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うんぬん 【掌編小説集】  作者: ナユタ
◆フリージャンル◆
6/21

リビングデッド

 夕刻の都市に場所を取る寂れたビルがある。

 今や物音一つなく静まり返ったその不要物は、西日に照らされて周囲に大きな影を落とす。



 屋内もこの時間には暗黒の世界だった。珍しく何かが階段を上る足音が虚しく響くが、それを聞いた者は一人もいない。全てが闇に掻き消される。


 足音はひたすらに上だけを目指し、最上階の踊り場で止まった。屋上に出られる古びた扉、その取っ手に指を掛ける。





 弱々しく、中学生くらいの少女が扉を開いた。眼前は最も強い時間帯の夕日に紅く彩られている。

 その眩しさに少女は目を細めた。コンクリートの床に、よくある緑のフェンス、そして……。


 案山子かかしがいた。


 「あった」のではなく、「いた」。

 全体重を支える木製の棒は、畑ではなくコンクリートを割ってめり込んでいる。当然の景色の中に、ただそれだけが不自然に佇んでいた。



 少女は歩き始めた。視線だけは案山子に向いている。

 「へのへのもへじ」の顔、古ぼけた感じの漂う縫い合わせだらけの布で出来た胴体、真横に広げた両腕。目を表す「の」と少女の目が合った気がして、彼女は急いで視線を背けフェンスに向けた。


 少女には案山子が何処となくやつれているようにも見えていた。当然、表情は伺えなかったが。

 何か過去に悲惨な経験をしてきた感じがする。性別は男性。年齢は人で言う三、四十代か。


 しかしやはり、そこにいるのは案山子である。




 少女はフェンスへと向かっていた。網に足を掛けてよじ登り、とてつもない高さの端に来た。ゆっくりと慎重に下を覗き込む。遥か遠くで豆粒大の車が往来している。

 現実はそんな景色。それが少女には違うように見えていた。


 渦巻く都市。やがて景色が混じり合い、そこには謎のワームホールが見えている。

 ようやく彼女の表情が動く。引きつった無理な笑顔だった。



 不味い唾を飲み込む。大丈夫、このワームホールの先に繋がっているのは、きっとファンタジーな異世界。次の一歩を踏み出す事でその世界へ旅立てる事を、彼女は知っている。これは誰でも知っている事だ。

 靴は履いたまま。気にする事ではない。少女は異世界への一歩を踏み出した。




「君、ちょっと待ちな」



 少女の耳に声が勝手に入って来た。声が脳に届いた時、視界が一変する。

 とてつもない高さだった。傾いた体は既に宙へ浮いており、落下と紙一重で腕をフェンスに伸ばした。

 動きが止まる。指は網に引っ掛かっており、少女は慌てて胴体をフェンスに引き戻した。


 頭は真っ白だった。呼吸だけは早い。生きている。



「まぁ逝く前に聞いてくれ。俺も君と目的を同じくしてここに来た者だ」


 何かが話し掛ける。周りを見渡しても人はいない。案山子はいた。

 フェンスを乗り越えて案山子に近寄る。今度はこちらから。

「あなた、ですか?」


 案山子は口を表す「へ」の辺りから、どうやってか声を出していた。「へ」は確かに口であった。

「ああ。俺も飛び降りようとしたよ、人間の姿でな」


 「の」の字が少女を凝視していた。案山子は語り始める。


「俺はフェンスの向こう側で、足がすくんで踏み出す事すらできなかった。気付いたらこの様だ。情けないよな。だからこんな所に来たのかもしれない。

君とオッサンには決定的な違いがある。オッサンの言ってる事、解るかな?」


 首をかしげた。飛び降りれば楽になれるのに、何故か今は案山子の話に聞き入っていた。

 それはまるで救いを求めるように。


「俺は案山子で君は人間のまま。人生でやっと脚光を浴びられる瞬間だったのに、それすらも俺は無駄にしてしまった」


 夕日は半分沈んでいき、案山子の顔に影を落とす。


「知ってるかい。人間は自ら死を望む事のある唯一の生物だそうだ。

案山子は人間の成り損ないに与えられる姿なんだろう。質量があって生きてはいても、中身が死んでる。だから感情も、心臓も要らない。

人間は第三者なしに自分というものを証明できない。誰かに認められなければ、爪弾きにされてしまう。

人間の姿で生きてはいるが、人間として必要なものを失った。それが案山子であり、生ける屍だ」


 案山子は悲しい真理を表情を一つも変えずさらりと話している。その真理は、少女にとっても痛い程に理解できた。


「君は一歩を踏み出していた。それ程の勇気があれば、今のままでも生きていけるんじゃないかと、俺は思う。ここを降りて、現実へ戻ってみなよ」


 案山子は少女の存在意義を認めたのだ。それだけで十分だった。少女は涙を流して頷くと、先程までの行動が嘘の様に迷わず、言葉に従って扉の前まで来る。そこで唐突に夕日を振り返った。



「どうした? 大丈夫だ、君なら地上へと戻れる」

「おじさんは? おじさんはどうするの?」

「オッサンなんか気にするな」


 少女は涙を思い切り拭うと、初めて笑顔を浮かべ叫んだ。


「私の勇気を止める程の優しさが、おじさんにはある。それ程の優しさがあれば、おじさんも生きていけるんじゃないかな」

「どういたしまして。でももう手遅れ、俺は案山子リビングデッドだ。地に埋まった足じゃ歩けない」

「私は……あなたの事、案山子とは呼んでないよ」



 少女は百八十度向きを変え、扉を開けて闇へと消えていった。

 夕日は沈んだ。これまでよりも更に静かな夜が訪れた。ただ、扉は完全には閉まっていなかった。




 宵の都市に場所を取る寂れたビルがある。その屋上には、中年の「おじさん」が直立し、腕だけ真横に広げて佇んでいた。

 彼は両腕を下ろす事ができた。

テーマは「人生」。タイトルは案山子を意味しています。なんだかこれまでになくハートフルです。

短編の方にも投稿した作品です。

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