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だい にじゅういち わ ~幻術~




 ゾワリゾワリ。

 生理的嫌悪感を引き起こすその動きは、そう表現するのが適当だと思えた。

 悪魔。

 僕の友人であるところの朝倉あさくらの体に巣食っていたそいつは、ようやく本体を現した。

 いや、本『体』というのは正しい表現ではないかもしれない。

 何せ奴は、肉体を失っているのだから。

 ようやく手に入れた、朝倉真奈(まな)という器から追い出された悪魔は、人型の黒い靄のような姿をしていた。

 その靄が、ゾワリゾワリと歩み寄ってくる。

視線の先には(顔もないのに、どこを見ているのかははっきりと分かる)、白髪碧眼に狐の耳と尻尾を生やした、白い着流しの少女。

 ビャクちゃんは、未だに僕の背中で気絶したままだ。

『かかっ』

 悪魔は嗤う。

 肉体を失ったからか、その耳障りな嗤いは脳内に直接響く。

『さっきの《転移テレポート》で飛ばしたと思ったのだがな。まあさすがに、密着している者を個別に飛ばすほど器用にはいかないということか』

「……さっきの転移魔法は、朝倉の知識か」

『そうだ。あの娘、なかなか面白いな! あの異様なまでの記憶力は面白い! 今まで読んできた魔導書の内容を全て覚えていた! 半分以上は理解できていなかったようだがな。だがあの程度の簡単な暗号など我には無意味! 我も今まで知り得なかった多くの魔法をあの娘から得ることが――ぶはっ!?』

「……肉体を失っても、弾丸は当たるようだね」

 僕はベレッタM92の引鉄を引き、ベラベラと喋りながら近寄ってきていた悪魔の額を打ち抜く。

 もう朝倉の体じゃない。

 殺傷能力を持つ弾丸を装填し、撃ち出した。

 この悪魔が人型である以上、急所は僕ら人間と変わらないはず。

 けれど、銃弾が悪魔の額に当たっても、僕は気を抜かない。

 これで倒せたら、こいつはただの化物だったというオチで終わるだけだ。

『かかっ』

 案の定。

 悪魔は額を撃ち抜かれて仰け反った姿勢のまま嗤った。

『いやいやなるほど。これは思った以上に痛そうだ』

 そう言って。

 悪魔は額にめり込んだ銃弾を引き抜く。

 その先端が、若干だが腐敗してボロ鉄のようになっていた。

「黒炎で……受け止めた……?」

『その通り』

 ガバリと開けた大口で、銃弾を呑み込む。

 悪魔は嗤う。

『あの娘は大雑把にしか黒炎を扱えなかったがな。我は見える位置と手近なところならばピンポイントに黒炎を発生させることもできる。つまりは攻撃と防御! 双方を兼ね揃えているのだ!』

「だったら……!」

 僕は一度、大きく距離をとる。

 背中のビャクちゃんは、未だに起きる気配はない。

「――銃機関銃、コード【M134‐3000‐B】!」

 ドンッと。

 百キロ近い重量の設置型マシンガンが姿を現す。

 給弾ベルトには、三千発の銃弾が物々しく光っている。

「防御ができない速度で撃てばいいだけ!」

 一気に引鉄を引く。


 ――――――――――――――――――――ッ!!


 発射音。

 と言うか、爆音。

 発射速度は一分間に三千発。

 生身で喰らえば痛みを感じる前に死ぬと言われる。

 そのため、ペインレスガンとも言われる。

 銃弾の雨を悪魔に降り注いでやる。

「……………………」

 そして一分後。

 すべての弾丸を討ち果たし、辺り一面が空薬莢で埋め尽くされた。

 だが。

『かかっ!』

 悪魔は嗤っていた。

 全身に金色の銃弾を突き立てたまま、衝撃で後退してはいるものの、それでも悪魔は立っていた。

『確かにこの速度では反応できんな。だが! 来ると分かっているならば、全身に黒炎を纏わせておけば済む話だ!』

「くっ……!」

 確かに、悪魔の言う通りではある。

 僕は手数勝負の八百刀流の中でも、群を抜いて手数が多い。だがその分、呼び動作に時間がかかるのだ。

 言霊を紡いで銃を呼び出し、それから狙いを定めて発砲する。

 その間に防御できる者は、すでに臨戦態勢を整えることができる。

 全身の銃弾を黒炎で呑み込み、悪魔は大仰に両腕を広げる。

『さあ! 貴様は頑張った! この我を相手によくぞここまで持ち堪えた! 敬意を表し、まずは貴様の魂から喰ってやろう! 何、メインの白い狐の神の前菜くらいにはなるだろうよ!』

 ゾワリゾワリと。

 悪魔は近寄ってくる。

「ん……?」

 その時、違和感を覚えた。

 この悪魔、さっき自慢げに「ピンポイントで黒炎を発生させることができる」と言っていた。それが目に見えるところと限定されているとも言っていたが、どうにもおかしい。

 どこにでも黒炎を発生させることができるなら、どうして僕に近付いてくる?

 例えば、僕の皮膚。

 もちろん悪魔には見えている。

 僕の皮膚に直接黒炎を発生させたら、避けることもできずにあっという間に魂を吸い取られてしまうだろう。

 悪魔には、それが可能のはず。

 それをしない。

 つまりは――

「試してみるか……!」

 僕はもう一度距離を取る。

 そして、普段使い慣れていない言霊を紡ぐ。

「――手榴弾、ナンバー【Mk2‐1】」

 通称パイナップル。

 手榴弾、つまりは爆発物。

 僕の専門が銃火器だとしたら、こっちは父さんの専門なんだけど。

「今はそんなこと気にしない!」

 安全ピンを外し、ゾワリゾワリと近付いてくる悪魔の足元に投げる。

『……?』

 それが何なのか分からなかったのだろう。

 悪魔は首をかしげたまま、手榴弾を見下ろした。

 その間に、僕はビャクちゃんを背負ったまま近くの木の影に隠れた。

 そして五秒後。


 ――ドオンッ!!


『ぐあっ!?』

 轟音を立てて爆発した手榴弾に、悪魔は吹き飛ばされた。

手榴弾が武器として恐れられているのは、実はその爆炎によるものではない。爆発した時に生じる爆風や土砂、手榴弾の破片による殺傷がメインなのだ。

 さっき羽黒はくろさんが、パンチによる拳圧で黒炎を吹き飛ばしていたが、やはり黒炎も手榴弾による爆風までは吸収できないようだ。

 そして、まだ終わらない。

「――手榴弾、ナンバー【Mk2‐5】!」

 手元に五つの手榴弾を喚び出す。

 それを次々に安全ピンを引き抜いて悪魔に投げつける。

『ぐっ……!』

 さっきの一個で、それが爆発物だと悟ったのだろう。

 悪魔は黒炎を両手に纏わせ、投げられた手榴弾を掴み、力として吸収した。

 しかし、投げつけた手榴弾は五つ。

 三つは喰われたが、残る二つは吸収が間に合わずに爆発した。


 ――ドオンッ!!


 爆音と共に吹き飛ぶ悪魔。

 それを見て、僕は確信する。

「おい、悪魔」

『ぐうっ……! 何だ!』

「お前、実はもう力がそんなに残ってないんだろ」

『……………………』

 悪魔は答えない。

 だが、沈黙が答えだった。

「さっきの一発で、手榴弾が自分にも効果がある物だと学んだだろう? それなのに、次の五つをわざわざ両手に黒炎を纏わせて、直に触れることで吸収した」

『……………………』

 悪魔は無言を貫く。

 のっぺらぼうな表情のない顔が、どことなく歪んでいるようにも見えた。

「もしかしなくても、もう黒炎は自分の手の届く範囲にしか発生させれないんじゃないか?」

『……っ!』

 明確に。

 悪魔の、黒い靄で形成された顔が苦渋に歪む。

 思い返せば、拳銃による弾丸もマシンガンによる弾幕も、全て全身に薄っすらと纏わせていた黒炎で受け止めていた。

 効率は悪いとは言え、朝倉がやったように黒炎の壁を作ったほうが、確実に防げるのに。

「そりゃそうだよな。今まで何千体のゾンビを召喚した? せっかく喚び出したワイバーンも羽黒さんに瞬殺されたもんな? それにその後、羽黒さんともみじさん、それにあずさの三人を強制退去させたしな。いくら満月の夜に復活したからって――」

 調子に乗りすぎたんだよ。

 名の知れた悪魔ならばともかく、そもそもこいつは階級にすら入らない下級悪魔なんだ。姑息な術で召喚主を魅了しなければろくに力も使えない小物だ。

 いくら魔術師として、死霊遣いとして優秀でも、底が知れる。

「そんな奴がビャクちゃんの魂を喰おうなんて、百年早いんだよ!」

 背中で眠るビャクちゃんを背負い直し、僕は渾身の力を込めて言霊を紡ぐ。

「――擲弾銃、コード【M79GL‐1‐B】!」

 右手に現れたのは寸胴な、大口径散弾銃のような厳つい銃。

 けれど、その銃口には先ほども使った手榴弾が嵌め込まれている。

「グレネードランチャー。これだと使い慣れてない手榴弾も『弾丸』として喚べるから、便利なんだよな」

 M79を右肩に担ぎ、引鉄を引く。

 狙いは悪魔の足元。

『ぐっ!』

 地面に着弾した手榴弾を見て、悪魔は慌てて距離を取ろうとする。

 けれど遅い。


 ――ドオンッ!


『ぐあっ!?』

 距離を置いたところで、爆風を完全に免れるわけじゃない。僕のように離れた安全地帯にいるわけではないのだから、無意味の極みだ。

 その間にも、僕は次の手榴弾を喚び出してM79に装填する。

 それを、何度も繰り返す。

『な……!』

 幾度となく吹き飛ばされた悪魔が。

 怒気を孕んだ声と共に僕を睨む。

『舐めるな餓鬼がああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 さっきまでの余裕に満ちた、ゾワリゾワリとした歩調から一変。悪魔は怒涛の勢いでこちらに走り寄ってきた。

「距離を詰める、か。確かに、自分の近くで爆発は起こせないよね」

 けれど。

「僕に苦手な距離なんて、ない」

 爆風によるダメージがあるんなら、こっちも有効のはず。

「――火炎放射器、コード【E5FT】!」

 ぶっちゃけ、現在は戦闘用じゃない。テロリストが潜伏できないように茂みを焼き払うための、いわば作業用だ。

 けれど火炎放射器の炎は、ガソリンで燃えている。

 つまり、強引な考え方ではあるが、爆風と同じく立派な自然現象だ。

「ファイアっ!」

『がああああぁぁぁぁぁっ!?』

 悲鳴を上げ、靄で形成された体を焼かれる悪魔。

 僕に黒炎を喰らわせようと接近していたものだから、劫火をモロに喰らった。

 全身を緋色の炎で包まれながらのた打ち回る悪魔。

 その間に距離を置き、僕は再びM79を喚び出し、悪魔目掛けて手榴弾を打ち出す。

『があっ!!』

 悲痛な悲鳴が、脳内に響き渡る。

「苦しいか?」

 僕は再び手榴弾を装填する。

「辛いか?」

 狙いを定め、引鉄を引く。

「痛いか?」

 手榴弾が爆発し、悪魔が吹き飛ばされる。

「今までお前が喰ってきた住民たちは、それにビャクちゃんは、もっと苦しい思いをしてきたんだ!」

 その時。

 僕はようやく口調が荒げていることに気付いた。

 そうか。

 僕は、怒ってるんだ。

 犠牲になった住民たち。

 悪魔に唆され、彼らの命を奪ってしまった朝倉。

 そして。

 記憶と魂を生きたまま喰われた、ビャクちゃん。

 僕はその元凶に対し、未だかつてない怒りをぶつけていた。

「今さら詫びても許さない。お前は僕が今ここで――倒す」

 そして。

 腹を引き裂いてでも、皆の魂を、ビャクちゃんの記憶を、解放してやる。

『……か』

 手榴弾で吹き飛ばされた悪魔が、ゆっくりと立ち上がる。

 その足元目掛けて、僕は狙いを定める。

 だが。

『か……か…………かかっ……』

「……?」

 その掠れ声が、悪魔の嗤い声であることに気付いたのは、引鉄を引こうとした瞬間だった。

 何で。

 何でこの悪魔は、未だに嗤っていられるんだ?

『かかっ……!』

 悪魔は嗤う。

『自然現象……そうかなるほど。直接的ではなく、間接的に攻撃するのか……なるほど! 知っているぞ! この国の言葉で、「灯台下暗し」と言うのであったか? いや、この場合は「灯台上暗し」か?』

「……何だよ?」

『なに。単なる無意味な――』

 悪魔の囁きだよ、と。

 小さく呟いた。

 その時、僕はようやく気付いた。

 悪魔の立ち位置。

 すぐ後ろに、この公民館前広場で一番巨大な樹木が聳え立っている。

 悪魔はその太い幹に、後ろ手で黒炎を宛がっていた。

「……っ! お前!」

『今さら木の命を喰ったところで腹の足しにもならんが、なるほどこういう使い方もあったのだな!』

 感謝するぞ! と。

 悪魔は嗤った。

 そして。

 ギシリ。

 ギギギッ。

 ギギギギギッ!

 そんな音を立てて、根元近くが黒炎によって急速に枯死し、自重でバランスを崩した高さ二十メートルはあろうかという巨木が、こちらに向かって倒れてきた。

「くっ……!」

 そのあまりにも唐突な現象に、僕は不覚にも魅入ってしまっていた。

 反応が遅れる。

 目の前まで雄々しい枝振りが迫ってくる。

 そして。


 ――ズンッ!


 土煙を上げ、巨木が倒れる。

 そして僕は。

「があっ……!」

 何とか避けようと体を動かしたものの、ギリギリのところで右足を地面と幹の間に挟めていた。

 激痛。

 これはひょっとしたら、いや、確実に折れている。

 けれども、背負っていたビャクちゃんだけは、巨木との衝突の直前に芝生の方に放り投げることで、直撃を免れることはできた。

 本の刹那の間だけ、安堵した。

 しかし、それはすぐに絶望へと変わる。

「ビャクちゃん……?」

「……………………」

 ビャクちゃんは、未だに気絶したままだったのだ。

 数メートル先で、酷くゆっくりと呼吸している白い獣の少女。

 僕は右脚を巨木で押さえつけられ、身動きが取れない。

 そして。

『かかかかかっ!!』

 ズタボロになりながらも、悪魔はゆっくりとビャクちゃんに近寄っていた。

「ビャクちゃん!」

『邪魔者はそこで見ていろ! この白い狐が我に喰われるのを、指でも咥えながらな!』

「くっ!」

 僕は自由の利く両手を突き出し、言霊を紡ぐ。

「――小銃、コード【BM92‐30‐B】!」

 両手にベレッタM92を喚び出し、ビャクちゃんににじり寄る悪魔に向けて発砲する。


 ――タンタンタンタンタンッ!!


 何度も何度も引鉄を引く。

 だが、悪魔を衝撃で仰け反らせる程度で、何の足止めにもならない。

 そして。

『かかっ! あの甘美な舌触りを再び味わうことができるとはな!』

「止めろ……」

『それでは――』

 止めろっ!!

『その魂、頂こう!』

 嗤って。

 悪魔は両手の黒炎を、深く眠るビャクちゃんの細首に押し当てた。

「止めろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 叫ぶ。

 僕は、喉が潰れんばかりに叫んだ。

 そして次の瞬間。


 ――パリンッ。


 と。

 氷が砕けるような音がした。

『な、何……?』

 悪魔が素っ頓狂な声を上げる。

 気絶していたはずのビャクちゃんは、悪魔が黒炎で触れた瞬間、まるでガラス細工が割れるかのように姿を消した。

 後には、砕けた薄い氷の破片が散らばっている。

「あーあ。身代わり壊れちゃった……」

「え?」

 不意に、声が後ろから聞こえた。

「ビャクちゃん……?」

「う~ん……っ!」

 振り返れば、顔を真っ赤にして必死に巨木を退かそうとする白い少女の姿があった。



       *  *  *



「幻術」

 ビャクちゃんは細腕で巨大な樹木を押しながら、そう口にした。

「私たち狐狸系妖怪の十八番。簡単に言えば化かす技の一つ。美女に化けて男を誑かして食べちゃうって言う伝説が一番有名かな?」

 口早に言いながら、うんうんと唸りつつ巨木を押して僕の右足を。

 しかしビャクちゃんの細腕では、到底この巨木を動かすことは不可能であるように思えた。

「まあ、私の妖怪としての起源は北国だから、ある程度は氷や雪も操れるのよ。氷の鏡を作って狐火で現像を映したり、蜃気楼を利用してもっと本格的りあるな幻術を使えるようになったの」

「全然気付かなかった……」

 つまり僕は、ずっとビャクちゃんの幻像を背負いながら戦ってたってことか……。

 えー。

 僕、結構必死に庇いながら戦ってたんだよ?

 そう言うと、ビャクちゃんはキッパリと「敵を欺くにはまず味方から」と仰りました。

 全くもってその通りだチクショウ。

「いつ入れ替わってたの?」

「あいつが、あの気持ち悪いのをたくさん喚び出した直前。さすがに悪臭でまた気絶するのもどうかと思ったから、幻像を残して少し離れたところまで避難させてもらってたわ」

「……………………」

 強かだった。

「でも変だなって思わなかった? あんなにドカンドカン音立ててるのに起きないなんて」

「まあ、気を失ってるんなら、あるかなあって」

「……それに普通、ヒト一人背負いながらあんなに戦えるわけないじゃない」

「あー、なるほど。幻像だから重さもないんだ」

「そうよ。多少は感じた重みはユタカの勘違い。実質的な肉体の負担はないはずだけど。……本当に気付かなかったの?」

「うん。ビャクちゃん小さいし、あんなもんかなって思ってた」

「……そう」

 フイっと、ビャクちゃんは俯き、「もう少し痩せようかな」とか呟いた。

 いやいやそれ以上痩せたら、いなくなっちゃうんじゃないかな? 今でも十分ちっちゃいのに。

 などとはさすがに言えません。ビャクちゃんが何百年も生きているとは言え、見た目は女の子なんだから。

 姉さんにさんざん「女の子はデリケートなんです」と小言を言われたので。

「それにしても……!」

 ビャクちゃんはウンッと力んで巨木を押す。

 けれど案の定ビクともしない。

 僕も何とか両手で押しているけど、姿勢も姿勢だし、そもそも右脚の感覚が激痛だけを残してだんだんなくなってきて、正直力が入らない。

 梓がいれば木をぶった切ってくれたんだろうけど。

「本当に! フンッ! ビクともしないわね……!」

「ねえ、ビャクちゃん」

「何!?」

「さっきから気になってたんだけど」

「えっ!?」

「あの悪魔」

 僕はチラッと悪魔の方を見る。

 そこには、『おおおおおっ』と吠えながらその辺を行ったり来たりしている黒い靄の姿があった。

「あれ、何してんの?」

「ああ、あれ」

 ンッと力むビャクちゃん。

「私の幻術にかかって、ありもしない迷路を彷徨ってるところ」

「へー……」

「あとしばらくは大丈夫のはずよ」

 だからこそ、僕らはこの巨木の対処に専念しているわけだけど。

「でもビャクちゃん、そんな力、よく残ってるね」

「……正直、結構キツいかな。今までユタかに分けてもらってた、なけなしの力もほとんど使いきっちゃったし……」

「えっ」

「でも大丈夫。消えるギリギリのところで何とか残してるか――」

 その時。


 ――パリンッ!


 氷が砕ける音がした。

「……っ!?」

 ビャクちゃんが驚愕の表情を浮かべて音のした方を見る。

『かかっ……!』

 そこには、両手に黒炎を纏わせた悪魔の姿があった。

「そうか……。ビャクちゃん幻術は氷の鏡に狐火で幻像を映し出してるから、氷を砕けば簡単に壊れるんだ……!」

「で、でも、迷路の端に辿り着かないと、氷は壊せないわよ!?」

 ビャクちゃんが悲痛な叫びを上げる。

 そう。

 その反応も無理はない。

 並みの相手ならば、ビャクちゃんの幻術にかかって延々さ迷い続けるのだろう。

 しかし、悪魔はビャクちゃんの魂に固執している。

 喰いたい。

 ただその一つの妄執が、幻術をも打ち砕いた……!

『さあ……!』

 悪魔が歪んだ笑みを浮かべる。

 その異様な様相に、ビャクちゃんがビクッと震える。

『お遊びはこれまでだ……! さあ! その魂、喰わせろ……!』

 ゾワリゾワリと、少しずつ近付いてくる。

「……っ!」

 ビャクちゃんは。

「ユタカ……!」

 動けないでいた。

 突き放して逃げろと言いたいところだが、どうにも無理そうだ。

 完全に竦み上がっている。

「……はあ」

 僕は一周回って、落ち着き払っていた。

 もう、終わりかもしれない。

 左手でビャクちゃんを抱きしめる。

「ユタカ……?」

 せめて、格好だけでもこの娘を守っていよう。

 彼女にほんの少しでも運命を感じた、バカな男の意地という奴だ。

「大丈夫」

 僕はビャクちゃんの耳元で囁く。

「僕が、守るから」

「……っ!」

 その時。

 ビャクちゃんの蒼い双眸に強い光が宿った。

「バカっ!」

 小さく叫ぶ。

「二人して死んだら、何にもならないでしょ!?」

「くぺっ!?」

 言いながら、ビャクちゃんは僕の顔を無理やり自分の顔の前まで持ってきた。

 首が痛い。

「あー……」

「何?」

 なぜかビャクちゃんの顔が赤い。

「その、ね」

「うん」

「ちょっと今から、力ずくだけど、ユタカの力を借りるよ」

「え?」

「今までみたいに、憑物と宿主の繋がりで供給されていた力の比じゃない分量を分けてもらうってこと」

「それって……」

「だってユタカ、力は有り余ってても、もう戦えないでしょ?」

「……………………」

 その通りである。

 そもそも普通の銃弾は悪魔には効果がないし、立てないから手榴弾で吹き飛ばそうにもこっちの身まで危険だ。

「だから、ね?」

 私が守ってあげる。

 そう言って。

 ビャクちゃんの顔が一気に近付いてきた。

 そして。

「……っ!?」

 ふにっ。

「「……………………」」

 唇にとても柔らかな感触が伝わってきた。

 えーと……。

 これってつまり………………………………………………………………キス?

「……………………」

 何でキス?

 いや嬉しいんだけど。

 なぜに今?

 混乱の境地に陥ると、人ってむしろ、本当に落ち着き払えるものなんだな。

 こういう時って目を閉じた方がいいんだろうか、などと割とどうでもいいことを考えていたら。

「……え?」

 ドサッと、音がした。

 何かと思って見てみれば、それは僕の腕が地面にぶつかった音だった。

 えーと……?

 少し落ち着こう。いや、落ち着いてはいるけど。

 全身に力が入らない。

 ダラリと四肢を伸ばしきった格好になっている。

 よく観察してみると、どうやら僕は地面に仰向けに倒れているらしかった。

 らしいというのは、僕の全身の感覚がすっかりなくなっていたからだ。

 巨木に挟まれた右足の激痛は元より、背中から伝わるべき地面の感覚も、手にしたままだったベレッタM92の冷たい感触も、何一つなかった。

 しかもどうやら、嗅覚と味覚までなくなっているらしい。

 あるのは視覚と聴覚だけ。

「そこで、少し待ってて」

 ビャクちゃんの声が聞こえる。

 視界の隅に、ビャクちゃんの色白の手が見えた。

 その手が、そっと僕の頬を撫でる。

 もちろん感触はない。

「……………………」

 そうか。

 僕は気付いた。

 狐憑き――つまりは、精神に異常をきたした状態のこと。

 妖狐は気に入った男に取り憑き、幻術を見せる。そして精を喰らい、精神に異常をもたらすとされている。

 つまりは、これが、それか。

 僕はビャクちゃんに精を、この場合は陰陽師としての力もろとも、唇を通して直接喰われたんだ。

 そしてこの感覚の喪失や、四肢の虚脱感。

いわば寝たきりの状態――精神異常である。

「      ?」

 ビャクちゃん?

 声を出そうにも、舌にすら力が入らず、微かに口が上下しただけだった。

 仰向けの姿勢であるために上下逆転した視界に、白い少女の姿が映った。

「…… ?」

 ……え?

 僕はその後姿に違和感を覚えた。

 耳と尻尾がなかった。

 いや、それは僕の力を根こそぎ持って行ったんだから、完全に人化できるようになったのだろうと考えるのが妥当だろう。

 そうじゃなく。

「  、        ?」

 背が、大きくなってないか?

 長身のもみじさんくらい、とまではいかないまでも、平均的な身長の姉さんくらいに()()()()

 それに、着ている物。

 白い着流しから、美しい白の振袖へと変化していた。


 ――何じゃ御主。その貧相な姿形に魂は。


 ――何やら貧相な姿形になっていて気付かなかったが、


 そうか。

 ホムラ様と悪魔。

 二人のあのセリフは、こう言う意味だったのか。

 ビャクちゃんは、力を奪われて完全に人化できなくなっていただけじゃなかったんだ。

 文字通り貧相な、子供の姿にしかなれなかったのだ。



       *  *  *



『かかっ! 白い狐の神よ! 再びその姿になったと言うことは、ある程度は力を取り戻したと言うことだな? すなわち! 貴様の魂も以前と同様に甘美な――』

「さて、悪魔」

 悪魔の耳障りなセリフを遮るように、ビャクちゃんが口を開いた。

「私の大切な人を傷つけた対価を払ってもらうわよ」

『……かかっ。何を言い出すかと思えば! 貴様は以前、我に魂の一部を喰われているではないか! 今回は我も衰弱しているとは言え、一対一で敵うとでも思っているのか!』

「生憎と、私にも神としての意地がある」

 スッと、ビャクちゃんを取り巻く気配が変わった。

 まるで氷のような、薄ら寒い気配。

 それでいて、炎のように熱い。

 パチン、とビャクちゃんは指を弾いた。

 すると、ビャクちゃんの周囲にユラリと火の玉が浮かんだ。

 蒼白の火。

 凍て付いた炎のような、狐火だった。

「力を食べ物にするのが、悪魔だけだと思わないように!」

 右手を差し出す。

 フッと、狐火が恐ろしい速度で悪魔に向かった。

『ふんっ!』

 それを、悪魔は手の平に黒炎を発生させて払い除けた。

 だが。

『ぐうっ!?』

「くっ……!」

 悪魔もビャクちゃんも、苦痛の声を上げた。

『何だ……この炎は……!』

「あんたの黒炎と同じ……。力を吸い取る狐火よ。もっとも、私が食べるのは魂じゃなくて精気だけど」

 今見た感じだと互角かしら、と。

 ビャクちゃんが笑う気配がした。

『……かかっ。つまりここから先は、消耗戦と言うことか』

「さあ、どうかしら? どの道、あなたは助からないと思うけど?」

『ほざいていろ! その魂、我が喰ってくれる!』

「私の記憶と魂、返してもらうわよ!」

 言うなり、悪魔は黒炎を両手に纏わせて突進してきた。

 対してビャクちゃんは、狐火を何個もぶつけて牽制する。

『ちぃっ……!』

「ぐっ」

 お互いがお互いの力を喰らい合い、打ち消し合う。

 黒炎を狐火で消し飛ばし、狐火を黒炎で吸収する。

 そんなある種の不毛な先頭が続く。

 何度も。

 何度も何度も。

 悪魔と白狐は、炎をぶつけ合っていた。

 その異様な風景に、僕の大切なヒトが入っているというのに。

 僕は、何もできなかった。

「   ……!」

 クソッ……!

 舌打ちもできない。

 僕はただ、見ているだけだった。

 そして。

『ぐぅっ……!』

「はあっ……はあっ……!」

 最初に膝を衝いたのは、悪魔だった。

 ボロボロと、黒い靄が霞んでいるように見える。

さらにその中に、その黒い容姿からは想像もつかない、綺麗な光の輝きがいくつも見えた。

 あれが、今まで溜め込んできた魂か……!

「その中に、私の記憶と魂が……」

『さあ、どうだろうな?』

「負け惜しみ? 御託はいいから、さっさとその中にいる魂たちを解放しなさい!」

『かかっ!』

 悪魔は。

 それでもなお、嗤っていた。

「……何よ?」

『いや何、貴様が勝ち誇っているのが可笑しくてな』

「……?」

 まだ何か隠し玉があるのか?

 僕は跪く悪魔を見て、訝しげにそう思った。

 満身創痍。

 もう、何かできるようには思えないけれど……。

『かかっ!』

 悪魔は嗤う。

『本当に! 本当に「灯台下暗し」とはこのことを言うのだろうな!』

 言って、悪魔は地面に両手を付いた。

 土下座の姿勢、ではない。

 なぜなら悪魔は、両手に黒炎を纏わせていたからだ。

「   !」

 まさか!

『かかっ! ここは神の住まう土地! つまり! この土地そのものが生きていると言うこと! 土地そのものが魂を持つと言うこと!!』


 ――ゴオッ!!


 渾身の力を振り絞ったのだろう。

 悪魔を巨大な黒い火柱が覆いつくした!

「きゅうっ!?」

 その余波に当てられたビャクちゃんが、大きく吹き飛ばされる。

 そして真っ直ぐに僕の真上に落ちてきた。

「   !?」

 ぐえっ!?

 身動きが取れないだけに、衝撃がフルに腹部に伝わってきた。

「ユタカ、大丈夫!?」

 慌てて僕の上から降りるビャクちゃん。

「   ……」

 大丈夫……。

 そう言おうとして、僕は言葉を失った。

 いや、そもそも喋れないのだけど、それでも言葉を失ったとしか言いようがなかった。

「  、     ……」

 ああ、綺麗だなあ……。

 場違いかもしれない。

 それでも、初めて間近で見た成長した姿のビャクちゃんは、本当に綺麗だった。

 さっき本性を現して、名前通りの白銀の吸血鬼と化したもみじさんよりも綺麗な白髪。そして僕の知る限り、一番綺麗な瞳を持っていたハルさんよりも澄んだ碧眼。ついでに、『大峰おおみね』の狼衆の頭領であるところの疾風はやてさんの着物よりも美しい振袖。

 その全てが、僕の中の常識を逸脱した美を誇っていた。

 狐は絶世の美女に化けると言うけれど、なるほど確かにその通りのようだ。

「……ユタカ?」

「……………………」

 心配そうに見つめてくるビャクちゃん。

 その表情もまた、とんでもなく綺麗で……って、見惚れてる場合じゃない。

「   ……!」

 あいつ……!

 この街の命を喰う気か……!

「そうみたい……! どうしよう、さすがにもう、私も限界なのに……!」

「     !      ……!」

 チクショウ! どうすれば……!

 ……って。

「                ?       」

 何で僕の言ってることが分かるんだ? 声出ないのに。

「え、あー、うん。ほら、今私たちっていつも以上に強く繋がってるわけじゃない? だから、ね? ある程度ならユタカが何考えてるか分かるの」

「……………………」

 マジですか。

「うん。マジマジ」

 えーと……。

「うん、っとね? ……ありがと。綺麗って言ってくれて……」

「……………………」

 穴があったら入りたい。

 恥ずかしすぎるわ!

 じゃなくって!

「うん、どうしよう……。もう、私、立ってるのもやっとなんだけど……」

 ビャクちゃん……!

 僕らはなす術もなく、その巨大な黒い火柱を見ていた。

 だが。

『がああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

「「っ!?」」

 突如として聞こえてきた悪魔の悲鳴に、僕らは一瞬ビクッと震えた。

 それほどまでに、その悲鳴は悲痛なものだった。

 さながら、断末魔のような。

『ぐううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! がああああああああっ!』

 悲鳴は続く。

「な、何……?」

 ビャクちゃんがそう呟く。

 そしてそれに答えるように、どこからともなく声が聞こえた。


 ――御主、儂に「障ったな」?


「この声……!」

 ああ……!

 ようやくお出ましか……。

 瞬間。

 黒い火柱が、金色の炎に呑み込まれた。

 その中心で、黒い靄が悲痛な叫びを上げ続けている。


 ――儂の土地で好き勝手に暴れおって! 民に手を出し、儂が守護する一族に手を出し、我が妹分に手を出し! あまつさえ、儂にまで手を出すか!


 この痴れ者がっ! と。

 神の怒号が悪魔を貫いた。

 妖狐の女王にして傾国の美女、白面金毛九尾狐。

 その美貌でいくつもの国を滅ぼしてきた大妖怪が、なんでこんな地方都市の土地神をやっているのか以前から不思議で仕方がなかったが、しかし、あの酔っ払いの女狐がここまで怒るとは珍しい。

 よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。

 妖怪としての縛りで自ら手を出せないこと。

 神の役割として見守ることしかできなかったこと。

 憤怒の炎が今、悪魔を焼いていた。

 悪魔は、障ってはいけない神に、障ってしまった。

『があああああああああっ!? な、何だこの炎は……! 魂が! 喰らってきた魂が……! ぬ、抜けていく……! ああああああああああっ!!』

 目を凝らす。

 金色の炎で焼かれながら、悪魔は虚空を掻いていた。

 そしてその指先を、悪魔の体内から解き放たれた光の欠片がすり抜けていく。

 神の炎に焼かれ、その体からいくつもの魂が解放される。

 肉体が無事である魂は還るべき場所へ。

 すでに肉体を失った魂は天へと。

 そして。

「うっ……」

 光の一つが、ビャクちゃんの胸に飛び込んできた。

「      !」

 ビャクちゃん!

 僕は叫ぼうとした。

 声は出ずとも、ビャクちゃんには伝わった。

「うん……! 私の魂と……記憶が……!」

 震える声で、ビャクちゃんはそう告げた。

 良かった。

 本当に良かった。

 僕自身はとても不甲斐ない状態だけど、心の底からそう思えた。

 けれど。

「けど……この記憶は……?」

 え?

 ビャクちゃんはそう、不安そうに呟いた。

 どうしたのだろうと首を傾げていると。

『まだ! まだ我は……!』

 吠える悪魔。

 全ての魂を奪われた悪魔は、今なお金色の炎の中で焼かれ続けていた。

 悲鳴のような叫び。

 だが、その叫びは酷く荒々しい声で一蹴された。

「しつけえんだよ、お前」

 ダンッと。

 突如登場したその男は、嫌みったらしい笑みを浮かべて地面に長い杭のような柱を打ち込んだ。

「かははっ! 一番乗り! おうミサ! 今回はオレの勝ちだな!」

「何が勝ちよ! この戦闘狂バトルマニア! ウチはアンタと勝負した記憶はないんだけど!?」

 ダンッ!

 もう一本、さっきとは悪魔を挟んで反対側の位置に杭が打たれる。

 昌太郎しょうたろうさん……。それに美郷みさとさんも!

「おう、小僧。お前何やってんだ?」

 昌太郎さんが嫌みったらしい笑みを浮かべたままこちらに近付いてくる。そして僕の右足が巨木の下敷きになっているのに気付き、「かははっ」と笑いながら無造作に巨木を掴んだ。

 そして。

「おらよっ!」

 ズズンッと、轟音を立てて巨木が退けられた。

「……………………」

 片手で、この巨木をどかしやがった。

『大峰』の歴代当主が全員半妖だからって、この人は本当に、羽黒さんとは別ベクトルで無茶苦茶だ……。

「おっと。こりゃ完全に折れてるな」

 言うと、昌太郎さんは懐から白紙の一枚のお札を取り出し、指先で文字を書きながら言霊を紡いだ。

「――《大地の恵みは傷を癒すもの也》」

 ポウッとお札に、言霊と同じ文字が浮かび上がる。

 それを僕の右足に貼り付ける。

「どうだ?」

「        。  、            」

 よく分かりません。けど、少し楽になった気がします。

「感覚がないから分からないけど、少し楽になったって」

「かははっ、そうか」

 声が出せない僕に代わり、ビャクちゃんが通訳してくれた。

 昌太郎さんは笑うと、美郷さんに「早く持ち場に戻れ!」と怒鳴られ、自分の柱のところに戻っていった。

 そして。

「……ぐるる」

「あわわわわ……!」

 物凄いスピードで、何かが走ってきた。

 それは褐色の剛毛で全身を覆われた、狼の頭部を持つ妖怪だった。

 人狼……明良あきらさんか!

「うーん……気持ち悪い……」

「……贅沢を言うな。鍋島なべしま先生の火車よりはマシだろう」

「そうだけど……」

 ウエッと口元を押さえながら、明良さんの背中から降りる少女。

 昌太郎さんと美里さん同様の柱を手にした宇井ういさんだった。

「えーっと……ショウさんとミッちゃんがあそこだから……。明良、この辺によろしく」

「……了解した」

 ドスンッと音を立て、柱が半分ほど地面に埋まった。

 明良さん、力を入れすぎだと思う。

 ともかく。

「  ……」

 柱が……。

 僕は呟いた。

「     ……!」

 三本揃った……!

 後、残すは。

「ふぃ~。ようやく着いたか。やれやれ、老体には堪えるわい。まったく『瀧宮たつみや』の小僧め。ワシまでこき使いおって」

「ほらお爺様、もう少しですよ」

「すまないねえみのりや」

「お爺様、それは言わない約束でしょう?」

 ……………………。

 いつのコントだ。

 そんな気の抜けた会話をしながら、うちの姉さんとエロジジイがやってきた。

「おお、美郷ちゃんじゃないか。ちょうど良かった。この柱を打ち込んでくれんか? あとでお小遣いをあげるから」

「わーっ。ありがとう! って! 爺さん、自分でやりなよ!」

「もう私たちは疲れて穴を掘れないんですよ。すみません美郷さん」

「うー」

 渋々といった風に、美郷さんは姉さんから受け取った柱を地面に突き立てた。

 ダンッ!

 柱の先端が、地面に亀裂を作りながら突き刺さる。

 これで、柱が四本。

 そして。

「ゴメン! 一旦親父と合流して柱受け取ってたら遅れた!」

 叫びながら、亜麻色の髪を振り乱しながら梓が走ってきた。

 そしてその後ろを、全身黒ずくめの長身の男が駆けてくる。

「遅えぞ、アズ! クロ!」

「うるせえっ!」

 昌太郎さんの手洗い激励に羽黒さんが怒鳴り返し、二人は持ち場に付いた。

「それっ!」

 ダンッ! と。

 梓が思いっきり柱を地面に突き立てる。

 次の瞬間。

『がああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 悪魔の悲鳴。

 金色の炎に焼かれる悪魔を取り囲んだ五つの柱が、五色の輝きを放つ。

 そして。

 柱と柱を。

 点と点を。

 光が繋いだ。

 悪魔を中心に、地面に五芒星が描かれる。

「さて」

 羽黒さんが前に進み出る。

「『伍角天石』、完成だ」

『があっ!?』

 悪魔よ、と。

 羽黒さんは軽薄に笑った。

「『あの世』で、あのおっかねえ女が待ってるぜ?」

『きっ……!』

 悪魔が羽黒さんを睨む。

 その黒い靄のような姿は、ほとんど霞んで輪郭すら怪しくなっていた。

『貴様らあああああっ!』

 悪魔が吠える。

 さながら、断末魔の叫びのように。

『貴様ら! 揃いも揃って! 最悪だああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 その叫びに。

 昌太郎さんは嫌みったらしく。

 美郷さんは可笑しそうに。

 宇井さんは楽しそうに。

 爺様は飄々と。

 梓はクスクスと笑いながら、声を合わせてこう言った。

「「「「「失礼な」」」」」

 ただ。

 羽黒さんだけは。

 軽薄そうに笑いながら。

「知ってるよ」

 と、答えたのだった。

 ゴオッと、金色の炎が一際激しく燃え上がった。

 そして。


 ――キンッ!


 と。

 金属がぶつかるような音と共に、悪魔の姿は完全に消え去った。


 ――ふん。


 ホムラ様が鼻で笑う声がした。

 途端に、あれほどまでに巨大な金色の火柱が、一瞬にして消え去った。

 そしてその場に残されたのは、一つの結晶だった。

 金色の五角柱の結晶。

 その中心で、黒い靄のような何かが燻っていた。

「……ほいっと。お疲れさん」

 結晶を拾い上げ、羽黒さんは軽薄そうな笑みを浮かべた。

 終わった。

 ようやく、終わった。

「はあーーーーー」

 誰からともなく、そう安堵の溜息が洩れた。

「いやー、一時はどうなることかと思ったわい」

「まだ全部が終わったわけではないですよ、お爺様」

「そ。結界の後片付けも残ってるしね」

「かははっ。そんなもん、うちの狼衆にやらせとくぜ?」

「うーん、そういうわけにもいかないと思いますよ?」

「……オレも、出来る限り手伝おう」

「と言うか、ここの片付けが一番厄介なんじゃない? 何よこれ、この爆撃後みたいな惨状は……」

「どうせユウの奴が全身全霊で暴れまわったんだろ」

 ……………………。

 あー。

 確かに改めてみると酷い状態だ。

 地面は手榴弾でボッコボコだし、木はたくさん倒れてるし、公民館の窓ガラスは爆風と流れ弾で全て破砕されている。

 これ、実質的に僕一人でやったのか……。

 戦闘中は頭に血が上ってて気付かなかったけど……。こりゃ、紅鉄あかがねさんにとんでもなく怒られるなー。

 などと、僕は暢気に考えていた。

 まだまだやることはある。

 けれど。

 全てが終わった。

 その安堵感が、後処理なんて苦でもないという気にさせてくれた。

「  、      ?」

 ねえ、ビャクちゃん?

 僕はそう訊ねた。

 けれど。

「……………………」

「      ……?」

 ビャクちゃん……?

 白い少女は答えない。

 そして。

 フラッと。

「……………………」

 僕の上に倒れこんできた。

 それが、まだ終わっていないと言うことを告げていた。



       *  *  *



「      !」

 ビャクちゃん!

 叫ぶ。

 しかし声に出ないものだから、すでに各々の作業に入っているみんなは、ビャクちゃんの異変に気付かない。

 ビャクちゃん!

 心の中で叫ぶ。

 両腕は、まだ動かない。

 ビャクちゃん!

 もう一度叫ぶ。

 すると。

「……聞こえ……てる……」

 と。

 酷く弱々しい声が返ってきた。

「ちょっと……まずい、かも……」

 ビャクちゃんは呟く。

「そもそも本調子じゃなかったのに、派手に暴れたから……。なけなしの力をギリギリまで使っちゃったから……結構、危ない状態、かな……?」

 そう言って。

 ビャクちゃんは皮肉気に笑った。

 何で。

 何でそんなに他人事みたいに言ってるんだ?

「     ?」

 大丈夫なの?

「言ったじゃない……。結構、まずい。下手したら消えちゃうかも……」

「……!」

 僕は戦慄した。

 そんなことってあるのかよ! ようやく魂も記憶も取り戻したのに、消えそうって!

「あの悪魔……私の魂を搾りかすみたいな状態までしゃぶってたみたいで……力自体は、ほとんど回復しなかったの……」

「    !」

 だったら!

 僕は叫んだ。

「                    !」

 もう一度僕の力を取り込めばいいじゃないか!

「……っ! ……それは、無理」

 ビャクちゃんは一度顔を赤らめ、すぐにフイっとそっぽを向いた。

「   !           !」

 何でさ! 僕の力はまだ残ってる!

「ユタカは……自分では分からないと思うけど……実は結構、ユタカも危険な状態なんだよ?」

 私が本当にギリギリまで食べちゃったから、と。

 ビャクちゃんは申し訳なさそうに言った。

「だって……まだ体が動かないんでしょ? 本当なら、もう動けるし声も出せるはずなんだもん……。これ以上食べちゃったら、ユタカ――」

 死んじゃうよ、と。

 ビャクちゃんは悲しそうに笑った。

「……それに、ユタカが死んじゃうまで精を食べても、正直、助かる気がしない……」

「    ……!」

 それでも……!

「二人して死んじゃったら、意味ないでしょ……!?」

 ビャクちゃんは、そう叫んだ。

 弱々しい叫びだった。

「    ……!」

 それでも……!

 と。

 僕も叫ぶ。

「                      、             !」

 好きになった奴が目の前で消えようとしてるのに、何もできないなんてもう嫌だ!

「……え?」

「                 。  ――」

 こんな状況で卑怯と思うかもしれない。けど――

 僕はビャクちゃんが好きだ。

 そう、言葉にはせずに伝えた。

 対して。

「……っ!」

 ビャクちゃんは、顔を赤らめたまま言葉を失っていた。

「……私、狐だよ?」

 知ってる。

「……ユタカが好きな外見に化けてるだけかもしれないよ?」

 内面に惹かれてるんだ。

「……その、先に接吻きすしちゃっただけの勘違いかも……」

 残念だけど、その前からずっとそう想ってた。

「……吊橋効果……」

 それがどうした。

「……………………」

 ビャクちゃんは、完全に言葉を失った。

 顔がリンゴのように赤い。

 それが、まだこの白い少女がそこにいて生きていると言うことを教えてくれている気がした。

「   」

 だから。

 生き残る方法を探そう?

 例えば、あの悪魔に取り憑かれた朝倉のセリフじゃないけど、みんなから少しずつ力を分けてもらうとか……。

「嫌」

 え?

 ビャクちゃんははっきりと拒絶した。

「 、  ?」

 な、何で?

「嫌だよ、そんなの」

 ビャクちゃんは小さく笑った。

「好きでもない人と、その……き、接吻きすしたくない……」

 だからゴメンね、と。

 ビャクちゃんは悲しげに笑った。

 そして。

「んっ……」

 唇を、僕のそれに近づけた。

「……!」

 僕は言葉を失った。

 それは、ビャクちゃんがまたキスしてくれたことに対する驚きではなく。

 唇にさっきのような柔らかな感触を感じなかった悲しみでもなく。

「      ……!」

 ビャクちゃん……!

 その姿が、半透明に透けていたからだ。

「ねえ、ユタカ」

 ビャクちゃんの声が聞こえた。

 その声は酷く透明で、消え入りそうだった。

「私も、ユタカのこ   」

「      !」

 ビャクちゃん!

 その声も、途中から完全に消えた。

 僕みたいに舌が動かせずに喋れないのではなく。

 声が存在そのものと一緒に消えようとしていた。

「    」

 唇の動きで、何とか意味は伝わった。

 好きだよ。

 そう、言ってくれた気がした。

 けれど、それ以上は分からない。

「   」

 そう口にしたビャクちゃんは、もう口の動きが分からないほど透けてしまっていた。

 そして。

「      !」

 ビャクちゃん!

 僕は叫ぶ。

 しかし。

 その白い姿は、もうどこにもなかった。

 あるのは、ただ仰向けのまま虚空を見つめる男が一人だけ。

「                     !!」

 声が出なかった。

 目の前で大切な存在が消えたのに、嗚咽すら出なかった。


「……ユーちゃん? いつまで寝てるのよ」

「 ……」

「この惨状、ユーくんがやったんでしょ? 少しは手伝いなさい……って、え? ゆ、ユーちゃん!? 何泣いてるの!?」

「       ……!」

「え、何!? 何て言ってるか聞こえないんだけど……。って言うか、あれ? ビャクちゃんは?」

「……………………」

 僕は無言で、涙を流す。

 夜空に、白銀色の満月が浮かんでいた。




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