050 ライル:最適解
〈モルディアン〉のショッピングモールが、開業から半年を迎えた。
開業当初、この日は盛大な記念パーティーが開かれる予定だった。
だが、しばらく前に中止が決まった。
とてもパーティーを開く状況にはないからだ。
ショッピングモールは、「負の象徴」と化していた。
今では市民から忌み嫌われている。
理由は単純だ。
モールを維持するために増税を実施したからである。
それでも、モールが庶民向けなら不満は少なかっただろう。
自分たちも利用するのだから、多少の負担は仕方ないと納得できる。
景気に良し悪しがあることは、一般に知られている。
昔から農作物の収穫量や観光客の数が安定していないからだ。
問題は、モールが富裕層向けに特化されていることだ。
テナントはすべて高級店で、庶民が気安く利用できるものではない。
それにもかかわらず、モールを維持するための増税が行われた。
〈モルディアン〉の市民が怒るのは当然だった。
「完全に破綻している……。これなら何もしないほうがマシだったな……」
自邸の執務室で、ライルは険しい顔をしていた。
リクライニングチェアに深く腰掛け、ぼんやりと天井を眺める。
「なんで前より貧乏なのよ! 最初は儲かっていたのに!」
ライルの膝の上で、メアリーが不満を漏らす。
仕立屋はおろかアトリエすら高く感じる現状に苛立っていた。
しかも、貴族になったため好き勝手に振る舞えない。
「何も知らない市民は俺の失策だと責め立てるし、本当にこのままでいいのだろうか。こんな状況で幸福度の覆面調査が行われたら、俺の責任問題になるんじゃないか」
この国における領地経営は、二つの項目で評価される。
一つが大貴族に納める領主税の多寡で、もう一つが幸福度だ。
幸福度は、〈ノヴァリス〉の官吏による覆面調査が行われる。
その際の結果をもとに、国王が主観で判断する仕組みだ。
ゆえに、ただ稼げば優秀というわけではなかった。
たくさん稼ぎ、かつ幸福度も高水準を維持しなければならない。
ところが、現在の〈モルディアン〉は両方の項目で最低だった。
領主税は下限額しか納めておらず、幸福度は誰が見ても低い状況だ。
そして、ライルは〈モルディアン〉の市長である。
エステルが経営の実権を握っているとはいえ、責任者はライルだ。
事前の取り決めにより、エステルの成功はライルの功績になる。
しかし裏を返せば、エステルの失敗はライルの責任になるのだ。
ライルが不安を抱くのは当然のことだった。
「よし、エステル様に掛け合ってくる!」
ライルはメアリーを押しのけて立ち上がった。
「お義父さんに許可を取らなくていいの?」
メアリーが尋ねる。
嫌味を多分に含んだ言い方だが、ライルは気にせず答えた。
「ただ話すだけだから問題ないさ。一緒に来るか?」
「行かなーい! だって、あの人、嫌いだもん!」
メアリーがぷいっと顔を背ける。
「女が皆、お前みたいだったらいいのにな。男の真似事なんかするからこんなことになるんだ」
そう呟くと、ライルはため息をつきながら部屋を後にした。
◇
エステルはショッピングモールの4階にいた。
かつてマリアと話した現代的なソファに座り、静かに外を眺める。
地上から自分を見つめる市民の目つきが、半年前とは違っていた。
「私の計画は完璧だったのに……」
エステルは独り言を漏らすと、振り返ってフロアに目を向ける。
客の姿はない。
王国随一の仕立屋と料理屋では、職人が暇そうに立っていた。
「狭いはずの4階なのに、広く感じますわ……」
モールの開業当初、4階は人で溢れていた。
富裕層の中でも見栄を張りたがる貴族に需要があったのだ。
(すべてマリアのせいですわ。ここで私に叱られた仕返しに、あの女はユニークスキルの力で〈ドーフェン〉を……!)
マリアがいなければ、今でも成功していたに違いない。
エステルはそう考えていた。
実際、この考えは間違っていない。
もしマリアがいなければ、〈モルディアン〉は今も栄えていただろう。
ショッピングモールには富裕層が集まっていたに違いない。
しかし、エステルは重要な点を見落としていた。
マリアがいたからこそ、彼女はショッピングモールの構想を思いついたのだ。
したがって、エステルの「マリアがいなければ……」は、都合のいい部分だけを切り取った仮定にすぎない。
また、百歩譲ってご都合主義の仮定を受け入れた場合でも、エステルには挽回のチャンスがあった。
ローランドが持ってきた『モール内でハンバーガー屋を展開する』という案のことだ。
あの提案を受けていれば、観光客の回復を見込むことができた。
モールの1階を庶民向けにする案もあった。
エステル自身も閃いたが、マリアに先を越されたことで採用しなかった。
だが、この案を採用していれば、状況は大きく違っていただろう。
つまり、エステルの失敗は言い訳できないものなのだ。
〈ドーフェン〉の発展は障壁になったが、乗り越えられるものだった。
「エステル様! ここにいらっしゃいましたか!」
そう言って登場したのはライルだ。
彼はエステルの隣に座ろうとしたが、直前になって思いとどまった。
神経を逆撫でしないように、あえて立ったまま話すことにした。
「ライル様、どうなさいましたか? まだ月例の収支報告を行う日ではございませんが?」
エステルは顔をライルに向けた。
「えっと……」
ライルは言葉に詰まった。
エステルの顔が思った以上にやつれていたからだ。
頬が痩せこけて、ストレスによる皺が増えていた。
(前に話したときも容姿に衰えが見られたが、この数週間でますます衰えてしまったな。誰もが羨むエステル様の美貌も、もはや過去の話だ。やっぱり、女は男を立てることに専念すべきなんだ)
ライルは心の中でエステルを見下す。
だが、表情には一切出さなかった。
「やっぱり、父上の提案を受けられてはいかがでしょうか?」
「モール内でハンバーガー屋を展開する案のことですか?」
「はい。今から挽回できるかはわかりませんが、多少なりとも改善できるのではないでしょうか? 先般の増税によって市民の不満が強まっていますし……」
エステルが怒らないように、ライルは細心の注意を払った。
一方、エステルは――
「もうどうでもいいですわ」
――投げやりだった。
「え? どうでもいい……?」
ライルは耳を疑った。
(あれだけ「経営には口出しするな」と言っておきながら、どうでもいいだと……?)
ライルは反射的に怒鳴りそうになった。
相手が王家の人間でなければ、我慢できていなかっただろう。
「だって、ここからどう頑張っても〈ドーフェン〉には太刀打ちできませんし、レオンハルト様に認めてもらえませんから。ですから、どうでもいいです」
「つまり、エステル様は投げ出すわけですか?」
ライルは苛立ちのあまり嫌味な口調で言ってしまった。
言ったあとで「まずい」と思ったが、結果的にこの発言がファインプレーになった。
「そう捉えていただいて結構です。ローランド様との間で取り決めた契約は解除します。私はただの副市長でかまいません」
自暴自棄になったエステルが、契約の解除を宣言したのだ。
「では、今後は私が市長として判断してよろしいですね?」
「お好きにどうぞ」
「わかりました」
ライルは「失礼します」と一礼して、その場を後にした。
(よし! これでこのモールを好きにできる! まずは幸福度を回復させよう! それに出店支援金を削減するため、すべての店と契約を打ち切ろう! 庶民向けのモールにするんだ! ハンバーガー屋もガンガン導入しよう!)
ライルは興奮しながら階段を下りていく。
しかし、地上階まで下りた頃には、考えを改めていた。
(ダメだ、ダメだ。俺は上に立って人を顎で使う側だろ。細かい経営方針を考えるのは俺の役目じゃない。まずは父上に相談しよう)
ライルはモールを出ると、馬車で〈リベンポート〉に向かった。
彼の考え方は残念なままだが、選択した行動は最適解だった。
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