016 ライル:残念な息子
「嘘だから! 今のはぜーんぶ嘘! そういう可能性だってあるんだから客に対してなめたことを言うなってこと!」
まずいと思ったメアリーは慌てて訂正し、逃げるように店を出た。
(ライルとの関係は言っちゃダメだったのに!)
早足で通りを抜けながら、メアリーは必死に自分を落ち着かせる。
(まぁなんとかなるっしょ! ライルとは正式に婚約したわけでもないから、何かあっても私は平民として裁かれるだろうし! というか、そもそも、あのおっさん、私の話なんか信じないっしょ!)
そう考えたメアリーは、この件について黙っておくことにした。
◇
「知っているか? ライル様って〈リベンポート〉にいるときは娼館に入り浸っていたらしいぞ」
「〈エクスモーション〉とかいう高級店だろ? 結婚するまでは娼館に行ってもいいとはいえ、マリア様がいるのにひどいよなぁ」
「マリア様のこともそうだけど、それよりも問題なのは、その娼館の娼婦と結婚するためにマリア様との婚約を解消したってことだ!」
「この話が本当だったら、ライル様は不貞行為を働いたようなもんだ!」
「でも、そんなことがあり得るのか? マリア様がいらっしゃるのに……」
「それがどうも本当っぽいぜ。〈リベンポート〉まで確認に行った奴らが言っていたけど、メアリーという娼婦に夢中だったのは間違いないそうだ」
「じゃあ、ライル様とマリア様が婚約を解消されたのって、本当は合意に基づく円満なものとは違ったんじゃないか?」
「マリア様が愛想を尽かされたってことか。それで公爵領に……」
「だとしたら、ライル様はこの都市からマリア様を奪った最悪の貴族だぞ!」
メアリーの思惑とは裏腹に、事態は鎮火しなかった。
むしろ前代未聞の大炎上だ。
数日後には〈モルディアン〉の全市民に知れ渡っていた。
これにより、〈モルディアン〉の市役所はパニック状態に陥った。
事実の説明を求める陳情の手紙が殺到していたのだ。
市役所に怒鳴り込む団体まで現れて、今にも暴徒化しそうだった。
当然、この件はライルの耳にも入っていた。
「なんてことをしてくれたんだ! 父上からも俺たちの関係は口外しないように言われていただろ!」
ライルはメアリーを執務室に呼び出して叱った。
すると――
「別の嘘をついたわけじゃないじゃん! 本当のことを言って何が悪いのよ」
メアリーは悪びれることなく開き直った。
執務机の上に座り、余裕げな顔で脚を組んでいる。
彼女の精神状態は、すでに不安でたまらない段階を過ぎていた。
「なんだと……! お前、自分が何をやったかわかっているのか!」
「だから本当のことを言ったんでしょ?」
「なんだその態度は! 女のくせに生意気を言いやがって!」
ライルは立ち上がると、メアリーの髪を掴んだ。
そのまま引きずり回してやろうとするが――
「生意気な態度をとられたくなかったら、ちっとは男らしいところを見せてみなよ!」
メアリーは、ライルの手を振り払った。
「なっ……!」
「私があんたを選んだのは、私に言い寄ってきた男の中であんたが一番の権力者だったからよ。言い寄ってくる貴族なら他にもいたの。知っているでしょ?」
「……それが何だって言うんだ」
「その気になれば、娼館に戻って別の貴族に乗り換えることもできるわけ。だって私、別に婚約しているわけじゃないし。不満があるなら父親の反対を押し切って婚約してみなよ」
「ぐっ……」
ライルは反論できなかった。
「本当に情けない男。本当に20歳なの? 私の一つ下には見えないんだけど。いつまでパパにすがりついているのよ」
「うるさい! 出て行け! このクソ女!」
「言われなくても出て行くわよ!」
メアリーは執務室を出ると、乱暴に扉を閉めた。
「クソッ! 女は黙って男を立てていればいいのに! マリアといい、メアリーといい、どうして俺の女はどいつもこいつも当たり前のことができないんだ……」
ライルは椅子に座ると、執務机に突っ伏した。
「真実を公表することもできないし、どうすればいいんだ……」
◇
その日の夕方、ライルは〈リベンポート〉にいた。
自分では適切な対処法が浮かばなかったため、父のローランドを頼ることにしたのだ。
メアリーに煽られようとも、困ったら父親に頼る方針には変わりなかった。
また、それがローランドの指示でもあった。
強引なコストカット政策で失敗したあと、「悩んだら余計なことをする前に相談しに来い」と言われていたのだ。
「……というわけなのですが、父上、俺はどうすればいいのでしょうか?」
ローランドの居城にある応接間で、ライルが言った。
彼は下座のソファに腰掛けており、今にも泣きそうな顔をしていた。
「まったく……娼婦なんぞに入れ込むからこんなことになるんだ」
上座に座るローランドは、呆れた様子で立ち上がった。
左手を腰に当て、右手に持ったコーラを一気飲みする。
はしたなくも盛大なゲップを繰り出すと、何事もなかったかのように座った。
「そのことは後悔しております……。ですが、今は後悔している場合ではありません。父上、どうすればいいのか教えてください」
ローランドは腕を組み、「うーむ」と唸った。
しばらく考え込んでから、おもむろに口を開く。
「わしの答えを言う前に、お前の考えを聞かせてみろ。ライル、お前はどうするのが最適だと思う? 怒らないから話してみろ」
「俺は、メアリーの話を虚偽だと言って、あの女を〈モルディアン〉から追い出すのがいいと思います。必要であれば不敬罪として処罰することも――」
「それは一番の愚策じゃ」
ローランドはライルの言葉を遮った。
それから落胆を示す大きなため息をついた。
「愚策ですか? これが……?」
「ライル、もっと深く考えろ。最善策を出せとは言わんが、何が愚策かくらいはわかれ」
そう言われて、ライルは黙考した。
時間にして10分、何も言わずに考え続けた。
そして――
「申し訳ございません、俺には何が愚策なのか分かりません……」
どれだけ考えても、ライルには名案に思えてならなかったのだ。
「そうか……」
ローランドは再びため息をついた。
息子の能力に限界を感じて、悲しい気持ちになったのだ。
「わしの考えを言う前に、お前の考えがいかに愚かか教えてやる」
そう言うと、ローランドは解説した。
「メアリーはお前の秘密……すなわちマリアの冤罪に関する真相を知っている。あの女を追い出そうものなら、間違いなくそのことを喚かれるだろう。そうなれば徹底的に調査されて、偽証であることが発覚するに違いない。それはお前だけではなく、ブリッツ家の破滅をも意味する」
「……!」
ライルは自らの愚かさに気づいた。
しかし、認めたくなかったので反論した。
「で、ですが、それであれば、偽証した者を口封じに殺せば……! そうだ、メアリーも殺そう! そうすればすべて解決します!」
「馬鹿者! そのようなことをすれば、証拠を隠滅したと思われるだろう!」
「たしかに……。しかし、それでは、どうすればよろしいのでしょうか?」
ライルは救いを求めてローランドを見つめる。
「今回の騒動における一番の問題は、お前とマリアの婚約解消が円満に行われたかどうかだ。お前が娼婦に入れ込んだ結果、マリアがお前を見限ったのではないかと市民は思っている。お前が娼館に入り浸っていたかどうかはきっかけにすぎないのだ。それはわかるな?」
「は……はい……」
頷くライルだが、実はよくわかっていなかった。
もはや頭が混乱して、まともな思考力が残っていなかったのだ。
(なんという愚かな息子なんだ……)
ローランドはライルが十分に理解していないことを察していた。
しかし、怒るだけ無駄だと悟って話を進めた。
「いいか? メアリーの件は必要に迫られるまで触れるな。そして、触れるときは住み込みのメイドとか何とか言って流しておけ。それよりもマリアだ。お前がマリアに見限られたという認識が〈モルディアン〉に根付いてしまったら、それこそ取り返しのつかない事態になる」
「で、ですが、それは事実ではございません……!」
「わかっておる。表向きは合意に基づく婚約解消であり、真実はマリアの不貞行為による婚約解消ということになっている」
「じゃあ、マリアが不貞行為をしていたと公表すれば――」
「馬鹿者!!!!」
ローランドが怒鳴った。
「もうお前は何も考えるな!!!!」
「申し訳ございません……」
ライルはよくわからないまま頭を下げる。
「お前の任務はたった一つだ。それさえできれば、この問題はたちどころに解決し、誰もメアリーの言葉など信用しなくなる」
「本当ですか!? 俺はどうすればよろしいのでしょうか!?」
ライルの目が輝く。
そんな哀れな息子に、ローランドが解決策を教えた。
「マリアを〈モルディアン〉に招き、婚約の解消が合意に基づく円満なものであったと説明させろ! 土下座でも何でもして協力するように説得しろ!」
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