049 医療改革の礎
「不整脈のようです」
私は心電図を確認しながら言った。
モニターの波形は不安定で、リズムが乱れている。
素人目ですら不整脈だと断言できた。
「不整脈……? それは何じゃ?」
「詳しい説明は、私ではなく賢者ベンゼルに尋ねてください」
「ベンゼルじゃと?」
「はい、そろそろやってくるはずです」
と答えた瞬間、扉が開いた。
ノックもせずに入ってきたのはベンゼルだ。
「マリア様! 国王陛下はご無事ですか!?」
ベンゼルが早足で近づいてくる。
「一時は心肺停止に陥りましたが、AEDで回復しました。心筋梗塞に伴う不整脈だったようです」
「そうでしたか」
ベンゼルが納得する一方、国王は「AEDとは何じゃ……」と困惑していた。
「国王陛下、お久しゅうございます。これより先は私が治療を引き継がせていただきます」
「それはかまわぬが……もう少し状況を説明してもらえんか?」
「ご説明は後ほどさせていただきます。まだ陛下の処置は完了しておりませんので、もう少々ご辛抱ください」
ベンゼルは皺だらけの顔で微笑むと、その顔を私に向けた。
「不整脈を抑えるためアミオダロンを投与します。しばらくモニタリングしたあと、β遮断薬へ切り替えます。点滴バッグなど、他にもいくつか必要なものを伝えますので、〈万能ショップ〉で揃えていただけますか?」
「もちろんです」
私はベンゼルの指示に従って治療環境を整えていく。
「なんじゃ、その針は!?」
国王は初めて見る注射針に驚いていた。
「お薬を体内に入れるための道具になります。少しチクッとしますが、驚かないでください」
ベンゼルは優しい口調で説明しつつ、点滴ルートを確保する。
消毒も忘れていない。
「ベンゼル、お主、医術を心得ておったのか……?」
「マリア様のご依頼を受けて、約半年前から勉強しています。知識が先行しており実践の経験は乏しいですが、多少の練習はしておりますので、どうかお覚悟を」
「え? 覚悟?」
「あいにく、まだ『ご安心ください』と言えるほどの技量はございませんので」
そう言いつつ、ベンゼルは国王の静脈に注射針を刺した。
「本当に大丈夫なのか……? わし、死なない……?」
国王が涙目で私を見る。
「ベンゼルさん次第ですが、おそらく大丈夫です!」
「ベンゼル……頼むぞ……」
「最善は尽くしますので、どうかお覚悟を」
「頼むから『ご安心ください』と言ってくれぇ!」
「陛下、ご安心ください!」
私とベンゼルに代わってジークスが言う。
「そなたに言われても安心できんわ……」
国王は絶望に染まった顔で涙を流した。
◇
『エステル様に経済学と経営学を教えたあとでかまいませんので、医療の発展に協力してください。必要な教材や道具はいくらでも提供します。ですから、現代医学を身につけて、この世界の医師に教えてください』
それが、私がベンゼルに行った提案だ。
医療の発展は、生活の質を向上させるのに不可欠である。
しかし、この問題を私の力だけで解決するのは難しかった。
私が救えるのは、せいぜい目の前の人間だけだ。
とはいえ、無闇に現代の医薬品を広めることはできなかった。
用法用量を守らないと、薬は毒になるからだ。
医療を発展させるには、医師のレベルアップが必要になる。
しかし、私の現代医学に関する知識は乏しかった。
前世は経営者であって医師ではないのだから当然だ。
また、私には医学の勉強をする時間がなかった。
現代で医師になるのが極めて難しいことからもわかるように、隙間時間に医学書を読んでどうにかなるものではない。
そこで目をつけたのがベンゼルだ。
〈不死〉のユニークスキルを持つ彼であれば、時間不足で困ることはない。
私と同じで前世が地球人だったため、参考書もすらすら読める。
まさに医療の発展に最適な人物だった。
「――そして、現在に至ります」
落ち着いたところで、私は国王に状況を説明した。
「なるほど。そなたらには地球という世界の知識があるのか……。にわかに信じがたい話じゃが、マリアの行動を振り返ると信じざるを得んな」
国王は驚きながらも納得していた。
「しかし、どうして今まで黙っておったのじゃ? そなたらの言う『現代医学』とやらは、死んだ人間ですら蘇らせられるのじゃろ? それほどのものであれば、一秒でも早く普及したほうがいいと思うが」
「たしかに早く普及したほうがいいのですが、現代医学は非常に専門性が高いため、どれだけ急いでも相応の時間を要します。また、一口に『普及させる』と言っても、その具体的な方法を検討する必要がございます。そういったことを考慮して、今まで黙っていました」
そこで言葉を区切ると、私は話を続けた。
「それと、陛下のお言葉を訂正することになってしまい恐縮なのですが、『死んだ人間を蘇らせる』という表現は誤っています」
「なに? マリア、お主はわしを蘇らせたのではないのか?」
国王がジークスを一瞥する。
「たしかにマリア様は陛下を蘇らせました! あそこに置いてあるAEDなるものの指示に従い、陛下に跨がって胸を両手で押し、何度かの接吻をすることで、止まっていた陛下の呼吸を蘇らせたのです!」
ジークスが興奮した様子で語る。
「接吻?」とベンゼルが私を見る。なぜかニヤついていた。
「じ、人工呼吸のことです! わかるでしょ!」
私は顔を赤らめながら答えた。
「とにかく、わしを蘇らせたことに変わりはないのだろう?」
国王が首を傾げる。
「たしかに心停止の状態から蘇生はしました。しかし、陛下は死んでいたわけではございません。『一見すると死んでいるが、かろうじて生きていた』というのが正確な状況です。ですので、たとえ現代医学をもってしても、完全に死んでいる者を蘇らせることはできません」
「ふむ……。心臓が止まっていても生きている場合があるわけか。すごいのう、現代医学というのは」
「はい、現代医学は本当にすごいです! いつかベンゼルさんが世界中に普及させますので、ご期待ください!」
「ますます長生きしたくなったわ」
国王は笑うと、続けて言った。
「マリア、お主には大きな借りができた。わしにできることであれば、どんなお礼でもさせてもらう。何かあれば頼るがいい。次の国王である我が息子にも、お主の意見は全面的に受け入れるように言っておく」
「ありがとうございます。ですが、私は当然のことをしたまでです。どうかお気になさらないでください」
「そうはいかん。お主がいなければ、今頃は死んでいたのだからな」
「では、いつか困ったことがあれば頼らせていただきます。ですが、現在は特に困っていません。悩みごとならございますが……」
「悩みごと? 何じゃ? 言ってみろ」
私はニコッと微笑んだ。
「陛下が安静にしてくださるかどうかわからずに悩んでいます。私が去った途端に走り回らないか不安で不安で仕方ありません……」
国王とベンゼルが吹き出した。
「そういうことですので、陛下、今は安静になさってください」
ベンゼルが笑いながら言うと、国王は「仕方ないのう」と頷いた。
「私は客室で休ませていただきますので、何かあればお声がけください」
「わかった」
「それでは、失礼します」
私は一礼すると、国王の寝室を後にした。
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