012 次の議題
「私はザルス様と同じく反対の立場ではありますが、その理由はザルス様とは異なります」
「なんですと?」
ザルスが驚きの表情で私を見る。
彼に同調している領主たちは首を傾げていた。
「整理しよう。ザルス、そなたが反対する理由は子爵領の郵送コスト増だったな?」
レオンハルトが尋ねると、ザルスは「はい」と頷いて補足した。
「目先だけを見れば、バイホーンの申すとおり利益の拡大と関係の強化が期待できます。しかし、郵送コストが嵩んで財政が悪化すれば、子爵様が後悔することになります。また、郵送コストを確保するために増税すれば民の反発を招きかねず、かといって郵便料金を引き上げると庶民が利用しづらくなります」
ザルスの説明は理に適ったものだ。
聡明な父と仲が良かっただけあって、さすがの思慮深さだと感じた。
「……とのことだが、マリアは別の理由により反対と申すわけだな?」
「はい。率直に申し上げますと、ザルス様が懸念されている点についてはまったく気にしておりません」
「なに!?」と驚くザルス。
「では、どうして反対するのだ?」
「時期尚早だからです」
「時期尚早?」
「はい。公爵領で郵便事業が立ち上がってから、まだ1ヶ月半しか経っていません。上下水道を整備したときと違って娯楽的側面が強いため、スピードを重視する必要はありません。今は領内でノウハウを蓄積する段階です」
現在の郵便事業は、まだ環境の整備が済んだばかりだ。
そのため、効率化できる部分が山ほどある。
こうしたスピード感の問題は日本でも見られた。
例えば、飲食店によくある過度な出店攻勢が該当する。
「まずは領内と王都で展開している郵便事業を盤石にしましょう。ただし、せっかく子爵様からいただいたお話を無下に断ってはもったいないと思います。ですので、子爵様には郵便事業の優先権を確約なさってはいかがでしょうか?」
「郵便事業の優先権というのは?」
「まず間違いなく、他の大貴族からも今回の子爵様と同様の提案があります。侯爵様や伯爵様はレオンハルト様との関係が良好とは言いがたいため、郵便事業の見返りとしてより良い条件を提示されるでしょう」
レオンハルトが「だろうな」と笑った。
他の人たちはヒヤヒヤした様子で私を見ている。
「もう少しオブラートに包んだほうがいいよ」と目で訴えていた。
「仮にそうした状況になったとしても、領外に郵便事業を展開する際は子爵様を最優先にする……そう確約すれば、子爵様の顔を立てられます」
私が言い終えると、皆が「おお!」と感嘆した。
「そこまで読んでいるとは……深いですな」
ザルスが感心する。
「子爵様に失敗されても困るし、まずは領内の地盤を固めることに注力したほうがいいかもしれんな……」
バイホーンも考えを翻していた。
「マリアの意見を採用しよう。異議はあるか?」
「「「ございません!」」」
満場一致で、私の案が採択された。
「やはり君をこの場に招いて正解だった」
レオンハルトは優しく微笑んだ。
「あ、ありがとうございます……!」
私はペコリと頭を下げた。
至近距離から目を見つめられて、つい照れてしまう。
「では次の議題だが……その前に喉を潤そう」
レオンハルトの言葉に、皆が「おお!」と沸いた。
その中には私も含まれていた。
パンパン!
レオンハルトが手を叩く。
すると、円卓の間に数人の使用人が入ってきた。
一様に現代のクーラーボックスを抱えている。
もちろん私が買ったものだ。
「箱を閉めたまま適当な場所に置いてくれ。こちらで勝手に取り出す」
「「「かしこまりました!」」」
使用人たちが円卓にクーラーボックスを置いた。
それから、一礼して部屋を出る。
「このときを待っていました!」
「もはや円卓会議にコーラは必須ですな!」
皆が立ち上がり、近くのクーラーボックスに群がる。
箱を開けると、綺麗に砕かれた氷とペットボトルのコーラが入っていた。
「クーラーボックス……と言いましたかな? この箱。これもすごいですな」
ザルスが声を弾ませながらコーラを取り出す。
「この箱に入れると氷がまったく溶けませんからね。マリア様のユニークスキルには恐れ入りますよ」
他の市長が笑顔で返す。
「マリア、君の分だ」
レオンハルトが私にコーラを渡す。
「ありがとうございます!」
全員がコーラを手に持ち、自身の席の前に立つ。
「皆の者、準備はいいか?」
レオンハルトはニヤリと笑い、コーラの蓋を開けた。
私やザルス、その他のメンバーも同じように蓋を開ける。
「それでは、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
レオンハルトが音頭を取り、私たちはコーラを飲み始めた。
全員が左手を腰に当てて、右手でぐびぐびと飲んでいる。
この飲み方は、初めてコーラを買った際に私が披露したものだ。
レオンハルトがそれを真似たことによって、この世界ではこの飲み方が正しい作法として認識されてしまった。
聞いた話によると、国王陛下も同じようにして飲んでいるそうだ。
今さら「別に座って飲んでもいいですよ」とは言えないため黙っていた。
「ぷはぁ! たまりませんな!」
「キンキンに冷えたコーラに勝るものはございませんよ!」
皆が声を弾ませる。
私も「んふぅ!」とニヤけていた。
やはり現代の飲み物は格別だ。
「ふぅ」
コーラを飲み終えると、私たちは席に着いた。
空のペットボトルは、クーラーボックスに戻して使用人に回収させる。
レオンハルト曰く、回収後はいろいろな形で再利用しているそうだ。
インク切れのボールペンもそうだが、現代ではゴミとして扱われるものがこの世界では宝物になる。
「改めて、次の議題に入ろう」
レオンハルトが会議を進行させる。
炭酸が抜けるように皆の表情から緩みが抜けていく。
「新たな議題は『生活水準の向上策について』だ。これは諸君ではなく――」
レオンハルトが私を見る。
「――マリア、君の意見を求める。郵便事業の地盤固めと並行して、ユニークスキルの力で庶民の生活水準を向上させたい。何から手を付ければいい?」
「真っ先に始めるべきは衛生環境の改善です。すべての公衆浴場に〈シャンプー〉と〈ボディソープ〉を設置し、〈歯ブラシ〉を使った歯磨きを習慣づけましょう」
私は断言した。
もともと、次のビジネスとして考えていたものだ。
中世ヨーロッパ風のこの世界では、とにかく衛生環境が悪かった。
例えば公衆浴場は全国にあるけれど、そこに石鹸は置いていない。
そもそも、庶民は石鹸が何か知らないことも多かった。
庶民にとっては、酢やハーブが石鹸の代替物になっていたのだ。
この点を改善すれば、疫病のリスクを大きく下げられる。
ただ儲かるだけでなく、皆の健康状態も改善されるわけだ。
「わかった。では、そうしよう」
「レオンハルト様、よろしいでしょうか?」
バイホーンが手を挙げた。
「どうした?」
「口腔ケアには歯ブラシより洗口液のほうが望ましいと考えます」
「理由は?」
「我々は竹や小枝を毛羽立たせたものに灰をつけて歯磨きをしていたため、マリア様からいただいた歯ブラシを使うことに抵抗がありませんでした。しかし、庶民の口腔ケアと言えばハーブを噛むことです。歯ブラシと歯磨き粉による口腔ケアは、普及に時間を要すると考えます」
「「なるほど」」
私とレオンハルトの声が被った。
「申し訳ございません、レオンハルト様。無意識に声が出てしまいました」
「気にするな。それより、バイホーンの意見についてどう思う?」
「鋭いご指摘だと思いました。今のご意見を受けて、私も歯ブラシより洗口液による口腔ケアが望ましいと感じました。ただし、洗口液のコストは歯ブラシの2倍になります。その点を踏まえて判断する必要があります」
洗口液という選択肢は、私も検討したことがある。
そのときは、コスト面を理由に「歯ブラシのほうがいい」と判断した。
「洗口液のコストを計算してから判断しよう。マリア、君は洗口液のボトルを1本買うのに何ルクスを消費しているんだ?」
「6ルクスです。余談ですが、歯ブラシは1ルクス、歯磨き粉は2ルクスです。どちらも1日1回使用した場合、2ヶ月で交換することになります」
「それなら我々が君から洗口液を購入する際は、1本何ルクスで譲ってもらえるかな?」
本音を言えば500ルクスが妥当だと思う。
しかし、原価を教えたあとではふっかけたように感じられそうだ。
とはいえ、〈ドーフェン〉の発展を考えると、過度な安売りはできない。
「30ルクスでいかがでしょうか……!」
そこで、恐る恐るふっかけてみた。
すると――
「「「は?」」」
全員が同じ反応を示した。
驚愕の色に染まった顔で私を見ている。
バイホーンにいたっては目を大きく開いていた。
(もしかして、私、やりすぎちゃった!?)
急に冷や汗が流れ始めた。
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