020 マリアの調停
私はライルの馬車で〈モルディアン〉に向かった。
馬車は徒歩より速いものの、人の駆け足よりは明らかに遅い。
そのため、〈モルディアン〉までの道のりは非常に長かった。
「もうすぐ〈モルディアン〉に到着いたします!」
御者の声が聞こえる。
〈ドーフェン〉を発ってから三日目のことだ。
「ライル様、一つ確認させてください」
私が言うと、隣に座っているライルがこちらに顔を向ける。
その顔は緊張でこわばっていた。
「メアリーとはいずれ結婚されるご予定ですか?」
「というと?」
「ただの確認です。率直にお答えください」
「それは……まぁ、その予定だ」
「わかりました。であれば、何も問題ございません」
「どういうことだ?」
「私はライル様とメアリーに結婚してもらうつもりなのです」
こう言えば、優秀な貴族なら理解するだろう。
レオンハルトやライルの父・ローランドなら即座に察するはずだ。
「……?」
残念ながら、ライルは理解していなかった。
(ローランド様は聡明な男だったけれど、息子はポンコツね)
私は小さく笑った。
◇
我が故郷〈モルディアン〉に馬車が入った。
その瞬間――
「ライル様! メアリーの件について説明してください!」
「マリア様との婚約解消は円満ではなかったのですか!?」
そこら中から怒気を含んだ声が飛んできた。
(これはライル様が〈ドーフェン〉までお願いに来るわけだわ。ローランド様もそこまでしないと解決しないとわかっていたのでしょうね)
私は完全に状況を把握した。
「みんなー! 久しぶりー! マリアならここにいるよー!」
私は窓を開けて身を乗り出した。
「マリア様だ!」
「おい、マリア様が帰ってこられたぞ!」
「マリア様だああああああああああああああああ!」
今にも暴徒化しそうだった市民が、一斉に歓声を上げた。
「…………」
ライルは何も言わず、ただ不快そうに私を見ていた。
婚約していた頃はわからなかったが、今では彼の気持ちが手に取るようにわかる。
「懐かしいですね、その嫉妬に満ちた眼差し」
私は窓を閉めると、ライルの目を見て微笑んだ。
◇
私は大きな邸宅の前で馬車を降りた。
かつて私の住んでいた家であり、今ではライルの住処となった屋敷だ。
周囲の通りは市民によって埋め尽くされていた。
「みんな、ちょっと待ってね!」
私は〈万能ショップ〉で演壇を整えた。
約10万人の市民に聞こえるように拡声器も買った。
「行きますよ、ライル様」
「……わかった」
私とライルは登壇した。
「マリア様の持っているあれ、何なんだ?」
「わからないが、今は黙って見守ろう」
市民たちの視線が私に注がれる。
懐かしい顔ぶれに思わず笑みがこぼれた。
だが、すぐに表情を引き締め、拡声器を使って話し始めた。
「私が〈モルディアン〉に来たのは、皆様のご不満を解消するためです。この都市で何があり、皆様がどのようなご不満を抱えておられるのか、ライル様より伺いました」
場に合わせて適度な丁寧語で話すことにした。
「まず、私とライル様の婚約解消についてですが、これは王国政府からも発表されているとおり『双方の合意に基づく円満なもの』となっています」
場がどよめく。
「無理に言わされているんじゃ」と訝しがる声が聞こえた。
「お忘れかもしれませんが、そもそも、私とライル様の婚約は政略的なものでした。先々代の市長……すなわち私の父が取り計らい、ローランド様の承認を得て成り立ったものです。しかしながら、当初より私とライル様はこの婚約に消極的でした」
「「「――!」」」
市民が衝撃を受けている。
ライルも驚きの表情で私を見ていた。
「私たちは貴族ですが、同時に一人の人間でもあります。皆様が当たり前のように行っている『自由恋愛による結婚』というものを望んでいました。そのため、父の死後、私はライル様とローランド様に申し出て、婚約の解消を認めていただきました」
真っ赤な嘘である。
「そうだったのか……」
「知らなかった……」
市民たちのライルを見る目が変わっていく。
怒りの色が薄れていた。
「また、私とライル様の関係ですが、互いに恋愛感情は抱いていないものの、良き友人であると認識しています。これは私の認識であってライル様がどう思っているかは存じ上げませんが、私はみんなの人気者なので、きっとライル様も同じご認識でしょう!」
軽い冗談を挟んで、皆を笑わせる。
ライルは不満そうにしているが、そんなものは関係なかった。
「そして、今回の騒動の発端になったメアリーについてですが――」
メアリーの名が出た瞬間、市民の顔が険しくなる。
ライルは怖じ気づいたようで体をびくんと震わせていた。
「皆様がご存じのとおり、ライル様は私との婚約中、〈リベンポート〉の娼館に入り浸っており、そこで贔屓にしていた娼婦がメアリーになります。そして、彼女は今、娼婦を辞めてライル様と同居しています」
「やっぱりそうだったのか!」
「マリア様がいながらなんてことを!」
一部の市民が怒声を上げた。
ライルは「お、おい……」と不安げに私を見る。
「落ち着いてください! 私はライル様とメアリーの関係を知っており、また、容認していました」
「「「なんだって!?」」」
「ライル様は私に対して誠実で、婚約期間中、メアリーのことは会うたびにご報告していました。ただの性欲を発散するための相手ではなく、一人の女性として魅力に感じるということも仰っていました。たしかに、倫理的に問題があるとの見方はあるかもしれません。しかし、私は包み隠さずに話してくださったライル様の誠実さを評価しました」
そこで一呼吸置くと、続けて言った。
「普通の貴族であれば、娼婦に遊び以上の感情を抱くことはございません。ライル様がメアリーに女性としての魅力を感じたというのは、ライル様が誰に対しても分け隔てなく接していることの表れなのだと私は考えています」
「「「たしかに……」」」
「また、ライル様は婚約期間中、メアリーとは娼館でしかお会いになっていないはずです。例えば娼館以外で密かに会っていたのであれば不貞行為に該当しますが、娼館で会っているだけであれば、法的には何ら問題ございません」
話しながら、私はライルの横顔を一瞥した。
バツが悪そうな顔をしている。
(娼館以外でもメアリーと会っていたのね)
一目でわかった。
しかし、どうでもいいので触れないでおこう。
「ライル様がメアリーとの関係を皆様に伏せていたのは、私との婚約を解消して間もなく別の女性と仲良くしていることが判明すると、皆様に誤解を与えてしまうことを危惧したからです。結果的にその判断が裏目に出たのですが、その判断自体が間違っていたとは思いません」
誰もが頷いている。
「さいごに、メアリーについて私見を述べさせていただきます。彼女がどこかのアトリエで酷い態度を取った件ですが、おそらく強いストレスによるものだと考えられます。常人であれば自慢したくて仕方ないライル様とのご関係……それを誰にも言えないことは、極めて強いストレスになります」
前列の女性が「そうよねぇ」と頷いた。
「そのうえ、皆様は私のことが大好きでたまらないため、通りを歩けば私の名前が聞こえていたに違いありません。それでちょっぴりイラッとしてしまったのだと思います」
皆が声を上げて笑う。
「もちろん、巷で噂されているメアリーの発言内容……すなわちライル様を寝取ったなどということにつきましては、すべて事実とは異なります。真実は合意に基づく円満な婚約解消です。そして、婚約を解消する運びになったことから、ライル様はメアリーをご自宅に招き入れました」
長々とした演説の末に、私はこう締め括った。
「メアリーがストレスを溜め込んだ原因は私にもございます。ですから、どうか彼女を恨まないでください。そして、ライル様とメアリーの婚約を認めてあげてください」
私は「お願いします」と頭を下げた。
「今の説明で納得したよ! マリア様!」
「もう不満はない!」
「こちらこそ、市役所に押しかけて悪かったな!」
「ライル様、ごめんなさい! あなたのことを勘違いしていたわ!」
「メアリーにもよろしく伝えてくれ!」
「ライル様、メアリーと末永くお幸せに!」
市民の態度が一変して祝福ムードになった。
「ライル様、おめでとうございます! 私も元婚約者として嬉しい気持ちでいっぱいです! 今後はメアリーと幸せな家庭を築いてくださいね!」
私はライルに向かってニコッと微笑んだ。
「あ、ああ……。ありがとう、マリア……」
ライルの顔は引きつっていた。
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