002 プロローグ②:冤罪
遡ること数十分前――
「失礼します!」
上機嫌で謁見の間に入った私だったが、すぐに嫌な予感を抱いた。
その場に集まっている大貴族――爵位を持つ貴族のこと――をはじめ、多くの貴族が険しい顔で私を見ていたからだ。
とても特別名誉勲章の授与式とは思えなかった。
「マリア、本来なら今日は特別名誉勲章の授与式だった」
そう言って国王は話を始めた。
案の定、授与式ではなく別件だったのだ。
それも――
「そなた、婚約を結びながら他の男と親しげに振る舞っていたらしいな。それも一人ならず、複数の者を惑わせていたと聞く」
――あろうことか濡れ衣を着せられたのだ。
しかも浮気である。
「へ……?」
最初、理解できずに頭が真っ白になった。
その間も、国王は淡々とした口調で事情を話していた。
社交界の最中に隠れて男をたぶらかしていただの、何だの。
もちろん、そんなことをした覚えはない。
誤解されるような行動すらしていない。
当然ながら私は否定した。
しかし、結果は覆らなかった。
「あれはたしかにマリア様に相違ありませんでした」
「マリア様がキスしていました。相手の顔は暗くて見えませんでしたが、明らかにライル様とは異なる殿方でした」
謎の証人が続々と現れて目撃したと主張したからだ。
「マリア、何か弁明はあるか?」
国王が私に尋ねた。
「ございます! 相手の顔が見えずとも、日時は覚えているはずです! 私はこの一年間、ほとんどの時間を公務に充てていました。その間の記録は常に残っています。そちらと照合すれば、偽証であると証明できます!」
感情的に冤罪を主張しても通らないため、理詰めで論破しようと試みた。
「なるほど。では、〈モルディアン〉の公務記録と証言者が目撃した日時を照合しよう」
国王も私に賛同した。
だが、これがかえって逆効果だった。
「……マリア、ものの見事に公務時間外ばかりであったな」
証言者が述べた日時は、いずれも公務記録に載っていなかったのだ。
「マリア、そなたの主張は認められない。よって、そなたの不貞行為は行われていたものと認定する。そなたも知っていると思うが、ヴァレンティン王国では『貴族は民の模範たれ』という精神のもと、わしを含むすべての貴族は法によって厳しく律されている。当然、そなたも例外ではない」
そこで一息つくと、国王は言った。
「マリア・ホーネット、そなたを極刑に処す」
「そんな……」
私は膝から崩れ落ちた。
最高の名誉を得ると思った日に断罪されるなど夢にも思わなかった。
それも冤罪で……。
「がっかりしたよ、マリア。お前は最高の妻になると思っていたのに」
ここまで無言だったライルが口を開く。
言葉に反して、今日は不機嫌そうには見えなかった。
「マリア殿が極刑……」
「これだけ尽力してきたのに……」
「だが、不貞行為となれば仕方ないか……」
周囲の貴族たちが動揺している。
「お待ちください、陛下。自分はマリアの極刑に強く反対します」
そんな中、最前列の男が声を上げた。
金色の髪をなびかせる若い公爵――レオンハルトだ。
先代から地位を継いで半年にも満たず、一度しか話したことがない。
だから、彼がなぜ反対したのか理解できなかった。
「レオンハルトか、理由を話してみよ」
国王が言うと、レオンハルトは「はっ」と一礼してから話し始めた。
「上下水道の整備は、間違いなく後世に伝えられる偉大な功績です。それゆえにマリアは民からの人気が高く、私のもとにも多くの感謝状が届いています。しかも、書状に使われている紙は、安い布紙ではなく羊皮紙……庶民にとってはとても高価な代物です。諸侯の治める都市でも同じではないか?」
レオンハルトが周囲の貴族に問いかけると、皆が頷いた。
「つまり、マリアの功績に免じてやれ……そう申すか?」
「はい。この件が表沙汰になれば、ライル殿の名誉にも傷がつきかねません」
「なっ……! 俺の名誉に傷がつくだと!?」
ライルが驚いた様子で言った。
「貴殿はいずれブリッツ家の当主になるだろう? そのときに『一人の女すら満足させられなかった男』などと言われたらどうだ? たとえ貴殿に何の落ち度がなかったとしても、不名誉なことだとは思わぬか?」
「それは……」
ライルが言葉に詰まる。
「言い分はわかった。とはいえ、マリアを無罪放免にするわけにもいかぬだろう。それはそれでライルの顔が立たん」
国王が言うと、レオンハルトは「承知しております」と頷いた。
「そこで、私から提案がございます」
「提案?」
「まず、ライル殿とマリアの婚約は、双方の合意に基づいて解消したことにします」
「「なんだと!?」」
国王とライルが同時に反応した。
レオンハルトは気にすることなく話を続けた。
「同時に、マリアを市長の任から解きます。ただし、これだけでは余計な勘ぐりを招くでしょうから、彼女には別の役職を与えるのです。例えば、辺鄙な町の町長などいかがでしょうか? 民への説明が容易ですし、彼女にとってはこのうえない屈辱となります」
「ふむ」と唸る国王。
「…………」
ライルは不満そうにしているが、反論できないようで黙っていた。
「幸いなことに、私の領内に適した町がございます。片田舎の〈ドーフェン〉という町で、少し前から町長が不在になっております。町長希望者を募っていますが、厳しい貴族の法を嫌って誰も立候補しない状況が続いています」
この世界では、集落の長は貴族として扱われる。
商業ギルドの会長などの権力者も貴族という扱いだ。
貴族の法は厳しいため、自由を好む者は貴族になりたがらない。
そのため、町長や村長の不在は珍しくない話だった。
「マリアは私に頼まれて〈ドーフェン〉の町長になったことにします。そうすれば、彼女が〈モルディアン〉を離れても違和感を抱く者は少ないでしょう。これが誰にとっても最善の策と考えますが、いかがでしょうか?」
国王が何も言わずにライルを見る。
それに対し、ライルは「ぐっ……」と唸って目を伏せた。
「よし、レオンハルトの案を採用しよう。皆の者、今回の件は決して口外しないように」
「「「はっ!」」」
国王が解散を告げて、皆が謁見の間を出ていく。
ライルは私を一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らした。
こうして、私はどうにか極刑を免れた。
しかし、謎の冤罪で名誉を穢された事実には変わりない。
(なんでこんなことに……)
他の貴族たちと同じように、私も謁見の間を出る。
肩を落としてトボトボ歩いていると――
「マリア、少しいいか」
レオンハルトが声をかけてきた。
「レオンハルト様、先ほどは助けていただきありがとうございました。申し訳ございません、本来であれば私からお礼を申し上げに行くべきところを……」
私は慌てて頭を下げた。
「いや、礼など不要だ。それよりも、すまなかったな」
レオンハルトが申し訳なさそうに言った。
それから手で進路を示して、ライルとは反対方向に進み出した。
「どうしてレオンハルト様が謝られるのですか?」
私はレオンハルトの隣を歩いた。
「君の冤罪を確定させる形にしてしまったからな」
「レオンハルト様は、私が不貞行為をしていないと信じてくださっているのですか?」
驚きだった。
私が逆の立場なら、おそらく冤罪とは思わなかっただろう。
「俺は君が国のために尽くしていたのを知っている。それに君の亡きお父上とも何度か話したことがある。聡明な方で、いつも君の話をしていた。そんな君が不貞行為をするとは思えないし、仮にするとしても、もっと巧妙にやっていただろう。証人の数が多すぎた」
「たしかに……」
「それに、ライル殿には悪い噂がある」
「え?」
「あくまでも噂であって確信しているわけではないが、妾がいると言われている。結婚していないわけだから、妾という表現は些か不適切ではあるが」
「妾……ライル様が不貞行為を?」
「高級娼館に入り浸っているのは有名な話だ。倫理的に褒められたものではないが、結婚前であれば許される行為だから、それ自体を咎めることはできない。ただし、そういう事情も踏まえた結果、今回の冤罪騒動はライル殿が君をはめるために仕組んだものではないかと俺は考えている」
「そんな……あり得ない……!」
「真相は不明だから、今のは俺のたわ言として聞き流してくれ。とにかく、君の冤罪を確信していながら無罪放免にまで導けなかったことを申し訳なく思う。それと、気乗りしないとは思うが、〈ドーフェン〉をよろしく頼む」
レオンハルトは深く頭を下げたあと、「それでは失礼する」と去って行った。
「ライル様が私を……? まさか……」
去りゆくレオンハルトの背中を眺めながら、私は信じられない思いだった。
(ライル様の立場なら、冤罪をでっちあげずとも婚姻を解消できるはず。わざわざ私を陥れる必要がない。きっと何かの間違いよ!)
私は真実を確認するため、伯爵領のライル邸に向かった。
邸宅に入ると、部屋でくつろいでいるライルを問い詰めた。
情報源を伏せたうえで妾の話などを切り出すと――
「まったくもって、おっしゃるとおり! 妾の話は本当だ! お前を陥れたのもこの俺だ! 公務記録と照合することまで見越して証言日時も決めておいた! どうだ!? 完璧だったろ? はっはっは!」
ライルは驚くほどあっさり認めた。
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