035 レオンハルト
公爵領に導入された新聞は、たちまち大人気になった。
手軽に情報を得られる点が皆に喜ばれたのだ。
また、新聞事業を始める者が後を絶たなかった。
レオンハルトが都市の至る所に〈複製工房〉を設置したからだ。
複製工房とは、有料でコピー機を使える店のこと。
現代のコインランドリーのように、コピー機がずらりと並んでいる。
利用料は1枚につき1ルクスという激安価格だ。
私のコピー機は、一度設置すれば維持費が発生しない。
オプションの効果で紙とインクがが補充不要になっているからだ。
電力が無限化されているため電気代もかからない。
レオンハルトの複製工房は、この点に着目した事業だ。
そうして作られた新聞は、1枚5~10ルクス程度で販売されていた。
この世界における新聞の楽しみ方は、現代日本とは異なっている。
片面のみ印刷された1枚のA2用紙を「新聞」と呼んでいるからだ。
つまり、現代に比べて圧倒的に情報量が少ない。
そこで、皆は複数の新聞を組み合わせていた。
いろいろな新聞を束ねて自分好みに仕立てるというものだ。
ここから派生して、複数の新聞を束ねて売る業者も現れた。
政府や商業ギルドの発行するお堅い記事が掲載された新聞を束の先頭に据え、後半にはマイナーな新聞を組み合わせる。
現代日本の新聞に近い媒体だ。
この世界では「雑誌」と呼ばれていた。
「複製工房のおかげで領民の幸福度は向上し、領地の収入も大きく伸びた。そして、領地の収入が伸びたことで減税を実施でき、領民の幸福度がさらに向上した。この好循環は我が人生でも最大の名案だと思うのだが、君はどう思う?」
〈ルインバーグ〉の執務室で、レオンハルトが私に尋ねてきた。
リクライニングチェアに深く腰掛けて、いつになく饒舌である。
複製工房の成功がよほど嬉しかったようだ。
この場に私しかいないことも、気分よく話せる要因だろう。
「率直に申し上げて――」
私は神妙な面持ちを浮かべつつ、あえて溜めを作った。
そして、レオンハルトが不安げな表情を浮かべた瞬間に微笑んだ。
「――素晴らしい案だと思いました!」
実際、複製工房の話を聞いたときは驚いた。
私は競争を促していたが、それは貴族間での話にすぎない。
平民でも気軽に新聞を発行できるようにするとは思わなかった。
というのも、この世界の貴族は平民との差別化を強く望んでいる。
『貴族は民の模範たれ』の精神により、貴族に適用される法律が厳しいからだ。
厳しい法律を守る分、優遇されなければ割に合わないと考えていた。
その気持ちには理解の余地がある。
私が香水を貴族にしか提供していないのも、そういう理由からだ。
だからこそ、レオンハルトの複製工房は異例の提案だった。
「この案を閃いたのはマリアのおかげなんだ」
レオンハルトが嬉しそうに笑う。
「私のおかげ?」
「新聞を販売して間もない頃、『マリアならもっと発展させられるのではないか』と思ったんだ。そして、君ならどうするかを俺なりに考えたとき、複製工房の案を閃いた」
「なるほど」
「君は他の貴族と違って、『貴族は大変なのだから優遇されて当然』とは考えていない。だから、俺も貴族だとか平民だとかは考えず、純粋に皆が喜ぶにはどうすればいいかを考えてみたんだ。もちろん皆のなかには俺も含まれている」
「その答えが複製工房だったわけですか」
「君からすればレベルの低い案かもしれないけどな」
私は「いやいや」と笑顔で首を振った。
「レオンハルト様ともあろうお方が卑下なさらないでください。複製工房は私から見てもレベルの高い案ですし、私がレオンハルト様のお立場なら閃かなかったと思います」
これは偽りのない発言だ。
私の立場からであれば、複製工房の案は瞬時に閃くだろう。
しかし、レオンハルトの立場では難しい。
私とレオンハルトの最大の違いは地位だ。
私は一介の町長にすぎないため、町民のことだけを考えればいい。
極論を言えば、〈ドーフェン〉の皆が喜べばそれでいいわけだ。
一方、彼は公爵なので、そういうわけにもいかない。
〈ルインバーグ〉の市民だけではなく、公爵領全域に配慮する必要がある。
複製工房は平民に喜ばれても、他の貴族からは反感を買うだろう。
(間違いない――)
私はレオンハルトを見ながら思う。
(――レオンハルト様は成長している)
彼は23歳。
まだまだ伸びしろのある年齢だ。
これからどう成長していくのか楽しみである。
「話は変わるのだが、〈モルディアン〉にショッピングモールという巨大な商業施設が建造されたことは知っているか?」
レオンハルトが尋ねてきた。
「はい、新聞で読みました」
エステルがレオンハルトを射止めるために始めた領地改革のことだ。
好きな相手のために努力するという行為自体は応援したくなる。
しかし、よりによって〈モルディアン〉はないだろう、と思った。
〈モルディアン〉は私の生まれ故郷だ。
そこで派手な失敗をすることは絶対に許されない。
……が、新聞を読む限り成功するとは思えなかった。
全階層を富裕層特化の高級志向にするからだ。
地球では定石だが、この世界ではリスクが高い。
せめてモールの一階部分は庶民向けにしたいところだ。
今のままだと、いずれ市民の反発が起きるだろう。
歓迎されるのは最初だけで、すぐに不満が続出するはずだ。
それは幸福度の低下に直結する。
商業的に上手くいっても、幸福度が下がれば評価されない。
そして、ひとたび幸福度が下がると、他の貴族が寄りつかなくなる。
不満の矛先が自分に向くことを避けたいからだ。
長い目で見ると、商業的にも失敗する可能性が高い。
「そのショッピングモールで、数日後にプレオープンが行われるそうだ。国王陛下と大貴族だけが招待されている」
「プレオープンですか。いいですね」
この世界では珍しいことだ。
債券といい、エステルは勉強をよく頑張ったのだろう。
彼女のレオンハルトに対する想いの強さを感じられた。
「マリア、このプレオープンに同伴してもらえないか?」
「え?」
「他の大貴族は伴侶を同伴させる。陛下は王妃様がお亡くなりになっているため、第三王女……すなわちエステル様の御母君が同伴者になる。しかし、俺にはそういった相手がいない」
「ですが……」
私はエステルの気持ちを知っている。
だから、レオンハルトのお誘いを承諾できなかった。
「エステル様も君の同伴を希望しているんだ」
「え? エステル様が?」
「俺に気遣ってくれたのだろう。このような場では同伴者は必須だ。とはいえ、適当な人間を選ぶわけにもいかない。だから、誰もが知るこの国の功労者の君を指定したのだろう。向こうの希望であれば、周りに誤解を与えずに済む」
「なるほど」
そういうことか、と納得した。
たしかに、今の言い分では私以上の適役はいない。
エステルが私を指名したことにも合点がいった。
「そういう事情であれば、喜んで同伴いたします。私もショッピングモールには興味がありましたので!」
「ありがとう。今から〈ドーフェン〉に戻るとスケジュール的に厳しいと思うから、しばらくこの城で過ごすといい。部屋を用意させる」
「わかりました」
私は一礼し、「それでは」と部屋の外に向かう。
「待ってくれ」
そんな私をレオンハルトが呼び止めた。
「どうかしましたか?」
私が振り返ると、レオンハルトは立ち上がった。
真剣な表情で近づいてきて、私の両肩に手を置く。
「もしよければ、今回だけではなく、今後もずっとそばにいてくれないか?」
「え?」
「君が恋愛結婚を望んでいることは知っている。だから、まずは恋人として絆を深めさせてほしい」
「レオンハルト様、それって……」
レオンハルトは「ああ」と頷くと、私の目を見つめながら言った。
「マリア、俺は君のことが好きだ。恋人になってほしい」
まさかの告白に、私は頭が真っ白になった。
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