ばらりずん
アルドリック・レイヴンクロフトはこのレイヴン王国の王太子で、現在十八歳を迎えて婚約者が決定したばかりであった。
三名にまで絞られた婚約者候補は、一人はアルドリックの、一人は王弟であるダスクブレイド公爵の息子アレンの、一人は王妹が嫁いだモスウッド公爵の息子シェイドの婚約者になる事が決まっていた。
なお、アルドリックには歳の近い妹と物凄く年の離れた弟しかいないので、流石に弟の婚約者には出来なかった。
これは王家と貴族のバランスの関係であり、また、王族の血を引いていることから仮に王太子妃になれなくとも、それまでの教育が無駄にならないと判断されたからである。
候補の令嬢達もその点については納得している事で、誰が誰の婚約者になるについて後ほど問題にはならないよう慎重に交流を行ってきた。
性格や生活習慣、思想などには相性が存在している。その点も勿論きっちりと踏まえた上で、貴族院とも綿密な話し合いが行われて承認が出たばかりであった。
やっと決まった。アルドリックの心は少しばかり軽くなった。
「ブライアー。これからの予定に変更はない」
「畏まりました」
ブライアー・フレイム。それはアルドリックの護衛騎士を長年務めている十歳年上の男で、アルドリックが八歳の時からの付き合いである。
僅か十八歳で未来の王太子となるアルドリックの護衛騎士に選ばれた彼は、純粋な剣技で言えば騎士団長や副団長達に並ぶ程であったが、彼はある力を有していた所為で中々人前に出せるものではなかった。
「今日もお前の剣が抜かれる事が無ければ良いのだが」
「俺もそう思っています。切実に」
回廊を歩む二人は傍目から見れば背筋もピンと伸びていて、見栄えは大変良いのだろうけれど、その顔はとても憂いに満ちていた。
全ての始まりは、ブライアー・フレイムが十歳の時に異界の神より好奇心のままに加護を与えられた事だろう。
この世界を司る神ではなく、異界の神は大層愉快な事を好む性質を有していた。この世界の神がほんの少しだけ眠りについた隙を見計らい、加護の雫を散らした。
その一滴を受けたブライアーは剣を巧みに操れるようになった。だが、そこは愉快な物好きの神の仕出かすことで、それだけで終わるはずがなかった。
■■■
「アルドリック様ぁ♡」
「っ!」
アルドリックの背後で周囲を警戒していたブライアーは、いきなり飛び込んで来た人影に対し、無意識で剣を鞘から抜きながらアルドリックを背後に庇うように移動し、そしてなんの躊躇いもなく切り伏せた。
確認することも無くそのような所業に出るのは如何なものか、と言われかねないのだが、ブライアーに関しては誰も咎めない。
何故ならば、条件次第ではあるが全力で剣を振ろうとも死人が出ないからだ。
現在二人がいるのは開放庭園を臨める王族専用の回廊で、ここを通り抜けて王城にある執務室に向かっていたのだが、何故か三ヶ月に一度の頻度で令嬢が現れるのだ。
騎士だって巡回しているし、抜け道があるのではと徹底的に探し尽くしたのに、それでも現れる令嬢は挙って同じ事を宣うのだ。
『私はアルドリック様の真実の愛なの!』
と。
頭が痛い問題である。
決して騎士の怠慢でも何でもなく、何故かこの令嬢達は不可能を可能にするかのように現れるのだ。
「不審者だ!捕らえろ!」
石で出来た廊下に仰向けで倒れている令嬢をそのままにブライアーが大声を上げながらアルドリックを背後で守りつつ周囲を警戒している。
一応、この令嬢は生きている。しかし、まあ、社会的には死ぬだろう。
「申し訳ありません!また、また、接近させてしまいました……!」
アルドリックとブライアーが会話をしていると涙目になりながら駆け込んできた騎士はすぐさま跪く。
どれだけ警戒しても、それをすり抜けてくる虫並に根性のある令嬢達に責任者である部隊長たちの髪の毛が薄くなってきているのは間違いない。
「よい。陛下も宰相も騎士団長も全員が確認したし対策してもなおこれならば、間違いなく異界の神が関わっている。只人の我等に出来る事は少ないだろう。それに、私にはブライアーが居るからな」
「はっ……あの、今回のこれは、何と書かれているのでしょうか」
疲れているのはアルドリックも同じで、部隊長を労う彼に騎士は深く頭下げると、すぐさま立ち上がって倒れている令嬢を見る。
左肩から右脇腹まで、剣がきちんとその役割を果たしていれば血まみれ大惨事になっている場所には、それはもうでかでかと読めない字が書かれているのだ。
「多分だが……」
「殿下と俺が聞いたのは『ばらりずん』だった」
「……ばらりずん、ですか」
「生きているし切れていないから殺意は無かったのだろうけれど、暫くは起きないだろうから牢にでも入れておいてくれ。ブライアー行くぞ」
「はい」
彼らには読めやしなかったが、異界の神が司る世界において習得が最も難しいとされる言語「日本語」で「ばらりずん」と書かれた文字は令嬢の社会的地位を完全に殺していた。
ブライアーは殺意のある敵と斬り合う時はきちんと相手を切れる。しかし、殺意がない場合は何故か「切る時の音」がその場に居合わせた者に聞こえ、見知らぬ文字が切られた場所に張り付いたように浮かび上がる。
ただの訓練とかであれば通常の傷が消えるのと同じタイミングで消えるのだが、今回のように明らかに護衛対象のアルドリックに対しての危険と「ブライアーが」判断すれば、それは消えずに残るし、何なら服の上からですら浮かび上がってまで「こいつ、王族に近付いて切られたヤツやで」と言わんばかりに主張するのだ。
これが、愉快神に与えられたブライアーの加護である。
死にはしないのだ。肉体の傷は出来ないから。
しかし社会的には間違いなく殺される。隠せないからだ。
「前の令嬢の時は何だったっけ」
「確か『ざしゅー』だったはずです」
「肉体を切る音など聞こえやしないのに、何故か聞こえるんだよね」
「俺にも分からないのですが、お陰で乱戦でも仲間を間違えて切る事にならないのはありがたいですがね」
殺意があれば切れるので、ブライアーや護衛対象に殺意を抱かなければとりあえずは死を避けられる。ただまあ、遠慮はしないので鉄の棒でぶん殴られたように痛みで失神するだろうが。
「初めて兄と剣の打ち合いをした時は『さしゅっ』みたいな音でしたよ」
「こう、何となく響きが軽いな?」
「子供の力ですからね」
そこで判明したことで、ブライアーは集団行動を行う騎士団には向いていないとされ、護衛騎士に回ることになった。
便利といえば便利なのだ。剣の打ち合いの時にどこを切られたのか分かりやすいから。しかし、騎士が「ここ怪我してるんやで」と主張する文字に耐えられるはずもない。
「一体どこの言語かは分からないのですが、多彩すぎて理解が出来ない……」
「研究のしがいはありそうだけどね。どうやら三種類の文字形態があるのではと研究者は解析していたよ」
「何ですかそれは……不可思議な言語ですね」
「本当にそう思うよ」
ドレスを着て意識を失っている場合、令嬢と言えども起きている時よりも重たく感じる為、板を手にした騎士四人がかりで担ぎ上げて運ばれていく姿を見送る。
居住区である王宮から政の中心である王城への僅かな距離ですら安心出来ないというのは実に困る。
それでもアルドリックの護衛が一人なのは、ブライアーの齎す喜劇的な被害を最小限に抑える為である。
殺意さえなければ死にはしないのだ。骨は折れるかもしれないが。
恐らくあの令嬢の骨は折れていることだろう。まあ、不用意に王族に近付く方が悪いのだ。
「婚約者が正式に決まったのだから襲撃が止むといいのだが」
「思うのですが、殿下」
「何だ?」
「婚姻の儀を執り行い正式に夫婦となるまでは機会があると思う愚か者がいないとは限りません」
「はぁ?王族の婚約をなんだと思っているのか。そもそも、王族に嫁ぐには幼少の頃から既に選定が始まっているのだぞ?」
「知らずにいればそうなるかと。妻によると、昨今の市井では身分差に伴う恋物語が流行しているそうです」
「マイヤー夫人の情報か……ならば正確だろうな」
ブライアーの妻マイヤーはアルドリックも認める程の情報通で、高位の貴族の閨の秘密から庶民の俗話までありとあらゆる情報を独自の伝手で集めているという。
ようやく静寂を取り戻した回廊を足早に進む。既に時間は押しているのだ。無駄には出来ない。
「マイヤー夫人を敵に回したくはないな」
「俺にとっては可愛い妻なのですがね」
「それはそうだろう。はぁ。それにしても、ブライアーの神の加護は頼もしいのだが、力が抜けるな」
「ばらりずん、ですからね」
会話の声は大きくないが、男二人の声は何とも言えない憂いを多分に含んでいた。
「後何人の令嬢の体に消えない文字が刻まれるのだろう」
「さあ。いい加減終わって欲しいところですがね」
「取り敢えず、私の中で今までで一番情けない音を更新したな。ばらりずん、か……」
「どびゅしゅ、とやらを超えましたね」
異界の神の所為で力と共に不要な物を手に入れたブライアーは大きなため息をこぼし、その主であるアルドリックは語彙録でも作ろうかな。正式に決まった婚約者との話題作りの為に。と考えながら国王の執務室へと急いだ。
■■■
異界の神と呼ばれる存在は退屈していた。
地球という惑星を含む世界を司る一柱で、享楽的な性質を有していた。
しかしそれなりに発展している地球には数多の神が関与している為、迂闊に手を出すと消滅は必須。
そこで、一柱で管理していて監視の目が緩い世界を探して見つけた。
「さぁて、どうなるかなぁ。きしし。適当に振り撒いたけど、混乱するといいなぁ」
この世界の神は少しだけ寝ていただけなので、すぐに目を覚まして気付いた。己の世界に干渉した力がある事を。
それは神の世界では禁忌である。
己の欲望の赴くままに干渉した享楽的な神は、更なる上の存在により跡形もなく消滅させられたが、振り撒いた加護は取り消しは出来ない。
「はぁ?何だこれ。剣の才を伸ばす代わり、殺意がない相手は殺害出来ず、その代わりにオノマトペの文字が浮かび上がる~?は~?何の意味があるんだ~?は?こっちは気配を消せる代わりに前世のありもしない記憶が芽生える~?は~?うわ、レイヴン王国に偏ってんじゃないか~。勘弁しろよ~。くそ。取り消しは出来ないしよぉ~。あ~めんどくせぇ~」
神と言えど寝る時は寝る。なのでその神は咎められなかったが、ほんの僅かな睡眠のせいで絶妙な混乱が生じていることは実に腹立たしい。
既に消え去った愚か者の加護だと言うのは、本人達は認識しているらしい。まあ、それがルールだからだ。
それにしたって意味がわからない加護すぎてその神は苛立ちが止められなかった。
「はぁ。この王子とやらに我の加護を与えるか。つーてもどんな加護与えりゃいいんだよ……はー、めんどくせぇ~」
この神によりアルドリックはとある加護を受けて襲撃はほぼ減った。ただし、それまでに受けた襲撃のせいで婚約者や候補だった令嬢達以外への女性不信を抱える事になったのは彼にとっての悲劇だったのかもしれない。
唐突に「駆け寄ってきた相手を護衛が切り伏せたら、傷跡は無いけど効果音『ばらりずん』という文字が張り付いてたらおもろ」と思ってしまって書いちゃいました。
ほぼ勢い。
この世界の人には読めない文字だけど、音が聞こえるから2人は微妙な顔します。
護衛が同い年とかぶっちゃけ成人してない内は怖いんだけど、と割と小説見て思う。
プロにはプロの理由があるわけで、皇室の方がもしも護衛として未成年を連れていたら「こわっっっ!プロの護衛に変われ!」ってなるよね。
何故創作で次期国王と見なされる王子の護衛役が同い年あたりが多いのか未だに答えが見つからない。
あ、成人してたりきちんと技量があるならいいんですよ。でも、未成人に命を預けるの、怖くない?
※ばらりずん、と、ずんばらりで悩みました。最初は後者にするつもりでしたが、調べたら前者の方が出典もあるので採用致しました。




