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だい はち わ ~影女~



 彼女の存在に気付いたのは高等部も最上学年となり、そろそろ本格的に進路について考えるべきだろうと姿勢を正し始めた、ゴールデンウィークも終わる頃だった。

 おれの通う月波学園と、学園が位置する月波市が普通ではないことは高等部に入学した時点ですでに知っていた。もともと霊感というものが強かったおれは入学当初、学内のメインストリートを行きかう異様な数の妖怪や幽霊に度肝を抜かれたものだった。

 だがこの町に住まう彼らに、おれたち人間を害する意思がないことに気付いてからは一気に打ち解けていったものだ。妖怪の友人も何人もできた。

 それでも妖怪の友人ができても、おれ自身が妖怪やら幽霊に取り憑かれるなどということは今までになかったことだった。

 まず始めの違和感は、いつも通り誰もいないはずのボロアパートに帰った時だった。

「ただいまーっと……」

 実家を離れて二年以上が経っても、帰宅のたびに挨拶をする癖は直らない。まあ別段悪い癖でもないし、直す必要もないと言えばないのだが。

 六畳間の和室に半ば無理やりキッチンと風呂トイレをくっつけたような造りの我が家。せめて見栄えだけは良くしておこうと、おれは男寡にしては割とこまめに整理整頓をしていた。

 いや、男寡と言っても、別段奥さんがいたためしはないが。

 そもそもまだ高校生だし。

 そんな、以外と小まめな男子高校生の一人暮らしの割りに片付けられていた部屋に帰宅するなり、おれは布団を敷いて横になった。

 高校生活最後の試合まで一ヶ月を切った。練習に精を出していたらすでに午後九時を回っていた。

 正直疲れた。眠いが、同時に腹が減って眠れん。

「……………………」

 人間の三大欲求のうち二つがおれの脳内を蹂躙していく……!

 睡眠欲を取るか、食欲を取るか……!

「……って、迷う必要もねえか」

 さすがにこの時間に自炊とかありえないのでコンビニ弁当を買ってきていた。それをさっさと食って歯磨きして寝よう。風呂は……まあ、部室のシャワーを浴びてきたから妥協しよう。

「さー、メシメシー……っと、お?」

 布団から起き上がり、その辺にあった卓袱台を引きずって目の前まで寄せる。そしてレジ袋から買ったばかりでレンジの温もりの残る弁当を取り出し、溜息をつく。

「あの野郎……割り箸入れるの忘れたな……!」

 運悪く(?)立ち寄ったコンビニでバイトをしていた後輩にレジを任せてしまったのだ。どうも知り合いがレジにいるという違和感というか若干の気まずさを感じながら脇見をしているうちに、奴はよりにもよって肝心な使い捨て食器をレジ袋に入れ忘れやがったらしい。

「どうすんだよ……」

 いや、どうするも何も、普通に家にある箸を使えばいいんじゃねえか。そう思い直して立ち上がり、狭っ苦しいキッチンに向かう。

 そこではたと気づく。

「あ、そう言えば今朝、食器洗いしてない気が……」

 朝連に参加するため適当に温めなおした昨日の夕飯の残りを腹に詰め込み、そのまま食器類を置きっぱなしにして出て行ってしまった気がする。

 気がする、と言うのは、おれがいつも無意識のうちに家事を済ませてしまっていることが多いからだ。

 一人暮らしをはじめて二年以上。

 ある程度の家事は無意識のうちにこなせるまでに成長しました。

 だから今回も無意識のうちに家事を済ませていればいいなと思いつつキッチンへ。

「お……?」

 洗ってある。

 しかも水気を切って食器棚に戻してある。

「ラッキー」

 と言いつつ。

 おれは本当に今朝食器を洗っただろうかと首を捻る。寝ぼけていたというか忙しかったから記憶が曖昧だったが……。うーむ、水仕事をした記憶があまりない。

 つい今朝のことなのに……。

「はっ、まさか若年性アルツ――」

 いやいやいや。

 いやまさかそんなことがあるわけが、ねえ……?

「……………………」

 おれは無言で卓袱台前に腰を下ろした。

 そしてそのまま無言で弁当を口に掻き込む。

 さらにそのまま無言で湯飲みに入ったお茶を喉に流し込――っておい。

「お茶……淹れたっけ……?」

 いやいや。

 いくらなんでもそれはない。

 おれは明らかに帰ってすぐ弁当を食おうと箸を手に取ったはずだ。お茶なんか淹れている暇などなかった。

 そもそも、この湯飲みは食器棚の奥に眠っていたはずだ。出すのも億劫になるほどの所だ。

「おかしい……。明らかにおかしい……」

 そこでふと思った。

 これ、何かの妖怪の仕業かもしれない。

 だがこんなことをする妖怪の知り合いなどいない。

 そうなると、知り合いではない誰かがこの家に住み憑いているのだろうか?


 ――ことり


 背後で何か音がした。

 家鳴りかと思ったが、キッチンへと続く扉の磨りガラスに、何かが映っていた。

 黒い人影。

 その人影は慌てるようにキッチンの奥へと姿を消した。

「……………………」

 まあ、この家の家主はおれであるため、確認せねばなるまい。

 無駄だとは思うが。

 立ち上がり、そっと扉を開ける。

「……う~む」

 案の定と言おうか、そこにはやはり何もいなかった。

 正体不明の何かが家にいるというのは、さすがに気持ち悪い。

「おーい、どっかの誰かさん。別に祓おうとか、おれには出来ないから、せめて姿を現したらどうだ?」

 ……………………。

 無言。

 無反応。

 う~む……。

「人に知られたくない類か、人が直接見ることのできない類か……はたまたただの人見知りか……」

 おれはポリポリと頭を掻いた。

 さっきチラッと見えた影、女の人だったような気がするんだよな……。



       *  *  *



「影女」

 アーチェリーの弦を引き絞りながら昨夜のことを隈武(くまべ)に伝えると、彼女は自分の弓を構えながらそう答えた。

「無害も無害。そこにいるだけで特に何かをするわけでもない妖怪ですよ。そもそも伝承自体がそれほど多いわけでもないですし。障子に映った松の影が正体とも言われていますしねー。男寡の家に湧いたり憑いたりして勝手に家事をやる、なんて話もどっかで聞きましたよ」

 俺は弦を放し、矢を射る。

 スパンと心地よい音を立てて、矢は吸い寄せられるように的の中心に突き刺さった。

「お見事」

「そりゃどーも」

 朝練に参加している面子から歓声が上がる。アーチェリーをやり始めた頃は的に当てるので精一杯だったが、今ではど真ん中も慣れてきてしまった。

 マンネリを感じないでもないが、この同じ作業を本番で出来るかが一番の問題ではある。

「それより隈武」

「はい?」

 隈武が矢を放つ。

 バツンと鈍い音を立て、矢は的の枠縁に何とか突き刺さっている。

「むう……」

「肩に力が入りすぎだ」

「分かってるつもりなんですけどねー。それで長谷川(はせがわ)先輩、どうしました?」

「ああ。その……何だ? 影女って言うのか、その妖怪。何でまたおれの家に憑いたんだ?」

「うーん、そればっかりは本人に聞いてみないことには……」

「聞くも何も、昨日はどれだけ声をかけても一向に姿を現さなかったぞ」

「うーん、元々人前に出てくるタイプの妖怪でもありませんしね。憑いた理由も、どうせ大方、部屋を散らかり放題にして放置してたんじゃないですか? それこそ男寡みたいに」

「失礼なことを言うな。俺の家は自分で言うのもアレだが片付いている」

「そうですか」

 次の矢をつがえ、狙いを定める。


 スパン!


 先程より僅かに右側にずれた。だがそれでもほぼ中央である。

「まあとにかく、その影女は一人暮らしの男の家に憑く妖怪ってことでいいんだな?」

「そうですねー。しかも話を聞いた限り、長谷川先輩のやり残した家事を片付けてくれてるみたいじゃないですか。別に祓うとか必要はないんじゃないんですか? むしろ家事が減ってラッキー程度に考えてみたらどうです?」

「いや、別に祓おうとかは特に考えてないんだが……」

「そうですか。ですがそもそも祓おうと言っても影女はそう簡単には祓えませんよ。無害ですけど弱い妖怪でもありませんし。男寡とその家に憑いてるわけですから、長谷川先輩が結婚したり長谷川先輩のアパートが全焼したり倒壊したりしなきゃ出て行きませんよ」

「……あいにく、そんな相手はいねえよ」

 それにあのアパートはボロだが全焼やら倒壊やらとは無縁だ。

「それにしても……」

 おれは隈武の言葉が少し気になった。

「簡単には祓えないって、お前にしては弱気な発言だな」

「うーん、そうですか? わたしは自分の力はわきまえているつもりですので。戦闘狂(サディスト)のアズアズや戦闘狂(トリガーハッピー)のユーユーならできるかもしれませんが、わたしには到底無理無理。ユーユーとは同じ八百刀流『瀧宮』の分家ですけど、彼とは格も核も違いますし」

 自嘲気味に笑い、隈武は矢をつがえる。

 それにしても。

 祓うつもりは特にないとは言ったものの、それでも全く知らない奴が勝手に家事をしているというのは、どうも落ち着かない。

 しかも見知らぬ女が。

「せめて話しができればいいんだが……」

 だが昨夜は結局出てきてはくれなかった。

 ある種の不法侵入と不法滞在をしているわけだから、この町の陰陽師でも呼ばれるとでも思ったのだろうか?

 家事をやってくれるのは本心では助かるが、受け入れるも拒絶するも、会って話をしてみないことには。

「でしたら……」


 バツン!


 隈武の矢は先ほどと真反対の枠縁に突き刺さった。

「ちゃんと狙え」

「うーん、さっきは右すれすれに当たったから、狙いを左に移してみたんですが」

「……ちゃんと狙え」

 確か彼女の視力は左右とも2.0だったはず。

 的が見えていないということはないのだが。

「で?」

「はい?」

「何か言いかけたろう」

「あー、はいはい。えっとですね、さっきも言ったとおり影女は長谷川先輩と長谷川先輩の部屋に憑いてるわけですよ。それはつまり、長谷川先輩のライフサイクルを完全に把握していると言うことですね」

「ふんふん」

「つまり影女は長谷川先輩が家に帰ってくるまでに家事を終わらせ、どこかに隠れていればいいわけです。そこで! 長谷川先輩はいつもよりかなり早く帰宅すれば、家事を終わらせていない影女と出会えるのではないでしょうか?」

「なんでそう思うんだ?」

 帰ってきた瞬間にどこかに隠れるという可能性もあるじゃないか。

「長谷川先輩に憑いている影女はどうやら家事をこなすタイプらしいですから、途中の家事を放り出してどこかに隠れるということは、妖怪としての縛りに触れるわけですから不可能だと思うのです」

「ふむ、なるほど」

 妖怪としての縛り、か。

 確かにおれの知り合いの妖怪たちも、それぞれがそれぞれの縛りの中で生活しているとも言える。例えば、水に入ると死んでしまうような妖怪は水泳の授業は免除されていた。

 恐らくはそういうものなのだろう。

 なるほど、とおれはもう一度呟き、鷹揚に頷いた。

「それで、本音は?」

「たまには部活を早く終わらせてさっさと帰りましょうよ」

「……………………」

 おれは無言で彼女の頭を叩いた。



       *  *  *



 先に言っておこう。

 おれは断じて隈武の提案に乗ったわけではないと言うことを!

 時刻は午後四時半を回ったところ。普段なら一番弓を引いているべき時間帯だ。だがおれは我が家のボロアパートの前に来ていた。

「う~む……」

 さっき遠巻きに窓を覗いた感じでは、中に誰かがいる気配はなかったのだが。

「隈武にはめられたか……?」

 あいつ、部活をサボりたいがためだけに影女の話をでっち上げたのか?

「ありえる……」

 奴ならやる、絶対に。

「くそ……当てが外れたらあいつだけ特別メニューを仕組んでやる」

 そうすればあいつの腕も上がって一石二鳥だろう。

 ふむ、いつもの倍の数の弓を引かせてやろうか。

 などと思案しながら、今晩の夕食の食材の入った買い物袋を持ち直し、そっと音が鳴らないよう鍵を開ける。

 カチャリ。

 小さい音を立てて扉を開け、そして一息に開け放つ。

「動くな!」

 さながら強盗のような動きとセリフである。我が家に入ろうとする健全な男子高校生の言葉ではない。

 まあ一瞬でも中にいるかもしれない誰かの気を引ければいいのだが。

 で、まあ。

「……………………!」

 いた。

 玄関先で、洗濯物の入ったかごを抱えて、硬直している女が。

 足先まで隠れた黒のロングスカートのワンピースに、ふくらはぎまでも伸びた長すぎる黒髪。さらに伸ばした前髪が目元を隠し、表情は口元しか見えない。

 まさに影から生まれたような黒い女がそこにいた。

 影女。

 なるほど、名は体を表すとはよく言ったものだ。

 ……………………。

「あれ?」

 何だ?

 こいつを見たら、誰かを思い出しそうになったのだが……。

 気のせいか。

 だがまあ、それよりも。

「マジでいたよ……」

 ちっ、隈武の奴を鍛えるチャンスだったのに。

 じゃなくて。

「お前、おれの家で何してるんだ?」

「……………………!」

 ビクッと体を震わせた影女。

 ……そんなに怖い口調で話しかけたつもりはなかったんだが。

 影女はビクビクとおれの顔と手元の洗濯物を見比べ、アワアワと落ち着きなくその辺を右往左往した。

 そしてハッとしたように洗濯物をキッチン脇の洗濯機の放り込み、恐ろしく手馴れた動作で洗剤と柔軟剤を入れて洗濯機を稼動させる。

 この間、わずか五秒。

 速い。

 速すぎる。

 そしておれがその手際のよさに目を奪われている間に、影女は部屋に移動して乾拭きを始めた。畳の編み目に沿って、イグサの繊維を傷つけないように優しく雑巾掛けをする。

 それが終わったら窓拭き。少し湿らせた古新聞で大方の汚れを拭き取る。新聞に使われているインクが汚れを落とすんだってさ。知ってたか?

 窓枠の桟は切れ込みの入ったスポンジで砂埃を拭うように綺麗にする。

 お次はキッチンで食器洗い。洗剤は付け過ぎず、あくまで少量を泡立たせる。スポンジと泡の双方で食器の汚れを落とすのが重要だ。

 その頃には初めの洗濯物が上手い具合に終わっている。最近の洗濯機は本当に便利だよな。ボタン一つで脱水までやってくれるしな。おれの実家の洗濯機なんて、古くてそんな機能は付いてないぞ。

 これで一通り、我が家の家事は終了。

 どこか満足げに頷いた影女は、さっさと退散するように物陰に文字通り消え去ろうとした。

 それはまるで湯船か何かに浸かるような動きで、足先から水面のような影にスルスルと入っていった。

「いや待てこら」

「……………………!」

 逃すか。

 既に下半身が影に潜り込んでいる。

 ……床から上半身だけ出す女の図。

 シュールだ。

 おれは影女が完全に影に逃げ込まないようワンピースの襟首を掴んで離さない。

「何一通り家事を終わらせてから逃げようとしてんだ」

「……………………!」

 と言うか、いくら妖怪としての縛りがあるとは言え、逃げ切れるとでも思っていたのだろうか?

「お前、影女だな?」

「……………………!」

 襟首を掴んだまま、視線を合わせるようにしゃがみこむ。前髪でどこが目だか分からんが。

「分かってると思うが、おれはこの家の長谷川直行(なおゆき)ってもんだ」

「……………………」

 オロオロと(恐らくは)視線を右往左往させていた影女はコクン、と小さく頷いた。

 そして観念したのか、スルスルと影から半身を引き出してその場に正座する。

 長々とした黒髪が、床一面に水がこぼれるように広がった。

 気まずそうに、影女は俯いていた。

「お前は影女でいいんだよな?」

「……………………」

 頷いた。

「妖怪なんだよな」

「……………………」

 頷いた。

「おれに害を与えようとか考えてるか?」

「……………………」

 首を振った。

「家事をやってくれてたのもお前か?」

「……………………」

 頷いた。

「いつからこの家にいた?」

「……………………」

 指を二本立てた。

「二日前?」

「……………………」

 首を振った。

「じゃあ二週間前か?」

「……………………」

 首を振った。

「はあっ!? じゃあ二ヶ月前か?」

「……………………」

 頷いた。

「そんなに前からいたのか……。ずっと家事をやってたのか?」

「……………………」

 首を振った。

「じゃあ家事を始めたのはいつからだ?」

「……………………」

 指を二本立てた。

「今度こそ二週間前か?」

「……………………」

 頷いた。

「今までどこにいたんだ?」

「……………………」

 自分の足元を指差した。

「影の中か?」

「……………………」

 頷いた。

「昨日も影の中に逃げ込んだのか?」

「……………………」

 頷いた。

「何でまたおれの家に憑いたんだ?」

「……………………!」

 影女は。

 一度俯いていた顔を上げ、すぐにまた俯いた。

 さっきから思ったが、口が利けないのか?

 影女はそれっきり黙りこんでしまった。

 う~む……。

「まあ答えたくないならいいけどさ」

 いい加減、影に逃げ込むことはないだろうと、今まで掴んでいた襟首を離す。

 影女はそっと手を添えるように襟を直し、また俯く。

「昨日も言ったと思うが、別におれはお前を祓おうとか、そういうのは考えてない。そもそもそんな力もないし。後輩の陰陽師も頼りにならんし」

 だが、と言葉を区切る。

「追い出そう、とかは考えなかったこともない」

「……………………」

 影女は、黙って俯いていた。

「陰陽師に聞いたぞ。影女は家と、その家に住む一人暮らしの男に取り憑く妖怪なんだよな」

「……………………」

 影女は黙って頷く。

「そいつの話だと、俺が結婚したりこのアパートが崩壊しない限りお前も出て行けない。これは確かなことか? もし違うというなら、おれはお前をここから追い出さなければならない」

 名も知らない妖怪が家にいるというのは、いくら非日常に馴染みつつあるとはいえ、いささか不気味すぎる。

「……………………」

 影女は。

 少し困ったような表情を浮かべ、小さく頷いた。

 それは……おれの、というか隈武の言ったことを肯定しているのだろうか。

 つまり、妖怪としての縛りによって、影女はこの家を出て行くことができない、と。

「う~む……」

 まあ、何となく分かっていたことではあるが。

 チラリと、大人しく正座したままの影女を見やる。

 相変わらずどこか落ち着き鳴く、居心地悪そうにおれの顔色を伺っている(らしい)彼女からは、一片の邪気や悪意が感じられない。

 隈武も言っていたな。影女は無害も無害、そこにいるだけで特に何かするわけでもない妖怪だと。

 だが……。

 改めて影女を見る。

 長い髪に隠れて見えないが、外見は二十歳前後といったところだろうか。しかも服の上からでも分かるほど、体の凹凸はしっかりしていらっしゃる……。

 健全な男子高校生が一つ屋根の下で一緒に過ごすには、刺激が……ねえ?

「あー……」

 対処に困る、とはこのことか。

「お前、今までずっと影の中に隠れてたんだよな?」

「……………………」

 コクンと、影女は頷いた。

「夜、具体的にはおれが風呂に入って寝るまでの間に影に戻って、そして朝まで出てこない、という条件なら、ここにいてもいい」

「……………………!」

「家事の類も全部お前に任せよう」

 本当は、下着類の洗濯は自分でやりたかったが、すでに二週間近く、言い方はアレだが家事を横取りされているのだ。今さら抵抗したところで遅いだろう。

「これで嫌だというなら、おれは頼りになる方の陰陽師を呼んで来なくてはならないが? どうする?」

「……………………!」

 フルフルと、影女は全力で首を振った。

 やはり祓われたりするのは嫌なのだろう。

 まあ、おれも手荒な真似はしたくない。しかも妖怪とはいえ、見た目うら若き女性に対して。

「じゃあ、まあ、何だ。しばらく、よろしく」

 そっと手を伸ばす。

 それを(恐らく)意外そうにまじまじと見つめ、影女はそっと添えるように手を握った。

 おれはその真っ白で綺麗な手を、そっと握り返した。



       *  *  *



 詠美(えいみ)という名前をようやく彼女から聞き出すことに成功したのは、それから三日が経ち、ゴールデンウィークも終了して授業がとっくに始まってからだ。

 いや、聞き出した、などと言ってはおれが尋問やら何やらを彼女に仕掛けたのかと捉えられそうだが、おれの人間としての尊厳のためにも違うと言っておこう。

 ただ単に、おれが部活に疲れて帰宅し、すぐに風呂に入ってしまうため、彼女と顔を合わせる時間がなかったのだ。「ただいま」と今は癖ではなくなった帰宅の挨拶と共に、おれは風呂場に直行していた。

 この町はゴールデンウィークから梅雨入りにかけて真夏と間違うほど暑くなることが多い。そのため暑い中ひたすら日を浴びながら弓を引いていればすぐに汗が吹き出る。部室のシャワーを使っても、暖められたコンクリートが帰宅するわが身を蝕んでいくのだ。

 季節はずれの熱帯夜、とでも言うべきか。

 そして彼女も彼女で律儀な性格らしく、おれの出した条件をきっちりと守っていた。風呂から上がる頃には、すでに部屋には卓袱台の上に乗った美味しそうな夕飯だけが残っていた。……この夕飯、いや夕飯に限らず、あれから毎朝起きたら食卓に並んでいる朝食や昼の弁当も神がかって美味なのだが、それはまたの機会に褒め称えよう。

 長谷川直行。人の良いところは素直に褒める男です。相手は人じゃないけど。

 まあそんなわけで、あれから一度も顔を合わす機会がなかったため名前を聞くどころか話しかけることすらできなかったのである。

 で、どうやって聞き出したかといえば。

「そう言えばお前、名前ってあるのか?」

 と。

 彼女が用意してくれていたコッテリ味濃い目のチャーシュー入りチャーハンに舌鼓を打ちながら、何もない空間に向かってそう聞いただけである。

 そう言えばあいつ俺の味の好みを知らないはずなのにドンピシャな味付けの食事を出してくるなー、だったら影の中からでも部屋の様子が分かっているのかなー、という思い付きから訊ねてみたのだ。

 そして翌日。

 卓袱台の上には、朝食の焼き鮭とほうれん草のおひたし、ご飯と味噌汁と並んで一枚のメモが置いてあった。

 文面には、

『詠美と申します』

 と、女性らしい丸っちい小さな字でそう書かれていた。

 ふむ。

 おれは白米を頬張りながらメモを見つめ、やはり何もない空間に向かってこう告げた。

「いい名前だな」

 空になった食器をキッチンに運び、制服に着替える。すでに存在がばれているためか、詠美はおれが見ていないなら堂々と家事をするようになっていた。……試しに覗いてみたが、詠美は一瞬で食器洗いを終わらせ、影に逃げるように消えていった。

 う~む……。

 この前の陰陽師を呼ぶ発言から、少し怖がられてしまったのだろうか。

 そう思いながら教科書類の入った鞄を持ち、玄関に向かう。

「おや……?」

 扉に、またしてもメモが張られていた。

『ありがとうございます』

 どうやら嫌われているわけではなさそうだ。

 それが、つい今朝のこと。

「なんだか嬉しそうですねエ」

「あ?」

 昼休み。

 全部で四十以上ある学生食堂のうちの一つである雛罌粟食堂で、おれは詠美が作ってくれた弁当をつつきながら眉間にシワを寄せた。

 おれの前に座ってお好み焼き定食を頬張る男を睨むように見据える。

佐藤(さとう)、いきなり何だ」

「そんなに剣呑な空気を漂わせなくてもいいじゃないですかア。長谷川直行と佐藤理玖(りく)という男は友人だと思っていたのですがねエ」

「そんなウザい喋り方の友人はいらない。というかいない」

「おやおやア。そんなに脹れないで、こんな美男子と友人であることを誇りに思ったらどうですウ? 佐藤理玖という男と知り合って、今まで何人の女の子に告白されたと思っているんですかア」

「七十八人。その全てがお前に紹介してくれという『告白』だった」

「おやおやア?」

「ふんっ」

 喉で笑う佐藤。

 本当、嫌な性格をしている。こんなのが女子に人気があるというのだから、世も末だ。見てくれだけじゃないか。冗談は語尾と一人称だけにして欲しい。

「それで、何だいきなり」

「いえ、ねエ。いつになく長谷川直行という男が、いつになく機嫌よく、いつになく美味しそうなお弁当を、いつになく美味しそうに食べているのが気になりましてねエ。それこそ、『男寡の家に影女が現れて掃除洗濯をしてくれた上にそれはそれは美味しい食事を作ってくれた』みたいな感じがしますよオ」

「お前はおれのストーカーか!?」

「おやおやア? その反応から察するに、図星ですかア?」

「察するも何も、人の心を読むな気持ち悪い!」

「無茶を言わないでくださいよオ。人間が人の目を見て話すように、さとりは他人の心を見て話すんですからア」

「ちっ。妖怪の縛りか」

「そうですよオ」

 ニッコリと笑い、佐藤は一口大に切り分けたお好み焼きをご飯と一緒に口に放り込んだ。

「……………………」

 ちなみにおれはアンチダブル炭水化物派。

 悪いね、大阪の人。

「でもそれにしても、良かったですねエ」

「何が?」

「影女に憑かれてエ」

「良かった?」

「羨ましいですよオ。佐藤理玖という男もアパートに一人暮らしですが、やはり家事というのは大変ですからねエ。最近は滞りがちですよオ」

「……お前なら、家事を変わってくれる女子の一人や二人くらいいるだろう」

「いえ、佐藤理玖という男はただの女好きではなく、節操のある女好きですからア。佐藤理玖という男の家にはいまだかつて女の子が入ったことはありませんよオ」

「へえ……」

 意外だ。

「でもまあ、お弁当くらいは誰かに作ってもらいたいものですねエ。食堂のメニューは量もあって美味しいですが、やはり自炊に比べると割高ですからねエ」

「何なら一人紹介してやろうか? 毎日自分で弁当を作ってきている後輩が一人いる」

「ああ、隈武宇井(うい)という女の子ですねエ」

「心を読むな。で?」

「遠慮しておきますよオ。佐藤理玖という男は、少し陰陽師が苦手ですのでねエ」

「お前にも苦手な奴がいるんだな」

「と言うよりも人間そのものが苦手ですねエ。人間というのは佐藤理玖という男も予想できない、突拍子もない行動をすることがありますからねエ」

 もちろん長谷川直行と言う男は別ですよオ、と喉で笑った。

 おれの行動は単純だと言われているようで若干ムッと来た。

 だがそんなことでいちいち腹を立てていればこの男を喜ばせるだけなので表情にだって出さないが。

 ……いや、そもそも表情に出さなくともこいつにはおれの心が手に取るように分かってしまうのだろうが。

「ちなみにその影女のお名前はア?」

「詠美」

「……詠美さん、ですかア?」

「そうだが? 何かあるのか?」

「……別にイ」

 何だよ。

 だがこいつが何か思わせぶりなことを言うのはいつものことなので右から左に聞き流す。

 それを佐藤自身も分かっているのか、別段気にした風もなくニッコリとどこかこちらの気が滅入りそうな笑みを浮かべる。

「というわけでエ。恐らくはこの学園の高等部で唯一と思われる、異性と同棲しているだろう男子生徒の取材をしたいのですがア?」

「何が、というわけでエ、だ。滅びろ出版委員長。そんで委員会に囚われている女子を全員解放しろ」

「……そんなことをしたら、佐藤理玖という男一人で委員会を勤めなければならないじゃないですかア」

 出版委員会。各クラスから一人以上選出されるのだが、なぜかこいつ以外全員女子。ハーレムである。

 そう言えば、と腕時計を見る。

「じゃーな」

「おや、どこにイ?」

「部活。大会も近いから昼休みも練習だ」

「おやア。それなら早く行った方がいいですよオ? キャプテンがサボっては後輩に示しがつきませんしねエ」

「言われるまでもない」

 ちゃちゃっと弁当と箸を片付け、持参した弁当入れに突っ込んだ。

 そして早足で練習場へと向かう。

「長谷川先輩、嬉しそうですね」

「……………………」


 スパン。


 一直線に飛んでいった矢はなんとか的に当たったものの、中心とは程遠かった。

「うーん、どうしました? 珍しい」

「……お前がいきなり妙なことを言うからだ」

 他の部員も珍しいものを見る目でおれと的を見比べている。

 次の矢をつがえながらおれは横目で隈武を見た。

「今日おれにそう言ったのはお前で二人目だ」

「もう一人は?」

「佐藤理玖」

「ああ、あの自称美男子先輩」

「ほお?」


 スパン!


 今度こそど真ん中。気持ちいい!

「隈武、お前、アンチ佐藤理玖か」

「いえ、根っからの大ファンです」

「……………………」

「佐藤先輩は超美男子を自称してもいいと思っています」

「……あっそ」

 性格はカスなのになあ。

「それにしても、そうですかー。わたし、佐藤先輩と同じことを言いましたかー。嬉しいですねー」

「わからねえ」

「そうですか」

 弓を引き絞り、放つ。


 スパン!


 狙いはわずかに左に逸れたが、まあ許容範囲。

「で、佐藤といいお前といい、何でおれが嬉しそうに見えるんだ?」

「何でって、そりゃー、ねえ?」

「ねえ? じゃ分かんねえよ」

「うーん、そう言われましても」

 何となくです、と隈武はニヤリと笑った。

 何となくかよ。

「何か嬉しいことでもあったんですか?」

「嬉しいこと?」

「はい。何かこう、ちょっとした日常の変化とか」

「う~む……。いや、これと言って特には……」

 あ。

「いや待てよ……」

「どうしました?」

「今朝、詠美と初めてまともなコミュニケーションがとれた」

「詠美?」

「影女」

「……………………」

「詠美という名前らしい。あの影女は」

「……ほほー。そうですか」

 そう相槌を打ちながら自分も矢をつがえる隈武。

 そして弓を引き絞り、狙いを定めたところで「はっ!?」と目を剥いた。

「初めてまともなコミュニケーション!?」


 バスン。


 思わず放たれた矢はギリギリ、的の下方の枠縁へ。

 う~む、こう何度も当たらずとも外れぬ場所に当て続けられるとは、ある意味天才かもしれない。

「ああ、初めてまともなコミュニケーションがとれたが、それがどうした?」

「……長谷川先輩が詠美さん? と仰いましたか? あの影女さんの存在に気付いたのって、いつでしたっけ?」

「三日前」

「そうですよねー。三日も前ですよねー」

 ウンウンと頷く隈武。

「それでようやくコミュニケーションがとれるようになったって、おかしいでしょう!」

「そう言ってもよー、帰って風呂に入ってるうちにあいつ、影に隠れるしな」

「え、じゃあどうやって会話を?」

「メモ」

「メモっ!?」

 あんぐりと口を開ける隈武。その口からは呆れなのか諦めなのかどちらとも取れない溜息が洩れた。

「……あのですねー、長谷川先輩」

「何だ?」

「影女さん、詠美さんは長谷川先輩と長谷川先輩の家に憑いてるんですよ?」

「そうだな」

「それはつまり、どう足掻いても長谷川先輩の家がなくなったり長谷川先輩が一人暮らしをやめない限り、詠美さんとの二人暮らしが続くと言うことですよ?」

「……そうだな」

「それなのに、三日目にしてようやく会話、しかも筆談が成立するって! これからどうするつもりですか」

「そう言われてもだな」

 全く良い歳した二人が、と隈武は呆れがちに自分の弓を構えた。

 おれはどうしたものかと考えた。

 確かに隈武の言ったとおりだ。詠美が妖怪として行動が縛られている以上、否が応でもこれから一人暮らしを続ける限り、詠美との二人暮らしが続くわけだ。それは変えられない現実だった。

 確かにこのままずっと筆談で会話するわけにもいくまい。

「……あの条件、少し緩めるべきか」

 だがまあとりあえず、帰りに百均に寄ってホワイトボードでも買って来ようか。

 今はそうしないと会話も成立しないのだから。



       *  *  *



 と、言うわけで来ました百円ショップ。

 一人暮らしには便利だよな。必要なものは大抵ここで手に入るんだぞ。

 そしてお目当ての物もすぐに見つかった。ホワイトボード。裏に磁石がついているため冷蔵庫の蓋とかに貼って中に何が残っているかを確認できるのがウリだそうだ。

「これでいいか」

 大きさもちょうどいい。磁石でつかないところには紐でも吊るせるし。

 どうせ買うものはこれ一つであるため、買い物かごも持たずにそのままレジへ。

「いらっしゃいませー」

「……あれ?」

「おや……?」

 接客用の笑みを浮かべた女性店員。特にその長い黒髪を、前髪も纏め上げた勇ましいポニーテールには、どうも見覚えのあるのだが。

「おや。おやおや」

 店員は接客用の笑みから本来の笑みへと変わっていく。

 普段笑い慣れていないような、どこか引き攣った不器用な笑み。だがそれが彼女の心からの笑みであることを、おれは知っている。

「直行じゃないか。久しいな」

「お久しぶりっす、部長」

「おいおい。もう私は部長ではないぞ。現部長の(たちばな)に申し訳がないだろう」

優希(ゆうき)の奴は気にしないと思いますけどね。えー、では改めまして、お久しぶりっす、黒崎(くろさき)さん」

「寂しかったか?」

「そこそこ」

「うむ」

 満足そうに笑みを浮かべる黒崎さん。

 おれの一つ上の学年で、月波学園アーチェリー部前部長である。

「黒崎さん、バイトっすか?」

「もう少しで上がるけどな。ようやく大学の講義にも慣れてきたからな。そろそろ自分の小遣いくらいは自分で稼がねばと思ってな。私はアーチェリーばっかりで成績も悪かったし、受験勉強でバイトもやめていたからな。そろそろ復帰してもいい頃だと思っていたんだ」

「大学でも相変わらずで?」

「ああ。相変わらず弓ばかり引いているぞ。同じ学園でも、やはり高校と大学じゃやはりレベルが違うと痛感している」

「じゃあ今度久しぶりにうちに来ませんか? 黒崎さんが指導してくれたら二年生達も気が引き締まるでしょう」

 特に隈武が。

「うむ。それもいいな」

 黒崎さんは楽しそうに笑った。久しぶりに後輩達と会うのを想像したのか、どこか満足そうにうんうんと頷いている。

「それにしても」

 おれは呟く。

「久しぶりに会ったのに、全然そんな気がしませんね。まるでここ二、三日のうちに顔を合わせてるみたいですよ」

「……ん、そうか? 私はそうでもないのだが」

 指折り、何かを数えだす黒崎さん。

「九月には引退して受験勉強が本格的になったから……おお、実質七ヶ月近くも会っていないのか! そりゃ久しぶりのはずだ」

「もうそんなになるんですか」

 う~む。

 だけどなあ、何かごく最近も会ってるような気がしてならないんだよなあ。

「それじゃあ、今度暇な時にでも連絡するよ。えーっと、直行、連絡先は変わってないな?」

「はい。もちろんっす」

「どうだ? 今度行ったら久しぶりに百本撃ちでも」

「か、勘弁してください!」

 さっきまでの妙な感慨が吹き飛んだ。

 百本撃ちとは文字通り、ひたすら百本の矢を撃ち続ける黒崎さん考案の練習方法だ。しかもそれを十五分以内に終わらせなければならない。つまり矢一本につき十秒未満で放たなければならない。

 そのためには弓を引く相当の筋力と短時間で狙いを定める強靭な精神が必要となるわけで。しかも黒崎さんは現役時代、これを一日三セット、肩慣らしにやっていた。

 末恐ろしい。百本撃ちの愛美(えみ)はいまだ健在か。

「はは、冗談だ」

 黒崎さんはどこか楽しげに笑った。

「まあ何にせよ、行ける時には連絡する。待ってい……げっ」

「え、あっ!」

 黒崎さんがお世辞にも上品とは言えない声を上げ、何かと思って振り返る。

 知らず知らずのうちに話し込んでいたようで、おれの後ろにはズラッとレジ待ちの客が並んでいた。みな顔には不服と不満、苛立ちが浮かんでいる。

「い、一点、百五円です!」

「あ、はい!」

 慌てて財布から百円と一円玉を五枚出す。それを受け取った黒崎さんは例の接客用の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます!」

「ど、どうも」

 ホワイトボードを受け取り、おれは慌てて店を出る。後ろの客たちが溜息をつきながらようやく進みだした行列に安堵しているのが分かった。

 帰り際、黒崎さんは謝りながらレジ打ちをしているのが見えた。

 あのヒトがあそこまで慌てているのは初めてかもしれない。

 う~む、悪いことをしてしまったかな。

「しかし……」

 何だったんだろう?

 デジャヴ、とでも言うのか?

 いや、黒崎さんとは毎日のように顔を合わせていたわけだし、既視感と言うには少しばかり違うと言わざるを得ないか。

 帰り道、道すがら考えてみても思いつかない。

「あーあ、ダメだこりゃ」

 どうしても思い出せない。

 こう、ノドに魚の小骨が引っかかっているかのようなイライラが募る。

 それほど悪くはないはずの頭脳を捻りつつ、歩みを進める。だがダメだ。そう言えばおれ、物覚えは悪い方だっけか?

「う~む……」

 唸りながら歩き続ける。

 だがやっぱりダメ。

 そうこうしているうちに見慣れたボロアパートが見えてきた。

 何だ、もう着いたのか。

「ただいまーっと」

 すでに部屋の電気は点いていた。どうでもいいことだが、明るい家に帰ることができるというのは、一人暮らしの身にしたらかなり贅沢なことだと思う。

「……………………!」

 で、その電気を点けてくれている張本人。

 今日は帰るタイミングがいつもと違っていたためか、詠美はまだ夕飯の支度の真っ最中だった。

 しかもなぜか、走った後のように息を切らせている。

「……………………!!」

 おれの予想外の帰宅に慌てたのか、詠美は急ピッチで手元のジャガイモの皮を剥き出した。そして俎板の上には豚肉とニンジン、タマネギが。

 カレーと肉じゃが、どっちだろう?

 夕飯のメニューを想像している間にも詠美は着々と具材の下ごしらえを進めていく。だがいつぞやの洗濯物とは違い、どうしてもすぐには終わらない。いや、それでもプロと比べ物になるくらいスピーディーなのだが。

「あー、そんなに慌てなくてもいいぞ」

「……………………?」

「今さらおれに姿を見られまいとしたって意味ないしさ。それにおれが一人暮らしを続ける限りお前はこの家に居続けるんだろ? だったらこれから先、嫌でも顔を合わせることになるんだ」

「……………………」

 ほとんど隈武の受け売りだが。

 だが当の本人はそれもそうかと考えてくれたのか小さく頷き、作業の手を少し緩めた。

 タンタンタンと、包丁の軽やかな音がキッチンから聞こえてくる。

「あ、そうだ」

 制服を脱ぎ、部屋着に着替える。

「今日は早く帰ってこれたから風呂は後でいいや。一緒に飯でも食うか?」

「……………………!」

 キッチンを覗くと、詠美は口元しか見えていない顔を真っ赤にしてオロオロしていた。

 ……何だ?

「どうかしたか、詠美?」

「……………………!!」

 プルプルと頭が落ちてしまいそうなほど全力で首を振っていた。

 ……何もなかったのなら、いいか。

「あ、おれ、今日は疲れて腹減ってるから飯大盛りで。お前の茶碗は……まあ適当なの使っていいから」

「……………………!!」

 さっきより盛大に首を振る詠美。何かまるで、そう言うことじゃなくて、と言っているようにも見えるが。

 だがまあ、おれは佐藤の奴とは違って他人の心を読めたりはできないんだから、多分気のせいだな。

 畳に腰を下ろし、卓袱台にノート教科書を並べる。さっき見た様子だと、夕食まではしばらく時間がかかりそうだった。それまでに明日の課題を済ませておくのも悪くないだろう。

 悪くないだろう、というか、おれは受験生なのだが。それこそ黒崎さんほどではないにしろ、弓ばっかり引いているアーチェリー馬鹿なのだから。気を抜けば実質的なエスカレーター式に進学できる月波大学にも落ちてしまいそうだ。

 文字通り、足を踏み外しかねない。

 カリカリとシャーペンを奔らせる。

 ……項の展開より因数分解のほうが楽だと思うのはおれだけだろうか?

 まあ、つまり今やっているのは数学の宿題なわけで。

「う~む……」

 数学は得意なんだがなあ。理科、特に生物はどうにも苦手だ。物理なんかはアレ、数学に近いから何とかできるんだが……。

 というか、むしろ古文の方ができるというのは一体どう言うことなのだろうか? 最近は、はたして文系と理系どっちなのかが自分でも分からなくなってきた。

 もっとも、そんなことを愚痴っていても宿題が減るわけでもない。ひたすらにカリカリとシャーペンを動かすだけだ。

「……ん?」

 どれくらい経ったろう。ふと顔を上げればキッチンから涙が出るくらい美味しそうな香りが洩れていた。

 この匂いは……カレー、ではない。ましてや肉じゃがではない。

 だが確実に言えることは、今夜の夕食も確実に美味であると言うこと。気付けば腹の虫もその素晴らしい匂いを嗅ぎ付けて暴れまわっていた。

 ぐう。

 腹減ったな。

「……………………」

「お、詠美。できた?」

「……………………」

 腹の音が聞こえたのかどうかは分からないが、小さく頷きながら、お盆にシチュー皿を乗せた詠美が部屋に入ってきた。

「お」

 シチュー皿には、美味しそうな湯気と香りを立ち込ませているクリーム色の半固形状の液体、と言えば何か美味しそうには聞こえないが、つまりはスゲエ美味そうなポークシチューが。

 なるほどそっちだったか。

 そしてシチュー皿の隣には、おれのリクエスト通り、いつもより大目によそった白米。

 ちなみにシチューにはご飯派です。

「あれ? つか、うちにシチューのルーってあったっけ?」

「……………………」

 フルフルと小さく首を振る詠美。

「え、じゃあこれ、どうやった?」

「……………………」

 訊ねるが、詠美はどこか困ったようにオロオロと辺りを見回した。

 ん? あ。もしかしたら……。

「使うか?」

 おれはさっき買ってきたばかりのホワイトボードを差し出す。抱えるには少し大きいように見えるが、まあ大丈夫だろう。

 詠美はそれを見て(たぶん)目を見開いた。だがおれがずっと差し出していると、躊躇いがちに受け取り、付属のペンを滑らせた。

 そしておずおずと文面をこちらに見せる。

『小麦粉をバターで炒めたものを牛乳に溶かすとルーの代わりになります』

「へえ、そうなのか」

「……………………」

 コクンと頷いた。

 ホワイトボードを置き、食卓の準備を続ける詠美。

 どうやら彼女は飯に合わせて和風サラダまで作ってくれたようで、卓袱台の上が実に華やかで煌びやかなものとなっていった。

 う~む、目移り。

「いただきます」

「……………………」

 最初、詠美はキッチンで立ったまま食べるからいいとホワイトボードを使って主張した。だがおれが半ば無理やりキッチンに置いてあった、彼女のものと思われるやけに小さい皿と茶碗に盛られたシチューと飯を卓袱台に移したら諦めたのか、大人しく手を合わせて小さく頷いた。

『いただきます』

 いつのまにかホワイトボードにはそう書かれていた。

 で。

「うっま……!」

 スプーンを持った手が震えている。

 口の中でトロリと広がる肉と野菜の旨み、そして滑らかな食感。今まで気まぐれでシチューを作ったことはあったが、市販のルーではこのような味は出せなかった。

「美味い! 美味いぞ!」

 がつがつとスプーンを動かす。和風に味付けしてあるのか、これがまた飯が進む! そしてサラダが不思議と合う! で、また飯が進む!

「……………………」

 顔を上げれば、どこか嬉しそうな、誇らしそうな、それでいてどこか気恥ずかしそうな表情を浮かべた詠美がいた。

「この三日間の飯もそうだったけど、やっぱ美味いな! あ、そうだ弁当も美味かったぞ」

 出し忘れるところだった。

 もし弁当箱を腐らせて、明日から昼飯が学食やら購買に戻ったら悲惨だぞ。この美味さを知ったらもう戻れない。

 褒め称えると、詠美はさらに気恥ずかしそうに俯いた。だが口元だけは誇らしげに微笑んでいた。

「あ」

 ストンと。

 ノドに引っかかっていた小骨が抜け落ちた。

「そっか……」

 詠美の浮かべる、どこか不器用な笑み。

 どこかで見た顔だと思った。

 つい最近も会ったと思った。

 何だ、そういうことか。

「お前、黒崎さんに似てるんだな」

「……………………!」

 詠美の肩が震えるのが分かった。

 その反応が少し気になったが、それ以上におれは無性に前髪の下が気になった。

「なあ、ちょっと前髪上げてみろよ」

「……………………!」

「そう嫌がんなくても。いいじゃないか、少しくらい」

「……………………!!」

 フルフルと全力で首を振る詠美。

 ……そこまで拒絶されると逆に気になって仕方ないのだが。

「なーいいだろ。少しくらい」

「……………………!!」

「ほら、こうしてポニテにすれば――」

 そう言って、半ば無理やり前髪を持ち上げ、手を使って後ろの方で一つに纏め上げる。

 だが。

「え……?」

 悪ふざけが過ぎた、と後悔した。

 詠美がどうしてあそこまで嫌がるのか、考えもしなかった。

 どうせ恥しいだけだろうとしか思っていなかった。

 髪を纏め上げ、素顔をあらわにした詠美。

 いや。

 詠美ではない。

「黒崎、さん……?」

「……………………」

 耳や首元まで真っ赤に染まった黒崎さんが、小さく頷いた。



       *  *  *



 影女は一人暮らしの男と、その家に憑く。ならばその男が一人暮らしをやめたり、その家がなくなったら、影女はどうなるのか?

 そもそも、伝承の少ない妖怪であると隈武は言っていた。詳しいことは分からないのかもしれない。ひょっとしたら死んでしまうのかもしれないし、どこかへ去ってしまうのかもしれない。

 黒崎愛美という人間としての名前を持つ影女は、今まで憑いていた家を出ることになったのだそうだ。何でも、その家の家主、つまりは黒崎さんが憑いていた男が大学を卒業し、就職のため実家のある東北地方に戻ることになったとか。

 ちなみにその男は、最後まで黒崎さんの存在には気が付かなかったのだという。

「別に、憑いた家の者に気付かれないことは珍しいことではない。今回のお前のように私に気付く方がむしろ珍しいんだ」

「……………………」

 おれは無言で、一人キッチンで食器を洗う黒崎さんの背中を見つめた。

 まるで立場が逆転したかのようだ。

「……すまなかったな。勝手に取り憑いて」

 キュッと、水道の蛇口を閉める。先ほどまで聞こえていた水の流れる音が止まった。

「だが、さすがの私も限界だったのだ。影女は男寡の家を渡り歩く妖怪。憑く家をなくしたら、次の家に憑かなければ、生きていけない」

「……………………」

 三月の寒空の下、黒崎さんはしばらく公園のベンチで寝泊りしていたそうだ。だが人間より生命力の高い妖怪とは言え、一週間後には限界が来た。

「寒かったし、何より空腹だった。この辺りの三月の頭は、下手をすれば雪だって降るしな」

 誰かの家に住み憑く。それが影女にとって、何よりの食事になるそうだ。

 それが風も冷たい三月に、家無しで一週間、公園生活。

「さ迷い歩いたよ。さ迷い歩いて、直行、お前の家を見つけた時はもう正常な判断ができなかったんだ。影さえあれば、私はどこにでも入れるからさ。そっとこの家に忍び込んで、ずっと影の中に隠れてた。大学にはここから通っていたけど、影女として家事ができるようになれたのはほんの二週間前さ」

 今思い返せば、ただの不法侵入の上に不法滞在だったがね、と。

 黒崎さんはそう自嘲的に笑った。

「髪形を変えて顔を隠し、喋らなかったのは、見つかった時気まずくなるからだ。……結局見つかって、正体もばれてしまったが」

 キッチンから戻り、黒崎さんはおれの前に腰を下ろした。

 さっきまで言葉もなく食事を済ませた卓袱台の反対側だ。

「……どうする?」

 黒崎さんは静かに訊いた。

「私を、追い出すか?」

「……………………」

「この家でだいぶ影女としての力が戻ってきた。影女の縛りも、今なら無理やり解けるかもしれない」

「……出て行って、それからどうするんですか」

 おれは静かに訊き返した。

「どうするも何も……また、一人暮らしの男を見つけて、勝手に家に住まわせてもらうさ。私はそういう妖怪だからね。今度は見つからないように、ね」

 そう言って、黒崎さんは黙り込んだ。

 カチカチと、時計の秒針だけが部屋に響いた。

「この家にいて……」

「うん?」

「この家にいて、どうでしたか?」

 おれは、そう訊ねるしかできなかった。

 黒崎さんは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに不器用な笑みを浮かべた。

「楽しかったぞ」

 そう、小さく呟いた。

「楽しかったし、幸せだった。初めこそ陰陽師を、しかも宇井を呼ばれるかもしれないと少し怖かったが、お前にその気がないと分かった後は、楽しかった。お前は私の料理を美味い美味いと言って食べてくれたし、こうして喋らない私を気遣ってホワイトボードも買ってきてくれた。バイト先でこれを持ってきたお前を見たときは、本当に嬉しかった」

「そうですか……」

 おれは一呼吸置いた。

 楽しかった。

 幸せだった。

 だったら、おれが言うべき言葉は一つしかない。

「だったら、この家にいたらどうです?」

「え?」

「それに、おれも詠美に出て行かれたら困るといえば困りますし……。この三日間で、おれの胃袋、がっつり詠美に持って行かれてますから。今さら自炊の美味しくない食事なんて、考えただけでも気が滅入りそうです」

「……そうか?」

「ええ、もちろん。どうして住むところがなくなった時に相談してくれなかったのかとか、聞きたいことや問いただしたいことがありますけど、何よりもまず、詠美はここにいるべきです! 自分のためにも、おれのためにも」

「直行……」

 黒崎さんは、ワンピースの裾を握り締めながら顔を真っ赤にした。そして俯き、静かに涙を流した。

「ありがとう……!」



       *  *  *



 髪型をいつもの勇ましいポニーテールに戻した黒崎さんはいつもの調子を取り戻し、おれに命じた。

「今日のシチューで冷蔵庫の食材が底を尽きた。私の弁当が食べたくば、今から買い物に行ってこい」

「……………………」

 キャラ変わりすぎだろう。

 大人しく顔を赤くしながらおれの言うことに従っていた詠美はどこに行った。

 ちなみに詠美というのは、黒崎さんの妖怪としての本名らしい。愛美と詠美。確かに響きは似ている。

 もしかしたら隈部や佐藤は詠美の正体に気付いていたのかもしれない。隈武はあれでも陰陽師だし、佐藤は否応無しに他人の心が分かってしまう。

 まあそんなことはこの際どうでもいい。

 問題は今この時間にやっている店があるのかということだ。

 冷凍食品で間に合わせればいいじゃないかと試しに言ってみたが、黒崎さんは「私の料理が食べたいと言っていたじゃないか」とどこか傷ついた表情をされたら、断ることなど不可能だ。

「う~む……」

 かと言って、いつも利用しているスーパーはとっくに閉店している。商店街の店も同じだろう。

「だとしたら、割高だけどコンビニに行った方がいいかな?」

 少し遠くあるコンビニが最近、食材を置き始めたらしい。やはり大手スーパーと比べれば値段が少しお高いらしいが、黒崎さんの買い物メモを達成するためには背に腹は変えられない。

「ま、あの超絶美味弁当のためだと思えば……!」

 そう言うわけで。

 おれは自転車のカゴに袋一杯の食材を詰めて帰宅途中だった。

 少し遠くではなく、かなり遠くだった。ペダルをこぐ足が重い。

「うん?」

 ふと、遠くから何やらけたたましい音が聞こえてきた。

 ピーポーピーポーと、あまり聞きたくはない救急車のサイレン。

「どこか火事か……?」

「長谷川先輩!」

「んおっ!?」

 背後からズザザッと歩道の砂利が飛び散る音が聞こえた。何事かと自転車のブレーキを握り、慌てて後ろを振り向く。

「ちょうどいいところに!」

「あ、え? 隈武?」

「後ろ、乗せてください!」

「え、おい!」

 そこには、自前のアーチェリーを背負った、私服姿の隈武がいた。

「お前、どうし」

「説明は後でしますから!」

 おれが何かを言う前に、隈武は軽い身のこなしで自転車の後ろに飛び乗る。ここまで走って来たのか、息を切らせている。

 これは、ただ事ではない。

 陰陽師が慌てている。

 それはこの町に住んでいる身にしてみれば、ある意味一番想像したくないことでもある。

 例えるなら、そう。

 警官が慌しく駆け回っているような状態だ。

「何かあったのか!?」

「はい!」

「目的地は!?」

 隈武は乱れた息を深呼吸し落ち着かせ、一度ツバを飲み込んだ。

「六角荘! 先輩のアパート!」

「えっ!?」

 素っ頓狂な声が上がった。

 それが自分のものだと理解できたのは、隈武を振り落とさないよう、それでも出来る限り最速でペダルを漕ぎ出した後だった。

 人一人を後ろに乗せているとは思えない速度で走り続ける。その度に、けたたましいサイレンが近づいてくるのが分かった。

 いや、近づいているのは、おれか。

「くそっ!」

 何があった? つい数十分前だぞ。百均で黒崎さんと再会をして、あの部屋で詠美として巡り会えたのは!

 ボロアパートに近づけば近づくほど、野次馬の声や消防士と思われる男の怒号が鮮明になってくる。

 キキイ!

 ブレーキと共に、タイヤの焦げる異臭が鼻を刺す。

 これ以上は人込みが邪魔で自転車では進めない。

「ありがとうございます!」

 自転車から降りた隈武は野次馬を掻き分けながらアパートの方に駆け出した。

「あ、待て!」

 おれは自転車を投げ出すように隈武の後を追う。

 人込みを行くには邪魔としか思えない弓を背負っているため、すぐに追いついた。

「一体何なんだ? 何が起きた?」

「うーん、分かりません。わたしもさっき呼び出されただけですから」

 ですが、と隈武は焦りを含んだ声で続けた。

「八百刀流の末席とは言え、『隈武』の次期当主を呼び出すとなれば、あまり楽観視はできませんね」

「……………………!」

 隈武の表情も曇っている。

この先に、一体何が起きているのか。おれは目を凝らすようにまだ遠いボロアパートを見据えた。

「あれは……煙、か?」

 かすかに見える、見慣れた古い屋根。そこからどす黒い煙が立ち込めていた。

 火事!

「何だよっ!」

 誰だ、火の不始末なんかしたのは!

 だが、そんな苛立ちは徒労に終わることとなった。

 人込みを掻き分けて、消防士が懸命にホースで水をぶっかけていた。だがその表情からは、必要以上に焦燥が伺える。

 怒号が響く。

「くそ! やっぱり普通の火じゃねえ!」

「何なんだ!? いくら水を撒いてもちっとも火の手が収まらない!」

 消防士の視線の先。そこには例のどす黒い煙が上がっている。

 だが目を凝らすと、それは全く違うように見えた。

「これは……」

「黒い……炎……?」

 どす黒い煙かと思っていた。

 だがそれは、まるで闇のように仄暗い、黒煙ならぬ黒炎だった。

 それは異様な光景だった。

 その黒炎は、ボロアパートの屋根を全く焼いてはいなかった。代わりに、まるで建物そのものが腐敗するかのようにグズグズと燻っていた。

 トタンは錆び、壁は音を立てて剥がれ落ち、柱は遠目からでも分かるほど腐っていた。

 いくらおれがボロアパートと称していても、高校時代を共に過ごしてきた六角荘は、ここまで廃屋然とはしていなかった。

「これは……明らかに魔道的、呪術的、妖力的な何かが働いていますね」

「んなもん、見りゃ分かる!」

 こんなどす黒い炎があってたまるか!

「どうすんだよ!」

「とりあえず、こういう類のものはどこかに術の基盤となる陣か呪符があるはずです。それを壊さないと……。長谷川先輩、帰ってから何か変な物を見ましたか? 普段と何かが違う、みたいな違和感でもいいんです!」

「い、いや……」

 そんなこと、急に言われてもな……。

 おれは必死に今日帰ってきてからのことを思い出してみた。

 だが。

「……ダメだ!」

 やっぱり思い出せん!

 そもそもあの時、おれは黒崎さんとつい最近もどこかで会ったような既視感に悩まされていたんだ。結局は既視感でも何でもなかったわけだが、それでも普段見慣れたボロアパートに何か変化があったところで気付けるはずがなかった。

「何か不可視の術でも掛かっているんでしょうか? ここからだと、肉眼では何かがあるようには見えませんね」

 隈武もまた、イライラと黒炎に包まれつつあるボロアパートを目で追っていた。

 おれも倣って目に見える範囲を探すが、そもそも陰陽師に見えないものがただ霊感の強いだけの人間に見えるはずがなかった。

「ちっ!」

 おれは周囲を気にすることなく舌打ちした。決死の覚悟でボロアパートに飛び込んだ消防士によって救出された他の住民達が、ゼイゼイと肩で息をしながら路上に倒れこんでいる。

「あれ……?」

 その中に、黒崎さんの姿はない。

 見渡しても、野次馬のどこにもいない。

「あ、あの!」

「何だね!?」

 今しがたボロアパートから出てきたばかりの消防士に声をかける。

「おれの部屋……203号室に、長い黒髪の女の人はいませんでしたか!?」

「え? いや、203は男子高校生が一人住んでいるだけだと聞いたぞ。それに火事の前にどこかに出かけたと聞いたから、中は確認していない」

「……!!」

「あ、おい君!」

「長谷川先輩っ!?」

 消防士と隈武がおれを引き止めようとした。だがおれは構わず、住み慣れたボロアパートに駆け出していた。

 途中何人かの消防士に肩を掴まれたが、その全てを振り払っておれは自分の部屋に向かった。

「詠美!」

 鍵はかけていない。

 おれは突き破る勢いで扉を開け、土足のまま中に入った。

 部屋の中にはまだ黒炎は迫っていなかった。だがすでに炎以上にどす黒い煙が充満していた。

「ぐっ……!?」

 そしてその煙に触れた途端、急激な眩暈に襲われた。

 視界が回る。

 視界が霞む。

 視界が暗くなる。

 まるで気力を根こそぎ持っていかれたかのように、手足に力が入らなくなった。

「なん……!」

 何だこれ、とは言い切れなかった。触れただけでこれなのだ。もし思いっきり吸い込んでしまったら、何が起きるか分からない。

 くそっ!

 おれは内心で舌打ちをしながら低い姿勢で部屋に這入る。

「……詠美……!」

 何分狭い部屋だ。すぐに、その姿を見つけることができた。

 だが、黒崎さんはぐったりと、ごく浅い呼吸で眠るように横たわっていた。

「詠美!」

 あ。

 まずい。

「ぐぅっ……!?」

 今ので結構煙を吸ってしまった。体から一気に力が抜ける。そのくせ、意識だけははっきりとしている。全身の骨が抜け落ちたような、完全な無気力感。

「……えい、み……!」

 ついにぶれ始めた視界の隅には、変わらず力なく横たわる黒崎さんの姿。その額からは、苦しげな冷や汗が溢れていた。

「こんなところでっ!」

 おれは動かない手足を叱責するように無理やり力を入れた。

 普段とは比べ物にならないが、それでもさっきよりかは幾分ましに動けるようになった。そしてそのまま、ほふく前進の姿勢で黒崎さんに近寄る。

「……詠美!」

 今度は煙を吸わないよう小声で、しかし黒崎さんの耳元で聞こえるように囁いた。

「詠美、しっかり……!」

「なお……ゆき、か?」

「は、はい、そうです……!」

「何か、急に……爆発して……いきなり、黒い炎が……」

「詠美、喋らなくていいから……!」

「たぶん、三階……廊下の奥、非常階段……だと思う……あそこから……」

「詠美……!」

「ここは、私の、憑いた……家だから。……家のことは、何でも、分かる……」

「分かった、分かりましたから!」

「なお、ゆ……」

「……くそっ!」

 黒崎さんは完全に気を失った。

 おれは黒崎さんの肩を抱き、引き摺るように玄関目指して這い出した。

 煙は吸わないようにしたが、それでも体から怪しい黒煙はおれの気力を吸い取っていった。

 それでも少しずつ、おれと黒崎さんは外に向かっていった。

 だがいつもは数秒で外に出られるはずの距離が、途方もなく遠く感じた。霞んだ視界では、もうどこが玄関なのかさえはっきりと分からなくなってきた。

「う~む……」

 おれはどこか諦めたように唸った。

 これはさすがに、まずいかもな……。

 その時。

 無駄にはっきりとしている意識に、どこかで聞いた耳に障る声が届いた。

「全く、廊下まで出てきておいて諦めないでくださいよオ」

「……?」

「……無反応ですかア。せっかく長谷川直行という男の乱れた心を感じ取り、心配して来てあげたのにイ」

「……………………」

 グッと襟首を掴まれた。そしてそのまま力ずくに引き摺られ、階段まで運ばれた。

「ここからは自分の手足で降りてくださいねエ。さすがに階段から引き摺り下ろすわけにもいきませんしねエ」

「……ああ」

 助かったぞ。

 おれはそう、心の中で呟いた。

 言葉にしなくとも、この男には通じるのだ。

「どういたしましてエ」

 霞んだ視界でも、佐藤のツラは相変わらずの美男子に見えるものだから実に腹立たしい。

「長谷川先輩!」

 黒崎さんを背負い、佐藤に支えられながら階段を下りると、隈武が心配そうに駆け寄ってきた。外の空気を吸った今、ようやく四肢に力が戻ってきていた。

「大丈夫ですか!?」

「……ああ。何とか」

「黒崎先輩は!?」

「気絶しているだけですよオ。今はすごく心が落ち着いていますから、大丈夫ですねエ」

 佐藤が黒崎さんの心の様子を読み伝える。その言葉におれも安堵の溜息をついた。

 それよりも。

「隈武、三階奥の非常階段だ!」

「え?」

「そこにこの火事を引き起こしてる何かがある」

 黒崎さんが気絶間際、そう伝えてくれた。男寡と、その家に憑く妖怪、影女。家に憑いている彼女は、まさに家そのもの。家の中のことなら、手に取るように分かる。

「……分かりました!」

「佐藤、しばらく詠美を頼む」

「分かりましたア」

 未だ目を覚まさない黒崎さんを佐藤に預け、おれは隈武の肩を借りながら歩き出す。このアパートの非常階段は、小さいながらも隣接している駐車場からよく見える。今は消防車が所狭しと並んでいるが、果たして何があるのか確認するには十分だ。

「あれですか?」

「ああ、そうらしいが……」

 そこには異様に黒々しい炎と煙が立ち込めるだけだった。非常階段という名の古びた螺旋階段だが、その一帯だけが他の黒炎とは比べ物にならないほどどす黒い。

 明らかに、何かがあるのは明白だった。

「何か見えるか?」

「うーん……黒くて暗くてよく見えな……あ!」

 声を上げる隈武。

 その視線を追いかけると、階段のほぼ中央に、何やら黒くて丸い物体が浮いているように見えた。だがその球体も黒く、黒炎に紛れて非常に見えにくくなっていた。

「あれを壊せばいいんだな……?」

「そう、ですけど……」

 言いよどむ隈武。

 確かに口で言うのは簡単だ。だがこの黒炎は異常だ。触れたものを腐敗させていっているし、煙を吸っただけでおれは気力を奪われたように動けなくなった。

 それなのにどうやって、あの黒炎の中に飛び込めというのだろう。

「どうする?」

「方法は……ないこともありませんが……」

「何?」

「これです」

 そう言って、隈武は今まで背負ってきた弓をおろした。そして腰に据えていた矢束を解く。……ちなみに弓を持ち歩いても問題ないが、矢を持ち歩けば捕まる。

 が、今はそんなことはどうでもいいか。

「これであの球体をぶち抜こうと思います」

「大丈夫なのか? そんな普通の矢で壊せるのか?」

「多分。ここからだとよく見えませんが、あれは多分水晶か何かでしょう。呪術道具としては一般的ですし、間違いはないと思います」

 まあ確かに水晶などのガラス玉程度なら、引く弓の強さによっては十分に破壊することはできる。

「というわけで、どうぞ」

「は?」

 おれかよ!

 隈武はごく自然に、俺に弓と矢を差し出した。

「いえ、わたしが撃ってもいいんですが、ひょっとしたら外してしまうかもしれませんし」

「……お前なあ!」

 だから練習しておけと言ったのに!

 だが今はそんな説教をしている場合じゃない。

 おれは隈武から弓を受け取り、矢をつがえる。

 ……ここからだと上に向かって放つことになる。それに普段俺が使っている弓とは違い、少し小さく引きにくい。普段の練習とは大分勝手が違う。

「すぅー……はあー……」

 大きく深呼吸し、狙いを定める。

 そして風が最も弱くなった瞬間。

「ふっ!」

 おれは弦を放し、矢を放った。

 ヒュンと音を立てて飛んでいった矢はまっすぐ、その黒い球体目掛けて飛んでいった。

 よし!

 おれはにっと笑った。

 だが。

「えっ!?」

「そんなっ!」

 球体に吸い込まれるように飛んでいった矢は、その黒炎に触れた瞬間、一瞬で鉄くずのように錆び、ボロボロと崩れていった。

 おいおい……競技用のアルミ製だぞ!

「だが考えてみりゃ当たり前か……! 階段だって、よく見ればもうボロ鉄みたいになってるもんな……」

 球体周辺の階段は、すでに階段としての役割を二度と果たせないかのように見える。アルミ製とは言え、細い矢では一瞬でボロボロだ。

「どうするんだ!?」

「ど、どうすると言われましても……!」

 隈武は本気でテンパっていた。イライラと親指の爪を噛み、「考えろ、考えろ」としきりに呟いている。

「……こんな時、皆ならどうする……? アズアズは……? ユーユーは……? ショウさんは……? ミッちゃんは……?」

 ブツブツと、独り言が続く。

 おれはそれを黙って見ているしかなかった。

 そしてふと、顔を上げた。

「あ……そう言えば、ユーユーの戦闘スタイルは……!」

 ハッと自分の腰にある矢束に目をやる。そしておもむろにそのうちの一本を手に取ると、何やら念じるようにその矢を握り締めた。

「何だ……?」

 変化はすぐに起きた。

 何の変哲もないただのアルミの矢が、蛍のようなほのかな明るい光を放ち始めたのだ。

 黒炎の影響か、妙に暗い風景に慣れていた目が、その光にかすかに眩む。

「これは……?」

「矢に、わたしの力を込めました」

 そう言う隈武の表情は、どこか疲れているように見えた。

「わたしの霊気でぎっちり矢をガードしていますので、恐らくは、これであの炎の中を通っても水晶まで届くと思います。それに水晶に当たるまでに込めた力が残っていれば、破壊は確実になるでしょうし」

「隈武、お前、大丈夫か?」

「……正直、少し疲れました。こういう実戦は、初めてですので……」

 そう言って、隈武はどこか空ろな表情のまま静かに光り輝く矢をおれに差し出した。

 おれは黙ってそれを受け取る。掴むと、少し温かかった。

「どうぞ、ぶっ放してください……!」

「……了解した!」

 隈武の様子を見る限り、もう一本、同じ矢を用意するのは厳しそうだ。

 つまり、泣いても笑ってもこれが最後の一射だ。

 静かに矢をつがえる。

 その手が、初めて弓を持った時のように強張っていた。

 かすかに震え、弓を引き絞っても思うように狙いが定まらない。

「う~む……」

 おれはどこか、他人事のように唸った。

 どういうことだ。今まで散々的のど真ん中をぶち抜いてきたじゃないか! それなのに、何でこういう時に限って外すかもしれないという不安に煽られるんだ。

「何なんだ……!」

 おれは舌打ちしたい気持ちを、グッと堪えた。

 ここでヤケクソになっては、確実に外す。

 落ち着け。落ち着くんだ。さっきはあのまま飛んで行っていたら、確実に当たっていたじゃないか。あの感覚を思い出すんだ!

「すぅー……はぁー……」

 おれは大きく深呼吸をした。

 改めて狙いを定めようと黒炎の中に浮かぶ球体を見据えた。だがそれを見た途端、再び弓を引く手が震えだした。

「くそっ……! 何なんだよ! これの、これのどこがキャプテンだ……!」

「……全くだな」

 え?

 その声に、おれは振り向くことができなかった。

「……それでキャプテンを名乗れるというのだから……私が引退してからずいぶんと腑抜けたものだ」

 そう言って。

「詠美……!」

 黒崎さんは反対側から弓と弦に手を添えた。

「もう、立っても大丈夫なんですか?」

「大丈夫なわけがあるか。今すぐにでも倒れてしまいそうだ」

 だがな、と黒崎さんは不器用に笑う。

「大切な後輩が共々こうも腑抜けていては、OBとして立ち上がらないわけにはいかないだろう」

「……恐縮です」

「まったく」

 やはり、このヒトには敵わないな。

 溜息をつき、黒崎さんはスッと前を見据えた。その先にあるのは、黒々しい球体。

「弓を持つ押し手、弦を引く引き手、そして引き手の肘。前から見たときはこれらが一直線になるように! 逆に後ろから見た時は押し手と押し手側の肩、引き手側の肩が一直線になるように弦を引く!」

「は、はい!」

「やや上方に狙いを定める時は押し手と肩を結ぶ線が体の中心線と直角に交わるように! この姿勢が崩れると弦の引き量が減って矢の威力が弱まる!」

「はい!」

「基本だ。忘れるな!」

 耳元で、黒崎さんの激励が轟く。

 まるで初めてアーチェリー部に入部した時のようだ。二年前のあの日も、おれはこうやって黒崎さんに指導を受けていた。

 それが今は、おれが指導する立場にある。

 黒崎さんが叫ぶ。

「たかが弓を持つだけと侮るな!」

「相応に筋力をつけなければ、弓が震えて狙いがずれる」

「狙いを定めたら十二分に弓を引き絞れ!」

 黒崎さんの手から体温が伝わってくる。不思議と、それだけで先ほどまでの手の震えが治まっていた。もう狙いが外れてしまったら、などという消極的な考えは一片も残っていなかった。

 確実に、当てる!

「恐れるな!」

「あとは躊躇せずに!」

「「遠慮なく放て!」」

 おれと黒崎さんの声が重なった。

 それと同時に、おれ達は同時に弦を離した。

 ヒュンと、光の軌跡を描きながら飛んでいく矢は、真っ直ぐ黒い球体目掛けて黒炎の中に吸い込まれていった。

 ジュオッと、何かが蒸発する音が聞こえた。目を凝らすと、矢の光が黒炎に吸い込まれていっていた。あたかも熱したフライパンに冷水を数滴垂らしたかのような、そんな音がした。

 だが矢の光は途絶えることなく、黒炎を突き進む。

 そして矢尻は見事、球体のほぼど真ん中に命中した。


 パリン!


 破砕音。

 破裂音。

 どちらとも言えない、妙に素っ気ない甲高い音が木霊する。

 おれは目を凝らした。

 いや、実際には目を凝らす必要などなかった。

「……はあ」

 耳元で溜息が聞こえた。

 黒崎さんの、安堵の溜息。

 屋根どころかボロアパート全体を呑み込もうとしていた黒炎が、まるで嘘や夢であったかのように綺麗に消え去っていた。

 懸命にホースで水をかけていた消防士も、傍観していた野次馬も、突然のことに言葉なくボロアパートを見つめていた。

 だが普段以上にボロボロになり、廃屋だと言われれば信じるしかないほど劣化した六角荘が、今までのことが嘘や夢ではないことを告げていた。

 突如としてボロアパートに発生した黒炎は、こうして消え去った。



       *  *  *



「まったく」

 黒崎さんはやれやれと首を振りながらおれを睨んだ。

「あの程度の状況で取り乱すとは、直行、お前、鍛錬が足りないんじゃないか?」

「あ、あの程度って……」

「退院したら鍛えなおしてやるから、覚悟しておけ」

「お、お手柔らかに……」

 あの後、あの家事に関わった全員が、消防士や野次馬を含め、検査入院という形で市営の月波病院に搬送された。検査の結果、火事の際、黒炎に触れた者や少しでも黒煙を吸い込んでしまった者に一時的ではあるが著しい霊的生命力の低下が見られた。

 特に大量に黒煙を吸い込んでいたおれと黒崎さんは重症で、あの後すぐにぶっ倒れ、隈武と佐藤に半ば無理やり半月の長期入院の手続きを取らせられた。一応最後の大会にはギリギリで間に合うよう気は遣ってくれたらしい。

 だがしばらくは不味い病院食が続くと思うと気が滅入りそうだ。

 勝手に顔が渋る。

 ちなみに隈武と佐藤は即日退院。なぜだ。

「まあそう拗ねるな。新しい家が見つかったら、好きな物をたらふく食べさせてやるから」

「……期待してます」

 ちなみにおれと黒崎さんは同じ病室。

 ボロアパートが実質的に崩壊した今、彼女の拠り所はおれだけとなった。必要以上に離れると、黒崎さんの影女としての力がどんどん減っていき、死んでしまう恐れもあるそうだ。だから自然とこの組み合わせとなった。

「だが……」

 黒崎さんは腑に落ちないとでも言いたげに眉間にシワを寄せた。

「あの火事……一体何だったんだろうな?」

「いや、おれもイマイチよく分かってないですし……」

「宇井は何か言っていたか?」

「え? いえ。特には……あ」

「何だ?」

「いえ、大したことじゃないです」

「そうか?」

 まあいいや、と黒崎さんはベットに潜り込んだ。

 そしてすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。

「……………………」

 その寝顔を見ながら、おれは隈武の言葉を考えた。

 本当は結構重要なことだったのかもしれない。

 だがおれは隈武の言っていたことを黒崎さんに話して、余計な心配をかけたくなかった。ただでさえ憑いていた家を失って、力が弱っていると言うのに。

「う~む……」

 おれは真っ白な病室の天井を睨み付けた。

 隈武の言葉が脳裏を過る。


 ――今回の件に関して、八百刀流陰陽師五家全てが動き出しそうです。

 隈武はそう、おれに告げていた。




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