022 真意
ディナーが終盤に差し掛かっても、ローランドのおべっかは続いた。
私が何かを話すたびに「すごい」や「さすが」を連発するのだ。
いい加減にうんざりしてきたので、私はICレコーダーの音声を聞かせた。
『マリア、本当にすまなかった。君は不貞行為などしていない。すべては俺とメアリーが企てたことだ。申し訳なかった』
録音されたライルの声が流れた瞬間、ローランドの顔が真っ青になった。
「こ、これは、その、違うのです!」
「ご安心ください、ローランド様。ライル様にも申し上げましたが、私はこの件を蒸し返すつもりはございません」
「ありがとうございます、マリア殿……いや、マリア様! 付け加えさせていただきますと、ライルの不始末につきまして、誓って私は関与しておりません! 本当でございます! そもそも、私は存じておりませんでした! 特別名誉勲章の授与式が行われる予定だったあの日に、謁見の間で初めて知ったのです!」
ローランドが目に涙を浮かべて訴える。
「それもわかっております。もしもローランド様がこの件を事前に知っていれば、間違いなく阻止していたに違いありませんから」
私はローランドがどういう男かをよく知っている。
この男は典型的な貴族で、権力に対する執着が非常に強い。
そのためなら野良犬にすら迷わず土下座できる男だ。
そんなローランドにとって、私はなによりも貴重な駒だった。
特別名誉勲章の授与が決まったとき、私よりも喜んでいたはずだ。
実際、彼は自分の息子よりも私のことを周囲に自慢していた。
上下水道を整備したマリアは息子の婚約相手だ、と。
もっとも、それゆえにライルが嫉妬を拗らせてしまったわけだが。
「おっしゃるとおり! おっしゃるとおりでございます!」
「ですから、お気になさらないでください。私がICレコーダーをお見せしたのは、必要以上の気遣いをしていただきたくないからです」
「必要以上の気遣いといいますと……?」
「ローランド様が私に対してどう接しようと、私のブリッツ家に対する対応に変わりはありません。いい意味でも悪い意味でも特別扱いは一切しません。他の貴族と同じように接します。ですから、ローランド様には過度な期待をしないでいただきたいのです」
「なるほど、そういうことですか」
聡明なローランドは、あっさり理解してくれた。
そして――
「では、食事も済んだことですので失礼いたします。マリア殿、良い夜をお過ごしください」
私の望んだとおり、さっさと去ってくれた。
引き際を理解している賢い男だ。
「…………」
私は何も言わずにライルを見つめる。
「な、なぁ、マリア、緑茶のおかわりをもらってもいいか……? あと、できればコーラを飲んでみたいのだが、買ってもらうことは可能だろうか?」
ライルが上目遣いで私を見る。
「いいですよ」
私はため息をつきながら彼の要望に応じた。
「すごい! これがコーラか! 本当にしゅわしゅわしているぞ!」
ライルはコーラを飲んで感激している。
どこで情報を仕入れたのか、わざわざ立って飲んでいた。
左手を腰に当てることも忘れていない。
(どうしてこの男は、ローランド様のようには育たなかったのだろう)
優秀な親から生まれる子供が、必ずしも優秀とは限らない。
しかし、一緒に過ごしていれば少なからず影響を受けるものだ。
ローランドは、ライルの教育に熱心だった。
優秀な後継者に育てるため、可能な限りの手を打っていた。
私の亡き父も高く評価していたし、私も同様の感想を抱いていた。
(謎だわ……)
どれだけ考えても理解できなかった。
◇
食事が終わると、私はメアリーを呼び出した。
二人で空いている客室に移動し、彼女を椅子に座らせる。
私はその向かいに腰を下ろした。
「あの、マリア……様……」
最初に切り出したのはメアリーだ。
何がそんなに怖いのか、完全に怯えきっている。
「こ、これまでの非礼をお許しください」
メアリーが土下座する。
「かまわないわ、過去のことだもの。それより椅子に座ってちょうだい。土下座なんてあなたらしくないわ。どうしたの? 前に会ったときはもっと威勢がよかったじゃない」
私は淡々とした口調で返した。
メアリーは言われたとおり椅子に座り直す。
不安げな顔でドレスの裾を握っている。
「だって、マリア様は伯爵様すらへつらうほどの方ですし、馬鹿な私にもすごいってわかるから。そうとも知らずに失礼なことをしちゃって、マジでやばいっていうか……」
私は思わず吹き出した。
「安心して、メアリー。あなたは自分で思うほど馬鹿じゃないわ。本当の馬鹿は、自分が馬鹿だという自覚すらないものだから」
もちろんライルのことだ。
「それよりも、〈モルディアン〉の生活はどう? 思ったよりも貧しくて落胆したんじゃない?」
「やっぱり、そういうこともわかっちゃうんだ……」
「だって前の市長は私だったからね。市の財政状況は察しがつくわ。ライル様がここの市長になるとわかったとき、もっと豪遊できると思ったんじゃない? アトリエじゃなくて仕立屋でオーダーメイドのドレスを作れるんじゃないかって」
「そう! そうなの!」
メアリーは声を弾ませたあと、慌てて両手を口に当てた。
「そんなに気にしなくていいわよ。私がマナーを気にする人間なら、『マジでやばい』って言った時点で怒っているから。私自身、貴族らしい話し方が苦手なタイプだから、話しやすいように話してちょうだい」
「ありがとう! 私、ライルよりマリアと結婚したかったよ!」
いきなり敬称を略すメアリー。
(やっぱり『ギャル』ね)
私は笑みを浮かべた。
「残念ながら同性婚は認められていないわ。それに、今のあなたはもうライル様の婚約者よ。ライルが様そう宣言したし、あなたもアトリエでそれっぽいことを言ったでしょ?」
「あ、そっか! マリアのおかげで、私はもう貴族夫人なんだ!」
「そういうこと。だからね――」
私は笑顔のまま、本当に言いたかったことを言う。
「――もう悪さはできないわよ」
「え……?」
「知っていると思うけど、貴族に適用される法律は平民とは違う。平民なら罪に問われないことでも厳罰に処される。それが権力の代償なの。そして、ライル様と婚約したことで、あなたは貴族になった」
「それじゃあ、もう値切り交渉はできないの? 私、値切るのが得意なんだけど……」
「値切り交渉に罰則は設けられていないから大丈夫だけど、ルーガーさん……あなたが『カス』って呼んだアトリエの店主にしたような色仕掛けは禁止されているわ。もちろん、相手をカス扱いすることも禁止だからね」
「えええええええええ!」
「他にも平民とは勝手の異なる部分がたくさんあるわ。ちゃんと法律を確認しておかないと、予想だにしないことで処罰されるからね。例えば気に入らない店を潰す……なんてことはできないわ」
「そうなの!? じゃあ、私が手に入れたのって何!?」
「素敵な肩書きよ。今までのあなたは〈元娼婦〉の〈平民〉だった。でも、今はもう〈ライル様の婚約者〉で〈将来の伯爵夫人〉で〈貴族〉よ。それがあなたの求めていたものでしょ?」
「でもでも、貴族になったのに何もないじゃん! 権力もよくわからないし、お金だって全然ないじゃん! こんなに貧乏じゃあ、ドレスだってまともに買えないよ? お金がほしいときはどうすればいいの?」
「法に触れない範囲で働けばいいんじゃない?」
「ええええええ!」
「仕方ないわよね。〈モルディアン〉はそういう都市だから。ちなみに、娼館では働けないから気をつけてね。たとえ仕事であろうと、他の男と交わることは立派な不貞行為に該当する。キスもアウトだからね?」
「そんなぁ!」
メアリーがガクッと項垂れる。
「嘆いているけれど、すべてあなたの望みどおりでしょ?」
私は立ち上がると、メアリーとの距離を詰めた。
「そうだけど……こんなの思っていたものと違いすぎる……」
「それでも、これがあなたの望んだ結末でしょ?」
私が微笑むと、メアリーがはっとした。
「もしかして、マリアはすべてを見越して私とライルを婚約させたの?」
「当然でしょ」
私はメアリーの頭を撫でた。
「あなたはライル様よりマシだけれど、それでも自覚しているとおりの馬鹿よ。馬鹿は何をしでかすかわからない。そんな人間を平民のままにしておくと、常人には想像もできない暴走をする。だから、『貴族』という名の鎖であなたを縛ったの」
「じゃあ、マリアがライルを助けたのも、私がライルと婚約できたのも……」
「すべて私自身のためよ。私の快適な町長ライフに水を差されないようにしたかったから、ちょうどいい機会だったし対処しておくことにしたの」
「…………」
メアリーは放心状態になった。
「話は以上よ。ライル様と末永くお幸せにね」
私は部屋を後にした。
今回の一件で、過去の因縁とは決別できたと言っていいだろう。
ローランドはもとより、ライルやメアリーが反抗してくることもない。
(問題解決! これで〈ドーフェン〉の発展に注力できるわ!)
私はリズミカルな足取りで自分の部屋に入った。
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