20-4 呪文常識
客室に案内された俺と莉緒は豪奢なイスに腰かけ、生徒会長が淹れてくれた紅茶で喉の渇き潤していた。
俺達を招待した当の本人というと、ここに案内するとすぐにふらりとそのまま退室していった。次に紅茶を持ってくるとまたふらりと部屋を出て行った。
それから数分が経過したが、一向に戻ってくる気配がない。
爽やかな柑橘系の香り立つベルガモット、少し低めの温度で淹れて飲みやすくしてある。紅茶はホットで飲むものとばかり思っていたが、これぐらいの温度で飲むのも存外悪くはない。
お茶請けとして用意されたペストリーと一緒に食すと、天にも昇る心地である。
何しに来たのか、その目的を忘れそうになる。それほどまでに俺はいま癒されている。このままだと、莉緒のように堕落してしまいそうだ。
生徒会長が用意したものを躊躇なく、平然と口にしている時点で、俺もすでにアウトなのかもしれない。
さてと、ちょいと糖分補給もできたことだし、さっきの出来事について軽く考えでもまとめておくか。
この世界の基礎となっている世界は、俺がもといた世界。御伽適応者という超常現象を起こす人々が現れたとしても、その素質もまたその世界が基準となる。つまり技能、呪文の適正もまたそっちに引っ張られる。てことは、俺が技能しか使えなかったということは、彼らも同様にその制約を受けているということ。
異世界人は呪文は使えるが技能は使えないのに対して、俺達は技能は使えるが呪文は使えない。はずなのだが、この世界にも一応、呪文らしきものは存在し使用可能となっている。
呪文を発動するためには、詠唱の締めにドイツ語を使用する。なぜドイツ語なのかと問われても、その理由は分からないとしか答えられない。技能が英語なのもまた然り。
技能は異世界と同じだが、呪文は独自の進化を遂げている。
これに関しては、確信に似た推察がもうできあがっている。割かしザルかもしれないが、そこそこいい線いってると思う、マジで。
異世界人のように呪文が使えない体質ならば、呪文そのものを俺達でも使えるようになればいい。女神の入れ知恵だが、どこぞの天才科学者だかは不明だが、それらによって俺達でも使えるように改良された呪文らしきもの。
『呪文らしきもの』といった理由は、異世界の類似した呪文と比べて、威力や精度が何とも心許ないからだ。先生だろうが、生徒だろうが誰が発動したとしても、微々たる程度しか変わらない。そういう弱点もあってか、夢にまで見た呪文が手の内にあるというのに使いたいと思わない、思えないのだ。ついでにいうと詠唱要らずの簡単仕様。性能低下の原因は、その詠唱破棄が原因かとも思い莉緒に試してもらったが、特に威力が向上することはなかった。
技能のように呪文を唱えるだけのお手軽仕様、それがこの世界における呪文。発動条件もまた技能同様に英語での発声となっているので、少々ややこしいのも欠点。
ダラダラと語ったが――つまるところ、何が言いたいのかというと、この世界において呪文を正確に扱える人間は誰一人としていない。元々の魂がこちら側に準じている限り、どんなにあがいたところでドイツ語で呪文が発動することはない。
(やっぱ生徒会長はあちら側の人間だよな……だが、どうして、どうやってこっちに来た? それにこの離れ、なんでここにある……?)
考えれば考えるほど、生徒会長という人物の素性が分からなくなってくる。元より不明な点が多いことは重々承知なのだが、この人はそんなレベルの話じゃない。もう何というか、何も知らない方が幸せなんじゃないかとさえ思えてくる。
「……ねぇ凪なんかいい匂いしない?」
右手にクロワッサン、左手に白桃タルトを持った食いしん坊が、鼻をひくつかせながら訊いてくる。
「うん……あっ、確かにするな」
日本人の胃を刺激する出汁の香りが、ドアの隙間から侵入し部屋を占領していく。一度でも認識してしまうと最後、腹の虫が一気に騒ぎ出す。隣席のやつは「味噌汁かな?」と呆けたことを抜かしつつ、右、左と交互にペストリーにかぶりついている。
晩ご飯としては遅い時間――そのことを考慮して、和食にまとめてくれているのだろうか。
どこからどう見ても完全に莉緒は、ご相伴に預かる気満々だし、俺としても今さら家に戻って夕飯を作る気も起きない。そういう点においても、助かるっちゃ助かるけど――やっぱなんか違くない。