第2章 1 : よろしく、君たちと…知恵の神姫?
「こ、ここはどこ? 俺は……」
「(生き……てる?)」
少年が再び目を開けると、硬い寝台の上だった。体全体が虚ろな感覚に包まれている……確かに、大量に出血したのだから無理もない。
「そうだ……!」
少年は慌てて左腕を見る。驚いたことに、刺された傷は完膚なきまでに癒えている。わずかに血を拭った痕が残っているだけだ。とはいえ、かすかな疼きは未だ消えていない……
辺りを見回す。この部屋は広くない。一人暮らし用だろうか……いや、棚には無数の瓶や壺が並び、机の上には本が散乱している。どう見ても住居ではなく――学校の化学実験室のようだ。少年が無意識に枕元の本に手を伸ばす。
「よし! ……読めねえ……」
やはり異世界の言葉だ。表紙に並んだ記号の羅列に頭痛を覚える……これまでの勉強は無駄になったわけか。まあ、会話が通じるだけマシだが。
「知恵を求める者よ、知恵の神姫の力を授けん……」
「誰だ!?」
不可解な書物を置こうとした瞬間、女性の声が脳内に直接響いた。部屋には誰もいない。幻聴か? だが少年は奇妙と感じなかった。むしろ、その言葉の内容が気にかかった。
「(知恵の神姫……? 何のこっちゃ)」
困惑しながら再び本の表紙を見下ろす。すると――
『ブリタ族の伝説――勇気ある黒い瞳の者』
「(読める……!?)」
記号が意味を持つ言葉へと変化している。少年は数秒間、文字列を凝視した。理解不能だが、少なくとも悪い予感はしない。それより今、彼を震撼させたのは別の問題だった。
「俺の服は――!?」
「ご主人様、お目覚めでしたか!」
ドアが勢いよく開き、白髪の少女が飛び込んできた。少年は慌ててベッドの裾の布団をぐいっと引き寄せ、くるりと体を包み込みながら起き上がった。
「あ、ああ君か!大丈夫だったか?」
「ええ、平気です。さっきは……ありがとうございました」
少女は雪のような髪を指でくるくると巻きながら、視線を斜め下へ逸らす。頬は明らかに紅潮している……しかしなぜか少年の体も熱を帯びている。
「(はあ!? 俺まで赤面するとは……落ち着け……深呼吸……。そういえば彼女、照れると噛む癖があるのか?)」
「い、いいや……君が無事ならそれで……それと、『ご主人様』って呼ぶのやめてくれないか? どうも馴染めなくて」
「くすくすっ――冗談ですよ……あの、私はフレディヴィアと申します。よろしくお願いいたします」
初めて見せる少女のいたずらっぽい笑顔に、少年はただ呆然とその顔を見つめる。
「か、可愛い……」
思わず漏らした呟き。
「何かおっしゃいましたか?」
「いやいや! なんでもない……素敵な名前だな。俺は花生だ。よろしくな」
「花生さん……? なんだか美味しそうな名前ですね」
「えっ、やっぱりこっちの世界でも……」
「ははっ――」
二人の笑い声が一瞬で部屋を満たす。
「おやおや、あの世の門前から戻ったばかりで、もうそんなに楽しそうか? 君の精神力には恐れ入る……それとも、女の子の前だと元気が出るタイプか?」
声の主を振り返ると、剣を帯びた金髪の男が入り口に立っていた。少年はむしろ感謝でいっぱいだ。命の恩人である。
「あ、さっきのぼくたちを……助けてくれてありがとう」
「いいえ。フレディヴィアを救ったのは君だ。他人の功績をかすめるのは騎士の風上にも置かんよ」
「そうだったか……それで、お名前は? ここはどこなんです?」
「おっと自己紹介を……(咳払い)我が名はアドライト・メドセン――ヴェスト王国近侍騎士団付き第一薬剤師、通称薬王と申す! よろしく――ここは我が家の薬剤実験室だ。寝台は少し硬いだろうが勘弁してくれ……ついでに言うと、君は本当に運がいい。このように聡明で才能ある私に出会わなければ、あの出血量では確実に――はははっ!」
自称・薬王の高笑いが響く。二人は呆れ顔で見つめ返した。
「(こいつ……天狗すぎるだろ? まあ治療の腕は確かだがな)」
実験室に漂う和やかな空気。しかし次の瞬間、アドライトの表情が急に暗くなる。
「花生……君のその黒い瞳についてだが……説明してもらおうか?」