032 視察
その日、〈ドーフェン〉は慌ただしくしていた。
行商人が来る日でも卸売日でもないのに、皆が町の外で待機している。
先頭に立っている私も緊張した面持ちだった。
「来ましたよ! マリア様!」
誰かが叫んだ。
その言葉どおり、遠くから一台の馬車が近づいてくる。
非常に豪華な馬車で、随行する騎士団からも貫禄が感じられた。
公爵領の人間であれば、それだけで誰だかわかる。
レオンハルトだ。
私が町長に就任して以降、これが初めての来訪だった。
レオンハルトの目的は視察だ。
公務の一環で、彼はすべての自治体に顔を出していた。
「ん?」
私たちが首を傾げる。
レオンハルトの馬車が少し離れたところで停まったからだ。
「なんだ?」
「馬車の故障か?」
町民たちがざわつく。
その間にも、御者が御者台から下りて客室の扉を開けている。
レオンハルトが降りてきた。
「レオンハルト様、どうかなされたのですか?」
私はレオンハルトに駆け寄った。
あらかじめ用意していた挨拶の言葉は省略する。
町民たちも恐る恐る距離を詰めてきた。
「いや、〈ドーフェン〉の遠景を眺めたいと思ってな。少し早いが停めてもらった」
レオンハルトは微笑むと、視線を〈ドーフェン〉に向けた。
「驚いたな。町並みががらりと変わっている。まだ半年も経っていないのに、ここまでの変貌を遂げるとはな」
「すべての建物をレンガ造りに建て替えたので、驚かれるのも無理はありません。ただ、建築物以外は大して変わっていないのが現状です。地面も舗装していないままですから」
私はレオンハルトの隣に立ち、一緒に〈ドーフェン〉を眺めた。
「町並みや町民たちの顔を見ても、細かく視察する必要がないことは明らかだ。しかし、せっかくやってきたのだから、今日はこの町に滞在させてもらおう」
「滞在ですか!?」
私は驚いた。
視察は聞いていたが、滞在するとは聞いていなかったのだ。
「問題でも?」と余裕げな笑みを浮かべるレオンハルト。
「いえ! ただ、この町には迎賓館がありませんので……。大至急、〈万能ショップ〉で空いているスペースに――」
「そんなものは不要だ。俺や騎士たちは宿屋に泊まらせてもらうよ。宿屋なら存在するだろ?」
「たしかにございますが……田舎町ですので、都市部にあるような高級な宿はございません……」
「かまわないさ。個室にベッドがあればそれでいい」
レオンハルトは町民に目を向けると、軽く一礼した。
「お出迎えありがとう。今日はよろしく頼む」
町民たちが歓声を上げた。
◇
レオンハルトは馬車や騎士に休憩を命じた。
視察は自分だけで行うと言い、馬屋で借りた馬で町を見て回る。
それはいいのだが――
「すみません……馬術を身につけていなくて……」
――問題は私がレオンハルトの馬に乗っていることだ。
彼の後ろに座り、落ちないように抱きついている。
「気にするな。それがわかっていて馬を選んだ。意地悪をしたくてな」
レオンハルトが愉快げに笑っている。
〈ルインバーグ〉では見たことのない表情だ。
心から楽しそうにしていた。
(都市部から離れていることでリフレッシュされているのね)
私は密かに笑った。
前世でそれなりの経営者だったため、その気持ちが理解できた。
「このレンガ造りの家は中もすごいと聞いている」
レオンハルトがぽつりと呟いた。
何について「すごい」と評しているのかは不明だ。
それでも、私は断言できた。
「絶対に驚きますよ!」
「では、中の様子も確認してみよう」
レオンハルトは役場の前で馬を止めた。
静かに下りると、私に手を差し伸べてきた。
「ありがとうございます……!」
レオンハルトの手を取って馬から下りる。
「レオンハルト様、カッコイイ……!」
「マリア様とレオンハルト様、よくお似合いだわ!」
町の女性たちがきゃーきゃー騒いでいる。
それが恥ずかしくて、私の顔は赤く染まった。
◇
役場の町長室にレオンハルトを案内した。
私が普段座っているリクライニングチェアに彼を座らせて、私自身はソファに腰を下ろす。
「それにしても本当にすごいな、〈エアコン〉というものは! 夏の暑さが消えて快適になったぞ!」
「この暑い〈ドーフェン〉の夏を乗り切るには必須です!」
レオンハルトはしきりにエアコンを褒めていた。
役場ではなく民家に入っていたら、浴室にも驚いていただろう。
浴室を備えた家が標準化されているのは〈ドーフェン〉だけだからだ。
「俺が公爵じゃなければ移住していたのだがな」
レオンハルトが「実に残念だよ」と笑う。
それから、「そういえば……」と尋ねてきた。
「前に円卓会議で話した移住者の件はどうなった? あの条件でも移住を希望する者はいるのか?」
「若干おります。条件が非常に厳しいので、40世帯ほどですが……」
「あの条件で40世帯もいるのか!?」
驚くレオンハルトに対して、私は「びっくりですよね」と笑った。
実際、これほど移住希望者が現れるとは思っていなかった。
それだけ移住の受け入れ条件が厳しいからだ。
――――――――――――――――――――
①〈万能ショップ〉で買った家に住まなくてはならない。
②家の代金を移住者の自己負担とする。
③無税を認めず、公爵領の平均的な税率で徴税する。
④行商人補助金の利用を認めない。
――――――――――――――――――――
この条件のうち、厳しいのが①と②だ。
移住する際に必ずレンガ造りの家を買う必要がある。
家の代金はオプション込みで4万ルクスだ。
明示していないが、オプションは必須である。
2万ルクスで本体のみ買うという選択肢は認められない。
問題は4万ルクスという額だ。
これは都市部の人間ですら容易に払えるものではない。
家財をすべて売り払い、貯金を投げ出せば辛うじて足りるだろう。
そこまでして移住すると、今度は③と④がのしかかる。
④によって楽な金策が使えないため、労働収入に頼らざるを得ない。
しかし、田舎町なので賃金が低い。
高給取りと言われている農家ですら、都市部では平均的な稼ぎになる。
そのうえ、③によって都市部と同等の税率が課されるときた。
結果、移住後は生活費を稼ぐだけで精一杯だ。
ちょっとした贅沢をする余裕すらないだろう。
「どういう人間が移住してくるんだ?」
「主に他領の富裕層ですね」
「他領だと? 領外に移住するには1万ルクスを支払う必要がある。それを含めると最低でも5万ルクスはかかるぞ。荷物を運ぶために馬車を手配すれば、さらに追加費用が発生する」
「それでも移住したいようです。高齢者の方が多くて、余生を〈ドーフェン〉で送りたいと……」
ここで言う高齢者とは、45歳以上の人間を指している。
「なるほど。すると家財は可能な限り処分して、貯金を切り崩しながら生活しているのか」
「そのようです」
レオンハルトは「すごいな」と感嘆した。
「ご希望であれば、移住者の方をご紹介いたしますが……」
「いや、問題ない」
レオンハルトはそこで言葉を区切った。
「それより、マリア、一つ相談させてもらってもかまわないか?」
評価(下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。














