024 エステル:不死の賢者
マリアに対抗心を燃やすエステルだが、さっそく問題が起きた。
何をすればいいのかわからなかったのだ。
そこで、ある人物を頼ることにした。
エステルは王都の片隅にある住宅街にやってきた。
きらびやかな王族専用の馬車から降り立った彼女に、誰もが目を向ける。
「道を尋ねてもよろしくて?」
エステルは通りがかりの住民に声をかけた。
相手は30代の女性で、長い髪からシャンプーの香りがする。
「は、はい!」
女性は緊張の面持ちで答えた。
エステルのことを知らなかったが、その地位の高さは一目でわかる。
王族専用の馬車に乗っていて、しかも真紅のドレスをまとっているからだ。
また、後ろに控えている二人の衛兵も、彼女の特別感を演出していた。
「この辺りにベンゼルという男が住んでいるはずですが――」
「ああ、ベンゼル先生ですか!」
女性はエステルの言葉を遮り、声を弾ませた。
エステルは眉をひそめたが、それは一瞬のことだった。
相手に悪意がないため、「平民だから仕方ないか」と思ったのだ。
「ベンゼル先生なら、この道をまっすぐ進んで、二つ目の角を曲がった先の広場にいると思います!」
「わかりました。感謝します――この方にお礼を」
エステルが命じると、衛兵の一人が「はっ」と駆け寄った。
財布から小銀貨を1枚取り出して女性に渡す。
「え? 100ルクスもいただけるのですか? 私はただ道を教えただけ――」
女性が話しながら顔を上げると、そこにエステルはいなかった。
エステルは無駄なやり取りを嫌い、先ほど教わった道を進んでいたのだ。
◇
広場にはたくさんの子供がいた。
石畳の上であぐらをかいて、半円状に並んでいる。
中心には長い白髭が特徴的な老人がいた。
顔から足まですべてが皺だらけで、若い頃の姿が想像できない。
切り株の上に座り、両手で木の杖を握りながら話している。
一目見て、エステルはこの老人がベンゼルだとわかった。
「こういう計算方法を〈掛け算〉といって――」
「あなたがベンゼル・グラハムベルですね?」
エステルは話に割り込んだ。
「いかにも」
ベンゼルは落ち着いた様子で答えた。
座ったままエステルの目を見つめている。
「私は国王ガブリエルの孫娘、エステル・ヴァレンティンと申します。あなたに相談したいことがあってまいりました」
「ご足労いただいて申し訳ありませんが、貴族の相談は受けないことにしております。どうかお引き取りください」
「いえ、どうしてもあなたの力が必要なのです。『賢者』と呼ばれるあなたの力が」
「ふむ」
ベンゼルは何秒か黙考してから答えた。
「では、少々お待ちください。今は子供たちに算数を教えておりますので、お話はそのあとに伺いましょう」
「え……?」
エステルは驚いた。
(この私に待てと言っているの?)
子供たちも同様に驚いていた。
「もう一度言うが、こういう計算方法を〈掛け算〉といって――」
ベンゼルは何事もないように算数の授業を再開した。
◇
ベンゼルの授業は30分に及んだ。
その間、エステルは二人の衛兵と立ったまま待っていた。
「以上じゃ。家に帰ったらちゃんと掛け算の復習をするのじゃぞ」
「「「はーい!」」」
子供たちは嬉しそうに声を弾ませると、方々に散っていった。
「お待たせしました。それではお話を伺いましょう。どうぞこちらへ」
ベンゼルは重い腰を上げると、すぐそばにある自宅へ入った。
石造りの小さな家だ。
「あなたたちは待機していなさい」
エステルは扉の前で衛兵に命じると、一人で中に入った。
(これが……賢者の家……)
内装はこの上なく質素で、必要最低限のものしかなかった。
「何もない家で申し訳ございません。お水であればお出しできますが」
「いえ、結構です」
「そうですか」
二人は木の椅子に腰を下ろした。
それは脚の長い椅子で、もともとは壁に向かって並べられていた。
座る際にベンゼルが向きを調整して、向かい合わせにした。
「本題へ入る前に、質問してもよろしいですか?」
エステルが切り出すと、ベンゼルは「どうぞ」と答えた。
「ベンゼル殿はどうしてこのような暮らしをされているのですか?」
「このような暮らしとは?」
「あなたはこの国で唯一、平民なのにファミリーネームを持つことが許された偉大な人物です。それなのに、その辺の平民よりも質素な生活をしていることが理解できません」
ファミリーネームは現代における苗字だ。
マリアならホーネット、ライルならブリッツが該当する。
この世界では、貴族にしか与えられていないものだ。
「別に深い理由はありません。ただ贅沢な暮らしに飽きただけです」
「飽きた?」
「はい。わしも一人の人間ですから、若い頃は今とまったく違っていました。国王に仕えて、華やかな貴族生活を謳歌したものです。ときには作家を気取っておとぎ話を書いたこともありました。ですが、何事にも飽きが訪れます。あなたも250歳まで生きれば同じ気持ちになりますよ」
「250歳!?」
エステルは驚いた。
王国の平均寿命は45歳と短く、60歳ですら「長寿」と呼ばれるのだ。
250歳は異常だった。
「おや、ご存じありませんでしたか。わしは〈不死〉の能力を持っております。今風の言い方をすれば『ユニークスキル』ですな」
「なんと……!」
「もっとも、わしのユニークスキルはいかなる傷も即座に修復して、生命を維持するだけというもの。巷で話題になっている〈万能ショップ〉のように便利なものではありません。死にたくても死ねないので、人によっては苦痛とすら感じるでしょう」
「知りませんでした。ベンゼル殿について私が知っているのは、〈魔法〉が登場するおとぎ話を書き、その功績でファミリーネームを授かったということだけです」
ベンゼルは「はっはっは」と笑った。
「それは間違った情報ですな」
「え?」
「たしかに魔法が登場するおとぎ話を書いたのはわしです。しかし、今でもファミリーネームを名乗ることが許されている理由は異なります」
「そうなんですか?」
「わしは長らく王の右腕として仕えておりましたが、100歳で引退することにしました。その際に、当時の国王陛下より引退後も名乗ることが許可されました」
「なるほど」
「わしのことはもういいでしょう。老人は長話が好きな生き物ゆえ、自分のことになると無限に喋ってしまいます。調子に乗ってお喋りが止まらなくなる前に、本題に入るとしましょう」
ベンゼルが言うと、エステルは「わかりました」と頷いた。
「ベンゼル殿はレオンハルト・ノーブル様のことはご存じですか?」
「はい、今の公爵様ですな。これでも世俗には敏感なほうなので、他の大貴族についても把握しております」
「であれば、話が早いです。私はレオンハルト様に恋心を抱いています。しかし――」
エステルは王城での件を話した。
レオンハルトから言われたことを一言一句、丁寧に伝える。
「――ということで、私はマリアよりも知性があると証明したいのです。しかし、その方法がわかりません。どうすればいいか教えていただけませんか?」
「事情はよくわかりました」
ベンゼルは、そこで言葉を区切った。
そして、険しい顔で断言する。
「マリアより知性があると証明する方法はありません。あなたとマリアにはそれだけの差があるからです」
「なんですって!?」
エステルは思わず立ち上がった。
怒気を含んだ目でベンゼルを睨む。
「レオンハルト公爵が申していたとおり、あなたに知性がないと言っているわけではありません。ただ、相手が悪い。あなただけではなく、この世界の人間では誰もマリアにかないません」
「どうしてそう断言できるのですか? どれだけマリアがすごいといってもただの18歳ですよ。限界はあるはずです」
「いえ、彼女はただの18歳ではありません」
「え?」
「突拍子もない話なので理解できないと思いますが――」
そう前置きしてから、ベンゼルは言った。
「――マリアには前世の記憶があります。それも、こことは違う世界の記憶です」
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