だい きゅうじゅうろく わ ~贄~
世は折り悪く、大小様々の飢饉が蔓延する時分であった。どこの畑も米はもとより豆や麦すら育たず、都の裏通りには飢えて死んだ亡者の魂がうろつき、それを狙って影に妖が笊で掬えるほどたむろしている。
そんな時世にも拘らず、満腹にこそならずとも俺とあおが飢えずにいられたのは、ひとえに、りんのおかげであった。
りんは生家に疎まれはしていたが、妖を狩る術者としては抜きんでた力を持っていた。飢饉だろうが何だろうがいつの時代も貴族というものは珍品に目がない。彼女が狩る妖の首を買い叩き、その銭が彼女の得物を作る俺のところに回ってくる。おかげで俺たち兄妹は銭には困らず、多少高かろうが腹五分程度には飯を食うことができた。
しかし食うに困らずにいた俺たち兄妹に対し、りんは会うたび痩せていっている風に見えた。
「りん。お前、ちゃんと食っているか」
「……食べていますよ。貴方より、よっぽど」
「ではなぜそんなに細い。首の骨が浮いて見えているぞ」
「…………」
「りん」
語尾を強めて追及すると、りんはようやく観念して事情を口にした。
「ここ最近、都に出没する妖の数が尋常ではないのです。日が沈み切る前から影から這い出て、朝日が差し込むまでずっと街中を我が物顔で闊歩しています」
「……都はそんなことになっているのか」
ずっと山に籠り、必要な食料を買いに日中しか足を運ばないから知らなかった。
そう言えば、りんは最近化粧をするようになった。今までにないことだったから気にはしていたが、もしやろくに眠れずに青褪めた顔色を隠すためか。
「りんさま……むちゃは、め、ですよ」
「……大丈夫です。少しだけ、疲れているだけですから」
あおが泣きそうな顔でしがみつく。それに対していつもの鉄面皮をほんの少しだけ柔らかくし、微笑み返すりん。しかしそれで誤魔化されないあおは、より一層強くりんの着物の裾を握り締めた。
「識涯、どうしましょう」
「今夜は母屋で休んでいくしかないな。どうせ次の太刀ができるまでまた三日はかかる。それに……」
お前が戻らなくとも家の者は心配すらしないだろう、とは皮肉にしても口にすることは憚られた。
「あお、りんがちゃんと寝ているか見張っておくんだぞ」
「あい! りんさま、あおとねんねしましょ!」
びしっと手を雄々しく掲げ、りんの手を引っ張って母屋へと連れて行くあお。それに抵抗できずに工房を出て行ったりんの痩せた背中を見送り、俺は窯と炉に向き直る。
今回りんが狩り、持参してきたのは火車の車軸と餓者髑髏の顎の一部だった。火車はともかく、餓者髑髏などという大物まで出てくるようになった夜の都は大混乱だろう。
そして餓者髑髏を単身で討ち滅ぼすりんも、大概人間離れしている。今や都の夜はりん無くば秩序を保てないところまで来ているように思える。これで未だに生家からは迫害されているというのも分からない話だ。
……いや、あまりにも桁外れ故に恐れているのか。
「俺に、出来ることは……」
ただ、鉄を打つことだけ。
そこに歯痒さを感じないと言えば嘘になる。
りんが鉄くれにしてきた太刀の慣れの果てを炉に放り、火車の車軸を鬼火が燈る窯にくべる。討たれた妖の怨嗟の黒煙が窯の口から噴き出てくるのを炉で塞ぎ、太刀を鉄に戻す。
もはやこの鉄塊にどれほどの妖が混ざり合っているかも覚えていない。りんが太刀を折るたびに討たれた妖の肉体を混ぜていった。その鉄からできた刃は日ごとに鋭さを増していくように感じる。
溶けた鉄と餓者髑髏の顎が混ざり合った鋼を型にはめ込み、改めて打ち直す。
自然と、鎚を握る手に力が入る。
そこに込められた感情は、りんを少しでも楽にしてやろうという慮りと――妖に対する憎悪。
りんは、俺が妖を憎んでいるのを「親父が喰われたから」と考えているようだが、それは少しばかり違う。その感情が全くないわけではないが、俺の心を占める憎悪の大半は、あの夜に出くわした鬼が、あおにまで手を伸ばそうとしたことに基因する。
俺のあお――可愛い、あお。
親父だけに飽き足らず、俺を無視してあおに手を伸ばしたあの鬼を、妖を、俺は絶対に許さない。
その憎悪を込めて、俺は妖の肉が混じる鋼に鎚を打ち付ける。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
憎悪を込めて――打ち据える。
* * *
「ふう……」
ようやく、息を吐く。
一度この感情に呑まれると、時の流れを忘れてしまうのが悪い癖だ。目の前の鋼以外何も目に入らず、ただただ無為に鎚を振るうだけの生き物となってしまう。
「……腹が減ったな」
また三日ほど飲まず食わずで鎚を振るっていたらしい。刃を研ぎ終えて立ち上がると、空腹感と眩暈で足元がふらついた。これでは、りんにとやかく言う資格はないかもしれない。
抜き身の刃を手に工房を出る。りんが柄すら嫌う理由を聞いてからは、何もつけずに渡すこととした。俺が妖をどう思おうと、りんが「罪のない」妖の魂魄を封じたくないと考えるのであれば、それは俺がとやかく言うべきではない。
「しかし妙だな」
月夜を見上げながら呟く。
いつもであれば、俺が鎚を振るい終え、刃を研ぎ始める頃には工房で出来上がりをぼうっと眺めて待っているりんが、今日はいなかった。まさか三日間あおに捕まって眠り呆けていたわけではあるまいし。
「りん、出来たぞ」
申し訳程度にしつらえられた母屋の扉を開く。
赤く染まった床と壁が、目に飛び込んできた。
「は……?」
鉄を叩き続けていて馬鹿になっている鼻でも分かる、生臭さ。震える指先で床一面に塗りたくられた赤に触れると、かさりと乾いた感触が返ってきた。
「……りん!! あお!!」
刃を抱えたまま母屋を飛び出す。先ほどは気付かなかったが、出入り口から点々と赤い足跡が山の奥へと続いている。こちらはまだ乾いておらず、ぬるりと月の光を反射していた。
時にはあおと共に食糧を求めて歩き回った山とは言え、平時であれば夜中に出歩くのは躊躇われる。しかし今は暗い夜道に顔を擦り付けるように目を凝らし、足跡を追う。
この山奥には俺たち以外に人はいなかったはず。足跡の先には大きな沼があるだけで、山賊が出るという話も聞いたことはない。
考えながらも足は止めない。赤い足跡はふらつきながらも、まっすぐに山中の湖沼へと向かっているようだった。
そして、その途中。
「りん!!」
見覚えのある着物の女が倒れていた。駆け寄り、揺らさないようにそっと抱き起す。
「……りん!」
着物の背中が切り裂かれていた。何やら術を使ったのだろうか、その下の肌には大きな跡が残っているものの、傷は塞がっている。
仰向けにし、胸に耳を当てる。
とくんとくんと、ゆっくりとした鼓動が聞こえてきた。気を失っているだけのようだ。
そのことに一先ず安堵しながらも、りんが目指そうとしていた山道の先を見据える。
本来なら昼ですら人気など皆無の場所――沼の方から、何やらガシャンガシャンと鐘を鳴らす音や念仏のような合唱が聞こえてきた。
「あお……!!」
本能というのだろうか。俺は打つ以外扱ったことのない刃を片手に、沼の方へと駆け出した。
森の木々が開け、沼の全貌が視界に広がる。
夜であるはずが幾つもの篝火が焚かれて桟橋がかかる岸の反対側まで見渡せる。その桟橋の周りに、顔を覆面で隠した白い衣の集団がたむろし何やら不気味な念仏を唱えていた。そしてその集団を割るように一人の少女が襟首を引かれて姿を現した。
「あお!!」
見間違うはずがない。
あおは、手を縛られた状態で猿轡を噛まされ、白衣の男に背を押し出されるように桟橋の先に追いやられる。
「あお!!」
俺は無心で駆け出す。
だが沼はあまりにも大きかった。
俺の声も、手も、あおに届かない。
そうして
俺が愛する妹は
男の持つ短刀に首を切り裂かれ
とぷん、と
沼へと突き落とされた。
* * *
「贄」
俺とリン様を貫く刃を見ながら、俺は記憶が染み入るのを感じた。
「神へと捧げられる供物……その中でも人身を捧げることは神への至上の奉仕と考えられていた時期があり、特に人身御供と呼ばれることもあった」
そうだ。
思い出した。
あおは。
俺の妹は、あの夜に神とやらの贄として捧げられ――無意味に死んだのだ。