮かべていた。

 けれど、わたしには関係ない。

「くっ……!」

 わたしは必死になって手を伸ばした。

 指先が、落下する魔導書に触れる。

 もう少し。

 その想いが、わたしを前に突き出した。

 そして結果として。

「あっ……!」

 わたしは欄干に乗り出していた。

 フワリとした無重力のような感覚。

 その一瞬後。

 わたしは。

 歩道橋から落ちていた。



       *  *  *          *  *  *          *  *  *



 目が覚めれば、そこは病室だった。

 清潔なシーツと白い壁、そして少しの消毒液の匂い。

 日はとっぷりと暮れ、カーテンの隙間から見える窓の外には、月が浮かんでいた。

 わたしはゆっくりと起き上がる。

 不思議と、体中特別に痛いということはなかった。

 擦り傷と打撲が多々あるが、それだけ。

 おかしい。

 わたしは記憶を手繰る。

 忘れることのない記憶を手繰る。

 あの高さから、しかも車が走る道路に落ちたはずなのに。

 予想外に冷静な自分に驚きながら、わたしはベッドから降りた。

 本当に、大した怪我はしていないようだ。

 多少足首に鈍い痛みを感じるくらいだが、歩けないほどじゃない。

 そもそも、点滴すらなされていなかった。

 わたしは勝手に病室を抜け出し、辺りを歩き回った。

 病室のネームプレートを探す。

 朝倉あさくら護人まさと

 何でお兄ちゃんの名前を探しているのか、自分でも分からなかった。

 でも何となく、嫌な予感がしたのだ。

 例えるなら、記憶に引っかかる何か。

 忘れることのできないこの記憶力に引っかかっている、何か。

 わたしはお兄ちゃんの名前を探した。

 けれど、どこにもなかった。

 だけど。

 わたしは、見つけてしまった。

 薄気味悪い、暗い病院の廊下。

 地下の一番端の部屋。

 霊安室。

 そう書かれたプレートの貼られた一室に、お兄ちゃんはいた。

 微かな線香の残り香。

 白いベッドに寝かされ、顔に白い布を掛けられていたけれど。

 わたしが、お兄ちゃんを見間違うはずがなかった。


 ――ドクン。


 心臓が大きく鼓動した。

 わたしは。

「                          」

 声にならない悲鳴を上げた。



       *  *  *



 目撃者の話によると、わたしが歩道橋から落ちた時、にもその近くを通りかかっていたお兄ちゃんが、車が走る道路に飛び出して、わたしを受け止めたらしい。

 けれど、わたしを受け止めた直後、急ブレーキも間に合わずに突っ込んできたトラックに二人で撥ねられたらしい。

 わたしは、お兄ちゃんに抱きとめられていたたから。

 お兄ちゃんの体がクッションになったから。

 わたしは、助かったのだ。

 わたしが。

 お兄ちゃんを殺したのだ。



       *  *  *



「ワタシが観たお嬢ちゃんの運命の一端に対する助言としては――『第三校舎棟五階の第二図書室に向かえ』――というところかしらね」

 月波学園入学後。

 部活の紹介と勧誘という名目のお祭り騒ぎから外れたところで、わたしは彼女に出会った。

 人丑じんちゅう九段くだんと名乗った彼女は、未来を予知する妖怪、くだんらしかった。

 不幸を、凶事を、そして災厄を予言する妖怪。

 雄の件が具体的に予言し、雌の件がその回避方法を予言する。

 その的中率は百パーセント。

 雄の件に出会ったならば、雌の件を探して回避の方法を教えてもらわなければならない。

 けれど、雄の件に出会ってもいないのに雌の件に出会ってしまったら、言う通りに行動してはいけない。

 それがあやふやな予言だったのならばなおさら。

 雌の件もまた、酷く大雑把ではあるが不幸の予言をするのだ。

 万が一、言う通りに行動してしまったのならば、もう一度雌の九段に会って不幸を回避する方法を問わねばならない。

 予言があやふやでも、的中率は百パーセントなのだから。

 そうとは知らずに。

 わたしは九段さんの『助言』通りに行動してしまった。

 そしてそこで。

 わたしは一冊の魔導書を見つけてしまった。

 第三校舎棟五階の第二図書室。

 そこでひっそりと保管されていた、一冊の魔導書。

 わたしはそれを一度読んだだけで全て暗記し、帰ってからノートに書き写した。

 かつて、お兄ちゃんの魔導書を読み解くための練習をしていたように。

 そして一週間後。

 思った以上にスルスルと解読できたその魔導書には、とんでもないことが記されていた。

 それは、召喚魔術の上級魔導書だった。

 今まで知り得なかった、精霊や妖魔の契約なしでの召喚方法。

 ウィル・オ・ウィスプからゾンビ、果てはワイバーンまで。

 わたしは驚きを隠せなかった。

 そして最後の項目。

 一匹の悪魔の封印を解除するための魔法陣だった。



       *  *  *



 悪魔。

 魂と引き換えに、三つの願いを叶えてやろう。

 それがどんな願いでも、魂と引き換えに叶えてくれる。

 大学ノート十冊に及ぶ、解読された魔導書を前にして、わたしは戦慄した。

 この悪魔を復活させることが出来れば、どんな願いでも叶えてくれる。

 元々、召喚系の魔法は得意分野だ。

 魔導書も何度も読み直して、解読に間違いはないことも確認済みだ。

 気付いた時には、わたしは自室で儀式の準備に取り掛かっていた。

 複雑な魔法陣を模造紙に書き記し、必要な素材をコツコツと集めた。

 そして封印解除の鍵となる、召喚主の血が一滴。

 待ち針で指を刺し、血を一滴、魔法陣に流し込む。

 魔法陣から、灰色の光が洩れる。

 わたしの瞳のような、灰色の光。

 そして。

『……貴様が、我の封印を解いたのか?』

 気付けば、魔法陣の上に人型の黒い靄のような何かがいた。

 黒い靄は、じっと表情のない顔でわたしを見つめていた。

『貴様、我が悪魔だと知って喚び寄せたのか?』

 その問に、わたしは小さく頷いた。

 それを見て、黒い靄は『かかっ』と、嗤った。

『いいだろう。……貴様の魂と引き換えに、三つの願いを叶えてやる』

 ただし、と続ける。

『我はこの通り、封印が解かれたばかりで力がほとんど残っていない。貴様の肉体を借り、しばらくの間は養生させてもらうぞ』

 そう言って。

 ズルリと。

 わたしの中に這入ってきた。

 脳内に声が響く。

『貴様の願いは何だ』

 わたしは、静かに答える。

「お兄ちゃんに、会いたい」

 そう、わたしは悪魔に願った。


 その時、わたしは。

「これからの運命は変えられるけど、決まってしまった運命は変えられない」

 という、別れ際にかけられた九段さんの言葉。

 そして。

「確かに僕たち魔術師は、やろうと思えば人を殺めることもできるし、操ることもできる。けれどそんなことをしなければ、僕たちは『悪』になんかにならずに済むんだ」

 という言葉を――『忘れ』ていた。

 願いを告げたのが『悪』魔であると、『忘れ』ていた。




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