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だい じゅういち わ ~龍殺し~




「……ユーちゃん」

「何だ」

「説明を要求するわ」

「見ての通りだよ」

 見ての通り。

 それは文字通り、目の前の光景がそのまま真実ということなんでしょうけど。

「あっ、いずみ! それは私の卵焼きだ!」

くれないくんがボクのご飯をかすめ取ったっす!?」

「言いがかりだ。……良樹よしきさん。どさくさに紛れておれのシシャモを盗らないでください」

「お前は肉ジャガが他の奴らより多いからいいだろ! アキ、ご飯おかわり」

「はい、どうぞ。あ、管理人さん。こっちのご飯がなくなりましたよ」

「え、もうですか? 今日はいつもより多めに炊いたのですが……。あ、ビャクちゃん。遠慮せずにもっと食べてくださいね?」

「遠慮なんてしてないわ! 本当に美味しい! あ、ハル! お醤油とって!」

 そこは、戦場の如き食卓の風景。

 団欒という言葉に『親しい間柄の人たちが集まって和やかに過ごす』という意味があるが、一つ物申したい。

 全然和やかじゃない!

 少なくともあたしは和めない!

 気を抜けばごく当たり前のように泉ちゃんと良樹さんにおかずを奪われるこの状況で、どう和めと言うの!?

「って、あずさ! 僕のキンピラゴボウを鉢ごと奪うな!」

「ちっ、バレたか……!」

「梓さん……順応が早いですね……」

 この状況に呆気にとられながらも自分の分の食事は死守しているもみじさんが言わないで下さい。

 それにしてもこのヒト、食事風景も綺麗だなあ……。夜空の如き艶のある黒髪が落ちてこないように器用にご飯を食べている。

 それはともかく。

 まあここの食卓には和めないけど、この風景は行燈館の日常だし。

 たまにご飯を食べに来るあたしも慣れてるからね。それに順応の早さで言えばもみじさんだってそうだし。

 いや、それよりも……。

「あーっ! ビャクちゃん、ボクの最後の卵焼きを……!」

「ん? これ泉のだったの? ゴメンね、悪気はあったわ」

「謝る気がないっす!?」

「ビャク。醤油返してくれ」

「あ、どーぞ」

「うむ。感謝する」

「ビャクちゃん、肉ジャガのおかわりはいかが?」

「もちろん頂くわ!」

「はい、どうぞ」

「ありがとうあき! 本当、ここのご飯は美味しいわ! いくらでも食べれちゃう!」

「そう言って頂けると嬉しいですね」

みのりが作ってるんですって? さっきの稲荷寿司もそうだったけど、あなた天才じゃないかしら?」

「あら、そこまで褒められるとさすがにむず痒いですよ。明日からはさらに腕によりをかけますね」

 行燈館の面子、特に女性陣とすっごく自然に和んでいる見慣れないヒトが約一名。

 雪のように白く長い髪に、これまた白い着流しに身を包んでいる少女。その瞳は蒼穹のような蒼色だ。

 だけど、そのあからさまに人外な綺麗な顔立ちよりも、それに似つかわしいとは言えない、長く尖った獣の耳とふさふさの毛が生えた大きな尻尾に視線が行く。

 ……なるほど、この娘が。

「ビャクちゃんって言うんだ?」

「いや、記憶を失ってるらしいから、勝手にそう呼ばせてもらってるだけだよ」

「ああ、そんなこと言ってたっけ」

 もう盗られないようにと考えたのか、さっさとキンピラゴボウを口に放り込むユーちゃん。

 ふふっ……。甘いね。あたしはシシャモも狙ってるんだから。

「あれ、でもさっきまでホムラ様のとこに行ってたんだよね? 本名聞けなかったの?」

「教えてくれると思うか?」

「んー……」

 まあ、微妙なところではあるか。

 本名を教えることでビャクちゃんの記憶がわずかでも戻ったら、それはホムラ様の縛りに反することになる。

 たかだか名前くらいと思わないでもないけど、でも名前の重要さは、あたしたち陰陽師が一番分かっている。

 特に八百刀流の基礎中の基礎であるところの言霊は、いわば名前を読み上げているのだから。

「でもいきなり馴染みすぎじゃない?」

「まあ話してみたら、大分懐っこい奴だったんだよ」

 そんなことを言っている最中にも、ビャクちゃんは泉ちゃんと卵焼きの取り合いに勤しんでいた。今はスピードで勝る泉ちゃんのほうが優勢かな?

 まあでも、なるほどそれで行燈館の女性陣と即行で仲良くなったと。

「クスクスっ」

 あたしは笑った。

「でもまあ、きっと皆楽しくて仕方ないんだろうなあ」

「ん?」

「ほら、中等部二年に上がったときの頃、覚えてる?」

「ん、ああ」

 初等部まではあまり意識していなかったけど、中等部に上がり、本格的に先輩としての自覚を持ち始めた頃だ。

「確かに僕ら、意味もなく浮かれてたね」

「だね。なんて言うんだろ」

 そう、あえて表現するなら。

「……自分に可愛い妹や弟ができたような感覚、かな」

 あたし、一人っ子だからよく分かんないけど、と。

 そう続けた。

「そう、だね」

 ユーちゃんはそう空返事じみた返事を口にしながら、溜息混じりにおかず争奪戦に身を投じている女性陣を眺めていた。

「あっ! 泉! キンピラゴボウまで盗ったわねっ!?」

「油断している方が悪いっす! ここはもう戦場なんっすから!」

「あの……もう少し落ち着いて食べたらどうです?」

「聞く耳持っていないようですよ、あき子さん」

 まあ、可愛い妹と言うより、手のかかる妹と言った方がしっくりくるか。

「……妹、ね」

「? 梓さん、どうしました?」

「いえ、何も」

 もみじさんが不思議そうに覗き込んできた。

 実際、何でもなかったんだけど。

 あたしは改めておかずに手を伸ばそうとする。

 その時。

「「こぉんばぁんわぁっ!!」」

「……………………」

 玄関の方から聞き覚えのある声が二つほど聞こえてきた。

 えーと……。

「嫌な予感がするわ……」

「奇遇だね梓。僕もなんだ……」

 その声は酷く甘ったるい口調で。

 しかもデロンデロンに泥酔したような間延びした声で。

 ……その上、毎日のようにどころか実際毎日会っているヒトの声音で。

「いっく、やっほ~、梓ちゃんいる~?」

「ユー坊、ひっく、来てやったぞいっ」

「「……………………」」

 羽織袴と巫女服の神様コンビ。

 我が家『瀧宮』の守り神のミオ様と、『穂波』の守り神であると同時に月波市の土地神でもあるホムラ様だ。

 二人とも予想に違わず泥酔で、顔を真っ赤にしながらお互いの肩につかまって何とか立っているような状態だった。

 人化も大分解けてしまっている。ミオ様は長く尖った角がコメカミから、肌の露出した部分にはわずかにうろこ状のものが浮き出ている。ホムラ様に至っては獣の耳に金色の九尾と、出るもの全部が出ている。

 ミオ様、ホムラ様のところで呑んでくるって言ってたけど、ホント、どれだけ呑んだんだ……。

「……何しに来たんですか」

「何じゃユー坊、ひっく、自分ちの守り神をぞんざいに扱うものではないぞい? ひっく」

「その意見には素直に同意しますけど、ですが泥酔して絡んでくるような神様に払う敬意は持ち合わせていません」

「はっは。相変わらず手厳しいのう。ひっく」

「二次会よ~。に・じ・か・い! 街まで行って呑もうと思ったんだけど~、いっく、もういい感じに酔いが回ってたから~、歩いて行くのが面倒になったのよね~、いっく」

「もうフラフラじゃないですか……。どの口がいい感じの酔いだ何て言うんですか」

 呟きながらユーちゃんは立ち上がった。

 そしてすぐにコップに汲んだ水を二人分持ってきた。

「とりあえずこれでも飲んでください」

「おお。すまんの、ひっく」

「ありがと~、いっく」

 グイッとコップ一杯の水を一飲みするミオ様とホムラ様。

「やっぱり神様の酔いにも、水って効くんですか?」

「そうじゃよ。神と言っても、人の姿をとっておる限り人と同等じゃからな」

 あたしの何となくの呟きにホムラ様が答える。

 その口調はいつもの調子を取り戻しているように聞こえた。

「穂、すまぬが何かつまみ的な物を作ってくれぬか?」

「はい。少々お待ちくださいね」

 にっこりと笑って立ち上がる穂姐さん。

 よく遊びに来るのか、対応に慣れているようだ。

 しかし、あれだけ酔っ払っておいてまだ呑むのか……。

「もう永いこと生きてるとね~、お酒やお喋りくらいしかすることがないのよね~」

「大人しく奥座敷で鎮座していればいいじゃないですか」

「や~よ。そんな暇なこと」

 そう言ってミオ様は手にしていた瓢箪に口をつけた。

 瓢箪には朱文字で『龍殺し』の名が。

「……………………」

「あら~? 梓ちゃん、どうしたの~」

「いえ……。何かシャレにならない名前のお酒ですね……」

「でもとっても美味しいのよね~。梓ちゃんも呑んでみる~?」

「未成年です!」

 即断却下するとミオ様はブウと頬を膨らませて、他に一緒に呑める相手を求めて他の面子を見渡した。

「……って、も~……未成年ばっかりじゃな~い……」

「そりゃここは下宿ですから」

 ユーちゃんが呆れた声で呟いた。

 数少ない成人である穂姐さんも、今は土間でホムラ様に頼まれたつまみを作っている。

 あと未成年じゃないヒトは……。

「もみじちゃん、だったかしら~?」

「あ、はい」

 標的はやっぱりもみじさんか……。

「まさか外見通り未成年とは言わないわよね~?」

「確かに実年齢は、この国での飲酒可能年齢を大きく上回っていますし、呑めないというわけではありませんが、それでも遠慮しておきますね」

「あら~。どうして~?」

「これでも生徒会長を務めていますので」

 高校生が飲酒に手を出してはいけません、と。

 もみじさんは首を横に振った。

 まあ確かに、生徒会長がお酒を呑んでいては他の生徒たちに示しがつかない。

 ……あれ? つまりは、もし、もみじさんが生徒会長じゃなかったら普通に呑んでいたってことかな?

 むう。

 案外お酒好きなのかも……。

「まあ諦めよ、ミオ」

「むむ~。少し残念ね~……」

 そう言って再び瓢箪を口元に運ぶ。

 それを見てホムラ様も自分の瓢箪に口をつける。

 こっちには墨で『神堕とし』の酒銘が。

「……………………」

 何でこのヒトたち、こうもろくでもない名前のお酒ばかり呑んでるんだろう……。

 何? 『鬼殺し』の強力な奴なの?

 アルコール度数何パーセント?

「それにしてもアレね~」

 どこか色気の漂う酔いの口調で、ミオ様が呟いた。

 すでに食卓は最終局面に差し掛かって、つまりは最後の卵焼きの一切れを巡っての争奪戦に移行しており、あたしはそれに参戦しながらミオ様の呟きを耳にした。

「最近の若い子はちっともお酒が呑めなくなったわよね~」

「そうじゃのう。農家の爺ならまだ儂らとも張り合えるがのう。酒が呑める歳になってもどうも張り合いがないと言うか」

「そうそう~。わたしたちと日本酒や焼酎を酌み交わせる子なんてもうほとんどいなくなったしね~。もうっ、みんなカクテルなんてオシャレなの呑んじゃって~。あれってほとんどジュースじゃな~い」

「まあ気軽に手ごろな酔いを楽しめるからのう。若者には丁度良いのかも知れぬな」

「それもそうかもね~……。でも……」

「ああ、そうじゃな。……彼奴・・だけは別じゃったな」

「今頃どこで何をしてるのかしらね~……」

 また一緒に呑みたいわね~、と。

 ミオ様は瓢箪を呷った。

「……………………」

「いただきっ!」

「あ」

 二人の話に気をとられているうちに、いくつもの箸が乱れあっていた皿上に決着がついていた。

「はあ、美味しい……」

「ちぇっ。残念っす」

「今回は私たちの負けだな……」

「俺は負けたんじゃない……勝ちを譲ったんだ……」

「……別に、おれは最後の一切れが欲しかったわけじゃない」

「二人とも、負け惜しみがだだ洩れだよ?」

 驚いたことに、泉ちゃん、ハルさん、良樹さん、紅くん、そしてユーちゃんを押さえ、勝利を収めたはビャクちゃんのようだった。

 この猛者たちをよくまあ制せたわね……。

 あーあ。穂姐さんの卵焼き、もう少し食べたかったな。

「お待たせしました。ホムラ様、ミオ様」

「お、来た来た」

「あら美味しそ~」

 小皿の乗ったお盆を持ち、穂姐さんが戻ってきた。

「余り物ですみません」

「いやいや十分じゃよ」

 小皿には上品に焼かれた卵焼きとシシャモ。その横はイカの塩辛かな?

「卵とシシャモが少し残ってました」

「えー。それならもう少しボクらの分も増やしてくれても良かったじゃないっすかー」

「次はもう少し増やしますね」

 ニッコリと笑って不満を口にする泉ちゃんを諌める穂姐さん。

 まあ少し増えたところでここの食卓は毎回戦場と化すんでしょうけどね。

「何じゃ泉。一切れ欲しいか?」

「……出汁っすか? 砂糖っすか?」

「出汁ね~。香りいいわ~」

「うー……。ボク、砂糖の方が好きっすから、今回は遠慮するっす」

「おや、そうかの」

 そう言うとホムラ様は卵焼きを口に放り込んだ。

 ……………………。

「あたしは出汁も好きですよ」

「梓、欲望丸出しだぞ」

「う、うるさいっ。言ってみただけよ!」

「は~い、梓ちゃん、あ~ん」

「もがっ!?」

 口の中に何かを詰め込まれたっ!?

「……………………」

 もぐもぐ。

「うまぁっ……!」

「だよね~」

 ふわふわの食感もさることながら、本当によく出汁の香りが効いている。それでいて卵の香りを上手く引き立てている……!

 つまりは。

「穂姐さん、美味しい!」

「ありがとうアズちゃん」

 穂姐さんはどこか気恥ずかしそうに微笑んでいた。



       *  *  *



 いい加減夜も遅い時刻となっていた。

 あたしは一人、夜道を歩く。

 ユーちゃんは送ろうかと言ってくれたけど、あたしよりももみじさんを送るように命じてさっさと帰路につくことにしたのだった。

 ミオ様はまだ行燈館で呑んでいる。一通りお仕事を終えた穂姐さんが「舐める程度なら」と二人の晩酌に付き合い始めたからだ。

 うーん、どうして大人はああいうのが好きなんだろう? 前に間違って飲んでしまった時はただの苦い水に思えたんだけど。

「ま、あたしも大人になれば分かるのかな」

 分かんない気もするけど。

 あたしは独り言を呟きながら夜空を見上げる。

「お」

 さすがに街中だと星は数えるほどしか見えない。けれど今夜は、夜空にぽっかりと穴が開いたかのような見事な月が浮かんでいる。

「いい月……」

 満月じゃないのが残念だけど。

 白銀色の月を眺めながらあたしは歩く。

 さすがにあのクソオヤジも心配しだす時間かな。行燈館にいるということはユーちゃんが気を利かせてか勝手に報告したようだから大丈夫だと思うけど。

 ……父様、か。

 ここ数日、黒炎の不審火が幾度となく報告されていた。あたしたち『瀧宮』始めとする八百刀流五家はその原因を妖怪によるものだと断定し、犯人が捕まるまで月波市の妖怪の住人たちの力を無理やり押さえつけることに決定した……らしい。

 らしいというのは、いくらあたしが次期当主だとしても、襲名するまでは何の発言権も持たない子供なのだ。そのような重要な集会や会合には呼ばれない。

 だけどこの措置は、無実の妖怪たちの反感を買うことが必至だ。現に月波学園高等部生徒会でもちょっとした騒ぎが起きかけた。

 まあそれはすぐに沈静化した、と言うかさせたんだけど、それはしょうがないことではあった。

 生徒会長であるもみじさんはこの措置に理解を示し、最低限月波学園の生徒は口説き落とすと言ってくれた。

 でも。

 それでも。

「……いつまでも不自由させるわけにはいかないよね」

 不自由と言っても、妖怪固有のスキルというか、ある種の異能を封印し、身体能力等を一般人レベルまで落とす程度で、日常生活にはなんら支障はないはずだが。

 しかしあくまで『封印』されているという圧迫感がないわけではない。

 だったら、あたしたち八百刀流がやることは決まっている。

「さっさとその犯人だか放火魔だかをとっ捕まえなきゃね」

 人間の課した負担は人間が取り除いてやらなければ。

 陰陽師はあくまで、そういう存在であるべきなのだから。

「……あれ?」

 あたしは月を見上げるために仰いでいた顔を正面に向ける。

 そこで違和感を覚えた。

 何かがおかしい。

 いや、目の前の光景は至極普通の光景ではある。

 暗くなった道を月と等間隔で立てられた街灯が照らしている。そしてその先には、ごく普通の店舗と住宅が混在した町並みとなっている。

 さすがに夜も遅いからか歩行者はほとんどいないが、ごく当たり前の光景だ。

 少々人が少ないような気もするが――

「え……?」

 あたしは息を飲んだ。

 人が少ない?

 違う。

 それどころの話じゃない。

 人どころか。

 ヒトもいない(・・・・・・)

 文字通り、人っ子一人いない。

 腕時計を確認すると、時刻は午後八時を回ったところだった。

 いくらここが田舎に分類されるとは言え、地方都市は地方都市だ。

 この時分、夜八時程度で人が一人もいなくなるなんて、おかしい……!

 ましてここは、人と妖怪が共存する町、月波市なのだ。

 夜こそ、妖怪や幽霊たちのゴールデンタイムなのに!

「どう言うことよ……!」

 あたしは辺りを見渡す。

 だけど何度見ても同じだった。

 今この場には、あたし一人しかいなかった。

 ここまで完全に一人切りだと、この日常的な光景がむしろ異常に見えてくる。

「いや落ち着け……」

 あたしはあえてそう口にし、大きく深呼吸した。

 ……………………。

 うん、落ち着いた。

「で、何なのかしらこの状況……」

 この現象が異常事態であることは理解できた。そして原因が人外によるものだということも容易に想像できる。

 ……もちろんその『人外』には、妖怪だけでなくあたしのような陰陽師や真奈まなちゃんのような魔術師も含まれるが。

「人払いの結界の類……にしてはやけに大規模だし……」

 そもそもなんであたしには作用しない?

 あたしがいくら陰陽師でも、気付かないうちに発動させられた結界には対応できない。

「……つまりこれは、あたしを閉じ込めるためか、あたしには何故か作用しなかった、って考えるのが妥当かな……」

 後者ならともかく、前者だったらいただけないなあ。

 ……いや、後者でもいただけないが。

 そもそも、誰が何の目的でこの結界を発動させたのかが全くの謎だ。

「でもどうせ……ろくでもない理由だろうけど……!」

 あ。

 あたしは不意に一つの仮説が浮かんだ。

 もしこれが、例の黒炎の術者による仕業だったら。

 今ここで捕らえてしまえば、妖怪たちが力を封印する必要がなくなる。

「……まあ、そう単純な話じゃないだろうけど」

 そもそも例の黒炎が発生した時、人払いの結界など発動していなかったそうだし。

「でも……」

 呟き、あたしは言霊を紡ぐ。

「――抜刀、【浅蔭アサカゲ】【翡翠カワセミ】」

 言霊に呼応し、二振りの抜身の太刀が具現化される。

 二刀とも、鞘もなければ柄や鍔すらない。

 あたし自身が刃であると同時に、鞘であり柄であり鍔であるのだ。

 それが八百刀流。

 八百(おおく)の刀を使役する陰陽師。

「クスクスっ」

 あたしは二刀を手にし、小さく笑う。

「どこの誰かは知らないけど、この町で好き勝手出来ると思ったら大間違いよ……」

 二刀を構え、誰もいない夜道を駆け出す。

 視線を巡らせながら、あたしは術者がいないかを探す。

 どうにも八百刀流は攻撃的な術式に反比例するかのように探査能力が低くて困る。分家の『大峰おおみね』や『隈武くまべ』辺りまで血が薄まればむしろ探査能力の方が高いんだけど……。

「でも連絡を入れようにもできないし……」

 さっきケータイを確認したところ、当たり前のように圏外になっていた。

 そもそも、ショウさんやウッちゃんに連絡が取れたとしても、二人がここに来れるとは限らない。

 何せこの結界が発動した範囲にいたであろう高位の魔術師や退魔師までもがいなくなっているのだ。あの二人の術者としての力量が低いとは言わないが、それでもここまで大規模な人払いの結界に対処できるとは考えられない。

 あたしはひたすら走る。

 第六感で探せないなら、足と目で探すまで。

 走って。

 走って走って。

 あたしは。

「え……?」

 見つけた。

 見つけてしまった。

 その、黒い人影を。

 長身の、黒い男だった。

 黒い炎に包まれ、今まさに朽ち果てようとしている一軒家を、何の感慨もなく見つめている黒い男。

 こちらに背を向けているため、顔は見えない。

 だけどあたしの視線は、その男の足元に釘付けとなった。

 足元には、まるで浜に打ち上げられて干からびた魚のような、何か。

 遠目からでも分かる。

 人、だ。

 正確には、人だったもの、だ。

 確かこの家には、一人暮らしのお爺さんが住んでいたはずだ。

「……っ!」

 ついに、死者が出てしまった。

「そこおおおおおっ!! 何してるっ!?」

 あたしは声を張り上げ、右の太刀を振りかざす。

 男は、振り返らない。

 黙って、あたしの太刀を。

 首筋に受けた(・・・・・・)

「なっ!?」

 さすがに探知が苦手な八百刀流とは言え、さすがに術者と向き合えば(向こうは後ろを向いているが)、その力量くらいは分かる。

 ゆえに。

 あたしはこの男が太刀筋をそらすなり受け止めるなり避けるなりの対応をとると考えていた。

 それを考慮しての、全力の太刀筋だった。

 だけど、男は微動だにしない。

 寸でのところで止めようとしたが間に合わない。

 太刀の鋭利な刃は、男の首筋に吸い込まれるように斬り込んでいった。

 はずだった。


 ――キンッ


 と。

 まるで金属を斬りつけたかのような感触が、太刀を通して右腕に伝わってきた。

 刃は確かに男の首の皮膚に触れている。

 だがそれだけだった。

 そこに硬い鱗でも生えているかのように、あたしの太刀は弾かれていた。

「……おいおい」

 男が静かに言った。

「いきなり背後から襲って来た上に、脅しもなしに急所狙ってくるとか、お前何様のつもりよ」

 俺じゃなかったらヤバかったぞ、と。

 男は無造作に太刀を掴むと首筋から引き剥がした。

 触れただけで切り傷ができるような太刀なのに、素手で触れた男の手には掠り傷一つない。

「あんた……何者よ……?」

「……おいおい」

 心外だとばかりに、男は大袈裟に肩をすくめる。

「六年ぶりに会ったっつーのに、つれないな、梓」

 そう、あたしの名前を口にして。

 男はゆっくりと振り返った。

「……っ!!」

 戦慄。

 あたしは反射的に男と距離を取った。

 まるで鏡でも見ているかのような、そっくりな造形の顔立ち。けれど決して女性的ではないのは、その目付きが相変わらず(・・・・・)異様に悪いからか。

 徹頭徹尾、黒い男。

 ボサボサの頭髪も。

 瞳も。

 着ている服も。

 靴も。

 両手をポケットに突っ込み、全てを舐めきったその態度すらも。

 軽薄そうなニヤニヤとしたその笑みでさえも。

 全てが黒い男。

 あたしはこの男を知っている。

 知っているも何も。

 かつて、究極の青と呼ばれた男。

 かつて、絶対的な黒と呼ばせた男。

 最悪にして災厄。

 深海色の瞳をこちらに向け、男はニヤニヤと笑っていた。

兄貴・・……!」

「久しぶりだな、梓」

 最悪な陰陽師。

 瀧宮羽黒(はくろ)の再来だった。



       *  *  *



「――抜刀、五十本!!」

「……おいおい」

 言霊に呼応し具現化した五十の太刀が地面に突き刺さる。

 それを、兄貴は苦笑交じりに見つめる。

 見つめるだけで、微動だにしない。

「いきなり見せ付けてくれるなあ、おい。次期当主の座から引き摺り落とされた俺への当て付けか?」

「……黙れ」

「つーか、名前も呼ばずに言霊だけで五十本も喚べるようになったのかよ。かーっ、可愛げねえなあ」

「黙れって言ってんでしょうがっ!!」

 右の太刀の腹で、手近にあった太刀の背を力任せにぶっ叩く。

 カンッと乾いた音を立て、太刀は地面から抜けて兄貴に向かって飛翔する。

「何で、あんたがこの町にいるのよっ!!」

「黙れって言っときながら質問すんなよ、なっ!」

 回転しながら飛来する太刀を、おもむろに上げた左足で叩き落す。

 ポケットから、手すら出していない。

「あんたはっ……!!」

 構わず、あたしは手にした太刀を兄貴目掛けて投擲する。

 そして続けざまに近くの太刀を引き抜き、周辺の太刀を次々に弾き飛ばす。

「あんたは、『瀧宮』を勘当されて! この町から! 月波市から追放したはずでしょう!」

「勘当はされたが追放された覚えはねえよ」

 ニヤニヤとした軽薄そうな笑みを絶やさないまま。

 兄貴は全ての太刀を蹴り落とす。

「六年前! あたしが! 出て行けと言ったわ!」

「十歳やそこらのガキの命令に二十歳の大人がはいそうですかと従うわけねーだろ。常識で考えろ」

「だから!」

 あたしは二刀を構え、兄貴に接近する。

 油断からか余裕からか、兄貴は微動だにせずにあたしを懐に入れた。

「あんたは最悪なのよ!」

「いいね最悪。俺にぴったりの言葉だ」

 あたしは連続で突きを繰り出す。

 だけど兄貴は、それを半身を捻るだけで全て紙一重でかわしてしまう。

「それにあんた! この家、ううん、このお爺さんに何をしたのよっ!」

「さあてね」

「答えなさい!」

 あたしは視界の隅に、それを捉える。

 もともと小柄だったお爺さんが、いまや全身の水分という水分を全て抜かれたかのように、生前の面影が全くなくなっていた。

「もしあんたがこんなことをしたんだって言うなら……!」

「言うなら?」

 ズイ、と。

 兄貴はあたしの猛攻をすり抜け、瞳の中を覗きこむように顔を近付けてきた。

 その深海の底の如き深い黒瞳に見据えられ、思わず体が硬直する。

「俺を、許さないってか?」

「……あ、当たり前よ!」

 太刀を大きく振りかざす。

 兄貴は変わらず、軽薄そうな笑みを浮かべたまま、その太刀を避ける。

 まるで掠りもしない。

「だったら好きにすればいい」

「……どう言うことよ」

「だってそうだろうがよ」

 兄貴は笑みを崩さずに語りかける。

「過去における俺とお前との因縁は、そう簡単に晴れるものじゃない。ここでさらなる因縁が生まれなかったとしても、お前は俺を許さなかったろうし、俺もお前に許されるつもりもない」

「……じゃあ何? 今回を含む、一連の黒炎事件の犯人は自分だって認めるの?」

「ノーコメント」

 兄貴は。

 こっちの神経を逆撫でするかのように、大仰に肩をすくめた。

「だから……!」

 あたしはギリッと奥歯を噛み締める。

「そういう態度が気に食わないって言ってんのよ!」

「別に実妹に好かれようとも思わねえよ」

「だったら! 妹に嫌われたまま死になさい!」

 あたしは手にしていた太刀を地面に突き立てる。

「――火陣《不知火》!!」

「っと、おいおい……!」

 そこで初めて、兄貴の顔色が変わる。

 あたしが触れている太刀を頂点に、兄貴を囲む三本の太刀が赤い光で結ばれる。

 赤い三角形。

 炎の陣形。

「うおっ!」

 ゴウッと音を立て、陣から火柱が上がった。

 一瞬にして兄貴は炎に包まれる。

 本当ならこれで終わりのはず。

 だけどあたしは、この人間のような化物がこの程度でくたばることはないことを、知っている。

 そして案の定。

「ふう……。ったく、これ、人間相手に使うような術じゃねえだろ」

 カンッという音と共に火柱が掻き消える。

 恐らくは陣を形成していた太刀のうちのどれかを蹴り倒すなりしたのだろう。

 したのだろうが。

「えっ……?」

 あたしは言葉を失った。

 陣が壊された。それはいい。

 火傷どころか煤一つついていないのを見る限り、あたしの攻撃が全く効いている風に見えない。それも予想の範囲内だ。

 だけど問題は、火柱が掻き消えたその場に、人影が二つに増えていたことだ。

 あたしの目に映ったのは、綺麗な夜空色の長い黒髪。

 その艶やかな髪の一本一本が月光に照らされ、怪しく光っている。

「大丈夫ですか? 羽黒・・

「……おいおい。誰に対して物言ってんだ、もみじ(・・・)

「お久しぶりです」

「ああ。四年ぶりか?」

「三年と十ヶ月二十五日ぶりです」

「……やけに細かい数字だな」

 その聖母のような微笑み。

 あたしが彼女を見間違うはずがない。

 月波学園に行けば毎日顔を合わせているのだから。

 それでも。

 あたしは、目の前に現れた彼女が彼女であることを信じることができなかった。

「……もみじ……さん……?」

「はい、もみじです」

 鈴を転がしたような綺麗な声。

 その声が、今はやけに遠くに聞こえた。

 私立月波学園高等部生徒会会長――白銀しろがねもみじ。

 彼女が兄貴の側に立っているという事実を、あたしは信じることができなかった。

「何で……もみじさんがそいつの隣に立ってるんですかっ!!」

「……………………」

 もみじさんは。

 どこか困ったような笑みを浮かべるばかりで答えない。

「もみじさん……。そいつ、例の黒炎事件の犯人かもしれないんです」

「……そうなんですか?」

「ノーコメント」

「……だ、そうですが」

「……っ!」

 もみじさんは。

 あたしよりも、そいつの言葉を信じるのか。

 フウ、と。

 あたしは一度大きく深呼吸をした。

「兄貴。それにもみじさん。一つだけ、確認しておきたい」

「あ?」

「何でしょう?」

 あたしは黒い二人を正面から見据える。

「二人は、あたしたちの味方? それとも敵?」

「……私は」

「その質問に意味があるとは思えねえな」

 何かを喋りかけたもみじさんを制し、兄貴はそう呟いた。

 深海色の瞳があたしを見据え返す。

「俺がお前の敵だったことがあったか?」

「白々しい……!」

「俺もそう思うよ」

 黒いけどな、と。

 兄貴はニヤニヤと笑った。

「……もういいよ」

 あたしは言った。

 冷たく言った。

「もみじさん、離れて」

「梓さん……?」

「そいつが黒炎の犯人だろうが無関係だろうが関係ない。……あたしは私怨に任せて、そいつを殺すから」

「梓さん……!」

「本当に離れてくださいね? 間違ってもみじさんまで滅しちゃうかもしれないから……」

 あたしの兄貴に対する憎悪は、確実に余波だけでももみじさんを滅することができる。

 今日、オヤジがもみじさんに喧嘩を売って返り討ちに遭ったけど、今のあたしはオヤジを超えることが出来る。

 瀧宮羽黒。

 最悪な陰陽師は。

 過去にそれほどのことをしでかしているのだから。

「――水陣……」

 太刀に手をかけ、あたしは言霊を紡ぐ。

 紡ごうとした。

 だけど。


 タンタンッ。


「……っ!」

 およそ現代の日本では聞くことのない音と共に、手元の太刀が弾き飛ばされた。

 そして。


 ――パリンッ


 破裂音とも破砕音とも取れない曖昧な音と共に、家屋を包み込んでいた黒炎が一瞬にして消え去った。

 銃声。

 このご時勢、銃なんて使う術者はあたしの知る限りは一人だけだった。

 あたしは音源の方に向き直った。

「ったく……。兄妹で何殺し合ってるんだよ……」

 呆れとも焦りとも取れる口調。

 そして。

「はいは~い。二人とも、そこまで~」

 張り詰めた空気をぶち壊すような、暢気な声音。

 ユーちゃんを引き連れたミオ様が、そこにいた。

「ずいぶんと久しぶりね~。羽黒ちゃん」

 カランコロンと高下駄を鳴らしながらミオ様が近づいてくる。

 その後を、両手に構えた拳銃(ユーちゃんは大分前にその拳銃について熱く語っていたけど忘れた)を下ろすことなく着いて来る。

 銃口はあたしと兄貴の両方に向いている。

「ついさっきホムラちゃんと、一緒にまたあなたと呑めれば良いね~、って話したばかりなんだけどね~。こうもあっけなく再会できるとは思わなかったわ~」

「ははっ。そいつはいい。また呑もうぜ」

「ええ。ぜひ呑みたいわね~」

 でも、と。

 ミオ様は表情を引き締める。

 微笑が消える。

 それは、あたしが生まれて初めて見る表情だった。

「その前に、あなたが何者なのかを教えてくれないかしら~……」

「……おいおい。ミオ、いい加減耄碌し始めたか?」

「失礼ね~。あなたが誰なのかは、あなた自身の次くらいにわたしがよく知ってるわよ~」

「……………………」

 一瞬だけ、もみじさんが不満そうな表情を浮かべた。

 だけどミオ様は気にせず続ける。

「あなたは今でも陰陽師であり続けているのかしら~? それとも、別の何かかしら~?」

「……別に、陰陽師を止めたつもりはねえよ」

「そう~。……だったら説明してくれるわよね?」

 ミオ様は兄貴を見据える。

 普段の間延びした口調が消える。

「どうしてあなたが、わたしたち龍の一族にしか使えないはずの結界を使っているのかしら? さらに言うなら……どうして、あなたの全身から龍の血の臭いがするのかしら?」

「え……?」

 龍しか使えない結界?

 それに、全身から龍の血の臭い?

「もみじちゃんは羽黒ちゃんに許可されたとして。わたしの加護を受けている梓ちゃんだけが、許可なくこの結界の中には入れたのを見る限り、わたしの予想は正しいと思うんだけど? 現にユタちゃんはわたしがいなければ近づくことすらできなかったのに」

 あたしが話についていけずにいると、兄貴は実に楽しそうに笑った。

 その笑みもまた、軽薄そうでないと言うだけで、黒い。

「やっぱ、お前にはバレちまったか」

 とても楽しそうに。

 兄貴は笑っていた。



       *  *  *



「龍殺し」

 兄貴は軽薄な笑みを崩さぬまま言った。

「神話から現代ファンタジーまで幅広く登場する英雄や剣のことだな。古来より強大な力を持つとされた龍やドラゴンすらも殺すことのできる人間。貫くことのできる剣。ニーベルゲンの歌のジークフリートや日本神話のスサノオと草薙の剣がやっぱ有名所か? ん? あ、草薙の剣は違うか」

 ともかく、と。

 兄貴は笑った。

「俺はそれになった」

「……なるほど。わかったわ」

 ミオ様は目を細めたまま頷いた。

「わたしの加護を受けた一族の出でありながら龍殺しに身を転じたことはともかく……。だけどそれじゃ龍の結界を使えることの説明はつかないわよ。龍の血を全身くまなく浴びたことで龍鱗を身に付けたのは分かるとしても、ね」

「……おいおい。『瀧宮』の守り神とは思えねえな。簡単なことだろうがよ」

 兄貴は近くにあった太刀を引き抜き、あたしに向かって投擲してきた。

「……っ!」

 そのあまりの速度に避けられない。

 あたしは両腕を前に突き出し、飛来してきた太刀を自分の身に取り込んだ。

 さながら、抜き身の刃を鞘に戻すように。

 言霊で喚んだ時とは真逆の要領で、あたしは太刀を体の中に戻した。

「こんな風に」

 兄貴は笑った。

「龍殺しの太刀を俺自身の中に取り込めばいいだけの話だ」

「つまり外だけでなく中までも龍の力を手にいてたと?」

「そうとも」

「羽黒ちゃん……。あなた、陰陽師を止めずに人間を止めたのかしら?」

「……おいおい。心外だな」

 大仰に肩をすくめる兄貴。

 その表情には言葉通りの感情が表れていた。

「俺は人間だ」

「……あんたの……!」

「あ?」

 あたしは声が震えるのが分かった。

 もういい加減、押さえられない。

「あんたのどこが人間よ! この――人殺し!!」

「……てめえ」

 フッと、兄貴の顔から表情が消える。

 軽薄な笑みは、ない。

「言って良いことと悪いことがあんだろうが……」

 ボソリと呟き、兄貴は。

 ポケットから両手を取り出した。

 それを硬く握り締める。

「お仕置きが必要だな、梓!!」

「いつまでも兄貴面してんじゃないわよ!!」

 あたしも太刀を引き抜き両手に構える。

「あああああぁぁぁぁぁっ!!」

 絶叫。

 あたしはその切先を兄貴に向けて突進した。

 兄貴も迎え撃たんと拳を振り上げる。

 が。

「羽黒!」

「梓ちゃん!」

「落ち着けこのアホ兄妹!」

 兄貴の振り上げた拳にはもみじさんがしがみ付き。

 あたしの太刀を持つ腕はミオ様が押さえつけ。

 そしてあたしと兄貴の双方の顔面に、ユーちゃんの銃口が向けられていた。

「……こんなところで、兄妹で殺し合って何になるんだよ」

 ユーちゃんはそう言いながらも、拳銃を下ろさない。

 黒光りする銃身は、あたしに向けられている。

「……離してミオ様。こいつだけは……こいつだけはあたしが……!」

「落ち着きなさい梓ちゃん。分かってるんでしょう? もう羽黒ちゃんは、あなた一人の私怨だけでどうこうできる相手じゃないのよ……」

「でも……!」

 腕に力を込める。

 しかしミオ様に押さえつけられた腕はピクリとも動かない。

「こいつは……黒炎の犯人かもしれないのに……!」

「……羽黒ちゃん。どうなの?」

「……………………」

 兄貴は。もみじさんに押さえつけられながら、大きく息を吸った。

「ノーコメント」

「……………………」

 ミオ様はその一言で表情を和らげることはなかった。

「あなたはいつもそうだったわね。敵でも味方でもなく。善でも悪でもなく。ただの中立として、場を掻き乱す」

「……おいおい。俺はそんなはた迷惑な奴だったか? 俺はただ、俺の信念に従うだけだ」

「そう……。それで? 今回はどんな迷惑を運んでくるつもり?」

「……………………」

 兄貴は腕にもみじさんをぶら下げたまま肩をすくめる。

「……もみじ。離してもいいぞ」

「羽黒……?」

「大丈夫だ。頭に上った血も降りてきた」

 そっと兄貴から離れるもみじさん。

 それを確認すると、兄貴は頭を掻きながらこちらに背を向ける。

「今夜のところは退こう。久々の再会も果たせたし、十分だろ」

「待ちなさい……!」

「それに」

 兄貴は大きく溜息をついた。

「……この程度のことで頭に血が上るとはな。まだまだ吹っ切れていないのか、ただ単に俺も所詮は『瀧宮』だってことか……」

 そう言って。

 兄貴は暗い夜道に向かって歩き出した。

 その黒い背中はすぐに見えなくなる。

「待って! もみじさん!」

 その背中を追うように歩き出したもみじさんを呼び止める。

 彼女は足を止め、振り返った。

「何で……そんな奴の隣に立ってるんですか……」

「何で、と言われましても……」

 もみじさんは困ったように、しかしどことなく誇らしげに微笑んだ。

「恋人の隣に立つのは、当然でしょう?」

「……………………」

「おやすみなさい、梓さん」

 そう言って。

 もみじさんの夜空色の黒髪も、闇に紛れていった。


「一つだけ言っておこうか」

 どこからともなく声が聞こえた。

 深海の底の如き、黒い声。

「今回のゴタゴタが治まったら、また呑もうぜ、ミオ」

「……待ってるわよ~。あなたが敵に回らないことを祈りながら、ね~」

 ミオ様は誰に返すでもなく、小さくそう言った。

 返事は、なかった。




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