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うんぬん 【掌編小説集】  作者: ナユタ
◆フリージャンル◆
2/21

ブラックファイター

 ―――異様に月光の薄い三日月の夜、路上に怪しい影がちらつく。影は滑るように移動し、今日のターゲットである家を見上げた。閑静な一軒家だ。


 彼女は夜間に人家へ忍び込み、必要なものを奪っては暮らしているのである。




 手口はいつも同じ。危うく見つかりそうになったことはあるが、これまで運良く逃げ切ってきた。

 彼女の生い立ちは誰も知らない。知ろうとする者がいない。いつでも仕事は命懸けであり、今回だって内心は怖くて堪らないのだ。

それでも残された生きる道は、今の世の中ではこれしかないだろう。彼女は何も食べなくても問題ないが、自分の為だけの仕事ではない。その思いが彼女に勇気を与え、今日も奮い立たせてくれている。





 彼女は施錠を忘れていた窓からこの家にまんまと侵入。とりあえず人気はない。

 まずは一階を捜し歩く。目的の食料は、これまで二階より一階で見かける事が多いからだ。ここは経験がものを言う。夜間に行動を開始したのは、無理に明るい時間帯に忍び込むと見つかり易い為だ。当然かもしれないが、慣れていない者は意外と陥り、全ての終わりを迎えるという。



 おそらく彼女の侵入場所はリビングだったようだ。他の部屋より幾分広く、テーブルとテレビが対峙されている。

 大きな壁時計を見上げると、短い針は「12」を指していた。だが、彼女はその意味を知らない。この部屋を一通り徘徊し、全体像を掴む。……ここにはない。いや、ここではない。


 彼女は次に廊下へ出た。長く続く先に和室があり、奥からは人の寝息が聞こえてくる。

 寝ているのであれば大丈夫だ。時間は十分に余裕がある。出来る限りの忍び足で、右側の通路に進路を変えた。



 今度は小さな部屋の扉の前に来た。その時、欲求を掻きたてられる香りが嗅覚を刺激した。侵入する度に、必ず一ヶ所はこの感覚に陥る場所があることを彼女は知っている。


 扉の下にはバリアフリーの為の小さなスロープがあった。敷居の段差をなくす工夫である。

 和室で寝ているのは老人かもしれない。それならもっと安全に作業が行える。若人は二階で熟睡中らしい。

 スロープを越え、開いた扉の僅かなスペースから中に入る。水、そして何とも言えない芳しい香りが濃くなった。

 彼女は毎回思うのだが、ここは食料に似た香りが微かに残る。もしかすると末路はここなのかと推測した。しかし、今は目的に集中するべきだ。

 小部屋を出て扉を見上げると、そこには「W.C」という文字。だが、やはり彼女はその意味を知らない。



 右側を見ると、そこから水の臭いが漂う部屋があった。好きな香りの一つである。

 ここもどの家にもある場所だった。何に使うのかわからないが、必ず巨大な“桶”に水が溜められている。大きさからして飲み水と考えられる。

 彼女はこれからに備えて床に飛び散っていた水滴をすすり、足を滑らせて溺れないように部屋を出た。



 W.C部屋を通り過ぎ、リビングの隣に位置する部屋に辿り着く。一回りしたということは、一階で最後の部屋という事になる。

 この部屋からは食料の臭いが充満している。入ってきたばかりで、侵入時は隣の部屋だった事を嗅ぎつけられなかったようだ。

 急いでシンクの上に上るが、そこに食料はなかった。臭いは最も強かった筈だ。


 降りて今度は真っ白な巨大な“箱”の元へ。実はこの箱が最も確率の高い場所だ。外側は熱いくせに、内側はとんでもなく寒い。少しでも空いていれば中の食料を拝められる。時間を掛けてしまったが、あと少し。

 巨大箱を登ろうとして足を掛ける。しかし箱は滑って上手く登れない。



 箱への侵入に手間取っている間に、何かのスイッチを押した音が部屋中に響いた。周囲の景色が一変する。目が慣れないが、これは灯りをつけられたに違いない。

 急激な緊張が彼女を包む。明かりは二階から誰かが起きてこの部屋に来たことを意味し、それは同時に泥棒にとって致命的なアクシデントだ。

 タイミングも悪く、よりによって箱を登ろうとして人目に簡単につく瞬間だった。


 灯りを点けた中学生程度の女の子は、彼女と視線が合い凍りついた。そして近所迷惑を気にせず、叫び声を上げる。


「キャーーー!! お父さんっ、来てー!」


 さすがに困惑した。この状況は過去にないものだ。女の子はリビングへの道に立っていて、逃げ道は塞がれてしまっている。

 たちまち、眠そうな低い声が聞こえ、体の大きな男性が現れた。父親は泥棒を見ると娘を押し退け、その間に新聞紙を丸めて棍棒を作っていた。


 忍び寄る父親。彼女は辺りを見渡して逃げ道を探すと、床に落ちたレタスの破片を見つけて飛び付いた。不幸中の幸いだ。

 だが、食料を得た代償は大きいものだった。父親の振りかざした棍棒により、体を叩き付けられたのだ。

 痛みに体が痺れる。それでも食料と腹の先端に付いた卵だけは守り抜いてやった。


 彼女はレタスを口に咥え、持ち前の素早さで娘の足元に滑り込む。

 股を抜ける際、娘は再び叫んで怯えた。父親は彼女を追い、リビングへとやって来る。

 出口である窓まで僅かの距離。最後の関門として立ち塞がった父親は、強力な武器を手にこちらの動きを待ち構えている。



 力の及ぶ限り速く走り窓へ一直線。父親は二度目の攻撃をしかけてきた。その一振りは見事命中。彼女は新聞紙の棍棒に叩きつけられ、宙を舞う。右足が千切れそうだ。

 父親は止めを刺す為に再度棍棒を振りかざす。その隙をつき、彼女はレタスを咥え直して走り出す。



 彼女は瀕死状態で窓から飛び降りた。庭にまで叩きつけられるが、父親はそれを見ると意外とあっさり追うのをやめた。

 ―――遂に手に入れた。既に朝日が昇りつつあった心地よい大空の下を、歓喜と共に駆け抜ける。

 彼女の勇姿は、正に戦士ファイターと言えるものだった。どんなに敵対視されようと、帰還を待つ家族の為に彼女はひたすら走る。

 何個か潰されてしまったが、これから家族になる命が腹の先端にある。生きる為、唯それだけの為に走る、走る。



 近隣の住処まで彼女は逃げてきた。あの家のように扉なんて邪魔なものはない。そこで待っていた多くの子供達に、目的物であった腐りかけのレタスの切れ端を分け与えた。


 間に合わなかったのは自分の命だ。右足の一本は走っていた間に取れていた。家族に囲まれながら、彼女はその場に倒れ込む。

 腹の先端に付いた卵だけは切り離し、往生を悟る。子供達にとって自分は、勇敢な戦士であっただろうか。そう思ってくれれば幸いだ。これからは、自分達の力で生きていくんだよ。それと、あの家には近づいてはいけないよ……。

 伝えたい思いは言葉にならない。伝える生命力さえ残っていない。



 黒き勇敢な戦士は息絶えた。多くの家族に看取られながら。

テーマは「生き様」。戦士の正体は、皆さん嫌いな台所の黒き悪魔(G)です…。正体がわかってから読むと笑えるかもしれません。

短編の方にも投稿した作品です。

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