038 恋愛について
エステルを怒らせてしまったことで、場の空気が悪くなった。
その場にいても問題になるだけだと判断した私は、「市民に挨拶してくる」という建前でショッピングモールを出ることにした。
レオンハルトが同行を申し出たが、彼にはその場に残ってもらった。
フロアの中央付近に設置された巨大な階段を下りていく。
エスカレーターがない分、階段が目立つ造りになっていた。
(それにしても、よくもここまで名店を集めたものね。どういう条件で引き抜いたのだろう)
衣食住のうち、「衣」と「食」の最高峰が集まっている。
いわばオールスターだ。
私が真似しようとしても同じことはできないだろう。
王家と伯爵家の二枚看板があったからこそ実現できたものだ。
「マリアっちー!」
1階を歩いていると、背後から声をかけられた。
プレオープンなのに市民が紛れ込んでいるのだろうか。
そう思い、振り返ると――
「やっほい! マリアっち!」
そこには恐ろしく上機嫌なメアリーが立っていた。
動物の毛皮を使った上品なコートを羽織っている。
「マリアっち……?」
私は首を傾げた。
たしか前に会ったときは「マリア様」と呼んでいたはずだ。
「私はもうライル様のお嫁さんになるわけだし、同じ貴族としてタメでいこうよ! ね? マリアっち!」
メアリーが肩を組んでくる。
「まるで別人ね……。私の知らない間に頭でもぶつけたの?」
ドン引きする私に対して、メアリーは「ぎゃはは」と下品に笑った。
「別にぶつけていないって! ただ、マリアっちに感謝しているの! ライル様と婚約させてくれてありがとーね!」
「は、はぁ……?」
たしかに、私がメアリーとライルを婚約させた。
平民のままでは暴走しかねないからだ。
「最初はさー、『うげぇ、最悪ー!』って思ったよ。めっちゃ貧乏だったからね! 外に出ればマリアっちの名前ばっかり聞くし! でも、今はマリアっちに感謝してんだよね! ようやく私にもツキが回ってきたから!」
「ツキが回ってきた?」
「これだよ! これ! ショッピングモール! マジですごくない!? これのおかげで、もう他所の街へ行く必要がなくなったもん! それに収入も増えてがっぽり儲かるっしょ? 私の望んでいた貴族生活がついにきたって感じ!」
「なるほど」
私は最初、メアリーが嫌味を言っているのかと思った。
しかし、それは大きな間違いで、彼女は本気で私に感謝しているのだ。
謎の「マリアっち」呼びも友好の印なのだろう。
「でもさー……」
メアリーは周囲を見回したあと、声をひそめて耳打ちしてきた。
「エステルって嫌な女よね」
「そう?」
「さっきのマリアっちに対する態度も最悪だったし、私やライル様のことも馬鹿にしているもん。しかも、ここってライル様の都市じゃん? なのに『レオンハルト様ー、レオンハルト様ー』っていつもうるさいし」
メアリーはエステルのことが嫌いみたいだ。
おそらくライルも内心ではエステルを嫌っているのだろう。
「私は別に何とも思わないけどね。エステル様はレオンハルト様に夢中なだけだと思うわよ」
「マリアっちは心が広いなぁ!」
私は「ふっ」と笑った。
(申し訳ないけど、メアリーとは仲良くなれないわね)
私はメアリーのような女が嫌いだ。
とはいえ、無駄な争いをするつもりもない。
同格に見られたら恥ずかしいので、さっさと切り上げよう。
「私は市民に挨拶してくるから、また今度ゆっくり話しましょう」
「ほーい! マリアっち、いつでも遊びに来てねー!」
メアリーはリズミカルな足取りで去っていった。
「やれやれ」
ため息をつき、再び歩き出す。
しかし、すぐに「マリア!」と呼び止められた。
今度はライルだ。
「どうだ、マリア! すごいだろ!」
ライルは駆け足で近づいてきた。
「何がですか?」
「何がって、このショッピングモールに決まっているだろ!」
「たしかにすごいですが、ライル様は関与されていないのですよね?」
「関係ないさ! これでお前が市長だった頃より盛り上がるぞ!」
私は最初、ライルが嫌味を言っているのかと思った。
しかし、それは大きな間違いで、彼は純粋に自慢しているのだ。
誕生日プレゼントを見せびらかす子供のように。
「そうなるといいですね」
「そうなるに決まっている! なんといって王家と当家が共同で行う一大プロジェクトだからな!」
ライルの口から「プロジェクト」という言葉が聞けるとは思わなかった。
おそらくエステルの受け売りだろう。
「羨ましい限りです。ライル様のご成功をお祈り申し上げます」
ライルやメアリーと話していると、脳が劣化しそうな気がしてならない。
私は適当に話を打ち切った。
◇
それから1ヶ月が経過した。
ショッピングモールは無事にオープンを迎えて大盛況のようだ。
王国全土の富裕層が〈モルディアン〉に押しかけているらしい。
商業ギルドが発行する新聞では、連日にわたって特集が組まれていた。
その頃、私はというと――
「よーし、材料が揃った! あとはお肉を焼いていくだけよ!」
自宅でハンバーガーを作っていた。
ユニークスキルに頼ることなく現代の料理を再現しようという試みだ。
なお、そのための参考書は〈万能ショップ〉で買った。
(食材はそれなりに揃っているのよね、この世界って)
結果的に、〈万能ショップ〉で買った食材はトマトだけだった。
マヨネーズなど、普及していないものもあったが、材料自体は存在している。
そのため、製法がわかれば容易に作れた。
(トマトを普及させたら、料理の幅がグッと広がるわね)
トマトは優秀な食材だ。
そのままでも使えるが、なによりケチャップとして重宝する。
「おい、マリア、まだかよー! 早くしろよー!」
ダイニングで四歳児が食卓を叩いている。
〈ドーフェン〉の悪ガキことベンツだ。
「もうちょっと待っていなさい! 今から美味しいハンバーガーを作ってあげるから!」
「ハンバーガーって何だよー!」
「ベ、ベンツ、黙って待っていようよ」
文句を垂れるベンツに大人の対応をしたのはトーマスだ。
歳はベンツの一つ上だが、こちらは年齢以上の落ち着きがあった。
この2人は仲がよく、しばしば私の家にご飯を食べにきていた。
「トーマスは大人だなぁ! それに比べてベンツときたら……」
「うるせー! さっさとハンバーガーってのを食わせやがれ!」
私は「はいはい」と笑いながらパティを焼いていく。
調理器具は〈万能ショップ〉で買った現代的なものだ。
「マリアお姉ちゃん、近くで見てもいい?」
トーマスが目を輝かせている。
「いいけど、近づきすぎないでね! 火傷したら大変だから!」
「うん!」
トーマスは嬉しそうに寄ってきて、私の作業を眺める。
一方、ベンツは席に座ったまま頬杖をついていた。
「マリアってさー、結婚しねーの?」
「今のところ予定はないかなぁ」
「レオンハルト公爵ってどうなの? 母ちゃんが言ってたぞ、マリアとレオンハルト公爵はお似合いだって」
私は「あはは」と笑った。
「レオンハルト様は公爵で、私は小さな町の町長よ。釣り合わないでしょー」
ベンツは「ふーん」と流したあと、「じゃあさ!」と声を弾ませた。
「俺が大人になったら結婚してやるよ!」
トーマスが「えぇぇぇ!」と驚く。
「なにそれ、もしかして告白しているの?」
私はニヤニヤしながら振り返った。
「ち、ちげぇよ! 相手がいなくて可哀想だからもらってやるって言ってんだよ!」
ベンツが顔を真っ赤にして目を逸らす。
可愛らしい反応に、私はくすくすと笑った。
「気持ちは嬉しいけど、ベンツが大人になるのは14年後よ。14年後っていうと、私は32歳になっているわよ?」
「げぇ! うちの母ちゃんと同い年じゃん! ババアだ! ババア!」
「なんだと……!」
「やっぱりやーめた! マリアとは結婚してやらねー!」
「くぅ! 憎たらしいガキめ!」
私は鉄板の上のパティをひっくり返した。
「マリア、町長として頑張るのもいいけど、ちゃんと結婚しろよ」
「結婚をするなら、まずは恋愛をしないとね」
パティの焼け具合を確認しながら答える。
(そういえば、最後に恋愛をしたのっていつだったっけ……)
少なくとも、現世では恋心を抱いた記憶がない。
前世まで遡っても、晩年は仕事に夢中で恋愛とは縁がなかった。
(すっかり忘れちゃったな、恋愛の仕方)
そう考えると、レオンハルトにぞっこんのエステルが羨ましく思えた。
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