19-2 無光奈落
現在確認されている最も深いダンジョンは、魔王城付近の断崖絶壁を真下に延々と降りた先にある。このダンジョンを発見した冒険者は、その微かな光すら届かない深淵にあることから、無光奈落と名付けたと言われている。
基本的にダンジョンに名前を付けることはない。ダンジョン同士は近くに生成されることがないため『どこどこのダンジョン』と言うだけで、異世界人なら老若男女問わずそれだけで理解できる。なので、わざわざ名称を付けたということは、そのダンジョンがそれほど別格だからである。
最古にして最大のダンジョン、無光奈落の最深部は脅威の90階層。
もうすでに先人の手により完全攻略されているため、俺はかのダンジョンに潜ったこともないし、見たこともない。それは俺だけじゃなくて、あの世界で暮らす人々の大半もそうだ。ただ記録として『完全攻略済み』と後世に残されているだけである。
完全攻略すると、唯一出入りできるゲートが消滅するため、二度とそのダンジョンに立ち入ることができなくなる。そのため基本的には完全攻略せずに残すことのほうが多い。何度も挑戦して、金銀財宝を手に入れたほうが都合がいいからだ。
にもかかわらず、完全攻略したということは、それらのメリットよりも遥かに大きなデメリットがあったということになる。
いまとなっては、その理由を知る由もない。
休憩階層でリラックスタイムに突入すること早2時間が経とうとしていた。
予定していた時間はとうの昔に過ぎている。本来なら、もうダンジョンに脱して晩ご飯を食べて風呂に入ってリビングでダラダラしている時間である。なのに、俺は寝支度をするどころか、未だに例の家屋から一歩も外に出ていない。
カチ、カチ、カチ――。
俺の数少ない平日での癒しの時間、その貴重な時間がどんどん減っていく。
掛け時計の針が進むたびに、そのことが脳裏をよぎる。
なぜそんな状況に陥っているのかというと、突如莉緒が『今日はここで泊まる』と言い出したからだ。
風呂やトイレなども備わっているため、寝泊りすること自体には何ら問題はない。
実際に、そういった冒険者と出会ったこともあるし、俺自身も異世界で何度も世話になったこともあるが、今日はその日ではない。
こんなお泊り企画を許可してみろ、あいつはハイテンションになる。その結果、絶対に明日は地獄を見ることになる……主に俺が。
『俺はともかくお前には帰る家もあるんだし、それに明日も学園あるから帰ろうぜ』
そんな感じのニュアンスで、やんまりと彼女の提案を拒んでみたが、そう上手くはいかないのが世の常というもの。
そこから押し問答がはじまり今に至る。
ハンモックの上で、器用に手足をバタつかせて駄々をこねる。もうかれこれ、この状態が30分近く続いている。色んなところが揺れたり見えたりしているが、本人は気にしている様子はない。
ハンモックから一度も落ちていないしバランス感覚も凄まじい、体力も体幹も鍛えられている証拠だ。
それにしても本当に良く飽きないなと感心してしまう。
「なあいい加減帰ろうぜ、明日の用意もしなきゃだしさ?」
「じゃー凪だけひとりで帰ったらいいじゃん! あたしは今日ここで寝るから!!」
「はぁ……」
気落ちしているからと少しばかり甘やかしすぎたか。
彼我結家に誰もいないというのも不安だが、こいつひとり残して帰るほうがもっと不安だ。だからといって、ここで一泊など絶対にしたくない。ならば、俺がやるべきことはただ一つ。
(軽く揺さぶりをかけてみるか……)
お手軽収納術を発動して弁当を一個だけ取り出すと、わざとらしく音を立ててテーブルに置く、続けざまにお泊りセットを取り出す。
このお泊りセットは、予期せぬ緊急事態に備えていくつか用意しているセットシリーズの一つ。五泊六日を想定して着替えや歯ブラシ、タオルに携帯食料や飲料水などをバッグに詰めたものだ。
そのセットから一泊分を抜き出して弁当横に配置する。残りの四泊分を収納して準備万端。
いざ『俺だけ帰宅する』と、莉緒に豪語するためベランダに目を向ける。
そこで莉緒と目が合った。
莉緒は目と口を限界まで広げて、わなわなと身体を震わせ硬直している。
この現実を受け入れたくないという思いが抑えきれず、感情に、表情に溢れ出ているが、容赦などしない。
あとは止めの一撃を放つだけだ。
「じゃあな、莉緒! 俺は帰るから!」
これでもかというほど満面の笑みで、莉緒にそう言い残して玄関に向かうのだった。
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