009 ライル:比較
ヴァレンティン王国における領主は、二つの基準で評価される。
一つは上納金の多寡だ。
大貴族に納める領主税が高いほど評価される。
大貴族の場合は、国王への上納金がこれに該当する。
もう一つは領民の幸福度だ。
これは主に大貴族の評価基準になっていた。
官吏による覆面調査の結果をもとに、国王が主観で判断する。
調査時に領民の不満が明らかになると、評価が大きく落ちる仕組みだ。
つまり、領主はただ稼ぐだけでは認められない。
それと同じくらい領民を幸せにすることが求められているのだ。
そのため、大貴族たちはさまざまな方針を打ち出していた。
例えば、公爵領における行商人制度も幸福度政策の一環だ。
(ダメだ……! 何も浮かばない……!)
執務室で、ライルは頭を抱えていた。
ブリッツ家の名誉挽回を決意したのはいいが、何をすべきか閃かない。
都市の幸福度が最高だからだ。
幸福度は抽象的な指標だが、〈モルディアン〉に関しては誰の目にも明らかである。
どれだけ悔しくても、マリアの手腕を認めざるを得なかった。
「つまんなーい! ライル様ー、私、散歩に行ってくるねー! どうせあと1年は一緒の馬車に乗ることすらできないし!」
メアリーが退屈のあまり出て行く。
しかし、ライルは考え事に夢中で気づいていなかった。
(よし、まずは父上の都市と比較しよう! 父上を参考にすれば、きっと改善策が浮かぶはずだ!)
ライルは大きく息を吐くと立ち上がった。
「メアリー、俺は……って、あれ? あいつ、どこに行ったんだ?」
ライルは少し考えてから「まぁいいか」と呟いた。
◇
ライルは〈モルディアン〉にある公務用の城に向かった。
この都市では、住居用の邸宅と公務用の城を分けているのだ。
城は伯爵領の第二都市とは思えないほど小さかった。
内装も最低限の装飾品しかなく、言うなれば「質素の極み」である。
ここでもホーネット家の欲のなさを感じた。
「ライル様! 資料をお持ちしました! こちらが〈モルディアン〉とローランド様の治める〈リベンポート〉の財務報告書でございます!」
謁見の間で待つライルのもとに、官吏が紙の束を持ってきた。
30代の男で、官吏にしては筋肉質な体つきが特徴的だ。
「な、なぜ、この紙が……!」
官吏の持っている紙を見て、ライルは愕然とした。
なんとマリアが〈万能ショップ〉で買った印刷用紙だったのだ。
「マリア様が市長だった際に定めた経費削減策に則り、コストを抑えられるところは抑える方針を維持していたのですが……問題がありましたか?」
(問題? 大ありに決まっているだろ! この馬鹿者! 公爵領のものになんか頼りやがって! どういう神経をしているんだ!)
ライルは心の中で怒鳴った。
本当は口に出したかったが、そうするわけにはいかない。
喉元まで出かかっている声を必死にこらえた。
(今は実力を証明することが最優先だ……! ちっぽけなプライドにこだわっている場合じゃない……!)
「い、いや、問題ない。マリアはさすがだな……」
ライルは顔を引きつらせながら言った。
その言葉を受けて、事情を知らない官吏は笑みを浮かべた。
「はい! マリア様のおかげで、自分も快適にお仕事をさせていただいています! 今後も必要な資料があれば何なりとお申し付けください!」
「ああ、そうするよ。すぐに何か追加で頼むかもしれないから、そばで待機してもらってかまわないか?」
「もちろんでございます!」
官吏は指示に従い、ライルのそばに立つ。
謁見の間にいるのはこの二人と清掃担当の使用人だけだ。
ライルは目の端で使用人を捉えた。
(あの使用人、公務の最中にもかかわらず掃除を続けていやがる。あんなこと、他所じゃ絶対に許されないぞ。それに、俺が謁見の間にいるっていうのに、他の奴らは何で集まらないんだ?)
そんなことを考えながら、ライルは資料に目を落とした。
「いやはや、実に素晴らしい資料だな。よくまとまっている。これなら一目で差異の比較が可能だ。布紙ではなくこの紙に書いているということは、つい最近作成したものだろ?」
「はい! つい最近といいますか、ライル様のご指示を受けて、急遽、私が作成してまいりました!」
「なんだと?」
「あ、ご安心ください! 数値のダブルチェックとクロスチェックは済ませておりますので!」
官吏が嬉しそうに声を弾ませた。
「ダブルチェックとクロスチェック……? なんだそれは?」
「ダブルチェックとは、作成後に内容を再確認することです! クロスチェックとは、自分以外の者に確認してもらうことです!」
「ほう? そんな用語があったのか」
「マリア様が考案されました!」
「…………」
ライルの眉がぴくぴくと震える。
「そ、それにしても、急ぎで作ったとは思えない出来だな! そなたはすごく優秀な官吏のようだ!」
「とんでもございません! 自分は駆け出しの身……まだまだでございます!」
「そう謙遜するでない。俺が褒めることなんて珍しいんだぞ」
ライルが笑いながら愛嬌を振りまく。
有能で頼もしい官吏を見つけて嬉しくなったのだ。
「ありがとうございます、ライル様! やはりマリア様と同じで、ライル様もお優しい方だ……! 駆け出しの自分を褒めてくださるなんて……!」
ライルは官吏の「駆け出し」という表現が気になった。
「もしかして、そなたは本当に駆け出しの官吏なのか?」
「はい! もうすぐ勤め始めて満1年になります!」
「なっ……!? まだ1年なのか!? 前職は何をしていたんだ? 書記官か?」
「いえ! 警備を担当していました!」
「警備だと!?」
官吏は「はい!」と元気よく頷いた。
「去年から腰の痛みが強くて、鎧をまとって歩くのが厳しくなりました。それでマリア様にご相談したところ、今の仕事を与えていただけることになりました!」
「マリアに相談? そなたとマリアは親交があるのか?」
「いえ! マリア様は常日頃から皆に声をかけて回っていまして、その際にご相談させていただきました!」
(マリアは市長職を代行するようになってからも、それ以前と同じ頻度で俺や父上と会っていた。その間も上下水道の整備で各地を転々としたのに、さらには下々の相談まで受けていただと……?)
ライルは話を聞けば聞くほどに絶望した。
そんな彼に、官吏が無意識のまま追い打ちをかける。
「ライル様が褒めてくださったこの書き方も、マリア様が考案されたんですよ! 今のライル様と同じようにマリア様も比較表が求められることが多くて、そのための方法を自ら考案されたのです! こうして迅速に資料をご用意できたのも、そのおかげです!」
官吏からすると、ライルを喜ばせているつもりだった。
ライルとマリアの婚約が円満に解消されたと思い込んでいるからだ。
王国政府の発表を受け、二人の関係が今でも良好だと考えていた。
それは他の市民も同じだ。
「ああ、そう……」
ライルは話を打ち切った。
(マリアが優秀なのは認めよう。だが、俺だってブリッツ家を背負っているんだ! それに俺は男だぞ! 女のアイツとは頭の出来が違う! 何かあるはずだ! 女には死んでも閃かない妙案が!)
ライルは資料を何度も読み返した。
すべての数字を頭に叩き込んでいき、改善の余地がないかを検討する。
その結果――
(あった! これなら……いける!)
ライルは問題を発見した。
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