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010 ライル:失策

 ライルが見つけた問題は、財政収支の異常だ。

 〈モルディアン〉の支出は、約2倍の人口を誇る〈リベンポート〉と同程度だった。

 一方、税収は〈リベンポート〉の約4分の1しかない。


(ホーネット家は昔から領主税を下限額しか納めてこなかったが、こうも支出が多いのでは当然だ。領主税を納めたら、庶民と同程度のはした金しか残らないじゃないか)


 ライルの目から見ると、〈モルディアン〉は収入と支出の両方に問題があった。


(収入……つまり、税収が異常に少ないのは税率が低いからだ。税率は大都市ほど高く設定されがちだが、〈モルディアン〉の税率は田舎町よりも低い。めちゃくちゃだ)


 ライルは財務報告書の偽造を疑った。

 意図的に税収を低く申告して、一部を着服する不正だ。

 重大な違法行為である。


(この手の横領をするのは領主じゃない。その下の人間……すなわち官吏だ。市長職を代行していた頃のマリアは未成年だったから、多少の横領はバレないと踏んだのだろう。しかし、俺には通用しないぞ!)


 ライルは大きく息を吐くと、そばで待機中の官吏に尋ねた。


「〈モルディアン〉の財務報告書は誰が作っているんだ?」


「ベテランの者です……が、名前までは覚えておりません。必要であれば今すぐ調べて参りますが、いかがなさいますか?」


「いや、いい。大丈夫だ」


「かしこまりました」


(ここで下手に動けば、俺が調査しているとバレてしまう。幸いにも目の前にいるこの男は新米だ。まずはこいつから情報を得て、犯人を絞っていこう)


 ライルは何食わぬ顔で尋ねた。


「もしお前が財務報告書を偽造するとしたら、どういう方法を取る?」


「え? それは、どういう……?」


「深い意味はないさ。我がブリッツ家は領民のお金を大切にしている。だから、不正行為があれば厳しく対処するつもりだ。しかし、不正を防ぐためにはどういう方法で不正が行われるか知っておく必要があるだろ?」


「なるほど! そういうことでしたか! たしかにライル様のおっしゃる通りです! ですがご安心ください! 〈モルディアン〉では財務報告書の不正は絶対に行われません!」


 官吏の男は笑顔で断言した。


「どうしてそう言い切れるんだ?」


「マリア様もライル様と同じお考えでして、十重二十重(とえはたえ)の対策を講じられているからです! 独立した監査部門が設けられており、作成された財務報告書はそこで徹底的に精査される仕組みです!」


「ダブルチェックとクロスチェック……だっけか」


「その通りでございます! 意図的な不正だけではなく、意図しないミスも修正されます! ミスを減らす資料の作成方法もマリア様が考案されていまして――」


「いや、いい。もういい。わかった」


 ライルはため息をついた。

 彼の予想に反して、不正は行われていなかったのだ。


(すると、純粋に税率が低いわけか。しかし、領民にいい顔をしたいからって、ここまで税率を低く設定するのは馬鹿げている。これでは有事の際に対処できないではないか)


 ライルの考えは、彼の持っている資料だけを見ると正しかった。

 しかし、実際には資料に記載されていないからくりがあった。


 〈モルディアン〉には『臨時徴税』という制度が存在しているのだ。

 これは有事の際にのみ追加で徴税する制度である。

 まさにライルが想定した欠点を解決するものだった。


(財務報告書に記載されている税収が正しいのなら、多少の増税は何ら問題ない……が、市長に就任して最初にするのが増税なのはまずいよな。父上も『増税は慎重にせねばならない』と言っていたし、税率には触れないでおこう)


 ライルは収支の「支」を意味する「支出」に目を向けた。

 異常に多い支出を減らせば、税収が変わらずとも財政収支が改善される。

 言い換えると、領主税に回せるお金が増えるということだ。


(社会保障費の高さが異常だ。しかも、やけに内訳が細かいな。この『生活保護』や『年金』っていうのは何だ……? 他にも意味不明な項目があるし、社会保障費の削減は後回しにしよう)


 今のライルにとって、最優先は名誉の挽回だ。

 そのため、知らない項目を削って問題になるリスクは避けたかった。


(すると……残るは人件費だな。ここも異常だ)


 人件費の内訳も、王国の標準よりも細かく記載されていた。

 そのおかげで、どこにお金を費やしているかが丸わかりだ。


(そりゃあ、ウキウキするわな)


 ライルは待機している官吏の顔を一瞥した。

 官吏の男は、笑みを浮かべてライルの指示を待っている。


「よし、資料の作成を頼む」


「かしこまりました! どのような資料を用意すればよろしいでしょうか?」


「財務報告書の人件費に該当する者のリストだ。全員ではなく、この三項目に関係する者だけでいい」


 そう言って、ライルは「行政」「警備」「水道」の三つを指した。

 彼が人員削減をしようと考えている部門の名称だ。

 つまり、ライルは官吏と衛兵を減らして、水道の維持管理費を下げようとしていた。


「かしこまりました!」


 ライルの思惑を知る由もない官吏は、笑顔で謁見の間を出ていった。


(ここまで効率化したのなら、官吏の数はもっと減らしても大丈夫だ! 幸福度が高いのだから衛兵もこんなにいらん! それになにより水道の維持管理費が高すぎる! なぜ〈リベンポート〉の3倍もあるのだ!? こんなもの、適正水準までカットだ!)


 ライルは「ふぅ」と息をつき、安堵の笑みを浮かべた。


「だいぶ苦労したが、2ヶ月もすれば実力を証明できるな……! ふふ、はは……ふははははは!」


 ライルの笑い声が謁見の間に響く。

 窓を拭いていた使用人は、突然の声に驚いて体をびくんと震わせた。


 ◇


『適正水準までコストをカットする』


 そう決めたライルだが、経験の浅い彼には正確な適正水準がわからなかった。

 そこでライルが採用したのが、〈リベンポート〉と同じにするというものだ。


 〈リベンポート〉の人口は〈モルディアン〉の約2倍。

 賃金水準は変わらないので、人件費を揃えれば人員の数も同程度になる。

 以上のことから、〈リベンポート〉と同じ水準なら、余裕で適正水準を満たせると判断した。


 考え方自体は、それなりに合理的と言えるだろう。

 だが、ライルは「都市の特性」という大事な要素を見落としていた。

 そのため、彼の実力は2ヶ月どころか2週間で証明されることになった。


「もうダメだ……」


「俺も……ダブルチェックできねぇよ……」


「誰か……クロスチェック頼む……」


 最初に限界を迎えたのは官吏だ。

 ライルのコストカットで約3割の人員が削減された。

 それによって、マリアの考案したダブルチェックとクロスチェックを維持できなくなっていた。


 ただし、官吏を減らすだけであれば、ここまで酷くはならなかった。

 同時に衛兵の数を半分以下にしたのが問題だった。


「おい……スリの報告書、あと何枚あるんだよ……」


「どれだけ数をこなしても報告書が減らないぞ……」


 衛兵が減ったことで、スリが急増したのだ。

 この世界では、お金を袋に入れて腰に()げるのが一般的だ。

 その気になれば簡単に奪い取れる。

 防犯カメラが存在しないため、現行犯以外ではまず捕まらない。


 また、〈モルディアン〉は観光地として有名だった。

 市民の数は〈リベンポート〉に劣るが、観光客の数ははるかに上回っている。

 そのうえ、面積は〈リベンポート〉より狭く、人口密度は高い。

 スリからすれば最高の狩場というわけだ。


 しかし、これらはまだマシだ。


 最もやってはいけなかったのは水道関連の人員削減である。

 〈リベンポート〉に合わせた結果、人件費が3分の1になった。

 当然ながら、以前と同じ環境を維持できなかった。


「最近、水が臭くないか?」


「私も思っていたわ」


「それだけならいいが、なんだかお腹が……」


「まずい、吐き気が……オェェェェェ!」


 水質の悪化によって食中毒が発生したのだ。

 それも〈モルディアン〉の全域で一斉に起きた。


 これは、〈モルディアン〉の地理的条件の悪さが影響している。

 まともな川がないため、上水道の水源ですら汚い川に頼っていた。

 森や湿地を経由しているため、泥や腐植で濁っているのだ。

 他所なら下水に使われるような川である。


 だから、マリアは水道に異常なコストをかけていた。

 そこまでしなければ、〈モルディアン〉の上水道は維持できないのだ。


 行政の機能不全、犯罪の急増、上水道の汚染……。

 ライルのコストカットは、最悪の結果を招くことになった。


「馬鹿者! お前は何を考えているんだ!」


 大規模食中毒が発覚した二日後、ライルは父ローランドから大目玉を食らった。

 領民の怒りを鎮めるため、〈モルディアン〉の大広場に引きずり出されて、衆目の面前で怒鳴られた。


「申し訳ございません、父上……オェェェェ!」


 そんな彼も、食中毒の被害者だった。


「領民の皆様、愚かな息子が誤った判断をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした! ローランド・ブリッツの名において、速やかに事態の収拾と改善に努めますので、何卒ご容赦くださいませ!」


 ローランドは数日かけてライルの尻拭いを行った。

 都市の隅々まで謝って回り、ライルのコストカット策をすべて撤廃したのだ。


 この対応によって、コストカット騒動は沈静化した。


 しかし、騒動が落ち着いても観光客は戻ってこなかった。

 それに伴って商人も徐々に離れていき、都市の経済は縮小した。

 もはや税収減による財政赤字は避けられない状況だ。


「俺はどうして人件費を削減しようなどと考えたんだ……」


 自宅の執務室で、ライルは机に突っ伏して泣いた。

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