023 エステル:王の孫娘
その日、王都〈ノヴァリス〉の謁見の間では、大評定が開かれていた。
国王と大貴族が行う評定のことで、月に一度開かれている。
「レオンハルト、そなたの領は目覚ましい発展を遂げているな。先代も優秀であったが、そなたはそれ以上じゃのう。まだ23歳なのに立派なものだ」
ガブリエル国王が言うと、レオンハルトは頭を下げた。
「恐れ入ります。ですが、我が領の発展につきましては、私よりもマリアの功績が大きいです」
この言葉に、ローランド伯爵が舌打ちする。
「そういえば、マリアから何か伝言はないのか?」
国王が尋ねると、ローランドが「陛下!」と声を上げた。
「マリアの才は誰もが評価するところですが、それでも彼女は小さな町の町長にすぎません。そのような者の意見を気にする必要はないかと……」
「別に意見を聞くくらいはかまわぬだろう」
国王はローランドの言葉に耳を貸さなかった。
(そんなことを言いながら、いつもマリアの意見に従っているではないか)
不満に思うものの、ローランドは何も言わなかった。
その代わりに、ため息をつくことで不満の意を表明する。
「マリアからは財政政策に関する進言がございました」
「財政政策に関する進言?」
「彼女の〈万能ショップ〉によって消えたルクスを補うための造幣が進められているわけですが、現状では造幣したルクスの適切な供給方法が決まっておりません」
国王が「そうじゃな」と頷いた。
(そもそもルクスが消えたからといって何だというのだ……?)
ローランドは、話についていけなかった。
彼は聡明な伯爵ではあるが、経済学に精通しているわけではない。
インフレやデフレの仕組みを把握していなかった。
これは他の大貴族も同じだ。
国王やレオンハルトも、最近までは同様だった。
「そこで、マリアから二つの提案がございました。一つは王国全土における上下水道の維持管理費に充てるというもので、もう一つは家を建て替えるという案です」
「家の建て替えじゃと?」
「田舎では未だに藁葺き屋根の木造住宅が主流ですので、都市部と同じ石造りに建て替えることで格差を是正してはどうか……とのことです」
「なるほど。どちらも民のことを考えた名案じゃ。さすがはマリアだ。よし、それらの案を採用しよう。実施は来月からでかまわないな?」
「我が領は問題ございません」
レオンハルトが言うと、他の大貴族も続いた。
「当家も問題ございません」
そう言いつつ、ローランドは再びため息をついた。
(マリア……なんて厄介な女なんだ。こんな提案をされたら異を唱えられんではないか)
ローランドがマリアを「厄介」と評する理由は、彼女の案に私利私欲が一切含まれていないからだ。
それどころか、マリアの案は公爵領に不利なものだった。
公爵領の水道の維持管理費が軒並み低く、立て替え対象になる家の数も少ないのだ。
「今回の大評定はこれにて終了とする。皆の者、ご苦労であった」
国王が宣言して、大貴族たちが謁見の間を後にした。
◇
レオンハルトが王城の外に向かっていると――
「お待ちください、レオンハルト様!」
一人の女性が背後から声を掛けた。
長い銀髪と真紅のドレスが特徴的な美人だ。
マリアと同じ18歳の彼女の名はエステル。
国王の孫娘だ。
「これは……エステル様」
レオンハルトの眉がぴくりと動いた。
(やれやれ、見つかってしまったか)
レオンハルトはエステルを避けていた。
個人的には好きでも嫌いでもない相手だ。
しかし――
「私は18歳になりました。もう立派な大人です。レオンハルト様、私と結婚してください!」
――エステルはレオンハルトのことが大好きだった。
何年もの間、諦めることなくレオンハルトにアタックしているのだ。
「エステル様、申し訳ございませんが……」
「どうしてダメなのですか? 私の何がご不満なのですか? 地位も権力も……容姿だって誰にも負けておりませんわ! そして、レオンハルト様はそんな私にもっとも相応しい相手なのです!」
エステルがレオンハルトに抱きつく。
周囲には使用人や官吏がいるが、まったく気にしていない。
「たしかにエステル様は誰よりも魅力的な女性です。しかし、私が求める条件には合致していないのです」
レオンハルトは、苦笑しながらも優しく引き離した。
「レオンハルト様が求める条件……? それは何ですか?」
エステルが真剣な目でレオンハルトを見つめる。
「知性です」
「知性……?」
「誤解されないように付け加えますと、決してエステル様に知性がないとは申しておりません。それでも、明らかに私よりは劣っています」
「当然ではございませんか! レオンハルト様より知性のある女性など、この世に存在しません!」
この世界では、「女は男に劣るもの」という考え方が一般的だ。
制度面では平等だが、能力的な評価では男尊女卑の色合いが強い。
「いえ、一人だけおります」
「一人? それって、まさか……」
レオンハルトは頷き、ある女性の名を口にした。
「マリア・ホーネットです」
「やはり……! マリアの力は私も存じています。しかし、私は彼女に知性があるとは思いません。レオンハルト様はおろか、私にさえ敵いませんわ」
レオンハルトは「ほう?」と笑みを浮かべた。
「どうしてそのように考えられるのですか?」
「だって、マリアはユニークスキルを全然使わないではありませんか。あれだけの力があって、知性も備えているのであれば、もっと積極的に使うべきです。それをしないのだから、力はあっても知性はありません。馬鹿なのです」
「仮にエステル様が〈万能ショップ〉を使えるとしたら、もっと積極的に使っているわけですね?」
「当然ですわ」
エステルが断言すると、レオンハルトは「ふっ」と笑った。
「以前であれば、私も同じように考えていたでしょう。しかし、その考えは間違っています」
「間違っているですって?」
「はい。マリアのユニークスキルは強力ですが、ルクスを消費するという欠点がございます。そして、その欠点を自覚せずに使い続けると、かえって経済に大打撃を与えてしまうのです」
「え……? どうしてですか?」
「究極のデフレが到来する……と言っても、『デフレ』が何かわからないでしょう。私もマリアに教わるまで知りませんでした。そして、口頭で簡単に説明されただけでは理解できなかったのです」
「デフレ……」
レオンハルトの言うとおり、エステルはデフレを知らなかった。
「マリアと同等とは申しません。彼女を上回ることなど誰にも不可能だからです。ただし、私よりは賢くあってほしい。それが私の結婚相手に求める唯一の条件になります」
レオンハルトは話を切り上げて「失礼します」と足早に去って行く。
「マリア・ホーネット……」
レオンハルトの背中を見つめながら、エステルは呟いた。
(お爺様や他の大貴族も高く評価しているから、ユニークスキルを差し引いてもマリアが優秀であることは間違いない。でも、所詮は私と同じ18歳でしょ。貴族といっても小さな町の町長なんだし、レオンハルト様は大げさなのよ)
エステルは、マリアのことを何も知らなかった。
シャンプーやボディソープが手に入るまで名前すら知らなかったほどだ。
当然ながら〈ドーフェン〉の町長になった経緯など知らない。
もっと言えば、ライルと婚約していたことも知らなかった。
この王国で誰よりもマリアのことを知らない人物と言えるだろう。
にもかかわらず、エステルはマリアに強い嫉妬心を抱いた。
自分と同い年ということが、ことさらに彼女を苛立たせた。
(レオンハルト様は私のことを過小評価しているわ。私が他の女に負けるなんてあり得ない。ユニークスキルがないから貢献度では劣っても、純粋な知性なら絶対に私のほうがマリアより上よ! 証明してやるんだから!)
エステルは頬を膨らませながら王城を後にした。
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