021 悲しみのディナー
その日は〈モルディアン〉で過ごすことになった。
私が滞在を申し出たからだ。
とんぼ返りをするには時刻が遅かったし、なにより久しぶりの〈モルディアン〉を堪能したかった。
「マリア様! 俺のこと、覚えていますか!?」
「もちろん! ガノンドさんでしょ? ちゃんと浮気はやめたんでしょうね?」
「ぎくっ! マリア様にお叱りを受けてからは控えていますよ!」
「控えているだけ? もう40歳なんだし、いつまでも女遊びなんかしているとみっともないよ!」
「うっ……すみません……。でも、俺の女……アイリーンのほうが派手に遊んでいるんですよ! 俺は三股ですけど、あいつは四十五股ですよ!」
「四十五!? 私が市長の頃は三十七股だったはずだけど……」
とまぁ、こんな感じで市民たちとの会話を楽しんだ。
衛兵の警護などはつけず、一人で大通りを歩き回った。
久しぶりに訪れた〈モルディアン〉は何も変わっていなくて、まるで時間が止まってしまったかのようだった。
急速に発展している〈ドーフェン〉とは対照的だ。
(生まれ育った故郷が荒廃していなくて一安心ね)
前に集団食中毒の話を聞いたときは不安になったものだ。
その影響でいまだに観光客が少ないけれど、時間が経てば戻るだろう。
「みんな、これからも〈モルディアン〉をよろしくね! みんなが頑張らないと、〈ドーフェン〉が追い抜いちゃうからね! なんたって〈ドーフェン〉の町長はこの私なんだから!」
「任せてくれ! マリア様!」
「俺たちがライル様を支えて盛り上げてやるよ!」
日が暮れてきたので、私はライル邸に入った。
かつての自宅が今日の寝床だ。
◇
ライル邸に入って最初に迎えてくれたのは――
「お久しぶりでございます、マリア様!」
ライルの父・ローランドだった。
大げさなほどに深いお辞儀をしている。
「や、やめてください、ローランド様! それに様付けだなんて……。昔と同じように『マリア』とお呼びください。ローランド様は伯爵で、私は田舎町の町長なのですから……」
「それでは、間を取ってマリア殿とお呼びしてもよろしいでしょうか!?」
あくまでも下手に出るローランド。
一流の商人をも凌駕するほどの完璧な媚びの売り方だ。
その少し離れた位置では、ライルが苦々しい表情で眺めていた。
「わかりました、わかりましたから……! まさかローランド様がいらっしゃるとは知りませんでした。ご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「いやいやいやいやいやいや! 何をおっしゃいますか! マリア殿は愚かな息子に頼まれて来訪された客人でございます! どうかお気になさらず! ささ、こちらへどうぞ! ……いや、私がご案内するなど失礼ですな! ここはマリア殿のご自宅なわけですから、ご自由にお使いください! むしろ勝手にお上がりして失礼いたしました!」
ローランドの過剰な対応に、私は苦笑を隠しきれなかった。
◇
ディナータイムがやってきた。
私、ローランド、ライル、メアリーの4人で食卓を囲む。
席次は私が最上位で、ローランド、ライル、メアリーと続いた。
「たしかマリア殿は鴨肉がお好きだったと記憶しておりますので、最高級の鴨肉を使ったフルコースをご用意いたしました!」
ローランドの指示によって、すべての料理が食卓に並べられた。
一般的には前菜から順に一品ずつ出すものだが、私はそれを好まない。
そのことを公言した記憶はないが、ローランドはどこからか情報を仕入れていたのだろう。
ちなみに、鴨肉が大好きというのも正しい情報だ。
(ライル様はいつもローランド様の背中を追っていたのに、どうしてこれほどの差が生まれてしまったのだろう)
そんなことを思いつつ、私はローランドに礼を言って食事を始めた。
わかってはいたが、味付けも私好みに調整されていた。
「お口に合いましたか?」
ローランドが不安と自信の混じった目を向けてくる。
「はい! とても美味しいです! ローランド様には婚約の件で多大なご迷惑をおかけしたにもかかわらず……」
「滅相もございません! それよりも、コーラはいかがでしょうか?」
「「コーラ!?」」
反応したのはライルとメアリーだ。
しかし、ローランドが睨むと二人は黙った。
「マリア殿がユニークスキルでお作りになったものです! 我が領には出回っていないものですが、今回のディナーに合わせてご用意いたしました!」
今の発言ひとつ取っても、「さすがだな」と思った。
ローランドは特別感を演出しつつ、伯爵領の貴族にもコーラを売ってほしいと訴えているのだ。
コーラは貴族の飲み物として、侯爵領と伯爵領以外では普及していた。
「コーラは遠慮させてください。私は食事の最中にコーラを飲まないのです」
「そうですか……」
ローランドが露骨に残念がる。
おそらく彼自身もコーラを飲みたかったのだろう。
「私が食事中に飲むのは〈緑茶〉と決めておりますので……申し訳ございません」
「緑茶!? それはなんでしょうか!?」
ローランドの目が輝く。
ライルとメアリーも興味津々だ。
「せっかくなので飲んでみますか? 公爵領にも流通しておりませんし、国王陛下に献上したこともございませんので、きっと話のネタになるかと存じます!」
「なんと! それほどのものを……よろしいのですか!?」
「ここまでよくしていただいたお礼ということで!」
本当は自分が飲みたかっただけなのだが、そのことは伏せておこう。
私は〈万能ショップ〉で緑茶を購入した。
キンキンに冷えた500mlのペットボトルがテーブルの上に現れる。
あえて1本しか買わなかったため、卓上で異彩を放っていた。
「おお! これが緑茶……! 容器はコーラと似ていますな!」
「この容器はペットボトルといいまして、飲み物の保存に向いています。ただ、過度な使い回しは衛生上の観点から好ましくないため、公爵領では加工して別の用途に再利用しているようです」
「なるほど……! 緑茶の飲み方もコーラと同じなのでしょうか?」
「いえ! 緑茶はワインと同じくゴブレットに注いで飲みます!」
ゴブレットとは、金属製の杯のことだ。
(うっかり「コーラと同じです」なんて言えば、飲むたびに立ち上がることになるからね)
以前、レオンハルトの食事会に招かれたことがある。
そのときは、貴族たちがコーラを飲むたびに立ち上がるので大変だった。
「では、使用人を呼んで注がせましょう!」
「いえ、私に注がせてください!」
「そんな! マリア殿にそのようなことを……!」
「どうかお気になさらず!」
「わかりました……! おい、新しいゴブレットを用意しろ!」
「はっ!」
ローランドの命令で使用人がゴブレットを持ってくる。
私のものだけ金製で、他の三人のものは銀製だった。
「緑茶はコーラと違ってしゅわしゅわせず、味もあっさりしているため、もしかすると刺激が足りないかもしれません」
説明しながら、私は三人のゴブレットに緑茶を注いでいく。
「あ、ありがとう……!」
「ありがとう……ございます……」
ライルとメアリーが緊張した様子で言う。
二人のゴブレットを持つ手はプルプル震えていた。
(そこまで怯えなくてもいいのになぁ)
私は苦笑しながら席に着くと、自分のゴブレットに緑茶を注いだ。
ローランドが「早く飲んでみせてくれ!」と目で訴えているので、笑顔で緑茶を飲んだ。
「うん、やっぱり緑茶は美味しい!」
満足げに頷く。
それを見て、ローランドたちも緑茶を飲んだ。
「おお……! なんという上品な味だ……! 高級感が違う……!」
ローランドが感嘆する。
表情を見る限り、今の感想は本気で言っているようだ。
「これが緑茶……! 食事の妨げにならない素晴らしい味だ……!」
「美味しい……!」
ライルとメアリーも絶賛した。
「今の私は公爵領の貴族ですので、緑茶の件はご内密にお願いします。コーラにつきましても、折を見てレオンハルト様に掛け合ってみます!」
私は微笑みながらウィンクする。
「ありがとうございます! マリア殿!」
ローランドが何度も頭を下げる。
テーブルに額を擦りつけるほどの勢いだ。
その顔はこの上なく嬉しそうだった。
「おい、ライル、何をしている? お前もお礼を言いなさい!」
ライルは「え?」と驚いたあと、慌てて私に頭を下げた。
「ありがとう、マリア……殿……」
そう言うライルの顔は、父親と違って悔しそうだった。
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