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だい じゅうなな わ ~鬼一口~



「ちょっと手伝ってくれたりしない!?」

「「「「……は?」」」」

 全部で四十八ある食堂のうち、正門に最も近い八重桜食堂で早めの昼食をとっていた四人をようやく捕まえ、わたしはそう頼み込んだ。

「うん、とりあえず隈武くまべの、落ち着いたらどうだ」

「わたしは至って冷静よ」

「いきなり説明を端折って頼み事する奴のどこが冷静か」

 言いながら、きょうはでかい口で八重桜食堂名物の生姜焼き定食をパクついていた。

 タレがいい匂いで、とても美味しそうである。

 じゃなくて。

「えーと、とりあえず座ったら?」

「あ、ありがとう」

 相良あらいがその巨体を持ち上げ、わたしのために椅子を引いてくれる。ホントこいつ、見てくれで損するタイプよね。

 まあ見てくれで一番損しているのは……。

「……………………」

 こいつ、か。

 うーん、相変わらずの仏頂面。明良あきらは特に何があったわけでもなかろうに、眉間にシワを寄せ、親の仇のようにカツ丼を口に掻き込んでいた。

 わたしには興味ないってか。

「それで隈武、どうしたと言うのだ?」

 わたしの席の向かいで経の隣、なぜか経と同じ生姜焼き定食を食べていた留学生のハルが声をかけてきた。こちらも相変わらずの美人さんである。わたしが女じゃなかったら惚れてたね。

「うーん、まずどこから説明したものか……」

「おい」

「ちょっと待ってなさいよ経。何事も手順は大切でしょ」

「お前、始めにその手順を端折ったの忘れてるだろ」

 無視無視。

 わたしは相良が持って来てくれた湯呑み一杯の水を煽り、説明を始める。

「まず端的に。……黒炎の犯人の目星が付いた」

「……っ! マジか?」

「マジよ。でもこれは他言無用。あんたたちは信用に足る人物だと思ってるから話すのよ」

「お、おう」

 経は一旦箸を置き、身を乗り出してわたしの話を聞く。

 一応周囲を見渡すが、多くはない利用客の誰も、こちらのことなど見向きもしていない。

 よし。

「早ければ今夜……ううん、何としてでも今夜中に決着をつける」

「おお、そうか。ようやくこの鬱陶しい腕輪ともおさらばできるわけだ」

 うんうんと満足そうに頷く経。

 腕輪の件に関しては、うちの本家が関わっているため若干耳が痛い。町中の妖怪の合意は得られたが、同意は得られたとは言いがたいのだ。

「それでなんだけど……実は、みんなには今夜、わたしの手伝いをしてほしいの」

「……あ?」

「具体的には、護衛」

「……………………」

 経は怪訝そうに顔を顰める。

 まあ、それもそうだ。一応は陰陽師の端くれであるわたしが、妖怪に護衛を頼んでいるのだから。

「実は、八百刀流は今夜、『伍角天石』っていう結界を発動させる予定なの」

「ふんふん」

「これは町全体を覆うぐらい大規模な結界なんだけど、術式の準備中は完全に無防備な状態になるわけ。そこで術者が狙われないように護衛が必要になるわけよ」

「……そんなもの」

 と。

 今まで黙ってムッツリと食事を進めていた明良が口を挟む。

「……他家の者に頼めばいいだろう」

「うーん、本当はそうしたいところなんだけど」

 歯切れ悪く答えると、凶悪そうな目をさらに険悪に細め、明良は無言で続きを促した。

「この結界は八百刀流五家全ての力が必要なの。でもどこも連日の黒炎対処で、まともに動ける人員に限りがあるのよ。ぶっちゃけ、他家に護衛戦力を割くほどの余裕はない」

 その中でも特に我が『隈武』家は酷い。

 もともと分家の中でも陰陽師としての力は弱く、規模も小さかったのだが、黒炎の煙によってただでさえ少ない戦力が激減してしまったのだ。

今現在、まともに力を揮えるのはわたしと当主であるお父さんだけだ。けれどお父さんは、連日の夜間警護で持病のぎっくり腰が悪化し、まともに動けない。当主としての仕事も、前当主であるお祖母ちゃんに代わってもらっている有様だ。

 つまり、実質戦力はわたし一人。

 頼み込めば、『瀧宮たつみや』や『大峰おおみね』といった保有戦力が大きい家は人員を裂いてくれるだろうが、さすがにこの状況下では躊躇われる。

「ふむ、事情は分かったが……しかし」

 と、ハルは自身の手首を見る。

 チャリ、と封印の腕輪の鎖が音を立てた。

「私たちはこの状態だ。元々私は戦えるタイプの妖怪ではないが、プラスこの腕輪で一般人程度の力しか出せないのだぞ? むしろ足手まといになるのではないか?」

「あ、大丈夫。抜かりはないから」

「うん?」

「本当はダメなんだけど……あんたたち四人に限っては、今日この場で封印を解除するから」

「……! 本当か!?」

「本当よ。嘘吐いてどうするのよ」

 食いついてきた経を軽くあしらう。

 以前から「職務に支障が……」と愚痴っていたから、本心から助かったと喜んでいるのだろう。

「じゃあ今すぐ解除してくれ!」

「うーん、それは無理」

「は?」

「わたしじゃ解除できない」

「……はあ?」

 意味不明、と言った具合で顔を顰める。

 ホントこいつ、人の話を最後まで聞かずにリアクションするんだから……。

「これ、実はあんたが思っているより強力な封印でね。生半可な術者じゃ解除できないのよ。少なくとも、私には無理」

「じゃあどうするんだよ」

「だから、代理を頼んだ」

「……本当はダメなんじゃねえのか?」

「大丈夫。代理の人はそもそも術者じゃないから」

「……?」

 疑問符を浮かべる経。

 まあ、当たり前か。

「この腕輪は異能の力に反応するように作られてるの。あなたたち妖怪はもとより、わたしみたいな陰陽師のような人間にも反応するわけ。中途半端な力では絶対に外れないのよ」

「なるほどね……。それで一日一クラス三人までって解放される人数が決まってたのか」

「そう言うこと」

 八百刀流の関係者が解呪用の祭具で鎖を切り落とすことになっているのだが、それでも人数が人数だけに、開放は学園では一日当たり一クラス三人までと決められていた。

 人員にも祭具にも限りがあるからだ。

「で、結局どういうことだよ?」

「話しは最後まで聞きなさいよ。つまり、異能の力に腕輪が反応するってことは、異能の力を持たない人間に対しては反応しないってこと。言い換えれば、一般人からすればこんな腕輪、ただの鎖でしかないのよ」

「……なるほど」

 明良が低く唸る。だけどすぐに「……で」と切り替えしてきた。

「……この町に『一般人』などいるのか?」

「あ、そうか。異能の力って言うのは、霊感も入るのか」

 そう言って相良は頷いた。

 その通りである。この町に住む住民は例外なく霊感を持っているのだ。そしてこの腕輪は、その霊感持ちにすら反応してしまう。

「何だよ、結局ドン詰まりかよ! まさか隣町まで行って通行人相手にニッパー片手に『この鎖を切ってくれませんか?』何て頼む気じゃないだろうな」

「そんなわけないでしょうが。……ちゃんと見つけたよ」

「……何?」

 顔を顰める明良。

 言いたいことは分かる。この町に、一般人などいるのか、と尋ねたいのだろう。

「苦労したわよ。佐藤さとう先輩に学園に通っている一般人を探してくれるよう頼んで、そうしたら大学の農学部に一人いるらしいって情報を仕入れてくれて、黒埼くろさき先輩にその人と連絡を取れないかって頼んで、そしたら黒崎先輩の学科の担任講師の秋晴あきばれ先生の講義にその人が出てるらしいってようやく分かって、ようやく昨日会えたんだから!」

「あー、うん。ご苦労様」

「そんな軽い一言で片付けないでくんない?」

 ジロッと経を睨み付ける。

 アズアズの情報網を利用すればもっと簡単にターゲットと接触できたかもしれないけれど、一応は本家には内緒なわけだからそういうわけにもいかず。

 いやホントに大変だった。

「で、その一般人とやらはいつ来るのだ?」

「もうそろそろのはずだけど……」

 周囲を見渡す。

 さすがに昼時が近付いてくると人手も増えてきて、パッと見では見知った顔を捜すのも苦労する。

「あ」

 その中に。

「あ、どうも」

「こんにちはー」

 長い黒髪に色白の女性がコロコロと笑いながら近付いてきた。だがその姿は、見る者が見れば、若干だが向こう側が透けて見える。

 そしてその後ろを、普通ではない眼鏡をかけた青年が追いかけてくる。

「初めまして、小野田おのだ祐真ゆうまです」

「祐真君の守護霊をやってます、盛田もりた加奈子かなこでーす」



       *  *  *



「……どうすればこの学園に一般人が入学できたんだ?」

「まあ、話せば長いと言うか……いや、長くはないかな」

 明良の疑問はもっともである。

 この学園、入学試験はあるにはあるのだが、基本は全員合格できる。募集枠もその時の志望人数で変動するので倍率は常に一倍である……のだが。

 実はこの試験のうちの一つの面接で、人間の受験生に対しては、霊感や霊媒体質の有無が確認される。

 もちろん直接「幽霊は見えますか?」と聞くのではない。

 面接中に幽霊の試験官が無意味に部屋を素通りしたりラップ音を立てたり、受験生の背中に触れたり……とまあ、いわゆる「脅かし」を行うわけだ。

 これに無反応だと「霊感なし」とみなされて落とされてしまう。逆に過剰に驚いても「気付いていなかった」として不合格。

 むしろ集中できずにチラチラと幽霊の方を見てしまうことで「霊感がある」と判断されて合格となるのだ。

 まあこうやって見るとなかなかにシビアな試験ではある。

「でも僕は今まで幽霊とか妖怪とかって見たことなかったんだよ」

「じゃあどうやってあの試験をパスしたんすか?」

「パスしたって言うか……後で聞いた話だと、面接の時に幽霊試験官が目の前を通っても気付かなかったんだけど、触られた時に若干の霊媒体質が確認された……らしいんだ。それで入学できたんだ」

「それでも、波長が合うウチ以外の幽霊は見えないし触れないけどねー。だからこうして、工学部が試作した霊媒レンズの眼鏡をかけてるの」

「これがないと、幽霊の先生の授業が受けれなくて……」

 一般人が月波学園に入学すると、なかなかに大変そうである。

「へー、どれどれ。……うおっ! 本当に触れない!」

 さっきから経は祐真さんの腕を掴もうとしてすり抜けることに驚いている。

 これでは祐真さんの腕が経の手をすり抜けているように見えるが、実際は経の手が祐真さんの腕をすり抜けているのだ。霊媒体質と言っても、本人の言う通り加奈子さんに対してだけ働いているようである。わたしは普通に触れたし。

「で、話を戻すよ?」

 経どころか相良やハルまでもが霊媒体質のない祐真さんに興味を持ち始めたところで、わたしはようやく本題に映る。

「祐真さんには昨日言った通り、この四人の腕輪を切ってほしいんです」

「うん、それはいいんだけど……」

 大丈夫なの? と確認してくる。

「大丈夫です。特にこの男三人は腕っ節だけが取り柄ですから」

「ヒトを脳筋みたいに言わないでくれるか?」

 無視無視。

 ホントに経は無駄にうるさいんだから。

「ともかく、こいつらなら大丈夫です」

「……まあ、この町の専門家が言うんなら大丈夫なんだろうけれど。瀧宮さんも結構な無茶をしてるって聞くし。でも年長者としては、そういう危なっかしいことにはなるべく首を突っ込まないでほしいって言うのが、本音かな」

 そう言いながら、祐真さんはカバンの中からニッパーを取り出した。

 術式も何も施されていない、いわゆる市販のニッパーだ。しかもご丁寧に、包装ケースに入ったままの新品だ。

「いい? 僕が口出しすることじゃないんだろうけど、絶対に怪我だけはしないようにね」

「うん、分かっています。万一の時は、私がいる」

「……頼もしいお嬢さんだ」

 薄っすらと笑う祐真さん。

 その横顔を、加奈子さんがどこか面白くなさそうに見ていたのは黙っておこう。

 この二人にはこの二人の物語があるのだ。第三者わたしが口出しすることじゃない。

「じゃあ、切るよ」

 スッと、経の手首にニッパーが触れる。祐真さんの手は通り抜けるのに、その新品の刃先だけは鎖を捉え、肌に若干食い込んでいる。


 ――パチン


 存外にあっけない音を立て、封印の腕輪は断ち切られた。



       *  *  *



 日はとっくに沈んだ夜八時。

 白銀色の満月が月光を満遍なく大地に降り注ぐ中、感付かれないよう念のために用意していたダミーの腕輪をつけた四人が真夜中の公園に集合した。

「……一応、鈍っていないか確認するために一っ走りしてきた」

「おれは普段から鍛えてるから問題はなかったよ」

「右に同じく俺もだ」

「うむ。水があれば多少なりとも援護できる程度には動けるぞ」

 四人はお互いの調子を尋ねあいながら準備運動をしていた。

 わたしは一人、結界の準備を進める。

「そう言えばハル。お前、下宿抜け出してきて大丈夫だったのか?」

「本当はダメだ。だが今夜は、ユー介は元より管理人のみのりさんもいないから、抜け出して来るのは造作もなかった」

「……お前、冷静なだけであって真面目というわけではないんだな」

「よく言われる」

 明良が呆れ顔でハルを見るが、当の本人はケロッとしている。

 わたしのためにわざわざ抜け出してきたのかと思えば、若干心苦しい気がしたのだが、取り越し苦労だったようで。

宇井ういさん」

「うーん? どうしたの相良?」

「何か手伝うことはある?」

「あ、じゃあここら辺の土を掘り返してくれない? ここにこの柱を立てるから」

 そう言って私は一メートルほどの木の棒を、背負っていたバックから取り出した。

「これは?」

「これが『伍角天石』の支柱よ。これと同じものを後四本、計五本を正五角形になるように配置して力を注ぎ込む。そうすると結界が発動して、わたしたちの許可がない者は出入りが出来なくなるの。で、発動したら次の頂点に移動して、また同じように柱を立てる。そうして結界を狭めていってターゲットを閉じ込めるってわけ」

「ふーん、なるほど」

「でも力を注いでいる間は完全に無防備、って言うか、トランス状態になるから」

「その間に教われないように、おれたちがいるわけか」

「そう言うこと。頼りにしてるよ」

「あはは。まあ、おれたちの出番がないことに越したことはないけどね」

「そうだね」

 相良は笑いながらその辺にあった枝で土を掘り返す。持ち前のそのパワーで、あっという間に柱を立てられるだけの穴が開いた。

「さて……」

 柱を立てて穴を埋めなおす。

 うん、大丈夫。

 わたしはケータイを取り出して電話をかけた。

「こちら『隈武』です。準備できました」

『こちら「瀧宮」。オッケー、ウッちゃん! ショウの旦那とミサちゃんも準備できてるよ。今、穂姐さんは準備中。……あー、あと、兄貴とユーちゃんもいつでも出れる。とりあえず、待機しといて』

「りょうかーい」

 黒にーさんとユーユーに関する報告だけがぎこちないのは、まあしょうがない。和解したと言っても、アズアズはまだまだ気まずい、と言うよりあの人を許してはいないのだから。

 あの最悪の偽悪者は、アズアズのためになら何でもするけれど、それを彼女自身に感づかれるのを恐ろしく嫌う。

 今回だってそうだ。

 黒にーさんなら、今回の悪魔による黒炎騒動も一人で解決できただろう。それをわざわざ八百刀流五家全てを巻き込んだ大事にしたのは、単にアズアズのためを思ってのことだ。

 アズアズは、これからもっと強くなるのだから。

 それこそ、歴代最強クラスにまで。

 黒にーさんも、それにあの白ちゃんも成しえなかったことを。

「……さて」

 そろそろかな?

 ケータイを確認しようとした時、ジャストタイミングで着信音が鳴った。

『お待たせ。「穂波ほなみ」も配置が完了したわ』

「了解。……それじゃ」

『うん。始めるよ!』

 通話を終了し、ケータイをポケットに突っ込む。

 そして両手を柱に添え、少しずつ力を注ぎ込んでいく。


 ――ポウッ


 瞬間。

 柱から白く淡い光が漏れ出した。

 その光に触れた瞬間、わたしは考えるだけの生き物となった。

 意識はある。

 けれど全く動けなくなる。

 動きたくなくなる。

 集中力の波がわたしを呑み込み、ただ柱に力を注ぎ込むことしか考えられなくなる。

 トランス。

 順調である。

 少し興味本位で柱越しに気配を探ってみる。

 かなり離れた箇所に、四人の術者の気配がする。

 五角形の隣の頂点には、『瀧宮みず』のアズアズ、そして『兼山つち』のミッちゃん。

 反対側には『穂波ほのお』の穂姐さんと『大峰』のショウさん。

 それぞれが司る五行の力を柱に注ぎ込んでいるのが伝わった。

 すでに五つの柱は繋がりかけている。

 あとは完全につながり、結界が発動するのを待つだけである。

 順調。

 このまま上手くいけば四人の出番はなさそうである。

「……………………」

 少しホッとしながら、わたしは改めて集中の波に身を任せる。

 だが。

 そう上手くはいかないもので。

「……ぐぁっ!?」

「狛野っ!?」

 突如、明良が叫んだのが聞こえた。

 だがそれは、叫び声と言うよりも悲鳴であった。

「お、おい!? いきなりどうした!」

「……ぐうぅっ!?」

 経が心配そうに駆け寄るが、明良は顔をいつも以上に顰め、歪ませていた。

 何があったの……?

「どうしたのだ!? 何が起きた?」

「……く、く……」

「く?」

「……臭ぇ……!」

「「「は?」」」

 経も相良もハルも素っ頓狂な声を上げる。

 え、臭い?

 横目でチラッと確認すると、明良は苦渋の表情で鼻を押さえていた。

「何? 臭い?」

「……ああ。何か動物の肉を真夏の昼間にずっと外に放置していたような……!」

「腐敗臭?」

 相良も気になったのか、鼻をスンスンと鳴らして匂いを確かめる。

 だが人狼である明良は鼻がよく利くが、相良はどんな臭いが漂っているのか分からなかったようだ。

 けれでも、わざわざ確認する必要はなかった。

 なぜならそれは、すぐ目の前に出現したのだから。

「んなっ……!?」

 公園の木の陰。

 ゾロゾロと。

 ウジャウジャと。

 ズルズルと。

 そいつらは現れたのだ。

「ぞ、ゾンビ……!?」

 ハルが小さく悲鳴を上げる。

 それはまさしく、ゾンビとしか言いようのない出で立ちだった。

 しかもその数が半端じゃない。

 十や二十では足りないゾンビがゆっくりと、腐敗臭を撒き散らしながらこちらにやって来る。

 人や動物などが入り混じって入るが、全て一様に肉体が腐り、崩れかけている。

「……何でこんなところに……!」

 さすがにこの距離まで近付いていたらわたしたちにも臭いが分かる。明良はより一層顔を顰めて突如として出現したゾンビの群れを睨み付ける。

「大方、結界に気付いた悪魔とやらが放ったんだろ。魔術師としては一流なんだろ?」

「……だが、何だこの量は」

「確かに、この数は異常だよ」

 男三人は顔を歪ませながらも身構える。

 自分の身くらいは自分で守らなければならなさそうだ。

 ……この街はいつからバイオでハザードな世界になったのかしら?

 などと、柱に力を注ぐことに集中しているためか、自分でも驚くくらい冷静に周囲を見渡す。

 ゾンビの群れは未だ増えつつある。

 危なかった。

 四人がいなかったら、わたし一人では対処できなかった。

 ……四人?

 ふと、わたしは気になって、四人目であるところのハルを見た。

「……………………」

 彼女は。

 青ざめたまま、動けないでいた。

「ハル!」

 それに気付いた経は慌てて近寄る。

「ハル! お前、大丈夫か!?」

「あ、ああ……。だが、なぜ君たちは、そんなに平気そうな顔をしているのだ……?」

「……平気なものか」

 明良が吐き捨てるように言う。

「今だって、怖くて逃げ出したいくらいだよ」

 と、相良も続いた。

「けどよ。ここで俺たちが踏みとどまんないと、八百刀流の結界は発動しないんだろ? そうなれば、悪魔を捕まえられずにまた黒炎の犠牲者が増える。……だったら、ここでは逃げるべきじゃない」

「わ、分かる。それは分かる……。だが、この数は――」

 不意に。

 ズドン、と大きな音がした。

「「「「……っ!?」」」」

 四人が音のした方を見る。

 そこに、とんでもないのがいた。

 二本の丸太のような脚に巨大な二つの翼。もたげた鎌首の先には、鋭い牙が並ぶ顎があった。そしてその巨体は、周囲の木々と同等かそれ以上の物だった。

 よくゲームとかに出てくるワイバーンが、こちらを濁りきった瞳で見ていた。

 やはり他のゾンビと同様に肉体は朽ち、崩れ落ちそうな風袋だが、その威厳はなおも衰えていないようだ。

 ドラゴンゾンビならぬ、ワイバーンゾンビ。

 その姿に、経は叫んだ。

「ハル! 前言撤回だ! お前は逃げろ!」

「な、何だと!?」

「こいつはまずい! まず過ぎる! 正直、女二人を守りながら遣り合える相手じゃねえ!」

「……っ!? だが、君たちはどうする! あんな化物を相手に、怪我をしたらどうする!」

「いいから逃げろ! ただでさえ隈武のっつー荷物を抱えてんだ! 闘い慣れてないお前を守りきる自信はない!」

「だが君たちが怪我を負った時、私の、人魚の血で治してやれない! 手遅れになってからでは遅いのだぞ!?」

「だーっ、もーっ! 俺たちはいいから! 狛野! ハルを抱えてでも安全な場所まで移動させろ!」

「断る!」

 一歩も引かない両者。

 その間も、明良と相良はゾンビの群れを威圧して押し留めていた。

 改めてハルを見る経。

 彼女の青い目は、わたしから見ても頑なだった。

 仲間の三人を、心から案じている目だった。

 最初の恐怖はすでにどこかへと消え去ったようだ。

 友情が恐怖に勝っていた。

「……分かった」

 その目を見て、経は小さく呟いた。

 経が折れた。

「お前は、残ってもいい」

「ほ、本当か!? 足手まといにはならない。安心してくれ」

 安堵の表情を浮かべるハル。

 けれど。

 経はハルの肩を掴むと、こう続けた。

「お前は絶対に傷付けさせない」

 そう言うと。

「え……?」

 ハルには何が起きたのか分からなかったのだろう。

 呆けたような声を上げた瞬間、彼女は姿を消した。

 ガバリ、と。

 巨大な口を開けた経に()()()()



       *  *  *



「鬼一口」

 経は、さながら自身の腹の中にいるハルに話しかけるように口を開いた。

「代表的なのが平安時代の『伊勢物語』だな。ある男が好き合っていた女を屋敷から盗み出したが、逃走途中で雨に降られてとある蔵に逃げ込んだ。自身は弓矢を構えて蔵の番をしていたが、実は蔵には鬼が住んでいた。女は鬼に一口で食われてしまったが、その時の悲鳴は雷鳴で打ち消されてしまったそうだ」

 腹を擦りながら、経は呟く。

「実はその鬼ってのは、本当は女の兄でな。盗まれた大切な妹を取り返しに来たって言う話を、作者が物語風にアレンジしたらしいんだよ。ちなみに、モデルは作者自身らしいが」

 つまり。

 鬼一口とは、大切な存在を呑み込んででも守る妖怪。

 妹を連れ戻した兄。

 妹の意思を曲げてでも、兄は妹を守った。

 さながら、鬼のように。

「悪いな」

 経は呟く。

「お前の意思なんて関係なく、俺はお前を守ってやるよ。不快だろうが、しばらくそこで大人しくしていてくれ」

 そう言いながら、経はグルングルンと腕を回した。

「……この大根役者が」

「何だよ」

 経が並ぶと、明良は鼻で笑いながら声をかけた。

「そうそう。経、ハルさんを守るとか言って、結局は自分のことしか考えてないでしょ」

「……あいつに、オレたちの闘う姿を見せたくなかっただけだろ」

「ちっ、バレたか」

 舌打ちしつつ、経はこちらを確認した。

 わたしは静かに頷く。

 後のことは任せる。

 わたしは本格的にこっちに集中させてもらおう。

「さて、こっから先は女子供には見せられないアクションシーンを展開するとしますか」

「あーあ。結局こうなるのか」

 相良は呟くが、経はどこ吹く風で飄々としている。

「あの群れはお前らに任せる。俺は隈武ののそばで取りこぼしを殲滅させてもらう」

「……一人だけ楽なの取りやがって」

「向き不向きってものがあるだろ」

「じゃあ明良、おれはあのでかいのを担当するよ」

「……ふん。雑魚は任せろ」

 フウ、と小さく息を吐く。

「……行くか」

 言うなり、明良は上着を脱ぎ捨てて上裸になる。

「……ぐるるる……!」

 そして唸り声を上げ、全身に力を入れる。

 すると。

「……ぅおおおおああああああ……っ!!」

 ミシミシと筋肉が軋む音がわたしの耳にも届いた。

「それじゃ、おれも」

 グニャリ、と相良の姿が歪む。

 正確には、空間が歪む。

 隠していた妖怪としての本性を力ずくで呼び戻すかのように、二人の姿がどんどん変容していく。

 大柄な明良はさらに一回り体躯が大きくなり、全身から褐色の剛毛が生えてきた。顔立ちも、もはや人間とは言えない。

 人狼。

 つまりは、狼男。

 狼の顔を険しく歪めながら、明良は唸り、ゾンビの群れを睨み付ける。

「ふうっ……!」

 対して。

 相良はその巨体を一回りどころか数倍にまで大きくしていた。すでにその頭部は、その辺の街灯なんかよりも高い位置にある。

 普段の穏やかな相良からは想像もできないが、彼はあれで巨大な鬼なのだ。

 万一、相良が本気で暴れたら八百刀流でも対処できるかどうか怪しいところだ。

「おーおー。相変わらずおっかねえ。ホント、こりゃハルには見せれねえな」

 言いながら、経は腹を擦った。

 どうやら今回は本性を出さないらしい。

 まあ相良ほどでないにしても、経もまた本性は巨大な鬼なのだ。わたしを庇いながら闘うのであれば、確かに小回りが利く今の姿のほうがいいかもしれない。

 さて、と経は小さく呟いた。

「狛野、香川。久しぶりにいっちょ派手に暴れますか!」

「……ふん」

「何もないに越したことはなかったんだけどなー」

 スウッと、狛野は大きく息を吸い込む。

 厚い胸板が、比喩ではなく二倍近くに膨れ上がる。

「さあ」

 経は相対するゾンビの群れを見やる。

 瞬間。


 ――おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーんっ!!


 狛野のアギトから、爆音の如き咆哮が放たれる。

 そのあまりの威圧感と音量に、近くまで来ていたゾンビが数体吹き飛んだ。

 経はニッと口元を歪ませる。


「開戦だ」




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